2009年12月27日日曜日

説教集C年: 2006年12月31日、聖家族の祝日(三ケ日)

朗読聖書:Ⅰ. サムエル上 1: 20~22, 24~28. Ⅱ. ヨハネ第一 3: 1~2, 21~24. Ⅲ. ルカ福音 2: 41~52.

① 以前にも話したとおり、私たちは三ヶ月に一度土曜日か日曜日に、浜松から豊橋に至るまでの地元民の上に神の豊かな祝福を願い求めてミサ聖祭を献げていますが、本日のミサはその意向で献げられます。ご一緒にお祈りください。本日の福音には、過越祭の巡礼団に参加して両親と共に聖都エルサレムに滞在した、12歳の少年イエスの言葉が読まれます。福音書にはそれ以前のイエスの言葉が全く載っていませんから、この言葉が、私たちに残された主イエスの最初の言葉になります。当時巡礼団が行進する時は、男のグループと女のグループとが分かれており、12歳未満の子供は通常母親と共に、それ以上の男の子は、男のグループに属して行進していました。ちょうど12歳になったばかりの男の子は、同年輩の男の友人が男のグループにも女のグループにもいるので、ある程度自由にどちらかのグループに入ることができたようです。そのため母親のマリアは、少年イエスが女のグループの中にいなくても別に不審に思わず、同様にヨゼフも疑いを抱かずに、エルサレムからイェリコ辺りにまで巡礼団と一緒に降ってから、家族ごとに野宿する時になって、少年イエスが一緒にいなかったことに気づいたのだと思います。しかし、荒れ野の長い坂道を夜にエルサレムまで戻ることはできないので、二人は一夜明けた翌日に心配しながら、エルサレムへ戻って行ったのだと思います。

② 察するに、夕暮れ近い頃にエルサレムに着いて、親戚・知人の家々を訪ねても、イエスを見つけることができず、不安をつのらせながら、更に一夜を明かしてから、三日目の午前に神殿に行ったのだと思います。すると律法学者たちが子供たちに宗教教育をなすことの多いソロモンの回廊の所だと思いますが、イエスが学者たちの真ん中に座り、教師の話を聞いたり質問したりし、そこにいる人たちが皆、その賢い受け答えに驚いているのを発見しました。

③ マリアとヨゼフも、初めて見るイエスのこのようなお姿に驚いたと思います。質疑応答が一応終わった後で、マリアはイエスに近づき、「なぜこんなことをしたのですか。ご覧なさい、お父さんも私も心配して捜したんです」と問い質しました。両親にひと言も断らずに神殿の境内に留まり、大きな心配をおかけしたのですから、母マリアのこの詰問は当然だと思います。すると少年イエスはそれに対して、日本語の訳文によると、「どうして私を捜したのですか。私が自分の父の家にいるのは当たり前だということを、知らなかったのですか」と答えたのです。過越祭には毎年エルサレム神殿に来ているのに、今までは両親に大きな心配をかけるそんな勝手な行動をしたことも、そんな不可解な言葉を口にしたことも恐らくなかったでしょうから、両親にその言葉の意味が分からなかったのも、当然だと思います。この世の私たちの社会的常識から考えても、この言葉は理に合わず、全く不可解だと思います。いったい少年イエスは、なぜこんな返答をしたのでしょうか。主が神殿にいるのが当たり前だなどと考えなかったのが、むしろ当然だったのですから。

④ 神学生時代から抱いていた私のこのような疑問に対する答えを、私はローマ留学中に読んだ、1964年発行の神学者カール・ラーナーの著書”Betrachtungen zum ignatianischen Exerzitienbuch”(イグナチオの霊操書のための考察)の中に見つけました。本日はそのことについて少しお知らせ致しましょう。満12歳という年頃は、人間がそれまでの子供心から少し脱皮して、自分の将来の使命について話したり、急に思わぬ行動を起こしたりする例が、古来偉大な人物の伝記に散見されるそうですが、人間としての主の御心も、ちょうどその年頃に来て、救い主としてのご自身の使命をはっきりと自覚するに至ったのではないでしょうか。ラーナーは、主がここで初めて父なる神を「私の父」と話しておられることから、この過越祭に神殿で祈っていた時、人間としておそらく初めて何か天の御父からの呼びかけの声を聞いたのではなかろうかと推察しています。そして神との深い祈りの交わりに引き入れられ、ガリラヤへと帰って行く巡礼団の誰にも連絡ができないまま、神殿に取り残されてしまったのではなかろうかと考えています。主が神の御独り子であられることを考慮すると、これはあり得ることだと思います。主はこうして、神の摂理がこの苦しい異常事態を解消してくれるまでの間、祈りつつ飢えに耐えて、神殿の境内に留まっておられたのではないでしょうか。

⑤ 主のお言葉に「自分の父の家に」とあるのは、原文通りの適訳ではありません。ギリシャ語原文では他に類例のない神秘的な表現になっていて、強いて翻訳するなら、「私は自分の父のもののうちにいなければならない」となりますが、この「父のもの」が何を指すのか不明なので、多くの訳文には「父の家」となっており、これを父の家、すなわち神殿と限定して考えると誤解になり、そんなことは少しも決まっておらず、主はそれ以前にもその後も神殿の中で生活しようとはしておられないのに、などという異論が出てきます。ずーっと後で、聖書学者雨宮神父の本から知ったのですが、エルサレムバイブル訳では、これを「父から与えられた仕事」としているそうです。この訳ならば多少判り易いですが、12歳の少年イエスはそのようにも言わずに、もっと含みを持たせた神秘的言い方をしたために、両親には、その言葉の意味が分からなかったのだと思います。

⑥ しかし、理知的理解よりも心の信仰、心の交わりを中心にして生きておられた両親は、主にその言葉の意味を尋ねようともなさらず、少年イエスもすぐに両親に従ってナザレに帰り、両親に仕えておられたので、この時の異常事は、日常の通常事の中に埋もれて忘れられたと思われるかも知れませんが、母マリアは決して忘れず、これらの事を全て心に納めて考え合わせておられたようです。この異常体験が、その後の聖母の信仰生活を一層深みのあるものへと導き高めていったのではないでしょうか。平凡な日常の人間的通常事と神からの介入という異常事との共存、それが私たち信仰に生きる者たちの生活であります。聖母は、晩年にこの忘れ難い異常な出来事を、ルカに語られたのではないでしょうか。察するにマリアは、少年イエスの心には神を自分の父と仰ぎ、その父からの使命の達成を何よりも優先する不屈の意志が宿っていることを、この時から一層はっきりと自覚し、自分もヨゼフと共に、主のその使命の達成に積極的に協力し始めたのではないでしょうか。神からの使命の達成に皆で一つになって生きていた所に、聖家族の一致と平和と喜びの基盤があったのであり、それを模範と仰いで、私たちの家庭生活を振り返り高めようとするところに、本日の祝日の意義があると思います。

⑦ 私たちも自分の言い分や、自分のこれまでの働きや、それに伴う権利等々は二の次にして、まずは自分たちの家族に神から与えられている使命の達成を第一にするなら、そこから家族全員が一つになって生きる力も、喜びも平和も生まれて来ると思います。その照らしと恵みとを今対立と不和に苦しんでいる多くの家族のため、また私たち自身のために神に願い求めつつ、本日のミサ聖祭を献げましょう。

⑧ 降誕節なので、もう一つこれも私のローマ留学中に学んだ話ですが、これまで話す機会のなかった祭司ザカリアについても、ここで少し説明致しましょう。ダビデ王はレビ族の祭司を24組に分けて、各組が一週間ずつ当番制で神殿で奉仕することに決めました。ザカリアはその第8組に所属する祭司でした。過越祭などの大きな祝日のある週には、大祭司たちが神殿の至聖所で祈り香をたくなどの務めをしていましたから、24組に所属する下級祭司たちが神殿に奉仕するのは、一週間ずつ年に2回だけですが、奉仕当番の祭司たちは毎日くじを引いて、選ばれた一人だけが聖所に入って香をたく務めをしていました。なるべく多くの祭司にこの名誉ある務めを果たす機会が与えられるよう、一度くじに当たった祭司はくじ引きから除外されていました。

⑨ 多くの祭司は30歳代、遅くとも40歳代頃にこの聖務を果たしていたと思われます。しかし、ザカリアは高齢に達するまで一度もくじに当たらず、毎日若手の祭司たちに伍してくじを引くことに肩身の狭い思いをしていたと思われます。妻エリザベトも生まず女なので、何か隠れた罪があって神から退けられているのではないかと、人々から軽視されていたことでしょう。それで二人は、聖書にある通り「主の全ての掟と定めとを」可能な限り忠実に順守していたのですが、この苦しい不運は変わらず、二人とももう年老いて諦めていたと思います。ところが、ある日そのザカリアにくじが当たり、彼は他の祭司たちや会衆が外で祈っている間に、聖所に入って香をたくことになりました。

⑩ 聖所に入って香をたいた時には、緊張して心が硬くなっていたと思われますが、その彼に主の天使が現れて、エリザベトの出産と生まれる男子についての、かなり詳しいお告げを与えたのです。彼はすぐにはその言葉を信じることができず、「何によってそれを知ることができるでしょうか」と質問し、天使から「あなたは口がきけなくなり、この事が実現する日まで話すことができないであろう。時が来れば実現する私の言葉を信じなかったから」という、冷たい苦しいしるしを頂戴しました。誤解しないように申しますが、彼は神を信じなかったのではありません。規則や義務の順守を重視するあまりに、その信仰心が愛や喜びの柔軟性を失って、固くなっていたのだと察せられます。全ての掟を忠実に守る旧約時代の信仰生活については模範的でしたが、自分に対する神の特別の愛、自分たちの中での全能の神の働きなどについては、すぐには信じられなかったのだと思います。

⑪ 聖所の中から異常に遅れて出て来たザカリアが、話すことができなくなり、手まねで説明するのをいぶかりながら見ていた外の人たちは、何と思ったでしょう。ザカリアはやはり何かの隠れた大罪があったので、聖所に入ったら天罰を受けたのだと考えたのではないでしょうか。しかし、大きな社会的恥の内に一週間の務めが終わって、黙々と家に辿り着いたザカリアの心は、この時から内的に大きく変わり始めました。妻エリザベトと共に、神の愛に対する感謝と明るい希望の内に生活し始め、この新しい信仰生活の観点から、これまでの神の民の歴史や自分たちの体験をゆっくりと見直し、その意味を深く悟るに到ったのではないでしょうか。ザカリアの讃歌が立証するように。年末に当たって、私たちも自分の人生を神の愛と働きの観点から新たに見直し、神に対する感謝と希望を新たに致しましょう。

2009年12月25日金曜日

説教集C年: 2006年12月25日、降誕祭日中ミサ(三ケ日)

朗読聖書: Ⅰ. イザヤ 52: 7~10. Ⅱ. ヘブライ 1: 1~6.
     Ⅲ. ヨハネ福音 1: 1~18.


① 本日の日中ミサ聖祭は、ローマ教皇のご意向に従って全教会・全人類の上に、人となってこの世にお生まれになった救い主の祝福を願い求めて献げられます。世界中のキリスト者たちと心を合わせ、この意向でお祈り致しましょう。本日の第二朗読には、「神はかつて預言者たちによって語られたが、この終りの時代には御子によって語られました」という言葉が読まれます。「この終りの時代」という表現は、神の子メシアのこの世への来臨が、すでに終末時代の始まりであることを教えていると思います。メシアの先駆者洗礼者ヨハネの、人々に悔い改めを迫る厳しい説教も終末時代の到来を示していますが、しかし聖書によりますと、終末は神による審判よりも、むしろ神による被造物世界の徹底的浄化刷新と生まれ変わりを意味しており、それは一瞬のうちになされるのではなく、人となられた神の子と、その神の子の命を受け入れ、その命に生かされて生きる無数の人間の働きによって、長い年月をかけてゆっくりと実現するもの、長い成長期や準備期を経た後に、突然に世界の表に現われ実現するもののようです。ちょうど最後の晩餐から受難死・復活までの短時日のうちに成就したメシアによる贖いの御業が、その前にメシアの誕生・成長・宣教活動という長い年月の生命的準備期を基盤としているように。とにかく聖書の言葉が、神の子メシアの来臨を終末時代の始まりとしていることは、注目に値します。

② 本日の福音は、ヨハネ福音の序文(プロローグ)からの引用ですが、この世に来臨なされた神の子メシアの本質が何であるかを教えていると思います。それによると、かわいい幼子の姿で赤貧の中にお生まれになったメシアは、実は永遠に存在しておられる神で、万物を創造した全能の神のロゴス、すなわち神の言葉であり、全ての人を生かす神の命、全ての人を照らす神の光なのです。「言葉の内に命があった。命は人間を照らす光であった」という、ただ今朗読された聖句に注目しましょう。その言葉は、私たち人間の言葉とは全く違う、愛の命と光とに溢れている全能の神の言葉なのです。この言葉、すなわちロゴスは、三位一体の共同体的愛の交わりの中では永遠に明るく燃え輝いている光ですが、神に背を向け目をつむる暗闇には理解されず、その暗闇の勢力下に置かれて、神に背を向けて生きる暗い罪の世に呻吟し、道を求めている人たちを訪ね求めて救うため、己を無にして本来の光と力をそっと隠し、赤貧の内にか弱い幼子の姿でこの世にお生まれになったのです。私たちのこの日常的平凡さの中に、深く身を隠して現存しておられる神のロゴスを、温かく迎え入れるか冷たく追い出すかの態度如何で、人間は自ら自分の終末的運命を決定するのだと思います。恐るべき終末の審判は、今すでに始まっていると言ってよいでしょう。

③ ある聖書学者たちは、ヨハネ福音のプロローグは、洗礼者ヨハネについて書かれている部分以外は、初代教会の古い賛歌を基にして作られていると考えています。その見解に従ってヨハネによって追加されたと思われる部分を削除してみますと、その古い賛歌は、1節から5節までの前半と、10節から14節までの後半との二つの部分に分けてよいと思います。そこで今日は、この賛歌についてもう少し詳細に考えてみましょう。日本語の訳文では、言葉(ロゴス)という単語が頻繁に繰り返されていますが、原文では前半部分の1節と後半部分の14節にだけ登場し、他の節では代名詞などに代えられています。

④ 前半は神のロゴスによる万物創造の業を讃え、後半は同じそのロゴスの受肉と人類救済の業を讃える賛歌ですが、前半のロゴスは、創世記第一章の始めとも深く関連しています。例えば創世記は「初めに」という言葉で始まっていますが、ヨハネの福音も「初めに」という同じ言葉で始まっています。この「初めに」は、最初にというような意味の時間的始まりを指している言葉ではなく、時間以前の根源的力のようなものを意味しており、ラテン語でも in principio と翻訳されています。時間空間は物質界が創造された時、その被造物に必然的に伴う枠組みとして一緒に創造された一種の被造物ですが、そういう枠組みも何も全くない神の超越的本源のうちに、神のロゴスは神とともにある神だったのです。創世記もヨハネ福音も、その「超越的本源の内に」を「初めに」と表現し、それがラテン語でin principioと翻訳されているのです。

⑤ 創世記は、被造物として次々と存在し始めた万物の側から、神による創造の業を描写していますが、ヨハネの福音は、その被造物を産み出し支えている神の側から語っています。神のロゴスによらずに造られたものは、何一つ存在しないのです。このロゴスの内に命があり、「この命は人間の光であった」と述べられています。ここで言われている光は、太陽や星などの物質的科学的な光ではなく、それ以前のもっと霊的な光を指していると思います。創世記にも、まだ太陽も星もなく、被造物全体が深淵の水のように流動的で、深い闇に覆われた混沌状態にあった時、神が「光あれ」と言われると、光が輝き出て、光と闇の世界が分かれたように描かれていますが、ここで言われている光も、物質的科学的光ではなく、神よりの力に溢れた霊的光であると思われます。

⑥ 現存する宇宙万物の存在の根底に、神よりの力溢れる霊的光と、それに照らされずにいる闇とが共存しているのではないでしょうか。ヨハネの福音にある「光は闇の中で輝いている。闇はこの光を阻止できなかった」という言葉は、このことを指していると思います。本日の福音に「理解しなかった」と邦訳されているカタランバノーというギリシャ語は、追い越す、打ち勝つ、阻止するなどの意味を持つ言葉で、この場合は「阻止する」の訳の方がよいように思いますので、そのように訳しました。では、万物の存在の根底に隠れていて、神の光に抵抗しているというその闇とは何でしょうか。聖書はここではそれを明示していませんが、私はそれは闇の勢力、人間の創造以前に神に反抗し、この世を支配していようとする悪魔の勢力を指していると考えます。

⑦ 広い宇宙には私たちの想像を遥かに絶する程多くの光り輝く星が点在しており、それに劣らず多くの暗黒星も散在しているようですが、それらの星々の周辺には、空間的にそれらを遥かに凌ぐ暗いガス状エネルギーが広がっていると聞きます。数多くの光り輝く星たちと、その周辺に群がっている膨大なガス状エネルギーとの共存、これが私たちの生活しているこの世の霊的現状のシンボルなのではないでしょうか。最近の科学技術の画期的進歩で宇宙の深遠な神秘が次々と明らかになるにつけ、私は時々そのように考えながら、宇宙研究の成果に注目しています。神は光の国に導き入れられた人々を鍛えて、一層豊かに実を結ばせるためにも、事ある毎にその周辺に群がる闇の勢力を強いて排除してしまおうとはせずに、終末期の最後の瞬間が来るまで共存させているのではないでしょうか。私たちの周辺に展開している闇の勢力は、ある意味で私たちの生命を活性化させ、逞しく発展させる貴重な刺激剤や養分であります。それが神のご計画であり、意思であり、また私たちの置かれている現実であるなら、神から遣わされて闇の支配下にあるこの暗い罪の世にお生まれになった救い主と共に、日々雄々しくその闇の勢力と対決し戦うことを、私たちも覚悟し、決意を固めていましょう。

⑧ 本日の福音であるロゴス賛歌の後半は、人となってこの世に来臨した神のロゴスについて語っています。ご自分の民の所へ来たのに、その民は受け入れなかった、という悲しい言葉が読まれますが、しかし、受け入れた者には神の子となる資格を与えた、という喜ばしい言葉もあります。罪に穢れたこの世の暗い内的闇の勢力に囲まれて生きている私たちには、自分の力、自分の努力によって神の子の資格を得たり、その恩恵に浴したりすることは全く不可能ですが、己を無にしてこの世にお生まれになった神のロゴスが、信ずる全ての人にその恵みを無償で与えて下さいます。社会の伝統的秩序や価値観が悪を統御する力を失って、闇の勢力が世界中に跋扈する様相を呈し始めている今日、私たちを神の子とし、全能の神の働きによって罪の闇から救い出して下さるため、この世にお生まれになった神の御子にひたすら縋り、私たち自身も御子に倣って己を無にし、貧しさ・小ささを愛すること喜ぶことによって、内的に深く神のロゴスに結ばれるよう努めましょう。クリスマスに当たり、絶望的不安のうちに真の道を捜し求めている多くの人々の上にも、そのための導きの光と恵みの力とを願い求めつつ、本日のミサ聖祭を献げましょう。

2009年12月24日木曜日

説教集C年: 2006年12月24日、降誕祭夜半のミサ(三ケ日)

朗読聖書: Ⅰ. イザヤ 9: 1~3, 5~6. Ⅱ. テトス 2: 11~14.
     Ⅲ. ルカ福音 2: 1~14.


① 毎年今宵のミサの福音を読む度に、私はよく1964年の冬にイタリア中部の小さな山の上の古い田舎町フィウッジで、3週間ほど滞在した時のことを懐かしく思い出します。その町でドイツ系修道女会が経営していた病院付司祭が、しばらく故国ドイツで休みを取りたいので、その間代わりに病院に滞在しミサを捧げたり、場合によっては死に逝く病人の世話や、葬儀も担当したりするようにとの依頼でしたので、当時ローマ教皇庁からの聴罪免許証を持っていて、毎日曜日の午前にローマのサン・ベネデット教会で聴罪師の仕事を手伝っており、ドイツ人会員の多くいたローマの本部修道院に住んでドイツ語も話していた私に、その依頼が回されて来たのだと思います。修道女経営のその病院に滞在していて、イタリアの古い埋葬慣習のことやその他様々のことを新しく学びましたが、その一つは、もう今はいなくなったイタリアの貧しい羊飼いと、羊を入れて置く町外れの半分洞窟になっている家畜小屋にめぐり合ったことであります。

② その田舎町では、山頂の広場に面して役場や教会堂が建っており、その広場と、そこから隣町へ行く傾斜の緩やかなメインストリートに面しては、商店や裕福な家々が軒を連ねていますが、ある日の午後の散歩に、その中心部から少し離れた山陰のような町の一角を訪ねてみたら、そこは傾斜が急で不規則に左右に屈折する階段が、麓まで続いている貧民窟のような所でした。その階段で日本人司祭に遭遇した一人の婦人は驚いて、あなたの来る所じゃないと言わんばかりに悲鳴を上げましたが、一番下にまで降りて行ってみたら、臭いにおいが漂っていました。そしてしばらく行くと、今話したばかりの汚い家畜小屋などを見つけたのでした。既に春遠からずの暖かそうな日和でしたので、少し離れた土手の周りには、まだ若い男の人が20頭ほどの羊の群れを放牧していました。

③ そこでその羊飼いと並んで土手に腰を下ろし、しばらく羊の群れを観察しましたが、後で考えてみますと、ヨゼフとマリアがベトレヘムの町で宿を断られ、救い主は町はずれの家畜小屋で生まれたなどという想像は、十字軍遠征も行われなくなった中世末期に、イタリア辺りの聖地ベトレヘムを知らない人たちによって産み出され、ルネサンス画家たちによって世界中に広められたのではないかと思います。古代教会の人々は、そのようには考えていません。皆様の美しい牧歌的夢を壊すようで心苦しいですが、古代のキリスト者たちがどのように考えていたかについて、本日の福音に基づいて少し考えてみましょう。なお、この話は以前にもクリスマスに話したものですが、今宵初めてここのクリスマス・ミサに参加している人たちもいるようですから、繰り返しを厭わずに、クリスマスに当たって再びゆっくりと考え合わせ、味わってみましょう。

④ 二千年前のユダヤでは馬は支配者や軍人たちの乗り物でしたが、庶民も商人もロバで旅行することが多く、ロバは至る所に飼育されていました。主もエルサレム入城の時に、村に繋がれていたそのようなロバに乗っておられます。町の宿屋や一族の本家のような普通の大きな家では、ロバを繋いで置くガレージのような場所を持っていました。旅人や客人はそこにロバを繋いでから、階段を上ってギリシャ語でカタリマと言われていた広間や居室に入るのですが、このカタリマは「宿泊所」という意味にも使われますので、この第二の意味で、ラテン語をはじめ多くの言語で「宿」や「宿屋」などと翻訳されますと、文化圏の異なる国の人々が、ヨゼフとマリアは宿屋に宿泊するのを断られて、町の外の家畜置き場に泊まったなどと誤解したのだと思います。

⑤ 紀元320年代の後半に、コンスタンティヌス大帝の母へレナ皇后は現地のキリスト者たちの伝えを精査した上で、ベトレヘムの中心部に近い家を救い主誕生の場所と特定し、そこに記念聖堂を建立しました。羊飼いたちに告げた天使の言葉も、原文では「ダビデの町の中に」となっていて、町の外にではありません。この言葉は、ラテン語をはじめ各国語にもそのまま翻訳されているのですから、町の外に生まれたとするのは、聖書の啓示に反しています。今日ベトレヘムの中心から百メートル余りしか離れていないその聖堂を訪れる巡礼者の中には、聖堂の地下室のような所が生誕の場所とされていることに驚く人がいます。ベトレヘムの2千年前の道路が今の道路の3,4mほど下の所にあるためですが、昔はその道路から入った所にロバを繋ぎ、階段を上って広間(カタリマ) に入っていたのだと思います。

⑥ 住民登録のため各地から参集した一族の人たちで雑魚寝状態になっている広間では出産できないので、マリアたちは遠慮してロバを繋ぐ階段下のガレージのような所で宿泊したのでしょう。そこには、横の壁から紐で吊るした細長いまぐさ籠もあり、お生まれになった乳飲み子は、布にくるんでそのまぐさ籠の中に寝かせたのではないでしょうか。日本語に「飼い葉桶」と訳されているものは、地面の上に置く木の桶ではなく、その籠を指していると思います。聖母マリアにとり子を産むということは、自分のためにも社会のためにも、神からの恵みをもたらすことを意味していました。これは、ある意味ですべての産婦についても言えると思います。子を産まない私たちも、この世に来臨した主キリストをミサ聖祭の聖体拝領の時、聖別されたパンの形で自分の内にお迎えしますが、それによって自分のためばかりでなく社会のためにも、神からの豊かな救いの恵みをこの世に呼び下し、この世に与えるのではないでしょうか。

⑦ ベトレヘムのルーテル教会のミトリ・ラへブ牧師からの最近の手紙によりますと、今のベトレヘムは、5キロ四方ほどが高い壁と柵と塹壕に囲まれた「屋根のない監獄」のようになっているそうです。私たちの心がそんな冷たい分離壁によって、周囲の人や社会から隔離されたものにならないよう心がけましょう。まず天上の神よりの御子を心の中に受け入れ、「敵意という隔ての壁を取り除いて」(エフェソ2:14) いただいてこそ、神の平和の火が私たちの心を奥底から明るく照らし温めて、相互にどれ程話し合っても実現できずにいた平和を、実現させてくれるのではないでしょうか。

⑧ ベト・レヘムはヘブライ語で「パンの家」という意味だそうですが、二千年前にそのベトレヘムでお生まれになった救い主は、今宵はパンの形で私たち各人の内に、神からのご保護と救いの恵みを豊かにもたらすためにお生まれになるのだと信じます。理知的な人たちは、その信仰を子供じみた夢として軽蔑するかも知れません。しかし、冷たい合理主義や能力主義、あるいは自分の権利主張などが横行して潤いを失っている社会に、温かい思いやりや赦しあう献身的奉仕の精神をもたらすには、心が夢に生きる必要があります。体や頭がどれほど逞しく成長しても、心の奥底にはいつも素直で純真な子供心というものが残っていて、それが同じことの繰り返しでマンネリ化し勝ちな私たちの日常生活に、いつも新たに夢や憧れ、感動や喜びなどを産み出してくれます。そして数々の困苦に耐えて生き抜く意欲も力も与えてくれます。私たち各人の命の本源は、その奥底の心にあるのです。

⑨ 救い主も、夢を愛するその奥底の心の中にお出で下さるのです。二千年前の救い主の誕生前後に、ヨゼフも東方の博士たちも、よく夢によって教え導かれましたが、神は今も度々夢を介して私たちを教え導かれます。夢を愛する子供心を大切にしましょう。今宵の聖体拝領の時、二千年前の聖母のご心情を偲びつつ、神のため社会のために私たちの授かる恵みの御子を心の内に内的に育てよう、そして神による救いの恵みがこの御子によって周囲の社会に行き渡るよう奉仕しよう、との決心を新たに堅めましょう。

2009年12月20日日曜日

説教集C年: 2006年12月24日、待降節第4主日(三ケ日)

朗読聖書: Ⅰ. ミカ: 5: 1~4a. Ⅱ. ヘブライ: 10: 5~10.
     Ⅲ. ルカ福音 1: 39~45.


① 本日の第二朗読に読まれる主キリストのお言葉は、神の特別な啓示によるものだと思います。ご自身の体、ご自身のこの世の人生を、人類の罪を贖うために焼き尽くされる幡祭(はんさい) のいけにえ、御父の御旨を行うためだけのものとするという、この徹底的献身と従順の決意は、主が聖母マリアのお体に宿られた瞬間から受難死を成し遂げた時まで、救い主の人生を貫いている不屈の精神であると思います。聖母も単に主のお体だけではなく、そのお体に籠るこの精神をも宿し、この精神でご自身の人生を神に捧げ尽くすことにより、主と共に救いの恵みを人類の上に呼び下し、私たちの精神的母となられたのではないでしょうか。私たちも、救い主のこの決意、この精神に参与して生きる度合いに応じて、クリスマスの恵みに浴するのだと信じます。そのための照らしと力を願い求めつつ、主と聖母と共に生きる決意を新たにして、本日のミサ聖祭を献げましょう。

② 本日の日本語の福音には「その頃マリアは出かけて」とありますが、この邦訳は、残念ながらギリシャ語原文のニュアンスを十分に伝えていません。原文では Anastasa de Mariam en tais hemerais tautaisとなっていて、直訳しますと、マリアはその日々の頃に勢いよく立ち上がって、という意味合いの句です。この表現から察しますと、マリアは天使のお告げを受けて「お言葉通りこの身になりますように」とお返事した直後から、二、三日間ないし四、五日間は、深刻に悩まれたのではないでしょうか。と申しますのは、マリアは一人でいた時にお告げを受けたのであり、女性に厳しい男性優位のユダヤ社会で男の子を産み育てるには、どうしても婚約者ヨゼフの助け・協力が必要ですが、自分が神の御子・人類の救い主を胎内に宿していることをヨゼフに説明し納得させるには、どうしたら良いかといくら考えても、分からないからです。それは全く前代未聞・驚天動地の奇跡で、言葉でいくら上手に説明しても人を納得させることはできない程の大きな奇跡だからです。マリアは考えれば考える程、この奇跡の偉大さが深く悟らされるだけで、それを言葉でヨゼフに説明することは不可能である、と自覚するだけだったと思われます。

③ しかしその時、天使が最後に付言した、親戚のエリザベトが男の子を奇跡的に懐妊しているという知らせが、苦悩するマリアの心を照らす一条の光となったのではないでしょうか。もし自分がもう子供を産めない程年老いているエリザベトを訪問し、既に六ヶ月になっているという胎児を宿して、生活の世話を必要としているその老婦人が出産するまでの生活を手伝い、産み落としたその子が男の子であるのを確認すれば、それは天使のお告げが神よりのものであるという証拠になり、ヨゼフを説得する道がそこから開けて来るのではなかろうか、天使は自分にそのことを確認させるために、エリザベト懐妊を啓示してくれたのではなかろうか、などと考え始めたことでしょう。

④ しかし、このことを今のヨゼフに説明してエリザベト訪問の許可を得ようとしても、まだ何一つ証拠を提出できない現状では、自分を「気が狂ったのではないか」と心配させるだけで、三ヶ月余りの旅行の許可を受けることはできないであろう。当時のユダヤ社会では、婚約した女性は、法的には既に男性の監視と指導の下に置かれているので、ヨゼフが強く反対したら、自分はますます動けなくなってしまうであろう。それに、若い女の一人旅は危険が大きいので、当時は慎みを欠く行為として禁じられていた。旧約時代の伝統的法や良風に忠実であろうとすれば、結局自分は何もできず、半年後に自分の懐妊が明らかになれば、やがて社会的制裁を受けるに到り、メシアを育てることもできなくなるであろう、などというこれら諸々の行き詰まり不安が、マリアの心を苦しめたのではないでしょうか。

⑤ いろいろと思い悩んだ挙句、マリアはある日、察するに朝まだ暗いうちに勢いよく立ち上がり、百キロほども離れているユダヤ南部のザカリアの家へと急いで出立したのだと思います。ギリシャ語では復活のことをアナスタジアと言いますが、アナスターザという動詞は、死の力を打ち砕く主の復活のように、強い決意をもって勢いよく立ち上がったことを指していると思います。これまでの時代の掟や価値観に背いて、神の御旨中心の新しい生き方をしようと立ち上がったマリアの心のうちに、既に新約時代は始まったのであり、聖母はその到来を告げ知らせる「明の星」として輝き始めたのです。ヨゼフを過度に心配させないためには、レビ族の女として子供の時から字を習い、聖書も多少は読むことのできたマリアは、「突然の急用のためやむを得ず親戚のザカリアの家に三ヶ月あまり行っているが、必ず戻って来るからよろしく」というような文面のメモを、ヨゼフのために書き残して出立したのではないか、と勝手ながら想像しています。

⑥ サマリアを避け、ヨルダン川沿いの回り道を野宿を重ねながら女ひとりで旅するのは、当時は確かに危険の伴う暴挙であったと思われます。しかしマリアは、もし自分が本当に神の御子を宿しているなら、神がきっと護って下さるであろうと信じつつ、自分の胎内の神の御子に心の眼を向けながらひたすら歩き続けたことでしょう。大きな危険や困難の内にある時、神の現存に心の眼を向けながら歩くこと働くことは、神の慈しみの注目を引く最も良い祈りの一つだと思います。私たちも聖母のこのような祈りに見習うよう心がけましょう。願いが叶って恐らく夕暮れに無事ザカリアの家に辿り着いた時、マリアの心は感謝と喜びと神の現存に対する信仰でいっぱいだったことでしょう。その心で「シャローム(平安)」と挨拶した時、それは単なる儀礼的挨拶とは異なり、神の霊と力に満ちた挨拶になっていたのではないでしょうか。果たしてその声を聞いたエリザベトの内に胎児が喜んで大きく踊り、エリザベトも聖霊と喜びに満たされて、女預言者のように声高らかに話し始めました。こんなことは、事細かに旧約時代の掟を遵守していた以前のエリザベトには、長年全く見られなかったことだったと思われます。ここでも、新約時代の新しい信仰生活が始まっていたのです。

⑦ マリアはこの後、三ヶ月余りこの家に滞在して、高齢で身重になっているエリザベトとオシになって家に籠ってばかりいる老祭司ザカリアとの生活の世話をし、エリザベト出産後の八日目、割礼の日になると、そのことを近所や親戚の人々に知らせて皆を驚かせたと思いますが、マリア自身も、エリザベトが天使の予告した通りに男の子を産んだことや、割礼の時にザカリアのオシが奇跡的に癒されたことなど、数々の不思議なことを体験して信仰が一層深まり、神がヨゼフの心をも動かして自分の出産や育児や生活を手伝わせて下さるであろうと確信して、希望と信頼のうちに祈りつつナザレに帰って行ったのではないでしょうか。

⑧ エリザベト訪問の時のマリアの讃歌、いわゆるMagnificatは、プロテスタント神学者、古代教会史学者で、1902年の”Das Wesen des Christentums”(キリスト教の本質)という、カトリック教会の伝統を批判した著書で著名なAdolf von Harnack(1851~1930)が発見した、ある非常に古い聖書の写本では、マリアの来訪を喜び迎え、その信仰を讃えたエリザベトが、本日の福音の最後にある言葉に続いてすぐ、神を讃えた讃歌になっているのだそうです。「ザカリアの讃歌」と同様、老エリザベトが神のお告げによる懐妊からの数ヶ月間に、自分の生涯の苦しかった体験などを回顧しつつ、時間をかけて編み出した讃歌であった可能性も否定できません。それは若いマリアのこれまでの体験や信仰ともよく一致しているので、字を知るマリアは二つの讃歌を書いて愛唱し、後年ルカに伝えたのかも知れません。

⑨ いずれにしろ「マリアの讃歌」は、マリアが長年最も愛唱していた「マリアの讃歌」であったと思われます。現代の私たちも、神が私たちの身近な生活の中で積極的に働かれる新約時代に生きていることを改めて自覚し、日々聖母と共に、また私たちの内に現存しておられる神の御子と共に、祈り且つ働くよう心がけましょう。

2009年12月13日日曜日

説教集C年: 2006年12月17日、待降節第3主日(三ケ日)

朗読聖書:Ⅰ. ゼファニヤ 3: 14~17. Ⅱ. フィリピ 4: 4~7.
     Ⅲ. ルカ福音 3: 10~18. 

  
① 本日のミサは昔から「喜びのミサ」と呼ばれて来ました。入祭唱に「喜べ」という言葉が二回も重ねて登場するからでもありますが、それだけではなく、第一朗読にも第二朗読にも「喜び叫べ」「喜び躍れ」などの言葉が何回も言われているからです。いったい神は、なぜ「喜べ」と言われるのでしょうか。なぜ「恐れるな」と言われるのでしょうか。第一朗読はその理由を「イスラエルの王なる主がお前の中におられる」から、「主なる神がお前のただ中におられて、勝利を与えられる」からなどと説明し、第二朗読は「主が近くにおられる」からと説いています。しかし、主なる神は単に近くにおられる、あるいは私たちのただ中におられるだけではないのです。第一朗読の末尾には、「主はお前のゆえに喜び楽しみ」「お前のゆえに喜びの歌をもってたのしまれる」という言葉も読まれます。私たちに対する大きな愛ゆえに喜び楽しんでおられるその神と共に喜ぶよう、私たちは神から呼びかけられているのではないでしょうか。神が私たちの中におられて愛の眼差しを注いでおられる、私たちを救おう助けようと、じーっと見つめておられるのだと信じましょう。そう信じ、その信仰に堅く立ってこそ初めて、恐れや思い煩いが消えて行くのだと思います。

② 「愛する」とは、「見つめること」だと思います。神は隠れておられても、私たちをじーっと見つめておられるのです。私たちもそれに応えて、時々その神を信仰の眼で見つめるように致しましょう。何も言わなくてもよいのです。ただ静かに神に感謝と愛の心の眼を注いでいると、神の霊が私たちの中に働いて、心に深い喜びが湧いて来るのではないでしょうか。日々の黙想の時など、目をつむって神の愛の視線を体全体の肌で感ずるように心がけましょう。そして目には見えないその神の御心に私たちの感謝と愛の心を向けながら、静かに神と共に留まるように努めてみましょう。このようなことを数回重ねても、何の変化も感じられないでしょうが、しかし、習慣は習慣によって直さなければならないと思い直し、尚も度々続けていますと、不思議に神が私に伴っておられて私を護り導いてくださるのを、小刻みながら幾度も体験するようになります。そしてこのような小さな体験が積み重なると、私たちの心の中に神に対する感謝と愛が深まってくるのを覚えるようになります。神が私の内に、働いて下さるのだと思います。

③ 本日の福音は、二つの部分から成り立っています。前半は洗者ヨハネの説教ですが、約束されたメシア到来の時が来たことを自覚している群集が、何か社会改革・ユダヤ独立のために自分たちもなすべきことがあるのではないかと思ったのか、何をしたらよいかと尋ねたのに対して、ヨハネは、貧しい者たち、困っている者たちに分けてやるように勧め、徴税人や兵士たちにも同様、規定以上のものを取り立てないように、自分の給料で満足するようになどと、今置かれている地位や職業の中で信仰をもって心がけるべき、ごく平凡な心構えについて勧めただけでした。群衆は少し拍子抜けしたかも知れませんが、実は主キリストも同様に、社会活動や政治活動などではなく、例えば金持ちの青年には、子供の時から教わっている掟の遵守や貧しい人々への施しを勧めるなど、既にユダヤ教会でも子供の時から教わっている教えを実践すること、そして自分の日ごろの生活を厳しく律することだけしか勧めておられません。この点では、洗者ヨハネと同じ立場に立っておられると思います。主は一度「皇帝のものは皇帝に返し、神のものは神に返せ」とおっしゃったこともありますが、皇帝のためのこの世的政治・社会活動よりも、まずは神のための各人の生き方の改善・変革を優先して、おっしゃったお言葉であると思います。

④ 新約のメシア時代には、自分の置かれている所で神に心の眼を向けながら、愛に生きること、日ごろの生活を厳しく律することに努めるなら、そこに主キリストの愛の霊が働いて、その人をも周辺の社会をも変革し、神による救いへと導いて下さるというのが、聖書の教えなのではないでしょうか。「悔い改め」だの「改心」だのという言葉を聞くと、自分の心を変えるために自力で何かの苦行などをすることと考える人がいるかも知れませんが、神がそして教会が、待降節に当たって私たちに求めておられる「改心」は、それとは少し違うと思います。マザー・テレサは次のように話しています。「人々は、改心を突然変わることだと思っていますが、そうではありません。私たちは、神と顔と顔を合わせると、神を自分の生涯の中に迎え入れて変わるのです。……もっと善い人になり、もっと神に近い者になるのです」と。ここで言われているように、もっと神に心の眼を向け、神の霊を自分の心の中に迎え入れることにより、神の働きによって私たちの心が変わること、それが、新約時代の私たちが、待降節に当たって神から求められている改心だと思います。

⑤ 本日の福音の後半には、旧約時代最後の預言者である洗者ヨハネと救い主イエスとの違いが、ヨハネ自身の言葉によってはっきりと示されています。ヨハネは水で洗礼を授けますが、それはいわば、人の体を外的に水に沈めることにより、その人の心にこれまでの自分中心の生き方に死んで、新しく神中心に生きようとする悔い改めの心や決心を呼び起こさせるためのものであると思われます。ところが、ヨハネよりも遥かに「優れた方」が来られて、聖霊と火で洗礼をお授けになると言うのです。ここで「優れた」と邦訳されているイスキューロスというギリシャ語は、強いとか、力あるという意味の言葉ですが、その方は、ヨハネがその足元にも近寄れない程、遥かに強い神の力に満ち満ちておられる方なのです。そして聖霊と火で、すなわち人を外的に洗うことによって悔い改めさせるのではなく、人の心を直接内面から徹底的に浄化し、神の愛の火によって生きる生命力を植え込む洗礼をお授けになる、という意味なのではないでしょうか。

⑥ 新約時代にも水で洗礼を授けますが、それはヨハネの洗礼とは根本的に違って、聖霊と火による内的洗礼の象りであり、体を全部水に沈めなくても、その人の魂を清めて主キリストの命に参与させ、神の住まい、聖霊の神殿に変える力を持つ洗礼であります。私たちの魂は皆この洗礼を受けて、神の神殿となっているのです。救い主から受けたこの大きな恵みに感謝しつつ、終末の日にその主を少しでも相応しくお迎えできるよう、神への愛と信仰の精神で日ごろの生活を整え、自分の心も厳しく律する実践に努めましょう。そしてそういう信仰実践のための照らしと力とを、今の世に苦しんでいる多くの人々のためにも、本日のミサ聖祭の中で祈り求めましょう。

2009年12月6日日曜日

説教集C年: 2006年12月10日、待降節第2主日(三ケ日)

朗読聖書: Ⅰ. バルク 5: 1~9.  Ⅱ. フィリピ 1: 4~6, 8~11.
     Ⅲ. ルカ福音 3: 1~6.


① 本日の第一朗読は第二正典のバルク書からの引用ですが、預言者エレミヤの友人で秘書でもあったバルクは、バビロニアによってエルサレムの町が焼き払われ、支配階級に属する人々数万人がバビロンに連行された時、一緒にバビロンに行ったようです。このバルク書の始めには、エルサレム滅亡から5年目のある日、すなわち紀元前581年の事だと思いますが、ユダ王の王子エコンヤをはじめ、バビロンのスド川のほとりに住む全ての人々が涙を流し、断食して主に祈ったことや、各々分に応じて金を出し、それをまだエルサレムに残っている大祭司ヨアキムと他の祭司たち、及び民全体にあてて送ったことなどが記されています。この送金に添えた書簡の形で書かれたのが、バルク書であります。廃墟と化した当時のエルサレムにはエレミヤもいて、有名な「哀歌」を書き残していました。

② バルク書の前半には、バビロン捕囚のユダヤ人たちが重なる災禍によって深く遜り、自分たちの罪の赦しを神に願っていることなどが記されており、後半は、この改心が神に受け入れられた暁には、エルサレム帰還が許されるであろうという、希望と慰めと励ましの教訓的詩になっています。その結びである第5章全体が、本日の第一朗読であります。エルサレムは擬人化されて、神の民イスラエルの母であるかのように描かれていますが、こういう表現は新約時代の神の民であるカトリック教会にも受け継がれ、聖母マリアが救われる神の民全体の母として崇められたり、教会そのもののシンボルとされたりしています。私たちも、聖書に基づくこの古い温かい伝統を大切にしつつ、教会の一致に心がけましょう。

③ 本日の福音には、突然ローマ皇帝ティベリウスの名前が真っ先に登場しています。なぜでしょうか。ルカは、救いの歴史の出来事をその時代の世界史的現実や状況と関連させて描こうとしていたからだと思います。主の御降誕の場面でも、まず皇帝アウグストゥスの名前を登場させています。ここではまず、メシアの先駆者ヨハネが神の言葉を受けて語り始めた時の時代的状況を、読者に示そうとしています。それは、それまでの伝統的秩序が大きく乱れ始めて、皇帝アウグストゥスの時代には一つに纏まっていた国家も、複雑に多様化し始めた時でした。

④ ティベリウスは紀元12年に高齢のアウグストゥスと共同支配の皇帝とされたので、この年が治世の第一年とされています。従って、治世の第15年は紀元26年になりますが、紀元14年夏にアウグストゥスが没すると、いろいろな勢力の言い分が複雑に絡み合って混迷の度を深めつつあった当時の多様化政治に嫌気がさし、自分の親衛隊長であったセヤーヌスに政治を任せて自分はカプリ島に退き、何年間も静養を続けていました。このセヤーヌスはユダヤ人が大嫌いで、紀元6年から14年まではユダヤ人の気を害さないようにしながら統治していたローマのユダヤ総督3人の伝統を変えさせ、15年からはユダヤ人指導層に強い弾圧を加えさせました。それで紀元5年から終身の大祭司になっていたアンナスは15年に辞めさせられて、アンナスの5人の息子が次々と大祭司になりましたが、彼らも次々と辞めさせられ、18年にはアンナスの娘婿カイアファが大祭司になって、何とか第四代ローマ総督Valerius Gratusの了承を取り付けました。しかしユダヤ人たちは、律法の規定によりアンナスを終身の大司祭と信じていましたから、表向きの大祭司カイアファの下で、アンナスも大祭司としてその権限を行使していました。これは、それまでには一度もなかった異常事態でしたが、ヘロデ大王の時には一つに纏まっていたユダヤの政治権力も分裂して、本日の福音に読まれるように、複雑な様相を呈していました。第五代ローマ総督Pontius Piratusが紀元26年に就任した時は、そういうユダヤの分裂と対立が静かに深まりつつあった時代だったのです。

⑤ ユダヤ社会がこのような様相を露呈していた時に、神の言葉が荒れ野の、察するにエッセネ派の所で成長し修行を積んでいた洗礼者ヨハネの心に降ったのだと思います。そこで彼は、ヨルダン川沿いの地方に行って、罪の赦しを得させる悔い改めの説教を宣べ伝え、洗礼を授け始めたのだと思います。マタイもマルコもルカも皆、これはイザヤ預言者が予言した通りであることを明記していますが、マタイとマルコが「荒れ野で叫ぶ者の声がする。主の道を整え、その道筋をまっすぐにせよ」という、イザヤ40章3節だけを引用するに留めているのに対し、本日の福音を書いたルカは、それに続けて5節まで引用しています。それは、その声が人々の心に与える恵みと成果についても、大きな関心を持っていたからだと思います。4節には「谷はすべて埋められ、山と丘はみな低くされる。云々」と、その神の声がもたらす結果が受動形で述べられていますが、これは聖書によく見られる「神的受動形」と言われるもので、神を口にするのが畏れ多いので、神の働きやその結果を受動形で表現しているのだと思います。従って、谷を埋め、山を低くし、道をまっすぐにするのは、皆神ご自身のなさる救いの業であると思われます。そして人は皆、神によるその救いを仰ぎ見るのだと思います。

⑥ 洗礼者ヨハネの時から新しく始まった、神である救い主によるこの救いの御業を継承し、祈りつつその恵みを多くの異邦人たちに伝えていた使徒パウロは、本日の第二朗読の中で、入信した人々が神の霊によって与えられる知る力と見抜く力とを身につけて、神の愛にますます豊かになり、本当に大切なことを正しく見分けることができるように、そしてキリスト来臨の日に備えて清い者となり、キリストによる救いの恵みを溢れる程に受けて、神の栄光を永遠に称えることができるようにと、祈っています。待降節には、こういう神の働きを正しく識別する力を願う祈りが特に大切だと思います。使徒パウロは、正邪の識別が極度に難しく、混迷の度を増している現代のグローバル世界に生きる私たちのためにも、正しく見抜く力、見分ける力の大切さを強調し、あの世で私たちのためにも祈っていてくれるのではないでしょうか。

⑦ 主の再臨に備えて心を準備する待降節に当たり、私たちも今目覚めて立ち上がり、神の働き、無数の先輩聖人たちの祈りに感謝しつつ、受けたその恵みに相応しく応えるよう、努力しなければならないと思います。ただ口先だけで「主よ、主よ」と言いながら、全てを神様任せ、他者任せにする怠け者であってはなりません。本日の第二朗読にある「知る力と見抜く力とを身に付けて、あなた方の愛がますます豊かになり、本当に重要なことを見分けられるように。そしてキリストの日に備えて、清い者、咎められるところのない者となり、云々」という使徒パウロの祈りが、一人でも多くの人の内に実現しますよう願い求めつつ、本日のミサ聖祭をお献げしましょう。