2009年4月26日日曜日

説教集B年: 2006年4月30日、復活節第3主日(三ケ日)

朗読聖書: Ⅰ. 使徒 3: 13~15, 17~19.   Ⅱ. ヨハネ第一 2: 1~5a.  
  Ⅲ. ルカ福音 24: 35~48.


① 新緑の美しい季節を迎えていますが、先日好天に恵まれて、三ケ日から名古屋への途中に刈谷駅で下車し、刈谷城の跡地を訪ねてみました。その城は家康の生母於大 (おだい) の方の父水野忠政が築いたもので、今は大きな二つの池と共に美しく整備され、訪れる人たちの心を和ませる緑豊かな亀城公園になっていました。そして新聞に「凱風」という言葉を見つけました。南から吹き寄せる心地よい春風のことで、凱風の「凱」という字は、勝利者の凱旋などに使われる「凱」という字です。ちょうどその日は夏日に近い程の暖かい日で、於大の方が暫く住んでいた椎の木屋敷跡の静かな休憩所で弁当を食べていた頃は、かすかに春風に吹かれていましたし、復活祭は主キリストの凱旋を記念する時でもありますので、心の中まで明るくなるのを覚えました。
② 神言神学院に帰り、共同で唱える復活祭の共同祈願の中に「神はキリストによってすべてを救い、一つに集められる」という祈りに出あいましたら、また心の思いが大きく広がり、主の勝利の喜びに導き入れられるように覚えました。私はここで言われている「すべて」を、生きとし生けるもの全て、いや神によって創られた宇宙万物を指していると考えます。復活なされた神の独り子は、それらの全てを改めて天の御父からしっかりと受け取り、目には見えなくても、天の栄光へと導き高めつつあるのではないでしょうか。その「全て」がどれ程多種多様であっても、いつかは主キリストの愛の命に生かされる「一つ共同体」となって輝くようになるのです。私たちが日々出会う小さな花や虫、あるいは物言わぬ道具類や飲食物に至るまで、そこに万物を愛しておられる主が現存しておられることを信じつつ、温かい心でそれらを眺めたり、生かして使ったり、あるいは感謝して飲食したりするように心がけ、主と万物に生かされて生きるように心がけましょう。以前にも話したことですが、「作品は作者を表す」という言葉通りに、命の本源であられる神に創られた全てのものは、太陽も月も宇宙も、ある意味では皆生きている存在であり、それぞれその存在によって神を讃え神に感謝しているのだと思います。それで私は十数年来、このようにして万物の内に神の現存と働きを感知しつつ、信仰と感謝の内に生きようとするのを、勝手ながら「私のカトリック的ネオ・アニミズム」と考え、日々出会う全てのものを温かい眼で眺めています。
③ 本日の第一朗読は、ペトロが神殿の美しい門の所で生来歩けなかった男を奇跡的に癒したことに驚いた民衆に話した説教ですが、彼はその中で、メシアを殺害したユダヤ人の罪を糾弾した後に、神がその殺されたメシアを死者の中から復活させたと宣言していますが、「私たちは、このことの証人です」と述べている言葉には、力がこもっていたのではないでしょうか。度々復活の主に出会った目撃体験と、旧約聖書の言葉に基づいての証言だからです。ペトロがその結びで、「ところで兄弟たちよ、あなた方があんなことをしてしまったのは、指導者たちと同様に無知のためであったことは、私には分かっています。云々」と、大きな罪を犯してしまったユダヤ人の無知と弱さに、温かい理解を示していることも、注目に値します。罪を厳しく糾弾したのは、無知から犯してしまった罪を自覚させ、何よりも神からその罪の赦しを受けさせるためであるからだと思います。
④ メシアの受難死は、数百年前から預言者たちによって予告されていた神の御旨でした。神のご計画では、メシアは人々の罪によって殺されても復活し、一層大きな自由の内に世の終りまで人類と共に留まり続け、悔い改めて信じる人を救うために派遣されたのです。ですから、たといメシア殺しの罪を犯してしまっても失望することなく、「自分の罪が消し去られるように、悔い改めて立ち帰りなさい」と、ペトロは力説したのだと思います。今の人は「罪」と聞いても、それを何かの規則違反、例えば交通規則の違反のように軽く考え勝ちのようですが、聖書に言われている罪はそんなものではなく、神の呪いを招くこと、悪魔に加担することを意味しており、罪はそのままにして置くと、将来その人たちが思いもしなかった恐ろしい不幸を招来することになります。聖霊降臨後の使徒ペトロは、神の霊によってその不幸がエルサレムの人々に迫りつつあるのを痛感していたでしょうから、「自分の罪が消し去られるように、悔い改めて立ち帰りなさい」というその言葉には、特別に力と熱意がこもっていたと思われます。
⑤ 本日の第二朗読も、今話したペトロの説教と同様の立場で語られていると思います。たといどんなに恐ろしい罪を犯してしまっても、天の御父の御許には全能の弁護者・救い主キリストがおられて、悔い改める全ての人を救って下さいます。この方が御父に献げた受難死といういけにえは、「全世界の罪を償ういけにえ」なのですから、余計な心配は捨てて、大胆に古い自分を捨て去り、悔い改めましょう。そして主キリストから与えられた新しい愛の掟、主が愛したように「互いに愛し合え」という掟を遵守するように努めましょう。頭では神を知っていても、キリストが愛したように愛するという実践の伴わない者を、使徒ヨハネは「偽り者」として厳しく断罪しています。
⑥ 私たちも気をつけましょう。神のお言葉を頭で理知的に受け止め解釈しているだけで、実生活の中での神の働きとの出会いに、感動し感謝する心のセンスを眠らせたままにしていますと、そのような「偽り者」になる危険が大きいと思います。仏教の禅僧たちは自分の心に沈潜し、心の内にあるものを静かに深く見極めることによって悟りに到達しようと努めており、それはそれで価値の高い宗教的生き方ですが、使徒たちをはじめ私たちキリスト者が召された道は違います。私たちは、人となられた神の子キリストの生き方・活動を、心の眼でしっかりと見極め感動して、それに従って行くように、またそれについて証しするように召されているのです。その主キリストは、目には見えなくても今も世の終りまで私たちの間に現存し、私たちに伴っておられるのです。従って、私たちにとって大切なのは、その主の現存と働きに対する心のセンスを鋭敏に磨いていること、そして小さいながらも実際に主の導きや助けを体験するようになることではないでしょうか。私たちは実体験を通して、主の現存と働きについて力強く証しすることができるようになるのでいから。その恵みを願い求めつつ、本日のミサ聖祭を献げましょう。
⑦ 本日の福音は、主が復活なされた日の夜、エマオから駆け戻った弟子二人が主について弟子たちに報告した後の、主のご出現についての話で、これについては一週間前に朗読されたヨハネ福音書にも簡単に述べられていますが、ルカはそれについて、もう少し具体的に詳しく叙述しています。主は、ご自身の復活体が肉も骨もない亡霊とは違って、実際に復活した人間の体であることを弟子たちに検証させていますが、医者であったルカはこの検証を重視して、それを少し詳しく書き残したのだと思われます。主が、ご自身の復活体を検証させただけではなく、千年以上前からの神のお言葉、聖書に基づいてメシアの復活を説明し、彼らの心の眼を開いて下さったことも大切です。そこでも最後に、「罪の赦しを得させる悔い改めが、その名によってあらゆる国の人々に宣べ伝えられる」ことと、主の弟子たちが「これらのことの証人となる」こととが説かれていますが、現代においてその弟子たちの使命を継承している教会に、そして教会のメンバーである私たちに、主は今もこの祭壇から、同じことをおっしゃっておられるのではないでしょうか。日々信仰のセンスを磨いて、小さいながらも私たちの中での主のお働きを鋭敏に感知し、自分の体験に基づいて主の愛を世に証しする人間になるよう努めましょう。

2009年4月19日日曜日

説教集B年: 2006年4月23日、復活節第2主日(三ケ日)

朗読聖書: Ⅰ. 使徒 4: 32~35.   Ⅱ. ヨハネ第一 5: 1~6.  
  Ⅲ. ヨハネ福音 20: 19~31.
① 復活節第2主日の第一朗読と第二朗読の箇所は毎年違いますが、福音は毎年主のご復活の晩とそれからちょうど一週間後の出来事について述べている、ヨハネ福音書の同じ箇所から朗読されます。この主日について前教皇ヨハネ・パウロ2世が「神の愛のこもった寛容さが特に輝き出る」主日と表現なさったことから、「神の慈しみの主日」と呼ばれるようになりました。私は昨年4月に中国や韓国で反日デモが発生した時から、極東アジア諸国が互いに心を大きく開いて友好親善に努め、平和に共存共栄する恵みを願って、毎月一回、日曜またはその他の週日にミサ聖祭を捧げていますが、本日「神の慈しみの主日」に当たり、このミサ聖祭をその意向でお献げ致します。宜しければ、皆様もミサ中にこの目的のため、ご一緒にお祈り下さい。
② なお、4年前の2002年6月29日付で教皇庁から出された教令により、復活節第2主日には、必要な条件を満たして祈る人に、部分免償または全免償が与えられると定められています。「既に赦された罪に伴う有限の罰の免除」を意味する免償については皆様ご存じのことですが、その条件については『カトリック教会の教え』220~221ページに明記されていますので、ここでは省きます。免償を受けたい人は、その条件を満たしてお受け下さい。この免償は、16世紀のプロテスタント宗教改革者たちによって「罪の赦し」と誤解され、当時の教皇庁をはじめカトリックの神学者や有識者たちは皆、その誤解に驚いたり呆れたりしましたが、しかし、ドイツやヨーロッパ北部の貧しい一般民衆の間では、実際にそれを「罪の赦し」と考えるような誤解が広まっていたようです。それでカトリック教会は、プロテスタントの宗教改革を契機として、ルッターら宗教改革者たちがその教理を普及させるために作成した問答式の教理書に倣って『公教要理』を作成し、それを民衆の間に普及させています。昔の信者は、子供の時から事ある毎に、その『公教要理』を暗唱する程に学ばせられていましたが、今はその必要はないと思います。
③ しかし、カトリックの教えや伝統についての誤解を書いたり話したりする人は、現代にも少なくないようですから、私たちも『カトリック教会のカテキズム』か『カトリック教会の教え』を手元に置いて、時々はそこから学ぶよう心がけましょう。私たちは皆、復活なされた主キリストが目には見えなくても世の終りまで、カトリック教会という信仰共同体に伴っておられ、その信仰や活動を護り導いておられると信じています。その主の導きに従って教会が2千年来体験して来た数々の失敗や成功は、教会の伝統的教えの中にも反映し定着していると考えます。例えば私たちの営んでいる修道生活について、聖書には何も書かれていないから、それは後の時代の人間が創り出したものであって神からのものではない、などという人がいます。しかし、主が今も世の終りまで私たちと共におられ、働いて下さっていることは、千数百年来の無数の修道者たちが日々生き生きと体験していますし、自分の数多くの体験から確信しています。そして聖書にある主イエスのお言葉からも、その事実は明確に保証されています。2千年前の聖書に明記されていないことは全て神よりものではないとする考えこそ、聖書の教えに反する人間の独断ではないでしょうか。修道生活については『カトリックの教え』140~141ページにも述べられていますが、私たちはその生き方を介して、世の終りまで私たちと共におられる主の働きを、世に証しする使命を持っていると思います。
④ 本日の第一朗読は、聖霊降臨によって生れた教会共同体の美しい一致の姿を伝えていますが、主がエルサレム滅亡の予言と並べて、世の終りと主の栄光の再臨についても予言なされたので、当時は、使徒たちをはじめ一番最初の信徒団も世の終りは近いと考えており、十分の土地財産を所有する資産家たちは、程なく世の終りになるのなら全ては失われるのだからと考え、それらを売っては代金を使徒たちの所に持ち寄り、信徒団は皆、神の慈しみの内に、心を一つにして助け合い励まし合って生活するようになったのだと思います。しかし、この状態はいつまでも続いたのではありません。皆生身の人間ですし、初めに持ち寄ったものが底を付き、貧しさを目前にするようになれば、やはり人それぞれに、自分の蓄えや生き残り策を考えるようにもなったと思われます。エルサレムでキリスト教会が誕生して20年ほど後に、使徒パウロがギリシャ系改宗者たちの諸教会から集めた寄付金をエルサレム教会に持参していることから察すると、この頃には既にエルサレム教会が少し貧しくなっていたのではないか、と推察されます。
⑤ ローマに対する反乱によってエルサレムが70年に滅亡しても、まだ世の終りにはならず、ローマ帝国の支配が一層強化されて、使徒たちもほとんど皆いなくなると、世の終りはまだまだ遠い将来のことではないのかという考えが広まり、それまでの生き方や信仰に対する疑問も生じて、教会内には使徒たちの教えとは違う見解や教えを広めようとする人たちも現れ始めたようです。本日の第二朗読は、1世紀末葉のそういう教会事情の中でしたためられた書簡からの引用ですが、そこではキリスト者の本質と、神の掟 (即ち「私が愛したように、互いに愛し合いなさい」という主から与えられた新しい掟) の遵守が強調されています。禅仏教は言わば人間側からの探究が中心になっている宗教で、禅僧たちはたゆまぬ努力によって迷いや煩悩を克服し、悟りに到達しようとしますが、主イエスを神の子と信ずる私たちは、主の掟を守ることによって神の命に成長し、神の霊に生かされ導かれて、すなわち神の力によって、古い自分にも世にも打ち勝つのです。使徒ヨハネのこの教えに従い、私たちも小さいながら神の霊によって教会共同体の一致を堅め、神中心に生きようとしていない世に打ち勝つ証しを立てるよう努めましょう。
⑥ 本日の福音の始めにある「夕方」は、ルカ福音の記事を考え合わせますと、夜が更けてからのように思われます。主が復活なされたその日、エマオで早い夕食を食べようとした弟子二人が、急いでエルサレムに駆け戻ってからの出来事のようですから。本日の福音に二度述べられている「真ん中に立つ」という言葉には、深い意味が込められていると思います。それぞれ考えも性格も異なる人と人との間、そこに主キリストの座があり、相異なる人と人とを一致させ協働させる平和と愛の恵みも、その神の座から与えられるのではないでしょうか。主はその真ん中に立って、「あなた方に平和」と挨拶なされたのです。日本語の「人間」という言葉も、この聖書的観点から大切にして行きたいと思います。それは、各人の中に宿る神人キリストに対する信仰と結び、キリスト教化して使うこともできる美しい言葉であると信じますので。
⑦ ところで、他の弟子たちが主の最後のエルサレム行きを恐れ、躊躇し勝ちであった時、「私たちも行って、一緒に死のう」(ヨハネ11:16) と皆に呼びかけた忠誠心の堅いトマスが、なぜ他の弟子たちが目撃し実証している主イエスの復活を、すぐには信じることができなかったのでしょうか。戦後の20数年間、いや30年間近くも日本の敗北を認めようとしなかったグァム島の横井庄一軍曹や、フィリピンの離島ルバング島の小野田寛郎少尉などの例からも分かるように、祖国日本に対する忠誠心の堅い軍人にとり、180度の思想転換には長い時間が必要なのだと思います。それで主も、忠誠心の堅い弟子トマスには、一週間の猶予期間を与えて下さったのではないでしょうか。その間、トマスの心はいろいろと思い悩んだでしょうが、その悩み抜いた心、悩みに打ち砕かれて成熟した心に主がお現れになった時、彼はその苦しみから解放されて、180度の転換をなすことができたのだと思います。主のこのような導き方は、人を改宗に導く時にも、心すべきことだと思います。
⑧ 復活なされた主を目前に見て、トマスが感動して宣言した「私の主、私の神よ」という言葉も、注目に値します。他の弟子たちは、それ以前に主を「神の子」と呼んだことはあったとしても、そこにはそれ程の深い感動も喜びも込められていなかったでしょうが、トマスがここで主に向かって叫んだ「私の主、私の神」という宣言には、自分の心を深刻な悩みから解放して下さった主に対する感謝と、パーソナルな強い忠誠心も込められていると思われるからです。後年、教会はこの感動に満ちた宣言をミサ聖祭の「栄光の讃歌」に採用し、「神なる主」という言葉で表現しています。私たちはトマスのように復活の主を目撃してはいませんが、見なくてもその主の今ここでの現存を堅く信じつつ、「栄光の讃歌」を歌う時あるいは唱える時には、悩みから解放された使徒トマスの喜びと感激と捧げの心を、合わせて想い起こすように致しましょう。

2009年4月12日日曜日

説教集B年: 2006年4月16日、復活の主日(三ケ日)

朗読聖書: Ⅰ. 使徒 10: 34a, 37~43.  Ⅱ. コリント前 5: 6b~8.
 Ⅱ. ヨハネ福音 20: 1~9.
① 本日の第一朗読は、使徒ペトロがカイザリアにいたローマ軍の百人隊長コルネリオとその家族・親戚・友人たちの前で話した説教からの引用ですが、その中で「神はこのイエスを三日目に復活させ、人々の前に現して下さいました」という言葉があります。ここに「三日目」とある、私たちがこれまでしばしば聞き慣れている聖書の言葉には、実は神からの深い意味が込められているようです。今の教皇ベネディクト16世がまだ枢機卿であられた1999年に著された『典礼の精神』という著作の第五章「聖なる時」の中で、それに関連して様々な話や考察が論述されています。それで、本日はそのラッツィンガー枢機卿の考察の一端を私なりに少し自由な形に崩し、いろいろと言葉を補って紹介してみたいと思います。なお余談ですが、一昨日ここで朗読されたマルコ受難記の最後に、主イエスの受難死の一部始終を目撃していた百人隊長が、主の死後すぐに「まことにこの人は神の子であった」と言った、という話がありましたが、私はその人が、ペトロの説教を聞いて異教徒からの最初の受洗者となった百人隊長コルネリオではなかったか、と勝手に推察しています。
② ラッツィンガー枢機卿の話に戻りますが、古代の大都市や大河流域の豊かな土地では、一神教は成立できませんでした。人間の関心を引き、その生活を豊かにしてくれる地上の多くのものに取り囲まれて、住民が定住していたからだと思います。一神教は、大地からの恵みが乏しい乾燥した荒れ野や砂漠地帯で、遊牧民のような不定住の放浪生活を続けながら、一つの場所や事物を神格化することなく、太陽・月・星空など、秩序正しく動いている天空の事物を眺めつつ、不安な生活を耐え忍ぶことの多い人々の間で成立しました。オリエント諸国で、そのような「よそ人」としての生活を続けることの多かったアブラハムとその家族は、目前にある地上の事物よりも、日照や雨や風などを支配していると思われる天上の神に恵みと保護を祈り求めながら生活し、蓄えの少ない不安に絶えず伴われているその遊牧生活の中で体験した数多くの神の助けや護り・導きから、人類に対する唯一神のパーソナルな愛を確信するに到ったのではないでしょうか。
③ アブラハムの出身地であるメソポタミヤ地方や東洋の諸国では、定期的に満ち欠けする「月のリズム」で月日を数える太陰暦が普及していましたので、旧約の神の民はそのリズムに従って生活し、六日間働いて七日目を安息日とする「週単位のリズム」を大切にしていました。これに対して、エジプトやその他の地方では、もっと長い周期で夜と昼の長さを変化させ、冬と夏との気候を交代させる「太陽のリズム」で月日を数える太陽暦に従っていました。メシア誕生の数十年前に、ローマの支配者ユリウス・カエサルは、エジプトで最もよく整備されていた太陽暦をローマに導入しましたが、これがローマが支配していた地中海世界とその周辺に広まって定着した、「ユリウス暦」と言われた太陽暦であります。こうして、太陰暦と太陽暦で大きく二つに分かれていた世界を、新しく一つに結んで協力させる意味も込めて予言なされたのが、主イエスの「三日の後に」というお言葉だったようです。マルコ福音書によると、主は3回もはっきりとご自身の受難死を予言しておられますが、いずれの場合にも「殺されて、三日の後に復活する」と明言しておられます。ヨハネ福音書には主が「私の時」と呼んでおられる箇所、あるいは「イエスの時」、「ご自分の時」と書かれている箇所がたくさんありますが、いずれも受難死と復活のその三日間を指しています。それでラッツィンガー枢機卿は、この三日間を一連の「聖なる時」、一つの「祭」の時と考えています。
④ 週単位のリズムで信仰実践に努めていた旧約の神の民にとり、「週の初めの日」は神による創造を記念する日で、民はその日から働き始めて七日目の安息日めざして生きていました。安息日は同時に神の民がエジプトでの奴隷状態から解放されたことを記念する日でもあり、その解放を感謝し記念する春の過越祭は、大安息日として盛大に祝われていました。その過越祭に屠られるため多くの小羊が神殿内に運び込まれた大安息日の前日に、「神の小羊」であられる主イエスは受難死を遂げ、大安息日が明けた週の初めの日に復活なさいました。そしてそれから50日後の週の初めの日には、主を信じる弟子たちの上に聖霊の火を劇的に注いで新しい神の民として歩ませ、力強く活躍させて下さいました。それで初代教会は週の初めの日を、「主の日」、神による新しい創造の日として特別に記念するようになり、ユダヤ教から週単位のリズムを受け継ぎながらも、週末の安息日よりも「主の日」を大切にするようになりました。復活節の典礼には「週の初めの日」という言葉が度々登場しますが、その時、それが主によって始められた新しい創造の日であることも、想起するよう心がけましょう。
⑤ このキリスト教信仰が、太陽暦が定着しており太陽信仰も広まっていたローマ帝国に広まると、週の初めの日は太陽の日と見做され、残り週日にはそれぞれ当時知られていた様々な惑星の名を配分して、月曜日・火曜日などと呼ぶようになりました。今考えてみますと、それらの惑星はいずれも太陽の周りを回っている星であり、太陽の光を受けて輝いているのですから、このようにしてユダヤ教の伝統的リズムを少し修正し、新約時代の神の民のため広く国際的に受け入れ易いものにしたのは、神の御旨だったのではないでしょうか。旧約時代の伝統が否定され捨てられたのではありません。主キリストの受難死と復活の聖なる三日間によって、太陽暦の世界の人々にも適合する、全人類の新しい伝統に広げられ高められたのです。週単位のリズムだけではありません。一年単位の太陽暦のリズムに合わせて、太陽のように見做されていた主キリストの誕生日を、4世紀からは不敗太陽神の誕生日とされていた12月25日に祝い、ユダヤ教の過越祭とは少し違う、春分後の最初の満月の後の日曜日に復活祭を祝うことにしたのも、太陰暦と太陽暦、月と太陽との両方を尊重する、国際的に受け入れ易い典礼暦を普及させようとした、古代キリスト教会の功績だと思います。例えば小アジアなどの教会では復活祭を、4世紀前半まではユダヤ教の祝祭暦にあわせて、ユダヤ教の過越祭の日に祝っていたそうですが、325年のニケア公会議の決定に従って、全教会と同じ日に祝うようになったのだそうです。
⑥ 詩篇の19番には「神は天に太陽の幕屋をすえられた。太陽は花婿のように住まいを出て、勇士のようにその道を喜び走る。云々」という言葉がありますが、太陽を主キリストに見立てて、太陽に向かって祈ることも古代から盛んになり、古代中世に建てられたほとんど全ての聖堂は、太陽の昇る東の方に向いてミサを捧げるように造られていることも、注目に値します。古代教父の中には主の日を、天地創造から数えて八日目と考え、八日目をこの世の闇を追い払う新しい時代の始まりとするシンボリズムもありました。それで古代から、洗礼盤あるいは洗礼聖堂を好んで八角形に造る伝統も続いています。私もヨーロッパでそのような古い洗礼盤や洗礼聖堂を幾つか見て来ました。私たちも古代教会のこのような慣習に敬意を表しながら、古い伝統と新しい必要性との両方を大切にする開いた心で、新しい世界宗教時代への門出であった主キリストの復活祭を、喜びのうちに記念致しましょう。

2009年4月11日土曜日

説教集B年: 2006年4月15日、聖土曜日(三ケ日)

朗読聖書: 第二部の「ことばの典礼」では旧約聖書から七つの朗読があるが、その記述は省き、「感謝の典礼」の朗読だけにする。
Ⅰ. ローマ 6: 3~11.   Ⅱ. マルコ福音 16: 1~8.


① 今宵の復活徹夜祭の典礼では、光と水が大きな意味を持っており、第一部の「光の祭儀」では、火の祝別・蝋燭の祝別に続いて、罪と死の闇を打ち払う復活したキリストの新しい命の光を象徴する、新しい大きな祝別された蝋燭の火を掲げ、「キリストの光」「神に感謝」と交互に三度歌いながら入堂し、その復活蝋燭から各人の持つ小さな蝋燭に次々と点された光が、聖堂内を次第に明るく照らして行きました。そして、キリストの復活により、罪と死の闇に打ち勝つ新しい命の光が全人類に与えられたことに感謝しつつ、大きな明るい希望の内に、神に向かって荘厳に「復活讃歌」を歌いました。
② 続く第二部の「ことばの典礼」では、最初の創世記からの朗読を別にしますと水が主題となっていて、旧約聖書の中から水によって救われ助けられた出来事や、水によって恵みを受けることなどが幾つも朗読され、その度ごとに神を讃え神に感謝する典礼聖歌が歌われたり、神に祈願文を捧げたりしました。この第二部に登場する水は、いずれも罪と死の汚れや苦しみから救い出す、洗礼の水の象徴だと思います。続いて朗読されたローマ書6章の中で、使徒パウロは「私たちは洗礼によってキリストと共に葬られ、その死にあずかる者となりました。それは、キリストが御父の栄光によって死者の中から復活させられたように、私たちも新しい命に生きるためなのです。云々」と、洗礼の秘跡の意味について教えています。復活徹夜祭の第三部は「洗礼と堅信」の儀式で、多くの教会では今宵も洗礼と堅信の秘跡を受ける人が少なくありません。この聖堂でも、今年は伊澤嘉朗さんが洗礼と堅信の秘跡を受け、すでに受洗している私たちも、皆で洗礼の約束を更新する儀式を致します。そこで、洗礼の秘跡について、また水という洗礼のシンボルについて、少しだけ考えてみましょう。
③ 洗礼はただ今も申しましたように、キリストと共に死に、キリストと共に新しい命に生きる秘跡ですが、いったい何に死んで何に生きるのでしょうか。ローマ書6章によると、私たちの古い自分の命に死んで、キリストの新しい命、もはや死ぬことのないあの世の神の命に復活するのです。と申しましても、それは霊魂の奥底で進行する生命現象で、命そのものは目に見えませんから外的には何も分かりません。譬えてみれば、鶏の卵は受精していてもいなくても、外的には少しも違いません。しかし、受精卵は内に孕んでいる新しい命がだんだん成長して来ると、卵の外殻は同じであっても、何かが少し違って来るようで、それを識別する専門家には受精しているか否かが分かるそうです。同じように、キリストの新しい命を霊魂の奥に戴いて信仰に生きている人も、その命がゆっくりと成長して来ると、その内的現実の変化が外にもそれとなく現れるようになり、本人も次第に目に見えない自分の心の内的成長を自覚するようになるのではないでしょうか。
④ もちろん、洗礼は受けても、この世の古い命の外殻が残っている間は、まだ自己中心の古いアダムの命も残っていますから、「第二のアダム」キリストの新しい命 (神の命) は、その古い命と戦いながら成長しなければなりません。ですから、私たち既に受洗しているキリスト者たちも、毎年聖土曜日のミサ中に洗礼の約束を更新したりして、洗礼を受けた時の初心を新たにし、日常生活においても神の御前に信仰と愛のうちに生きるよう心がけていますが、こうして神から戴いたキリストの命を保持し続けていますと、やがてこの世の古い命の外殻が死によって壊れても、それによって解放された新しい永遠の命 (キリストの復活の命) に生き始めることができます。死は、この世の命に生きる者にとっては苦しみに満ちた終末ですが、霊魂がキリストの復活の命に生きている限りでは、神から約束された地への過越しであり、喜びの新世界への門出であります。今宵、神が世の初めから美しく整えて私たちを待っておられるその理想郷への憧れを新たにしながら、皆で洗礼の約束を力強く更新しましょう。「復活」という言葉はギリシャ語で「アナスタジア」と言いますが、それは勢いよく、力強く「立ち上がる」という意味合いの言葉です。今宵、私たちも主キリストと共に、古いアダムの命の中から勢いよく立ち上がって、神の命に生きる決意を新たに神にお献げしましょう。
⑤ 神の子主イエスは、罪と死の闇が支配するこの世の奴隷状態から人類を救い出すために、受難死によってご自身の外殻を破り、いわば水のような存在になられた、と申してもよいと存じます。天から降った水は、砂漠のように乾燥した荒れ野で苦しんでいる諸々の生き物を潤し、彼らに生きる力と喜びを与えながら、下へ下へと降りて万物の汚れを洗い流し、時には自分を真っ黒に汚して地に埋もれて行きます。主イエスも同様に、私たちの全ての罪を霊的に背負い、真っ黒な水のようになって土の中深くに、いやペトロ前書3: 19や「使徒信条」によれば、「陰府」の国にまで降って行かれたのではないでしょうか。「我に従え」という主のお言葉から察しますと、洗礼によって主と内的に一致し神の子として戴いた私たちも、自分に死んで水のような存在になり、水のように自由で無我な心になって全ての人を愛することを、主は望んでおられるのではないでしょうか。秀吉の軍師となって活躍した黒田孝高(よしたか) は、高山右近の感化を受けて大坂で受洗した4年後の1589年に剃髪して「如水」と号し、最後までキリスト教信仰に忠実に生き抜いたキリシタンですが、「如水」と号したのは、老子の教えの影響を受けたのかも知れません。老子は理想的人間像を、この世の人々と交わって濁る水のように生きる人物の中に見ていて、その濁りは静かにじーっと待っていると自然に澄んでゆく、などと書いています。天から一般庶民の世界に降り立ち、低きにいて良く遜り、多くの谷川の水を集めて大河になり、更に大海のように生きるのが、老子の憧れた理想的人間像だったのかも知れません。神の子キリストは、その人間像を見事に生きて見せました。私たちも、主の恵みに生かされながらそのような人間になるよう心がけましょう。

2009年4月10日金曜日

説教集B年: 2006年4月14日、聖金曜日(三ケ日)

朗読聖書: Ⅰ. イザヤ 52:13 ~ 53:12. Ⅱ. ヘブライ 4:14~16, 5:7~9. Ⅲ. ヨハネ福音 18: 1~19, 42.

① 最後の晩餐の席で弟子たちを極みまで愛し、「勇気を出しなさい。私は世に勝ったのだ」と断言なされた主が、その少し後にはゲッセマネの園で血の汗を流す程に悩み苦しまれたことを思うと、この時の主は、生身の人間の弱さをそのまま百パーセントに保持しつつ、悪魔からの激しい攻撃を少しも回避せずに、百パーセント徹底的にお受けになっておられた、と考えてよいのではないでしょうか。主は公生活の始めには、申命記から神の言葉を引用することにより、いわばその言葉に込められている神の力によって、悪魔の誘惑を毅然として撃退なさいましたが、ゲッセマネでは、全能の神の力をご自身の内に深く隠し、神から離れている罪人たちの孤独と不安とをとことん体験しつつ、絶望と諦めの淵に引きずり込もうとする悪魔の脅しと誘いに抵抗し続け、ヘブライ書の表現を借りるなら、「大きな叫びと涙をもって」神に助けを願い求めておられたように思われます。メシアがこのようにして、神から離れている人間の弱さと苦しみを味わい、悪魔の攻撃を受けて底知れぬ苦悩の淵に沈められることは天の御父の御旨で、罪によって齎されたあらゆる種類の艱難・窮乏に苦しむ人々の罪を償い、その人々を慰めることのできる救い主になるためであったと思われます。主はそのとき悪魔から、過去と未来の全人類の罪と、神の愛と恵みがどれほど簡単に多くの人から無視され無駄にされるかを見せつけられ、罪を知らぬ誠実純真な人間として、極度に苦悩なされたのではないでしょうか。
② 苦しみそのものには少しも価値がない、などと言う人もいますが、苦しみを単に受けるだけ我慢するだけで、外的社会的には何も産み出さないものとして理知的に考えるなら、そうかも知れません。しかし、少なくとも神の御独り子がこの世に来臨して多くの苦しみを進んで耐え忍び、それにより人間救済の業を成就なさった後には、苦しみは、主イエスと内的に一致して生きようとするキリスト者にとって人間救済の手段として祝別され、神の恵みの器としての価値を持つに至ったように思われます。苦しみは、固く凝り固まっている私たちの心の土を打ち砕いて掘り起こし、そこに神の恵みの種が深く根を張って、豊かに実を結ぶことができるようにしてくれるからです。
③ ですから、神がこの世の苦しみを浄化し祝福して、そこに付与されたこのような効力とその高い価値とを体験し発見した某聖人は、苦しみを「第八の秘跡」と呼んでいます。自分に与えられた思わぬ苦しみの中に、神からの大きな祝福と恵みが隠されていたという体験は、信仰に生きた数多くの聖人・賢者たちも述懐しています。私たちも、病苦や災害などの苦しみに直面する時、逃げ腰にならずに、自分に一層豊かな実を結ばせようとしておられる天の御父の愛に心の眼を向けながら、主イエスと共にその苦しみを耐え忍び捧げるように心がけましょう。主を「身代わり菩薩」のように考え、主がお捧げになったご受難の功徳にひたすら頼ることにより、自分の十字架、自分の苦しみを回避する恵みを願い求めようとしてはならないと思います。主は弟子たちだけにではなく、群衆に対してもはっきりと、「私の後に従いたい者は、己を捨て、日々自分の十字架を背負って私に従いなさい。自分の命を救おうとする者は、それを失う。云々」(ルカ 9:23、マルコ 8:24) と話しておられ、私たち各人が、主と同じ献身的愛の精神で生活し、主と一致して日々自分に与えられる苦しみを神に捧げることを強く求めておられるのですから。
④ 昨年の聖金曜日にも話したことですが、使徒ヨハネは主イエスのご受難を、新しい神の民を出産する産みの苦しみであるかのように観ていたようです。ヨハネ福音書には、「私の時はまだ来ていない」だの、「父よ、時が来ました」などの主イエスのお言葉が数回読まれますが、いずれもその産みの苦しみの時を指していると思われるからです。「第二のアダム」と言われる主イエスは、十字架の下で共に苦しみながら主の御臨終に伴っておられた聖母マリア(第二のエバ) と共に、ご自身のわき腹から流れ出た血と水によって、神の命に生きる新しい人類を産んだのではないでしょうか。そして聖母と共にその場にいて全てを目撃していた使徒ヨハネは、その新しい人類の象徴なのではないでしょうか。私たちカトリック者が、主と共にこの産みの苦しみを忍ばれた聖母を霊的母と仰いでいる一つの根拠は、ヨハネがその福音書に記しているこの証しにあると思います。その証しを素直に受容し、私たちも悲しみの聖母と共に、私たちの受ける全ての苦しみ・悲しみと涙を主のご受難と合わせて神にお捧げするなら、新しい神の民を産む主の御力が私たちの苦しみを通しても働き、小さいながらも神による救いの御業に参与することができると信じます。今宵、悲しみの聖母を崇敬し聖母に感謝しつつ、そのための照らしと恵みも聖母を介して祈り求めましょう。

2009年4月9日木曜日

説教集B年: 2006年4月13日、聖木曜日(三ケ日)

朗読聖書: Ⅰ. 出エジプト 12: 1~8, 11~14. Ⅱ. コリント前 11: 23~26. Ⅲ. ヨハネ福音 13: 1~15.

① 主イエスの最後の晩餐の記念である今宵のミサ聖祭では、三つの奥義が特別に記念されます。それは、主が晩餐の前に弟子たちの足を洗われたことと、ご聖体の秘跡の制定と、「私の記念としてこれを行え」というお言葉による、聖体祭儀ならびに司祭職の制定であります。福音のはじめ、1節から3節までは、ギリシャ語の原文では副詞句や分詞句の多い少し複雑な文章ですので、日本語では幾つもの文章に分けて訳していますが、原文では、定動詞は「愛した」の一つだけです。従って、この文章の中心は、「極みまで愛した」という主のその愛にあると思います。
② 出エジプトの記念行事である過越の食事を始めるにあたって、主はなぜ伝統的慣例に反して弟子たちの足を洗うという行為、奴隷たちの中でも一番下の奴隷がなしていた行為をなさったのでしょうか。出エジプトの歴史的出来事は、神の民イスラエルに対する神の全く特別な愛の行為、その民がそれまでに犯した一切の忘恩・不忠実の罪を赦し、神の愛の許に新しく自由独立の国民として発足させようとなさった、神の愛の働きでありました。神はシナイ山で、「私はあなたを奴隷の家エジプトから導き出した主なる神である。私の他に何者をも神としてはならない」とおっしゃって、改めて神の民イスラエルと愛の契約を結びましたが、主イエスは、出エジプトの時のこの救う神の愛、無償で全ての罪を赦し、新しく神の民として歩ませようとしておられた神の愛を体現し、その愛に弟子たちを参与させるために、彼らを極みまで愛し、彼らの足を洗うことによって、その愛を目に見える形で具体的にお示しになったのではないでしょうか。
③ 皆に仕える一番下の奴隷のようなお姿で弟子たちの足を洗われた後、主は彼らに、あなた方も互いに足を洗わなければならないとお命じになりました。自分を人々や社会の上に置いて、全てを何か不動の法規や理屈で割り切って考えたり裁いたりする、ファリサイ派のパン種に警戒しましょう。主キリストの模範に従って生きようとする私たち新しい神の民にとって、最高のものは神とその働き、無償で全ての罪を赦して下さる神の愛とその実践であります。私たちが主イエスのその愛に参与し、それを日々体現する時に、神も私たちの中で、私たちを通して特別に働いて下さり、神による救いの恵みが私たちの間に豊かに溢れ、私たちを通して社会にも広がるのです。
④ ところで、主が弟子たちの足を洗われたのは、単に己を無にして下から仕えるという模範をお示しになっただけではありません。もしそれだけのことであったら、主がペトロに話された「私が洗わないなら、あなたは私と何の関わりもないことになる」、「既に体 (即ち足) を洗った者は全身清い」などのお言葉は、不可解になります。主が弟子たちの足を洗われたという行為には、もっと深い象徴的意味が隠されているのではないでしょうか。それは、主がその人の罪を全て受け取り、ご自身の受難死によって償おう、こうしてその人の霊魂の汚れをちょうど洗礼のようにして洗い流し、その人を神の所有物、神の子にするという、主の贖いの死の恵みに参与させようとすることも意味していたのではないでしょうか。洗礼の時には頭に水が流れただけでも、その人の魂は神によって浄化され神の子とされますが、同様に主がその人の足を洗っただけでも、その人の魂の罪は救い主に引き取られ、清くされたのだと思われます。主は弟子たちにも、このようにして互いに相手の負い目を赦し、その罪を自分で背負って清めよう、己を犠牲にして相手に神の子の命を伝えようと奉仕し合うよう、お命じになったのではないでしょうか。主のお考えでは、人を赦す、人を愛するとは、このようにして赦し、愛することを意味していたのだと思われます。
⑤ 私たちが、主のこの無償の献身的愛に参与して生きることができるように、主はご聖体の秘跡を制定し、そこに奉仕的、自己犠牲的な神の愛を込め、私たちの魂を養い力づけるための食物・飲み物となさいました。それは真に不思議な生きている食物・飲み物で、それを相応しい愛の心で拝領する人の中では、その魂と主との内的一致を深め、その心を守り助け力づけて下さいますが、他人も社会も神も、すべてを自分のために利用しようとしている利己的人間の中では、主のお体を汚すその不信仰の罪故に、その心を裏切り者ユダの心のように暗くし、自分の身に悪魔を招き入れることにもなり兼ねません。ヨハネ福音書13: 30によると、彼は主から渡されたパンを食べてから外の闇に出て行き、主を裏切ったのです。その一切れのパンが聖別された主のご聖体であったかどうかは明記されていませんが、マタイとマルコの福音では、弟子一人の裏切りの予告とペトロの否認の予告との間にご聖体制定の記事があり、ルカ福音では、ご聖体制定の記事の直後に裏切りの予告とペトロの否認の予告が置かれていて、ヨハネ福音でも、裏切りの予告の直後に主が一切れのパンをユダに与え、「ユダはそのパンを食べるとすぐに出て行った。夜であった」とあり、その少し後でペトロの否認が予告されています。これらの話を考え合わせますと、ユダは主のご聖体を拝領してから、ヨハネが書いているように悪魔の促しもあって、裏切りを実行したのではないでしょうか。ですから、使徒パウロもコリント前書11: 21に警告しているように、拝領する前に自分の心をよく吟味し、自分中心の利己的精神に死んで、主の献身的愛の命に生かされて生きる決意を新たにしながら、拝領するように心がけましょう。
⑥ こうして主キリストと一致する全てのキリスト者は、同時に主の普遍的司祭職にも参与し、主と一致して人々のため、また社会のために神にとりなし、神から恵みを呼び下すこともできるようになります。いや、そういう働きを為す使命を身に帯びるに至るのです。今宵、私たち一人一人が、主において参与しているこの普遍的司祭職の使命を改めて自覚し、司教・司祭たちの働きを下から支え助けて、主キリストの司祭職が現代においても多くの人に神による救いの恵みをもたらし、その人たちが豊かな実を結ぶことができるよう、特に祈りと忍苦をもって協力する決意を新たにしながら、この聖なる感謝の祭儀を献げましょう。

2009年4月5日日曜日

説教集B年: 2006年4月9日、受難の主日 (三ケ日)

朗読聖書: 入城の福音: マルコ 11: 1~10. Ⅰ. イザヤ 50: 4~7.
    Ⅱ. フィリピ 2: 6~11. Ⅲ. マルコ福音 15: 1~39.

① ミサ聖祭前の主のエルサレム入城を記念する行列入堂式の福音も、ミサ中の主の受難記も、昨年はマタイ福音書から、今年はマルコ福音書から引用されています。聖金曜日の福音は毎年ヨハネ受難記から読まれますが、「枝の主日」とも呼ばれる受難の主日には、A年はマタイ、B年はマルコ、C年はルカの受難記から福音が朗読されます。ただ今朗読されたマルコ受難記には、昨年のマタイ受難記と同様、主イエスはほんの二言しか話しておられません。それは、ピラトに答えた「それは、あなたが言っていることです」という言葉と、十字架上で神に向かい「わが神、わが神、なぜ私をお見捨てになったのですか」という意味の、大声で叫ばれたアラム語の言葉であります。そこで、この二つのお言葉と関連して少し考えてみましょう。
② 本日の受難記の中では、ピラトとローマの兵士たち、ならびに祭司長や律法学者らユダヤ人たちが多く話していますが、その人たちの話と罪状書きに、「ユダヤ人の王」という言葉が5回、別に十字架上の主を侮辱したユダヤ人たちの言葉の中に「メシア、イスラエルの王」という言葉が1回登場しています。いずれも主イエスの称号で、その称号自体は正しいですが、ピラトとローマ兵たちは政治的観点から、ユダヤ人たちは宗教的観点から、囚人の姿にされている主を王ではない、メシアではないと考えており、主のそれらの称号を、皮肉を込めた軽蔑的意味で使っていたと思われます。
③ 神よりの福音に謙虚に耳を傾けようとしない、そんな人々が多く群がっている前に、囚人のようにして連れ出された主が、裁判席に着いた総督ピラトから「お前がユダヤ人の王なのか」と尋問されても、相手は主の返答を正しく受け止める宗教心を持たず、また持とうともしていないのですから、主はあいまいな返事をし、それ以上には何もお答えになりませんでした。「それは、あなたが言っていることです」という言い方は、「その通りです」という肯定的意味の返事であることも、逆に否定的意味の返事である場合もあったようです。主は、わざとこのあいまいな言い方を利用なされたのだと思います。メシアは確かにユダヤ人の王ですが、その言葉で考えるようなこの世の王ではなく、もっと遥かに偉大で超越しておられる、神のようなあの世の王なのですから。主を処刑させようとして騒ぐその場のユダヤ人たちから何と言われても、それらの言葉を毅然として受け止め、少しもたじろがすに沈黙しておられる主の威厳に満ちたお姿も、主が偉大な王であられることを示していたと思われます。総督ピラトも少しはそのことを感じていたでしょうが、しかし、目前に騒ぎ立てているユダヤ教指導者たちや群衆の心をなだめることを優先し、結局彼らの要求通りに、主に十字架刑を言い渡してしまいました。
④ 主が十字架上で死ぬ少し前に大声で叫ばれた、「わが神、わが神、なぜ私をお見捨てになったのですか」という言葉は、絶望の叫びではありません。父なる神に希望をかけて、ひたすらに助けと救いを求める祈りの叫びだと思います。主が全人類の罪を背負って絶望的孤独に耐えておられたこと、そして絶望の淵に立たされている罪人たちの救いのためにも祈っておられたことを示す叫びであると思いますが、この言葉自体は詩篇22番の最初の言葉であり、この詩の後半には、私たちが度々教会の祈りの中で唱えているように、「神よ、私から遠く離れず、力強く急いで助けに来て下さい」、「神は弱り果てた人々を思いやり、顔をそむけることなく、その願いを聞き入れられた」、「遠く地の果てまで、すべての者が神に立ち帰り、諸国の民は神の前にひざをかがめる」等々の言葉が多く続いていて、神の救いに対する希望と感謝と讃美に溢れています。主は、無数の罪人たちに対する神の救いの業を強く促し、神の助けを早めるために、大声でこのように叫び、息絶えられたのではないでしょうか。
⑤ するとその時、エルサレム神殿の垂れ幕が上から下まで真っ二つに裂けたと、共観福音書は三つとも一致して伝えていますが、これはそれまでの古い神殿礼拝の時代が終わり、主がかつてサマリアの女に話された「霊と真理のうちに」捧げる新しい普遍的礼拝の時代が始まったことを示しているのだと思います。主の受難死の一部始終を間近で目撃していたローマ軍の百人隊長は、主のご死去直後に、「まことに、この人は神の子であった」と、おそらく深い感動の心で話したようですが、この時から世界各国の異教徒も続々と主イエスを神の子として信奉し、至る所で神を礼拝する新しい時代が始まった、と言うことができます。人類救済のためになされた主の祈りと受難死に感謝しながら、本日の集会祈願にもありますように、私たちも主と共に苦しみに耐えることによって、復活の喜びを共にすることができるよう、神の導きと恵みを願い求めましょう。
⑥ ご存じのように、本日はカトリック教会で「世界青年の日」とされています。この日のために、今年の2月22日に出された教皇メッセージには、次のような言葉が読まれます。通常「ことば」と訳されているヘブライ語の「ダーバール」には、「ことば」と「わざ」の両方の意味があり、神は行うことを語り、語ることを行います、というお言葉に続いて、人となられた神のことばや聖書に読まれる救いのことばなどについて教え、神のことばは霊的な戦いには不可欠の武器なので、神のことばを聞き分け、深く知ろうとする心の訓練を粘り強く続けて、いつも神のことばの内に留まるよう勧めています。そしてそのために、聖書に親しむlectio divina (霊的読書) のやり方を解説したり、聖霊の導きと助けを祈り求めるよう勧めたりしておられます。2年後の2008年7月にはシドニーで世界の若者の集いが予定されており、教皇は今日のこの日からその集いに向けて、内的巡礼の旅を始めるよう勧めてもおられます。本日のミサ聖祭は、現代世界の若者たちが教皇ベネディクト16世のこれらの呼びかけを正しく受け止めて、神の導きと助けにより、人類社会の内的向上のため実り豊かな生き方を始めることができるよう、全世界の教会と心を合わせて、神の祝福を願い求めるためにお献げしたいと思います。どうぞ、ご一緒にお祈り下さい。