2011年9月25日日曜日

説教集A年:2008年9月28日年間第26主日(三ケ日で)

第1朗読 エゼキエル書 18章25~28節
第2朗読 フィリピの信徒への手紙 2章1~11節
福音朗読 マタイによる福音書 21章28~32節

① 本日の三つの朗読聖書は、私たち人間の考えとは大きく異なる神のお考えについて教えていた、一週間前の主日の朗読聖書と同様の外的状況で話されたり書かれたりしたものです。ある意味ではその第25主日の三つの朗読聖書を少し補足し、これまでの自分中心の生き方を悔い改めて、神の御言葉、神の導きに従順に聞き従うことを説いている、と申してよいでしょう。第一朗読は、バビロン捕囚の状態で希望を持てずにいるイスラエルの民に、預言者エゼキエルが伝えた神の言葉であります。神の民が自分たち中心であった生き方から離れて「悔い改め」、神のお考え中心の「正義と恵みの業を行う」なら、「自分の命を救うことができる」「必ず生きる。死ぬことはない」と、神は救いに至る「主の道」を明示し、新しい救いを保障して、希望を与えようとしておられます。

② 第二朗読では、ローマで捕囚状態にある使徒パウロがフィリッピの信徒たちに、自分と「心を合わせ、思いを一つにして」相互の愛と一致に励むよう勧めています。「何事も利己心や虚栄心からするのではなく、へりくだって互いに相手を自分より優れた者と考え、めいめい自分のことだけでなく、他人のことにも注意を払いなさい」と具体的に書いている言葉から推察すると、まだ若いフィリッピの信徒団の中には、少しでも他の人たちの上に抜け出よう、他の人たちに自分の能力や努力を認めてもらおうと努める人たちが、少なくなかったのかも知れません。

③ このような雰囲気は、若い人たちが多く集まっている神学校や修道院でもごく普通に見られます。その若々しい意欲は結構なのですが、私が以前にそういう雰囲気の中で体験したことを回顧して見ますと、常日頃少しでも同僚たちの上に立とう、先を行こうとしていた神学生たちの多くは、結局長続きせずに神学院を去ったり、病気で体調を崩して別の道に進まざるを得なかったりしたように思います。病気で神学院を去った人たちの中には、能力も祈りの精神も申し分のない人もいましたが、そういう挫折の実例を幾つも目撃しているうちに、私は、司祭への召命は神からの特別な愛の微妙な賜物で、自力でどれ程努力してもそこには留まり得ず、日々謙虚に神の助けを祈り求めつつ、ひたすら神に支えられて生きようと努めることによってのみ、留まり続けて立派な実を結ぶことができるものだ、と思うようになりました。事私の召命に関する限り、この確信は今でも変わっていません。

④ 今年の11月24日に長崎で188人の日本人殉教者たちが列福されることから、今日本の教会では、その殉教者たちの模範に倣って信仰を守り抜く決意や、自分の死に対する覚悟を固めることなども強調されているようですが、私はそれも、自力では達成し得ず、実を結ぶ好ましい死は、神からの特別な愛の微妙な賜物であると考えています。それで既に30年ほど前から、毎朝神に善い死を遂げる恵みを祈り求めています。自力に頼らずにひたすら神の御力に頼ることを、日本の無数の殉教者たちも日頃から熱心に祈り求めることにより、この模範を身をもって私たちに証ししていると思います。本日の第二朗読の後半は、主の受難の主日や十字架称賛の祝日にも読まれた、初代教会の「キリスト賛歌」と言われているものですが、そこにも謳われているように、「自分を無にして」ひたすら天の御父の導きに徹底的に従われた主イエスの御模範に、私たちも見習うよう日頃から心がけましょう。

⑤ 本日の福音は主イエスが祭司長や民の長老たちになされた話ですが、始めには「いやです」と父の望みに従うことを拒んだ兄が、後で考え直して出かけ、父の望み通りにぶどう園で働いたことが、主によって評価されています。このことは、過去はどれ程神に背き怠惰であっても構わないから、来臨なされた主を目前にしている今この時点で悔い改め、自分たち中心の生き方から離れて謙虚に神の御旨中心に生き方に転向するなら、神の憐れみによって救われることを示していると思います。恵み深い主はその救いの時、悔い改めの時を、今私たちにも提供しておられるのではないでしょうか。自力主義に流され勝ちであったこれまでの自分の生き方を退け、神の御旨中心に幼子のように神に頼って生きる決意を新たにしながら、本日のミサ聖祭を献げましょう。

⑥ 本日は「世界難民移住移動者の日」とされており、ローマ教皇も全世界に宛てて特別のメッセージを発しておられます。読んでみますと、世界には今なお悲惨な状態に置かれている難民や移住者たちが、非常に多くいるようです。わが国にも諸外国からの移住者が年々増加していますが、その人たちに対する国家や地域社会からの配慮と援助がまだまだ大きく不足してと聞いています。「郷に入っては郷に従え」という古い考えに留まっているだけでは足りません。現代世界の悲惨な状況をみますと、神は明らかに私たち人類がこれまでの考えや生き方を改めて、労苦する全ての人に対する救い主の愛に生きること、その愛を実証することを強く求めておられると思います。世の終わりまで私たち人類と共にいて下さると約束なさった主イエスは、苦しむ全ての人たちとの連帯精神の内に、今も生きて問題解決のため共に苦しみ、共に働いておられると信じます。大きなことはできない私たちですが、その主と一致して一人でも多くの人の心がこの深刻な問題に目覚めて問題解決に積極的に協力するよう、神からの照らしと助けの恵みを、難民・移住移動者たちのため献げられるこのミサ聖祭の中で祈り求めましょう。

2011年9月18日日曜日

説教集A年:2008年9月21日年間第25主日(三ケ日で)

第1朗読 イザヤ書 55章6~9節
第2朗読 フィリピの信徒への手紙 1章20c~24、27a節
福音朗読 マタイによる福音書 20章1~16節

① 本日の三つの朗読聖書には、私たち人間のこの世的考えと神のお考えとの大きな違いが示されていると思います。集会祈願文にも、「いつも近くにおられる神よ、あなたの思いは全てを越えて全てに及び、慈しみの深さははかり知れません」とあります。第一朗読は、神の民が犯した罪のためバビロンで捕囚状態にあり、希望を失って熱心に祈ろうともしないイスラエル人たちに、預言者第二イザヤが「主に立ち帰るなら、主は憐れんで下さる」「豊かに赦して下さる」と呼びかけている話ですが、その中に読まれる、「私の道はあなたたちの道と異なる」「私の思いはあなたたちの思いを高く越えている」「天が地を高く越えているように」という、神の御言葉に注目しましょう。
② 私たち人間は、罪によって汚され、煩雑に乱れているこの世の人間社会で日々体験することを基準にして、自分の人生や社会などを考えますが、それは全宇宙を創造し、大きな愛をもって統括しておられる神のお考えとは、雲泥の差があると思われます。信仰生活・精神生活においては、人間たちがその日常体験に基づいて作りあげた「常識」という尺度にも気をつけましょう。私たちが自分の人生の中心・導き手として崇めている神のお考えは、しばしばこの世の人間たちの考えとは大きく異なっているからです。
③ 私がローマに留学していた1960年、すなわち第二バチカン公会議の直前頃に、ローマのグレゴリアナ大学布教学部の某教授はその講義の中で、現代の私たちは「諸宗教」という言葉を頻繁に耳にするようになったが、神のお考えでは「宗教」は一つしかなく、自分もその立場で考えている、というような話をしたそうです。そのことを私の同期で布教学を学んでいたブラジル人神父から聞いた時、私は心に深く共鳴するものを覚えました。その時以来私は、「諸宗教」という言葉を使っても、心では、全ての宗教は神の御前で皆一つの宗教であり、いずれ皆そうなるよう神から求められているのだ、と考えるようになりました。
④ その後キリスト教諸派の代表者たちやマスコミ関係者たちをオブザーバーとして招き、明るい開放的な雰囲気の中で開催された公会議の直後、その公会議でも活躍したドイツ人神学者カール・ラーナーが、家庭や社会のため真面目な奉仕的精神で生きている異教徒や未信仰者たちを、「無名のキリスト者」として考える新説を唱道した時、私はこれも神のお考えであろうと思うようになり、たまたま1966年の夏に、私の生活していた神言会のネミ修道院で一流神学者たちの会議が一週間開催された機会に、カール・ラーナーと個人的に半時間会談する機会にも恵まれました。これは、神からの特別のお恵みであったと感謝しています。神は実際、温かい大らかな御心で人類各人の善意や弱さなどを見守り、それに伴っておられる方だと信じます。
⑤ しかし、その2年ほど後から、「無名のキリスト者」の思想を理知的に冷たく受け止め、現代にはもうキリスト教を宣教する必要はないなどという過激な思想がカトリック教会の一部で囁かれ始めた時、これは神のお考えでもラーナーの考えでもないと、私は強く反対しました。第二バチカン公会議も、「教会憲章」や「教会の宣教活動に関する教令」の中などで、カトリックの福音宣教の必要性を強調していますから。大切なことは、この世の人間理性が産み出す理知的な考えや尺度ではなく、何よりも神のお考えに従おうとする従順の精神だと思います。聖書も神学も、その他各種の新しい出来事も、全てこの精神で受け止め、神の御働きへの従順の立場から吟味し判断するように心がけましょう。
⑥ 本日の第二朗読は、ローマで囚われの身である使徒パウロがフィリッピの信徒団に宛てた書簡の一節ですが、その中に多少意味不明に見える言葉が読まれます。「私にとって生きるとはキリストであり、死ぬことは利益なのです」という邦訳文です。私はこの箇所を原文に従って「生きるのはキリストであり、死ぬのは儲けです」と少しだけ訳し変え、私の内に生きて下さるのはキリストであり、死んでこの世の危険や労苦から解放されるのは、キリストと共にいたいと熱望している私にとっては大きな儲けなのです、と解釈しています。しかしパウロには、自由を奪われ監禁されながらでも、今しばらくこの世に留まってキリストの命に生かされつつ働くのが信徒たちには必要であろうという思いもあり、これら二つの考えの間で心は板挟みの状態になっているというのが、この時の使徒パウロの心境なのではないかと考えています。
⑦ 本日の福音は天国を、ぶどう園の労務者たちに賃金を支払う慈悲深い主人に譬えた主イエスの話ですが、この世の人間社会の合理的報酬観の立場でこの譬え話を読むなら、天国は不公平の支配している所という、間違った印象を与え兼ねません。一日中暑さを我慢して働いた労務者も、夕方にほんの一時間しか働かなかった労務者も、等しく1デナリオンの報酬を受けるのですから。多く働いた人たちが不満になって呟いたのも、当然と思われて来ます。しかし、人間のこの世的常識や合理的原則を最高の基準とせずに、神のあの世的博愛の配慮に従おうとする立場でこの譬え話に学ぼうとしますと、雇用先が見つからずにいる貧者たちに対する、ぶどう園の主人の温かい思いやりと奉仕の愛が注目を引きます。困っている弱い人や貧しい人たちに対する、損得無視の奉仕愛に生きておられる神の統治しておられる天国に入れて戴くには、同様の自己犠牲的奉仕愛を実践的に身につける必要があるのではないでしょうか。大きなことはできない私たちですが、せめて日々自分にできる小さな実践で無料奉仕する愛を少しずつ身につけ、磨くことに心がけましょう。そのための照らしと助けを神に願い求めて、本日のミサ聖祭を献げたいと思います。

2011年9月15日木曜日

説教集A年:2008年9月15日悲しみの聖母の祝日(御嵩のヨゼフ館で)

   
① 本日の祝日は、フランス革命に始まるいわゆるナポレオン戦争が終わった直後の1814年にローマ教会に導入され、その時から十字架称賛の祝日の翌日、9月15日に祝われています。「悲しみの聖母」と聞くと、新約聖書に述べられていることから七つだけ取り上げた「聖母の七つの悲しみ」だけを考える人がいますが、聖母の耐え忍ばれた悲しみはその七つだけではなく、もっともっと遥かに多いと思います。

② 原罪の穢れなしにこの世にお生まれになったと聞くと、ああ何と清く美しい幸せな人生なんでしょうかなどと、そのプラス面だけを想像する人は現実離れしていると思います。生来全く清らかな聖マリアの御心は、この罪の世では幼い子供の時から人並み以上にたくさん苦しまなければならなかったと思われるからです。罪に穢れた普通の子供たちの何気ない利己的な仕草や言葉や喧嘩などを見るだけでも、耐え難いほどの嫌気を覚えておられたと思われます。事によると他の子供たちの言行に同調せず、少し批判的な態度を示したために、苛めを体験なさったこともあるかも知れません。察するに、マリアは日々体験させられる数多くのそういう苦しみを耐え抜くため、小さな子供の時から神に助けを願い求めていたのではないでしょうか。

③ 伝えによるとマリアの母アンナはベトレヘムの司祭マタンの娘で、マリアの父ヨアキムはダビデの子孫に当たる人だそうですが、信仰厚い二人は長年子宝に恵まれず、年老いてからようやくマリアが授かったのだと言います。両親はそのマリアを「3歳の時にエルサレム神殿にささげた」そうですが、これはエルサレム神殿に奉仕するレビ族の寡婦たちが経営していた女の子の育児施設に預けたことを意味していると思います。歳老いてもう自分たちでは育てられないからだと思います。祈りを本職とするレビ族の婦人たちは文字を読み書きできましたから、マリアはその施設で文字を習い、詩篇を唱えることも聖書を読むことも教わったと思われます。しかし、性格の異なる子供たちとの共同生活の中で、清いマリアの御心は苦しむことも人一倍多く、その苦しみ故に日々神に助けを願っておられたことでしょう。そして察するに、苦しみながらの祈りに、神が応えて下さるのを日々小刻みに生き生きと体験し、神が自分の全てを見ていて下さるのを実感して、神の隠れた現存に対する信仰を深めていたのではないでしょうか。

④ 育児施設はいつまでもいる所ではないので、恐らく10歳代後半に入った頃に、マリアは施設を去って社会に出たと思われますが、しばらくして貧しい渡り職人のヨゼフと婚約を結び、ヨゼフのいるガリラヤのナザレに住んでいることから察しますと、マリアは親譲りの家も豊かな資産もない女性で、ヨゼフと同様に貧しい生活を営んでいたと思われます。「ナザレから何か良いものが出るだろうか」という、ナザレの社会を軽視したナタナエルの言葉や、後年主がナザレの会堂で軽蔑され迫害されたことなどから察しますと、施設育ちの貧しいよそ者マリアは、ナザレの人々からあまり評価されず、施設にいた時よりも苦しい日々を過ごしておられたのではないでしょうか。しかし、そういう苦しみには既にある程度慣れていたので、マリアはその苦しみをバネにして、社会の人々のために祈ることに努めていたことでしょう。そして天使のお告げを受け、神の御子救い主を身に宿してからは、全人類の救いのために一切の苦しみを献げるようになったのではないでしょうか。

⑤ 被昇天の聖母マリアについても、私たちから遠く離れた天上の栄光の内におられる存在とのみ考えないよう、気をつけましょう。聖書によると、人間は神に特別に似た存在として創られました。罪から完全に浄められ、主イエスの復活体のように新しい霊的命に復活した人間は、神のように永遠に幸せに生きるだけではなく、神のようにどこにでも自由に存在して、見ること知ること働くことのできる神出鬼没の存在になると思います。私たちは皆、世の終わりに復活した後にそのような霊的人間になるのだと信じます。しかし、それまでは天国の諸聖人たちもまだ肉体を持たない、いわば死の状態にあるのですから、霊魂で神を讃え、この世の人々のために取り次ぐことはできても、神出鬼没の自由な霊的人間として知ることや働くことはできません。しかし、体ごと天に上げられた聖母は、主イエスと共に新しい霊的命に生きる復活体をもって、あの世だけではなくこの世でも神出鬼没にお働きになることができると思われます。この世の人類史の動向も、数多くの戦争や災害の悲惨な様相も、その現場に行って目撃しておられると思われます。

⑥ 事実聖母は、フランス革命前後頃から人間理性中心に生きる個人主義的潮流が政治・社会・教育のあらゆる分野で広まり、産業革命によってそれまでの社会構造が大きく変貌し、富の格差拡大や冷たい個人主義の普及で温かい世話を受けられずに苦しむ弱小者が激増し始めると、1830年にパリで御出現になり、不思議なメダイを身につけて聖母の御保護を受ける道をお開きになったのを始めとして、今日に至るまで世界各地に度々御出現になって、そのお言葉に従って祈る人、ロザリオを唱える人たちに御保護や癒しの恵みを与えたりしておられます。この世で益々ひどく悪がはびこり、救いを求めて苦しむ人たちがいる間は、聖母は天国の喜びの中におられても、母として深い悲しみや苦しみも味わって、時々は涙を流しておられるのではないか、と私は考えます。神の許での超自然的喜びと、人間としてのこの世的悲しみや苦しみは共存し得ますし、聖母は今も人間としての体をお持ちなのですから。

⑦ 涙と言えば、イタリアでも涙を流す聖母像の現象がありましたが、わが国でも秋田で聖母像が1975年1月4日から81年9月15日までの間に101回も涙を流す現象が、多くの人たちに目撃されています。79年3月25日には聖母像のお顔だけではなく、御像の台まで濡らす程多量の涙が流されています。それらの涙は首都圏や本州各地の人たちによってだけではなく、北海道や九州・沖縄・韓国などからの巡礼者たちにも目撃されており、79年12月8日には、東京12チャンネルのテレビ局のスタッフ4人によって撮影されています。岐阜大学医学部の勾坂馨教授が二度にわたって綿密に鑑定した結果、聖母像の右手の傷口から出た血と両眼から出た涙は全て人間のもので、血はB型で、涙はAB型であったり、O型であったりしています。聖母のお声や天使の声を度々聞いた姉妹笹川カツ子さんの血液型はB型だそうですから、笹川さんの血や涙が超能力によってそこに転写したものではあり得ません。笹川さんが遠く離れた所に行った留守中にも、涙を流す現象は起こっているのですから。そこにはやはり、あの世からの超自然の力と徴しが働いて、私たちに何かを訴えているのだと思います。聖母のあの世的お体は、この世の血液型からも自由になっていて、いろいろと血液型を変えることもお出来になるのかも知れません。

⑧ 「悲しみの聖母」の祝日に当たり、主イエスと共に世の終わりまで生きる人間として私たちこの世の人類に伴っておられる聖母マリアの現存を信じ、その愛と今のお嘆きについても思いを致しながら、聖母と共に全人類の救いのため神に祈りましょう。

2011年9月14日水曜日

説教集A年:2008年9月14日十字架称賛の祝日(三ケ日で)

第1朗読 民数記 21章4b~9節
第2朗読 フィリピの信徒への手紙 2章6~11節
福音朗読 ヨハネによる福音書 3章13~17節
 
① 本日の祝日は二つの歴史的出来事を記念する日として古代から祝われています。その一つは、キリスト者迫害を終わらせ、キリスト教保護に努めたコンスタンティヌス大帝の母君聖ヘレナの尽力で、エルサレムで奇跡的に発見された主キリストの十字架の一部分を、ローマのラテラノ聖堂から700メートルほど離れた所に新築した「エルサレムの聖十字架聖堂」に移し、その聖堂が献堂された335年9月13日の翌日に、その聖十字架の一部(長さ1m位の太い木)を初めて信徒団に荘厳に提示し、崇敬させた行事の記念であります。この聖十字架聖堂は、コンスタンティヌス大帝がゴルゴタの丘を崩して、その土を数百台の車でカイザリアの港まで運ばせ、そこからローマに持って来させて造った丘の上に建設されました。戦火を逃れて今も建っているこの聖堂の本祭壇横からは、小さな緩い坂道を登って本祭壇後方の頂上まで、十字架の道の祈りをなすことができるようになっています。

② もう一つは、エルサレムに保管され崇敬されていた聖十字架が、7世紀前半にイスラム軍に奪い取られた時、東ローマ皇帝ヘラクリウスが628年にそのイスラム軍を撃退して奪い返し、エルサレムでは皇帝自ら奴隷の姿に身をやつし、聖十字架を背負って元の聖なる保管所に運び入れた、という出来事の記念であります。エルサレムの聖地は後にイスラム教徒の支配地になりましたが、その前にこの聖十字架は細分されて各地に分散され、後には更に細分されて世界各地で崇敬されています。したがって、現存する聖十字架の一番大きな断片は、ローマの「エルサレムの聖十字架聖堂」にあります。

③ 本日の第一朗読には、イスラエルの民が「旅の途中で耐えられなくなって、神とモーセに逆らって言った」という言葉が読まれます。旧約聖書には、イスラエルの民をエジプトの奴隷労働から解放しようとしなかったファラオについてだけではなく、そのイスラエルの民自身についても、「頑なな」という言葉が幾度も使われており、民は神の御旨に逆らって不満・不平を口にした度ごとに、神から厳しい天罰を体験させられています。モーセの時代だけではなく、預言者時代にもこのようなことが幾つも記されています。

④ いったいなぜ民は耐えきれない程不満になったのでしょうか。思うに、無意識のうちに全てを自分たち中心に考え、その心で神をも社会をも巧みに利用しながら生きようとしていたからではないでしょうか。男にも女にも多いこのような心の人は、無意識のうちに何かの快い外的状態の夢を次々と心の中に描き、その夢と比べて目前の現実があまりにも悲惨に見えるため、蓄積するストレスに耐えられなくなり、不平・不満を口にするのではないでしょうか。心がそんな夢を産み出したり現実と比較したりしなければ、それほど苦しむこともないと思いますが、いかがなものでしょうか。

⑤ 歳が進んで高齢組に入ったら時々思うのですが、経済の高度成長期に豊かさと便利さの中に生れ育ち、個人主義・自由主義の風潮の中で、愛をもって厳しく叱られたという体験をしたことのない人たちの心は、全てを自分中心に考えるように傾いていて、本当に可哀そうだと思います。誰でも日常的に出逢うごく小さな不調や苦しみにも、心が耐えられなく覚えてストレスが心の底に蓄積され、それが大きくなると不満を口に出したりキレたりするようになり、楽しみの多いこの世の人生行路を、日々苦しみつつ過ごしているように思われるからです。自分で自分の心を苦しめているのではないでしょうか。小学校に入った年から日中戦争が始まり、戦地の兵隊さんたち宛てに慰問の葉書を送ったり、日々自分の出逢う小さな不便や苦しみを喜んで耐え忍ぶことにより、その忍耐を神仏に献げて兵隊さんたちを護って下さるよう祈ったりする教育を受けて育った私は、戦後間もなくカトリックになってからも、自分の出逢う不便や苦しみを神に献げて、今助けを必要としている人たちの上に神の恵みを祈ることに努めるようになり、こうして苦しむ人たちとの内的連帯の精神で生活していますので、心の中にストレスを蓄積することも遥かに少ないように感じています。できることなら、このような仕合わせな生き方を苦しむ現代人にも勧めたいです。

⑥ 本日の第二朗読の中で、使徒パウロは主イエスについて、「自分を無にして僕の身分になり」「へりくだって死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした」と述べています。主が身をもって示されたこの生き方の中に、私たちが神の御力によって救われ、永遠の命を得るための道と秘訣が示されているのではないでしょうか。本日の福音の中でも、「神が御子を世に遣わされたのは」「御子によって世が救われるためである」と述べられていますから。

⑦ 先日、私よりも10歳年上の医学博士土居健郎氏の『甘えの構造』という著名な著書を久しぶりに再読していましたら、ふと自分中心の生き方を伝統的に強く受け継いでいる欧米の近代人よりも、伝統的に自我意識の弱い日本人の方が、神の恵みを豊かに受けるのではないかと思うようになりました。ただし、現代世界に流行している自分中心・自由主義の思潮に汚染されずに、お天頭様や神仏の働きを信じ、それに快く従おうとする古来の伝統的な生き方を保持している日本人の場合です。再び自分のことを話すのは恐縮ですが、私は戦争中の小学校で、自分の体を「天子様の体です。大事にします。鍛えます。云々」と宣言する信条を毎朝皆で唱えさせられ、自分を無にして国に奉仕する教育を受けました。それで戦後カトリックに改宗しても、天子様 (すなわち天皇) を天主 (すなわち神) に変えて、ほとんどそのままに神に身を献げる信仰生活・修道生活に進むことができたように思います。戦争中の「我なし」教育が、私の場合には修道生活のための心の準備であったように思い、神の不思議な御摂理に感謝しています。

⑧ 「甘え」という言葉はマイナスの意味で使われることが多いですが、土居健郎氏はこの言葉を、欧米人とは違う日本人の心の特徴的傾向を説明するために使っており、決してマイナスの意味にはしていません。強いて言うなら、自我意識が弱いという意味で使っています。そこにはマイナス面ばかりでなく、プラス面もたくさんあるからです。17,8世紀に近代的自我の目覚めが欧米の社会に広まって、教育・思想・政治などの基盤を変革すると、欧米人は一般に何でも理知的に考究し吟味する心の傾向を強め、それが産業改革の流れと相俟って、近代文明を大きく発展させました。幕末明治の日本人はその文明を積極的に導入しましたが、心の中にはまだそれまでの伝統的傾向を保持し続けていました。

⑨ ようやく戦後の理知的個人主義・自由主義の教育を受けた日本人の間に、欧米人に似た心の傾向や悩みを抱いている人たちが増えて来ています。日本の教育界や社会がそのように大きく変化する以前に、昔の「我なし」教育で養われた心のまま修道院に入った私は、本日の第二朗読に読まれる「自分を無にして僕の身分になり」天の御父に徹底的に従順であられた主キリストの生き方に深い共感を覚えますし、慈愛深い天の御父に日本的「甘え」の心情を向けて、幼子のように全てをお任せしつつ生きることにも喜びを見出しています。理知的個人主義に汚染されて悩んでいる現代人の心が、聖書に描かれているこういう信仰の喜びを見出すためには、よほど大きな根本的改心が必要だと思います。その恵みを全能の神に祈り求めつつ、本日のミサ聖祭を献げましょう。

2011年9月8日木曜日

説教集A年:2008年9月8日聖マリアの誕生(泰阜のカルメル修道院で)

第1朗読 ミカ書 5章1~4a節または ローマの信徒への手紙 8章28~30節
福音朗読 マタイによる福音書 1章1~16、18~23節

① 本

2011年9月4日日曜日

説教集A年:2008年9月7日年間第23主日(三ケ日で)

第1朗読 エゼキエル書 33章7~9節
第2朗読 ローマの信徒への手紙 13章8~10節
福音朗読 マタイによる福音書 18章15~20節
 
① 本日の三つの朗読聖書は、神から与えられた掟や警告などの順守の仕方について教えていると思います。神は人間をそれぞれ個人として生活するようにお創りになったのではありません。創世記には、人間を男と女にお創りになった神は、「産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ」とお命じになりました。聖書によりますと、これが私たち人間に与えられた神からの最初の命令であります。人間各人は、個人として神の御前に進み出るのではなく、共同体の一員となり隣人たちと仲良く手をつないで神の許に来るように、と神から望まれ求められていると思います。

② 本日の第一朗読は、紀元前6世紀のバビロン捕囚時代に、その捕囚の地で活動した預言者エゼキエルに与えられた神の言葉ですが、それによると、預言者は神から与えられた警告の言葉を、そのまま相手に語り伝えるだけであってはなりません。例えば「悪人よ、お前は必ず死なねばならない」という神よりの警告を相手に伝えるだけではなく、預言者自身もその人に警告し、その人が悪の道から離れるように説得しないならば、神からその責任を問われることになる、というのです。自分一人だけで神の掟を忠実に守り、神に喜ばれる人間になろうとしてはならないという、こういう神のお言葉を読みますと、私は神学生時代に当時のドイツ人宣教師から「必ず少なくとも一人か二人に自分の受けた信仰の恵みを伝え、手をつないで天国に行こうとしなければ、天国の門前でその怠りを咎められるでしょう」と言われていたことを、懐かしく思い出します。

③ 後年、京都の知恩院で研修を受けた時、1970年代、80年代の浄土宗には、教祖法然の教えに従って「お手つぎ運動」というのがあることを知りましたが、私たち人間が互いに助け合い補い合って愛の共同体を造ること、そしてそういう共同体となって生活し、天国へと進んでくること、それが神の創造の初めから望んでおられる理想的人間像だと思います。現代は個人主義が盛んですが、自分一人で救われようとする考えを放棄して、一人でも多くの人と、特に今苦しんでいる人たちと内的に手を繋ぐ連帯精神を大切にし、そういう隣人たちのために日々自分の祈りや苦しみ、あるいは小さな不便や節約などを喜んで献げつつ生活するよう心がけましょう。すると不思議に神の導きや助けを体験し、実感するようになります。

④ 本日の第二朗読も、この立場で理解するように致しましょう。使徒パウロの考えでは、神から与えられた律法やその他の掟は、全て「隣人を自分のように愛しなさい」という言葉に要約されます。ここで言われている「隣人」は、現実にはいろいろと数多くの罪科や欠点を抱えていて、自分とは考えも好みも大きく異なる、真に付き合い難い人間であるかも知れません。しかし、そういう隣人の中にこそ神が隠れて現存し、そっと私たちに眼を向けておられのです。その人の行いや言葉を自分の好みや理知的な考えで批判したり退けたりする前に、まず神が私から求めておられると思われる自己放棄や苦しみを喜んでお献げ致しましょう。それからその隣人が神信仰に成長して仕合わせになるために必要と思われることを、進んで提供するするに努めましょう。それが、神の求めておられる「隣人を自分のように愛する」ことだと思います。

⑤ 本日の福音の前半には、こういう兄弟愛の生き方に背く罪の中に留まり、自分中心に利己的に生きようとしている信者に対する対処の仕方を教えた主の御言葉だと思います。時代の大きな過渡期には個人主義が盛んになって、信仰の恵みに浴しても、自分中心に生き続ける人は少なくないと思われます。人間の弱さから教会共同体の内部や修道院共同体の内部にまで侵入して来るそういう悲しい現実には、主の御言葉に従って適切に対処するよう心がけましょう。

⑥ 本日の福音の後半に読まれる、「二人または三人が私の名によって集まる所には、私もその中にいる」という主の御言葉は、私たちの心に大きな慰めを与えます。復活なされた主イエスは、その復活の日の午後にエマオへ行く弟子たち出現なされた時と同様に、今も世の終わりまでその復活体で生きておられ、目には見えないながらも私たちの集まりの中に現存しておられるのです。この事を堅く信じましょう。するとその信仰のある所に、不思議に主が働いて下さいます。私たちが少人数でささげるこのミサ聖祭の中にも、主は実際に現存しておられます。そして主は今も、私たちが「心を一つにして求めるなら、私の天の父はそれを叶えて下さる」と確約しておられるのではないでしょうか。本日の福音に読まれる主のこのお言葉に信頼しつつ、私たちの願いを捧げましょう。

⑦ 第二バチカン公会議後に刷新された典礼では、全ての日曜日は主の復活を記念し崇め尊ぶ日とされています。それは、2千年前の出来事を単に記念するという意味ではないと思います。2千年前にもはや死ぬことのないあの世の命に復活なされ、度々弟子たちに出現なされた主イエスは、今もその同じ復活体で生きておられ、目には見えないながらも世の終わりまで私たちに伴い、神出鬼没に私たちの間に現存しておられるのです。毎日曜日、その主の隠れた現存に対する信仰を新たにしながらミサ聖祭を献げるようにというのが、教会のお考えだと思います。ミサの中ほど聖変化の後に、司祭が「信仰の神秘」と呼びかける時、古代のギリシャ教父たちは特に主の現存に心を呼び覚ますようにしていたと聞いています。信徒はその言葉に「主の死を思い、復活を讃えよう。主が来られるまで」などと答えますが、これが口先だけの習慣化した祈りにならないよう気をつけましょう。主は死んだことによってこの世の目には見えなくなりましたが、その復活なされた命で世の終わりまで私たちと共におられることを堅く信じるという心を込めて、唱えましょう。