2009年6月28日日曜日

説教集B年: 2006年7月2日、年間第13主日(三ケ日)

朗読聖書: Ⅰ. 智恵 1: 13~15; 2: 23~24.  Ⅱ. コリント前 8: 7, 9, 13~15.  
  Ⅲ. マルコ福音 5: 21~43.


① 本日の第一朗読は、旧約時代の末期に書かれた智恵の書からの引用ですが、この智恵の書は、神の民がそれまでに受けた神の啓示や、善悪さまざまの人生体験、歴史体験を総合的に回顧し、信仰に生きる人の中に働く神の智恵の霊に導かれて持つべき、世界観や人生観について語っていると思います。本日の朗読箇所はその一番最初の部分からで、著者はここで、創世記に述べられている人間の創造や堕落についての神話を思い浮かべながら、その人間観と人生観とを披露しています。神は「生かすためにこそ万物をお創りになった」のであって、「命あるものの滅びは」喜ばれません。「滅びをもたらす毒はその中にはなく、」「悪魔のねたみによってこの世に」入って来たのです。ですから、神が「ご自身の本性の似姿として」「不滅な存在として」創造して下さった人間は、その悪魔に抵抗し続けるなら、その義は不滅で、神と共に永遠に幸せに生きることができますが、悪魔の仲間に属する者になるなら、死を味わうに至るのです。これが、著者がまず創世記から学んでいる人間観であり、人生観であると思います。そこには生と死との対立が露わにされており、生は神から、死は悪魔からとされていることに注目致しましょう。
② 次に第二朗読に目を転じてみますと、本日の朗読箇所には、豊かさと貧しさとの対比が露わにされています。シルクロード貿易が盛んであったキリスト時代のコリントは、ギリシャ諸都市を結ぶ陸の幹線道路の拠点であるばかりでなく、東からも西からも大きな地中海が迫って来て狭くなっているその陸路の拠点には、東にも西にも交易の盛んな港があって、正に当時の地中海で一番栄えていた商業都市の一つでした。この世の富で豊かになっているその町のキリスト者たちは、信仰と神の言葉、使徒たちからの指導と愛など、全ての点で他地方の人々よりも豊かに恵まれていた、と言ってよいと思います。そこで使徒パウロは、主イエスのお示しになった模範を提示しながら、「慈善の業においても豊かな者となりなさい」と勧めています。主は豊かであられたのに、あなた方のために貧しくなられたのは、その貧しさによってあなた方を豊かにするためだったのです、とも書いています。
③ 昨日の晩の祈りの中で朗読された使徒パウロのこの言葉に、私は心がグサッと刺されたように覚えましたが、そのせいか夜中過ぎに夢で目を覚まし、その後でいろいろと考えさせられました。それは、大祝日か日曜のミサが終わって、ある聖堂の前庭に信者たちと一緒に出て来たら、すぐ前の道を主が十字架を背負って引かれて行くという夢でした。私たちが今こうして恐ろしい社会不安や災害などに悩まされずに暮らしておれるのは、その一番の本源にまで立ち返って考えるなら、神であられる主が貧しくこの世にお生まれになり、あらゆる苦難に耐えて私たちを贖って下さったお蔭ではないでしょうか。それを思うと、その主に対する感謝の心から、私たちももっと貧しさや苦しみに耐え、主と苦しむ人たちとの連帯精神を、日々多少なりとも生活の中で体現すべきなのではないでしょうか。パウロはそれを、一部の人たちだけが楽をして、他の人たちはいつも苦労するということがないように、ゆとりのある人たちが苦しむ人たちの欠乏を補って、釣り合いの取れた生き方をするためなのだと説明して、エジプトを出て荒れ野の旅をしていた時の、神の民の体験を例に取り上げているのだと思います。マンナを「多く集めた者も(それを乏しい人たちにも分け与えて)余ることなく、わずかしか集めなかった者も不足することはなかった」というのが、日々神からの導きや助けを受ける にふさわしい、信仰に生きる人たちの生き方なのではないでしょうか。
④ 現代の私たちは、2千年前のコリントの人たちの豊かさを凌ぐ、あり余るほどの豊かさの中に生活していますが、しかし同じ地球上には、明日の飲食にも事欠く貧しい生活を余儀なくさせられている人たちが数億人もいますし、半世紀前から局部的に内戦や集団虐殺などが多発しているアフリカでは、今も自分の生まれ故郷に住むことができず、不安な難民生活をさせられている人たちが275万人もいると聞いています。同じ神から創造され愛されて、将来は皆、神の御許に神の子として永遠に一つ共同体となって神を讃えるよう召されている人間として、現代世界のこれ程の不釣り合いは看過できません。人類の罪の大きさには圧倒されますが、小さいながらも救い主と一致して連帯精神を喚起しながら、多少なりとも節制と慈善の業に努めるのは、私たちキリスト者の責務だと思います。あるキリスト者は「十分の一献金」を主張したそうですが、それは心のこもったものでない画一的な律法主義の弊害に落ち込む虞がありますので、警戒したいです。私は、自分のポケットマネーの実情を考慮し、敬虔なユダヤ人家族の習慣なども参考にしながら、毎週の後半に神に一定の祈りを唱えて、千円ないし二千円を特定の献金箱に入れており、諸方面からの慈善献金の依頼を受けると、その献金箱から出しています。年間の献金額は十万円足らずだと思いますが、問題は金額ではなく、神に対する感謝の心と、貧しい人たち、今苦しんでいる人たちとの連帯精神で毎日を生きていることだと思います。私は毎週その心を新たにしながら神に祈り、主と一致して神から人々の上に恵みを呼び降す一つの小さないけにえとして、自分にできる多少の献金をしています。
⑤ 本日の福音であるマルコ福音書5章には、罪の結果である悪魔つき・病気・死に対して、主がなされた三つの奇跡的治癒の話が語られています。その一はゲラサ人の地での悪魔つきの治癒、その二は12年間出血の止まらない女の治癒、その三は会堂長ヤイロの娘の蘇りであります。いずれも大きな奇跡的治癒ですが、この三つに共通して、それぞれの人がかなり苦しい犠牲を神に捧げなければならなかったことも、注目に値します。本日の朗読箇所にない第一の治癒には、癒された人が悪魔たちから受けた数々の苦しみの他に、その土地の人々の豚2千匹程が犠牲になりました。本日朗読された第二の治癒には、まず12年間も出血が続き、多くの医者にかかり、財産を使い果たした病気の女の長い耐え難い程の苦しみがありましたが、それだけではなく、血の穢れを持つ者はその罪で他人を汚染しないため、人々の集まる所に近づいてはならないという規則に背き、癒してもらいたい一心で人ごみに紛れて主イエスに近づき、後ろから主の衣服に触れようと努めた時の、誰にも言えない大きな不安もありました。もしも見つかったら糾弾され、社会的に除け者扱いにされたり処罰されたりする虞もあったでしょうから。その人はおそらく誰にも顔を見られないように身をかがめ、人々が皆主イエスお一人に注目している間に、後ろからその主に近づいて、そっとその衣服に触れたのではないでしょうか。と、その途端に体じゅうが熱くなり、病気が癒されたのを感じたのだと思います。その時主も、ご自身の体から霊能が流れ出たので、「私の衣服に触れたのは誰か」とおっしゃって振り向き、その癒された女の人を捜されました。女はもう逃げ隠れることはできないので、恐ろしさに震えながら進み出てひれ伏し、全てをありのままに話しました。それを聞いて主は、「あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい」と公言し、その人の社会復帰を名誉あるものとして下さいました。
⑥ 第三の治癒にも、大きな隠れた苦しみが先行していると思います。まず会堂長ヤイロは、娘の死が近づき絶望的になった時、一生懸命に主を捜したと思います。しかし、その時主は弟子たちと共にゲラサ人の地に行っておられて、いくら多くの人と共に捜してもどこにもおられず、絶望的なあせりを感じていたと察せられます。そこに主を乗せた舟が対岸から着いたので、大勢の群衆が岸辺に集まり、会堂長も主の足元にひれ伏して、しきりに娘を癒してくれるよう願いました。主は一緒にその家へ行きますが、その途中で12年間出血の止まらない女の人の治癒があると、主は立ち止まってその女の人を捜し、時間をかけてゆっくりとその人の長い話を聞かれたのですから、一刻も早くと焦っていた会堂長は苦しんだと思われます。主がまだその人と話しておられた所へ、会堂長の家から人々が来て、「お嬢さんは亡くなりました。もう先生を煩わすには及ばないでしょう」と告げたのです。会堂長の苦しみは頂点に達したのではないでしょうか。しかし、その時に主が会堂長に「恐れることはない。ただ信じなさい」とおっしゃって、一緒にその家に行き、その娘を蘇らせるという大きな奇跡をなされたのです。真に神のなさり方は、私たち人間の思いや願いと大きく違って、予想を超えた仕方で私たちの願いを叶えて下さる、ということが多いように思います。いくら祈っても願いが聞き届けられないようだからと、諦めることのないよう気をつけましょう。神は思わぬ時に、私たちの考え及ばなかった仕方で、私たちの願いを叶えて下さることもあるからです。
⑦ ご存じのように、二ヶ月ほど前に私の説教集A年が発行されましたが、私の聞いている所ではまだ売れ行きが芳しくなく、私からその本を贈呈された人たちの中でも、その本を「つんどく」の状態にして読んでいない人が少なくないように感じています。しかし、この説教集の出版はもともと私の望みからではなく、神の不思議な摂理を感じたことから手がけた事業ですので、全てを神の御手に委ねて祈りつつ待っていれば、神がお望みの時にお望みのようにして多くの人に役立てて下さると信じています。神の僕はそのために、まずは長期間、信頼して忍耐強く待つという苦しみを神に献げなければならないかも知れません。私は今、神のお望みになるその苦しみを日々祈りつつ喜んで献げています。大きな希望と信頼のうちに。

2009年6月21日日曜日

説教集B年: 2006年6月25日、年間第12主日(三ケ日)

朗読聖書: Ⅰ. ヨブ 38: 1, 8~11.     Ⅱ. コリント後 5: 14~17.
Ⅲ. マルコ福音 4: 35~41.


① 本日の第一朗読の出典であるヨブ記は、この世の人生の苦しみにどう対処すべきかを考えさせる、42章にも達する長い詩文で、どこかで実際に発生した歴史的出来事ではなく、罪や人生苦の深い意味について教えるよう聖霊の導きを受けた作者が創作した、一種の聖なる文芸作品であると思われます。一日の内に考えられない程の大きな不幸が次々と発生し、その知らせに打ちのめされた時、ヨブは「私は裸で母の胎を出た。裸でそこに帰ろう。主は与え、主は取り去りたもう。主の御名は誉め讃えられよ」と言って、神を呪うような罪を犯すことはありませんでした。サタンの仕業で、頭から足の裏まで恐ろしい皮膚病に悩まされ続けても、「私たちは神から幸せを戴いたのだから、不幸も戴こう」と妻に答えていました。
② その知らせを受けた親しい友人3人が、ヨブを見舞う相談をしてそれぞれの国からやって来ましたが、ヨブの激しい苦痛を見て嘆きの声をあげ、七日七晩ヨブと共にただ地面に座っているだけで、話しかけることもできずにいました。やがてヨブが自分の生まれた日を呪い、神がなぜ罪のない人に大きな苦しみをお与えになるのかと、納得の行く説明を求めて長い嘆きの言葉を語り始めると、驚いた3人は、苦しみは罪の結果であるとする、今日でもユダヤ人が大切にしている教理に依拠して、ヨブの苦しみは何か隠れた罪の結果であろうと考え、悔い改めて神に罪の赦しを願い求めるよう説得し始めます。しかしヨブは、罪を犯していないのに、神が自分にこんな苦しみを下さったのはなぜなのかと、納得の行く説明を求めて嘆き続けます。自分は正しいと確信するヨブの力説を聞いて、3人の友人も黙してしまいますが、その時、自分は正しいと主張するヨブに対しても、その主張に適切な反論を見出せずにいる3人の友人に対しても怒ったエリフという人が、ユダヤ教の伝統的教理に基づいてヨブに悔い改めを迫る、非常に長い話をします。
③ その後に、神が嵐の中からヨブに答えて、38章から41章の終りまで続く長い話をなさいますが、その最初の部分からの引用が本日の第一朗読であります。神はその中で、ご自身がこの大自然界に対してなされた大いなる業を語られるだけで、ヨブの理性を納得させるような答えは一つも話しておられません。しかし、その話を聴いてヨブの心は大きく目覚め、神に対して「あなたは全能であり、御旨の成就を妨げることはできないと悟りました」「私には理解できず、私の知識を超えた驚くべき御業をあげつらっておりました」と深く悔い改めます。自分中心、人間理性中心に罪や人生苦などの問題を納得の行くように説明してもらおうと尋ね求めることは止めて、この巨大な世界を創造された神の御働きにすべてを委ね、神の御旨中心に、いわば神の僕のようになって生きようとする心になったのだと思います。神はそのヨブに以前にも増して大きな富を与えて祝福しますが、ヨブの3人の友人たちに対しては、ヨブのように正しく語らなかったことを責めて、ヨブの所で神にいけにえを捧げさせ、ヨブの取次ぎでその罪を赦しておられます。
④ このことから考えますと、人間理性の産みだした何かの理知的理論を中心にして神の対する罪を考えたり、災害や不幸に見舞われた人には何かの隠れた罪がある筈だ、などと理知的に考えたりしてはならず、神の御前では人間理性中心の考え方を放棄して、神の被造物として神の御旨中心の謙虚な心で生活すべきなのではないでしょうか。神の御子は、人間としてはこの世で「神の僕」としての生き方の模範を示しておられますし、聖母マリアも「神の婢」としての生き方をしておられました。私たちも、自分の理性中心にではなく、神の僕・神の婢としての謙虚な心で、ひたすら神の御旨中心に生きるよう心がけましょう。人生苦の問題解決の必要性から産まれた仏教でも、悟りを体験した人たちは、いずれも人間の理知的考え方を厳しく退け、奥底の心に眠る霊的センスを厳しい修行によって目覚めさせようとしています。神は私たちにも、自分の奥底の心に与えられている霊的能力を磨き鍛えることを、求めておられるのでしないでしょうか。
⑤ 本日の第二朗読は、「キリストの愛が私たちを駆り立てています」という観点から、全ての人の救いのために死んで下さったキリストのために、もはや自分自身のために生きることを辞めるよう説いています。「私たちは今後誰をも肉に従って知ろうとしません。肉に従ってキリストを知っていたとしても、今はもうそのように知ろうとはしません」という言葉も読まれますが、ここで「肉に従って知る」という言葉は、人間理性を中心にして、人の心とその言行を理知的に判断することを指しているのではないでしょうか。自然界の現象や社会現象などを合理的に研究し、そこに隠れている原理や法則などを明確にするのには、人間理性は真に貴重な能力ですが、人の心とその言行の価値や、神と人との内的関係など、およそ奥底の心の愛と深く関係している事柄については、何か不動の原理や規則を措定して自主的に考える人間理性は、本来多種多様に創造されている心と心との間に、分裂や対立を産み出し易いと思います。それで、この第二朗読に述べられているように、何事も神の愛と神の御旨中心に考え生きようとするのが、極度の多様化世界になりつつある現代においても、平和と一致を産み出す道なのではないでしょうか。キリストの愛に結ばれて新しく創造された存在となっている私たちは、その新しい道を世に証しする使命を持っていると思います。
⑥ 本日の福音は、群衆に種まきの譬え話やからし種の譬え話をなさっていたガリラヤの地から、主イエスが夕方に「向こう岸に渡ろう」と弟子たちにおっしゃって、群衆を後に残し、二艘の舟でゲラサ人たちの地に向かって湖を横切った時の話であります。以前にも話したことですが、ガリラヤ湖は海面下210mほどの低い所にあって地熱の影響を受けるからなのか、日照りの日には温かくなった空気が上昇して、湖上の空気は希薄になります。そこへ夜間に外の世界からの冷たい強風が湖周辺の高い山々を越えて吹き始めると、その風は空気の希薄なガリラヤ湖の上で、落とし穴にでも落ち込むようにして上から湖に吹き降ろす突風となり、波が上下に激しくなるので、小船は一時的に水浸しになることもあるのだそうです。マルコ福音書はその情景を描写しているのだと思います。このような突然の危機的状態にまだ慣れていないある弟子たちは余ほど驚いたようで、艫(とも)の方で枕をして眠っておられた主イエスを揺り起こし、「先生、私たちが溺れても構わないのですか」と叫びました。
⑦ そこで主がすぐに立ち上がって風を叱り、湖に「黙れ、静まれ」とお命じになると、急に風は止み、大なぎになりました。風が止んでも波はすぐには凪にならないのが常ですから、これは二つの大きな奇跡だと思います。驚いた弟子たちに主は、「なぜ怖がるのか。まだ信仰がないのか」とお叱りになりました。こういう突然の変化に多少は慣れていたガリラヤの専業漁夫たちも、この大凪には非常に驚いたと思います。彼らは「いったい、この方は誰だろう。風や海さえも従うとは」と、互いに言い合ったとあります。もし私たちがその場にいたとしたら、同様に非常に驚いたことでしょう。しかし、自然界に対してそのような絶対的影響力を保持しておられる主が、目には見えなくても今も私たちと共にいて下さるのです。そして私たちがこの主の現存に対する絶対的信仰と信頼を堅持し、その信頼の内に日々生活することを求めておられるのではないでしょうか。
⑧ 第一朗読に登場したヨブは、神がご自身のなされた数々の驚くべき御業について語られるのを傾聴している内に、奥底の心の眼がゆっくりと目覚めて来て、神の恵みを豊かに受けるに至ったようですが、私たちも、大宇宙に比べるなら蟻子のように小さな人間たちの考えや言い分などにばかり注目していないで、もっと大きく神の声なき声に心の耳を傾けながら、打ち続く苦悩と不安の最中にあっても、神への信頼に力強く生き抜くよう心がけましょう。

2009年6月14日日曜日

説教集B年: 2006年6月18日、キリストの聖体(三ケ日)

朗読聖書: Ⅰ. 出エジプト 24: 3~8. Ⅱ. ヘブライ 9: 11~15.  
  Ⅲ. マルコ福音 14: 12~16; 22~26.


① 本日の第一朗読は、シナイ山の麓で神とイスラエルの民との間で結ばれた契約の締結式についての話です。モーセを通して読み聞かされた神の言葉に、民が皆声を一つにして、「私たちは主が語られた言葉を全て行います」と答えると、モーセは神の言葉を書き記し、翌朝早くに起きて祭壇を築き、イスラエル12部族のシンボルである12の石柱を建てさせました。そして若者たちに雄牛を焼き尽くす献げ物として神に献げさせますが、その時雄牛の血の半分を鉢に取り分け、残りの半分を祭壇に振りかけます。それから契約の書を民に読んで聞かせ、民が「私たちは主が語られたことを全て行い、守ります」と言うと、モーセは取り分けてあった血を民に振りかけて、「見よ、これは主がこれらの言葉に基づいて、あなたたちと結ばれた契約の血である」と宣言しました。契約を結ぶ時にこのようにして動物の血を流すことは、遊牧民の間では、その契約が命をかけたものであることを意味していました。英語では契約を contract と言いますが、それは近年外交問題で耳にすることの多い agreement (合意、了承) とは違って、当事者の心も生活も束縛する重大な約束事を意味しています。神がアブラハムと契約を結ばれた時も、神はまず特定の動物たちを二つに切り裂いて、それぞれ互いに向かい合わせて並べさせ、夜に燃える松明の火の形でその動物たちの間を通り抜けておられます。またアブラハムとその子孫の男子全てに血を流す割礼の式を受けさせています。これも、命をかけて契約を守り抜く意志を表明する儀式だと思います。
② 本日の第二朗読は、動物の血を流して結ばれた旧約時代の契約とは違って、キリストの血による新しい契約についての話です。この話に先立ってヘブライ書7章と8章には、モーセの時に神の啓示に従って立てられたレビ族の祭司職とは違う、メルキゼデクの祭司職について説明されています。メルキゼデクはアブラハムとは血縁でない、言わば旧約の神の民以外の王、いと高き神の祭司ですが、アブラハムはそのメルキゼデクに歓迎され祝福してもらった感謝に、自分の財産の十分の一を捧げたのですから、メルキゼデクはアブラハムとその子孫よりも上にいる祭司であり、後に神の民から収入の十分の一を納めさせて祭司職をなしていた、アブラハムの子孫アーロンとその子孫の祭司たちよりも、優れた祭司であることが説かれています。そしてアーロン系統の大祭司は、人が造った地上の幕屋で供え物といけにえを献げるために任命された仮のもので、天上の真の聖所で神に供え物といけにえを献げるメルキゼデク系統の大祭司 (キリスト)の模型、影であるに過ぎず、契約に対する不忠実によってアーロン系統の祭司職は、主キリストの献げたいけにえにより、もう古びて無益なものとなっていると述べられています。
③ 本日の第二朗読は、この思想的前提の上に立って、メルキゼデク系統の恵みの大祭司としてお出でになったキリストが、この世のものでない、更に大きく、更に完全な幕屋を通って、ご自身の御血を天上の神の至聖所に献げることにより、ただ一度で永遠の贖いを成し遂げて下さったこと、それでその御血によって心を清められた者たちが、生ける神を礼拝するようになり、約束されている永遠の遺産を受け継ぐ者になることを教えています。主キリストが大祭司としてお献げになったそのいけにえは、過ぎ行くこの世の歴史的次元においてはただ一度だけで過ぎてしまう出来事でしたが、時間空間を全く超越している天上の至聖所においては、過去・現在・未来の全ての被造物に恵みを与え続ける永遠の現実となっています。主が最後の晩餐の時に制定なされた聖体の秘跡とそのご命令に従って、私たちが日々捧げているミサ聖祭は、天上の大祭司の働きと恵みを、時間空間の大きな隔たりを超越して私たちの目前に現存させる儀式で、全能の神のみが成し得る奇跡的出来事であり、小さな人間理性の理解を遥かに超える神秘であります。小さな古い自分に死んで、ひたすら主のお言葉に対する徹底的信仰と従順に生きようとする人の心は、やがて天上の主が実際にこのミサ聖祭の内に現存し、私たちに永遠の命と力を豊かに与えて下さることを、数々の体験によって確信するようになります。これは、無数の聖人賢者たちの信仰体験であり、小さいながら私の体験でもあります。
④ 本日の福音の始めには、「除酵祭の第一日、すなわち過越の小羊を屠る日」とありますが、以前にも申しましたように、ヘロデ大王がエルサレム神殿を美麗に大増築すると、世界各地から巡礼に来る人口が激増して、キリスト時代の過越祭にはユダヤ人の数が日頃の3倍ほどに達していたと推測されています。市外のオリーブ山麓などで野宿する巡礼者たちまでいる、その大勢の人たちが皆金曜日の晩に過越の食事をする場所がないため、大祭司は除酵祭の日を一日増やして、巡礼者たちには木曜日の晩に過越の食事をすることを許可していたのだそうです。ですから主とその弟子たちは、その最初の日に二階の大広間を借りて、大祭司たちよりも一日早く過越の食事をすることができたのだと思います。主はその食事の最中に、「これは私の体です」、「これは多くの人のために流される契約の私の血です」とおっしゃって、弟子たちにパンとぶどう酒の形で、ご自身の命とご精神を分け与えられ、聖体の秘跡を制定なさいました。ヘブライ語でもアラマイ語でも「からだ」は人間の一部ではなく、人間全体を表現するそうですから、主が讃美の祈りを唱えてから裂いて弟子たちに渡されたそのパンは、主イエスの全体、主ご自身を指していると思います。「契約の私の血」という言葉は、それを飲む人は皆、大祭司キリストによる神との新たな契約に参与し、ユダヤ人・異邦人の別なく新しい神の民になることを意味していると思います。なお、体と血とを分けて渡されたのは、死の形で秘跡を定め、主の受難死によって全ての罪が償われることと、そこに神の力によって復活の恵みが働くこととを示しているのではないでしょうか。
⑤ 使徒パウロはコリント前書11章に、ふさわしくない心で主のパンを食べたり、その御血を飲んだりする者は主に罪を犯し、自分に対する裁きを飲み食いすることになるので、拝領する前に自分自身をよく吟味するよう警告していますが、6章と10章では、主のパンを食べ主の御血を飲むことにより、私たちが大勢であっても主と一つの体、一つの霊になることが強調されています。従って、主が制定なされた聖体の秘跡の目的は、私たち各人の存在を内面から霊的に高揚させ変化させて、主と共に一つの体、一つの霊にして行くことにあったのではないでしょうか。使徒パウロはその深い現実を生き生きと体験していたようで、ガラテア書2章の終りに、「生きているのは、もはや私ではなく、キリストこそ私の内に生きておられるのです。云々」と書いています。私たち各人の命がこの秘跡によって高められた命に変えられて行くことは、主ご自身の強いお望みなのではないでしょうか。主はヨハネ福音書の6章に、「はっきり言っておく。人の子の肉を食べ、その血を飲まなければ、あなた方の内に命はない。私の肉を食べ、私の血を飲む人は、永遠の命を持ち、私はその人を終りの日に復活させる。云々」と、この言葉が多くの弟子たちを躓かせ、離れ去らせることも厭わずに繰り返し強調し、彼らが己を無にして主のこのお言葉を受け入れ、その信仰に生きることを求めておられるからです。
⑥ 使徒たちばかりでなく、古代の殉教者や教父たちは皆、聖変化したホスチアの中での主キリストの現存を堅く信じていました。例えば聖アウグスティヌスは、洗礼志願者向けのある説教の中で聖体拝領の式について説明し、司祭が一片の聖体を見せて Corpus Domini (主のからだ) と言う時、そのご聖体をしっかりと見て「アーメン」と答え、それを手に受けて拝領します。それが主ご自身であることを信ずる信仰表明と、その主と一致して生きるという決意表明との意味を込めて、「アーメン」と答えるのですというように教えています。40年ほど前の典礼刷新で、古代教会のこの美しい聖体拝領の仕方が現代の教会にも導入されましたが、それは、ミサ聖祭の中で聖別されたパンを主の真の体と信ずる信仰と深く結ばれている典礼行為であります。一度聖変化したパンは、ミサ聖祭の後にも変化したまま残るという信仰は初代教会からあり、教会はそれを病人に拝領させるために保存したり、東方教会で今日も行われているように、それに畏敬の念を表明したりしていました。
⑦ 12世紀の西方教会内に信仰の乱れが目立ち始め、多くの信徒が多かれ少なかれ世俗化している司祭たちの教会堂に行こうとしなくなる、一種の教会離れ現象が広まった時、13世紀に入って神からの新しい促しを受けて創立されたフランシスコ会やドミニコ会などのいわゆる托鉢修道会が、多くの若者たちの心を信仰へと連れ戻し、その教会離れ解消に大きな成果を挙げましたが、同じ頃にカトリック教会で盛んになったのが、主のご聖体に対する信心であります。その最初の例は、パリの大司教オドが1200年頃に導入した、司祭は聖変化した主のパンを会衆によく見えるように高く上げるというelevatio (聖体奉挙) の習慣であります。ベルギーのリエージュでは、修道女ユリアーナに与えられた主キリストの私的啓示に基づいて、1246年に聖体の祝日が導入されましたが、同じ頃ドイツのマンハイムの大聖堂で聖変化直後のカリスからコルポラーレに流れ出た主の御血が、赤い血液になってそこに主の御顔を幾つも描いたり、1263年には同様の奇跡がローマの北北西70キロ程のボルセーナという田舎町の祭壇でも発生したりして、聖体の中での主の現存に対する信仰が無数の信徒たちの間に高まったので、以前にリエージュで助祭長を務めたことのある教皇ウルバヌス4世は、1264年に、本日私たちのお祝いしている「聖体の祝日」を全教会のために制定しました。教皇から依頼されてその祝日のミサ聖祭と聖務日課の典礼をつくったのは、ドミニコ会の聖トマス・アクィヌスであります。主のご聖体を力強く讃える “Lauda Sion” 、“Pange lingua” などの美しいラテン語の讃歌を作詞したのも、同じ聖トマスでした。
⑧ ボルセーナの奇跡の祭壇は今もそのまま現存し、私もそこを訪ねています。また近くのオルビエト司教座聖堂に保管されているその時のコルポラーレは、年を経て真っ白になっていますが、科学的に検証すると微かに血痕が感知されると聞いています。ドイツのマンハイムにも行きましたが、市役所に近いそこの大聖堂に保管されている奇跡のコルポラーレも、同様の状態になっていました。1270年代になりますと、この祝日と関連して聖体行列も盛大に挙行されるようになりました。16世紀の宗教改革時代には、聖別されたパンの中での主キリストの現存を否定するプロテスタント改革者たちの見解に対する反動として、聖体を祭壇上に顕示して信仰と感謝を荘厳に表明する、昔日本で「聖体降福式」と言われた儀式や、祭壇上に顕示されたご聖体を崇敬する長時間の聖体礼拝などが頻繁に行われたり、始めから聖体を祭壇上に顕示してミサ聖祭を献げたりすることが広まったりしました。第二ヴァチカン公会議後には、社会事情の変化や人々の好みの変化なども関連して、聖体行列も聖体降福式もあまり挙行されなくなりましたが、使徒時代以来の聖体の秘跡に対する信仰は新たに堅持しつつ、この秘跡から豊かに恵みを受けるよう心がけましょう。

2009年6月7日日曜日

説教集B年: 2006年6月11日、三位一体の主日(三ケ日)

朗読聖書: Ⅰ. 申命記 4: 32~34, 39~40. Ⅱ. ローマ 8: 14~17.  
  Ⅲ. マタイ福音 28: 16~20.


① 本日の第一朗読は申命記4章からの引用ですが、この申命記4章には、約束の地カナアンを目前にして神の民イスラエルに語った、モーセの遺言と言ってもよいような詳細な勧告と警告の言葉が読まれます。「イスラエルよ、今私が教える掟と法を忠実に行いなさい」という言葉で始まるその前半部分には、日本語で「忘れないように自分に十分気をつけなさい」あるいは「自らよく注意しない」、「自ら慎みなさい」などといろいろに訳されている警告の言葉が、三度も言われています。高齢のモーセは約束の地を遠くから眺めて死ぬのですが、約束の地に定住した神の民が異教徒カナアン人たちの祭に参加したり、この世の技術や富を身につけて神により頼まなくなったりして、真の神から離れて行かないよう厳しく警告したのだと思います。第一朗読は、その長い警告の言葉に続く後半部分からの引用で、モーセはここで、神が人間を創造された最初の時代から話を起こし、まず神がご自身の民としてお選びになったイスラエルが目撃した数々の大きな恐るべき業を想起させています。「火の中から語られる神の声」という言葉は、一週間前にも申しましたように、神が大きな火に包まれてシナイ山に降り、全山が火の煙に包まれて激しく震動した時の雷鳴のような恐ろしい神の声、民が恐れて遠くに退いた時の神の声を指していると思います。エジプトで、また荒れ野の旅の途中で神の見せて下さった多くの奇跡も、他のどんな国民も見たことのない大きな恐るべき出来事でした。イスラエルはその力強い神を味方にし、その神と契約を結んでいることを片時も忘れないように、というのがモーセの願いであり、遺言であると思います。「天においても地においても、主こそ神であり、他に神のいないことをわきまえ」「今日私が命じる掟と戒めを守りなさい。そうすれば、あなたもあなたに続く子孫も幸いを得、あなたの神・主がとこしえに与えられる土地で長く生きる」と、モーセは最後に断言しています。
② 人や社会に対して何も悪いことはしていないのに、自分にだけ不幸が降りかかると絶望的になって、神も仏も信用しないという捨て鉢の気持ちになり、神を見失うということもありましょうが、それ以上に多いのは、豊かさと便利さに包まれていて、神を忘れ神から離れて行くことだと思います。晩年のモーセが一番心配したのは、神の民が豊かさの中で神を忘れ、神から離れてしまうことだったのではないでしょうか。この危険は、現代文明の豊かさの中で生活している私たちにもあります。現代社会の大きな豊かさはすべて神よりのものですが、しかし、神を忘れ神を見失う時、私たちの心を自分の欲望中心、人間の考え中心、この世での成功中心の生き方へと誘惑し、堕落させて行く恐ろしい罠にもなり兼ねません。非常に多くの現代人がその隠れた罠にかかって、孤独の内に自力でもだえ苦しんでいるのではないでしょうか。私たちも気をつけましょう。豊かさに恵まれれば恵まれるほど、感謝の内に一層しっかりと神の御旨中心に、神の僕・神の婢として生きる決意を新たに致しましょう。「自分はもう大丈夫」などという慢心は、危険です。悪魔は、神の御独り子をも誘惑しようとします。西洋には「最も高潔な魂は最も多く誘惑される」という言葉もあります。「自分の心に気をつけなさい」という、モーセの警告を忘れないよう心がけましょう。
③ 本日の第二朗読は、私がこれまでにも好んで利用することの多いローマ書8章からの引用ですが、本日の短い引用箇所は「神の霊によって導かれる者は皆、神の子です」という言葉から始まっています。神の御独り子の受肉によって始まった新約時代に、新たに神の民として生きるよう召された人類は、もうモーセの時代の民のように、神を恐れて遠くに離れていようとしてはなりません。神の霊によって、いわば神の家族にされたのですから。ここで言われている神は、三位一体の神だと思います。私たちの魂を神の霊の神殿となして留まっていて下さるこの霊は、私たちが神の子供であることを証しして下さるので、私たちはこの霊によって、天の父なる神を幼子のように素直な親しみの心で「アッバ、父よ」と呼ぶことができ、また神の独り子キリストと共同の相続人となって、すなわち主キリストの体の細胞のようになって、全能の神の計り知れない財産にも参与するようになるのです。私たち人間に対する三位一体の神のこの絶大な愛に対してはただ驚嘆するばかりですが、それが神の御旨なら、私たちも全身全霊を尽くして神の慈しみに感謝し、神の愛を讃えつつ、神の御旨中心に生活するよう努めましょう。
④ 計り知れない神の慈しみの大きさや深さに感嘆しつつ、神への愛に力強く生きていた聖人の一人は、聖アウグスティヌスであります。「主こそわが誉れよ」の言葉で始まるカトリック聖歌13番の神を讃える歌詞は、最後に括弧で包んで「聖アウグスティヌスの言葉より」とある通り、この偉大な聖人の心を如実に表明していると思います。彼は、「聖歌は祈りの言葉よりも早く天に昇る」などと話していたそうですから、日々力強く神への讃美を歌っていたのではないでしょうか。その聖人に ”De Musica” (音楽について) という著作のあることは、かなり以前の頃から知っていましたが、私の専門外の著作なので調べようとはせず、恐らく一つの opusculum (小冊子) であろう、と考えていました。しかし、この5月にふとした出来心から、図書館にあるラテン教父全集を開いてその著作を調べてみましたら、小冊子ではなく、邦訳してA 5判の本にしたら150ページぐらいに成ると思われる程の、かなり詳しい著作でした。内容は6巻に分かれていて、師匠と弟子との問答形式になっていますが、次第に師匠の解説する話が長くなって行きます。ラテン語の専門的音楽用語も多いので、専門家でない私には理解できないことが非常に多いですが、一応全体を通覧して見た印象では、アウグスティヌスは音楽を scientia bene modulandi (よく曲づけする学問) と定義しながら、その音楽を器楽や声楽だけではなく、詩歌の韻律や踊りのリズムや、その他およそ神から創造された全ての被造物の生き方、動きのリズムとハーモニーまでも含む、非常に広い意味で考えているようなのです。察するにアウグスティヌスは、惑星の運行や無数の星たちの知性的数理的動きを眺めながら、あるいは草花や鳥たちを観察しながら、それらの多種多様の存在や動きの中に、神を讃える宇宙的音楽を鋭敏に感じ取っていたのかも知れません。
⑤ 私はこの著作を通覧してから、10年程前に名古屋で聴いたバッハ音楽の専門家杉山好氏の講演を懐かしく思い出しました。杉山氏の研究によると、バッハの音楽は数理的に実に細かくまた美しく構成されています。バッハはそれを自分でもはっきりと自覚しながら、全ての楽譜に「神の栄光のために」とラテン語で書き込み、神を讃えるために作曲していたようです。ガリレオ・ガリレイも、自然界の全ての現象の中に神から与えられた数理的法則性や隠れている神の啓示を感じていて、「神は聖書の啓示のほかに、大自然界を通しても多くのことを人類に啓示しておられる。私はそれを見出そうとしているのだ」と話していましたが、被造物世界の秩序を一種の巨大な音楽として眺めるこのような美しい宇宙観の流れは、18世紀の理知的啓蒙主義によって痛めつけられながらも、少なくとも19世紀初頭の詩人ゲーテや音楽家ベートーベンの頃までは、まだ神信仰と結ばれて続いていたのではないでしょうか。「作品は作者を表わす」と申しますから、私は、この大規模な宇宙的音楽を産み出して下さった三位一体の共同体的神の内部には、ペルソナ相互の間に遥かに美しい愛のメロディーが絶え間なく奏でられているのではないかと想像しています。主イエスにおいて神の子とされ、その家族的愛の交わりに参与させて戴いている私たちの魂にも、神の愛のメロディーに共鳴する能力が授与されていると信じます。三位一体の祝日に当たり、私たちの魂に隠れているこの音楽的感性が目覚めて一層鋭敏になり、日々神の愛の音楽に参与する恵みを願い求めて、本日の感謝の祭儀を献げましょう。
⑥ 本日の第二朗読には、「私たちは神の子の霊を受けたのです。この霊によって『アッバ、父よ』と呼ぶのです」とありますが、私はこの言葉を読むと、自分のノドや口を何か生きているマイクのように考えてしまいます。そして心から神の生きている道具となって皆と一緒に祈ったり歌ったりしていると、つたないその祈りや歌の中に、天上の祈りや歌が共鳴して来るように感じたり、 聖三位の御父の霊と御子の霊とが、私たちの祈りと歌を交流の場としておられるように感じたりすることがあります。カトリック聖歌集の13番は、「主こそわが誉れよ、輝く光よ」「いのちよ、喜びよ、力よ、助けよ」と、自分を内面から生かし使って下さる方として、神をほめたたえていますが、感性豊かなアウグスティヌスも、きっと自分の祈りや歌の中に天上の祈りや合唱が共鳴して来るのを感じ取っていたのではないでしょうか。聖三位一体の同じ一つの霊が全被造物の中でそのような美しい音楽を奏で、それを私たちの心にも感じさせてくれるのだと思います。
⑦ 本日の福音には、死ぬことのないあの世の命に復活なされた主が、予め指示しておかれたガリラヤの山で、弟子たちに出現して話されたお言葉が読まれますが、主がその中で「全ての民を私の弟子にしなさい」と命じておられることは、注目に値します。「教えなさい」と命じられたのではありません。無学なガリラヤの漁夫たちは、いくら聖霊の賜物によって心が満たされ強められたといっても、言語の違う世界に行けば、話すにしても書くにしても、言葉に不自由を感じたでしょうし、ましてや自分たちよりも遥かに教養の高い文化人たちに教えるなどということは、できなかったと思われます。しかし、自分の見聞きした体験から目撃証人として語り、その証言を聴いた世界各地の文化人も、それぞれ自分たちなりに提供された神の救いに心を大きく開き、主キリストの弟子となって生き始めることは可能だと思います。主のお言葉は、このことを指しているのだと思います。そして神による救いに心を開く人たちには、父と子と聖霊の御名によって洗礼を授け、その魂を三位一体の愛の交わりに参与させ、弟子たちに命じて置いたことを全て守るように教えなさい、というのが主のご命令だと思います。これなら、無学な漁夫たちにも実践可能な命令だと思います。このようにして神の子の命に参与する人々と共に、主は世の終りまでいつも共にいるというのが、主のお約束だと考えます。
⑧ 私が、無学なガリラヤの漁夫たちは年齢が進んでから布教に行った諸外国では、協力者の援助を受けながら働いたのであって、ギリシャ語圏育ちの使徒パウロやバルナバらのようにではなく、言葉については最後まで多少の不自由を感じていたのではないかと考えたのは、例えばヨハネ福音書の最後に、「これらのことを証しし書き記したのは、この弟子である。そして私たちは、彼の証しが真実であることを知っている」というような言葉を読んだからであります。主の弟子たちの中でもヨハネは一番長生きしていますし、察するに一番若いガリラヤ出身者であったと思われますから、他の漁夫たちよりも上手にギリシャ語を話したと思われます。それでも、晩年に書き上げられたと思われるその美しいギリシャ語福音書は、ギリシャ語に堪能な協力者たちの助けで出来上がったのではないでしょうか。ただ今の引用文で「この弟子」あるいは「彼の証し」とあるのは、ヨハネのことでしょうが、「私たちは」とあるのは、その協力者たちを指していると思います。聖霊降臨の日に異なる言葉の恵みを豊かに受けた使徒ヨハネではありますが、聖霊はギリシャの文化人が話したり書いたりする程には、彼に言語の恵みを授けなかったように見えます。欧米や日本などの先進諸国で司祭志願者が激減していることを思うと、そう遠くない将来の先進国では、その国の言語に堪能でない司祭たちが、先進諸国の教会を指導するようになるかも知れません。しかし、その司祭たちの魂が三位一体の神との内的交わりに参与しているようであるなら、心配いりません。主が協力者たちの中でも働いて、いつも教会共同体を危険から護り、正しく導いて下さると信じます。ただ私たち各人が、神との内的交わりから離れることのないよう気をつけましょう。