2013年8月25日日曜日

説教集C年:2010年間第21主日(三ケ日)



朗読聖書:
  Ⅰ.イザヤ 66: 18~21.
  Ⅱ. ヘブライ 12:5~7, 11~13.

  Ⅲ. ルカ福音書 13: 22~30.

    本日の第二朗読には「主から懲らしめられても、力を落としてはいけない。主は愛する者を鍛え、子として受け入れる者を皆、鞭打たれるからである。あなた方は、これを鍛錬として忍耐しなさい。神は、あなた方を子として取り扱っています。いたい、父から鍛えられない子があるでしょうか」という、神がキリスト者を「神の子供」として受け入れ、鍛えて下さる由の言葉が読まれます。聖書のこの言葉は、第二次世界大戦後に科学技術や商工業が急速に発展普及し、便利で豊かな生活を営むようになった私たちにとっても、新たな意味で大切なのではないでしょうか。現代においては多くの老人が、祖先から受け継いだ古い家屋に孤独に生活するか老人ホームに入居させられており、夫婦は共働き、子供は学校や塾での能力主義教育で相互に競わされ、昔の家族のように、三世代の家族が皆で共に汗水流して苦労を分かち合うということが無くなっています。家族・学校・職場・地域社会などの共同体のどの分野でも個人主義が広まり、日々絶えず助け合わなければ共同体が貧しくなって自分たちは生きて行けない、というような心配は無くなりつつあります。

    現代人は社会に溢れる物資や情報を自由自在に利用しながら生きて行けるし、心を楽しませる娯楽にも溢れる程恵まれているからです。それで伝統的共同体の持つ相互扶助のつながりは、個人の自由を束縛するものとして無用視されたり、邪魔者視されたりするのだと思います。しかし、こうして各種共同体の結束が乱され無力化しますと、助けを必要としている老人や子供たちの世話が後回しにされて、孤独に苦しむ老人や、様々の新しい心の問題を抱えている子供たちが世界的に増えて来ているように思われます。神なる主は、このような全地球的に広まりつつある伝統的共同体の崩壊という事態を憂慮なされ、せめて神から特別に愛されている私たちには、全ての苦しみを父なる神からの鍛錬として受け止め、自分中心の個人主義的な「古いアダム」の生き方を改めて、神の御旨中心の「新しいアダム」主キリストの生き方を実践し、今の世の人々に証しするよう、改めて呼びかけておられるのではないでしょうか。本日の第二朗読の言葉を、信仰に生きる私たちへの神のお言葉として受け止め、日々私たちの出遭う様々の不都合・誤解・失敗・煩わしさ等々を、神からの愛の鞭打ち・鍛錬として、主キリストと一致して受け止め、その苦しみを喜んでお捧げするよう心掛けましょう。自分の出遭う苦しみを、恐れないように心掛けましょう。そうすれば、私たちの上ばかりでなく、周辺の社会の人々の上にも、また特に今孤独や病気などに苦しんでいる人たちの上に、神の恵みの力と助けとを豊かに呼び下し、神の平和に満ちた実を数多く結ばせるに至ると思います。

    本日の福音の始めには、「イエスは、……エルサレムに向かって進んでおられた」という言葉が読まれますが、ルカは既に951節に「イエスは天に上げられる時が近づくと、エルサレムに向かう決意を固められた」と書いており、それ以降19章後半のエルサレム入城までの出来事を、受難死目指して歩まれた主の最後の旅行中のこととして描いていますので、ルカ13章に読まれる本日の福音も、死を覚悟であくまでも主に従って行くか否かの、緊張した雰囲気が弟子たちの間に広がり始めていた状況での話であると思われます。ある人から「主よ、救われる者は少ないのでしょうか」と尋ねられた主は、そこにいた弟子たちと民衆一同に向かって、「狭い戸口から入るように努めなさい。云々」とおっしゃいました。その最後に話されたお言葉から察すると、東西南北から大勢の人が来て「神の国で宴会の席に着く」のですから、救われる人は多いと考えてよいでしょう。ただ、救い主のすぐ身近に生活し、外的には主と一緒に食べたり飲んだり、主の教えに耳を傾けたりしていても、内的にはいつまでも自分の考えや自分の望み中心に生活する心を改めようとしない人は、神の国に入ることを拒まれることになる、という警告も添えてのお答えだと思います。

    としますと、主が最初に話された「狭い戸口」というのは、エルサレムで主を処刑しようとしていたサドカイ派やファリサイ派が民衆に求めていた伝統的規則の遵守ではなく、当時荒れ野で貧しい隠遁生活を営んでいたエッセネ派が実践し、民衆の間にも広めていた神の内的呼びかけや導きに従うことを中心に生きようとする、謙虚な預言者的精神や信仰生活を指していると思います。伝統の外的規則を厳しく順守し定められた祈りを唱えているだけでは、2千年前のファリサイ派の信仰生活のように、この世の人たちからはその人間的努力が高く評価されても、神からはあまり評価されないのではないでしょうか。自分中心・この世の楽しみ中心の「古いアダム」の心に死んで、神の子キリストのパーソナルな自己犠牲的愛に生かされて生きようとする精神をその生活実践に込めていない限り、神は愛する私たちを厳しく鞭打たれる恐るべき方であると思われます。

    このことは、現代の私たち修道者にとっても大切だと思います。外的に何十年間修道生活を営み、数え切れない程たくさんの祈りを神に捧げていても、内的に自分のエゴ、「古いアダム」の精神に死んで、神の御子イエスの精神に生かされようと努めていなければ、それはこの世の誰もが歩んでいる広い道を通って天国に入ろうとする、2千年前のファリサイ派の信仰生活と同様、神から拒まれるのではないでしょうか。聖書にもあるように、神が私たちから求めておられるのは、山程の外的いけにえや祈りなどの実績ではなく、何よりも神の愛中心に生きようとする、謙虚な打ち砕かれた心、我なしの悔い改めた心なのですから。天啓の教えについては殆ど知らなくても、非常に多くの人たち、異教徒たちが、心のこの「狭い戸口」を通って天国に導き入れられるのだと思います。もはや一つの川の流れのようにではなく、全てが大洋の大きな海流のようになって来ている現代のグローバル社会に、「古いアダム」の個人主義が普及しますと、これまでの伝統的宗教も共同体的繋がりを次々と寸断されて、人類社会には捉えようがない程の漠然とした混乱と無秩序が支配するかも知れません。そのような時にこそ、主が説かれたこの「狭い戸口」の勧めが大切だと思います。しっかりと心に銘記していましょう。

2013年8月15日木曜日

説教集C年:2010聖母の被昇天(藤沢にある聖心の布教姉妹会で)



朗読聖書: 
.黙示録 11:19a; 12:1~6, 10ab. 
.コリント前 15: 20~27. 
.ルカ福音書 1: 39~56.

    本日は聖母被昇天の祭日で、65年前の日本の終戦記念日でもあります。それで、この度は聖母の被昇天だけではなく、私がこれまでに学んで来た聖母のお姿をまとめて簡潔に提示した後に、聖母のわが国に対するご配慮についての私見も、申し述べたいと思います。聖母の被昇天は60年前に教皇ピオ12世によって宣言された信仰箇条ですが、その96年前にも、聖母の無原罪の御宿りが教皇ピオ9世により信仰箇条として宣言されています。聖母についてのこれら二つの信仰は、ローマ教皇によって聖座から宣言されたカトリック教会のもので、聖書には明記されていないため、プロテスタント諸派では受け入れられていません。しかし、聖母の無原罪宣言の3年余り後にルルドで御出現になった聖母は、御自身を「無原罪の御宿り」と名乗られて、無数の奇跡的治癒により、その信仰が正しいことを保証なさいましたし、聖母の被昇天は古代からギリシャ正教でお祝いされ、ローマ・カトリック教会でもその伝統が受け継がれている古い信仰で、数多くの信徒がこの信仰によって恵みに浴していますので、そのまま信じてよいと思います。

    ところで、「聖母の無原罪」と聞くと聖マリアの類まれな心の清さだけを連想する人が多く、私たち罪人の想像を絶するその清さや美しさだけを、一方的に強調する信心書が出版されているのは、少し残念だと思います。そんな片手落ちの偏った信仰では、実際上何の利益も得られません。両眼をしっかりと見開いて現実を幅広く洞察する、複眼的信仰に生きるよう心掛けましょう。無原罪でこの罪の世にお生まれになった聖マリアは、幼い子供の時から悩むこと、苦しむことが多かったと思われます。この人はなぜこんな事を言うのだろう、なぜこんな事をするのだろうなどと、その御霊魂の清さ故に一緒に生活している人々や子供たちの不信仰や罪の穢れを鋭敏に感知し、独りで心に悩むことが多かったのではないでしょうか。ちょうど悪臭や排気ガスの充満している町で生活している、感覚の鋭敏な人たちのように。無原罪でお生まれになった救い主イエスも、同様であったかも知れません。聖マリアは日々出会うその苦しみを耐え忍ぶ力を神に祈り、神がその願いを聞き入れて下さるのを、数多く体験しておられたのではないでしょうか。そしてこの苦しみ故に、子供の時からひたすら神の御力に頼り、神の御導きに従って生きようと心掛け、同時に罪の穢れを宿す人々のためにも、神の憐れみと助けを祈り求めておられたと思われます。天使のお告げをお受けになった時、「私は主の婢です」とお答えしたのは、このような日頃の心構えからほとばしり出たお言葉であったでしょう。

    神がいよいよ救い主をこの世にお遣わしになったことは大きな喜びの源ではあっても、その救い主の母として生きる使命は、これまでの苦しみを一層大きくするものであったと思われます。御自身の孕んだ御子が偉大な神の御子で、将来はダビデの王座に座し、その治世が限りなく続くことは天使から告げられていても、その具体的道筋は全て深い闇の中に隠されており、その御子を育てるために婚約していた夫ヨゼフの協力を得ようとしても、ヨゼフを説得するためには、自分が実際に神の御子を孕んでいることを立証する必要がありました。それで天使が最後に告げた高齢のエリザベトが男の子を孕んでいるという奇跡的出来事を確認するため、恐らく簡単な書置きをヨゼフに残し、自分の孕んでいる神の御子の力に頼りつつ、当時ファリサイ派からは厳禁されていた若い女の一人旅を敢行しました。祈りつつ野宿を重ねながら、百数十キロも離れているザカリアの家を訪問する一人旅は、慎み深い聖マリアが初めて大胆に成し遂げた、危険と不安に満ちた行為であったと思われます。しかしその結果、神による数々の奇跡的出来事も見聞きし、老女エリザベトの産んだ男の子の割礼式に人々を呼び集めるお手伝いもして、御自身が神の御子を懐妊しているという確証を得ることができました。そしてその後になってからようやく、天使がヨゼフの夢に現れ、夫ヨゼフの協力を得ることにも成功しました。

    神は屡々このようにして、御自身に忠実従順な僕・婢たちを深い不安や苦しみの中で、その信仰を試し鍛えられる方なのです。聖母はその後も一生涯、次々と様々な不安と試練に試され鍛えられたと思います。しかしよくそれらに耐えて、人類の救いのため無数の苦しみを、救い主の御生贄に合わせ、父なる神にお献げになったのではないでしょうか。もはや死ぬことのない永遠の命に復活して天に上げられたと信ずる聖母の被昇天は、ある意味でメシアの御母として最後まで忠実にその職責を果たされた、聖マリアに対する天の御父からの御褒美でしょう。しかしこれとても、その栄光のプラス面だけに眼を向けることなく、複眼的に幅広く見据える必要があると思います。肉身を離れてあの世に移った普通の人間の霊魂たちは、本来肉と霊とから成る存在として創られた人間としては、言わば「死の状態」に置かれているのですから、メシアが再臨してこの世の全てを新たにし、全ての人を復活させる終末の日までは、聖人たちであっても理性を備えた人間としての新たな認識や活動ができず、神の大らかな愛の火に抱かれながら、ひたすら小さな天使のような霊として古い思い出や夢や憧れの内に、生来の「古いアダム」の自分中心精神を廃棄しつつ、復活の時を待望しているのではないでしょうか。それらの霊魂たちは、この世にいる親しい人々の幸せを祈ることも、この世の人々の祈りに慰められ助けられることもできる状態にあり、時には神に願い、神の力によってこの世の人々を守り助け導くこともできると信じます。しかし、自分の死後に生じたこの世の社会の動きなどについては、神から知らされない限り、自分の力では知らずにいると思います。

    ところが、肉身ごとあの世の不死の命に復活なされた主キリストと聖母マリアとは、2千年前の主の復活体と同様に、罪の穢れと苦しみの状態に悩むこの宇宙世界の至る所を神出鬼没に自由に移動しながら、霊化され今も生きる人間として全ての新しい出来事をしっかりと眺め、全人類の歩みや個々人の人生にあの世から伴っておられると信じます。従って主と聖母マリアは、すでに天国の栄光と福楽に浴しておられても、まだこの罪の世、苦しみの世が続く世の終わりの時までは、この世の数多くの悲惨な出来事をご覧になって御心を痛め、深く苦しみ、涙をお流しになることが多いのではないでしょうか。あの世に移られたから、もうお苦しみが全くないのではなく、この世で苦しむ人たちがまだいる世の終わりの時までは、その全てを詳細に知るようになったあの世の復活人間として、この世におられた時以上に深い悲しみ・苦しみを耐え忍び、それらを父なる神に捧げ祈っておられるのではないでしょうか。私たちの日々体験している時間・空間は、この世の物質的被造物のための枠組みであの世の霊界には通用しませんから、あの世の主キリストや聖母マリアを、どこか遠くに離れておられる天上の存在と考えてはなりません。お二人はこのミサ聖祭にも、私たちのすぐ近くに臨在しておられると信じます。主と聖母のそのような身近な現存を信じつつ、心を合わせてご一緒に父なる神に祈りましょう。

    聖書には明記されていない聖母の無原罪も被昇天も、伝承に基づいて一部の地方教会では古くから記念され、お祝いされていました。しかし、伝統的共同体組織が近代文明の普及によって力を失い、内側から崩壊し始める時代になり、各個人の心が一層大きく人類の母・聖マリアのご保護を必要とするようになりますと、聖母がフランスをはじめ世界各地で幾度も御出現になったり、カトリック教会が聖母についてのこの二つの信仰の真理を宣言したりしました。私はこれらの出来事の中に、歴史を導く神の深い愛の御摂理を感じています。これら二つの真理を、外的表面的に軽く受け止めないよう気をつけましょう。その背後に隠されている現実に複眼的信仰の眼を見開きますと、そこには私たち全人類の救いのため、聖母が今もお捧げになっておられる絶えざる苦しみと祈りが、密かにそっと啓示されているのですから。

    本日は太平洋戦争が終結した敗戦記念日ですので、聖母と共にあの戦争についても少し振り返ってみましょう。わが国では毎年8月のこの時期になりますと、半世紀以上も前から「戦争反対・原爆反対」の平和運動が盛大に挙行され、その声がマスコミによって世界中に伝えられています。しかし、その為にどれ程お金をかけて人を集め、どれ程大声で叫び続けても、人類は相変わらず原爆を保持し続け、世界各地で次々と戦争が発生したりして、その不安に脅かされている住民が絶えません。お隣の中国を始め数多くの国々は、毎年驚く程多額の軍事費を支出して、将来の戦争に備えています。なぜ日本人たちの叫び声が、こんなに無力で空しいのでしょうか。それは、人間理性が単眼的視野で作り上げた理想主義に踊らされ、神をも自分たちの祈りによって利用しようとしているだけで、神の働きや神からの呼びかけに聖母のように僕・婢として徹底的に従おうとする複眼的視野に立っていないからなのではないでしょうか。ですから、あの世の無数の死者の霊魂たちもあの世の力も、この世の人々の心を変えるために働くことができないのだと思います。第一次世界大戦直後の1921年にスイスで、もうこのような世界大戦を起こさせないため国家の軍事費を極度に削減させようとする理想主義的平和運動が国際的に結成され、無数の学者・学生たちによって熱狂的に全ヨーロッパに広められました。しかし、それを喜んだ悪魔たちは、ドイツのナチスに無数の新しい空軍機や戦車団を造らせ、第二次世界大戦のヨーロッパ諸国の被害を極度に大きくしてしまいました。戦争が始まって国家存亡の危機に直面した英国のチャーチル首相は、大急ぎで数多くの貴族の資産を軍事費として没収し、米国の援助も受けて何とか勝利を納めましたが、そのチャーチルの言葉に従い、米国や先進ヨーロッパ諸国は皆、一方的な理想主義的平和運動の呼びかけに慎重になっています。それで良いと思います。私たちも欧米諸国のその現実主義に学ぶよう、心がけましょう。

    私は1960年代70年代に、多くの古いカトリック信者たちの思い出話を聞いて回った歴史家ですが、昭和初期の日本のカトリック信者たちは、昭和7年に犬養首相を暗殺した515事件や昭和11年に岡田首相をはじめ諸大臣らを暗殺した日本軍部の動きに深刻な不安を覚え、あの世の聖母マリアに日本国の将来のため一心に祈っていました。当時富士山の上に聖母子の御姿を描いた御絵が信徒たちの間に普及していましたが、多くの信徒たちのその祈りを介して、あの世の聖母の力がこの世に働くことができたのでしょうか、日本のカトリック教会にとっては聖母の無原罪の祝日であった128日に始まり、聖母の被昇天の祝日である815日に終わった太平洋戦争によって、聖母マリアは、日本国を半分悪魔の器のようになっていた軍部の支配から解放し、アメリカの傘下での平和国家に変えて下さいました。私は、もしも原子爆弾が投下されず、広島・長崎で30万近い犠牲者たちが出なかったら、あの時の日本軍部は天皇を独占しながら本土決戦に突入し、一億玉砕への道を突き進んで日本人数千万人を犠牲にしていたと思います。それを思うと、軍部に決戦を諦めさせたあの原爆は、多くの人を一瞬に殺害する恐ろしい武器ではありましたが、あの時点では、日本国にとって神よりの特別の恵みであったと思います。

    私はカトリック司祭として815日を迎える度毎に、聖母のこの御計らいに感謝しています。そして日本の戦争責任を棚上げにして原爆投下をアメリカに謝罪させようとしているような、日本のマスコミの見解には批判的になり、何よりもあの世からの呼びかけやお導きに従うことを第一にする平和運動に心がけています。原爆犠牲者の一人永井隆博士は、昭和201123日、廃墟と化した浦上天主堂前で挙行された合同慰霊祭に信徒代表として読んだ弔辞の中で、「神は戦争を終結させるために、私たちに原爆という犠牲を要求したのです。日本唯一の聖地である浦上に貴いいけにえの祭壇を設け、燃やされる小羊として私たちを選ばれたのです。そして犠牲になる筈であった幾千万の人々を救われたのです」と述べていますが、私は数千万人の犠牲死を覚悟していた本土決戦の始まる直前に、広島と長崎に原爆を投下させて日本軍部に本土決戦を諦めさせた、神の愛の摂理にまで信仰の視野を広げていた永井博士の複眼的思考に敬服し感謝しています。群れを成して平和を要求するデモ行進的平和運動ではなく、こういう神に祈り、神の御旨に従おうとする平和運動が、神の祝福をこの世に呼び下し、あの世の力によって平和を実現する、穏当な現実主義的平和運動であると信じます。

    私は65年前のあの原爆投下の時には中学3年生で新潟県新発田の軍需工場で働いていましたが、その年の4月始めにアメリカの大軍が沖縄に上陸し、中学3年生も上級生たちに続いて工場で働くことになった頃であったかと思います、新発田連隊の将校の一人が新発田中学に来て、これからの日本について中学生たちに是非伝えて置きたいことがあると校長に願い、その日登校していた中学3年生以下の生徒全員を講堂に集めて、一時間程の講演をしたことがありました。当時の中学45年生は殆ど皆学徒動員で首都圏の軍需工場で働いており、一部は予科練などに入って飛行機に乗る訓練を受けていました。その軍人の話によると、アメリカ軍は恐ろしく残酷で、日本軍の死者や負傷者たちを大きな戦車で一斉に踏み潰したこともあり、310日の夜には東京の下町一帯に無数の焼夷弾を、絨毯を敷くように投下し、数えきれない程の住民を殺傷している。最近「本土決戦」という言葉が叫ばれているが、いざ本土決戦がはじまったなら、余程大きな神風や神からの助けがない限り、正直に言って今日本に残っている軍事力では圧倒的に強大な敵に勝つことはできない。その場合には次第に山奥に追い詰められ、弱者・病人たちを敵の手に渡さないために、我々自身の手で殺さなければならなくなるであろう。そしてやがて、日本国民は一人残らず玉砕し、この地球上から消えて行くことも覚悟しなければならないであろう。本土決戦になったら、わが軍の徹底的抗戦によってこの美しい日本の山河も全部廃虚となることを覚悟しているように。杜甫の詩に「国破れて山河在り」とあるが、本土決戦が始まったなら、「国破れて山河なし」となるであろう、というような主旨の講演でした。これが当時の日本各地で、陸軍の軍人たちが抱いていた考えだったのではないかと思います。

    この講演の少し前の325日に、硫黄島を守っていた日本軍23千人が最後の戦闘をなして玉砕しましたが、その中には新発田連隊から出陣した兵隊2千人も含まれており、私たち中学生はその冥福を祈る行事にも参加しましたので、親しい同僚を失った軍人たちは、やがて同じ運命が本土を守る自分たちの上にも来ると、覚悟を新たにしていたのかも知れません。私の一番歳上の姉は、当時数人の婦人たちと共に新発田連隊の被服部に勤務していましたが、この年の春頃上司の軍人から皆青酸カリの小袋を渡されて、敵が迫って来たら飲むようにと指示されており、姉は一度その青酸カリを私に見せてくれました。国のため最後まで戦って玉砕した無数の先輩兵士たちとあの世で親しく語り合うことができるためにも、自分たちも最後まで戦って玉砕しようという、善意からではありますが視野の狭い単眼的思考は、その後陸軍上層部にまで普及したようで、ずーっと後で知ったのですが、8月始めの天皇の御前会議でも、本土決戦が軍部の方針として議決されたそうです。

    日本各地の都市が次々と爆撃されて焼け野原と化し、6月下旬に沖縄を制覇したアメリカ軍がいよいよ日本本土に上陸する日が近いと思われていた8月に、広島と長崎に当初ラジオで「新型爆弾」と表現された原子爆弾が投下されて無数の市民が一瞬で死んだり、ソ連の大軍が満州に攻め入ったりしたことが報道されて後、815日に天皇の玉音放送があって終戦を迎えましたが、軍国主義教育を受けて玉砕を覚悟していた私は、祖国のこの事態をどう受け止めたら良いかに、長いこと心の戸惑いを感じていました。しかし、新発田の連隊本部に入ったアメリカの進駐軍が私たちに親切であったことを体験したり、戦後間もなく私が新発田のカトリック教会でドイツ人神父から受洗し、多治見の修道院でドイツ人宣教師たちの指導を受けたりしている内に、あの原爆の犠牲となった無数の人たちのお蔭で、日本が本土決戦を避けてアメリカの傘下での平和を迎えるに至ったことを、神に感謝するようになりました。今年になってから知ったことですが、原爆投下後の812日に、当時の米内光政海軍大臣は側近に、「原爆とソ連の参戦は、ある意味で天祐(天の恵み)だ。憂慮すべき国内情勢を表面に出さずに戦いをやめることが出来れば、むしろ幸いである」と話されたそうです。当時の状況を改めて回顧しますと、私は、もしも原爆が投下されなかったら、本土決戦を呼号して既に全国各地で準備していた日本陸軍は、本土決戦計画を諦めようとはしなかったと思います。

    イザヤ預言書の10章で、神はあの残酷なアッシリアの大軍を「私の怒りの鞭」と呼んでいますが、私は原子爆弾の投下を、日本人の心を目覚めさせるための「神の怒りの鞭」と考え、神はそのような鞭をも容赦なく振るわれる恐ろしい方だと信じています。幸い当時の日本の指導者たちや軍部が目覚めて降伏し、平和な戦後を迎えることができたことは、神のその鞭のお蔭だと感謝しています。しかし、日本は満州事変以来の15年戦争で2千万人以上もアジア人や欧米人を殺害したのですから、神はその償いも原爆でお求めになったのだと思います。日本人の戦争犠牲者は民間人を含めても300万人余でしたが、国内が戦場と化したドイツでは、兵士と民間人を合わせて日本の3倍もの人たちが戦争の犠牲となっています。私は日本人の犠牲がドイツより少なかったのは、聖母の特別の御配慮によると考えています。しかし、もしも日本国民が神の御前で自分たちの為した罪を自覚せず、償おうともせずに、アメリカに原爆投下のお詫びを要求するだけであったなら、神は何時の日かその日本人たちの目覚めのため、別の恐ろしい鞭を振るわれるかも知れません。

    私はこの点で、今の日本のマスコミが広めている見解には従わずに、あの原爆投下の背後に神の御手を眺め、謙虚な畏れの信仰を堅持するよう心掛けています。そして毎週2回は御ミサの中で敵味方の無数の戦争犠牲者たちの冥福を、ミサの意向に合わせて祈っています。小さな祈りですが、神も聖母もあの世の霊魂たちも、私のその祈りを喜んで下さり、度々あの世から護り導いて下さるように感じています。