2009年8月30日日曜日

説教集B年: 2006年9月3日、年間第22主日(三ケ日)

朗読聖書: Ⅰ. 申命記 4: 1~2, 6~8. Ⅱ. ヤコブ 1: 17~18, 21b~22, 27.  
  Ⅲ. マルコ福音 7: 1~8, 14~15, 21~23.


① 本日の第一朗読には、モーセが神の民に「イスラエルよ、今私が教える掟と法を忠実に行いなさい。云々」と、神から授けられた掟と法の順守を命じていますが、その中で「あなたたちは私が命じる言葉に、何一つ加えることも減らすこともしてはならない。私が命じる通りにあなたたちの神、主の戒めを守りなさい」と命じていることは、注目に値します。神はモーセを通して語られたこの言葉で、私たち新約の神の民からも、神の言葉に対する徹底的従順を求めておられるのではないでしょうか。神のために何か善業をしようという心で、何かの事業に大きな寄付をしたり、人々にもしきりに寄付を呼びかけたりしている人を見ることがありますが、その熱心には敬意を表しても、それが果たして神の御旨なのかどうかについては、少し距離を置いて慎重に吟味してみる必要があります。いくら善意からであっても、神の掟や神の言葉に、人間のこの世的考えや望みから何かを加えることは、神のお望みに反することになり兼ねないからです。まずは多くの聖人たちの模範に倣って、祈りの内に神の霊の働きに対する心の感覚を磨き深めることに努めましょう。そうすれば、個々の具体的な事柄について、神の霊が私たちの判断を照らし導いて下さいます。時にはすぐに判断できず、長く待たされることがあるとしても。
② 本日の第二朗読に読まれる、「心に植え付けられた御言葉を受け入れなさい。この御言葉はあなた方の魂を救うことができます。御言葉を行う人になりなさい」という、義人ヤコブの言葉も大切です。ヤコブはここで、聖書を介して神から与えられた人間の言葉も、ゆっくりと年月をかけて成長させて行くべき命の種のように考えているようです。私たちの心の中には、この世的な思いや欲望も雑草のように芽を出し成長して来ますが、それらの雑草が神の御言葉の命を覆いふさぐことのないよう、日々自分の心に注目し、心の草取りに努めていますと、心に植え付けられた神の御言葉は、やがて奥底の心にまでゆっくりと根を伸ばして、次々と美しい愛の花を咲かせるようになり、多くのことを教えてくれます。その生きている神の御言葉に聞き従いつつ美しい人生を営んだのが、聖人たちの歩いた道であり、ヤコブの「御言葉を行う人」という言葉は、そういう人たちのことを指していると思います。この世の人間理性が心の畑に種を蒔いて育てた、雑草のような見解や欲望に従って生きている人が多い中で、「光の源」であられる天の御父は、神の愛の御言葉に従って献身的愛の実を結ぶ人たちを探しておられ、そういう人たちを「造られたものの初穂」となさろうしておられるのではないでしょうか。私たちも、神が求めておられるそういう初穂の群れに入れて戴けるよう、何よりも生きている神の御言葉中心に生活することに心がけましょう。
③ 本日の福音の中で、ファリサイ派の人々がその言い伝えを固く守っていると述べられている「昔の人」という言葉は、presbyteroi (長老) というギリシャ語の邦訳で、ユダヤ社会の指導層を形成していた長老たちを指していると思います。ファリサイ派はその長老たちの間で代々言い伝えられている様々の細かい社会的規定も、モーセの掟と同様に順守し尊重して、それを人々にも守らせていたようです。彼らの言う「汚れた手で」という邦訳の「汚れた (koinais)」というギリシャ語は、「公の」「共通の」などを意味する言葉ですが、宗教的清さを重視していたユダヤ社会では、「世俗的な」「穢れている」という意味のターメーというヘブライ語の訳語として使われていたようです。従って彼らは、ギリシャ・ローマ文化の影響下にある一般社会の空気を吸って来た後には、外的に手が汚れていなくても、まず念入りにその手の宗教的穢れを洗い流してから、食事をしていました。食事の前に手を洗うという行為それ自体は決して悪いものではなく、主も「手を洗うな」とおっしゃっておられるのではありません。私は26年前の1980年9月に、東京のユダヤ教シナゴーグで三日間の研修を受けましたが、その時古い伝統を厳守していると言われる一人のラビ一家が、金曜日の日没時間に食卓上の蝋燭に点火して祈る姿や、食事の前に手際よく手を洗う姿などを見せて戴き、こうして平凡な日常生活の全体をいわば神の御前での祈りのようにしているのに、深い感銘を受けました。平凡な日常行為の中にも心の信仰を美しく表明しようとしていたように見えるその慣習は、私たちの信仰心を育てる真に結構な手段であると思います。
④ 主はその手段そのものを断罪なさったのではないと思います。ただ長老たちの作ったそのような外的手段を絶対視して、もっと大切な神の愛の掟を守ろうとしていない本末転倒を、厳しく退けておられるのだと思います。他宗教とは違う外的手段の厳守には、神の民ユダヤ人だけを特別に神聖視して、他の異教社会を蔑視させるもの、社会と社会、人と人との間に壁を設けるものになる虞があり、全人類の創り主であられる神からのものではありません。ですから主は本日の福音の中で、彼らの心をその本末転倒に目覚めさせるため、「あなたたちは神の掟を捨てて、人間の言い伝えを固く守っている」と、ことさら厳しく非難なされたのだと思います。ところで、現代の私たちの信仰生活の中にも、無意識のうちに文化と文化、人と人との間に壁を設ける、そのような神よりのものでないものが隠れてはいないでしょうか。主は私たちにも、そのような心の壁から自由になって、全ての人に対する神の奉仕的精神、神の愛の掟を生活の中心にして生きるよう、望んでおられるのではないでしょうか。他宗教の人たちや信仰のない人たちに対しても大きく開いた温かい心で、神の愛の証しを実践的に示すよう心がけましょう。
⑤ 主は最後に、「皆、私の言うことを聞いて悟りなさい」とおっしゃって、人を宗教的に穢すものは外からその人の中に入るものではなく、その人の心の中から出て来るものであることを強調し、人の心の中から出て来る12の悪を数え立てておられます。そのうち始めの六つは複数形で表現されていて、外的にも人に損害を与えてしまう悪い行為を指しているようですが、残りの六つは単数形で表現されていますから、これらは少し違って、まだ心の中に隠れている悪い思いを指しているのかも知れません。どちらも人の「心の中から出て来るもの」で、神の御前に私たちの魂を穢す忌まわしい悪だと思います。私たちも自分の心に気をつけましょう。心は神の命の御言葉を宿し育てる苗床であり、畑であると思います。この世にいる間はまだ原罪の根強い毒麦などと戦わなければならない私たちの心の中には、さまざまの雑草も芽を出し、生い茂ろうとするでしょうが、それらを神の御言葉の愛の火によって絶えず駆除し、心を内的に浄化するよう心がけましょう。主は心を穢す悪を数え上げることによって、私たちにも心の浄化を勧めておられるのだと思います。

2009年8月23日日曜日

説教集B年: 2006年8月27日、年間第21主日(三ケ日)

朗読聖書: Ⅰ. ヨシュア 24: 1~2a, 15~17, 18b. Ⅱ. エフェソ 5: 21~32.  
  Ⅲ. ヨハネ福音 6: 60~69.


① 本日の第一朗読には、モーセの後を継いで神の民を約束の地に導き入れたヨシュアが、イスラエルの全部族をその約束の地の中心部にあるシケムに集めて、自分たちをエジプトから導き出して下さった神のみに、これからも徹底して仕えるという決断を、彼らから求めています。この決断は、自分の心で自由に決めたものでなければなりません。ですからヨシュアは、「もし主に仕えたくないならば」、「仕えたいと思うものを、今日自分で選びなさい。ただし、私と私の家は主に仕えます」と告げています。幸いこの時の民は、「私たちも主に仕えます。この方こそ、私たちの神です」と答えてヨシュアを安心させ、神の言葉に従って苦労を共にしながら約束の地に入った民が、ここで分裂して神の民の共同体が解消してしまうことはありませんでした。
② ここに「他の神々に仕える」とある言葉は、天地万物の創り主で私たち人間の考えを遥かに超えておられる、神秘で偉大な愛の神に従うことを止め、人間が自分の心の憧れに基づいて産み出した宗教や世界観を、自分の人生の最高基準となすことを意味しています。人類がその幾世代にもわたる無数の失敗・成功体験に基づいて、下から産み出した宗教や世界観が全て根本から間違っていると考えることはできません。人間は誤り易い存在ではありますが、それでも神からの真理を発見し、正しく理解する能力を与えられています。聖書によると、神がその御言葉を発しながらお創りになった天地万物も、ある意味で神の言葉の現われ・啓示であって、声なき声で私たちの心に非常に多くのことを教えています。しかし、世界各地に住み着く程に数多くなった人間が、それぞれ自分の狭い経験や理性に従って自主的に造り出した宗教や世界観を保持するようになりますと、相互に大きく異なる経験や思考に基づいて産み出された宗教や世界観の対立から、社会に様々の誤解や対立・抑圧などが生ずるようになることでしょう。
③ そこで神は、この段階にまで各種の文明文化を発展させて来た人類に、神の霊によって全被造物を一層深く洞察し、神の言葉に従って全てを愛と平和の内に正しく統治させるため、こうして万物の霊長としての人間本来の使命を達成させるため、まず一つの小さな神の民を起こし、やがて神の御言葉が受肉して、神を信ずる全ての人を、神の愛に生きる一つ共同体に発展させるための内的地盤を準備なさいました。この神の民にとって最も大切なことは、自分中心に自分の考えに従って何かをしようとし勝ちであったこれまでの生き方を脱ぎ捨て、神のお考えに従って神に仕えようとする、神の民としての新しい生き方を身につけることだと思います。それでヨシュアは、約束の地に落ち着いた時点で、民にその決意を強く求めたのだと思います。
④ 本日の第二朗読は夫婦の愛について教えていますが、同時に、キリストとその教会、すなわち救い主と新しい神の民との愛の関係についても教えています。キリストは神の民という教会共同体の頭であり、教会を愛し、教会のためにご自身の全てをお与えになったのです。それは「教会を清めて聖なるものとし」、汚れのない、栄光に輝く教会をご自分の前に立たせるためでした。「そのように、夫も妻を自分の体のように愛さなくてはなりません」「それゆえ、人は父母を離れてその妻と結ばれ、二人は一体となる」のです。「この神秘は偉大です」というのが、夫婦というものについてのその教えの根幹ですが、そこには、「キリストが教会の頭であるように、夫は妻の頭です。教会がキリストに仕えるように、妻も全ての面で夫に仕えるべきです」という教えも記されています。全ての人間の平等、男女の平等という現代社会の通念で生活している人たちにとり、聖書のこのような思想は、女性に不当のしわ寄せをしていた前近代の見苦しい社会的遺物に過ぎず、速やかに排斥して平等な男女関係に改革すべきものと映ずるかも知れません。しかし私は、多くの現代人を躓かせる神よりのこの啓示の中に、夫婦を内的に深く一致させ仕合わせにする神の祝福が、そっと隠されているのではないかと考えます。
⑤ 私は結婚生活というものを体験していませんが、しかし、司祭に叙階されてローマで7年間留学していた時、満2年経った後に教皇庁からイタリア語で聴罪する免許書をもらい、その後の5年間は、ローマに滞在している間中ほとんど毎日曜・祝日に、神言会本部修道院の近くにある大きなサン・べネデット教会で、2時間ないし3時間も小さな告解場に腰掛けて、多くのイタリア人の告白を聴いていました。御受難会の司祭たちに依頼されて一緒にワゴン車に乗せられ、老人ホームや精神病院で聴罪したことも、一度は四旬節に軍隊で兵隊たちの聴罪をしたこともあります。第二ヴァチカン公会議前後頃のイタリアでは、まだ告解者が非常に多かったので、このようにして数多くの人の告白を聴いている内に、現代の家庭に秘められている様々の問題、夫婦や親子や若い男女の心の悩みについても、あるいは老人ホームに入居している人たちの悩みなどについても、新しく学ぶことが少なくありませんでした。そういう心の指導体験からも、保守的傾きの強い私は、下から家庭を、また社会を内的に支え一致させて行くところに、女性は優れた能力や使命を神から戴いていると確信しています。神の御前では男も女も人間として平等ですが、女性は下から家庭を、また社会や教会を産み出し育てるという、特別の使命を神から授かっているのではないでしょうか。聖母マリアは、その模範を見事に体現しておられると存じます。ある人はヴァイオリンを持つ左手を女性に、弦を持つ右手を男性に譬えていますが、美しい音楽を奏でるためには、上にある右手ばかりでなく、下にある左手も大きな働きをしているのです。ただし、男性がその機能を十分に果たせないような異常事態になった時には、女性が男性に代ってその機能を立派に果たすことも起こり得ます。未曾有の異変が頻発する現代世界は、あるいは半分そのような異常事態に突入しているのかも知れません。しかし、それは神が初めに意図された本来あるべき正常の状態ではないと考えます。
⑥ 私がヨーロッパ留学から帰国して20年以上も経った1990年前後頃に、昨年他界したすぐ上の兄の家に宿泊すると、兄嫁から度々兄に対する心の不満を聴かされました。家族が全員カトリックで、その生活には何も問題がないのですが、60歳代の女性の心には、男性の心を独占し支配しようとする欲求が強まる時期があるようで、夫の結婚前の他の女性との関係が赦せずに悩んでいました。私は兄嫁の不満を温かく聴いてあげるだけで、兄を弁護するようなことは何一つ言わずにいましたが、2, 3年後に再び訪れた時には、兄嫁が兄を心から赦す気になっており、また兄に心から深く感謝していて、それからの二人の老後は本当に仕合わせそうでした。私たちは皆欠点多い人間ですが、相手のマイナス面を詮索したり責めたりせずに、真実は謎に包まれたままであっても、そのマイナスを自分も黙々と背負って相手を心から寛大に赦す、春の太陽のような神の愛に生きること、それが家庭や社会に神の祝福を齎すのではないでしょうか。相手の覆いを剥ぎ取ろうとする、冬の北風のような冷たい理屈や原理主義が心の中で暴れないよう、気をつけましょう。どんな恨みごとも寛大に赦し、感謝する心、それが私たちの人生に神の祝福を招くのです。私は兄嫁の心の変化から、そのようなことを学びました。
⑦ 本日の福音は、パンの奇跡を目撃したユダヤ人たちに対する主の話の最後の部分ですが、冒頭に述べられているように、主の話を聞いていた多くの人たちは、「実にひどい話だ。誰がこんな話を聞いていられようか」とつぶやいています。それは、主に対して初めから否定的批判的であったユダヤ人たちのつぶやきではなく、むしろ主を信じ、主に従って行こうとしていた人々のつぶやきであったと思われます。いったい彼らは、主の話のどこに躓いたのでしょうか。「実にひどい話だ」というつぶやきの直前に、主は「私の肉は真の食べ物、私の血は真の飲み物、云々」と話しておられますから、この話に躓いたのではないでしょうか。主はそれに対して、「命を与えるのは霊である。肉は何の役にも立たない。私があなた方に話した言葉は霊であり、命である。云々」と、なおも彼らの心を、深い神秘へと導き入れようとするようなお言葉を話されました。今の自分には理解できなくても、神よりの言葉には徹底的に従おうとする、素直な僕・婢のような信仰の心をお求めになったのだと思います。「肉」と表現されているのは、物質的な肉のことではなく、旧約聖書にもよく登場する、人間存在や人間の全体を意味する時の「肉」だと思いますが、ここでは更に、罪に汚れた人間の理知的で自己中心の考えや心をも意味していると思われます。罪によって天上からの霊的照らしを失い、半分霧に閉ざされているような心で、天から降って来られた神の子の言葉を解釈しようとしても、それはいたずらに自分の誤解や謎を勝手に深めるだけで、何の役にも立たない。自己中心のそんな心から脱皮して、まず幼子のように素直に主のお言葉を受け入れ、それを保持し尊重しようとするならば、その言葉に込められている神の霊や命が心の中に根を張り芽を出して、あなた方の心に天上の真理を悟らせ、数多くの体験を通して確信させてくれるであろうというのが、それらのお言葉に込められた主の御心だと思います。
⑧ 私は主のこういうお言葉に接すると、聖ベルナルドの世にあまり知られていない小冊子『恩寵と意志の自由』の中に読まれる「二つの自由」についての話を思い出します。その一つは、全ての知性的存在が本性的に保持している選択の自由、自己中心に考えて選び取る自由で、この自由は地獄に落ちた悪魔や霊魂たちも永遠に失わず、全く自由に神と人間を憎み、一切の和解を拒み続けていると考えられています。もう一つは、全被造物の中のごく小さな一部分でしかない自分を中心にした生き方、考え方から脱皮して、相手に自分を与え、自分を委ねて共に生きようとする愛の自由です。これは、放蕩息子の譬え話にも描かれているような神の愛の自由であり、互いに愛し合っている親子や男女の間でも見られますが、私たちもこのような神の愛の自由を体得しない限り、天の国には入れてもらえないと思います。
⑨ ここでもう一つ、「信仰」ということについても考えてみましょう。私たちはよく、自分の経験や理性に基づいて、これは信じられる、それは信じられないなどと言いますが、それは自分の理解を中心にして「本当だと思う」というだけの、いわば「頭の信仰」、あるいは「肉」の信仰でしかなく、神が私たちから求めておられる愛の信仰ではありません。そういう「頭の信仰」は、地獄に落ちた悪魔や霊魂たちも持っています。この世の私たちの想像を絶するほど苦しめられているでしょうから、神の存在も全能も確信していることでしょう。聖書の原語であるギリシャ語の pistis (信仰) は、信頼という意味の言葉で、これは知性的な理解の能力ではなく、実践によってだんだんと磨き上げるべき意志的な心の能力、愛の能力を指しています。例えば、水に身を任せて泳ぐ能力や、自転車に身を任せて乗り回す能力などは、いずれも心の能力だと思います。自分の頭ではよく判らなくても、心で神の導きや働きを痛感し、神の霊に信頼して生きるのがキリスト者の信仰であります。教会はそれをラテン語では、単に神を信ずる (credo Deum) ではなく、credo in Deum (英語ではI believe in God) と、in という前置詞を補って表現しています。ペトロは、つぶやくユダヤ人たちに対する主の神秘な話を、まだ頭では理解できなかったでしょうが、日頃主と生活を共にしていて神の不思議な働きを幾度も体験し、自分の心の中に育って来た意志的信頼心から、本日の福音にありますように、「あなたこそ神の聖者であると、私たちは信じまた知っています」と宣言し、主の御許に留まり続けました。私たちも、このような心の意志的信頼を実践的に養い育て上げつつ、あくまでも神信仰に留まり続け、日々神と共に生きるよう努めましょう。

2009年8月16日日曜日

説教集B年: 2006年8月20日、年間第20主日、聖ベルナルドの祭日 (三ケ日)

朗読聖書: Ⅰ. シラ 39: 6~10.     Ⅱ. フィリピ 3: 8~14.  
  Ⅲ. ヨハネ福音 17: 20~26.


① 本日記念する皆様の修道会の中心的保護者聖ベルナルドは、1090年にフランス東部のディジョンの城に、ブルゴーニュの貴族の6男1女の一人として生まれましたので、1098年にそこから25キロほど離れたたシトーで、原生林が切り開かれて戒律の厳しいシトー会修道院が創立された頃は、既に8歳位の子供であり、シトー会の修道生活については、子供の頃からそれとなく耳にしていたと思われます。16歳になった頃には背が高く、がっちりとした体格で、騎士として活躍することもできる若者になっていましたが、ラテン語の古典文学研究にも秀でていました。その年頃に母親が他界すると、母ゆずりの瞑想的宗教心も目覚めて来て、彼はこの頃から数年間、騎士や官吏になるか、教師になるか、それとも修道者になろうかと、将来の進路についていろいろと考えていたそうです。ブルゴーニュにはベネディクト会の大きな修道院も幾つもありましたが、23歳になると、その賢明さ故に兄弟や友人たちから愛され慕われていた彼は、ベネディクト会の豊かな修道院に入ることは望まず、禁欲と労働の厳しさ故に志願者が少なくて、存続が危ぶまれるほど困っていたシトー会修道院に入ると言い出し、驚く叔父や兄弟たちを説得したり、友人たちにその理由を説明したり、一緒に入会するよう勧めたりしたそうです。私たちの救いの道を切り開くため恐ろしい苦しみを耐え忍んで下さった主イエスの愛に、自分も労苦を厭わぬ愛をもって応えようと立ち上がった、愛に生きるベルナルドの心意気の美しさに感動したからでしょうか、兄弟3人と友人27人もベルナルドと一緒にシトー会に入会しました。
② 畑仕事に慣れていなかった貴族の若者たちにとって、これは決死の覚悟を必要とする程の決断であったと思われます。しかし、当時のヨーロッパの若者たちの間には、伝統的規則を遵守しているだけの保守的封建主義に飽き足らず、社会を新しく発展させるために労苦を厭わずに何かをしたいという、若い改革的理想主義の精神がうずいていたようです。これが1095年に始まった第一回十字軍の精神的基盤にもなっていますが、ベルナルドの改革的愛の精神に惹かれたシトー会入会者は、その後も続々と増加し続けました。それで2年後の1115年に、ベルナルドは新しい修道院を設立するためクレルヴォーに派遣されました。ところが、この修道院への入会者も急速に増え、ここから派生した修道院は、ベルナルドが死ぬ1153年までに68にも達しました。その中には、英国やアイルランドの修道院も含まれています。それでベルナルドは、シトー会の三人の創立者と共に、生前からシトー会中興の祖として高く評価され崇敬されています。
③ 1145年には、以前にクレルヴォーで聖ベルナルドの弟子であったシトー会員のベルナルド・パガネッリが、ローマ教皇に選出されてエウゲニウス3世となりました。聖ベルナルドはこの教皇から派遣されて、南フランスのアルビジョア異端派に対抗する説教をしたり、第二回十字軍派遣のために、フランスやドイツの各地で説教したりもしています。ドイツの若い騎士たちは、彼の話すラテン語の説教をよく理解できなかったのではないかと思われますが、心の底から愛に燃えて呼びかける彼の熱弁に、大きな感動を覚えていたと伝えられています。彼が残した多くの手紙は、『アルマーの聖マラキ伝』や『神の愛について』と題する論文、ならびに『雅歌について』と題する浩瀚な説教集などと共に多くの人に愛読され、心を神の愛で陶酔させるような麗しい言葉の故に、彼は早くから Doctor mellifluous (甘い蜜の博士) と呼ばれていました。それで教皇ピウス8世は、1830年に正式に「教会博士」の称号を彼に贈っています。しかし、聖ベルナルドは、その死後に盛んになった理知的スコラ神学の博士たちとは違って、それ以前の、いわば心の信仰、心の学問の博士という性格が濃厚な学者なので、むしろ古代教会の教父たちの系列に属する博士として、時折「最期の教父」と呼ばれたりもしています。
④ 聖ベルナルドが12世紀前半に広めた神秘主義も、13世紀後半から盛んになったドミニコ会の本質神秘主義や、その後のカルメル会の本質神秘主義とは異なるものなので、「婚約神秘主義」と呼ばれています。神と人との心の関係を、何よりも神がお創りになった男女の愛の関係に譬えて捉えているからだと思います。主イエスは「天の国のために進んで結婚しない者もある」(マタイ 19:12)とおっしゃいましたが、私たち修道者は正にそういう人間であります。修道者は主キリストを内的に自分の恋人・夫・主人として愛し、絶えず主を念頭に置きながら、日々主と共に生活すべきだというのが、聖ベルナルドの考えであり生き方であります。小さき聖女テレジアは、ある婦人が自分の愛する夫のために、日々どれ程細かく優しい気配りをしながら生活しているかを聞いて、修道院での自分の生き方を反省させられたと書いています。私たちも、愛する夫を持つ妻たちの美しい愛に負けてはなりません。単なるこの世の独身者・単身者ではないのですから。
⑤ 40年ほど前の公会議直後頃から、どこの修道会においても、誓願宣立の言葉が以前の「清貧、貞潔、従順を誓います」から、「貞潔、清貧、従順を誓います」に変更されていますが、私はこの変更の基盤には、ベルナルド的霊性があるのではないかと考えています。修道者もある意味で主キリストの内的恋人・配偶者であり、婚約者・結婚者にとっては清貧よりも貞潔の心が大切だ、と考えられるようになったからだと思います。聖ベルナルドの祭日に当たり、私たちも自分がキリストの愛の配偶者として生活するよう、神から召されていることをあらためて心に銘記し、昔の良妻賢母と讃えられた人たちに劣らない、貞淑で行き届いた愛の表明、愛の奉仕に励む決意を固めましょう。本日の第一朗読は、そのすぐ前にある「彼は早起きして、自分を創られた主に向かうように心がけ、いと高き方にひたすら願う。声を出して祈り、罪の赦しをひたすら願う」という5節の言葉に続く、神への信仰と愛に生きる義人についての話ですが、第二朗読である、一切のものを後にし、ひたすら主キリスト目指して生きていた使徒パウロの述懐と共に、聖ベルナルドの婚約神秘主義の立場で受け止め、理解したいと思います。またただ今ここで朗読された福音は、最期の晩餐の終りに主が天の御父に献げた祈りからの引用ですが、それはそのまま主と一致して全教会のために尽力していた聖ベルナルドの最期の祈りとして、受け止めることもできるのではないでしょうか。
⑥ 聖ベルナルドの霊性は女性たちにも大いに歓迎され、シトー会には女子修道院も数多く創立されるに至りました。13世紀末までにはスカンジナビア半島から地中海までの全ヨーロッパで、男子修道院が700ほど、そして女子修道院も同じ位多く建ち、まだ残っていたヨーロッパの原生林の開拓に目覚しい実績を挙げています。しかし、それらの開拓地で大きな土地や財産を持つようになると、修道精神の乱れも生じて、シトー会は特に宗教改革時代前後に大きな試練を受けるに至りました。北アイルランドの古都アルマーの大司教聖マラキは、ローマへの旅行の途次1139年と1148年に、二度クレルヴォーに滞在した聖ベルナルドの4, 5歳年下の友人ですが、1148年11月2日にクレルヴォーで、察するに聖ベルナルドの腕に抱かれて帰天しました。史料が十分に残っていないのでよく判りませんが、この聖マラキも偉大な神秘家であったようです。というのは、この聖マラキが12世紀半ばから世の終りまでのローマ教皇の特性をラテン語で予言したものと言われる、112の特性の一覧表が、16世紀末にイタリアで出版された『生命の木』という本の末尾に載っており、これが20世紀半ば以来新たに多くの人の注目を引き、話題にされているからです。教会史を専門とする私は40年ほど前に、ローマ教皇史を研究するかたわら、それらの特性についても合わせて吟味してみましたが、それらが各教皇の特徴的一面を的確に言い当てているのに驚いています。その予言に従うと、世の終り前に「ローマの人ペトロ」が教皇位に登位する時はもう近いようです。しかし、私たちはそういう話に不安にならずに、たとい何かの思いがけない異変や苦しい試練に直面しても、神の働きに対する愛と信頼を新たにしながら、冷静に対処するよう心がけましょう。それが、主キリストの霊的婚約者として、神の働きの思わぬ大きな変化にも忠実に従って行く者の道であると思います。聖ベルナルドの取次ぎを願いつつ、皆様の修道会のため、また私たち各人のために、主キリストにあくまでも忠実に従って行く恵みを、聖ベルナルドの取り次ぎで祈り求めつつ、本日のミサ聖祭を献げましょう。

2009年8月9日日曜日

説教集B年: 2006年8月13日、年間第19主日(三ケ日)

朗読聖書: Ⅰ. 列王記上 19: 4~8.     Ⅱ. エフェソ 4: 30~ 5: 2.  
  Ⅲ. ヨハネ福音 6: 41~51.


① 列王記上の18章には、預言者エリヤが民衆の見ている前で天から火を降し、アブラハムの神が真の神であることを立証してバアルの預言者たちを殺させたことが詳述されていますが、本日の第一朗読は、バアル信仰の推進者であった王妃イゼベルがその知らせを受けて、エリヤを殺そうとしていることを知って、預言者が荒れ野に逃げたところから始まっています。その荒れ野に入った所から更に一日の道のりを歩き続けた所というのは、現代のネゲブ砂漠だと思いますが、ネゲブはヘブライ語で「拭く」という意味だそうで、そこは全てがきれいに拭き取られて何も残っていないような、一面に砂だけの砂漠になっている荒れ野だと思います。しかし、その砂漠には一本のエニシダの木が逞しく生えていました。といっても、エニシダはせいぜい高さ2, 3mの木で、そんなに大きな木ではありません。春にたくさんの黄色い花をつけますが、葉は小さいので、エリヤがその木の下に来て座ったと言っても、砂漠の太陽の日差しを少し和らげてくれる程度だったと思われます。急いで逃げて来たのですから、パンもない、水もないという絶望的状態の中で、エリヤはもう死ぬことを望み、神にそのように祈りながらその木の下で横になり、眠ってしまいました。
② すると、天使から起こされて、「起きて食べよ」と、焼いたパン菓子と水の入った瓶を与えられ、それを食べて飲み、また眠っていると、再び天使に起こされて、食べ物と飲み物を与えられました。こうして天使から与えられたパンと飲み物に力づけられたエリヤは、「四十日四十夜歩き続け、ついに神の山ホレブに着いた」と記されていますが、ここで「四十日四十夜」とあるのは、多数の日夜を表現する文学的表現で、その言葉通り四十日四十夜も歩き続けたという意味ではないと思います。神の山ホレブ、すなわちシナイ山は、エルサレムから測っても直線で400キロ程の所にある山ですから。しかし、神の山までのその遠い荒れ野の道を、天使から与えられた食べ物と飲み物から得た力で歩き通したというのが、本日の第一朗読の強調点だと思います。後述する福音の中で主は、「私の与えるパンとは、世を生かすための私の肉のことである」と、暗に主のご聖体のことを指して話しておられますが、私たちの日々拝領しているご聖体の中にも、預言者エリヤに与えられた天使のパンに勝る、神秘な力が込められているのではないでしょうか。
③ 本日の第二朗読には、「あなた方は神に愛されているのですから、神に倣う者となりなさい」という勧めの言葉があります。山上の説教の中にある「天の父のように完全でありなさい」という主イエスのお言葉と共に、心に銘記していましょう。しかし、ここで「神に倣う者」や「完全」とある言葉を、道徳的に落ち度も欠点もない人格者というような現世的意味で受け止めないよう気をつけましょう。それは、私たちを神の子として下さった神の無償の愛の中で、絶えず神の視線を肌で感じながら神の御旨中心の価値観の内に生活しなさい、という意味ではないでしょうか。主イエスが弟子たちの求めに応じて教えて下さった「主の祈り」は、ルカ福音書によりますと、「父よ、御名が聖とされますように」という言葉で始まっていますが、「聖とされる」という言葉は日本人には解り難いというので、「尊ばれる」とか「崇められる」などと邦訳されることがあります。しかし、これでは主の祈りにこの世の人間主体の考えを混入することになり、たとい善意からではあっても、神から求められているキリスト教信仰を歪めることになりかねません。聖は、真・善・美などと違って、神のあの世的愛に輝く清さを意味しており、この世の価値観には属さないので、人間理性中心の考え方に死んで神に従おうとしないと、なかなかその価値観を理解できないのは判りますが、しかし主は、他の箇所でも度々自分に死んで神に従うことを強く求めておられるのですから、私たちは心をを大きく広げて、あの世の無数の天使・聖人たちと共に神のあの世的聖さを讃美しつつ、神の御旨中心の、神主体の価値観の内に生活するよう心がけましょう。「御名が聖とされますように」というのは、父なる神の愛の輝く清さと神の御旨への従順とが、万事に超えて大切にされる世界観が広まりますように、という祈りなのではないでしょうか。これは受肉なされた主ご自身の祈りでしょうが、主は、私たちも主と一致して日々そのように祈るよう、この祈りを教えて下さったのだと思います。
④ ユダヤ教やイスラム教で豚を清くない動物と考え、豚肉を食べないようにしているのは、それがたとい外的にはどれ程清くても、彼らの太祖アブラハムたちの時代に、羊や牛などのように、神にいけにえとして献げる動物とはされていなかったからだと思います。神に献げられるもの、神を目指しているものを清いと考える世界観の一つの現れだと思います。この前の日曜日にも申しましたように、神の御子の受肉によってこの物質界全体は聖化されつつあるのですから、私たちキリスト者は、豚肉を食べてはいけないなどとは考えませんが、しかし、神に献げられるもの、神に向けられているものを聖なるもの、清いものと考える、神中心の来世的愛の価値観を、自分の生活や活動の全般に広げることは大切だと思います。例えば一緒に生活している人と見解や判断の違いが生じて苦しむような時、私たちはとかく相手との性格の違いや、相手のマイナス面などにばかり眼を向け勝ちですが、そういうこの世的価値観の次元から脱皮して、自分を神の子として下さった父なる神の大きな愛と、その神が自分からも愛のいけにえを求めておられることなどに心の視野を広げると、驚くほど簡単にこの世の対立関係を超越して生きることができるようになります。
⑤ 第二朗読の出典であるエフェソ書4章は、キリスト者が皆神によって、キリストを頭とする一つからだにされていることを説きながら、「平和の絆に結ばれて、聖霊のもたらす一致を大切にするよう」勧めていますが、本日の第二朗読はそれを受けて、「神の聖霊を悲しませてはいけません」と説き、神が「あなた方を赦して下さったように、互いに赦し合いなさい」と勧めています。神の献身的愛の輝くような聖さを、私たちも小さいながら日々の生活の中に反映させ、神の子になるよう召された者として、みんな内的に清い美しい聖人になるよう努めましょう。それが、私たち各人に対する神の御旨であり、強いお望みでもあると信じます。善人にも悪人にも陽を昇らせ、恵みの雨を降らせて下さる神は、太陽のように全ての事物を超越して、全ての人を照らし暖め慈しんでおられる愛の本源であります。その神の光と愛を受けて、父なる神が神の次元でして下さっていることを、私たちは人の世の小さな次元で反映させ、輝かせるよう努めましょう。「今日もまた心の鐘を打ち鳴らし打ち鳴らしつつあくがれて行く」という若山牧水の歌をご存じでしょうか。私たちは皆、心に神から一つの鐘を与えられていると思います。それを日々美しい音色で打ち鳴らしつつ、心の底から欣然と神を讃えているでしょうか。
⑥ 本日の福音には、「私はパンである」という主のお言葉が二回読まれます。最初の41節と中ほどの48節にです。そこで仮に最初から47節までを前半、それ以降を後半としますと、前半ではイエスを神から遣わされて来た方として信じ、受け入れるか否かが問題とされており、後半ではそのイエスを受け入れる人、すなわち「天から降って来たパン」を食べる人が受ける恵みについての話であると思います。前日湖の向こう岸で5千人以上の群衆にパンを食べさせるという大きな奇跡をなされた主が、その奇跡を目撃したユダヤ人たちに前半で、「私は天から降って来たパンである」と話し、彼らから主の本質に対する信仰をお求めになると、彼らのうちの一部はナザレから来ていた人たちだったようで、すぐに「これはヨゼフの息子ではないか。我々はその父母も知っている。なぜ今『天から降って来た』などと言うのか」とつぶやき始めました。そこで主は、「つぶやき合うのは止めなさい」と答え、なおも、「私をお遣わしになった父が引き寄せて下さらないなら、誰も私の許へは来ることができない (が、私は私の許に来る人を) 終りの日に復活させる。云々」と、預言者の言葉も引用して、イエスを天から降って来たパンと信じ受け入れる人の受ける恵みについて話し続け、最期に「はっきり言って置く。信じる者は永遠の命を得ている」と言明なさいます。「はっきり言って置く」と邦訳された「アーメン私は言う」という語句は、何かの真実を宣言するような時に使う慣用句ですから、主を信じて受け入れる人が既に永遠の命を得ていることを、主は公然と宣言なさったのだと思います。
⑦ しかし、偉大な奇跡をなさった主のこの宣言を耳にしても、その場のユダヤ人たちはまだ何の反応も示さなかったようで、主はあらためて「私は命のパンである。云々」と、ご自身の本質についてのもっと大きな神秘を啓示なさいます。すなわち主は、先祖が荒れ野で神から受けたマンナよりももっと神秘なパンで、「このパンを食べる人は永遠に生きる」のです。しかも、そのパンとは、「世を生かすための私の肉のことである」と言われたのです。本日の福音はここで打ち切られていますが、この後半部分はここで終わってしまったのではなく、主イエスのこの話に対してはまたもユダヤ人たちから、「この人は自分の肉をどうして私たちに食べさせることができようか」などと批判の声が上がり、主はそれに対して、「私の肉は真の食べ物、私の血は真の飲み物である。云々」という、多くのユダヤ人たちを躓かすような長い神秘的な話をしておられます。後に聖体の秘跡が制定されてみますと、私たちはそれらの神秘なお言葉をそのまま受け入れ、信じることができますが、その場のユダヤ人の多くは、自然理性では受け入れ難い主のこれらの啓示に躓いて、主の御許から離れ去ってしまいました。ただ12使徒たちは頭では理解できないながらも、日頃から主に対する心の信仰・信頼を保持していたので、主の御許に留まり続けました。
⑧ 私たちもここで学びましょう。この世で幸せになるためには、頭の理知的能力は非常に有用であり、何かを自分で理解したり、何かの技術を習得したり運用したりするために必要なものですが、この世の経験を基盤として自分中心に自主的に考え利用しようとするその理知的能力は、しばしば自分で造り上げた何かの原理原則や固定化した価値観を中心にして判断したり裁いたりするので、私たちの心の奥底にあるもう一つの貴重な能力、すなわち神秘な献身的愛の憧れや生命をしばしば抑圧したり歪めたりしてしまいます。あの世からの神の招きは、何よりも私たちの素直な奥底の心に与えられる恵みですので、その奥底の預言者的心を神中心の聖なる愛の内に、神目指して真っ直ぐに伸ばすよう心がけましょう。そうすれば、預言者エリヤが天使からもらったパンや飲み物のように、神からの恵みは私たちの心の中で大きな力を発揮するようになります。主イエスは天地の主なる父を讃美しながら、「あなたは、これらのことを智恵ある人や賢い人には覆い隠し、小さい者に現して下さいました。そうです。父よ、これはあなたの御心でした」(ルカ 10:21) と祈っておられます。主のこのお言葉を心に銘記しながら、私たちも自分の心の奥底に宿る神の聖霊、神の愛に眼を向けつつ、本日のミサ聖祭を献げましょう。

2009年8月6日木曜日

説教集B年: 2006年8月6日、主の変容(三ケ日)

朗読聖書: Ⅰ. ダニエル 7: 9~10, 13~14. Ⅱ. ペトロ後 1: 16~19.
 Ⅲ. マルコ福音 9: 2~10.


① 今朝は広島に原爆が投下された61周年に当たります。日本のカトリック教会では、毎年この8月6日から終戦記念の15日までを平和旬間として、世界平和のために祈ることにしており、またそれと関連するさまざまな行事をなしていますが、私たちも日々その人たちと心を合わせて祈ることにしています。それで、本日のミサ聖祭は、世界平和のため神の導きや恵みを願い求めて献げることに致したいと思います。ご協力をお願いします。
② 主のご変容の祝日は東方教会では5 世紀頃から祝われています。8世紀にイスラム教徒のアラブ軍が今のトルコ半島東部のキリキア地方を侵略すると、この地方出身の軍人でそのアラブ軍を撃退し、皇帝の位についたレオ3世 (在位717~741) が、726年に勅令を公布してイコーン崇敬を禁止し、ビザンチン帝国にあった数多くの聖画像を破壊させましたが、するとその反動として、東方教会では主のご変容の奥義が特別に重視され始めたようです。ユダヤ教は出エジプト記20:4にある「偶像を造るな」の禁止令を厳守しており、7世紀前半に創始されたイスラム教もそれに倣っています。しかし、4世紀にコンスタンティヌス大帝の保護や支援を受けて、異教の寺院に負けない美しい聖堂を建設したり、異教の寺院をキリスト教的に改築したりしたキリスト教では、それらの大きな聖堂の内部を美しく飾るために、数多くの聖なるキリスト像や聖母像や聖人像を壁面のモザイクに描いたり、彫刻したりしました。8世紀にレオ3世によってそれらの聖画像が破壊され始めると、最後の古代教父ダマスコの聖ヨハネは、イコーンは聖なるものを映している鏡のようなものであり、沈黙の説教・文盲者の書物・神の奥義の記念・物質聖化の可視的しるしであって、神が肉となってこの世に出現し、この世の物質界を聖化してからは、その神をある意味で宿し表現する秘跡のようなものであると論述し、神への礼拝とイコーン崇敬との本質的区別も明確にして反論しました。受肉した神の御子がこの世に現存し、物質界が聖化されている新約時代の信仰生活は、旧約時代の信仰生活とは違うというのです。ローマ教皇も、この教説を支持してイコーン崇敬を力強く弁護したので、断続的に百年以上も続いた聖像破壊は843年のコンスタンティノープル教会会議によって退けられ、東方教会はイコーン崇敬を公認したその日、四旬節第一主日を記念して、Orthodox (正統) 信仰の大祝日としています。
③ 話が少し横道にそれましたが、為政者側からのこの聖画像破壊の迫害を契機にして、それに強く抵抗し続けた東方教会の修道者や敬虔な信徒たちは、人間的不完全さが混入し易いこの世の複雑な政治問題のために奔走するよりも、神から啓示されたあの世の神秘な奥義を観照することに、より強く惹かれるようになったようです。中世の東方教会修道者たちは、この立場から主のご変容の奥義を特に重んじています。その後の時代にも強力なイスラム勢力と西方のヨーロッパ諸勢力とに囲まれた国際的狭間で、宗教的伝統を忠実に伝承する以外には、政治的自由も異教徒への布教の自由も乏しかった歴史的状況を考慮しますと、東方教会が私たち人間の本当の自由も幸せもあの世にあることを深く心に刻みつつ、主のご変容の奥義を高く評価したのも納得できます。
④ 本日の第一朗読は、紀元前6世紀のバビロン捕囚時代に預言者ダニエルが見た幻として描かれていますが、このダニエル書7章がダニエルの名を借りて書かれたのは、実はユダヤ人たちが紀元前2世紀半ばにシリアのセレウコス王朝の支配下にあって、激しい宗教迫害を受けていた頃とされています。いずれにしても、この世の政治や社会が一つの絶望的行き詰まりの様相を呈していた時代に、神から与えられた幻示だと思います。テロリズムがその隠れた根を国際的規模で拡張しつつある現代の世界も、事によると極度に不安な絶望的行き詰まり状態に直面するかも知れません。しかし、神信仰に生きる私たちには神から大きな明るい未来が約束されているのです。万一そのような暗い非常事態に陥ったら、その時にこそ主のお言葉に従って「恐れずに頭をあげて」天の神に眼を向けましょう。私たちの「贖いの時が近づいている」のですから (ルカ21:28)。一寸先も見えない程暗い冷たい死の霧のすぐ背後には、本日の第一朗読に「その支配は永久に続く」と保証されている主キリストが、天の雲に乗って私たちを迎えに来ておられるのです。旧約のユダヤ人殉教者たちも、中世の東方教会修道者たちも、毅然としてこの信仰を堅持することにより、明るい希望のうちにこの世の迫害や労苦に耐える力を神から豊かに受けていたのではないでしょうか。
⑤ 本日の第二朗読は、察するにネロ皇帝による迫害で、ローマのキリスト者が次々と殉教して行く緊迫した状況の中で認めたと思われるペトロ後書からの引用ですが、ペトロはここで主のご変容を目撃した時の体験を回顧し、「こうして、私たちには預言の言葉は一層確かなものとなっています。夜が明け、明けの明星があなた方の心の中に昇る時まで、暗い所に輝く灯火として、どうかこの預言の言葉に留意していて下さい」と勧めています。ここで「預言の言葉」と言われているのは、その前に述べられている文脈からすると、私たちが神から召され選ばれていることと、主キリストの永遠の国に入る保証が与えられていることとを指しています。ペトロは殉教を目前にして、主のご変容の奥義を深く心に刻み、主と一致して自分の心を灯火のように輝かせながら、自分の命を神に献げていたのではないでしょうか。私たちの本当の人生はこの世にあるのではなく、神が支配しておられるあの世の永遠界にあります。使徒パウロがコリント前書15章で詳述しているように、この世の人生は種蒔きの段階のようなものであります。「自然の命の体として蒔かれた」ものが、あの世で「霊的な体となって復活する」のです (コリント前15:44)。私たちも、この世の生活が内的にどれ程不安で暗くなろうとも、あの世で永遠に幸せに生きることを希望しつつ、輝く灯火のようになって生き続けましょう。
⑥ 本日の福音にある主のご変容については、マタイ・マルコ・ルカの三福音記者が、いずれも主がガリラヤの北30キロ程のフィリッポ・カイザリア地方の村々を巡っていて、弟子たちにご自身のご受難についての最初の予告をなされた後の出来事として書いていますが、マタイとマルコによると、主はこの出来事の後にガリラヤを巡り、その途中でご受難についての第二の予告をなしており、ルカによると、その後にサマリアに入っておられます。従って、中世の巡礼者たちが言い出したと思われるガリラヤ南部のタボル山は、主のご変容の山ではないと思われます。タボル山は高さ588mのそれ程高い山ではなく、ガリラヤで大きな謀反が発生したことのあるキリスト時代には、そこにローマ軍の砦も置かれていたと聞きますから。また中世初期には、主のご変容とご受難との密接な関係から、ご変容をご受難の40日前の出来事と考える思想も起こって、9月14日の十字架称賛の祝日の40日前に当たる8月6日を、主のご変容の祝日としていますが、これも確実な歴史的根拠に基づいた日付ではないと思います。
⑦ しかし私は、主のご変容がフィリッポ・カイザリア地方の高い山、すなわち2千メートル級のヘルモン連山の一つの峰での出来事だとしますと、ご変容はやはり夏に起こった出来事であったと考えます。ルカは「次の日、一同が山を降りると」と書いて、主と三人の弟子たちがその山で一夜を明かしたように書いていますが、冬に雪で覆われるヘルモン連山には、夏でないと夜を過ごせないでしょうから。モーセが神から多くの啓示を受けたシナイ山も、海抜2,293mのジェベル・ムーサと1,994mのラス・エス・サフサフェという二つの峰から成っていて、モーセが40日間滞在したのも夏でした。ペトロが本日の第二朗読で「聖なる山で」と述べているご変容の山は、そのシナイ山と同じ位高い山で、神の山シナイ山でモーセとエリヤに語られた天の御父は、この山では旧約の律法と預言を代表するそのモーセとエリヤを証人として、「これは私の愛する子、これに聞け」と、雲の中から主イエスと三人の弟子たちにお語りになりました。雲が突然に現れて一同を覆い隠し、また急に去って行くのも、2千メートル級の高い山ではごく普通に見られる現象です。従ってこのご変容の山は、旧約の神の山シナイ山に対比できる、新約の神の「聖なる山」と称しても良いのではないでしょうか。
⑧ この新約の神の山で、主が「祈っておられると、お顔の様子が変わり、衣は真っ白に輝いた」とルカが書いているそのご変容が始まり、そこにモーセとエリヤが栄光の内に現れて、イエスが「エルサレムで成し遂げようとする最期」、すなわちご受難とご復活について話していた、というルカの言葉から察しますと、モーセとエリヤは、旧約の神の民が長い世代をかけて準備したものが、主のご受難・ご復活によって達成されることを慶び、そのご受難・ご復活を旧約の神の民も待ち望み、支援していることを申し上げていたのだと思います。「これは私の愛する子」という神の声は、主がヨルダン川で受洗してメシアとしての公的活動をお始めになった時にも、天から聞こえましたが、ここでは「これに聞け」という、弟子たちに対する新しい呼びかけも追加されています。「聞け」というのは、「聞き従え」という意味だと思いますが、モーセやエリヤが聞いた神の言葉とは違って、新約時代には神の言葉自体が生ける人間となって出現し、主のご復活の後にも世の終りまで、目には見えなくても人類と共に留まり、救いの働きを続けておられるのですから、天の御父は、その救い主の現存を堅く信じて、日々刻々と変化するその生きている導きや働きに聞き従うという、新約時代にふさわしい信仰生活を営むことを、私たちから求めておられるのではないでしょうか。聖霊の神殿として、私たち各人の内に現存しておられる主の呼びかけに心の耳を傾けつつ、日々その主とともに生きる恵みも願い求めて、本日のミサ聖祭を献げたいと思います。