2015年10月25日日曜日

説教集B2012年:2012年間第30主日(三ケ日)

第1朗読 エレミヤ書 31章7~9節
第2朗読 ヘブライ人への手紙 5章1~6節
福音朗読 マルコによる福音書 10章46~52節

   第一朗読は、旧約の神の民の数々の罪を嘆き、警告を語ることの多かったエレミヤ預言者の言葉からの引用ですが、本日朗読されたこの預言書の31章は神との新しい契約について予告していて、エレミヤ書の中でも、将来に対する明るい希望を与えている最も喜ばしい箇所だと思います。紀元前10世紀に南北二つの王国に分裂した神の民のうち、北イスラエル王国は紀元前720年にアッシリア帝国に滅ぼされてしまい、そこに住んでいた太祖ヤコブの子孫の多くはアッシリアに所属する他の国々に連行され、各地に分散させられてしまいました。アッシリア人によるこの征服と連行の過程で、命を失った者や信仰を失って異教徒になってしまった人たちは多かったと思われます。しかし、そのイスラエル人たちが皆信仰を失ってしまったのではないようです。外的にはもはや真の神を礼拝・讃美する宗教儀式に参列できなくても、それを自分たちが犯した罪の罰、神よりの試練と受け止め、個人的に悔い改めと罪の償いに励んでいた信徒たちが、少なからずいたのだと思われます。神は、異国に移住させられて謙虚に悔い改めと新しい信仰生活に励むその人たちの熱心を嘉し、救い出そうとしておられたのではないでしょうか。

   彼らの住んでいたサマリアの町を中心とする北イスラエルの国々には、アッシリア人によって北方の国々から送り込まれた異邦人たちが住みつき、そこに残されていたイスラエルの下層民との結婚により、聖書に「サマリア人」と呼ばれている新しい混血民族になりました。サマリア人は、ユダヤ人の律法も祈りも知りませんが、しかし、そこで発生したある災害から学んで、それまでその地で崇められていた太祖アブラハムの神を、自分たちなりに礼拝し、その神に祈っていました。

   アッシリア帝国の侵略から100年余りを経て神の言葉を受けたエレミヤは、本日の朗読箇所の中で、数は少なくとも異国にあって信仰を失わずにいるイスラエル人たちのことを「イスラエルの残りの者たち」と呼び、その人たちを救ってくれるように祈ることを、神から命じられています。そして神は、「見よ、私は彼らを北の国から連れ戻し、地の果てから呼び集める」という、嬉しい約束の言葉も話しておられます。「北の国」とあるのは、アッシリアの支配下にある国々だと思います。神は更に、「私はイスラエルの父となり、エフライムは私の長子となる」とも話しておられますが、ここで「エフライム」とあるのは、エジプトで宰相となったヨゼフの息子の名前で、その子孫である北王国の中心的部族の名でもあり、総じてアッシリアに連行されたイスラエル人たちを指していると思います。彼らが新たに神の子らとされて、メシアによる救いの恵みに浴することを、神が予告なされたのではないでしょうか。アッシリア帝国の侵略によってイスラエル12部族のうち10部族は滅び去り、残ったのは南のユダ王国に住むユダ族とレビ族だけであった、と考えてはなりません。北イスラエルの10部族の内の「残りの者たち」は、エレミヤ預言者の時代にユダ王国に移住することができ、数は少なくてもその子孫たちは、後年立派にメシア時代を迎えるに到ったのだ、と思われます。

   ここで「イスラエルの残りの者たち」とある言葉を、現代の私たちの信仰生活に関連させて考えてみましょう。私たちは今はまだこれまで通り平穏に暮らしていますが、しかし、この幸せな状態がいつまで続くかは誰も予測できません。既に地球温暖化によって、世界各地の自然環境は元に戻し得ない程に悪化しつつあるようですし、この温暖化現象には、私たち現代人たちの贅沢な浪費生活が深く関与しているそうです。全世界の急激な人口増加で、遠からず水不足や食料不足の問題も深刻化することでしょう。自然界の豊かな恩恵に浴している私たち日本人は、それらの問題をまだ深刻には痛感していませんが、これからの時代には、既に地球上の他の多くの地方で発生している深刻な窮乏問題が、私たちの食糧や生活を著しく苦しめることになると思います。今の日本は自給自足ではなく、食料の大半を外国からの輸入に依存しているのですから。世界銀行が先日、各国の労働実態をまとめた報告書によりますと、70億の人類の内、失業して職探しをしている人は2億人、社会も生活も絶望的になって職探しを諦めている人が20億人だそうで、老人と子供を除く労働人口の内、30%にまともな仕事がないため、1億人以上の子供たちが学校にも行けずに、危険な環境の中で働かされているそうです。また食料不足のため、70億人類の20%、約14億人が栄養不足の状態にあり、内7千万人は飢え死に目前の状態に置かれているそうです。これは、世界的経済不況に悩む今の人類の力ではどうしようもない程の深刻な事態であり、全能の神の憐れみに縋る以外に救いの道はないように思います。神が現代の人類にエレミヤのような預言者を派遣して下さるかどうかは知りませんが、現代世界に広まっている神に対する不信仰や人間中心主義の不従順精神を考慮しますと、遠からず恐ろしい天罰が現代の文明諸国に到来するように思われて成りません。まだ目前の豊かさだけを追い求めている人たちの多い今こそ、「目覚めて用意していなさい。人の子は思いがけない時に来る」という主の警告を心に銘記して、神現存の信仰の内に日々の生活を営み、神に対する信仰と愛を深めることに励みましょう。教皇がこの十月から来年十一月の「王であるキリスト」の祝日までを「信仰年」とお決めになったのも、将来の不測の事態に私たちの心を備えるための、神の計らいなのではないでしょうか。

   神の特別な愛の被造物であるこの美しい水の惑星「地球」を穢して止まない利己的人間たちの怠りの罪や貪欲の罪に対して、これまで深く黙しておられた神は、愈々この終末時代に恐ろしい天罰を下して、被造物世界のすべてを全く新たにしようとなさるかも知れません。その時には先程の聖書朗読にある「イスラエルの残りの者たち」のように、たとえミサ聖祭に与かれなくなっても、個人的に日々悔い改めの業に励み、主キリストの聖心と一致して人類の罪の償いに心がけましょう。神は、貧しさの中で謙虚に信仰と愛に生きるそのような「残りの者たち」に特別に御眼を留め、その祈りと必要に応えて新しい救いの道を示し、必要な力も助けも与えて下さると信じます。神はイザヤ書の最後66章の始めに、「私が目を留める者は誰か。それは貧しく、心砕かれた者、私の言葉をおそれる者」と諭しておられますから。この前の日曜日の福音には、「異邦人の間では支配者と見なされている人々が民を支配し、偉い人たちが権力を振るっている。しかし、あなた方の間ではそうではない。あなた方の中で偉くなりたい者は、皆に仕える者になり、一番上になりたい者は、全ての人の僕になりなさい。云々」という主のお言葉が読まれました。「信仰年」に当たっては、何よりも「仕えられるためではなく仕えるために来た」とおっしゃる主のご精神を、日々の生活の中で体現するよう心がけましょう。私たちは福者マザー・テレサのように、今飢えている人、今助けを必要としている人たちに奉仕することはできませんが、せめてその人たちとの連帯精神の内に、小さな清貧の実践という「行動の祈り」を神に捧げることはできます。そのような祈りを神に捧げましょう。神が小さな清貧の実践を祈りと共にお捧げする人の願いは、不思議な程よく聞き届けて下さることを、私はこれまでの数多くの体験から確信しているからです。


   私は37年前の1975年秋に、江戸時代に中国から伝来したと聞く、京都の黄檗宗本山万福寺で三日間厳しい禅僧の生き方を体験させて頂きましたが、そこの禅僧たちは、水をなるべく無駄にしないように生活していました。例えば食事の時に各人の使ったお椀などの食器は、最後に御湯と漬物の香香で綺麗にしてその湯を飲み、各人に与えられている布巾で拭いて包み、その包んだ食器を各人に定められている食器棚に片付けていました。研修に参加していた私たちも、皆そのようにして水を大切にする生き方を実践的に学びましたが、後で考えますと、これは水を谷川から汲んでいた古い山寺の生活様式に起因する清貧生活なのかも知れません。中国でも韓国でも、仏教の寺院は全て山に建っていますから。北陸の禅寺永平寺でも、同様の厳しい清貧生活を続けているそうですが、そこの禅僧たちはその清貧の実践を介して、全能の神と主キリストから祝福と救いの恵みを豊かに受けているのではないでしょうか。私たちカトリックの修道者は神に清貧の誓願を宣立していますが、日常生活における清貧の実践は、万福寺や永平寺の禅僧たちに劣っているように思われます。そこで私は、30数年前から個人的には人目につかない小さな節水・節電に心がけています。すると不思議な程屡々神からの小さな計らいや導きを体験させて頂いています。私たちの神は信仰を持って為すこのような小さな清貧の実践を特別の関心をもって見ておられ、それらに豊かに報いて下さる愛の神であられるようです。「信仰年」に当たり、このような神現存の信仰体験を積み重ねることによって、弱い私たちの信仰を逞しくく鍛え上げ、やがて到来すると思われる終末期の試練に備えるよう努めましょう。

2015年10月18日日曜日

説教集B2012年:2012年間第29主日(泰阜のカルメル会)

第1朗読 イザヤ書 53章10~11節
第2朗読 ヘブライ人への手紙 4章14~16節
福音朗読 マルコによる福音書 10章35~45節

   毎年十月の最終日曜日の前の日曜日は、84年前の1926年に当時の教皇ピオ11世によって「布教の主日」とされましたが、その伝統が受け継がれて、今日では「世界宣教の日」と改称されています。十月に日曜日が五つある時には「世界宣教の日」は第四日曜日になりますが、今年は四つしかありませんので、第三日曜日である本日が「世界宣教の日」となります。ピオ11世教皇はこの「布教の主日」を制定するに先だって、1925年の聖年にヴァチカン宮殿で盛大な布教博覧会を開催し、宣教師たちを介して収集したカトリック布教地諸国の文化財を数多く展示して欧米人の布教地諸国の文化に対するそれまでの見解を改めさせています。この時展示された文化財はその後ラテラノ博物館に展示されるようになりましたので私も皆拝観していますが、そこに展示されていた日本の文化財の中には、何方が寄進したのか知りませんが、日本の博物館でも見られないような素晴らしく豪華な七重の重箱や豪華な屏風などもありました。またニューギニアから収集された幾つかの民俗学的発掘品も、その後にはもう二つと発見されない貴重な古い生活用品のように見えました。アジア・アフリカの布教地諸国から収集されたこれらの文化財は、今は1970年代に拡大されたヴァチカン博物館に保管されています。それで、ラテラノ博物館は無くなりました。
   ピオ11世教皇は最初の「布教の主日」が祝われた直後の1028日に、御自ら中国人6名を司教に祝聖し、続いてインド人、フィリピン人、韓国人、アフリカ人たちも司教に祝聖しました。これは、それまで西洋人司教たちの統治下でだけ営まれていた布教事業に、新しい風を吹き込む画期的出来事でした。翌271030日には、最初の日本人司教早坂久之助師もローマで長崎司教として祝聖されました。ローマ教皇がこのようにして、先頭に立って布教地諸国の文化や生活様式などに適応する布教活動を推進しましたら、例えば1933年、昭和8年には、奈良の東大寺のすぐ近くの大通りに面して、奈良市役所の斜め前の敷地にフランス人のビリオン神父が、鐘楼を備えた仏教風の木造カトリック教会を献堂したり、昭和10年には、英国人のワード神父が軽井沢で丸太造りの多少神道風の聖パウロ聖堂を献堂するなど、各国でそれまでのカトリック布教とは違う様々の新しい動きが盛んになり、第二次世界大戦とその後の世界の動きによっていろいろと抑圧されましたが、しかしそれなりにかなりの成果をあげて、今日ではアジア・アフリカのカトリック教会は、西洋化し高度に文明化した我が国を別にすれば、かなりしっかりとそれぞれの国の伝統の中に根を下ろしつつあるという印象を受けます。
   ところで、現代文明が極度に発達して全地球化時代・グローバルと言われる時代を迎えている今日では、第二ヴァチカン公会議までの昭和前期とは宣教対象の様相が大きく違って来ています。わが国を含め、先進諸国の人々の文化や考え方が、それまでの伝統的世界観・人生観・人間観・宗教観などから大きく離れて多文化的になって来ており、それに伴って各国の教育内容も、以前とは大きく違って来ていると思います。それため、かつてキリスト教国と言われていた欧米でも、伝統的キリスト教信仰から離れて生活している人が多くなり、再布教・再福音化が必要だなどと叫ばれています。わが国のカトリック教会も、大なり小なり似たような状況に置かれていると思います。グローバル時代の現代では、以前とは違う新しいタイプの宣教活動が神から求められているのではないでしょうか。
   それで、ローマ教皇は昨年の1017日に自発教令『信仰の門』を発布して、第二ヴァチカン公会議開幕50周年の本年1011日から来年の1124日「王であるキリストの祭日」までを「信仰年」と定めて、神との交わりの生活に励むことと、その信仰と愛の生き方を実践的に証ししながら、周辺に住む人々にも広めることを強く勧めておられます。信仰を支え深めるためには、信仰の根本的内容を再発見する研究も必要です。それで教皇は、『カトリック教会のカテキズム』を読むように説いておられますが、しかしすぐに、「どの頁を見ても、そこに示されているのは理論ではなく、教会の中に生きておられる方(すなわち主キリスト)との出会いです。云々」と書いて、信仰の知識を広げることよりも、神に対する信仰と愛のうちに生きること生活することの重要性を説いておられます。今私たちの祝っている「信仰年」も、神に対する信仰と愛をもって生きる生き方をしっかりと身につけさせるために導入された行事だと思います。私たちが主キリストから聖人たちを介して受け継いだ信仰に生きるという伝統を、日々の日常茶飯事の中でどのように生かし証ししているかをこの期間に改めて吟味し、信仰と愛を強化したいものです。
   私は37年前の1975年の秋に、京都の黄檗宗本山万福寺で三日間、厳しい禅宗の生き方を体験させて頂きましたが、そこの禅僧たちは水をなるべく無駄にしないように生活していました。例えば食事の時に各人の使ったお椀などは、最後にお湯と漬物の香香で綺麗にしてその御湯を飲み、各人に与えられている布巾で拭いて包み、その包んだ食器を各人に決められている食器棚に片付けていました。研修に参加していた私たちも、皆そのようにして水を大切に使うことを実践的に学びました。万福寺の禅僧たちが今もそのように生活してか否かは知りませんが、北陸の禅寺永平寺では、今もそのような厳しい清貧生活を続けているそうです。聖書の教えは知らなくても、そこの禅僧たちはその清貧の実践を介して、慈しみ深い全能の神から豊かな祝福と救いの恵みを受けているのではないでしょうか。私たちカトリックの修道者は神に清貧の誓願を宣立していますが、日常生活における清貧の実践は、万福寺や永平寺の禅僧たちに劣っているように思われます。それで私は、30数年前から個人的には人目につかない小さな節水・節電に心がけていますが、すると不思議な程屡々神からの小さな愛の計らいや導きを体験させて頂いています。私たちの神は信仰をもって為す小さな実践を特別の関心を持って見ておられ、それらに豊かに報いて下さる愛の神であると、私は数多くの体験から確信しています。
   この十月には皆様の修道会の二人のテレジアの祝日が祝われましたが、二人とも教会から聖なる教会博士の栄誉を与えられています。しかし二人は、教会の伝統的神学を専門的に研究してその博士号を受けたのではありません。何よりも自分の信仰体験から学んで神の働きや導きについての深い叡智を身につけ、それを伝えることによって非常に多くの人に信仰に生きる喜びをお与えになった聖人、神の豊かな恵みの器・道具となった聖者であります。これまで長年安定していた伝統が次々と弱体化して崩壊しつつある、真に不安な激動の時代に直面している現代の人類も、信仰に生きる実践体験から神の働きや導きについての新たな叡智を身につける人たち、そして神の新しい恵みの器・道具となる聖人たちを数多く必要としていると思います。「信仰年」は、信仰に生きるそのようなキリスト者が一人でも多く世に出ることを願って、定められた行事だと思います。皆様ご存じの話でしょうが、リジューの聖テレジアは宣教師ルーラン神父に宛てた59日の手紙の中で、ゼロという数字の価値について書いています。ゼロはそれだけでは何の価値もありませんが、他の数字の前にではなく後ろに置かれると、大きな価値を持つに至ります。自分を無にしてひたすら宣教師たちのために祈っていたテレジアは、その自分をゼロに譬えて、「あなた達の傍に神が置かれたこの小さなゼロに、皆さんの祝福を送るのを忘れないで下さい」と書いていますが、神に対する信仰と愛の内に自分を徹底的にゼロにして、ひたすら兄弟姉妹への祈りの奉仕に生きる人を、神は現代においても、豊かな恵みの器としてお使い下さると信じます。人間が主導権を握って考え宣教するのではなく、神が人間をご自身の道具・器となして宣教し実を結んで下さることが、現代の人類が一番必要としていることだと思います。

   本日の福音の中で主イエスは、一般社会に流布している支配様式を述べた後に、「しかし、(中略) あなた方の中で偉くなりたい者は、皆に仕える者になり、一番上になりたい者は、全ての人の僕になりなさい。云々」と、一般社会とは対照的に異なる、全く新しい仕方で教会活動を為すよう命じておられます。同じ主イエスは、現代文明・現代思潮の中に生活している人たちに対する宣教活動においても、一般社会の思想的流れや生き方とは全く異なる、神への従順中心の生き方にまず自分を無にしてしっかりと立つことから始めるよう、強く望んでおられるのではないでしょうか。今東洋・西洋を問わず現代世界の各地で福音の宣教に従事する人たちが、一人でも多く主のこのような御要望を心に深く受け止め、神の霊に導かれ支えられて福音宣教の実績をあげ得るよう、照らしと導きの恵みを祈り求めつつ本日のミサ聖祭を献げましょう。

2015年10月11日日曜日

説教集B2012年:2012年間第28主日(三ケ日)

第1朗読 知恵の書 7章7~11節
第2朗読 ヘブライ人への手紙 4章12~13節
福音朗読 マルコによる福音書 10章17~30節

   本日の第一朗読である知恵の書は、紀元前1世紀に当時のエジプトの首都アレキサンドリアに住むユダヤ人によって執筆されたと考えられています。アレキサンダー大王没後の紀元前4世紀の末以来、エジプトを征服し支配していたギリシャ系のプトレマイオス王朝は、被支配者の人口に比べてギリシャ人の少ないのをカバーするため、隣国のユダヤ人を優遇して大勢エジプトに移住してもらい、軍事面でも行政面でも活躍させていました。それで紀元前1世紀頃には、アレキサンドリアの町の五つの区画のうち、二つはユダヤ人街になっていたと言われています。有能で支配者に対して忠実であったこの頃のエジプト在住ユダヤ人たちは、経済的に豊かであっただけでなく、時間的余裕を利用して既にギリシャ語に翻訳された聖書もよく研究し、高い教養を持つ人たちが少なくなかったと思われます。知恵の書は、そういうユダヤ人によってギリシャ語で書かれたと考えられます。それで、エジプトでは聖書とされていても、ユダヤのラビたちには聖書と見なされていません。ヘブライ語で書かれたものでないからだと思います。

   神よりの智恵は、人間の体験や思索に基づくものではなく、神から直接に授けられるものであります。ですから執筆者は神に祈ったのであり、神から知恵の霊を授けられたのです。この世の金銀・宝石も、またどんな富も、この神よりの智恵に比べれば「無に等しい」と思われるほど貴重なものであります。しかし、本日の朗読個所に読まれる「願うと智恵の霊が訪れた」、「智恵と共にすべての善が私を訪れた。智恵の手の中には量り難い富がある」などの表現から察しますと、神よりの智恵はここでは生きている存在として描かれています。この書の8章や9章には、「智恵は神と親密に交わっており、万物の主に愛されている」だの、「(神の) 玉座の傍らに座している」などの表現も読まれます。知恵の書のこういう言葉を読みますと、コリント前書1章後半に使徒パウロが書いている「召された者にとっては、キリストは神の力、神の智恵である」という信仰の地盤は、ギリシャ人のこの世的智恵との出会いを契機として、すでに旧約末期からユダヤ人信仰者の間に築かれ始めていたように思われます。神の知恵は、生きている人格的存在なのです。

   主イエスも、ギリシャ文化が広まりつつあったユダヤで、「天地の主である父よ、私はあなたをほめたたえます。あなたはこれらのことを智恵ある人や賢い人には隠し、小さい者に現して下さいました。そうです。父よ、これはあなたの御心でした」(マタイ11:25~26) と祈ったり、弟子たちに「どんな反対者も対抗できず、反駁もできないような言葉と智恵を、私があなた方に授ける」と約束なさったりして、理知的なこの世の知者・賢者に対する批判的なお言葉を幾つも残しておられますが、最後の晩餐の時には「真理の霊」の派遣を約束なさり、その方が「あなた方を導いて真理を悉く悟らせる。云々」と、その知恵の霊を、神がお与えになる生きる存在として話しておられます。聖書のこの教えに従って、人間のこの世的経験や思索を最高のものとし、神の啓示までも人間の理性だけで批判的に解釈するようなおこがましい態度は固く慎み、聖母マリアの模範に見習って、幼子のように素直に神の智恵、主イエスの命の種を各人の心の畑に受け入れ、その成長をゆっくりと見守りつつ、神の智恵の内に成長するよう心がけましょう。私たちの心は、神より注がれるこの生きる智恵に生かされ信仰実践を積み重ねることによって、神が私たちに伝えようとしておられる信仰の奥義を体験に基づいて悟るのであって、その奥義は、人間理性でどれ程綿密にキリスト教を研究し、その外殻を明らかにしてみても、この世では悟り得ないものだと思います。

   本日の第二朗読でも、第一朗読の「智恵」のように「神の言葉」が人格化されています。「神の言葉は生きており、力を発揮し、心の思いや考えを見分けることができます」などと述べられていますから。この「神の言葉」は、主イエスを指していると思います。その主は、私たちが日々献げているミサ聖祭の聖体拝領の時、特別に私たち各人の内にお出で下さいます。深い愛と憐れみの御心でお出で下さるのです。三日前から始まった「信仰年」に当たって、神の知恵・神の言葉の内に日々の生活を営むことにより、心の奥底の信仰を実践的に深め強めるように心掛けましょう。それは、たくさん色々なこの世的研究を読んだり聞いたりして、自分の見解を広げ深めるような頭の信仰とは違います。私たちは既に神信仰の成長に必要に基本的情報は、神から全て頂戴しています。今の私たちに必要なのは、その信仰の生命が私たちの奥底の心の中に逞しく成長することなのです。そのためには日々の平凡な茶飯事を、「神が観ておられる」という神現存の信仰の内に、神にお見せする心、神にお献げする心で為すことが大切なのではないでしょうか。

   宮本武蔵が晩年に書いた兵法書『五輪書』が、武蔵の墓所がある熊本にありますが、そこには「観の目強く、見の目弱く」という言葉が読まれます。観は観察の「観」、見は見解の「見」ですが、心で観るのが「観」、肉体の目で見るのが「見」だと思います。私はこの言葉を神の現存信仰の内に観るのが「観」と受け止めて、小さなゴミを拾う時にも、ミサ聖祭を捧げる時にも、神が私のこの行為を観ておられるという信仰の内に為すよう心がけています。すると不思議な程万事が順調に進展するので、神は私のこの小さな行為まで全てを観ておられるのだ、そしてその信仰実践に豊かに報いて下さるのだ、という体験を数多く重ねています。それでこれからの「信仰年」にも、このようにして自分の奥底の心の信仰を実践的に深めたい、と願っています。

   今の日本社会には、戦後の自由主義・個人主義・能力主義の教育を受け、社会に出ても能率主義で競わされる生活を続けて来た人たちの中で、うつ病になっている人が少なくないようです。特に真面目に努力して来た生真面目な性格の人間が、ある時急に全てが恐ろしい程虚しく感じられる虚脱感に襲われ、過激な反社会的行動に走ったりするのだそうです。そういう話を耳にしますと、同様に生真面目人間だった私は、カトリック信仰の恵みに浴し、神様に救って戴いたのだという感謝の念を新たに致します。最近の医者たちの中には、「燃え尽き症候群」という診断を下す例も増えているそうです。全世界的な情報の流れの中で、小さな自分の力で自分中心の生き方を続けていますと、急に自分の夢も意欲も熱情も消えて、深い不安と無力感の内に全てが嫌になってしまう症状のようです。私の知人の娘さんも、親から優秀な能力を頂戴して学校の成績は良かったのに、今はそのようなウツの症状に悩まされているそうですので、私は日々聖母マリアの導き・助けを祈り求めています。自分の力で生きるエネルギーが燃え尽きてしまう所に、原因があるのだと思います。最近自死する人が増えている一つの要因も、そのような自分中心の自力主義の生き方にあるのではないでしょうか。自分に死んで神の僕・婢としての生き方を実践的に身につけるのが、治療の道だと思います。


   本日の福音の中で主は、「なぜ私を善いと言うのか、神お独りの外に善い者はない」と、走り寄り跪いて語りかけた人に答えておられます。私が神学生であった時、同僚の神学生の一人が主のこの言葉を、「私を善いと呼んではならない」という意味で受け止め、主はご自身を神と考えておられなかったのか、と言ったことがありました。その時、一緒にいた指導司祭のドイツ人司祭がすぐに、「あなたの前にいるこの私は神ですよ、という意味で主がおっしゃった言葉で、ご自身が神でないという意味でおっしゃったのではない」と説明して下さいました。その通りだと思います。聖書の言葉は、時々この世の人に間違って受け止められる恐れがありますので、私たちも気をつけましょう。そして何よりも大切なのは、人間理性による聖書解釈の知識よりも神の現存信仰に実践的に生きることだ、ということをしっかりと心に銘記していましょう。福音に登場した金持ちの人も、主のお言葉に従って貧しい人々に大きな施しをなし、主に従って生きる清貧な生活を為していたなら、あの世で永遠にどれ程幸せになったであろうと思うと、真に残念に思われてなりません。清貧に生きることを神に誓って生活している私たちも、「私に従いなさい」という主のお言葉や生き方を、忘れないよう気をつけましょう。27年前に京都の万福寺という黄檗宗本山の禅寺で三日間生活した時に学んだのですが、道元が創建した北陸の永平寺でもこの万福寺でも、由緒ある禅寺では豊かになった現代においても、水などをなるべく節約して生活する昔ながらの厳しい生活を続けています。禅僧たちは、その清貧の実践によって神から祝福され守られているのではないか、という印象を受けました。私たちキリスト教の修道者もその生き方に学び、もっと主キリストの清貧愛を日常生活の中で体現する心がけたいものだと思います。神はそのような信仰に生きる人を愛し、不安の多いこれからの終末時代にも、特別に守り導いて下さると信じます。

2015年10月4日日曜日

説教集B2012年:2012年間第27主日(三ケ日)

第1朗読 創世記 2章18~24節
第2朗読 ヘブライ人への手紙 2章9~11節
福音朗読 マルコによる福音書 10章2~16節

   ご存じのように今週の木曜日、1011日から「信仰年」が始まりますので、本日はそれに関連した話をさせて頂きます。60年前の1011日は聖母マリアのMaternitas(母性)の祝日とされていて、少しだけ大きな祝日となっていました。当時は普通の聖人の記念日はSimplexか一段上のSemiduplexの祝日とされていましたが、多くの信徒から特別に崇敬されていた聖ベネディクト修道院長らの記念日は、もう一段高いDuplexの祝日とされていました。しかし、この聖母の母性の祝日はそれよりももう一段高い祝日で、聖母の元后の祝日や聖母の聖心の祝日などと同様、Duplex classisとされていました。聖母被昇天などの大祝日は、Duplex classisでしたから、それに次ぐ祝日としてお祝いされていたのです。それで私が神学生であった頃の神言神学院では、毎年1011日には歌ミサを捧げて少し盛大にお祝いしていました。60年前の教皇ヨハネ23世は、公会議の前頃にイタリアにあるあちこちの聖母巡礼所を訪ねて聖母の導きと助けを願い求めましたが、教会の母であられる聖母の助けで、現代世界に逞しい若々しい教会が生れ出るようにと願いつつ、聖母マリアの母性の祝日に第二ヴァチカン公会議を開会なさいました。

   その公会議は初めは順調に進んで、教会は新しい信仰精神によって初代教会のようになり、もっと身軽に大きく発展し始めるかも知れない、という希望が支配的になりましたが、しかし聖母の働かれる所には悪霊たちの勢力も激しく働いたようで、公会議が初めに意図した教会現代化の動向は、二年目の第二会期の途中からかなり大きく変更されて、当時のプロテスタント諸教会の動きに近づいて行きました。そしてこの会期の10月下旬には、よく準備されていた聖母マリア憲章の議案は、プロテスタントとの間に溝を造る虞があるとの理由から、その議案を取り下げるよう主張する教父たちも増えて来て、1029日に行われた票決では、1,114票対1,074票というわずか40票の差で、聖母憲章の議案は取り下げられ、その内容の一部が教会憲章の最後の章(第八章)に、短く書き改められることになりました。第二ヴァチカン公会議では、殆どすべての票決で進歩派が圧倒的多数で保守派を上回っていましたが、この聖母憲章をめぐる票決の時だけは、二つの勢力が殆ど対等に多寡を競っていました。しかし、聖母憲章が退けられたこの時点から、カトリック教会にはプロテスタント過激派の改革精神が大きくなだれ込んで来て、特に若手の聖職者たちの間では、新約聖書非神話化を説く過激なプロテスタント聖書学者ブルトマンの著書を読んだり、カトリック司祭も牧師たちのように結婚すべきだと主張したり、ロザリオの祈りに反対したりすることが世界的に広まり始めました。当時ローマで公会議の下働きをしていた私は、自分の体験を振り返っても、6310月末が流れの変わり目であったと感じています。

   公会議の会期中はいつもドイツの司教たちに伴なってローマに滞在していた若い神学者ラッツィンガー(今の教皇)も、恐らく同様に感じておられたと思います。公会議の5年後の12月にミュンヘンのラジオ局から、公会議後のカトリック教会について厳しい批判を放送した最初の神学者でしたから。その教皇は、今週から始まる「信仰年」のために出された自発教令『信仰の門』の中で、「キリストと出会う喜びと新たな熱意をますます明らかに示すため」(2)「現代においても、信じることの喜びと、信仰を伝える熱意を再び見出す」(7)ためなどと述べておられます。これらのお言葉は、私たち各人が何よりもまず主キリストと内的に出会う喜びを体得すること、そしてその喜びを隣人たちに伝えることを説いています。これが、これからの信仰年の努力目的だと思います。公会議を招集なさったヨハネ23世は回勅『地上の平和』の後半に、科学技術の目覚ましい進歩にも拘わらず、教会が現代社会の堕落を防げ無かったのは、信仰教育のレベルの低さと信徒使徒職の不在にあった、と嘆いておられます。それで公会議は教会憲章の中程に「第4 信徒について」というかなり長い一章を設け、全てのキリスト者は洗礼によってキリストの司祭職・預言職・王職にも参与しており、教会から宣教師とされて社会に派遣されなくても、自分の信仰生活の証しを通して家庭や社会で地の塩となり、キリストを世の人々に伝えて行く信徒使徒職の使命を与えられていること、主キリストにおいて本質的に信仰の宣教に召されていることを教えています。今の教皇は、私たち各人が主から洗礼によって与えられているこの特別の使命を一層深く自覚して、各人が生活している場で実践的に信仰を深め、信仰に生きる喜びを人々に伝えるようにと、「信仰年」を定めたのだと思います。


   本日の第二朗読は、多くの人を神の愛の共同体の「栄光へと導くために」、死んで下さった主イエスについて教えていますが、神が「彼らの救いの導き手」であられるイエスを、「数々の苦しみを通して完全な者とされたのは、ふさわしいことであった」とある言葉は、注目に値します。心の奥に自分中心に生きる強い傾きをもっている人の多い今の世で、神中心の来世的愛に忠実に生き抜こうとする人も、主イエスのように多くの人の罪を背負わされ、神から苦しみを与えられることを、教えているのではないでしょうか。しかし、神がお与えになるその試練や苦しみを通して心は鍛えられ、あの世の栄光の共同体に受け入れられるにふさわしい、完全なものに磨き上げられるのだと思います。私たちの心も、その主イエスと同様に苦しみによって鍛えられることにより、キリストの神秘体の一員として留まり続け、死の苦しみの後に、主と共に栄光の冠を受けるのだと信じます。神のお与えになる試練や苦難を嫌がらず、逃げ腰にならないよう心がけましょう。神は私たちを特別に愛しておられるので、時として病気や失敗や誤解などの苦しみをお与えになり、私たちの心をまだ奥底に残っている罪の穢れから浄化し鍛え上げて、主キリストの栄光の内に一層美しく照り輝くようにして下さるのだと信じます。思わぬ苦しみに出あうと、自分のこの世で為した行いだけに眼を向け、理性の考える原因結果の原理を中心にして、どこからこの苦しみが来たのかと理知的に考えたり、他人を疑ったりする人が多いようですが、思わぬ苦しみに襲われた時はすぐに神に心の眼を向け、その苦しみの背後に現存し私たちの心にそっと温かいまなざしを注いでおられる神に、一言感謝の言葉を申し上げましょう。それが、主キリストとの内的一致を深める道だと思います。神は、その苦しみに耐え抜く力も、自分に打ち克つ喜びも与えて下さいます。