2009年5月31日日曜日

説教集B年: 2006年6月4日、聖霊降臨の主日(三ケ日)

朗読聖書: Ⅰ. 使徒 2: 1~11.      Ⅱ. ガラテヤ 5: 16~25.  
  Ⅲ. ヨハネ福音 15: 26~27; 16: 12~15.


① 復活の主日以来50日間続いた復活節は、本日で終わります。皆様も懐かしく思い出されると思いますが、昔は復活の蝋燭は、主の昇天祭日のミサ中、福音の朗読が終わると、主が天に上げられて見えなくなったことを表わすために消されましたが、第二ヴァチカン公会議後の典礼刷新で、復活なされた主のシンボルとして聖霊降臨祭の晩まで50日間祭壇のそばに灯し続けることになりました。それは、復活なされた主が弟子たちの信仰を固めるために40日間にわたって度々ご出現になったことよりも、主の復活の奥義を、旧約の神の民が体験した過越の出来事によって予め示されていた、束縛から解放、死から新しい生への全人類救済の過越として受け止めることからの刷新であったと思います。旧約の神の民は、エジプト脱出の夜から数えて50日目にシナイ山で神を礼拝し、そのシナイ山で神と契約を締結して、神から十戒を授けられたと語り伝えていたようです。それでユダヤ教では過越祭からの50日後を「五旬祭」として大きな祝い日にしていました。それはイスラエル民族が契約の民として発足した、いわば神の民の誕生日でしたから。その民が約束の地に定住して農耕に従事するようになると、ちょうどこの祭日の頃は麦の刈り入れ時でもあったので、それは次第に「刈り入れの祭」、収穫感謝の祭としても大切にされる祝い日になったようです。
② 主イエスが復活なされた年の五旬祭にも、本日の第一朗読にあるように、東はメソポタミアから、西はエジプト、リビアなど、あるいは北西のカパドキア、ポントス、アジア州、ローマなどから大勢のユダヤ人たちがエルサレムに来ていたようです。主のご昇天の時のお言葉に従って、主の弟子たちも聖母マリアをはじめ婦人たちと一緒にエルサレムに留まって、日々心を合わせて熱心に祈っていました。すると突然、激しい風の音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響き渡りました。それはほんの一瞬の出来事ではなく、ちょうど大地震の時のように、ある程度長い時間にわたって続いた現象のようです。というのは、エルサレムに滞在していた世界各地からの大勢の人たちも、その大きな風音や物音に驚いて、続々と弟子たちのいた所に集まって来たからです。その時炎のような舌が現われ、分かれて弟子たちおのおのの上に留まりました。すると一同は聖霊に満たされ、霊が語らせるままに、いろいろな国の言葉で語り始めました。こうして、神の愛の霊が各人の心の中で働く新しい神の民が誕生し、その日世界各地から来ていた多くの人たちも受洗して、その神の民に加わったのです。
③ 新しい神の民のこの誕生を、旧約の神の民の誕生と比べてみますと、厚い雲に覆われていたシナイ山でも、恐ろしい雷鳴と稲妻が響き渡り、角笛の音が鋭く鳴り響いたので、麓の宿営にいた民は皆震えたとあります。しかし、モーセはその民を神に会わせるために強いて宿営から連れ出し、山のすぐ前に立たせました。すると神が大きな火に包まれて山に降り、全山は炉の煙のようなものに包まれて激しく震動しました。モーセが神に呼びかけると、神は雷鳴の声でお答えになり、稲妻が光るので、民は恐れて遠くに退き、モーセに「あなたが私たちに語って下さい。私たちは聞きます。神が私たちにお語りにならないようにして下さい。さもないと、私たちは死んでしまいます」などと願っています。このことからも解るように、旧約の神の民は極度の恐れから、遠くに離れて神を崇め、神の言葉に背かないようにしていようと努める生き方を、初めから選び取っていたようです。しかし、神に対する恐れからなるべく遠くに離れて神の掟を守ろうとしていた神の民は、肉の欲に勝てずに掟に背くことが多かったようで、その不完全さに目覚めて神の側に立ち、信仰に生きようとした少数の預言者的精神の持ち主以外は、次第に神から一層遠くに離れる存在に堕ちて行きました。それで神の御独り子は、天の神を私たちに最も身近な父として愛し崇める生き方の模範を生きて見せ、神の愛の霊を天から全人類の上に溢れるほど豊かに注いで、聖霊に生かされて信仰に生きようとする新しい神の民を創始なさったのです。それが、私たちの本日記念し感謝している聖霊降臨祭の奥義だと思います。
④ 聖霊降臨の大祝日と聞くと、聖霊の祝日と思う人もいるでしょうが、本日のミサの集会祈願も奉納祈願も拝領祈願も、聖霊よりは天の御父と主イエスに対する願いとなっており、「聖霊を世界にあまねく注いで下さい」と御父に願ったり、「御子が約束された通り聖霊を注ぎ、信じる民を照らして下さい」と主イエスに願ったりしていますから、教会はこの祝日を伝統的に、三位一体による新しい神の民誕生の祝日としていたように思われます。
⑤ 使徒パウロは本日の第二朗読の中で、「霊の導きに従って歩みなさい。そうすれば、肉の欲望を満たすことはないでしょう」と述べて、肉の業と神の霊の結ぶ実とについて列挙していますが、神の愛の霊を受けて主キリストの神秘体の細胞にして戴いても、この世に生きている限りはまだ古いアダムの肉をまとっているのですから、主イエスや聖母マリアのように、何よりも神の僕・婢の精神でしっかりとその肉の欲を統御し、十字架につけ、神の愛の霊の器・道具となって生きるよう心がけなければなりません。その時神の霊は私たちの内にのびのびと自由に働き始め、私たちはその霊の導きと自由に参与して、豊かに霊の実を結ぶに至るのではないでしょうか。「霊の導きに従って歩みなさい」という聖書の言葉を重く受け止め、いつも私たちの心の中に留まっていて下さる「聖霊の神殿」となって、生活するよう心がけましょう。
⑥ 本日の福音は、最後の晩餐の席上で語られた主の遺言のような話からの引用ですが、主はその中でも、弟子たちが神の霊の器・道具のようになって生きること、証しすることを勧めておられるように見えます。「言っておきたい事はまだたくさんあるが、今あなた方には理解できない」というお言葉は、数年間主と生活を共にした弟子たちに主についての証をさせようとしても、彼ら自身の能力ではまだ主による救いの業について正しく理解し、正しく証しすることができないことを示していると思われます。しかし、主がお遣わしになる「真理の霊が来ると、あなた方を導いて真理をことごとく悟らせる。云々」というお言葉は、聖霊の内的導きに従おうと努めているなら、証し人としての使命を立派に果たすことができることを、保証しているのではないでしょうか。世の終りまで共にいると約束なされた主イエスは、現代の私たちにも聖霊を注いで、各人の信仰体験から証し人としての使命を果たさせようとしておられると思います。しかし、聖霊の器・道具となって霊の導きを正しく受け止め、それに従って行くには、ただ今も申しましたように、まず自分の中の古いアダムの心に死ぬように努め、自分中心のわがままな主体性や欲望をしっかりと統御しなければならないと思います。
⑦ 1962年の秋から四期に分けて4年間続いた第二ヴァチカン公会議の第一期に、進歩派の教父たちが保守派に大勝すると、その直後頃から、公会議をこれまでの教会の伝統を改革して、現代人の好みに適合した教会を創作する会議とでも誤解したのか、自分中心の欲望に死のうとしていない様々の過激な試みが先進諸国の教会内に続出し、司祭職や修道生活から離れて世間に戻った人も少なくありませんでした。私はその人たちの結ぶ実から、霊の識別ということを真剣に考えるようになりました。それで、キリスト教信仰を日本に根付かせるには、西洋のキリスト教伝統に強い父性的性格を弱め、日本文化の伝統に濃い母性的色彩に福音を適合させる必要がある、などという意見を聞いても、慎重に構えて同調しようとはしませんでした。そのような見解の人たちは、まず内的に古い自分に死ぬことから出発していないように見えたからでした。主イエスは「父よ」と祈るように命じておられます。それで生来自分の受け継いでいる肉の心に死んで、主の教えて下さった「父よ」の祈りに深く慣れ親しんでみますと、聖霊の働きによるのか、「父よ」の祈りに少しも違和感を覚えなくなります。まず古い自分に死んで、使徒時代以来の教会の伝統にしっかりと深く根を下ろすなら、聖霊が私たちの心の中にのびのびと働いて下さり、各人の心が受け継いでいる日本文化の伝統も、聖霊が主導権をとってバランスよく福音宣教に生かし、西洋のキリスト教伝統に欠けている側面を補足するよう導いて下さるのではないでしょうか。
⑧ この三ケ日に来るようになってから、これまで以上に鶯やホトトギスの鳴き声、蜜柑の花や秋の虫の鳴き声などに興味を持つようになり、鳶の飛んでいる姿をゆっくりと眺めることも少なくありませんが、いつでしたか珍しくすぐ近くの電柱に止まった鳶が、木の葉も動かずにいるような微かな風に乗って、翼を広げただけで飛び立ち、やがて湖の上の天空に静かに輪を描く姿に感動を覚えたことがあります。鳶は、私たち人間とは比較できないほど鋭敏に風の動きを捉え、日々風の力に支えられて生きているのではないでしょうか。聖霊降臨の祝日に当たり、私たちも聖霊の風の微かな動きや導きにまでも従う恵みを、謙虚に願い求めたいものです。聖霊の働きに従うためには、日ごろから聖霊の働きに対する心のセンスを磨くことも、必要だと思います。人間の考え中心にできなく、何よりも神の御旨中心に、聖母のように神の僕・婢として、また聖霊の神殿として生きる決心を新たにしながら、本日のミサ聖祭を献げましょう。

2009年5月24日日曜日

説教集B年: 2006年5月28日、主の昇天(三ケ日)

朗読聖書: Ⅰ. 使徒 1: 1~11.      Ⅱ. エフェソ 4: 1~13.  
  Ⅲ. マルコ福音 16: 15~20.


① 本日の第一朗読の始めに、「私は先に最初の書を著して、云々」とある、この最初の書というのは、同じテオフィロ閣下への献本の辞で書き始めているルカ福音書のことを指しています。使徒言行録のこの最初の言葉を読む時に、私はいつもローマのグレゴリアナ大学で古代教会史の講義を受講した時のことを懐かしく思い出します。それは1959年秋のことでしたが、その頃のイエズス会の歴史家たちは皆、ルカ福音書は主イエスの死後20年ほど後の紀元60年頃に書かれたと考えていました。古代教会史の教授たちはその理由として、主として聖ペトロと聖パウロの言行について叙述している使徒言行録が、この両使徒の67年の殉教については何も書かず、60年頃に囚人としてローマに連れて来られたパウロが、同地のユダヤ人たちを招いて自分のことを弁明した話と、自費で借りた家に番兵付きで住むことを許され、まる2年間住んでいる話で終わっているのは、この書が60年代前半に執筆されて献本された証拠である、と話していました。したがって、それ以前に献本されたルカ福音書は、60年頃の作品であると考えていました。
② その後の聖書学の著作には、ルカ福音書は70年以降に執筆されたとするどなたかの福音編集史的仮説が踏襲されているだけで、教会史学者たちを納得させる論拠は一つもあげられていません。精々ルカ福音書21章にあるエルサレム滅亡の予言はその通り実現したのだから、これは70年のエルサレム滅亡後に書かれたと思われる、という理由一つだけであります。しかしこの理由は、主イエスに予言能力がないことが立証されない限り、学術的には通用しません。75年6月発行の『カトリック研究』27号に、私は「ブルトマンの新約聖書非神話化に対する史学的見地からの疑問点」という論文を発表したことがありますが、その中ではこのことは扱いませんでした。聖書の記述を神話論的伝承と見ることに対する批判に、論議を集中させていたからだと思います。でも、この70年代の中頃と後半に、私は大学での講義の中でも、幾つかの修道院や教会での説教の中でも、ルカ福音書がエルサレムの滅亡よりも10年ぐらい早い頃に書かれたと思われることを、理由をあげて話していましたので、その頃の私の話を覚えている人も少なくないと思います。
③ 主の昇天祭なのに、話が横道にそれてしまいましたが、第一朗読に戻しましょう。もはや死ぬことのない永遠の命に復活なされた主イエスは、40日間にわたって度々弟子たちに出現し、数多くの証拠を彼らに示して、実際に神出鬼没のあの世の命があること、そして主はその命に生きておられることを証ししました。それは、本日の朗読にもあるように、彼らが「地の果てに至るまで」主の証人となり、大きな確信と希望をもって神の国の命に生きて見せ、それを世界の人々に広めるためであったと思います。その40日間の最後頃、主は彼らと一緒に食事をしておられた時、エルサレムを離れないで、あなた方が私から聞いた父の約束を待っているように、とお命じになりました。「間もなく聖霊によって洗礼を授けられるであろうから」と。その後、ルカ福音書によると、彼らはベタニア近くの (おそらくオリーブ山の上に) 導かれて、そこに一緒に集まった時、「主よ、イスラエルのために王国を復興なさるのは、この時ですか」と、まだ古い現世的メシア像に囚われているような質問をしましたが、主は「父が御自らの権威をもってお定めになった時期は、あなた方の知るところではない」とその質問を退け、「しかし、聖霊があなた方に降る時、あなた方は力を受けるであろう。云々」と、彼らがこれからは主の証人としての使命に生きることを話し、話し終えると、かれらの見ている前で天に揚げられて行き、雲に隠れてしまいました。
④ 単なる私の想像ですが、その時の主のお姿はそれまでとは多少違って、天上の威光と喜びに輝いているように見えたのではないでしょうか。この全く思いがけなかった主の昇天を目撃して、弟子たちはいつまでもじっと天を見詰めていたと思います。するとそこに、白衣の人の姿で二位の天使が彼らの側に現れたようで、「ガリラヤの人たちよ、なぜ天を仰いで立っているのか。あなた方から離れて天にあげられたあのイエスは、天に昇るのをあなた方が見たのと同じ有様で、また来るであろう」と告げました。この言葉は、問題多発の今の世に生きる私たちにとっても、忘れてならない言葉だと思います。すでに過ぎ去った過去の主のお姿だけを慕い求めるのではなく、激動する目前の人類社会の中にも密かに受肉し現存しておられる主の新しいお姿に対する心のセンスを練磨しつつ、また主の栄光の再臨を待望しつつ、大きな明るい希望の内に神の国の証し人として苦しい現実生活を生きるよう、神は私たちにも求めておられるのではないでしょうか。復活なされた主は、私たちの過去におられるよりも、むしろいつも私たちの前に未来におられて、その主の働きについての目撃証人になるよう、私たちを招いておられると思います。
⑤ 本日の第二朗読であるエフェソ書は、ローマの借家で誰とも自由に会うことはできても、まだ番兵に監視されていて自由に外出することができない、言わば裁判前の拘置所にいるような状態で生活していた使徒パウロの書簡だと思われますが、「主に結ばれて囚人となっている」と表現しているその拘束の多い不自由な生活の中で、彼は神の霊に生かされている新しい神の民全体を「キリストの体」として捉え、各人をいわばその肢体、現代風に表現するならその細胞として考える、新しい教会像を獲得し深めるに至ったのではないでしょうか。この教会像は、半分世捨て人のような生活を営む観想修道者たちにとっても大切だと思います。私たちは、今苦しんでいる人、今助けを必要としている人の側にあって奉仕活動に挺身する自由をもっていませんが、しかし、神においてその人たちと内的に結ばれ連帯して生きることはできます。日々の祈りと労苦を心を込めて神に捧げることにより、その人たちを助けることもできます。使徒パウロも同様に考えて、本日の朗読箇所では「主は一人、信仰は一つ」などと、神における内的生命的一致を強調しているのだと思います。私たちも、主と一致して全人類の救いのために生きるよう召されていることを心に銘記しつつ、今の世の人がどれ程堕落への道に堕ちて行こうとも、「愛をもって互いに忍耐し、平和の絆に結ばれて、霊による一致を保つように努めなさい」という、本日の朗読にある言葉を忘れずに、希望をもって励むよう心がけましょう。
⑥ 本日の福音であるマルコ福音書の16章9節から20節は、最も古い重要な写本には欠けていますので、マルコの書いたものではなく、後の時代に他の福音書や使徒言行録などを参照しながら、誰かによって補記されたものかも知れません。しかし、教会はその部分をも聖書としていますので、その補足・追記も神の導きによる聖書として受け止めましょう。「荒れ野で呼ばわる者の声」から始まるマルコ福音書には、この世の諸悪や諸勢力に対するライオンのように強い批判や睨みを感じさせる言葉が少なくありませんが、その中心である主イエスが、受難が始まるとほとんど何も話さずに死んでしまい、復活後にも、墓を訪れた婦人たちに天使が語っているだけで、その婦人たちも恐ろしさから「誰にも何も言わなかった」という所までで福音が終わっているのは、物足りないと思った人が、マルコ福音書の結びとして、9節以下を書き足したのだと思います。従ってそこには、復活なされた主が、それを信じない弟子たちの心の頑なさを厳しくなじるお言葉があったり、本日の朗読箇所に読まれるように、「全世界に行って全ての被造物に福音を宣べ伝えよ」という力強い命令があったり、「悪霊を追い出し、新しい言葉を語り、手で蛇をつかみ」など、視覚的に力強く宣教効果を語る言葉があったりしていて、マルコらしい結びの言葉になっています。マルコ福音書最後のこの部分も、神よりの言葉として堅く信じましょう。謙虚に信じて揺るがなければ、その信仰のある所に、神は実際に働いて下さり、毒を飲んでも害を受けず、病人を癒すというような、神の働きも体験するに至ると思います。ご存じのように、最近の社会には悪魔の働きが活発になっているようで、今までに耳にしたことのないような新しい型の犯罪や詐欺行為が多発し、次々と純真な子供たちや罪のない人たちが犠牲にされています。私たちも揺るぎないマルコ福音書的信仰を体得して、悪魔の攻撃に対して慎重に備えていましょう。

2009年5月17日日曜日

説教集B年: 2006年5月21日、復活節第6主日(三ケ日)

朗読聖書: Ⅰ. 使徒 10: 25~26, 34~35, 44~48. Ⅱ. ヨハネ第一 4: 7~10.  
  Ⅲ. ヨハネ福音 15: 9~17.


① 本日の第一朗読の始めに登場するコルネリオという人は、この10章の始めに「彼はイタリア隊と呼ばれる部隊の百人隊長で、家族一同と共に神を畏れ、民に数々の施しをなし、絶えず神に祈っていた」と紹介されていますが、以前にも話したように、私は、主の受難死の直後に「この方は真に正しい人であった」と言ったとルカが書いている百人隊長は、このコルネリオではなかったかと考えています。その百人隊長がある日の午後、幻の内に神の天使をはっきりと見て、「あなたの祈りと施しは神の御前に届き、覚えられている」と告げられ、ヨッパに人を遣わしてペトロを招くように命令されました。それで、側近の中の敬虔な兵卒一人を二人の家隷と共に派遣してペトロを招いたのでしたが、ペトロもヨッパでその三人の到着する少し前に、屋上での祈りの内に不思議な幻を3回も見て、「神が清めたものを、清くないと言ってはならない」という啓示を神から受けていました。
② 神からのこの啓示とコルネリオの受けた啓示とに基づいて、ペトロは数人のキリスト者を伴って、現在のテルアビブ空港の近くにあったヨッパから40キロも離れているカイザリアの、コルネリオの家にまで来たのでした。コルネリオがそのペトロを出迎えて伏し拝んだところから、本日の朗読が始まっていますが、話が長くなるので、途中に二度も省略されています。ペトロが、ユダヤ人には (律法によって) 異邦人と交際したり、異邦人の家に泊まったりすることが許されていませんが、自分は神の啓示を受けて招きに応じたことや、主イエスによる救いなどについて説明していると、その話を聞いていたコルネリオたち一同の上に聖霊が降り、異邦人の彼らが異言を話し、神を讃美し始めたので、ペトロと一緒にユダヤ人たちも皆、大いに驚きました。そこでペトロは、「私たちと同様に聖霊を受けたこの人たちが、水で洗礼を受けるのを誰が拒むことができようか」と言って、コルネリオたちに洗礼を授け、その求めに応じて、なお数日間その家に滞在したのです。
③ これは、ユダヤ教との対立を緩和してその迫害を回避するため、折角ユダヤ教の伝統である律法遵守に努め始めていたエルサレムの信徒団にとっては、衝撃的な律法違反であったと思います。その出来事を伝え聞いたエルサレムの信徒たちは、ペトロたちが戻って来ると、ペトロを非難しました。それでペトロは次の11章で、神の特別な介入に従った行為であったことを順序正しく説明し、ペトロと一緒にコルネリオの家を訪問した6人の信徒もその証人になったので、エルサレムの信徒たちも静かになり、神のなされた新しい導きや救いの業を受け入れて、神を讃美するに至りました。初代教会のこのような出来事は、現代の私たちの信仰生活にとっても示唆に富んでいると思います。キリスト者の中には、新約聖書に描かれている主キリストのお姿や、その主を囲む弟子たちの生き方についてだけ熱心に研究し、そこから飛躍して2千年後の今の信仰生活や教会のあり方などについて理知的に論ずる人たちもいますが、それは「今も働いておられる」(ヨハネ5:17) 神の導きや働きに謙虚に従おうとする人の生き方ではないと思います。「世の終りまで、いつもあなた方と共にいる」とおっしゃった主は、今も私たちと共にいて、導き働いておられるのですし、主が復活なされた日の朝にその墓を訪れた婦人たちに、天使も、「あなたたちはなぜ、生きておられるかたを死者たちの中に探すのか。そのかたはここにおられない。復活なされたのだ」と告げて、過去の主イエスだけをたずね求めるより、今も生きて人類と共にいて下さる復活の主の導きや介入に対する信仰のセンスを磨き、その主に従うよう諭しているように思いますが、いかがなものでしょうか。カトリック教会2千年の歴史は、内部の人間的弱さや悪癖などと戦いつつ、その復活の主の導きに従って、教会や信仰生活の中に次々と新しい要素を導入して来た苦闘の歴史であった、と言うこともできましょう。
④ 本日の第二朗読は、「私が愛したように互いに愛し合いなさい」という主の新しい掟の実践を力説する、使徒ヨハネの第一書簡の中心部分と称してもよいと思います。この書簡がしたためられた背景には、霊と肉とを峻別し、高貴な神の世界に属している私たちの霊を、誤謬と苦悩に満ちた世界に繋ぎ止めて置く牢獄のようなものとして、私たちの肉身を軽視するギリシャの哲学思想があり、その思想的立場から聖書の啓示を解釈しようとした、グノーシス派と言われた人たちの動きがあったと思われます。ヨハネはそれに対してこの4章の始めに、そういうこの世の思想的立場に立って主イエスの受肉を軽視する人々を「偽預言者」、「反キリスト」、「世から出た者たち」として退け、神から出たものでない「迷いの霊」を見分けることを説いてます。そして私たち「神から出た者たちは、既に彼らに打ち勝っている」のだという信仰に堅く立って、4章7節から「愛する者たちよ、互いに愛し合いましょう。云々」と、美しい愛の讃歌を綴っています。その讃歌が本日の第二朗読であります。神は愛であり、神の愛は、神がその御独り子を世に遣わして私たちを贖い、私たちが彼によって生きるようにして下さったことによって明らかにされたもので、その愛は私たちが神を愛したことに始まるものではないとするこの讃歌を、ゆっくりと味わってみましょう。私たちの存在が徹頭徹尾温かい神の愛に包まれ、抱かれているように感じられて来ることでしょう。
⑤ 本日の福音は最後の晩餐の席上での、主の遺言のような話ですが、主はその中で弟子たちに、「父が私を愛されたように、私もあなた方を愛して来た。私の愛に留まりなさい。云々」と切願するかのように、ご自身の愛に留まるよう繰り返し願っておられます。それは、私たちが自分から産み出す人間的な愛ではなく、主が御自身から溢れ出す神の愛を受け入れ、自分に死んでその限りない神の愛に内面から生かされる実践を指しているように見えます。主はそのためにこそご自身のこの世の命に死んで、新しい神の命を私たちに提供する聖体の秘跡を制定なされたのですから。「友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない」という主のお言葉も、自分に死んで神の大きな愛に生きるように、という主からのお招きと結んで理解すべきだと思います。その大きな神の愛に生きてこそ、私たちは主の友となるのではないでしょうか。ヨハネ13章に述べられているように、主は裏切り者ユダが外の闇に出て行った後に、「私が愛したように、互いに愛し合いなさい」という新しい掟をお与えになりましたが、この「私が愛したように」というお言葉を、外的に理解しないよう気をつけましょう。それは、自分に死んで主の愛に内的に一致し生かされて愛することを指していますから。15章からの引用である本日の朗読箇所でも、主は同じそのお言葉を二度も繰り返して、主が愛したように互いに愛し合うことを命じておられます。「私の命じることを行うならば」「私はもはや、あなた方を僕とは呼ばない。云々」などのお言葉に触れると、私は、主のご変容の栄光に包み込まれた弟子たちのように、主の大きな愛の中に抱き上げられ、その器や道具になったように覚えます。主は今も私たちに同じお言葉を繰り返して、私たちが主の大らかな愛の器・道具・友となって生きるよう、招いておられるのではないでしょうか。
⑥ 数日前に来日した国連のアナン事務総長が日中・日韓関係の改善のため、日本側が積極的に動いてくれるよう強く要請しましたが、この問題は極東諸国の共存共栄のため解決すべき重要な課題ですし、その一つの鍵は日本側が握っていますので、本日のミサ聖祭は、日本の政治家たちが問題解決の道を見出し、積極的に動いてくれるよう、またカトリック教会では「世界広報の日」としている日ですので、日本のマスコミ関係者も問題解決に貢献してくれるよう、神に照らしと導きの恵みを願い求めてお献げしたいと思います。この意向でご一緒に祈りましょう。ついでながら、カトリック者の中でも見解が大きく分かれている靖国神社問題についての私見も、何かのご参考までに申して置きましょう。私は、国家のために命を捧げた戦没者の霊魂たちの冥福を祈るのは、国民の義務だと思います。それで、すでに故人となられたドイツ人宣教師たちの模範に倣って、個人的に不特定多数のあの世の霊魂たち、特に苦しんでいる霊魂たちのために毎週2回ミサ聖祭の中で祈念する時、全ての戦争犠牲者たちの霊魂たちのためにも祈っています。祖国の犠牲者たちのための人間として当然のこういう祈りに対して、他国の人は干渉する権利がないという小泉首相の見解は、正論だと思います。主は山上の説教の中で、「もしあなた方が赦さないならば、あなた方の父もあなた方の過ちを赦して下さらないであろう」(マタイ6:15) とおっしゃいましたが、たといその人がどれ程憎い人であろうとも、すでに他界なされた人の罪は快く赦して、その冥福を祈るよう心がけましょう。
⑦ しかし、隣国の国民感情に配慮して、A級戦犯14人の靖国神社への合祀はなるべく早く取り止め、分祀すべきだと考えます。人間の考えた国際法の立場からすれば、東京軍事裁判には大いに異論がありますが、しかし、神の御前では、敵味方にあれ程多くの犠牲者を出した戦争の責任者たちは、無数の人たちの恨みを背負いつつ生きながらえるよりも、国家の新たな発展を祈念しつつ潔くその命を捧げ、処刑されることを望んでいたと思います。1948年12月23日に巣鴨で処刑され火葬場の穴に捨てられたA級戦犯7人の遺骨は、翌日はクリスマス・イブで監視が手薄だった上に、誰も火刑にされなかったので、弁護士と僧侶の二人によって密かに取り出され、暫くある所に保管された後、そのことを知った愛知県のある地主が遺族たちの了解を得て、蒲郡西方の三ヶ根山上の広い地所を墓地として提供し、地元の人たちによってそこに立派な墓碑が建てられました。すると元軍人で墓参に訪れる人が増え、その地所に自分の墓を建てる人も多くなったので、墓参団が来るようになって蒲郡温泉郷が栄えたばかりでなく、三ヶ根山上にも70年頃にホテルが建ちましたが、そのホテルのボイラーマンとして、私の知人のカトリック信者が勤務していたので、その人からの招きもあって、私は二度三ヶ根山を訪れ、A級戦犯者たちとその地に埋葬された将兵たちの冥福を祈りました。あの世で誰よりも多く国家と敵味方の戦争犠牲者たちとに謝りつつ、自分の苦しみと祈りを捧げているのは、その人たちの霊魂であると思うからでした。その頃に神社問題や靖国問題について学会で発表したり著作したりしていた、国学院大学の教授小野祖教氏とも、70年代中頃に宗教学会の懇親会でゆっくりと話し合ったことがあります。小野氏は他宗教の人たちにも開いた心の持ち主でしたが、78年10月にA級戦犯者たちは靖国神社に合祀されてしまいました。遠い三河の山への墓参の不便を、解消するためでもあったと思います。2千以上もあった将兵たちの墓も次々と他所に移され、今は幾つかの碑を残して、その墓地は美しい公園になっています。しかし、近年そのことで国際関係が悪化しているのなら、近隣諸国の国民感情を多少なりとも緩和するため、分祀の方向で新たに考え直すよう、神もお望みなのではないでしょうか。

2009年5月10日日曜日

説教集B年: 2006年5月14日、復活節第5主日(三ケ日)

朗読聖書: Ⅰ. 使徒 9: 26~31.   Ⅱ. ヨハネ第一 3: 18~24.  
  Ⅲ. ヨハネ福音 15: 1~8.


① 本日の第一朗読は、ダマスコ途上で復活の主に出会って改心し、アナニヤから受洗したサウロについての話ですが、そのサウロがダマスコの諸会堂でユダヤ人たちに、ナザレのイエスがメシアであることを力強く論証していましたら、驚いたユダヤ人たちがサウロを殺そうと陰謀を企んだので、サウロはキリスト者たちの助けを得て町を逃れ、エルサレムに舞い戻ったのでした。そして本日の朗読箇所にあるように、主の弟子たちの仲間に加わろうとしましたが、数週間前にステファノをはじめ多くのキリスト者たちを迫害したサウロを、エルサレムの信徒団は主の弟子と認めようとはしなかったようです。著名なラビ・ガマリエルの下で学んだ律法学士のサウロは、巧みな弁舌で人を欺くおそれのある人間と思われたでしょうし、事実エルサレムで大祭司たちを動かしてキリスト者迫害を盛んにした張本人でもあったのですから、無学な庶民層出身の弟子たちが警戒したのも当然だと思います。
② しかし、その中にあって、キプロス島出身でギリシャ語に堪能な教養人バルナバは、聖書にも「立派な人物で、聖霊と信仰に満ちていた」と述べられていますが、人の心を正しく見抜く能力にも恵まれていたようで、サウロを使徒たちの所に連れて来て、彼が実際に復活の主に出会って改心し、ダマスコで主イエスの名によって大胆に宣教したことなどを説明しました。それで、サウロはエルサレムにいる使徒たちと自由に交際し、主の名によってギリシャ語を話すユダヤ人たちに宣教したり、彼らと議論したりし始めたようです。自分が知らずに犯した大きな過失を、償おうとしていたのだと思います。すると、そのサウロを殺害しようとする動きが起こり、それを知ったギリシャ語を話すキリスト者たちは、彼をかくまって密かに港町カイサリアに降り、サウロをそこからその生まれ故郷であるタルソスへ船出させました。
③ こうして、ギリシャ語を話すディアスポラ出身のユダヤ人改宗者、ステファノやサウロたちをめぐる出来事で、一時は大きな揺さぶりをかけられたエルサレム教会は、その後は平穏にユダヤ・ガリラヤ・サマリアの全地方でゆっくりと発展し、信徒数を増やしていったようです。しかし、この時期になると、ペトロもヨハネも、もうユダヤ教指導者たちをメシア殺しの罪で糾弾しなくなり、むしろユダヤ教との対立を緩和するため、ファリサイ派が重視する律法遵守をできる限りで尊重しながら、主イエスに対する信仰を広めていたように思われます。ユダヤ教の大法院も、ラビ・ガマリエルの言葉に従って、彼らがそのように努めている限りは敢えて新しい信徒団を迫害しようとしなかったのだと思います。しかし、やがてバルナバもエルサレムを去り、タルソスからサウロ、すなわち後の使徒パウロを導き出して、一緒に伝道旅行を始めた頃から、律法尊重のエルサレム教会の中にはファリサイ派から改宗した人たちが入って来て、キリスト教会をユダヤ教に引き戻そうとし始めたようで、これが後で使徒パウロを悩ましています。それについては、またいつか話す時がありましょう。
④ 本日の第二朗読は、先週の主日の第二朗読と同様、ヨハネの第一書簡第3章からの引用ですが、本日の朗読箇所に登場する「神の掟」は、主が最後の晩餐の席上でお与えになった新しい掟、すなわち「私が愛したように互いに愛し合いなさい」という愛の掟を指しています。使徒ヨハネは本日の箇所で、「言葉や口先ではなく、行いをもって誠実に愛し合いましょう」と呼びかけ、そうすれば「神の御前で安心できます」「神の御前で確信を持つことができ、神に願うことは何でも叶えられます」などと説いていますが、これは、長年にわたる自分の体験からの述懐であると思います。多くの聖人たちも同様の言葉を残していますし、皆様がよくご存じの「神の愛の聖者」聖ベルナルドも、同様の述懐をなしておられます。私は今年は御受難会の創立者十字架の聖パウロの言葉を365日に分けて収録した、『今日を生きる智恵のことば』という本を読んでいますが、そこにも同様の言葉がいろいろと形を変えて登場しています。私たちもそれらの模範に倣って、神の愛に生きるよう努めましょう。
⑤ 私は2週間前に、「私のカトリック的ネオ・アニミズム」という言葉に続いて、私は日々出会う全てのものを温かい眼で眺めています、という話をしました。今日はそのことをもう少しだけ説明致しましょう。子供の時から自分独自の個室を持ち、パソコンやその他自分だけの所有物を与えられるという豊かさの中で育って来た現代人の中には、親をも他人をも組織をも、全てを自分にとっての利用価値という観点から、いわば道具や手段として眺めてしまう人間が少なくないようですが、昭和初めの貧しい農村で五人きょうだいの末っ子として育った私は、自分の部屋というものを持たず、何でも皆と共有するような生き方をしながら育ち、信心深い浄土真宗の門徒であった父母の模範や躾けもあって、食べ物でも衣類やその他の道具でも、感謝の心で大切にする習慣を身につけて大きくなったように思います。
⑥ 私はこのことで、今でも父母に深く感謝していますが、大学に入った頃からは、自然界の草木や青空や雲などに話しかけることも多くなりました。自然界の美に対する詩人や美術家のような鋭い感性はもっていませんが、話しかけていると、自然界も不思議にその心の呼びかけに応えて、それとなく私を護り導き助けてくれることが多いと思うことが度々ありました。それで、30年ほど前ごろからは他人から「晴れ男」と呼ばれるようになり、自分でも、少しの例外を別にして、外出時に不思議に好天に恵まれることが多いのを体験しています。仏教には、生きとし生けるもの全てが仏性をもっているという信仰があって、生き物の殺傷を極度に避けようとしている仏教者もいますが、私はそのようには考えません。以前にも話したように、「作品は作者を表す」のですから、生ける神によって創造された全てのものは、皆それぞれの仕方で「生きている存在」であると思います。そして「生きる」ということは、他の多くのものによって生かされて生きることであり、自分も他者のために自分の命を犠牲にして奉仕する使命と義務を持っていると考えます。
⑦ 人となってこの世にお生まれになった神の御独り子は、その模範を最も美しくまた徹底的に体現なさいました。生かされて生きている私たちも、その模範に倣って万物の救いのために奉仕しようと努めなければならないと考えますが、私たちの周辺の万物も神によって、そのように私たちに奉仕するよう召されているのではないでしょうか。ですから私は、日々の飲食の時にも「いただきます」と感謝の心を表明しながら、それらの飲食物の命を頂戴し、私の身に生かして使うよう心がけています。今年はこの三ケ日で蚊の発生が例年より少し早いように思いますが、私は既に3週間前から何匹も蚊を殺しています。しかし、皆様がお笑いになるかも知れませんが、私はその度毎にその蚊に話しかけ感謝しています。蚊の命を頂戴し、その分とも神のために働くことを約束して、私を邪魔せず助けてくれるよう願うのです。すると、意外と安らかな心で仕事や生活に従事できるように感じています。私が今あるのは、ある意味では私のために死んでくれた数多くの蚊たちの命にも、生かされているお蔭であると思います。もちろん、それらの蚊の命が直接に私を助けてくれたのではありません。ただ私を邪魔し苦しめた蚊に対しても憎しみの心を抱くことなく、大きく開いた温かい感謝の心でそのお命を頂戴する時、神の霊が、あるいは私が日々その幸せを祈っている無数の先輩死者たちの霊魂が、蚊との出会いを介して私を訪れ、私に力や助けを与えて下さるのだと信じています。
⑧ 小さな虫たちや小鳥たちとの思わぬ出会いも、私はあの世の神や霊たちの訪れと受け止め、大切にしています。そういう虫や小鳥たちに優しく話しかけると、何か自分が不思議に守られ助けられているように覚えるからです。鳥たちに話しかけていたと聞くアシジの聖フランシスコは、自分に厳しい火や貧しさなどに対して優しく語りかけています。私も、日々愛用しているサプリメントや小道具などに感謝の心で話しかけていますが、とにかくこのようにして、私たちを取り囲む全てのものに生かされ支えられて、感謝を表明しつつ神のために生き且つ働くのが、この苦しみの世における私たちの人生なのではないでしょうか。私が「ネオ・アニミズム」と称したのは、そのような信仰の生き方を指しています。
⑨ 本日の福音の中で、主が「私は幹であって、あなた方は枝である」とおっしゃったのでないことは、注目してよいと思います。主はご自身を、根も枝も実も含む「ぶどうの木」と表現しておられるのです。枝の外にある幹ではなく、枝の中にもその命が流れている「ぶどうの木」と表現して。従って、天の御父が実を結ばない枝を取り除かれる時には、おそらくその枝以上に、その枝に命を与え続けてこられた主ご自身が、痛みを感じておられるのではないかと思われます。「人が私に繋がっており私もその人に繋がっていれば、その人は豊かに実を結ぶ」というお言葉から察すると、ここで「繋がっている」(原文では「留まる」) という言葉は、単に外的に繋がっていることではなく、もっと内的に主との命の交わりに参与していることを意味していると思います。ですから本日の福音の中で主は、「私に繋がっていなさい」と、願うように話しておられ、私に繋がっていないなら、(たとい外的には繋がっていても) 御父によって取り除かれ、外に捨てられて枯れる、そして火に投げ入れられて焼かれてしまう、などと警告しておられます。しかし、「私に繋がっており、私の言葉があなた方の内に留まっているならば、望むものを何でも願いなさい」と勧めてもおられます。主のご説明によると、その人は願うことが全て叶えられて豊かに実を結ぶ主の弟子となり、天の御父もそれによって栄光をお受けになるのですから。
⑩ ぶどうの木についてのこの譬え話を読む時、いつも思い出す体験があります。それは、1979年の9月に、身延山での三日間の研修に参加した後、知人の佐藤牧師さんの車に乗せられて、ぶどうの名産地勝沼の教会に連れて行かれ、一泊して古い信徒の家を訪問した時のことです。その家の縁先にある300坪程の敷地全体が、一本のぶどうの木から伸びた枝たちに覆われていて、そこに無数のぶどうの房が垂れ下がっているのです。各房は数十個の大きな実から成っていましたが、私が家の主人に、「この一本の木に、全部で幾房ぐらい着いているでしょうか」と尋ねたら、「この木のためには一応一万個の紙袋を準備して、それらの房にかぶせたのです」という答でした。何と実り豊かなぶどうの木でしょうかと感心し、その後名古屋での説教にも、その木の話をしたのですが、その木はその後、勝沼を直撃した台風にやられて、今はもうないようです。その10年ほど後に、あのぶどうの木を写真に撮って置きたいと思って勝沼を再訪した時には、ぶどう園は大きく様変わりして鉄筋コンクリートの無数の柱に囲まれており、もうどこからでも自由に中に入ることなどはできなくなっていましたし、300坪ほどの敷地全体に枝を広げて、その下で子供たちが遊び戯れていたようなぶどうの木は見当らず、寂しく思ったからです。嵐のような現代世界の激しい大気流にもまれて、カトリック教会も昔の寛いだ大らかさや豊かさを失いつつあるように見受けますが、せめて私たちの心の中には、荒々しい現代文明の風潮に負けない、神信仰ののどかな大らかさや豊かさを宿し続けるよう、積極的に心がけましょう。

2009年5月3日日曜日

説教集B年: 2006年5月7日、復活節第4主日(三ケ日)

朗読聖書: Ⅰ. 使徒 4: 8~12.   Ⅱ. ヨハネ第一 3: 1~2.  
  Ⅲ. ヨハネ福音 10: 11~18.


① 本日の第一朗読は、生来足の不自由な人を癒して民衆の注目を浴び、ソロモンの回廊で、人々に悔い改めて神に立ち帰るよう呼びかける説教をしていたペトロとヨハネが、神殿の守衛長たちに捕らえられて朝まで拘留され、翌日大法院に引き出されて、「お前たちは何の権威によって、あのようなことをしたのか」と尋問された時のペトロの話です。ガリラヤの無学な漁夫でしかなかった二人は、自然的にはこの世の権力やユダヤ教指導者たちの社会的権威に対抗できるものは何も持っていませんが、しかし、主キリストの弟子として召され、3年間主に伴っていて見聞したことから一つの大きな確信を持っていました。それは、十字架刑によって殺されたナザレのイエスが真のメシアで、もはや死ぬことのない霊の命に神によって復活し、今も人類の救いのために働いておられるという確信であります。それでペトロは、聖霊に満たされて恐れずにそのことを公言し、「他の誰によっても救いは得られません」と断言しました。この世の権力や社会的権威はなくても、その言葉には、彼ら二人の心に主と共なる生活体験を通して注がれた神の権威がこもっていたと思われます。彼らによって癒された人もその側に立っていたので、議員たちは皆驚き、「返す言葉もなかった」と記されています。あまりにも多くの情報や多様の見解が氾濫して迷っている人の多い現代にも、神よりの声をこのような確信をもって伝える伝道者の増加が、必要なのではないでしょうか。
② 本日の第二朗読の中で使徒ヨハネは、「世が私たちを知らないのは、御父を知っていないからです」と述べていますが、ではどうしたら、天の御父を知るようになるのでしょうか。福音に読まれる、「翻って幼子のようにならなければ天の国には入れない」(マタイ18:3) だの、「智者や賢者に隠して、幼子たちに現して下さいました」(マタイ11:25) などの主イエスのお言葉から察しますと、何でも自分中心・人間中心に理解し利用しようとする利己的計らいの心を捨てて、聖母マリアや聖ヨゼフのように神の僕・婢となって、我なしの心で神よりのものを謙虚に受け入れ、それに従おうと努めるなら、その実践を通して、次第に天の御父の導きや助けを知るようになるのではないでしょうか。私たちはとかく、自分の目で見、手で触れる経験的現実を基盤にして、政治も社会も神よりのものを考究し勝ちですが、神に対する真の信仰は、そのような心の中では生まれたり成長したりせず、神のお言葉や神のなされる救いの御業に赤ちゃんのように全く自分を委ね切って、そのお言葉やその御業を中心にする立場、すなわち神の立場から自分やこの世の現実を顧みる逆転の生き方の中で、信仰も神の恵みも根を張り実を結ぶのだと思われます。私が神学生時代に学んだラテン語の教材の一つに、3世紀の聖チプリアヌスによる「主の祈り」の解説がありましたが、聖人はその中で、この世の植物は土壌に根を下ろして上に伸びようとするが、神の国の実を結ぶ者はその逆で、天上に根を張ってこの地上世界に実を結ぶのだ、というようなことを述べていました。聖書の行間に読まれる「逆転の論理」に出会う時、私はいつも聖チプリアヌスのその解説を思い出します。
③ 使徒ヨハネは先ほど朗読された箇所で、「私たちは今既に神の子ですが、自分がどのようになるかは、まだ示されていません」と述べていますが、自分は神の子にしてもらったのに、などと考えて現実生活をどれ程眺めてみても、神の子としての恵みも喜びも感じられません。しかしそうではなく、自分は神の子として生きるよう召されて、そのように生きることを約束し、その基礎的能力、すなわち神の子の命を戴いたのだと考えましょう。そして神の御独り子メシアの教えや模範に倣って、苦しみにも楽しみにも神の子として対処し、神の子として感謝の内に喜んで生きる実践に励みましょう。そうすれば、私たちが心に宿している神の子の命がゆっくりと育って来て、自分が実際に神の子として神から愛されていることを、次第に体験し確信するようになります。そしてメシアが栄光の内に再臨する終末の時の栄光化を、大きな希望のうちに待望するようになれます。それが、今の世における私たちの生き方ではないでしょうか。
④ 本日の福音は、主がユダヤ人たちに話された羊飼いの譬え話の後半部分からの引用ですが、その中には「命を捨てる」という表現が四回も繰り返されています。「命を捨てる」というのは日本語の訳で、原文を直訳すれば「命を置く」であり、これは「命を与える」あるいは「命を捧げる」、「命をかける」というような意味で受け止めてもよいと思います。神の民・神の羊として生きるよう招かれている人類の救いのため、命がけで全ての人を愛し、ご自身の命を与えようとしておられる主は、ご自身を「良い羊飼い」と称しておられますが、神の民・神の羊に対するそのような命がけの愛に生きていない宗教家たちのことは、「雇い人」と称しています。そして、雇い人は狼が来るのを見ると、羊を置き去りにして逃げる、と皮肉っておられます。自分の命と自分の受けるこの世的報酬を第一にしている雇い人精神の人にとり、羊は他者からの単なる外的委託物であり、羊を心を込めて愛してはいないからだと思います。それに対して、「良い羊飼い」である主は「自分の羊を知っており、羊も私を知っている」と話しておられます。この話に「知る」という動詞が四回登場していることも、注目に値します。それは、頭で知るという一方通行の「知る」ではなく、心を通わせ愛し合っていることを意味する相互的な「知る」だと思います。使徒パウロはコリント前書8章に、「神を愛する人がいれば、その人は神に知られている」と述べていますが、この場合の「知る」も、相互的な愛を意味していますから。
⑤ ところで、ご存じのように復活節第四主日は、カトリック教会において「世界召命祈願の日」とされていて、毎年全世界の教会で司祭や修道者として神に仕える人が多くなるよう、神に祈りを捧げています。皆様の聖ベルナルド女子修道会からの依頼で、私たちは毎月の第一月曜日に、司祭・修道者の召命のため特別にミサ聖祭を捧げて祈っていますが、それに加えて本日のミサ聖祭もその目的のために捧げていますので、全世界の人々と心を合わせて、相応しい心の司祭・修道者の増加のため、神に恵みと助けを願い求めましょう。「相応しい心の」と申しましたのは、主イエスが「雇い人」として退けておられるような、献身的愛に欠ける司祭・修道者では、いろいろと問題の多い現代の教会にとっては、益よりは躓きになるおそれが大きいと懸念されるからです。第一朗読に登場した使徒ペトロのように、日々主と共に生きることによって培われる確信と聖霊に満たされて、生き、働き、語る司祭・修道者が一人でも多くなるよう、神の特別の導きと助けを祈り求めましょう。