2014年1月5日日曜日

説教集A2011年:2011年1月2日主の公現(三ケ日で)



第1朗読 イザヤ書 60章1~6節
第2朗読 エフェソの信徒への手紙 3章2,3b,5~6節
福音朗読 マタイによる福音書 2章1~12節

   本日の第二朗読には、神の「秘められた計画が啓示によって私に知らされました」という言葉が読まれます。この計画というのは、神の霊に照らされ導かれている知性によってのみ悟ることのできる神秘な奥義であって、理知的な人間理性では知り得ない神のご計画であります。ですから使徒パウロは「秘められた計画が啓示によって私に知らされました」と書いたのです。キリスト教の信仰は、根本的に神から啓示された神のこのご計画に従うこと、しかも自ら進んで神の僕・婢となり、神のお言葉に素直にまた謙虚に従いながら生きることであり、人間が自分の理性を駆使して聖書から学び取った合理的真理に従って生きることではありません。中世の偉大な神学者聖トマス・アクィヌスは、真理を理解する人間の能力をintellectus(知性)ratio(理性)との二つに分けて、知性を心で全体的に直観し悟る能力、理性を理知的推理考察を手段として理解する能力と説明しています。理性はこの世の経験的事物現象を観察し、その背後にある真理や原理を発見したり理解し説明したりする理知的能力で、この世で生活するのに役立つ各種の知識や技術を習得・練磨するのに必要な能力であります。人類の近代文明は人間のこの理知的能力によって大いに発展し、豊かな文明世界を世界中に広めました。

   しかし、人間が見聞きするこの世の経験に基づいて自主的に考える理性は、神よりの啓示に基づいて心で実践的に悟ることや、神の霊の導きを直観的に感知し、それに従って行く我無しの心の宗教的働きには向いておらず、そのためには知性というもう一つの優れた能力が心に与えられているというのが、聖トマス・アクィヌスの思想だと思います。理性は「頭の能力」ですが、知性は神から心の奥底に与えられている宗教的な愛と芸術的なセンスに根ざしている、どちらかと言うと「心の能力」と言ってよいと思います。聖トマスはこの立場から信仰・知性と理性とのバランスよい協働を唱道していますが、14世紀頃から神のご計画や神の啓示よりも、人間のこの世の体験や生活を中心にして自主的に考えようとする、人間中心のいわゆる人文主義思潮が広まり始め、16世紀には教会の組織や教理も聖書に基づいてもっと合理的に改革しようとする宗教改革が大きな流れになったり、17世紀には、「我思う。故に我あり」と言ったデカルトを初めとして、自分個人を中心にして全てを合理的に見直し考え直そうとした人間中心の新しい近代思想が広まり始めました。すると、英語などでもintellect(知性)reason(理性)とが同じ意味で使われるようになり、神から人間に与えられている二つの対照的に異なる能力の違いが、多くの人には分からなくなってしまいました。

   この人文主義的近世思想やその後の啓蒙主義思想の影響を、現代人も受け継いでいます。したがって、現代人が聖書の求めている神の僕・婢としての徹底的従順心に根ざした実り豊な信仰生活を営むには、全てを合理的に理解し企画することを中心とする、「古いアダム」のこの世中心・人間中心の生き方から脱皮して、まず心の奥底の知性的センスや能力をあの世の神に向けて目覚めさせ、神の働きや神の現存を感謝の心で感知し、受け止めることから始めなければならないように思います。先日中丸薫という人の『いよいよ2012年、さあこんな世の中にしよう』という、2年前に発行された本を入手して読んでいましたら、古代のシュメール人たちが「ニビル」と呼んでいた、恐ろしい災害をもたらす星のことが書いてありました。シュメール人は太祖アブラハムの時代にメソポタミア平野に住んでいた民族で、人類の救い主メシアがお生まれになった時、星を観測していてそれを知ったという東方の博士たちも、おそらく将来現れるというこの「ニビル」の星のことは聞いていたと思います。ところが、世界のマスコミはまだ殆ど何も報道していません。中丸さんによると、アメリカのNASAは既に1983年からある大きな惑星がこちらに向かって来ているのを、赤外線天文衛星によって捉えており、一部の天文学者たちは、その惑星が201212月から20147月にかけて地球にも接近し、私たちの地球が太陽とその大きな惑星の間に入るため、二つの巨星同士の放電現象に曝されて太陽からのコロナ質量の放出が極大となり、地球のマグマの活動が激しくなってマグニチュード9強以上の大地震や大津波が地球上の各地で次々と発生するであろう、などと予測しているそうです。事によると富士山も、その頃にまた大爆発をするかも知れません。学者たちは、太陽の黒点が2012年に非常に多くなるので、2年後の12月頃から地球上には様々の巨大な災害が発生するかも知れないと予測しているそうです。さあ、23年後にこの地球世界に何が起こるのか、今の私たちには皆目分かりませんが、全能の神の照らしと導きと御保護を願い求めながら、本日のミサ聖祭をお献げ致しましょう。

   本日の福音の中心をなしているのは、ヘロデ王でも東方の博士たちでもありません。この世にお生まれになった神の御子メシアです。このメシアの来臨が、ヘロデ王のようなこの世の富や権力の獲得保持を第一にして生きている人たちの心に、深刻な不安を与えるのです。その支配下にあって旨い汁を吸いながら生きていたユダヤ教指導者たちは、ヘロデ王の怒りや嫌疑を買わないよう、生まれたばかりのメシアには無関心を装います。しかし、そういうこの世の流れから自由になってひたすら人類の救い主を待望し、メシア中心に生きようとしていた人たちは、東方の博士たちのように、あるいはマリアとヨゼフ、ベトレヘム周辺の羊飼いたちのように、幼子のメシアに会って心が大きな喜びに満たされ、恵みのうちに高められて行きます。しかし本日の福音は、そのような信仰に生きる人たちに、ヘロデ王のような人たちからの恐ろしい迫害がなされることもあることを教えています。神の導きに対する知性的信仰感覚を磨いていましょう。そうすれば、東方の博士たちやヨゼフが夢で神からの知らせを受け、迫り来る危害を避け得たように、全知全能の神が私たちを護り導いて下さいます。この神と内的に深く結ばれて生活すること、それがいろいろと不安の多い今の時代、これからの時代に生きる私たちにとっては、何よりも大切な心構えであると思います。