2012年7月29日日曜日

説教集B年:2009年間第17主日(三ケ日)



朗読聖書: . 列王記下 4: 42~44.     . エフェソ 4: 1~6.  
   . ヨハネ福音 6: 1~15.

   聖書に述べられているパンの奇跡、すなわち少数のパンを増やして多くの人に食べさせた奇跡というと、私たちは本日の福音に記されている、主イエスがガリラヤの湖東の岸辺で、大麦のパン五つと魚二匹を増やして、5千人の男たちに食べさせた奇跡を考え勝ちです。これは、四福音書全てに述べられている、かつて無かった程の大きな奇跡だと思います。四福音書全部に共通して述べられている出来事は、このパンの奇跡の他には、ご受難直前の主のエルサレム入城と、主の最後の晩餐・ご受難・ご死去・ご復活など、主が最後の段階でなされた最も重要な救いの御業だけですので、福音記者たちは主が公生活の途中で為されたこのパンの奇跡を、それらの御業と並べて特別に重視していた、と申してもよいと思います。

   ところでマタイとマルコ福音書によりますと、主はこのパンの奇跡の後にも、もう一度七つのパンと少しの小魚を増やして、四千人の男たちに食べさせるという奇跡を為しておられます。どちらの福音書でも、主は後で、「私が五つのパンを五千人に与えた時、残りを幾つの籠に集めたか。また七つのパンを四千人に与えた時、残りを幾つの籠に集めたか」と弟子たちに問い、それぞれ「十二籠です」、「七籠です」の返事を聞いて、「それでも、まだ悟らないのか」と、彼らの信仰の弱さを咎めておられますから、主は彼らの信仰を少しでも固めるため、パンの奇跡を二回もなさったのだと思います。

   本日の第一朗読によりますと、天に上げられた神の人エリヤから、その預言者的権能を受け継いだ神の人エリシャも、パン20個を百人の人々に食べさせた奇跡を為しています。エリコに近いギルガルの人々が飢饉に見舞われて苦しんでいた時、一人の男の人が、その地を訪れた神の人エリシャの許に、初物の大麦のパン20個と新しい穀物とを、袋に入れて持って来ました。為政者側の政策でバアル信仰が広まり、真の神に対する信仰が住民の間に弱められていた紀元前9世紀頃の話です。飢饉という恐ろしい自然災害に直面しても、信仰を失わずに敬虔に生活していたその男の人は、神の人エリシャの助けを求めて、その初物を持参したのだと思います。信仰に生きるイスラエル人たちは、神の恵みによって収穫した穀物の初物は、感謝の印に神に献げるべき最上のものと考えていましたから、それを預言者エリシャを介して神に献げようとしたのかも知れません。一人の人が袋に入れて持参した少量の供え物だったでしょうが、それを受け取った神の人はすぐに、「人々に与えて食べさせなさい」と召使たちに命じました。召使たちは驚いたと思います。「どうしてこれを百人の人々に分け与えることができましょう」と答えましたが、エリシャは再び命じて、「人々に与えて食べさせなさい。主は言われる『彼らは食べきれずに残す』」と言いました。それで、召使たちがそれを配ったところ、主のお言葉通り、人々は飢えていたのに、それを全部食べきれずに残してしまいました。

   いったいそのパンは、いつどこで増えたのでしょうか。聖書をよく読んでみますと、預言者エリシャは召使たちに「人々に与えて食べさせなさい」と命じただけですから、パンは預言者の手元で増えたのではないようです。パンは、それを配る召使たちの手元で増えたのではないでしょうか。本日の福音にも、主イエスは過越祭が近づいていた冬から春にかけての頃、すなわち農閑期で多くの農民が主の御許に参集し易い時期に、人里から遠く離れた土地で、五つのパンと二匹の魚を増やして5千人もの人々に食べさせ、残ったパンの屑で12の籠がいっぱいになるほど満腹させていますが、マタイやルカの福音書によりますと、それは日が傾いてからの夕刻の出来事であり、暗くなるまでの限られたわずかな時間内に、パンが大量に配布され群衆を満腹にさせたことを思いますと、パンは主の手元でだけ増やされ、弟子たちがそのパンを、5千人もの人々が分散して腰を下ろしている所に運んだのではなく、預言者エリシャの時と同様に、パンを分け与える弟子たちの手元でも、次々と増え続けたのではないでしょうか。それは、その奇跡を間近に目撃した群集一人一人の心を驚かし、感動させた出来事であったと思われます。

   本日の第二朗読は、神からの招きにふさわしく歩むこと、そして柔和で寛容な心を持ち、愛をもって互いに忍耐し、神の霊による一致を保つように努めることを強調しています。しかし、それらの勧めを自分の人間的な自然の力に頼って実践しようとしても、次々と弱さや不備が露出して来て、なかなか思うようには行きません。人間関係となると、私たち生身の人間の心には、無意識の内に、各人のこれまでの体験に基づいて築き上げて来た自然的価値観に頼って隣人を評価してしまう動きが強く働くようです。そのため、お互いに善意はあっても、心と心とはそう簡単には一致できません。そこで使徒パウロは、各人のその価値観をもっと大きく広げさせるために、「すべてのものの父である神」に心の眼を向けさせ、「神から招かれているのですから、その招きにふさわしく」神の愛の霊によって生かされるよう勧めているのだと思います。「神から招かれている」というこの言葉を、心にしっかりと銘記していましょう。私たち人間相互の本当の一致も、人類社会の本当の平和も、各人が神からの招きに応えよう、何よりも神の御旨に従おうと努めることによって実現するよう、この世の全てが創られているのではないでしょうか。

   話は違いますが、私は年齢が進んで80歳を目前にするようになりましたら、気をつけていても物をどこかに置き忘れたり持参しなかったりすることが多くなりました。そこで私はこの頃、全く日常的な小さな仕事や外出を為す時にも、自分の力だけに頼らずに、神の導きや守りを願い求めたり、自分の守護の天使や保護の聖人たちに助けを願ったり感謝したりしています。すると神は実際に私たちの小さな日常茶飯事まで関心をもって眺めておられ、幼子のように素直な心で助けを願い求める者を助けて下さるということを、日々数多く体験するようになりました。神信仰は頭の中だけ、聖堂で祈る時だけのものにして置いてはなりません。こういう日常体験に根ざしたものにする時に、大きく強く成長し始める生き物のようです。ある聖人は、「私はもう神を信じているのではなく、神の働きを見ているのです」と言ったそうですが、この頃の私も、時々同様に感じています。....

2012年7月22日日曜日

説教集B年:2009年間第16主日(三ケ日)



朗読聖書: . エレミヤ 23: 1~6.     Ⅱ. エフェソ 2: 13~18.  
   . マルコ福音 6: 30~34.

   使徒パウロは本日の第二朗読に、「実に、キリストは私たちの平和であります。二つのものを一つにし、ご自分の肉において敵意という隔ての壁を取り壊し、規則と戒律づくめの律法を廃棄されました」などと述べていますが、ここで「二つのもの」とあるのは、その直前に述べられている文脈からしますと、律法を持つ旧約の神の民イスラエルと、律法を知らない異邦人たちを指していま本日の第一朗読によりますと、天に上げられた神の人エリヤから、その預言者的権能を受け継いだ神の人エリシャも、パン20個を百人の人々に食べさせた奇跡を為しています。エリコに近いギルガルの人々が飢饉に見舞われて苦しも、信仰を失わずに敬虔に生活していたその男の人は、神の人エリシャの助けを求めて、その初物を持参したのだと思います。信仰に生きるイスラエル人たちは、神の恵みによって収穫した穀物の初物は、感謝の印に神に献げるべき最上のものと考えていましたから、それを預言者エリシャを介して神に献げようとしたのかも知れません。一人の人が袋に入れて持参した少量の供え物だったでしょうが、それを受け取った神の人はすぐに、「人々に与えて食べさせなさい」と召使たちに命じました。召使たちは驚いたと思います。「どうしてこれを百人の人々に分け与えることができましょう」と答えましたが、エリシャは再び命じて、「人々に与えて食べさせなさい。主は言われる『彼らは食べきれずに残す』」と言いました。それで、召使たちがそれを配ったところ、主のお言葉通り、人々は飢えていたのに、それを全部食べきれずに残してしまいました。

    す。ところで、主が山上の説教の中で「私が律法や預言者を廃するために来た、思ってはならない。廃するためではなく、成就するために来たのである」(マタイ 5: 17) と話しておられるお言葉を考慮しますと、旧約の神の民に授けられた律法、そして今もユダヤ人たちが真面目に遵守している律法は、始めから無用の長物だったのだ、と考えてはなりません。福音の恵みを深く悟り、神の求めておられる実を豊かに結ぶためには、自分に死んで神中心に生きさせようとする、厳しい律法の世界を通る必要があったと思います。律法んでいた時、一人の男の人が、その地を訪れた神の人エリシャの許に、初物の大麦のパン20個と新しい穀物とを、袋に入れて持って来ました。為政者側の政策でバアル信仰が広まり、真の神に対する信仰が住民の間に弱められていた紀元前9世紀頃の話です。飢饉という恐ろしい自然災害に直面しての遵守は、荒地を開墾する作業のようなものだと思います。

   旧約の神の民は、幾度も神に背き預言者たちに叱責されながらも、曲がりなりにも新しい神の恵みの種が成長し実を結ぶための農耕地を準備して来ました。こうして準備されて来たユダヤの土地に、神は約束しておられた救い主を派遣なさいましたが、2千年前頃のギリシャ・ローマ文明による商工業の発達や国際的シルクロード貿易、並びに戦争のない時代が非常に長期間続き、どこに行ってもローマの法規・ローマの通貨、そしてギリシャ語が国際的に通用するようになると、ギリシャ語に翻訳されたユダヤ人の聖書も多くの国々の人たちに読まれるようになって、エルサレム神殿の祭礼にエチオピアの女王カンダケの高官まで、その聖書を読みながら参列するなど、メシアがお出でになった頃のエルサレムの町は、毎年大勢の異邦人たちの来訪で豊かになり、繁栄していました。もしも当時のユダヤ教の代表者たちが、神よりのものにあくまでも謙虚に従う預言者的精神でそのメシアを受け入れ、メシアの御声に聴き従おうとしていたなら、ユダヤ人も無数の異邦人たちも、共にメシアによる救いの恵みに生かされて神を讃える、唯一の新しいキリスト教会を構成していたことでしょう。そして善き牧者キリストが、それまで分かれ分かれになっていたユダヤ人と異邦人という、二つの大きな群れをまた全人類を、一つの群れとなして神の国へと導いて下さったことでしょう。

   事実はしかし、首都エルサレムの繁栄と豊かさと国際的誇りの内に生活していたユダヤ教の代表者たちは、東方の博士たちが星の徴に教えられて、お生まれになったメシアを拝みに来た時も、メシアがそろそろベトレヘムにお生まれになることは聖書から知っていながら、自分たちの繁栄を支えてくれていたヘロデ大王から疑いをかけられないためか、敢えてそのメシアを探して拝みに行こうとはせず、その後も民間で貧しく生活しておられるメシアに対しては、いつも冷たい否定的態度を取り続けていました。ファリサイ派の律法学者たちは聖書研究の専門家でしたが、もしナザレのイエスが神が約束なされたメシアであるなら、いつか世界の国々に勝利を収め、ユダヤ人たちを尚一層豊かに繁栄させてくれるであろう、その兆候が明確になるまでは、貧しく生活する田舎者イエスがメシアだとは思われないなどと、この世の人間的価値観を中心にして考えていたのかも知れません。彼らがこの世的繁栄と豊かさの中で、神の働きに対する信仰と愛のセンスも従順心も鈍らせ、神の御子メシアに冷たい態度をとり続けていましたら、その心に悪魔が住み着いて、彼らの考えを誤謬へと導いたのでしょうか、彼らはついにメシアを断罪し、その後は豊かに繁栄していた祖国も失って、ユダヤ人を世界中に流浪する民としてしまいました。

   現代文明による繁栄と豊かさの中で生活している私たちも、気をつけましょう。ルカ福音書12章によりますと、主はかつて弟子たちに、「ファリサイ派のパン種に警戒しなさい。それは偽善である」と厳しく警告なさいました。当時のファリサイ派の人たちは、人間的には神のため、ユダヤ教のため、聖書研究やおきての順守・民衆の教育などに励んでいた宗教者たちでした。主がその人たちに警戒するよう警告なされたのは、彼らがこの世の人間理性中心の立場で全てを考え、その人間中心の立場から神のため・宗教のため・人々のために尽力するだけで、隠れた所におられて呼びかけて止まない神の御声に謙虚に従おうとする、我なしの預言者的信仰の立場で、新たに考え、新たに生きようとはしていなかったからだと思われます。このようなファリサイ派の立場で聖書を研究し、神のため・教会のため・社会のために働こうとしている人たちは、現代の教会にもたくさんいます。それではいつまで経っても、復活の主キリストの救いの力がキリスト教会の中で存分に働き、豊かな実を結ばせることができないと思います。使徒パウロは、そういうファリサイ派の生き方から主キリストに徹底的に従う生き方へと転向したお蔭で、実に豊かな実を結ぶことができました。我なし・神中心・キリスト中心のその生き方に、現代の私たちも見習いましょう。

   60年前の聖フランシスコ・ザビエル来日四百年祭をお祝いした頃の日本では、一時的に非常に多くの人が教会を訪れ、実際に多くの人が洗礼を受けました。しかし、朝鮮戦争後に日本人の生活が豊かになり始めると、教会に来なくなる人が増え、その後の日本人キリスト者数の増加は芳しくありません。昨年の統計では、プロテスタント62万、カトリック48万、ハリストス3万、合計113万人でしかなく、日本の人口の1%にも届きません。お隣の韓国では、朝鮮戦争後にも北朝鮮襲来の危機が続いたら、わずか20年間で全人口の25%、1千万人にまでキリスト者数が増えていますし、現在の中国でも昨年公開された民間の調査によると、全人口の5%、5千万人以上のキリスト者がいることが明らかになっています。わが国でキリスト者が少ないのは、繁栄と豊かさの中で強まる理知的なファリサイズムのためなのではないでしょうか。一年間「パウロ年」を祝って記念した使徒パウロの生き方に学んで、今お祝いしている「司祭年」に当たり、カトリック者たちが現代世界に生きるための神信仰の新しい道を見出し、神の働きに根ざした豊かな成果を挙げるようにと、現教皇は強く望んでおられるのではないでしょうか。わが国で働く司祭・修道者・宣教者たちの内心生活のため、本日のミサ聖祭を捧げて祈りたいと思います。...

2012年7月15日日曜日

説教集B年:2009年間第15主日(宝塚市売布の修道院で)



朗読聖書: . アモス 7: 12~15.     Ⅱ. エフェソ 1: 3~14.  
   . マルコ福音 6: 7~13.

   キリストという言葉を幾度も登場させている本日の第二朗読、すなわちエフェソ書の第1章は、キリストにおいて豊かに与えられた恵み故に父なる神を讃える、初代教会の荘厳な讃歌であったと思います。古来多くの聖人賢者たちも、深い感激のうちにこの讃歌を愛唱して来ましたが、私たちもそれに倣って、この素晴らしい信仰の遺産を大切にし、私たちの心が日々その深遠な神信仰と感謝の思想に満たされ養われるように心がけましょう。私たちの神は、毎日そのようにして神とその創造の御業、救いの御業を讃えつつ、大きな喜びの内に感謝と信頼の心で生きる人には、特別に恵み深いように思われます。私はこれまで数十年間の修道生活・司祭生活において、自分が見聞きした数多くの出来事を回顧しつつ、今はそのように確信しています。しかし残念ながら、第二バチカン公会議の頃から急速に発展した現代文明の、黒潮のように巨大なグロバール化、全地球化の流れに巻き込まれ押し流されて、信仰あるカトリック者であっても、日々心の底から喜んで神に感謝の讃歌を捧げている単純素朴な人たちは、非常に少なくなっているようです。主キリスト以来の聖人たちが実践していた、明るい希望と喜びと若さに輝く信仰生活の伝統も、現代のキリスト者たちの中では老化し形骸化して、ふ抜けたものになっているように見えます。残念でなりません。

   そこで本日は、現代の多くの人の心を弱くしていると思われるマイナス面について、ご一緒に少し考えてみたいと思います。私は自分で持たず使っていないのでよく判りませんが、日々頻繁にインターネットや携帯電話を利用している現代人の中には、心がある意味でそれらの文明の機器を通して流入する無数の呼びかけや情報の、言葉は悪いですが、奴隷のようになっている人が少なくないのではないでしょうか。まだ南山大学で教えていた10年前頃に、一部の学生たちの間で、既に「携帯依存症」や「ネット依存症」という言葉が囁かれていたのを耳にしたことがあります。教室での講義が終わって屋外に出た途端に、いつも携帯電話を取り出し、誰かと話し合うのが習慣的になっているような学生たちも、多く見かけました。

   最近の研究によると、そのように頻繁に携帯やインターネットを利用し、依存症のようになっていると、頭の脳の働き方が違って来ることが明らかにされています。私の体験から申しますと、私は子供の頃はソロバンが得意で、大きくなっても足し算・引き算の暗算は比較的速く正しく為していました。ところが、簡便な計算機が普及してそれを利用するようになりましたら、たちまち暗算能力が衰え、働かなくなってしまいました。暗算しようとしても、頭が働いてくれないのです。また長年ワープロで手紙や論文を書いていましたら、昔はよく知っていた漢字も思い出せなくなり、手書きできないことが多くなってしまいました。昔覚えた漢字は皆頭脳の奥に記憶されており、難しい漢字でも読むことはできるのですが、いざそれを書くとなると、頭のシステムが働いてくれず、その漢字を呼び出せないのです。同様のことが、現代文明の利器を日々頻繁に利用している人たちの中でも起こっているのではないでしょうか。

   インターネットは情報収集や検索などには非常に便利で、現代では必需品だと思います。しかし、人間が造ったその便利さ一辺倒の生活をするのではなく、同時に汗水流して草取りしたり、自然の動植物の世話をしたりして自分の体験から学ぶこと、日々苦労し失敗を重ねて小さな新しい発見をすること、あるいは自分で実際に古い文学書や歴史書などをめくって、こつこつと昔の人たちの業績に学び、自分独自の新しい発見を積み重ねること、自分の頭脳のそういう側面、すなわち自分で苦労や失敗を重ねながら見出し、独自のものを創り上げて行くという能力も、同時に共存させて磨いて行くという二つのことが、大切なのではないでしょうか。私たち人間は皆、二つの足で立って歩くよう創られています。現代文明の利器一つに頼って生活するのではなく、同時の古来の伝統文化や伝統的生き方も大切にしながら、バランスよく生活するよう心がけましょう。

   最近「誰でもいいから殺して見たかった」などと悪気もなく平気で話している犯罪者たちの言葉を聞くと、その人たちは理知的な人間理性が勝手に作り上げた半分バーチャルな情報世界の中だけで生きている、現代文明の犠牲者なのではなかろうか、などと考えさせられます。苦労して一生懸命生きている人たちの涙ぐましい心情や、愛する人たちに後事を託して死んで行く人たちの切実な心情などに直にふれて、自分が神から受けているこの貴重な人生の意味などについて考える機会が全く与えられなかったのではなかろうか、などとも考えさせれます。ネット空間に生きている現代の学生たちが、次々と簡単に卒業論文を仕上げるのを見るにつけても、この人たちの脳の働きは、インターネットを介して与えられる資料を巧みに利用するよう変革されており、昔の研究者たちのように、苦しい体験や観察の苦労から新しい真理や原理を自分で発見する喜びは知らないのではなかろうか、などと考えてしまいます。現代のそのような人たちには、数多くの古典や故人の労作などを、忍耐強くこつこつと読む意欲もないのではないでしょうか。それでは、現代文明も巨大な海流だけのような、滅び行く単なるこの世の流れと化してしまい、神目指して発展上昇しようとしないため、やがて神ご自身によって内部から崩壊させられてしまうと思います。神信仰と人間の福祉という二つの目標のどちらをもバランスよく大切にしようとせず、人間中心の便利さ・豊かさだけを一方的に追い求めるこのような偏った現代文明の陰には、密かに無数の悪霊が働いていると思います。昔には思いもしないような凶悪事件が最近多発しているのは、そのような悪霊が人の心にのり移るからだと思われますが、同時にあまりにも知識や情報に偏った現代文明によって心の教育も乱され、バランスを失って来ている証拠だと思います。この恐ろしい不足面を、心に銘記していましょう。

   主は本日の福音の中で弟子たちを宣教に派遣なさるに当たり、かなり厳しい清貧を彼らに命じておられます。アシジの聖フランシスコ程の徹底した清貧愛に生きなくても、ある程度無駄使いを賢明に避けて、清貧と節制に心掛ける時に、神の霊が私たちの内に生き生きと目覚ましく働き出し、豊かさの内に生きる現代人の心を真の真理へと目覚めさせ悔い改めさせて、救いの恵みへと導くことができるのではないでしょうか。溢れる便利さ・豊かさの中で自分の心のバランスが取れなくなり、救いの道を求めて悩んでいる多くの現代人たちのため、そのような目覚めの恵みを願い求めつつ、本日のミサ聖祭を献げましょう。

2012年7月8日日曜日

説教集B年:2009年間第14主日(三ケ日)



朗読聖書: . エゼキエル 2: 2~5.     Ⅱ. コリント後 12: 7b~10.  
   . マルコ福音 6: 1~6.

   本日の第二朗読には、「私は弱い時にこそ強い」という言葉が読まれますが、これは使徒パウロの数多くの体験に基づく確信であったと思われます。現代の私たちの教会も、全てが比較的落ち着いていた昔の時代の教会に比べると、グロバール時代、全地球化時代を迎えて、日々世界中の無数の情報、社会情勢・社会不安などの情報が、リアルタイムで信徒各人に届いて各人の心を動かし支配しているため、一般社会に流通している極度の多様化・流動化の流れにもまれて、恐ろしいほど一致団結の力を弱めていると思います。しかし、神信仰なしに人間の自力に頼ってもがいている、一般社会の考え方が私たちの心を支配して弱らせ勝ちなこのような不信の流れに雄々しく抵抗して、神の働きに対する私たち神の僕・婢としての信仰と信頼を若返らせ、揺るがないものとするなら、私たちも小さいながら使徒パウロのように、自分の弱さを厭わず、復活の主キリストの来世的命の力に支えられて、強く雄々しく生きるように為れるのではないでしょうか。恐れてはなりません。全能の神の力は、私たちの数々の弱さの中でも、神への信仰と信頼にしっかりと立って希望と勇気に輝いているなら、十分に発揮されることでしょう。使徒パウロに倣って、私たちも自分の弱さと行き詰まり状態の最中にあって、「むしろ大いに喜んで」その弱さを誇りとし、ひたすら神に眼を向け、信仰と信頼に励んでいましょう。「キリストの力が」一層豊かに私たちの内に宿るように。

   意図的に少し時代遅れのような生き方をしている私の考えは、現代人にはあまり理解されないかも知れませんが、しかし、時代遅れのこういう特殊な観点に立って私の見聞きしている体験から、特に現代の若い人たちに警告して置きたいこともあります。少し我慢して聞いて下さい。私は、1960年代の終わりごろにわが国で初めてワープロが売り出された時から、南山大学から支給される補助金を利用し、数回買換えながらワープロだけは今も愛用しています。一番最初に売り出された試験的プロッピーは1枚2万円でした。ちょうどその時ドイツ語から期限付きで急いで邦訳していた、ある文書の添削収蔵のためそのフロッピーを買いましたが、その三か月後にはもっと多く入るフロッピーが、遥かに安い値で大量に売り出されるようになりました。そんな失敗も体験しつつ、しかし、ワープロの発明で手書きの何倍も多く仕事をなすことができたことに、私は現代文明の恩恵に深く感謝しています。

   1970年代に入ると電話機も変わり、数字を指で押してかける電話機が一般的になりましたが、その時なぜか私は、自分の個室にある数字を時計回りに回してかける「古い電話機はまだ使えるので」と答えて、敢えて新しいタイプの電話機に変えませんでした。これが、私が時代遅れの人間になる始めでした。そのすぐ後に売りに出されたワープロには、他のワープロと電話回線で結んで画面や情報を交換できる機能も備わっていましたが、そのためには新しいタイプの電話機に繋ぐ必要がありました。しかし、今だに古い電話機を使い続けている私は、この新しい機能を全く使っていません。ワープロはただ自分が何かを書くため書いたものを保存するために、使っているだけですから。その後まもなく携帯電話機やインターネットの機器も売りに出され、その便利さ故に急速に普及して、今ではほとんどの人が、それらを生活必需品のようにして子供の時から使用していると思います。

   しかし、私は今だに敢えてそれらの文明の利器を持とうとしていません。必要な資料や情報を入手するという点では、他の人たちより時間も苦労もかかりますが、それには既に数十年前から慣れていますので、それほど苦になりません。ただこうして、一般の人たちより多少時代遅れの生き方を続けるようになりましたら、いろいろの便利さの陰にある現代人の新たな苦労や危険、あるいは現代人の心の働きのマイナス面などについて、違う流れに立つ者として学ぶことが多くなり、その意味では、神は私を敢えてこの道へとお導きになったのではないかなどと、心密かに感謝しています。というのは、陰ながらそっと観察していますと、日々頻繁に携帯やネットを利用している人たちは、ある意味でそれらの機器を通して流入する呼びかけや情報の奴隷のようにされている、と思われることが少なくないからです。それらの機器の背後にある目に見えない相手が皆良い人とは限りませんので、文明の利器が犯罪に利用されるケースも多いようです。一人前の司祭がそういう犯罪などに巻き込まれることはまずないでしょうが、しかし、外界からの頻繁な呼びかけや問い合わせなどに時間を奪われ、悩まされている司祭たちもいるのではないでしょうか。その点、そういう文明の利器を持たない私は、昔の修道者たちのように、自分に与えられている時間を、束縛なく自由に神と人とに使うことができ、仕合わせであると感じています。

   さらにもう一つ思うことは、日々ネットや携帯に半分束縛されるようにして生活している現代人の中には、それだけ、自然界の動植物にじかに接触して感動したり、苦労して学んだりすることも少なくて、人間理性が勝手に作り上げた半分バーチャルな世界に生きている人が多いのではなかろうか、というような不安であります。「誰でもいいから殺して見たかった」などと、悪気もなく話す最近の犯罪者たちの言葉を聞くと、その人たちは、人間を半分バーチャルな世界に生活させる現代文明の利器の犠牲者なのではないのか、と考えさせられます。苦労して生きている人たちの涙ぐましい心情や、愛する人たちに後事を託して死んで行く人たちの心情に直に触れて、自分が神から受けているこの貴重な人生の意味などについて考える機会が全く与えられなかったのではないか、と考えさせられます。ネット空間に生きている現代の学生たちが、次々と簡単に卒業論文を仕上げるのを見る時も、この人たちの脳の働きは、インターネットに順応して与えられた資料を巧みに利用するよう変化しており、昔の研究者たちのように苦しい体や観察の苦労から新しい真理や原理を自分で発見する喜びは知らないのではなかろうか、などと考えさせられます。数多くの古典など故人の著作を、何時間もかけてこつこつ読み解く意欲もないのではないでしょうか。それでは、現代の文明もやがて巨大な海流だけのような単なる人工的流れと化してしまい、神を目指した進歩も発展もない無意味なものとなって、神によって内部から崩壊させられてしまうのではないでしょうか。本日の福音に述べられている、故郷ナザレの人々から受け入れられない主イエスの御心境を偲びつつ、現代文明や現代社会の抱えている内的問題についての危機感を新たにし、神の憐れみを願い求めましょう。

2012年7月1日日曜日

説教集B年:2009年間第13主日(三ケ日)


朗読聖書: . 智恵 1: 13~15;  2: 23~24.
                . コリント前 8: 7, 9, 13~15.  
  . マルコ福音 5: 21~43.

   本日の第一朗読には、神は「生かすためにこそ万物をお創りになった」のであって、「命あるものの滅びは」喜ばれません。「滅びをもたらす毒はその中にはなく、」「悪魔のねたみによってこの世に」入って来たのです。ですから、神が「ご自身の本性の似姿として」「不滅な存在として」創造して下さった人間は、その悪魔に抵抗し続けるなら、神と共に永遠に幸せに生きることができますが、悪魔の仲間に属する者になるなら、死を味わうに至るのです、というような旧約末期のユダヤ人たちの人間観が述べられています。「パウロ年」の最後に当たり、使徒パウロの生き方を偲びながら、聖書のこの人間観に学びたいと思います。同じ悪魔は現代の極度に多様化し流動化しつつある社会の中でも活躍し、多くの人の心を滅びへと導いていると思われますので。

   使徒パウロについては、これまでのパウロ像を覆すような新しい歴史研究や聖書研究が、1980年代後半から続々と発表されていますが、こうして明らかにされた使徒パウロの精神や霊性が、グロバール時代、全地球化時代を迎えて伝統の見直しを迫られ、混迷し勝ちな現代人の間に広く知られ受け継がれるようにとの願いも込めて、昨年の6月末から「パウロ年」が祝われたのではないでしょうか。現教皇ベネディクト16世は、昨年の7月始めから今年の2月始めまでの水曜日の一般謁見の講話に、それらの新しいパウロ像を参照しつつ、20回にわたって使徒パウロの生涯や信仰思想などについて解説しておられます。それらの講話は邦訳されて、カトリック中央協議会から出版されています。復活なされた主キリストに出会い、ひたすらその御声に従って、当時のファリサイ派の伝統的信仰精神から大きく脱皮し、神から派遣されて来られた救い主メシアの精神の内に、ユダヤ人をも、また異邦人たちをも、全人類を一つの神の民に為すように命がけで働き続けた使徒パウロは、現代の私たちにも示唆することの多い国際的人物であったと思います。パウロについてはよく、「パウロの回心」という言葉も耳にしますが、パウロについて一番詳しく伝えている聖ルカの使徒言行録にもパウロ自身の書簡にも、復活の主キリストに出逢ってからのパウロについて、「回心」や「悔い改め」という言葉は全く使われていません。パウロは太祖アブラハム以来の伝統的信仰の遺産を忠実に保持しつつ、それを完成し救いの恵みを全人類に与えようとなされた主イエスの、より新しい啓示に従い続けたのだと思われます。

   パウロは今のトルコ半島の付け根に近いタルソスというイコニウム地方の大きな中心都市で、身分の高い階層のユダヤ人の家に生まれ、生まれた時からローマ市民権を持っていました。そしてギリシャ語を母国語として育ち、同時に敬虔なユダヤ人としてヘブライ語にも堪能でしたが、長じてエルサレムに留学し、著名なラビ・ガマリエルの弟子となって人一倍熱心に聖書を研究するファリサイ派の律法学者になりました。この律法研究の立場から、自分がエルサレムに来る前に十字架刑を受けて死亡したナザレのイエスを復活した神の子として信奉し、その信仰を広めているグループの人たちを、太祖以来の伝統的神信仰やユダヤ教を歪める危険分子と思い、大祭司たちからの支援を受けて迫害しました。しかしそれは、神を真面目に信じ崇める信仰の熱心からの行為で、宗教的にも社会的にも悪事を為したという意識はなかったと思われます。

   旧約末期から主イエスや使徒パウロが活躍していた頃までのユダヤ教には、エジプトで70人によってギリシャ語に翻訳されたと伝えられる「七十人訳」と言われる聖書が、ユダヤ国外の世界諸国に生まれ育ったユダヤ人をはじめ、当時の国際語であったギリシャ語を話す無数の異邦人たちにも愛読されていて、アブラハムの神を崇める異邦人たちも多く、ユダヤ教の会堂礼拝には割礼を受けていない異邦人たちも大勢参加していました。イザヤ56章7節には、「私の家は全ての民の祈りの家と呼ばれる」という、神からの預言の言葉が読まれ、ルカ福音書19章によると、主イエスもエルサレム神殿から商人たちを追い出された時その聖句を引用しておられます。ヘロデ大王によって大きく美しく増改築された当時のエルサレム神殿には、大勢の異邦人が祈りに訪れており、広く拡大された神殿の外庭で祈る、その人たちからの献金の額も大きかったと思われます。しかし、その外庭の一角で働いていた両替屋やその他の商人たちの声が煩かったので、主が彼らを祈りの邪魔として追い出されたのだと思います。福音書や使徒言行録には、敬虔な信仰に生きるローマ軍の百人隊長やエチオピア女王カンダケの高官など、数多くの異邦人も登場していますが、過越祭には異邦人の神殿巡礼者たちも多かったと思われます。主が復活なされた年の五旬祭、あの大規模な聖霊降臨のあった五旬祭には、遠くメソポタミアやアラビア、ローマやエジプトなどからも多くの人がエルサレムに来ていたようです。その中には、異邦人も少なくなかったでしょう。

   使徒パウロが復活の主キリストからの啓示に従い、ギリシャ語圏に住むユダヤ人と異邦人に対する伝道に活躍した頃は、当時の世界各国の異邦人がユダヤ人の信仰の遺産に最も大きな関心を抱いていた時であり、ユダヤ人と異邦人とが復活の主キリストに対する信仰と愛において、新しい一つの神の民となる可能性が最も大きく膨らんでいた時であったと思われます。しかしそこに、先程の聖書の言葉を引用するなら、滅びをもたらす死の毒が悪魔の妬みによってこの世に入ったようです。外的この世的に豊かになっていた当時のエルサレム神殿とその周辺にいたサドカイ派とファリサイ派の指導層は、豊かに繁栄している自分たちの今の宗教的社会的地位や体制の護持を何よりも優先して、己を無にして神への感謝・従順に心がけようとはせず、神から派遣された洗礼者ヨハネの声にも、また約束されたメシアの声にも謙虚に聴き従おうとせずに、遂にメシアを繁栄しつつあるユダヤの宗教政治体制に有害危険な人物として断罪し、ローマ総督に訴え出て十字架刑に処してしまいました。すると既に旧約末期から始まっていたユダヤ教内部の分裂や権威失墜の動向が急に過激になって、ユダヤ教の体制が崩壊し始め、遂にエルサレム神殿は、紀元70年にローマ軍によって徹底的廃墟とされてしまいました。現代の教会も、同様の悲惨な分裂や権威失墜に見舞われるかも知れません。使徒パウロの信仰精神で生きるよう努めましょう。

   エルサレム神殿が滅亡すると、それまでのメシア待望熱も冷め、神殿礼拝もなくなり、祖国を失って世界中に当て所なく流浪する民となってしまったユダヤ人たちのため、彼らが先祖の神信仰から離れて異教化しないよう、生き残ったファリサイ派のラビたちは、その後3世紀半ばまでの間に後年「タルムード」と言われるラビ資料をまとめ上げ、新しいラビ・ユダヤ教を造り上げました。このラビ・ユダヤ教は伝統的ユダヤ文化のギリシャ化を退け、ギリシャ語の七十人訳聖書を排斥して狭い閉鎖的選民意識の中に立て籠り、流浪するユダヤ人の団結を固めようとした守りの宗教であるため、それまでの聖書の全部を尊重するのではなく、七十人訳聖書の中に読まれる、トビト記、エディト記、マカバイ記、知恵の書等々、十数点の文書を彼らの聖書から除外してしまいました。カトリック教会や東方教会は、旧約時代・キリスト時代以来のこれらの七十人訳聖書を全て大切にしています。以前には使徒パウロを、そのような狭いラビ・ユダヤ教からキリスト教に改宗したかのように思う人たちもいたようですが、近年の研究でそれは誤りであることが明らかになりました。同じ紀元1世紀にエジプトで活躍していたユダヤ人哲学者フィロンも、名門のユダヤ人祭司の息子でユダヤ戦争の時にローマ軍と戦い、捕えられて生き伸び、後に『ユダヤ戦記』や『ユダヤ古代史』などの著作を執筆した歴史家フラビウス・ヨゼフスも、パウロと同様に七十人訳聖書を読んでおり、当時のギリシャ・ローマ文化に対して開いた心の持ち主でした。現代の全地球化時代の巨大な混沌とした流れの中で生きる私たちも、何かの狭い閉鎖的な立場に立てこもることなく、神よりのもの全てに心を大きく開いて、何よりも神の声に聴き従う精神で生活するなら、使徒パウロのように、神の働きによって各人なりに豊かな実を結ぶことができるのではないでしょうか。「パウロ年」を終えるに当たって、本日この希望と決意を新たに致しましょう。事によると、教皇は今のユダヤ人たちにも、異邦人文化に開放的であった2千年前のユダヤ教に立ち戻って新たに考え直すよう促すため、全世界の教会で「パウロ年」を祝わせたのかも知れません。

   本日の第二朗読には、「あなた方の現在のゆとりが彼らの欠乏を補えば、いつか彼らのゆとりもあなた方の欠乏を補うことになるのです」という言葉が読まれます。これは、使徒パウロの数々の体験から滲み出た確信であると思います。パウロはコリント後書4章に、「私たちは生きている間、イエスのために絶えず死に曝されています。死ぬ筈のこの身にイエスの命が現れるために。こうして私たちの内には死が働きますが、あなた方の内には命が働きます」などと書いています。パウロは、洗礼によって霊的に主キリストの体に組み入れられ、その一つ体の一部分・一肢体として戴いている私たちキリスト者は、この世の命に生きながら、内的には既に永遠に死ぬことのないあの世の主キリストの大きな命に包まれて、いわば主キリストを着物のように纏いながら生活しているのであり、その限りでは死に伴われて苦しむことの多い私たちのこの世の苦しみは、主キリストの受難死に参与して人類の他の部分で主のあの世の命を広めるのに大いに役立っている、と信じていたのではないでしょうか。ユダヤ人と異邦人の別なく、新約の神の民のこのような内的生命的な連帯性は、現代に生きる私たちも、大切にしたいと思います。

   先日私は二回目の抗がん剤投与を目前にして不安になっていた一人の韓国人信者を見舞いました。その信者が一回目の抗がん剤投与の強い副作用に非常に苦しんだと聞いたからでした。そして病油の秘跡を授けて一緒に祈った後、恐れて逃げ腰の心で治療を受けると、自分で自分の心を苦しめるので2倍も3倍も苦しみを大きくするから、多くの人の救いのため喜んで受難死を甘受して下さった主キリストと聖心と一致し、その苦しみを神に献げる祈りの心で前向きに治療に立ち向かうよう励まして来ました。神の救う力は、そういう献げる心、祈る心の中で大きく働いて下さるからです。察するに使徒パウロも、日々出逢う苦しみを、自力に頼ってではなく、主キリストの命に生かされて耐え忍び、神への祈りとして献げていたのではないでしょうか。私たちもその模範を心に刻みつつ、「来世的人間」として生き抜きましょう。