2014年5月18日日曜日

説教集A2011年:2011年復活節第5主日(三ケ日)



第1朗読 使徒言行録 6章1~7節
第2朗読 ペトロの手紙1 2章4~9節
福音朗読 ヨハネによる福音書 14章1~12節

  第一朗読にギリシャ語を話すユダヤ人たちの苦情がありますので、始めに少し説明しましょう。紀元前4世紀の後半にアレクサンドロス大王がペルシャ軍を撃退して、オリエント諸国をギリシャ人の支配する国となし、高度に発達したギリシャ文明を各国に広めると、ギリシャ語は国際語となって定着し、紀元前1世紀の後半にローマの将軍アントニウスがオリエント諸国を征服してローマの支配下に置いても、ローマ人のラテン語ではなく、すでに国際語として定着していたギリシャ語が、シリア、エジプトなどの各国で話されており、ローマ帝国の下で国際貿易が盛んになり商人や労務者の人口移動が激増すると、ローマをはじめ当時のイタリア諸都市でもギリシャ語が話されるようになりました。それで紀元前3世紀頃から大勢のユダヤ人がユダヤから移住して、エジプトやその他の地中海沿岸諸国で活躍するようになると、故国ユダヤ以外の土地で生まれ育ったユダヤ人の中にはヘブライ語を知らない人たちが増えたので、旧約聖書のギリシャ語訳が紀元前3世紀の中頃からエジプトで作られました。「七十人訳」と呼ばれるこのギリシャ語聖書は、ローマ帝国の支配下で異邦人たちにも広く読まれるようになりました。そういう異邦人でユダヤ教の会堂礼拝に参加していた人たちは、使徒言行録の中で「神を畏れる人たち」で呼ばれています。初代教会の異邦人伝道が目覚ましい発展を遂げたのは、既にこのような文化的地盤が築かれていたからです。新約聖書の原文も、全てギリシャ語で書かれています。ローマの信徒団に宛てた使徒パウロの書簡も、ラテン語ではなくギリシャ語で書かれています。使徒たちはギリシャ語を話すだけで、どこの国でも宣教することができたのです。

  ところで、そのギリシャ語圏出身のユダヤ人キリスト者たちがエルサレムで滞在した時、日々の食料の分配などで差別扱いを受け、苦情が出たというのは何故でしょうか。察するに、エルサレムの信徒たちが全財産を共有にして生活していた所に、外地に夫々自分の私有財産を持つ信徒たちが来て、エルサレムの信徒たちと食事を共にしようとしたからなのではないでしょうか。外地の出身者たちは、それぞれ自分たち独自の組織を結成して生活した方が良いというのが、エルサレムの信徒たちの考えであったと思います。そこでペトロは、他の使徒たちと外地出身の信徒たちの代表者たちを呼び集め、「私たちが神の言葉を蔑ろにして、食事の世話をするのは好ましくない。云々」という話をし、外地出身者たちの中からステファノたち七人を選ばせたのだと思います。使徒たちは祈ってこの七人の上に按手し、彼らにギリシャ語圏出身の信徒たちを組織し指導する、使徒的権限を譲渡しました。食事の世話をする務めだけに任命したのではありません。ステファノやフィリッポたちのその後の活動を見ますと、説教したり宣教したり秘跡を授けたりしていますから。按手によって叙階の秘跡を受けた七人を中核として、ギリシャ語圏出身者の信徒団が結成されのだと思われます。

  「私たちは、祈りと御言葉の奉仕に専念することにします」という、使徒ペトロの言葉にも注目しましょう。公生活中の主イエスは政治活動などは一切なさらずに、ひたすら祈りと神の御言葉を宣べ伝えることとに専念しておられ、ご自身が神から派遣されて来たという証しに、病人や悪魔つきの奇跡的癒しや、死者の蘇りなどの奇跡をなしておられました。ペトロはこの御模範から学んで、食物の分配などという一種の社会的政治的活動などには手をつけず、それらを一般の信徒たちに委ねて、主の聖なる司祭職に叙階された者たちは、何よりも主イエスのように祈りと神の御言葉の奉仕に専念すべきである、と考えたのだと思われます。主が話された「葡萄の木」の譬えからも学んで、葡萄の蔓として主の恵み・主の働きを人々に伝えることだけに、全身を打ち込んでいようと思ったのかも知れません。第二ヴァチカン公会議後に中南米の一部の聖職者たちが「解放の神学」を唱えて、カトリック教会内に政治活動を盛んにしようと努めたことがありましたが、教皇がその人たちの人間的善意は認めながらも、それは聖職者の政治活動を許していない、「現代世界憲章」第76項の公会議決議に反することとして退けました。主によって選出されこの世に派遣されている聖職者たちは、何よりも主の模範にならって神をこの世に現存させ、神の御旨に従って神の働きの道具であろうと心がけるべきなのだと思います。その時聖職者の内に内在しておられる主が、周辺の社会や人々のために働いて下さるのではないでしょうか。

  本日の福音の中で、主は「私は道であり」「私を通らなければ、誰も父のもとに行くことはできない」「父が私の内におられることを信じないのか」などと話しておられます。これらの御言葉は、主がご自身を天の御父の寵愛と恵みをこの世の人々に届けるための道、そして人々を天の御父へと導くための道と考えておられたこと、また天の御父がご自身の内に実際に現存して語ったり働いたりしておられることを、生き生きと実感しておられたことを示していると思います。その主が受難死の後に復活し、多くの人の見守る中で天にお昇りになると、主はもうこの世から遠く離れたあの世に行ってしまわれたのだ、主の創立なされた教会は弟子たちとその後継者たちにお任せして、などと考える人がいるかも知れません。それは主がかつて警戒するようにと警告なされた、「ファリサイ派のパン種」だと思います。ファリサイ派は神を敬虔に信奉しながらも、その神をこの世から遠く離れた所におられる存在と考え、目前にいる主イエスがどれ程ご自身が神の子であることを明言し証ししても、それを信じようとはせずに、主を「神を冒涜する者」と受け止めていました。私たちも気をつけましょう。あの世は神のように遍在で霊的に小さなこの世を覆い包んでいますので、復活なされた主は霊的にこの世の至る所に現存し、目には見えなくてもいつも私たちの目前に臨在しておられます。叙階の秘跡で聖別された聖職者たちだけではなく、洗礼の秘跡によって主の普遍的祭司職に参与している信徒や修道者たちも、それぞれ分に応じて主のこのような現存に参与しているのです。本日の第二朗読の中でペトロは、「あなた方は選ばれた民、王の系統を引く祭司、聖なる国民、神のものとなった民です」と言っていますが、私たちもそれぞれ、自分の内での主イエスの現存を信じ、その生き方を体現するよう努めましょう。その時、神が私たちを豊かに祝福して下さいます。