2012年11月4日日曜日

説教集B年:2009年間第32主日(三ケ日)

朗読聖書: . 列王記上 17: 10~16.     . ヘブライ 9: 24~28.  
        . マルコ福音 12: 38~44.

   本日の第一朗読の出典である列王記は、ダビデ王の晩年からバビロニアに滅ぼされたユダ王国の最後の王までの出来事を扱っていますが、そこには預言者ナタンをはじめ、エリヤ、エリシャなどの優れた預言者たちの活躍も多く扱われていますので、聖書の中では前期預言書の部類に入れられています。本日の朗読箇所である列王記上の17章は、シドン人の王女イゼベルを妻に迎えた北イスラエルのアハブ王が、サマリアにまでバアルの神殿を建設して異国の神々に仕えるようになったので、お怒りになった主なる神がエリヤを介して、アハブ王に「数年の間、露も降りず雨も降らないであろう」と天罰を告げるところから始まっています。そして主はエリヤに、「ここを去って東に向かい、ヨルダンの東にあるケリト川のほとりに身を隠せ。その川の水を飲むがよい。私は烏たちに命じて、そこであなたを養わせる」とお命じになりました。そのケリト川がどこにあったのか、今日では分からないそうですが、察するに、人里から遠く離れた山奥の小さな谷川であったかも知れません。

   国王や世間の人々の目を逃れて身を隠すには絶好の隠れ場でしょうが、しかしこれから干ばつが始まり、農作物も木々も実を結ばなくなるというのに、食物の蓄えが全くないそんな所で生きて行けるのでしょうか。エリヤの心は不安を覚えたと思います。しかし、全能の主に対する信仰と従順の故に、その不安を主に委ねてそこに身を隠しました。すると不思議な事に、その隠れ家に数羽の烏が朝晩パンと肉を運んで来ました。エリヤはそれを食べ、その川の水を飲んで生活していました。しかし、しばらくするとその川の水も涸れてしまいました。雨がヨルダンの東の地方にも全然降らなくなったからでした。すると主の御言葉がエリヤに臨み、「立ってシドンのサレプタに行き、そこに住め。私は一人のやもめに命じて、そこであなたを養わせる」と命じました。そのお言葉の続きが、本日の第一朗読です。エリヤは立ってサレプタに行きました。アハブ王の罪故に下された天罰、大干ばつは、アハブ王の支配下でない隣国のフェニキア地方にまで及んでいたようで、そこでも人々は干ばつによる食糧不足に苦しんでいました。

   やもめは、聖書の中では孤児や寄留者と共に貧しい人、弱い人の代表のようにされています。聖書の時代には、女性の社会的権利が低く抑えられていましたので、男性の保護を欠くやもめたちは、一般に財産の蓄えもなく、貧困と戦いながら生活を営むことが多かったと思われます。社会全体が飢饉に苦しむような時には、その苦しみは極度に達したと思います。そのようなやもめの一人に預言者エリヤは派遣されました。「あなたの神、主は生きておられます。私には焼いたパンなどありません」という返事から察しますと、聖書の教えやおきてのことは何も知らなくても、彼女は世界万物の創り主であられる神の存在や働きに対する信仰は持っていたと思います。その彼女が全てをエリヤの言葉通りになすと、「彼女もエリヤも、彼女の家の者も」食べ物に事欠くことがなくなりました。主の御言葉に完全に従いつつ生きる預言者を通して、全能の神が貧しい人たちの所でこのような大きな奇跡をなさったからだと思います。現代においても同じ神は、信仰と博愛の内に敬虔に生きる貧しい人、弱い人たちをお心にかけて助け導いて下さると信じます。その神の愛と憐れみに感謝しながら、私たちも現代の貧しい人、弱い人たちのため、今後も希望をもって神に助けと導きを願い求めるよう心がけましょう。

   先週の日曜日、私は宮城まり子さん経営の身障者福祉施設「ねむの木学園」の運動会を見学して来ました。それで今日は、そのお土産話も少しさせて頂きます。ご存じのように、東京都出身で1950年から60年代の前半まで歌手として活躍なさった宮城まり子さんは、58年頃からは女優としても、また声優としても活躍し、数々の賞を受賞していますが、68年に御前崎に近い浜岡町に身障者の福祉施設「ねむの木学園」を創立しています。そして74年には記録映画「ねむの木の詩」を自ら監督者となって製作し、第六回国際赤十字映画祭で銀メダルを受賞しました。その後もテレビ番組などを通して身障者の社会参加を世に訴え、79年には総理大臣に表彰されています。「ねむの木学園」は12年前の97年に掛川市の現在地に移転しました。宮城さんは昭和23月のお生まれで既に82歳ですが、最近御膝を痛めたそうで、立ち上がって挨拶したりすることはできますが、離れた所まで歩くことは難しいようで、先日も車椅子に乗って行動しておられました。私は掛川駅で送り迎えのバスに便乗した時、たまたま隣の席に座った東京杉並区の山部李子さんから、いろいろと細かく「ねむの木学園」のことを聞くことができました。山部さんは30数年前に浜岡町で学園の運動会が開催されていた頃から、毎年のようにこの運動会を見学に来ている支援者の一人のようです。

   掛川駅南口のバス停に非常に多くの人が四列に並んでいるのを見て、私は、初め遠鉄バス数台で出発する観光客の団体がそこにいるのだ、と思いましたが、それが皆「ねむの木学園」の運動会を見に行く人たちでした。山部さんの話では、昨年も700人を超える人たちがこの運動会に来たそうですが、今年もそれ位の人たちが参加しているようでした。「ねむの木学園」には小型バスと中型バスの2台しかありませんので、その人たちの送迎には遠鉄バスも数台協力してくれるのだそうです。芝生で覆われている学園のグラウンドには、一周80mほどと思われる楕円形の走るコースが設けてありますが、そこで行われた運動会は「芸術運動会」と称してよいような、真に興味深いものでした。出し物は毎年いろいろと違った趣向を凝らしてあるのだそうで、バックミュージックも、着る衣装も、為す演技も、全て経験豊かな宮城さんのアイデアだと思います。10時に始まって午後2時すぎまで、本当に楽しく見学させてもらいました。途中に1時間昼食と休憩の時間がありましたが、その時全員に配布された大きな孟宗竹の中に入った弁当は、「かぐや姫弁当」と呼ばれていました。私にはそれ一つで十分でしたが、食べ足りない人たちには、別にお菓子や焼き芋なども用意されていました。運動会に出演した身障者は80数人であったかと思いますが、歩けない人たちも少なくないので車椅子も使われていました。身障者全員が出演した行列の時には、車椅子が40台を数えました。また「ねむの木学園」に勤務している職員も40数人出演していました。最後に、子供の身障者組、中学生以上と思われる身障者組、職員組の3組に分けて、夫々の組が紅組、緑組に分かれてなしたリレーは、観衆を沸き立たせる面白いものでした。車椅子を自力でこぐ人も、自力で少し動かしながらも後ろから職員に押してもらう人もいるかと思うと、10mあるいは20mだけ進む人や、コースを一周する人、二周する人もいて、一応夫々の体力を考慮してバランスよく組分けがなされていたようです。最後の表彰式には、少しの差で紅組が二勝一敗で立派な優勝旗をもらいました。そして別に身障者3人にも、努力賞としてでしょうか、金カップが渡されました。

   運動会終了後、見物者たちは「ねむの木」村の一番奥にある「ねむの木こども美術館」やその途中にある「吉行淳之介文学館」、ガラス工房、茶室和心庵、森の喫茶店、雑貨屋さん、ガラス屋さん、毛糸屋さん等々に立ち寄っていたようですが、運動会中はよく晴れて青空が広がっていた空には急に雨雲が広がり、3時過ぎからポツポツ小雨が降り始めましたので、私は一番早い送迎バスに乗って帰って来ました。山部さんの話によると、この運動会の時にはいつも晴れまたは曇りで、雨に降られたことはないそうですが、宮城さんも開会式の挨拶で、「昨日までの天気予報では雨となっていましたが、私は晴れ女のようで、今日もこんなによい天気に恵まれました」と話していました。とにかく運動会中最後まで好天であったのは、神の恵みであったと思います。

   私が度々宿泊しに行っていた西明石の親しい知人のカトリック信者は、子供三人のうち二人が身障者で苦労していましたが、その二人は成長すると、それぞれ多少なりとも生活力をつけるため、温かい理解を持つ小さな会社に雇われて働かせてもらっていました。しかし、身障者は人一倍自分の生命力を使い果たしつつ生きているのか、二人とも30年ほど前に30歳に達せずに亡くなりました。当時の世間には、社会的に弱い者や身障者たちに温かい理解を持たない人たちが多かったことも、その短命に関係しているかも知れません。それに比べると、宮城さんがこれ程多くの身障者たちを相互に助け合いながら楽しく生活させていることは、本当に素晴らしいことだと思います。でも、大きく成長した身障者たちを温かく受け入れてくれる勤め先は殆どなく、ここで大人になった身障者たちは、皆「ねむの木」村に住んで様々な仕事をしながら生活しているようです。日本の一般社会は、まだまだ弱い者たちには冷たいのではないでしょうか。

   わが国はすでに30数年前から欧米並みの経済大国になっていますが、最近の経済変動で国内にはこの豊かさに取り残されている貧者が増えて来ているようです。先日長妻厚生労働大臣が初めて公表した、低所得者層の占める割合を示す相対的貧困率によると、国民の7人に1人が貧困状態にあるようです。これは、経済協力開発機構に加盟している世界の30ヵ国のうち、4番目に高い数値だそうです。能力や意欲があっても、貧しさのため学校に行けない子供たちも増えていると思います。そういう貧しい弱い立場に置かれている無数の人たちのためにも、神の憐れみとお助けを祈り求めましょう。