朗読聖書: Ⅰ. 使徒 2: 42~47. Ⅱ. ペトロ前 1: 3~9. Ⅲ. ヨハネ福音 20: 19~31.
① 主の復活後に生まれ、多くの入信者を獲得しつつあった一番最初の教会について述べている本日の第一朗読には、「すべての人に恐れが生じた」という注目に値する言葉が読まれます。初期のキリスト教入信者たちは、単に新しい運動に対する憧れや人間的な助け合い精神などに引かれて集まって来たのではなく、同時に何か共同の大きな恐れの念をもって互いに寄り添い、助け合っていたのではないでしょうか。いったい何を恐れていたのでしょうか。主は世の終わりについての預言の最後に、「あなた方によく言っておく。これらの事が全て起こるまでは、今の時代は過ぎ去らない。天地は過ぎ去るが、私の言葉は過ぎ去ることがない」(ルカ21:22~23)とおっしゃったことが、マタイ、マルコ、ルカのどの福音書にも書かれていますが、このお言葉とその他幾つかの主のお言葉から、メシアが再臨なさる終末の時は近いのだという緊迫感が、初期のキリスト者たちの間に強かったと、聖書学者たちは考えています。
② 本日の第一朗読に、「信者たちは皆一つになって、全ての物を共有にし、財産や持ち物を売り、おのおのの必要に応じて皆それを分け合った」だの、「毎日ひたすら心を一つにして神殿に参り、家ごとに集まってパンを裂き、喜びと真心をもって一緒に食事をし、神を賛美していた」などとあるのも、間もなく終末の大災害がノアの洪水の時のように突然に訪れて、罪に穢れたこの世の富も権力もすべて崩壊させる時が来るのだ、ただ信仰に生きる人たちだけが救われるのだという、緊迫した恐れの雰囲気が皆の心を捉えていたからではないでしょうか。旧約聖書には「主を畏れることは知恵の初め」(箴言1:7, 9:10) だの、「主を畏れることは宝である」(イザヤ33:6)など、神に対する畏れの大切さを説く言葉が少なくありませんが、各人が緊迫した畏れの心を一つにして真剣に祈る共同的祈りのある所に、神の霊も生き生きと働き、使徒たちによって多くの不思議な業と徴が行われていたのではないでしょうか。
③ 私たちの信仰生活にそのような不思議がほとんど伴っていないのは、まだ緊迫した畏れの心を一つにして真剣に祈っていないからではないでしょうか。豊かさと便利さが溢れる程にある今の生活事情の中で、私たちの奥底の心はまだ半分眠っているのかも知れません。しかし、強いて人為的に神への畏れの心を煽り立てないよう気をつけましょう。いずれ時が来れば神の霊が働いて下さり、信仰に忠実な人々の心が不穏な事態の切迫を鋭敏に感知し、互いに心を一つにして祈り始める時が来ると思います。その時、神の導きに従って適切に行動できるよう、初代教会の模範を心に銘記しながら、いつも神と共に生きる生き方を今からしっかりと身に付け、危機の到来に備えていましょう。
④ ミサ中の朗読聖書は三年の周期で、朗読箇所がA・B・Cといろいろに変化していますが、今年はA年で復活節主日の第二朗読はペトロの第一書簡から朗読され、来年のB年にはヨハネの第一書簡から、再来年のC年には黙示録から朗読されることになっています。教会史学者たちの見解によると、本日の第二朗読であるペトロの第一書簡は、ローマでキリスト者を火刑にするなどの残酷な迫害を始めたネロ皇帝のギリシャ歴訪が公になった段階で、ギリシャ、小アジア地方の教会に宛てて書かれた書簡とされています。ペトロはキリスト者人口の多いギリシャでも迫害が始まるかも知れないと恐れて、この書簡を書き送ったのだと思われます。従ってその書簡には、ローマでの迫害を連想させる表現が幾つか読まれますが、これについてはいつかまた別の機会の説教で説明致しましょう。
⑤ 本日の朗読箇所にも、「あなた方の信仰は、その試練によって本物とされ、火で精錬されながらも、云々」と、ネロが迫害に使った「火」という言葉が登場しています。ペトロは火のように容赦しないネロの迫害を終末が近い徴と考えたようで、この書簡の4章には「万物の終わりが近づいています。心を確かにし、身を慎んでよく祈りなさい。云々」と勧めていますし、本日の朗読箇所にも、「あなた方は終わりの時に現されるように準備されている救いを受けるために、神の力により信仰によって守られています」という言葉が読まれます。ペトロとパウロの殉教後、68年6月に、ガリヤにいた正規軍の叛乱に呼応してローマにいた近衛兵たちも叛旗を翻したため、ネロは自殺し、迫害はすぐに終わって世の終わりにはなりませんでしたが、しかし、初期のキリスト者たちが主キリストの再臨する終末の時、大災害到来の時は近いと信じつつ、大きな恐れの内に過ぎ去る事物に対する執着を断ち切り、ひたすら神の方に眼を向けながら、一つ心になって祈ったその熱心は、高い評価に値すると思います。神もその祈りに応えて、数々の奇跡や徴をお示しになったようです。
⑥ 現代の私たちは、その熱心を失っているのではないでしょうか。頭では世の終わりが来ることを信じ、近い将来に東南海大地震が発生すると予告されていることも知ってはいますが、心の眼を神の方に向けて熱心に祈り信頼心を深めるよりも、この世の社会や他の人々の動きの方にだけ目を向けて、その時になれば皆諸共だなどと、ノアの時代に滅んで行った神信仰に不熱心な人々のように考えたり、生活したりしているのではないでしょうか。恐怖を煽り立てることは慎まなければなりませんが、しかし、神に対する信頼と復活信仰の熱心を新たにしながら、終末の時のためにこれまでの生き方に死に、ひたすら神中心に生きるよう心を整え、準備していましょう。この観点から読み直す時、ペトロの第一書簡は私たちの信仰生活に多くの示唆を与えており、それは古来、洗礼式の説教にも引用されることの多かった書簡でもあります。キリスト教信仰生活は、自分中心の古い命に死んで主キリストの新しい命に生かされることを特徴としていますが、その恵みは特に洗礼の秘跡によって豊かに与えられるからだと思います。
⑦ 本日の福音は、23節までの前半と、それ以降の後半部分に読まれる二つの出来事から構成されていますが、この両者は三つの点で共通しています。どちらも「週の初めの日」すなわち日曜日の出来事で、復活なされた主は戸に鍵をかけて閉めてあるのに、そこを通り抜けて弟子たちのいる部屋の真ん中にお立ちになります。そして「あなた方にシャローム(平和) があるように」という言葉で挨拶しておられます。主はなぜ、ユダヤ人たちが伝統的に最も大切にしていた週末の安息日にではなく、「週の初めの日」すなわち日曜日に復活なされ、弟子たちにもいつも日曜日に出現なされたり、彼らに聖霊を日曜日に注いだりなされたのでしょうか。察するに、神によって新しく生まれた神の民が日曜日を最も大切な日とするように、しかし、ユダヤ人たちのように戸を閉めて家の中にいることの多い安息日としてよりは、むしろその日を主の復活を記念し感謝する日として特別に大切にし、その恵みを世の人々にも積極的に宣べ伝える日とさせるためなのではないでしょうか。そうだとすると、日曜日には積極的に自分の小さな殻から抜け出て、神と人々への無償奉仕のために祈ること、何かの善業に努めることが大切だと思います。
⑧ 戸を通り抜けて弟子たちの前に出現なされた主は、もはや死ぬことのないあの世の霊的体に復活さなれたことを示しています。何事もこの世での自分の経験に基づいて考え勝ちな人間理性にとっては、夢のような現実ですが、主は「見なくとも信じる人は幸い」と言明なさいます。そのお言葉に従って、頭で理解できなくても、心の意志で信じましょう。そしてその信仰を神に、自分の態度や言葉で表明するように心がけましょう。すると不思議な程、神が私たちのその実践的信仰に応えて働いて下さるのを体験するようになります。そして主が実際に復活なされたことを確信するようになります。本日の福音の最後に、使徒ヨハネは「あなた方が、イエスは神の子であると信じるためであり、信じてイエスの名により命を受けるためである」と書いていますが、私たちを主の復活の命とその喜びに参与させるものは、そのような心の信仰実践であって、理知的な頭の信仰に留まっていては絶対に足りないということを、忘れないように致しましょう。
2008年3月30日日曜日
2008年3月23日日曜日
説教集A年: 2005年3月27日:2005年復活の主日(三ケ日)
朗読聖書: Ⅰ. 使徒 10: 34a, 37~43. Ⅱ. コロサイ 3: 1~4. Ⅲ. ヨハネ福音 20: 1~9.
① 40年程前に閉会した第二ヴァチカン公会議が、プロテスタント諸派の人々に大きく心を開いて、共に現代世界の救いのために働こうとする路線を打ち出すと、ちょうどその頃にプロテスタントの若手学者たちの間で持て囃され、広まり始めた聖書学者ルドルフ・ブルトマン(1884~1976) の流行思想が、カトリックの若手聖書学者たちの間でも持て囃され、日本のカトリック界でも、学生紛争が盛んであった1969年、70年頃に、無学なガリラヤ出身の弟子たちが、キリストの埋葬された墓が空になっているのを見て驚き、感激して、やがてキリストは復活したのだと言い出し、それを一般民衆の間に言い広めたのだ、などと言う勝手な解釈や見解が、カトリック出版物などに盛んに書かれたことがありました。しかし、幸いすぐに年輩の聖書学者たちから厳しく批判され、そんな流行思想は70年代前半に消えて行きました。
② ルカ福音書24章によりますと、ガリラヤ出身の弟子たちは主の受難死にあまりにも大きなショックを心に受けていたのか、復活の朝に墓地に行って主のご遺体が墓にないのを見つけた婦人たちが、二人の天使から、主が予言通りに復活なされたのだと知らされて、そのことの次第を残らず弟子たちに報告しても、婦人たちのその話をたわごとのように思って、なかなか信じようとはしなかったようです。後で主が実際に彼らの真ん中にご出現になって挨拶なされても、彼らは始めのうちは驚きおののいて、幽霊を見ているのだと思っていたようです。それで主は、「なぜ怯えているのか。なぜ心に疑いを抱くのか。私の手や足を見なさい。まさしく私自身だ。手を触れて確かめなさい。幽霊には肉も骨もないが、あなた方が見るように、私にはそれがある」などとおっしゃって、彼らの持っていた焼き魚一切れを食べて見せたりしておられます。復活の主は、その後も幾度も彼らにご出現になって、彼らが数多くの体験により、あの世の霊的体への主の復活を堅く信ずるに到るよう、懇切に導いておられます。従って、主キリストの復活に対する信仰は、無学な弟子たちが単に空になっている墓を見てすぐに興奮し、その熱狂的になった心で主の幻を見たりしながら言い広めたものではありません。
③ 本日の福音は、弟子たちが見たその一番最初の出来事、すなわち主が復活なされた朝に、マグダラのマリアから知らせを受けて、主のご遺体が葬られた墓が空になっているのを、ペトロと一緒に走って見に行き、確認した使徒ヨハネの報告です。ヨハネは二日前の夕刻、その墓に主のご遺体を埋葬した人たちの一人だったのですから、そのご遺体が墓にないということは、ヨハネにとっては大きな驚きであったでしょうが、しかし彼は、その墓で見届けたことを冷静に細かく報告しています。キリスト時代のユダヤ人の間では遺体を石棺に入れる慣習はなく、遺体は横壁に掘られた窪みに寝せて置かれるのが普通でした。主のご遺体も、おそらくそのようにして寝せて置かれ、墓の外の入口が大きな石で閉じられていたのだと思われます。その埋葬に立ち会ったヨハネは、ご遺体が大きな亜麻布(オト二ア)に包まれて結ばれてあったように書いています。この結んだ(エデサン)という言葉を「巻いた」と誤訳して、包帯で包まれていたかのように翻訳しているプロテスタントの聖書もあったそうですが、権威ある聖書学者たちは、それは違うと退けています。4世紀末のパレスチナで聖書の研究をしていた聖ヒエロニモも、オトニアをラテン語で linteamina (大きな亜麻布) と正しく翻訳しています。
④ さて、犯罪人として処刑された人の遺体は、衣服は脱がされていますので、そのまま洗わずに亜麻布に包んで葬られました。ユダヤ教の規定では、死後に出た血はそのまま遺体と一緒に葬らなければならない、と定められていましたから。主のご遺体も、日没までの限られた時間内に急いで埋葬されたのですから、全身血で覆われたまま、大きな亜麻布に包んで置かれたのだと思われます。その血痕を留めているトリノの聖骸布は、そこに付着していたパレスチナ地方にしかない花の花粉などからも、実際に主のご遺骸を包んだ本物の亜麻布だと思います。聖骸布には、表の顔と裏の後頭部との間に25センチほどの空白がありますが、これが死人の口を塞ぐために、顎の下から頭の上にかけて巻いて縛った手ぬぐいの跡です。本日の福音では、それが「頭を包んでいた覆い」と邦訳されていますが、頭をすっぽり包んでいた「ほほ被りのような布」ではありません。誤解しないように致しましょう。
⑤ 主から特別に愛されていた使徒ヨハネは、亜麻布が抜け殻のように平らになっているのを見て、主のご遺体は誰かに盗まれたのではなく、婦人たちが天使から聞いた通りに、やはり復活したのではないかと考えたと思います。しかし、まだ旧約聖書の預言のことはよく知らずにいましたので、その考えは信仰にまでは至っていなかったのだと思います。先に墓に入ったペトロは、同じものを見ても唯いぶかるだけだったと思われますが、その後で墓に入ったヨハネは、主の復活を漠然とながらも既に信じ始めたのではないでしょうか。ですから、「見て信じた」と書いたのではないでしょうか。それは理知的に検証する頭の良さの問題ではなく、隠れている謎を発見する心の感覚、心のセンスの問題だと思います。ヨハネは主の愛を全身で受け止め、最後の晩餐の時にも、特別に心を込めて聖体拝領し、心の愛のセンスを磨いていたのではないかと想像されます。私たちも、使徒ヨハネの模範に学んで、主に対する心の愛のセンスを日頃から磨くよう心がけましょう。それが、主の復活をいち早く確信し、その信仰から大きな希望と喜びの恵みを受ける道だと思います。
① 40年程前に閉会した第二ヴァチカン公会議が、プロテスタント諸派の人々に大きく心を開いて、共に現代世界の救いのために働こうとする路線を打ち出すと、ちょうどその頃にプロテスタントの若手学者たちの間で持て囃され、広まり始めた聖書学者ルドルフ・ブルトマン(1884~1976) の流行思想が、カトリックの若手聖書学者たちの間でも持て囃され、日本のカトリック界でも、学生紛争が盛んであった1969年、70年頃に、無学なガリラヤ出身の弟子たちが、キリストの埋葬された墓が空になっているのを見て驚き、感激して、やがてキリストは復活したのだと言い出し、それを一般民衆の間に言い広めたのだ、などと言う勝手な解釈や見解が、カトリック出版物などに盛んに書かれたことがありました。しかし、幸いすぐに年輩の聖書学者たちから厳しく批判され、そんな流行思想は70年代前半に消えて行きました。
② ルカ福音書24章によりますと、ガリラヤ出身の弟子たちは主の受難死にあまりにも大きなショックを心に受けていたのか、復活の朝に墓地に行って主のご遺体が墓にないのを見つけた婦人たちが、二人の天使から、主が予言通りに復活なされたのだと知らされて、そのことの次第を残らず弟子たちに報告しても、婦人たちのその話をたわごとのように思って、なかなか信じようとはしなかったようです。後で主が実際に彼らの真ん中にご出現になって挨拶なされても、彼らは始めのうちは驚きおののいて、幽霊を見ているのだと思っていたようです。それで主は、「なぜ怯えているのか。なぜ心に疑いを抱くのか。私の手や足を見なさい。まさしく私自身だ。手を触れて確かめなさい。幽霊には肉も骨もないが、あなた方が見るように、私にはそれがある」などとおっしゃって、彼らの持っていた焼き魚一切れを食べて見せたりしておられます。復活の主は、その後も幾度も彼らにご出現になって、彼らが数多くの体験により、あの世の霊的体への主の復活を堅く信ずるに到るよう、懇切に導いておられます。従って、主キリストの復活に対する信仰は、無学な弟子たちが単に空になっている墓を見てすぐに興奮し、その熱狂的になった心で主の幻を見たりしながら言い広めたものではありません。
③ 本日の福音は、弟子たちが見たその一番最初の出来事、すなわち主が復活なされた朝に、マグダラのマリアから知らせを受けて、主のご遺体が葬られた墓が空になっているのを、ペトロと一緒に走って見に行き、確認した使徒ヨハネの報告です。ヨハネは二日前の夕刻、その墓に主のご遺体を埋葬した人たちの一人だったのですから、そのご遺体が墓にないということは、ヨハネにとっては大きな驚きであったでしょうが、しかし彼は、その墓で見届けたことを冷静に細かく報告しています。キリスト時代のユダヤ人の間では遺体を石棺に入れる慣習はなく、遺体は横壁に掘られた窪みに寝せて置かれるのが普通でした。主のご遺体も、おそらくそのようにして寝せて置かれ、墓の外の入口が大きな石で閉じられていたのだと思われます。その埋葬に立ち会ったヨハネは、ご遺体が大きな亜麻布(オト二ア)に包まれて結ばれてあったように書いています。この結んだ(エデサン)という言葉を「巻いた」と誤訳して、包帯で包まれていたかのように翻訳しているプロテスタントの聖書もあったそうですが、権威ある聖書学者たちは、それは違うと退けています。4世紀末のパレスチナで聖書の研究をしていた聖ヒエロニモも、オトニアをラテン語で linteamina (大きな亜麻布) と正しく翻訳しています。
④ さて、犯罪人として処刑された人の遺体は、衣服は脱がされていますので、そのまま洗わずに亜麻布に包んで葬られました。ユダヤ教の規定では、死後に出た血はそのまま遺体と一緒に葬らなければならない、と定められていましたから。主のご遺体も、日没までの限られた時間内に急いで埋葬されたのですから、全身血で覆われたまま、大きな亜麻布に包んで置かれたのだと思われます。その血痕を留めているトリノの聖骸布は、そこに付着していたパレスチナ地方にしかない花の花粉などからも、実際に主のご遺骸を包んだ本物の亜麻布だと思います。聖骸布には、表の顔と裏の後頭部との間に25センチほどの空白がありますが、これが死人の口を塞ぐために、顎の下から頭の上にかけて巻いて縛った手ぬぐいの跡です。本日の福音では、それが「頭を包んでいた覆い」と邦訳されていますが、頭をすっぽり包んでいた「ほほ被りのような布」ではありません。誤解しないように致しましょう。
⑤ 主から特別に愛されていた使徒ヨハネは、亜麻布が抜け殻のように平らになっているのを見て、主のご遺体は誰かに盗まれたのではなく、婦人たちが天使から聞いた通りに、やはり復活したのではないかと考えたと思います。しかし、まだ旧約聖書の預言のことはよく知らずにいましたので、その考えは信仰にまでは至っていなかったのだと思います。先に墓に入ったペトロは、同じものを見ても唯いぶかるだけだったと思われますが、その後で墓に入ったヨハネは、主の復活を漠然とながらも既に信じ始めたのではないでしょうか。ですから、「見て信じた」と書いたのではないでしょうか。それは理知的に検証する頭の良さの問題ではなく、隠れている謎を発見する心の感覚、心のセンスの問題だと思います。ヨハネは主の愛を全身で受け止め、最後の晩餐の時にも、特別に心を込めて聖体拝領し、心の愛のセンスを磨いていたのではないかと想像されます。私たちも、使徒ヨハネの模範に学んで、主に対する心の愛のセンスを日頃から磨くよう心がけましょう。それが、主の復活をいち早く確信し、その信仰から大きな希望と喜びの恵みを受ける道だと思います。
2008年3月16日日曜日
説教集A年: 2005年3月20日:2005年受難の主日(三ケ日)
聖書朗読: 入城の福音: マタイ21: 1~11. Ⅰ. イザヤ 50: 4~7. Ⅱ. フィリピ 2: 6~11. Ⅲ. マタイ福音 27: 11~54.
① 皆様、本日のミサの前には、主が御受難の数日前にメシアとしてエルサレムに入城なさった時の出来事を、ささやかながら記念する行列の入堂式がありましたので、始めにその時読まれた福音について少し考えてみましょう。マタイの福音書には「驢馬が繋いであり、一緒に子驢馬がいるのが見える」とあって、主が雌の驢馬にお乗りになったのか、それともその繋いである雌驢馬と一緒に繋がれていた子驢馬にお乗りになったのか不明ですが、他の三福音書にはいずれも子驢馬となっていますので、主は子驢馬に乗って入城なされたのだと思います。数日後のご死去の後、主はまだ誰も葬られたことのない新しい墓に埋葬されましたから、この時もまだ誰も乗ったことのない子驢馬にお乗りになったのではないでしょうか。
② 主がこの入城行進を、エルサレムのすぐ東隣りのベトファゲに来られてから、突然弟子たちに子驢馬を連れて来るよう指示してお始めになったのは、もしその計画があらかじめファリサイ派に知られていたり、あるいは歓迎する群衆があまりにも多すぎて長引いたりすると、敵対する人たちからローマ軍に騒擾罪の廉で訴えられたり、邪魔されたりする虞があったからだと思われます。ですから主は、メシアがその門を通って都に来ると信じられていた、エルサレム神殿の真東にある黄金の門まで、後2,30分という地点にまで来てから、突然電撃的にその入城行進をお始めになったのだと思います。理知的批判的なファリサイ派の人々が駆けつけて来た時には、主はもう黄金の門を目前にしておられて、やがて神殿の中にお入りになり、主を歓迎した群衆の騒ぎもすぐに収まったのだと思われます。
③ それでも、ヨハネ福音書の記事によると、その短時間で終わったメシアの入城行進に参加したのは、弟子たちとイェリコから主に伴って来た巡礼者たちだけではなく、過越しの祭りのために各地から既にエルサレムに来ていた、それよりも遥かに多くの巡礼者たちが、「ダビデの子にホザンナ」と叫ぶ弟子たちの声を聞いて、続々と都から出て来てメシアを出迎えたようです。それで、そこにやって来たファリサイ派の人々もその光景に驚き、「もう何もかもだめだ。見ろ、世はこぞってあの人についてしまった」などと、互いに言い合ったようです。
④ しかし、巡礼者の大群衆によるこの熱狂的歓迎行事のすぐ後から、メシアを葬り去ろうとする悪魔たちが走り回ったようで、事態はご存じのように、ユダの裏切りで大きく変わります。ユダの裏切りによってキリストの愛の御命が受難死を介してお体の外にまで溢れ出て、その御命が聖体の秘跡の形で私たちにも与えられるなど、メシアによる救いの業が完成したことを思いますと、メシアに対する裏切りはキリスト教の本質の一部で、その意味では、私たちもある意味でユダに感謝しなければならないように思います。主キリストも、それを予見しつつユダを使徒の一人にお選びになったのだと思います。裏切ってメシアを敵に渡すというその非常に難しい悪役を演じてしまったユダの改心を、一番強く望んでおられたのは、主ご自身だったのではないでしょうか。しかし、ユダがペトロとは違って改心しようとせず、逆に絶望してしまったことは、真に残念なことだったと思います。
⑤ でも、メシアを敵に渡したユダは地獄に落ちたなどという想像は、慎まなければならないと思います。自分の現世的夢が破れて裏切りに傾いてしまった人間的弱さの根深いユダではありますが、悪魔のように徹底的にメシアを憎んだのではありませんし、裏切ったことを深く後悔して自殺したのですから、その魂は死後も極度に苦しんだでしょうが、神の憐れみによって救われる時があったのではないでしょうか。私たちも主の聖心を自分の心として、神に背を向ける裏切り者たちを冷たく軽蔑することなく、大きく開いた温かい心でひたすらその改心を祈り、待ち続ける人であるよう努めたいものです。主は何よりも、そういう絶望的に苦しむ罪人を真っ先に招き救うために、救いのみ業を成し遂げられたのですから。
⑥ 本日のマタイ受難記の中では、主はほんの二言しか話しておられません。そこには、例えばルカ福音書にあるようなキレネの人シモンの手伝いも、主のお苦しみを見て泣く女たちも、改心する盗賊も、ヨハネ福音書に登場する十字架のすぐお側で最後まで見ていてくれる聖母や愛する使徒ヨハネやマグダレナのマリアも全て省かれていて、主は全ての人間から、いや天の御父からさえも見放され、全く孤独な絶望的状態でお亡くなりになったかのように描かれています。マタイは、多くの人の罪を背負わせられ、荒れ野に放逐されて死ぬ山羊スケープゴートのような、メシアの死の孤独を強調するため、このような描写の仕方をしたのかも知れません。しかし、主は日ごろ天の御父と深く結ばれて生きておられたのですから、外的に極度の孤独に見舞われたような時には、その弱って死に行く人の心の奥底に宿る神の威厳が一層力強く周辺の自然界に働き出して、観る眼を持つ人の心を動かし、感動を与えたり畏敬の念を抱かせたりしたのではないでしょうか。メシアの死と共に生じた地震やその他の出来事を見て、大きな恐れを覚えた百人隊長が「本当に、この人は神の子だった」と言ったのは、そのことを示していると思います。
⑦ 私たちも過ぎ行くこの世の人間関係の中での孤独を恐れずに、むしろその孤独をバネにして、ひたすら主キリストと内的に深く結ばれて生きるように心がけましょう。そうすれば、主の御力が死に行く私たちの体を介して大きく働いて下さり、周辺の人々にも豊かに救いの恵みを与えて下さると信じます。
① 皆様、本日のミサの前には、主が御受難の数日前にメシアとしてエルサレムに入城なさった時の出来事を、ささやかながら記念する行列の入堂式がありましたので、始めにその時読まれた福音について少し考えてみましょう。マタイの福音書には「驢馬が繋いであり、一緒に子驢馬がいるのが見える」とあって、主が雌の驢馬にお乗りになったのか、それともその繋いである雌驢馬と一緒に繋がれていた子驢馬にお乗りになったのか不明ですが、他の三福音書にはいずれも子驢馬となっていますので、主は子驢馬に乗って入城なされたのだと思います。数日後のご死去の後、主はまだ誰も葬られたことのない新しい墓に埋葬されましたから、この時もまだ誰も乗ったことのない子驢馬にお乗りになったのではないでしょうか。
② 主がこの入城行進を、エルサレムのすぐ東隣りのベトファゲに来られてから、突然弟子たちに子驢馬を連れて来るよう指示してお始めになったのは、もしその計画があらかじめファリサイ派に知られていたり、あるいは歓迎する群衆があまりにも多すぎて長引いたりすると、敵対する人たちからローマ軍に騒擾罪の廉で訴えられたり、邪魔されたりする虞があったからだと思われます。ですから主は、メシアがその門を通って都に来ると信じられていた、エルサレム神殿の真東にある黄金の門まで、後2,30分という地点にまで来てから、突然電撃的にその入城行進をお始めになったのだと思います。理知的批判的なファリサイ派の人々が駆けつけて来た時には、主はもう黄金の門を目前にしておられて、やがて神殿の中にお入りになり、主を歓迎した群衆の騒ぎもすぐに収まったのだと思われます。
③ それでも、ヨハネ福音書の記事によると、その短時間で終わったメシアの入城行進に参加したのは、弟子たちとイェリコから主に伴って来た巡礼者たちだけではなく、過越しの祭りのために各地から既にエルサレムに来ていた、それよりも遥かに多くの巡礼者たちが、「ダビデの子にホザンナ」と叫ぶ弟子たちの声を聞いて、続々と都から出て来てメシアを出迎えたようです。それで、そこにやって来たファリサイ派の人々もその光景に驚き、「もう何もかもだめだ。見ろ、世はこぞってあの人についてしまった」などと、互いに言い合ったようです。
④ しかし、巡礼者の大群衆によるこの熱狂的歓迎行事のすぐ後から、メシアを葬り去ろうとする悪魔たちが走り回ったようで、事態はご存じのように、ユダの裏切りで大きく変わります。ユダの裏切りによってキリストの愛の御命が受難死を介してお体の外にまで溢れ出て、その御命が聖体の秘跡の形で私たちにも与えられるなど、メシアによる救いの業が完成したことを思いますと、メシアに対する裏切りはキリスト教の本質の一部で、その意味では、私たちもある意味でユダに感謝しなければならないように思います。主キリストも、それを予見しつつユダを使徒の一人にお選びになったのだと思います。裏切ってメシアを敵に渡すというその非常に難しい悪役を演じてしまったユダの改心を、一番強く望んでおられたのは、主ご自身だったのではないでしょうか。しかし、ユダがペトロとは違って改心しようとせず、逆に絶望してしまったことは、真に残念なことだったと思います。
⑤ でも、メシアを敵に渡したユダは地獄に落ちたなどという想像は、慎まなければならないと思います。自分の現世的夢が破れて裏切りに傾いてしまった人間的弱さの根深いユダではありますが、悪魔のように徹底的にメシアを憎んだのではありませんし、裏切ったことを深く後悔して自殺したのですから、その魂は死後も極度に苦しんだでしょうが、神の憐れみによって救われる時があったのではないでしょうか。私たちも主の聖心を自分の心として、神に背を向ける裏切り者たちを冷たく軽蔑することなく、大きく開いた温かい心でひたすらその改心を祈り、待ち続ける人であるよう努めたいものです。主は何よりも、そういう絶望的に苦しむ罪人を真っ先に招き救うために、救いのみ業を成し遂げられたのですから。
⑥ 本日のマタイ受難記の中では、主はほんの二言しか話しておられません。そこには、例えばルカ福音書にあるようなキレネの人シモンの手伝いも、主のお苦しみを見て泣く女たちも、改心する盗賊も、ヨハネ福音書に登場する十字架のすぐお側で最後まで見ていてくれる聖母や愛する使徒ヨハネやマグダレナのマリアも全て省かれていて、主は全ての人間から、いや天の御父からさえも見放され、全く孤独な絶望的状態でお亡くなりになったかのように描かれています。マタイは、多くの人の罪を背負わせられ、荒れ野に放逐されて死ぬ山羊スケープゴートのような、メシアの死の孤独を強調するため、このような描写の仕方をしたのかも知れません。しかし、主は日ごろ天の御父と深く結ばれて生きておられたのですから、外的に極度の孤独に見舞われたような時には、その弱って死に行く人の心の奥底に宿る神の威厳が一層力強く周辺の自然界に働き出して、観る眼を持つ人の心を動かし、感動を与えたり畏敬の念を抱かせたりしたのではないでしょうか。メシアの死と共に生じた地震やその他の出来事を見て、大きな恐れを覚えた百人隊長が「本当に、この人は神の子だった」と言ったのは、そのことを示していると思います。
⑦ 私たちも過ぎ行くこの世の人間関係の中での孤独を恐れずに、むしろその孤独をバネにして、ひたすら主キリストと内的に深く結ばれて生きるように心がけましょう。そうすれば、主の御力が死に行く私たちの体を介して大きく働いて下さり、周辺の人々にも豊かに救いの恵みを与えて下さると信じます。
2008年3月9日日曜日
説教集A年: 2005年3月13日:2005年四旬節第5主日(三ケ日)
朗読聖書: Ⅰ. エゼキエル 37: 12~14. Ⅱ. ローマ 8: 8~11. Ⅲ. ヨハネ福音 11: 1~45.
① 皆様、温かい陽の光が天地に満ちて生物の命を目覚めさせ成長させて、それぞれの花を咲かせる美しい春の季節になりました。私は、私たちの修道院が建っているこの三ケ日町の風景は神様からの一つの大きなお恵みだと思って、常々神に感謝を捧げています。そして春には、正岡子規の「故郷やどちらを見ても山笑う」の句を少しもじって、「三ケ日やどちらを見ても山笑う」などと口ずさみながら、明るく微笑みつつ散歩したりもしています。春は、生き物である私たちの心も、耐え忍ぶことの多かった長い冬の眠りから新たに目覚めて、意欲的に働き出す時、そして希望と喜びの温かい光を放ちながら輝く時ではないでしょうか。私たちも、神の恵みに対する感謝を新たにし、喜びをもって生活するよう心がけましょう。
② 本日の第一朗読には、「私がお前たちの中に霊を吹き込むと、お前たちは生きる」という言葉が、また第二朗読には、「神の霊があなた方の内に宿っている限り、あなた方は肉ではなく、霊の支配下にいます」、「キリストを死者の中から復活させた方は、あなた方の内に宿っているその霊によって、あなた方の死ぬ筈の体をも生かして下さるでしょう」という言葉が読まれます。ここで言われている「霊」は、神の霊、すなわち聖霊を意味しており、「肉」という言葉は、目に見えるこの世の過ぎ行く事物に囚われ、それらを自分中心に保持し利用しよう、そしてこの世で幸せになろうと努めている精神を指していると思います。神は、これまでこういう自力主義の肉の精神に操られ、この世の事物にだけ目を注ぐ肉の支配下に生活し勝ちであった私たちの中に、ご自身の清い愛の霊を吹き込んで、神の霊・神の力によって生かされ、導かれる存在、広い心で神と人を愛し、神の霊の支配下に清く美しく輝く存在にしてあげよう、こうして数々の誤謬と罪悪に充満して行き、やがて徹底的に崩される運命にあるこの世に生活していても、この世の罪に汚染されず、時が来たらそこから救い出される存在にしてあげようと、いま春を迎えて明るい希望の内に強く望んでおられるのではないでしょうか。私たちも、神のそのご期待に積極的に沿うよう心がけましょう。
③ 一週間前の主日と同様に本日の福音も長いですが、洗礼志願者のある教会では、それに加えて一つ特別の典礼もあります。私たちもこのミサ聖祭の中で、それらの教会の洗礼志願者たちのため祈りましょう。本日の福音に述べられているラザロの蘇りは、ヨハネ福音書に述べられている主がなされた七つの奇跡のうち、最後の最も大きな奇跡ですが、既に過越祭のためエルサレムに集まって来ていた群衆の間にこの奇跡の話が広まると、その数日後に行われた主の都入りに、エルサレムの東門から大群衆が迎えに出て、大歓迎行事になりました。ヨハネはその出来事を劇的に描きながら、ラザロの蘇りの奇跡を目撃した人々が、「その目撃したことを証ししたからである」と書いています。そして「ファリサイの人々は、もう何もかもだめだ、見ろ、世はこぞってあの人についてしまった、と互いに言い合った」とも付言しています。しかし、本日の福音の最後に、「イエスのなさったことを目撃したユダヤ人の多くは、イエスを信じた」とある言葉のすぐ後の話を読んでみますと、大祭司やファリサイ派たちはすぐに衆議会を招集して、「あの男は多くのしるしを行っている。このままにしておけば、皆彼を信じるようになる。そしてローマ人が来て、云々」と相談し合い、遂に主の処刑を決議しています。こうしてラザロの蘇りは、主の公生活を締めくくる奇跡となってしまいました。人に命を与えた奇跡が、主に死を齎してしまったのです。
④ 本日の福音には「イエスは心に憤りを覚えて」という言葉が二度も読まれましたが、主はいったい何に対してそんなに激しい怒りを感じられたのでしょうか。察するに、無数の人々に耐え難い程の死の苦しみや悲しみをもたらした悪魔に対してだと思います。その悪魔たちは、今ラザロを蘇らせようとしておられる主に対しても、殺害を企み策動しているのです。主はそれを覚悟の上で、死をも恐れずにこの大きな奇跡をなさったのではないでしょうか。私たちも主のように、自己犠牲を覚悟して人助けに挺身する時、神の霊に生かされて大きく輝き、人を助け救うことができると思います。その時にこそ、自己犠牲的な主の復活の力が、私たちの中で私たちを通して存分に働いて下さるのですから。神の命に内面から生かされ支えられて働くこの大胆な犠牲的生き方が、誤謬と罪悪の充満しつつある今の世における、キリスト教的生き方だと信じます。主のご受難を記念する聖金曜日を間近にして、私たちも神の御旨によって与えられた苦難の時、試練の時に、そのような大胆で美しい自己犠牲的生き方ができるよう、神に恵みと導きを願い求めつつ、本日のミサ聖祭を捧げましょう。
① 皆様、温かい陽の光が天地に満ちて生物の命を目覚めさせ成長させて、それぞれの花を咲かせる美しい春の季節になりました。私は、私たちの修道院が建っているこの三ケ日町の風景は神様からの一つの大きなお恵みだと思って、常々神に感謝を捧げています。そして春には、正岡子規の「故郷やどちらを見ても山笑う」の句を少しもじって、「三ケ日やどちらを見ても山笑う」などと口ずさみながら、明るく微笑みつつ散歩したりもしています。春は、生き物である私たちの心も、耐え忍ぶことの多かった長い冬の眠りから新たに目覚めて、意欲的に働き出す時、そして希望と喜びの温かい光を放ちながら輝く時ではないでしょうか。私たちも、神の恵みに対する感謝を新たにし、喜びをもって生活するよう心がけましょう。
② 本日の第一朗読には、「私がお前たちの中に霊を吹き込むと、お前たちは生きる」という言葉が、また第二朗読には、「神の霊があなた方の内に宿っている限り、あなた方は肉ではなく、霊の支配下にいます」、「キリストを死者の中から復活させた方は、あなた方の内に宿っているその霊によって、あなた方の死ぬ筈の体をも生かして下さるでしょう」という言葉が読まれます。ここで言われている「霊」は、神の霊、すなわち聖霊を意味しており、「肉」という言葉は、目に見えるこの世の過ぎ行く事物に囚われ、それらを自分中心に保持し利用しよう、そしてこの世で幸せになろうと努めている精神を指していると思います。神は、これまでこういう自力主義の肉の精神に操られ、この世の事物にだけ目を注ぐ肉の支配下に生活し勝ちであった私たちの中に、ご自身の清い愛の霊を吹き込んで、神の霊・神の力によって生かされ、導かれる存在、広い心で神と人を愛し、神の霊の支配下に清く美しく輝く存在にしてあげよう、こうして数々の誤謬と罪悪に充満して行き、やがて徹底的に崩される運命にあるこの世に生活していても、この世の罪に汚染されず、時が来たらそこから救い出される存在にしてあげようと、いま春を迎えて明るい希望の内に強く望んでおられるのではないでしょうか。私たちも、神のそのご期待に積極的に沿うよう心がけましょう。
③ 一週間前の主日と同様に本日の福音も長いですが、洗礼志願者のある教会では、それに加えて一つ特別の典礼もあります。私たちもこのミサ聖祭の中で、それらの教会の洗礼志願者たちのため祈りましょう。本日の福音に述べられているラザロの蘇りは、ヨハネ福音書に述べられている主がなされた七つの奇跡のうち、最後の最も大きな奇跡ですが、既に過越祭のためエルサレムに集まって来ていた群衆の間にこの奇跡の話が広まると、その数日後に行われた主の都入りに、エルサレムの東門から大群衆が迎えに出て、大歓迎行事になりました。ヨハネはその出来事を劇的に描きながら、ラザロの蘇りの奇跡を目撃した人々が、「その目撃したことを証ししたからである」と書いています。そして「ファリサイの人々は、もう何もかもだめだ、見ろ、世はこぞってあの人についてしまった、と互いに言い合った」とも付言しています。しかし、本日の福音の最後に、「イエスのなさったことを目撃したユダヤ人の多くは、イエスを信じた」とある言葉のすぐ後の話を読んでみますと、大祭司やファリサイ派たちはすぐに衆議会を招集して、「あの男は多くのしるしを行っている。このままにしておけば、皆彼を信じるようになる。そしてローマ人が来て、云々」と相談し合い、遂に主の処刑を決議しています。こうしてラザロの蘇りは、主の公生活を締めくくる奇跡となってしまいました。人に命を与えた奇跡が、主に死を齎してしまったのです。
④ 本日の福音には「イエスは心に憤りを覚えて」という言葉が二度も読まれましたが、主はいったい何に対してそんなに激しい怒りを感じられたのでしょうか。察するに、無数の人々に耐え難い程の死の苦しみや悲しみをもたらした悪魔に対してだと思います。その悪魔たちは、今ラザロを蘇らせようとしておられる主に対しても、殺害を企み策動しているのです。主はそれを覚悟の上で、死をも恐れずにこの大きな奇跡をなさったのではないでしょうか。私たちも主のように、自己犠牲を覚悟して人助けに挺身する時、神の霊に生かされて大きく輝き、人を助け救うことができると思います。その時にこそ、自己犠牲的な主の復活の力が、私たちの中で私たちを通して存分に働いて下さるのですから。神の命に内面から生かされ支えられて働くこの大胆な犠牲的生き方が、誤謬と罪悪の充満しつつある今の世における、キリスト教的生き方だと信じます。主のご受難を記念する聖金曜日を間近にして、私たちも神の御旨によって与えられた苦難の時、試練の時に、そのような大胆で美しい自己犠牲的生き方ができるよう、神に恵みと導きを願い求めつつ、本日のミサ聖祭を捧げましょう。
2008年3月2日日曜日
説教集A年: 2005年3月6日:2005年四旬節第4主日(三ケ日)
朗読聖書: Ⅰ. サムエル上 16: 1b, 6~7, 10~13a. Ⅱ. エフェソ 5: 8~14. Ⅲ. ヨハネ福音 9: 1~41.
① 本日の第一朗読には、神の命令によりサムエル預言者がダビデを神の民の王とするために注油したら、主の霊が激しく彼の上に降ったと述べられていますが、ユダヤ人の古い伝えによると、このダビデは父エッサイの不義の子、いわば私生児だったようです。ラビ・アハは次のように述べています。「聖人君子でも悪の誘い、性欲に振り回されることがある。たとえばエッサイは義人として尊敬されていたが、彼の不義の子として生まれたのが、後に名君となったダビデ王である。だからダビデは詩篇51に『母は私を罪の内に身ごもった』と述べ、詩篇27には『父母は私を見捨てた。しかし、あなた(神)は私を拾ってくれた』と言っている」と。この第二の引用は、私たちの唱えている詩篇では、「父母に見放されても、あなたは私を迎えて下さる」という日本語訳になっていますが、とにかくダビデは子供の頃、父エッサイには相応しくない女の産んだ子として、兄弟たちの中でも少し差別扱いを受けていたようです。それが、本日の第一朗読にも反映しています。子供たちを全部集めるようにと預言者から願われても、ダビデだけは除け者とされていたようですから。
② しかし、何よりも弱い者・小さい者の味方であられる神は、正にその除け者とされている人、この世の社会の価値観では存在価値がないとされている人の祈りを顧み、その人を介して多くの苦しんでいる人たちに豊かな救いの恵みを与えようとなさる神なのです。出エジプト記20章に記されているいわゆる神の十戒は、自由主義的文化圏では、とかく神に対する個人的倫理の立場から解説され勝ちですが、神がその冒頭に、「私は主、あなたの神、あなたをエジプトの国、奴隷の家から導き出した神である」と話しておられる言葉と関連させて読み直しますと、それは強い者勝ちのこの世の価値観に抑圧され、苦しんで来た者たちが互いに兄弟姉妹として助け合い、自由に愛し合って生きる社会を創り上げるための原則であり、古代の支配者たちが自分たちの支配権を正当化し保護する神々を次々と造り出して崇めさせ、国民の正義感や価値観を自分たちに有利になるよう牛耳っていたその集団的利己主義を、一神教は神の名によって全て排除し、愛の神中心の新しい正義感や価値観の内に、新しい大きな家族共同体を産み出すための宗教だったようです。
③ そこでは、この世の氏・育ち・家柄・能力などは重視されず、ただ神と人の愛に生きることだけが重んじられるのです。ダビデは王になっても、神の僕としてこの愛に忠実に生きようとしていました。しかし、その後で王位についた人々の中には、神の愛に生きようとはせず、古代の支配者たちのような価値観で弱い者・小さな者たちを抑圧する人たちが少なくありませんでした。それで神は、次々と預言者たちを神の民に送り込んで、初心に立ち帰るよう強い言葉で促し続けられたのです。この世の社会で苦しんでいる弱い者・小さい者たちを、抑圧から解放しようとなさる神の愛の御旨と働きは、新約時代に入っても変わりません。主は山上の説教の中で「私は律法と預言者を廃止するためにではなく、完成するために来た」と話されましたが、律法も預言者も皆、この世の支配者たちや強い者勝ちのこの世的価値観の下に抑圧され搾取されている人々を、その奴隷状態から解放し、全ての人が神の子らとして神の愛の内に、互いに自由に助け合って平等に仕合わせに生きるようにするもの、そして神の民の美しい社会を築くものであったことを、心に銘記していましょう。私たちの信仰生活は、主キリストにおいてその伝統を受け継ぐものなのですから。また豊かさと便利さの溢れる現代の資本主義社会においても、その陰にはまだ非常に多くの人が貧困ゆえに自由を奪われ、昔の奴隷たちのように働いているのですから。
④ 本日の第二朗読には、「あなた方は以前は暗闇でしたが、今は主に結ばれて光となっています。光の子として歩みなさい」とありますが、ここで言われている光は、この世の物質的な光ではありません。現代の都会では、部屋の中を夜昼人工的な電気の光で明るく照らし、屋外の夜の道路も明るく照らし出して、外的闇を全く無くしていますが、そういう明るさ一辺倒の中で生活していますと、次第に光明の美しさも有り難さも分からなくなり、昔の人たちのように夜空に輝く天の川や、無数の星々の壮大な美しさを味わうこともできなくなってしまいます。それは言わば、夜も人工的光で明るくされているビニール・ハウスの中で生きている家畜や植物のように、不自然な生き方を続けていることであり、次第に人間本来の心の能力を鈍化させたり、ばい菌に対する体の抵抗力を退化させたりして行くのではないでしょうか。そして知らない内に、心に神秘な内的闇が蓄積され広がって来るのではないでしょうか。神がお創りになった大自然の闇を厭わず、その闇の背後でも呼びかけておられる神の現存を信じてこそ、月や星の美しさに感動したり、太陽の光の美しさに喜びを覚えたりするようになると思います。これが、主に結ばれて主と共に、「光の子として歩む」生き方だと思います。
⑤ 本日の福音は、昔から洗礼志願者を闇から光へ導き入れる時に朗読されて来た福音で、聖アウグスティヌスは、シロアムの水で目を洗った盲人を洗礼志願者になぞらえた説教を残しています。シロアムは、「遣わされた者」(すなわちメシア)という意味の言葉です。主は唾で土をこねてその盲人の目に塗ったとありますが、人間の唾には殺菌力がありますし、昔のユダヤ人の所では眼病を癒す力があると信じられていたそうです。私たちの受けた洗礼は、もう過去のものとなってしまったのではなく、その洗礼の水は「生ける水」すなわち泉となって、今も私たちの魂の奥に働いています。そのメシアの泉で心の眼を洗い、光と闇の力とを正しく見分ける視力を回復させながら、救い主メシアにあくまでも忠実に従うよう努めましょう。
⑥ 本日の福音であるヨハネ9章25節から31節には、「知る」という動詞が6回も使われています。盲目を癒された人の言葉に4回、ファリサイ派の言葉に2回です。聖書についての理知的な頭の知識を豊かに持っていたファリサイ派は、自分の頭の中にあるその知識を中心にして、全てを判断し裁こうとします。「我々は神がモーセに語られたことを知っている。しかし、その人がどこから来たかは知らない」と、安息日に主が神の力によってなされた奇跡的治癒を頭から無視し、安息日に癒す人を罪人として排斥する厳しい態度で話しています。主がなされた奇跡的な神の業から、新しく謙虚に学ぼうとはしていません。それに対して目を癒された人は、神の力でしかなし得ない奇跡的治癒の体験に基づいて猛然と反発します。それで、遂に神殿の境内から追い出されてしまいました。しかし、彼が追放されたことをお聞きになった主が、再び彼の所に来て下さり、彼に神よりの人メシアを信ずる恵みを与えて下さいました。
⑦ 間もなく復活祭に受洗する今年の洗礼志願者たちも、主を信奉していない世の人々の考えに迷わされることなく、神よりの導きと救いの恵みとを正しく見分け、隠れて現存しておられる主と内的に出会って、恵みから恵みへと逞しく進むことができるよう、このミサ聖祭の中で主の助けと導きとを祈り求めましょう。同時に私たち自身も、自分の頭の知識に固執することなく、世の終わりまで人類社会の中に現存して、絶えず働いておられる主からの突然の示しや導きにも、神の僕・婢としてすぐに柔軟に従って行く決心を新たに致しましょう。
① 本日の第一朗読には、神の命令によりサムエル預言者がダビデを神の民の王とするために注油したら、主の霊が激しく彼の上に降ったと述べられていますが、ユダヤ人の古い伝えによると、このダビデは父エッサイの不義の子、いわば私生児だったようです。ラビ・アハは次のように述べています。「聖人君子でも悪の誘い、性欲に振り回されることがある。たとえばエッサイは義人として尊敬されていたが、彼の不義の子として生まれたのが、後に名君となったダビデ王である。だからダビデは詩篇51に『母は私を罪の内に身ごもった』と述べ、詩篇27には『父母は私を見捨てた。しかし、あなた(神)は私を拾ってくれた』と言っている」と。この第二の引用は、私たちの唱えている詩篇では、「父母に見放されても、あなたは私を迎えて下さる」という日本語訳になっていますが、とにかくダビデは子供の頃、父エッサイには相応しくない女の産んだ子として、兄弟たちの中でも少し差別扱いを受けていたようです。それが、本日の第一朗読にも反映しています。子供たちを全部集めるようにと預言者から願われても、ダビデだけは除け者とされていたようですから。
② しかし、何よりも弱い者・小さい者の味方であられる神は、正にその除け者とされている人、この世の社会の価値観では存在価値がないとされている人の祈りを顧み、その人を介して多くの苦しんでいる人たちに豊かな救いの恵みを与えようとなさる神なのです。出エジプト記20章に記されているいわゆる神の十戒は、自由主義的文化圏では、とかく神に対する個人的倫理の立場から解説され勝ちですが、神がその冒頭に、「私は主、あなたの神、あなたをエジプトの国、奴隷の家から導き出した神である」と話しておられる言葉と関連させて読み直しますと、それは強い者勝ちのこの世の価値観に抑圧され、苦しんで来た者たちが互いに兄弟姉妹として助け合い、自由に愛し合って生きる社会を創り上げるための原則であり、古代の支配者たちが自分たちの支配権を正当化し保護する神々を次々と造り出して崇めさせ、国民の正義感や価値観を自分たちに有利になるよう牛耳っていたその集団的利己主義を、一神教は神の名によって全て排除し、愛の神中心の新しい正義感や価値観の内に、新しい大きな家族共同体を産み出すための宗教だったようです。
③ そこでは、この世の氏・育ち・家柄・能力などは重視されず、ただ神と人の愛に生きることだけが重んじられるのです。ダビデは王になっても、神の僕としてこの愛に忠実に生きようとしていました。しかし、その後で王位についた人々の中には、神の愛に生きようとはせず、古代の支配者たちのような価値観で弱い者・小さな者たちを抑圧する人たちが少なくありませんでした。それで神は、次々と預言者たちを神の民に送り込んで、初心に立ち帰るよう強い言葉で促し続けられたのです。この世の社会で苦しんでいる弱い者・小さい者たちを、抑圧から解放しようとなさる神の愛の御旨と働きは、新約時代に入っても変わりません。主は山上の説教の中で「私は律法と預言者を廃止するためにではなく、完成するために来た」と話されましたが、律法も預言者も皆、この世の支配者たちや強い者勝ちのこの世的価値観の下に抑圧され搾取されている人々を、その奴隷状態から解放し、全ての人が神の子らとして神の愛の内に、互いに自由に助け合って平等に仕合わせに生きるようにするもの、そして神の民の美しい社会を築くものであったことを、心に銘記していましょう。私たちの信仰生活は、主キリストにおいてその伝統を受け継ぐものなのですから。また豊かさと便利さの溢れる現代の資本主義社会においても、その陰にはまだ非常に多くの人が貧困ゆえに自由を奪われ、昔の奴隷たちのように働いているのですから。
④ 本日の第二朗読には、「あなた方は以前は暗闇でしたが、今は主に結ばれて光となっています。光の子として歩みなさい」とありますが、ここで言われている光は、この世の物質的な光ではありません。現代の都会では、部屋の中を夜昼人工的な電気の光で明るく照らし、屋外の夜の道路も明るく照らし出して、外的闇を全く無くしていますが、そういう明るさ一辺倒の中で生活していますと、次第に光明の美しさも有り難さも分からなくなり、昔の人たちのように夜空に輝く天の川や、無数の星々の壮大な美しさを味わうこともできなくなってしまいます。それは言わば、夜も人工的光で明るくされているビニール・ハウスの中で生きている家畜や植物のように、不自然な生き方を続けていることであり、次第に人間本来の心の能力を鈍化させたり、ばい菌に対する体の抵抗力を退化させたりして行くのではないでしょうか。そして知らない内に、心に神秘な内的闇が蓄積され広がって来るのではないでしょうか。神がお創りになった大自然の闇を厭わず、その闇の背後でも呼びかけておられる神の現存を信じてこそ、月や星の美しさに感動したり、太陽の光の美しさに喜びを覚えたりするようになると思います。これが、主に結ばれて主と共に、「光の子として歩む」生き方だと思います。
⑤ 本日の福音は、昔から洗礼志願者を闇から光へ導き入れる時に朗読されて来た福音で、聖アウグスティヌスは、シロアムの水で目を洗った盲人を洗礼志願者になぞらえた説教を残しています。シロアムは、「遣わされた者」(すなわちメシア)という意味の言葉です。主は唾で土をこねてその盲人の目に塗ったとありますが、人間の唾には殺菌力がありますし、昔のユダヤ人の所では眼病を癒す力があると信じられていたそうです。私たちの受けた洗礼は、もう過去のものとなってしまったのではなく、その洗礼の水は「生ける水」すなわち泉となって、今も私たちの魂の奥に働いています。そのメシアの泉で心の眼を洗い、光と闇の力とを正しく見分ける視力を回復させながら、救い主メシアにあくまでも忠実に従うよう努めましょう。
⑥ 本日の福音であるヨハネ9章25節から31節には、「知る」という動詞が6回も使われています。盲目を癒された人の言葉に4回、ファリサイ派の言葉に2回です。聖書についての理知的な頭の知識を豊かに持っていたファリサイ派は、自分の頭の中にあるその知識を中心にして、全てを判断し裁こうとします。「我々は神がモーセに語られたことを知っている。しかし、その人がどこから来たかは知らない」と、安息日に主が神の力によってなされた奇跡的治癒を頭から無視し、安息日に癒す人を罪人として排斥する厳しい態度で話しています。主がなされた奇跡的な神の業から、新しく謙虚に学ぼうとはしていません。それに対して目を癒された人は、神の力でしかなし得ない奇跡的治癒の体験に基づいて猛然と反発します。それで、遂に神殿の境内から追い出されてしまいました。しかし、彼が追放されたことをお聞きになった主が、再び彼の所に来て下さり、彼に神よりの人メシアを信ずる恵みを与えて下さいました。
⑦ 間もなく復活祭に受洗する今年の洗礼志願者たちも、主を信奉していない世の人々の考えに迷わされることなく、神よりの導きと救いの恵みとを正しく見分け、隠れて現存しておられる主と内的に出会って、恵みから恵みへと逞しく進むことができるよう、このミサ聖祭の中で主の助けと導きとを祈り求めましょう。同時に私たち自身も、自分の頭の知識に固執することなく、世の終わりまで人類社会の中に現存して、絶えず働いておられる主からの突然の示しや導きにも、神の僕・婢としてすぐに柔軟に従って行く決心を新たに致しましょう。
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