2015年1月25日日曜日

説教集B2012年:2012年間第3主日(三ケ日)

第1朗読 ヨナ記 3章1~5、10節
第2朗読 コリントの信徒への手紙一 7章29~31節
福音朗読 マルコによる福音書 1章14~20節

   本日の第一朗読はヨナ書からの引用ですが、ヨナ書は他の預言書とは異なり、内容は預言ではなく預言者ヨナの物語であります。私がローマに留学していた第二ヴァチカン公会議の頃、ヨナ書の物語は史実ではなく、バビロン捕囚後の最初の律法学者と言われるエズラと支配者ネヘミヤ時代の排他主義的選民思想に反発する抵抗文学の一つで、紀元前4世紀頃に創作されたのであろうと考えるプロテスタント聖書学者の見解が、カトリック教会でも受け入れられ広まりました。その聖書学者によると、アッシリアの首都ニネベの人々が預言者の言葉を聞いて悔い改めた史実は全くなく、アッシリアの王がヨナ書にあるように「ニネベの王」と言われたことはないこと、また「ニネベは非常に大きな町で一回りするのに三日かかった」とあるが、当時のニネベの城壁の周囲は8マイル(13キロ)しかなく、それ程大きくないその町を回るのに三日かかったというのは大げさであること、更にニネベの王が「人も家畜も、牛・羊に至るまで何一つ口にしてはならない。食べることも水を飲むことも禁ずる。云々」の禁令を出したことなども、真に信じがたい話だというのです。おそらく、その通りだと思います。私たちの目前にあるこの猪鼻湖を一周しますと11キロですから、ニネベの町は、それに三ケ日町の中心部を合わせた位の広さに展開していた都市であったと思います。

   しかし、マタイ12章やルカ11章を読みますと、主は「よこしまで神に背いた時代の人たちは徴を求めるが、預言者ヨナの徴の他には徴は与えられない」「ヨナが三日三晩大魚の腹の中にいたように、人の子も三日三晩大地の中にいることになる。ニネベの人たちは裁きの時、今の時代の人たちと一緒に立ち上がり、彼らを罪に定めるであろう。ニネベの人たちはヨナの説教を聞いて悔い改めたからである。ここに、ヨナに勝る者がある」などと、ヨナが実際に大きな魚の腹に三日間呑み込まれていたことや、ニネベの人々が、身分の高い者も低い者も神を信じて、人も獣も厳しい断食をなし、彼らが歩んでいたそれまでの道から離れて神による天罰を免れたことが、史実であったかのようにお話しになっています。聖書学者たちの研究と主の話とのこの違いは、どう考えたらよいのでしょう。学者たちはそれについて黙していますので、私の勝手な解釈ですが、察するにキリスト時代のユダヤ人たちは、ヨナ預言者についての話を史実であると思っていたのだと思います。父なる神の御摂理が、メシアの死と復活などを予告するために、ユダヤ人の間にそのような作り話を産み出して広めたのだと思われます。神の御子メシアはそれが史実でないことを熟知しつつも、当時のユダヤで史実と信じられているその作り話を利用して、ご自身がこれから当時のユダヤ人たちに証ししようとしている神よりの徴について、お話しのなったのではないでしょうか。

   本日の第二朗読に読まれる「定められた時」は、世の終りのキリスト再臨の時を指しています。預言者的な予見の能力にも恵まれていた使徒パウロは、ここではキリスト再臨が間近に迫っている時の状況を予見しつつ、これらの言葉をコリントの信徒団に認めたのではないでしょうか。今私たちの生きているこの2012年は、昨年にも増して経済の深刻化、世界の政治的・社会的動乱、そして地球温暖化に伴う水不足や自然災害の頻発などに悩まされる年になるかも知れません。あまりにも便利に、また豊かになった現代技術文明の中で生まれ育った現代の若者たちは、必要な知識や情報をネットで簡単に入手できるようになっているため、もう昔の人たちのように先人たちの研究業績や著作を数多く収集して細かく吟味したり、まだ解決されずに残されている問題や研究されずにいる分野を見出して、手堅く根気強く研究しようとする人たちが、昔に比べると非常に少なくなって来ているように思われます。発展目覚ましかった人類の文明文化は、そろそろ飽和状態に達しているのではないかという印象を受けます。

   1980年頃から指摘されて来た「活字離れ」の現象は、今では若者たちの間で一般的になり、大学生や大学卒の知識人たちでも、漫画や軽く読める週刊誌や雑誌以外には本に興味を示さず、新聞を読まない人たちも増えています。必要な情報や知識は、ネットやテレビや安価な電子書籍で簡単に入手できるからだと思います。それで名古屋辺りでは既に閉店した本屋や、規模を大きく縮小する書店が少なくありません。執筆することで生活している作家や学者たちも、何をどのように書いたら本が売れるのかと、深刻に悩んでいるのではないでしょうか。こういう状態は、文明文化の発展が若さを失って飽和状態に来ている徴ではないかと思います。極度の豊かさ・便利さの中でこの世の社会にこのような精神的停滞ムードが広まって来たら、私たちは本日の第二朗読に述べられているように、この世のことで泣かない人、喜ばない人、持たない人、関わりのない人のようになって生活し、ひたすらあの世の神に心を向け、神と共に生きるよう心がけましょう。私たちの心は、「この世の有様が」どのような形で変形し過ぎ去って行こうとも、この新しい視点から新たな喜びと希望と意欲を見出すに至ると思います。


   本日の福音は、「ヨハネが捕えられた後」という言葉で始まっています。メシアより半年早く生れた洗礼者ヨハネは、おそらくヨルダン川で主に洗礼を授ける半年程前に30歳になって民衆に悔い改めの説教をなし、洗礼を授け始めたのではないでしょうか。主はそのヨハネから洗礼を受けた後、まず40日間は荒れ野に退いて断食生活を営み、その後ヨハネがいた近くをお通りになると、「見よ、神の小羊を」というヨハネの言葉を聞いて、主の後をつけて来た洗礼者ヨハネの二人の弟子アンデレ及びヨハネと知りあいました。しかし、洗礼者ヨハネはその少し後頃に、ガリラヤと洗礼者ヨハネが活躍していたヨルダン川周辺のペレア地方とを領有していたヘロデ・アンティパス王に捕えられたと思われます。としますと、洗礼者ヨハネのヨルダン川地方での活躍は8ヶ月間ほどだったのではないでしょうか。でもヘロデ王は、獄中の洗礼者ヨハネをその弟子たちが訪れるのを許していましたので、洗礼者ヨハネの宣教活動は、その殉教の日までまだ暫くは続きます。しかし、ご自身の先駆者ヨハネが捕縛されると、主はやがて同様の運命が御自身の上にもふりかかることを覚悟なされてガリラヤに行き、神の国宣教と弟子たちを集め養成する活動とをお始めになったのではないでしょうか。「時は満ち」というお言葉にある「時」という言葉は、チャンスの時という意味です。終末期を迎えている私たちにとっても、今は神へと目覚めるチャンスなのではないでしょうか。

2015年1月18日日曜日

説教集B2012年:2012年間第2主日(三ケ日)

第1朗読 サムエル記上 3章3b~10、19節
第2朗読 コリントの信徒への手紙一 6章13c~15a、17~20節
福音朗読 ヨハネによる福音書 1章35~42節

    本日の第一朗読には、まだ子供であった後年のサムエル預言者に対する、神の数度に及ぶ呼びかけが述べられています。少年のサムエルは「神の箱が安置されていた主の神殿に寝ていた」とありますが、シナイ山でモーセに与えられた十戒を刻む石の板を納めた契約の箱は、まだシナイ半島の砂漠に滞在していた時の幕屋、すなわち必要に応じて自由にその場所を移動することのできる大きなテントの中に置かれていました。特定の地所での神殿は、ダビデ王がエルサレムを占領し、その後継者ソロモン王が立派に建設するまではまだ無かったからでした。少年サムエルは、契約の箱のあるその大きな幕屋の片隅を自分の寝どころとしていたのだと思われます。四度目の神の呼びかけに、サムエルが祭司エリの勧めに従って「どうぞ、お語り下さい。僕は聞いています」と神に申し上げた言葉は、大切だと思います。この世の出来事や情報だけに心を向け、自分の考えに従って生きるのではなく、何よりも私たちの心の奥に呼びかけておられる神の声に心の耳を傾け、そのお言葉に従って生きる生き方を、神は私たちからも求めておられると思うからです。まずその神の隠れた現存に対する信仰を新たにしながら、何も聞こえなくても、神に心の耳を傾けながら毎日少しの時間、神と共に「神の僕」として静かに留まるように心掛けてみましょう。そのように心がけていますと、やがてはその神が自分の心の中でもそっと働いて下さるのを、実感するようになります。

    本日の第二朗読に読まれる、「あなた方の体は神から戴いた聖霊が宿って下さる神殿であり、あなた方はもはや自分自身のものではないのです。あなた方は代価を払って買い取られたのです。だから、自分の体で神の栄光を現しなさい」という使徒パウロの言葉も、大切だと思います。大きな善意からではあっても、神のため自分の人間的考えを中心にして何かを為そうとする信仰生活は、まだ神の霊の器・神殿としての生き方ではなく、悪く言うなら、神の愛と働きを人間側から利用しようとする生き方だと思います。もちろん、それでも神を信じない生き方よりは増しですから、憐み深く寛大な神は、そのような信仰者の願いにもお耳を傾けて下さるでしょう。しかし、いつまでも人間の考えや意欲中心のその生き方に留まり続け、そこから抜け出て神中心の生き方へと高く昇ろうとしないなら、私たちの体を神殿としてその中に宿っておられる聖霊の期待を無視することになり、聖霊を悲しませるのではないでしょうか。前述した使徒パウロの言葉は、そのような自分中心・人間中心の信仰生活を続けている人たちに対する警告であると思います。私たちの体は神の聖霊の神殿であって、自分の考えや意欲を無にして、サムエル預言者のように徹底的に神の僕として神のお考え通りに生きようと心掛ける時に、神はこの体を御自身の神殿としてお住み下さり、私たちの上にも周辺の人々の上にも豊かな恵みを与えて下さるのではないでしょうか。


    ただ神に熱心に祈り求めるだけ、神が働いて下さるのを待つだけというのでは足りません。私たちの側でも、日常の小さな出会いや出来事の中で、神への愛や従順などを実践的に表明する必要があると思います。本日の福音によると、洗礼者ヨハネは歩いて通り過ぎられる主イエスを見て、一緒にいた二人の弟子ヨハネとアンデレに「見よ、神の小羊だ」と話しました。すると二人の弟子はその主の後について行きました。主は二人のこの小さな実践を受け止めて働いて下さいます。そして二人とその兄弟たちが、やがて主の使徒となって働く恵みにまで、お導き下さったのです。やはり平凡な日常生活の中での小さな出会いを大切にし、神よりのものと思うものには積極的に従おう、協力しよう、奉仕しようとする小さな実践の積み重ねが、私たちの上に神の豊かな祝福を齎すのではないでしょうか。神は隠れた所からいつも私たちに伴っておられ、私たちの全ての行いを見ておられるという信仰を新たにし、その信仰の内にいつも神と共に生きるよう心がけましょう。

2015年1月4日日曜日

説教集B2012年:2012年主の公現(三ケ日)

第1朗読 イザヤ書 60章1~6節
第2朗読 エフェソの信徒への手紙 3章2,3b,5~6節
福音朗読 マタイによる福音書 2章1~12節

   イザヤ書の40章から55章までは第二イザヤの預言、56章から最後の66章までは第三イザヤの預言とされていますが、第二イザヤの預言に励まされ大きな夢と希望を抱いてバビロンから帰国した神の民は、エルサレムの荒廃の酷さに極度の落胆と失望を覚えたと思います。その時の現実は、確かに絶望的であったと思います。しかし、その絶望的現実に直面して神に心の眼を向け、神による導きと助けを願い求めつつ、困苦欠乏に耐えてこつこつと美しい未来を築こうとするのが、真の信仰だと思います。その忍耐強い実践的信仰と希望のある所に、全能の神からの導きと助けが働き始めてエルサレムは再び建て直され、明るく輝き始めるのですから。第三イザヤは、暗い貧困と欠乏の闇に覆われているエルサレムの上に働き出そうとしている神の力に眼を向けながら、本日の第一朗読の言葉を語っているのだと思います。「見よ、闇は地を覆い暗黒が国々を包んでいる。しかし、あなた(エルサレム)の上には主が輝き出で、主の栄光があなたの上に現れる」「エルサレムよ、起きよ、光を放て。あなたを照らす光は昇り、主の栄光はあなたの上に輝く」「国々はあなたを照らす光に向かい、王たちは射し出でるその輝きに向かって歩む。目をあげて見渡すがよい。みな集いあなたの許に来る。云々」と。

   その預言の後半には、「駱駝の大群、ミディアンとエファの若い駱駝が、あなたの許に押し寄せる。シェバの人々は皆、黄金と乳香を携えて来る」というような、ソロモン王時代の繁栄を思わせるような言葉も読まれますが、その言葉通りの事が旧約末期のエルサレムに起こってはいません。しかし、多少なりともソロモン時代の繁栄を思わせ、偲ばせるような繁栄が、キリスト時代のエルサレムに実現しています。第三イザヤはその繁栄を、ソロモン時代のイメージで予告したのでしょうか。ローマのアウグストス皇帝の政策によって、長く続く国際的平和が打ち立てられ、シルクロード貿易が盛んになって商工業が大きく発展しましたが、その政策に積極的に協力して巧みに大儲けをしたヘロデ大王が、ニカノールという天才的建築師をギリシャから招聘し、大きな美しい大理石を大量に輸入して、それまでよりも遥かに大規模に美麗なエルサレム神殿を建て直したら、当時の世界各地から無数の巡礼団や国際貿易商たちがエルサレム神殿を訪れるようになりました。ソロモン王の宮殿の残骸が残っていた広大な敷地は、神殿の外庭として綺麗に整地され、それを囲んで大きな大理石の円柱が四列に並んで美しい屋根を支えている「ソロモンの回廊」が完成すると、その外庭では異邦人も自由に入って祈ったり献金したりすることができましたので、中央の大きな門の両脇に少し小さな門を配置した、大小三つの大理石の「美しの門」を見るためにも、大勢の異邦人がエルサレム神殿を訪れるようになりました。また新約聖書の諸所に読まれるように、雨や日照を避けて会合できる大きな「ソロモンの回廊」では、ラビたちも主イエスも使徒たちも、よく民衆に対する説教などをしていました。

   しかし、エルサレムがこのように大きく豊かに発展し、無数の異邦人がその神殿を訪れて神に祈る時代になっているのに、そこに住む神の民が、神から派遣されたメシアの新しい呼びかけを正しく識別せずに、自分たちの社会や経済や富中心の価値観に留まり続けていましたら、神はそのエルサレムを紀元70年に戦火によって徹底的廃虚としてしまわれました。神中心の信仰と価値観に生きていなかったからでした。現代の私たちも、気を付けましょう。現代の人類は、当時のユダヤ人とは比較にならない程豊かにまた自由に生活していますが、主キリストの福音を正しく受け止めて、心の底から神中心の生き方へと悔い改めなければ、外的には繁栄の絶頂に差し掛かっているように見える現代世界は、各種の内部分裂によって徹底的に崩され、2千年前のエルサレム神殿と同様に廃虚とされてしまうかも知れませんから。福音書を読みますと、キリスト時代のユダヤには悪魔に憑かれた人が多かったように見えますが、使徒ヨハネの第一書簡2章には、反キリストの多く出現することが終りの時の徴とされています。当時のエルサレム滅亡の数年前、十数年前には、多くの真面目な人たちや役職者たちが次々と突然に刺し殺されています。現代の人類社会にも、悪霊たちの唆しによるのか、それよりはもっと過激な自爆テロや無差別殺人などが多発しています。これからの現代社会は次第にそれらの出来事を阻止し抑止する力を失って、社会不安が急速に広まり深刻化するのではないでしょうか。既に経済や政治の分野でも、様々の乱れや分裂が始まっているように見えます。

   本日の福音の始めには「ヘロデ王の時代に」とありますが、大規模な国際的経済発展の流れに乗って、エルサレム神殿を大きく美しく増改築し、それによってエルサレムの都をもそれまでとは比較にならない程豊かにしつつあった外的功績のため、「ヘロデ大王」とまで呼ばれていた国王が支配していた時、神はその社会の貧しい下層民の所に神の御子メシアをか弱い幼児となしてお遣わしになりました。その誕生を、予てから予告されていた星の徴によって知った東方の星占いの博士たちに、遠路はるばるその幼児を訪ねさせ、拝ませるようお計らいになりました。彼らがエルサレムに来てヘロデ王を訪ね、「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。私たちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです」と話したら、王はすぐにその幼児が予ねて預言者たちによって予告されていたメシアであると理解し、メシアがどこに生れることになっているかを、祭司長や律法学者たちから聞き出して、博士たちをベトレヘムへ送り出しました。しかしその時、密かに博士たちを呼び寄せて星の現れた時期を確かめてから、「行ってその子のことを詳しく調べ、見つかったら知らせてくれ。私も行って拝もう」と依頼しました。博士たちからの詳しい知らせを得てから、自分の支配権を危険にするその幼児を殺害しよう、と考えたのだと思います。しかし、神の介入によって王のこの計画は見事に裏切られ、夢でヘロデ王の計画を知らされたヨゼフは、夜闇の内に幼児とその母マリアを連れてエジプトに逃れ、博士たちからの贈り物を生活費として、ヘロデ王が死ぬまでエジプトに滞在していました。


   終末時代の様相を濃くすると思われるこれからの現代社会においても、神との心の繋がりを祈りによって深め、聖家族たちのように、貧しさを厭わずに神への愛と徹底的従順に生きるよう心がけるなら、社会がどれ程乱れても、神から不思議に護り導かれて、全ての困難・危険に耐えて逞しく生き抜くことができると信じます。どんな不安や苦難をも恐れないようにしましょう。それらは全て、私たちの心を一層深く神へと導くもの、神の内に一層強く生きさせるものだと思います。主の公現の祭日に当たり、主は助けを必要としている貧しい人々の中で私たちに現れ、私たちの信仰と愛をお受けになることを忘れないように致しましょう。

2015年1月1日木曜日

説教集B2012年:2012年神の母聖マリアの祝日(三ケ日)

第1朗読 民数記 6章22~27節
第2朗読 ガラテヤの信徒への手紙 4章4~7節
福音朗読 ルカによる福音書 2章16~21節

   皆様、新年おめでとうございます。元日は「国民の祝日」で、わが国では古来全ての人が仕事を休み、新しい年を迎えたことを祝賀し合って来ました。それでローマ教皇庁は、公会議後にカトリック典礼や祝日表の見直しが行われた時、日本の教会に、元日をカトリック者の「守るべき祭日」とするよう強く勧めたそうですが、当時の日本の司教団は、まだカトリック国になっていない日本では、元日にカトリック者でない友人・知人が年始回りに来訪することが多いなどの理由で「守るべき祝日」にはせず、ミサに出席するか否かは各人の自由に任せようとしました。しかし、教皇庁からの重ねての強い要請を受けて、遂にクリスマスと元日との二日を、日本におけるカトリック教会の「守るべき祭日」と定めました。けれども、それ以前には元日は日本で「守るべき祝日」とされていなかったので、司教団のこの決定を知らずにいる信徒も多く、教会も信徒たちに元日を「守るべき祭日」として強調しなかったので、日曜毎にミサに出席する信徒でも、元日のミサには来ない人が多いように見受けます。しかし、今年は元日が日曜なので、ミサに出席している信徒が多いのではないでしょうか。この機会に、各教会で元日が日本では「守るべき祭日」であることを信徒に周知させて欲しいと思います。

   年の初めの元日はどこの国でもお祝いされていますが、アジアではまだ伝統的な太陰暦の元日、すなわち一カ月程後のお正月を大きく祝っている国が少なくありません。わが国でも昔は同様でしたが、しかしアジア諸国に先んじて明治5年に太陽暦を導入し、欧米諸国と一致して太陽暦の元日の方をより大きく祝うようにして来ました。察するに、40年程前のローマ教皇庁は日本人のこの積極性を高く評価し、昔は幼児イエスの割礼の記念日、イエスと命名された記念日とされていた元日を、新しく「神の母マリアの祭日」として祝われることになった機会に、せめて元日が全国的に大きく祝われている「日出る国」日本では、この日をカトリックの「守るべき祭日」として祝い、全世界の教会にアピールして欲しいと、一旦は日本の司教団に拒否されても屈せずに強く依頼し、日本カトリックの「守るべき祭日」にしてもらったのではないでしょうか。この祭日は後に「世界平和の日」ともされ、全教会が世界平和のために聖母の取次を願いながら祈る日とされています。教皇のこのような期待に応え、私たちも世界のカトリック教会の先端に立って聖母の取次を願いつつ、世界平和のためこのミサ聖祭を捧げましょう。

   一週間前のクリスマスの説教に、私はこの2012年に今の世界は一つの大きな転換期を迎えるのではないかというような話をしましたが、事実この一月には注目されている台湾の総選挙が行われ、三月にはロシアで大統領選挙、五月にフランスで大統領選挙、十一月にはアメリカで大統領選挙が行われます。そして中国でも今年の秋の第18期党大会で、国家主席が交代することになっています。四月に行われる一院制の韓国国会議員選挙の結果も、2週間前に急死した金日成(   )の後を継いだ金正恩(   )の北朝鮮が、どのような動きを示すかも気になります。今年はやはり、世界が大きく変動する年になるかも知れません。本日の第一朗読には、神がモーセにお与えになったイスラエルの民を祝福する言葉が読まれますが、この三カ条の祝福の言葉は、その時以来旧約時代の終りまで、毎年祭司がイスラエルの民に向かって唱える伝統となっていました。現代の私たちも、神から授けられたその祝福の言葉を、新たに受け継いで全人類のために唱え、各種の大きな悩みや困難を抱えている現代の人類の上に神の祝福を祈り求めましょう。

   クリスマスの日中の説教にも申しましたが、昨年九月下旬にドイツ政府の招請で三度目に故国ドイツを訪問し、この機会に初めて東ドイツにまで足を伸ばした今のローマ教皇は、現代世界の趨勢に合わせて司祭の独身性を廃止し、女性の司祭職を導入せよなどの様々の要求を突きつける、かなり強いマスコミ批判に曝されました。教皇は伝統を重視しそれにはっきりと抗弁なさいましたが、今のドイツ社会は保守的教皇のそのような伝統的見解を全く無視しています。ローマ教皇は、今後も増々激しく今の人類社会から批判や攻撃を受けるのではないでしょうか。福音書を読みますと、二千年前のユダヤには救い主の出現に対抗して数多くの悪霊が働き始めたようですが、終末的様相を呈している現代にも、無数の悪霊たちが働き始めているのではないでしょうか。これまでの社会には見られなかったような悲惨な殺人行為や無差別殺戮が、日本でも欧米でも多発しています。しかもその殺戮犯自身は生真面目に生活して来たおとなしい人間であって、自分がなぜそのような殺人行為に走ったのか、その理由が自分でもよく分からず、精神医にまわされて精神鑑定を受けたりしています。魔が差したのではないでしょうか。政治不安・社会不安・経済不安がいや増すと思われるこれからの終末的時代には、諸国・諸民族の伝統的流れが根底から崩れ始め、同時に悪霊たちの働きも私たちの想定を絶する程激しく、頻繁になるのではないでしょうか。神の婢としての生き方を堅持しておられた聖母は、それらの悪霊たちに対抗して神中心・キリスト中心の精神で生活するようにと、魔の差す出来事の多発する不安な時代に生きる私たちに、強く呼びかけておられると思います。年の初めに当たり、聖母と共に神中心・キリスト中心に生きる決意を新たに堅めて、神にお捧げ致しましょう。


   本日の福音には、羊飼いたちが「飼い葉桶に寝かせてある乳飲み子を探し当てた」とありますが、十字軍遠征の失敗で聖地に行けなくなった時代に生まれ育ったルネサンス画家たちは、この言葉から当時のイタリアの田舎町の町外れに多く見られた家畜置き場を連想し、そのような家畜置き場で生まれた救い主の美しい絵を数多く描きました。私もイタリアの田舎町の病院付き司祭の代わりとして、2週間余り滞在した時にそのような家畜置き場を見たことがありますが、しかし、ルネサンス人たちの想像は、それ以前の古代教会の言い伝えとは違います。天使ははっきりと「ベトレヘムの町の中に生まれた」と告げていますし、事実4世紀にコンスタンチヌス大帝の母へレナ皇后が現地のキリスト者たちの伝えを精査した上で確認した救い主の生誕地は、今のベトレヘム市中心部から100m程の所にあり、2千年前にはダビデ家の人々が住んでいた、ギリシャ語でカタリマと言われていた広間へのぼる階段の下にある、驢馬などを繋いで置く所、現代の自家用車置き場のような所だったようです。そこは道路からすぐに見える所でしたから、羊飼いたちは当時人口2千人程の小さな町ベトレヘムの中心部近くで、簡単にその幼子を見出すことができたと思われます。なお、当時は驢馬が庶民のごく普通に所有する家畜で、馬は支配者の配下にある軍人の所有物でしたから、ルネサンス画家たちのように馬や牛を幼子メシアの傍に描くのは、時代錯誤だと思います。エルサレム入城の時にも、メシアは驢馬に乗って入城なさいました。…..