2010年3月28日日曜日

説教集C年: 2007年4月1日 (日)、受難の主日(三ケ日)

朗読聖書: Ⅰ. イザヤ 50: 4~7. Ⅱ. フィリピ 2: 6~11.
     Ⅲ. ルカ福音 23: 1~49.


① 毎年の聖金曜日にはヨハネ受難記が読まれますが、本日の受難の主日ミサには、その他三人の福音記者の受難記が、三年周期の交代で読まれます。そしてミサ聖祭に先立つ主のエルサレム入城を記念する入堂式の始めにも、この三福音書の関連箇所が、同じく三年周期の交代で朗読されます。典礼暦のC年に当たる今年は、いずれもルカ福音書から朗読されますので、入堂式の始めにはルカ福音19章28~40節の主イエスのエルサレム入城の場面が読まれ、ミサ中にはルカ福音20章の受難記が読まれました。

② この20章には、ピラトが主イエスの無罪を3回も主張しています。最初にひと言尋問した後にすぐ、ピラトは祭司長たちと群集に向かって公然と、「私はこの男に何の罪も見出せない」と言っています。しかし、彼らが「この男はガリラヤから始めて、云々」と言い張ったので、ピラトはこの人はガリラヤ人かと尋ねた上で、過越祭に参加するためちょうどエルサレムに来ていたガリラヤの支配者ヘロデ王の下へ送り、自分はイエスに対する裁判を避けようとしました。

③ しかし、イエスがヘロデ王から送り返されてくると、仕方なく再び裁判席に就き、祭司長・議員たちと民衆を呼び集めて、「私はあなたたちの前で取り調べたが、訴えているような犯罪は、この男には何も見つからなかった。ヘロデも同じであった」と言った後、主をそのまま釈放するのではなく、「だから、鞭で懲らしめて釈放しよう」と、主の無罪を信じながらも、ユダヤ人の動きに妥協する言葉を発しました。すると祭司長たちにけしかけられたのか、ユダヤ人たちは一斉に「その男を殺せ」などと叫び、後には「十字架につけろ、十字架につけろ」などと、熱狂的に叫び続けました。主を日ごろから憎んでいた悪の勢力や悪魔たちによって、この時とばかりにけしかけられたのかも知れません。

④ 余談になりのすが、私が神学生であった時、ドイツ人の指導司祭から「悪のミステリー」という言葉を使って、次のような話を聞いたことがあります。神に似せて創られ、神のようになりたいと望んで、神から離れてしまった人間の心の奥には、どこかで日頃自分の慣れ親しんでいる考えや理念などを絶対化してしまうこだわりが根強く居座っているようだ、というのです。神の僕・婢となって謙虚に柔軟な精神で信仰に生きていない心は、固定化した自分の価値観や理念を根底から揺るがす言動を平然となし、しかも社会的犯罪は何一つしない人間に出会うと、途端に相対的人間理性の構築した自分の固定観念を絶対化し、激しい憤りを表明したり恨みを抱いたりするのだそうです。宗教的教義やシステムを基盤にして生活している宗教家たちも、例外ではありません。いやむしろ、固定化した宗教理念に生きている人ほど、その憤りや恨みは激烈であるかもしれません。主イエスを極度に憎んだ祭司長やファリサイ派の人たちは、社会的犯罪人バラバに対してはそれ程の憎悪を感じていなかったと思われます。

⑤ ピラトは三度「この男には死刑に当たる犯罪は何も見つからなかった」と言い、鞭で懲らしめるだけで釈放しようとしますが、暴動にまで発展しかねない程の群集の熱狂的要求に負けて、遂に彼らの要求をいれる決定をしてしまいます。法を守り、無罪な人を保護する任にある者は、悪の勢力やそれにそそのかされる民衆の力を軽視せず、悪と妥協しない心の強さを日ごろから養っていなければならないと思います。集中豪雨で川の土手いっぱいに大水が押し寄せて来ている時には、余程気をつけて堤防全体を守り固めなければなりません。一角が崩れただけで、その崩れが忽ち大きく広がり、大洪水にもなるのですから。ピラトはこの守りに失敗してしまいました。現代の私たちも、そのような衝に立たされた時には、気をつけましょう。自分の心の中の欲望や何かの依存症が荒れ狂うような時にも、同様にそれに決して妥協しないという強い決意と、節度の厳守が必要だと思います。甘えを助長し易い現代の風潮に流されずに、日ごろから悪に負けない心の強さと厳しさを鍛えていましょう。

⑥ ところで、ピラトによる主イエスの無罪宣言は、主のご復活とご昇天の後、初代教会の宣教活動の中で重視されていたようです。使徒言行録3章によると、ペトロは神殿に集まってきたユダヤ人たちに向かって大胆に、「あなた方はこのイエスを引き渡し、ピラトが釈放しようと決めていたのに、その面前でこの方を拒みました。云々」と彼らの罪を糾弾し、悔い改めて神の赦しを受けるよう勧めています。ペトロは更に、ペトロ前書2章の中でも、何の罪もないのに、罵られても罵り返さず、屠り場に引かれて行く子羊のように、黙々と十字架上の死を受け入れた主イエスのお姿に、イザヤ53章に予言されていた「苦難の僕」の姿を思い出し、「私たちが罪に死んで神との正しい関係に生きるために、キリストは十字架上で私たちの罪をその身に負われたのです。その傷によって、あなた方は癒されたのです。云々」と書き、だから、そのキリストの模範に倣い、「不当な苦しみを受けても、神のことを考えて耐え忍ぶなら、それは神の御心にかないます」などと書いています。

⑦ その主イエスの受難死を、遠い昔の出来事とのみ考えないよう気をつけましょう。この世の歴史においては、それは確かに2千年も前に過ぎ去った出来事ですが、しかし主は、時間空間を越えて現存しておられる天の御父にその受難死を献げて、全被造物の上に罪の赦しと救いの恵みを願い求めたのであり、その意味では、主は今も私たちの間に現存してその受難死を天父に献げ、私たちを愛し、支え、導いておられる牧者なのです。主の御受難を記念して救いの恵みを願い、またその恵みに参与する本日のミサ聖祭において、私たちも、私たち自身の救いのために大きな苦しみを耐え忍び、その受難を神に献げて下さった主の御心を私たちの心として、自分に与えられる病苦や災難、あるいは人からの思わぬ誤解や迷惑などを、主と共に多くの人の救いのために喜んで耐え忍び、神に献げる決意を新たに致しましょう。主と内的に一致し、主と同じ心で生きようとする時、主を通して神から与えられる救いの恵みも、私たちの内に生き生きと働き、私たちを内面から照らし、護り、導いてくれると信じます。

2010年3月21日日曜日

説教集C年: 2007年3月25日 (日)、四旬節第5主日(三ケ日)

朗読聖書: Ⅰ. イザヤ 43: 16~21. Ⅱ. フィリピ 3: 8~14. 
     Ⅲ. ヨハネ福音 8: 1~11.


① 本日の第一朗読の出典であるイザヤ書の42章から44章にかけては、神がイスラエルの民を愛して贖い、助けることについて長い話を語っておられますが、本日の朗読箇所はその小さな一部分であります。その中に読まれる、「見よ、私は新しいことを行う」「私はこの民を私のために造った。彼らは、私の栄誉を語らねばならない」という言葉は、大切だと思います。太祖アブラハムの時以来、神の声に従って歩むよう召された神の民は、その歴史的歩みや体験を通して、他の諸国民に神による力強い救いの業を示すと共に、神に感謝と讃美を献げつつ、諸国民をも真の神信仰と神による祝福へと、招き入れる道を準備する使命を、神から与えられていたのではないでしょうか。その神は今、捕囚の身になっている神の民のため新しい救いの御業を為そうとしておられのです。ですから今は、遠い「昔のことを思いめぐらさず」に、これから訪れる出来事や目前の現実の中に神の愛の働きを識別して、それを語り伝えるようにと、イザヤは勧めたのだと思います。

② 本日の第二朗読では、旧約のその神の民の伝統を受け継いで生まれ育ち、人となられた神の御言葉に出会って、さらに高い新約の神信仰へと高められた使徒パウロが、自分のこの新しい体験に基づいて、「律法から生じる自分の (業による) 義ではなく、キリストへの信仰による義、信仰に基づいて神から与えられる義」について語っています。彼は、主キリストを体験的に知ることの素晴らしさに感激しながら、「私はキリストの故に全てを失いましたが、それらを塵あくたと見做しています」と語り、また「私は、キリストとその復活の力とを知り、その苦しみにあずかってその死の姿にあやかりながら、何とかして死者の中からの復活に達したいのです」とも述べています。

③ 同じ主キリストを信じ、その信仰に基づく新約の義にも浴している私たちは、心の眼がまだ罪の闇に覆われているからなのか、使徒パウロのこれ程大きな感激や意欲からは遠く離れているように覚えます。しかし、私たちも神の霊の働きによっていつかは聖なる存在に高められ、使徒パウロの戴いた大きな喜びに到達するように、そして天の国で神の栄光の内に永遠に輝くよう召されているのです。神から啓示されたこの素晴らしい将来像を心の内に新たにしながら、もう残り2週間となった四旬節の祈りと献げに励みましょう。

④ 本日の福音にある姦通した女についての話は、そこに使われている言い方や語句の多くがヨハネ的ではなく、罪人に温かい理解を示しているルカ福音書の言い方や語句にそっくりであり、西方教会で作成された福音書の写本にのみ読まれる話なので、ルカが伝えている話が、間違ってヨハネ福音書に入れられてしまったのではないかと言われています。事実、この話をルカ福音書21章の最後に、主の御受難直前頃の出来事として伝えている5世紀以降の写本もあり、ルカ福音書またはヨハネ福音書の「付録」として伝えている写本もあるのだそうです。しかし、この話それ自体は非常に古く、2世紀のパピアスも知っていた可能性があり、3世紀初めにシリアで書かれた「ディダスカリア」という教会規則書にも引用されています。察するに、元もとルカ福音書に入っていた話を、規則厳守を重んずるユダヤ・キリスト教信者の多かったオリエント諸地方の教会では、あまりにも掟の厳しさや規則厳守の良風を損なう恐れのある話として福音書から削除され、それが西方教会の写本に拾われて、後世に伝えられた実際の出来事だったのではないでしょうか。

⑤ キリスト時代のユダヤ教が賞賛していた旧約の偉人の一人に、アーロンの孫ピネハスという人がいます。民数記25章によると、異教徒の女に誘われて異教の神を拝もうとする者たちが出た時、ピネハスは槍でこの女を突き殺し、神罰であった疫病から民衆を救ったので、彼とその子孫はその後ずーっと祭司の職に就けられたと記されています。ピネハスのこの大胆な処罰の行動が神の掟に忠実な信仰者たちの模範とされ、キリスト時代にも賞賛されていたので、本日の福音に登場する律法学者・ファリサイ派の人たちは、伝統的社会道徳が乱れつつあった当時のユダヤ社会を、神罰を招く恐れのある姦通の罪から浄化するために、罪人たちに優しいイエスが、律法の規定に従って行動するか否かを試そうとして、姦通の現場で捕えられた女を連れて来たのではないでしょうか。

⑥ レビ記20:10によると、姦通した者は男も女も殺すように規定されていますが、女だけ連れて来たのは、男を取り逃がした可能性もありますが、何かあらかじめ男と仕組んで、わざと取り逃がしたことも考えられます。以前にも話したように、当時はまだユダヤ人嫌いのセヤーヌスがローマでティベリウス皇帝の政治を代行していて、ユダヤ人には死刑を宣告したり執行したりする権限が認められていませんでしたから、もしもイエスがこの女に律法に従って石殺しを命ずるなら、ローマ帝国の禁令を犯したかどで、イエスをローマ総督に訴えることができますし、逆にこの女を釈放するなら、律法違反として騒ぎ立てることもできます。どちらにしても、彼らはイエスを重大な規定違反者として訴えることができるので、その口実を見つけようと、企んでいたのだと思います。

⑦ すると主イエスは、かがみこんで指で地面に何かを書き始めました。何を書き始められたのでしょうか。それは分かりませんが、身をかがめて地面に書くという仕草で時間を稼ぎ、訴える人々に気を静めてゆっくりと考えさせるため、あるいは人を裁くことの拒否を姿勢で示すため、あるいはローマ人の法廷で裁判官が判決を宣告する前に、判決文の覚書を書くのに倣い、地面にご自身の腹案を書いてから答えようとなされたのでしょうか。いずれにしろ、主が黙って地面に何かを書き始めると、彼らがしっこく問い続けたので、主は身を起こして「あなた方の中で罪を犯したことのない者が、まずこの女に石を投げなさい」と答え、また身をかがめて地面に書き続けられました。すると主を両天秤の企みで落とし入れようと取り囲んでいた人々は、年長者から始まって、一人また一人と立ち去ってしまい、主お一人とその女だけになってしまいました。主を訴える口実を得ようとした彼らの企みはこうして完全に失敗し、彼ら自身が諦めて逃げていった形になりました。

⑧ 最後に主は身を起こして、「婦人よ、あの人たちはどこにいるのか。誰もあなたを罪に定めなかったのか」と言われ、女が「主よ、誰も」と答えると、主は「私もあなたを罪に定めない。行きなさい。これからはもう罪を犯してはならない」と言われました。その救い主と内的に結ばれて、一人でも多くの人を神の憐れみによる救いへと導こうとしている私たちも、主が示されたこの温かい思いやりの模範に倣うよう心がけましょう。

⑨ 罪のない市民に対する無差別の大量殺人や、老人たちを騙して大金を奪い取る犯罪や、通り魔殺人、子供の誘拐、子供の虐待などなど、今の社会には、ひと昔前には考えられなかった程の恐ろしい事件が多発していますが、何かの法や伝統的価値観ばかりを中心にして現実の人間社会を眺めていると、それらに対して一々憤慨し怒り続けることになり、知らないうちに健康を害し、やがて憤死してしまうかも知れません。それは、神の御旨ではないと思います。昔、ある高齢の人に長生きの秘訣を尋ねたら、「どんなに癪にさわることがあっても、腹を立てないこと」という返事だったという話を読んだことがあります。私たちも、毎日のように酷い話や情報を耳にしても腹を立てずに、むしろ犠牲になった人々のあの世での救いと仕合わせのため、また人を不幸のどん底に突き落とした人々の改心と救いのため、神に祈るように心がけましょう。それが、小さいながらも救い主の御心を今の時代に生かし、日々神による救いの恵みを呼び下す、どなたにもできる生き方だと思います。

2010年3月14日日曜日

説教集C年: 2007年3月18日 (日)、四旬節第4主日(三ケ日)

朗読聖書:Ⅰ. ヨシュア 5: 9a, 10~12. Ⅱ. コリント後 5: 17~21. Ⅲ. ルカ福音 15: 1~3, 11~32.

① 本日の第一朗読は、神の民がヨルダン川を渡って、約束の地カナンに入った直後の過越祭頃の話です。エリコの町を神の奇跡的助けによって攻め落とす前に、民はまずその近くの平野で、過越祭を祝いました。マナはなくなったので、民はその土地の産物を食べ始めましたが、この時から過越祭に酵母を入れないいわゆる「種なしパン」を食べるようになった、と聖書にあります。主キリストが制定なされたミサ聖祭の前表と言ってよい、この過ぎ越しの食事により神からの力を得ると、民は心から一つ共同体となって結束し、堅固な城壁に守られた町エリコを攻め落とすことができた、と考えることもできます。

② 私たちの献げるミサ聖祭にも、主キリストにおいて神の大きな力が込められています。受難死を目前にした最後の晩餐の席上、主が極みまでの愛を込めてお定めになったこの祭式に主が実際に現存なさることを、幼子のように素直な心で堅く信じましょう。その主と内的に一致する度合いに応じて、私たちも神からの大きな祝福と助けとを、私たち自身の上に、また周辺の社会や人類全体の上に呼び降すことができます。本日の第二朗読に使徒パウロが説いているように、実際「キリストと結ばれる人は誰でも、新しく創造されたもの」になるのです。第二ヴァチカン公会議の教えによれば、一般の信徒も主キリストの普遍的祭司職に参与し、世の人々を神と和解させ、その罪の赦しと神の義とを得させる使命と力を身に帯びるようになっています。

③ しかし、ここで一つ誤解しないよう気をつけましょう。ミサ聖祭は神に対し、人類を代表して献げる感謝の祭儀ではありますが、主キリストの受難死に内的に深く一致して献げるのでなければ、単なる外的祭式や祈りだけでは、その祭式の実質的功力に参与することも神の大きな祝福を世に齎すこともできません。この祭式を献げる時には、私たちも主キリストと一致して自分の死を先取りし、自分の人生とその苦しみの全てを主のいけにえに合わせて神にお献げ致しましょう。その時初めて、私たちは内的に主の祭司職に参与するのであり、神の祝福を世に呼び降すことができるのです。これは、カトリック教会の伝統的教えであります。近年日本の教会では、ミサ聖祭を人と人との外的交わりの場としてのみ考える人たちもいるそうですが、私はローマ郊外ネミの神言会修道院に滞在して、公会議典礼委員会の下働きをしていた時、「感謝の祭儀」という言葉を典礼に導入させたドイツ人のイエズス会典礼学者ユングマン神父と一緒に庭を散歩して、ミサ聖祭について話し合ったこともあり、ミサ聖祭を神への感謝の「いけにえ」と考えることについては、自信をもっています。

④ 本日の福音には、ギリシャ語のアポッリュ―ミという動詞が3回も登場しています。これは、本来あるべき所から離れて滅びへと転落して行くことを意味している動詞ですが、日本語の訳文では、「死にそうだ」だの、「いなくなっていた」などと言い替えてあります。同じルカ福音書15章の最初の部分、「見失った羊」と「なくした銀貨」の譬え話にもアポッリューミという動詞が5回使われており、そこでも「見失った」とか、「なくした」などと訳し替えてあります。しかし、ギリシャ語の原文では、もっと深い意味を持った動詞のようです。主はこれらの譬え話で、父なる神が、弱さから転落してゆくものに対して特別な愛と憐れみの配慮を持っておられ、その救いと立ち直りを切に望んでおられることを、示そうとしておられるのではないでしょうか。

⑤ 2千年前のオリエント・地中海諸地方の社会を調べると、多くの地方で現代社会を先取りした雛形のような印象を受けます。アウグスト皇帝の政策で促進されたシルクロード貿易により、国際貿易の隆盛で人口移動が盛んになり、貧富の格差が大きくなったばかりでなく、若者たちが自由気ままに生活し始めて、伝統的価値観が通用しなくなったため、それまでの社会的伝統が拘束力を失って崩れ始め、特に心の教育が非常に難しくなっていたように思われます。同じ家に一緒に住んでいても、親子で価値観が大きく違っていたり、兄弟姉妹の間でもそれぞれ違っていたりすることは、現代では到る所でざらに見られる現象ですが、当時のオリエント諸地方でも、珍しくない現象になりつつあったのではないでしょうか。それが、本日の福音の譬え話にも反映しているのだと思います。

⑥ それ以前の古い時代には考えられなかったことですが、譬え話の中の次男は、父親がまだ生きているのに、死んだら自分が貰うことになるであろう遺産を早く分けてくれるよう要求しています。全てを自分中心に考え、親も社会も意のままに利用しながら生活しようとする利己主義の塊のような人間は、現代社会にも少なくありませんが、自分の欲を統御する自制心の欠如が問題です。そのような人間をいくら言葉で説得しようとしても無駄です。言葉は、既に利己心でいっぱいになっている人の心に入ることができず、その心が次々と生み出す理知的理屈を刺激し、反駁されるだけでしょうから。実際の現実の全体像に対して盲目になっているその心を目覚めさせるには、嫌という程の苦い失敗体験が必要なのではないでしょうか。そこで譬え話の中の父親は、次男の要求する財産を分けてやりました。彼はそれを忽ち金に換えて、遠国へと旅立ちました。しかし、欲を制御する力に欠けている人間が大金を持っていると、そこにはあの手この手と巧みに誘惑する者たちが、連日のように寄って来ます。こうして次男は財産を全て浪費し、その上にひどい飢饉も体験して漸く心がこの世の本当の現実に目覚め、生きるために父の家に戻って、これからは父の雇い人の一人にして頂こうと思って帰って来ます。

⑦ 父親は、息子のこの目覚めの時を切に待ちわびていました。帰って来る次男の姿を見つけると、走りよって首を抱き、接吻しました。「お父さん」と呼びかけて、これからは全面的に父に縋り、父に仕える心になっている息子は、父親にとり以前よりも遥かに愛すべきものに思われたことでしょう。聖書の教える改心とは、このように神の愛の懐に立ちかえり、神の心を心として生き始めること、全身全霊を尽くして神に仕えようとすることを意味していると思います。

⑧ 譬え話の後半に登場する長男も、心に問題を持っていました。外的には一度も父親に反抗せずに働いていますが、心の中は利己主義でいっぱいになっていたようです。ですから、日々父親のぞはで一緒に生活していても、父親の価値観や温かい思いやりの精神を自分のものにできず、恐らく心を割って親しく話し合うこともせずに、ただ父親の死ぬのを待っているような日々を過ごしていたのではないでしょうか。譬え話の中では、弟のように「お父さん」と親しみを持って呼びかけてはいません。本日の福音では、「私は何年もお父さんに仕えています」と邦訳されていますが、原文では「あなたに仕えています」となっています。弟に対しても兄は冷淡に振る舞い、「弟」とは言わずに、「あなたのあの息子が」などと表現しています。父と一緒に住んでいても、心は父から遠く離れていた証拠でしょう。「私のものは全部お前のものだ」という父親の言葉から察すると、長男が願えば、父は友達と宴会を開くためにも喜んで支出してあげようとしていたのでしょうが、既に心を閉ざしていた長男は、父に頭を下げて願うことはしなかったのではないでしょうか。彼は、弟を罪人として見下げています。一度転んでしまった者は、後で改心しても認められない、いつまでも軽蔑されるべき罪人なのです。

⑨ これが、当時の律法学者・ファリサイ派の考えでもあったのではないでしょうか。彼らの間では、一度徴税人あるいは罪の女となった者は、たとえ改心しても、いつまでもその罪の穢れを背負っている、軽蔑に値する存在に留まると考えられていたように思われます。しかし、父なる神は、冷たい掟中心に生活している九十九人のそのような義人よりも、温かい神の愛の御心に立ち返り、神の御旨中心に、日々神と親しく生きようと改心した、一人の罪人の方をお喜びになる方なのです。長男がその後どのようになったかについて主は黙しておられますが、それは私たち各人に、それぞれ自分なりに一層深く考えさせるためであると思います。単に外的に日々ミサ聖祭に与かり、神の近くで祈っているというのではなく、内的にも神の御心を自分の心として、神と共に生きる温かい人間、神の愛の生きている道具になるよう努めましょう。

2010年3月7日日曜日

説教集C年: 2007年3月11日 (日)、四旬節第3主日(三ケ日)

朗読聖書: Ⅰ. 出エジプト 3: 1~8a, 13~15.  Ⅱ. コリント前 10: 1~6, 10~12.  Ⅲ. ルカ福音 13: 1~9.

① 本日の第一朗読は、エジプトを逃れてミディアン人の祭司の許に身を寄せ、その羊の群れを飼っていたモーセが、神の山ホレブ、別名シナイ山の麓で神に召された場面を扱っています。神からエジプトにいるイスラエル人たちの所に派遣されることになったモーセは、もし彼らが先祖の神について「何という名の神か」と尋ねたら、「何と答えるべきでしょうか」と尋ねます。当時のエジプトにはたくさんの神々が崇められていて、神々は皆それぞれの名をもっており、相互に関連付けられていましたから、そういう世界観の中で生まれ育った人たちが、何という名の神から派遣されて来たのかと尋ねるのは、当然予想される質問だと思います。

② 主なる神はそれに答えて、「私はある」という名を教えて下さいました。ヘブライ語では多分一人称単数のehyeh(エイエ)だと思いますが、これを三人称単数に言い換えると、ヤーウェになると聞いています。古代人は、名は単なる呼び名ではなく、そのものの本性を表現すると考えていましたので、神はその古代人の考え方に応じて、この名でご自身の本質を表現なさったのだと思われます。ところで、あらためて考えてみますと、神のこの御名は、全く驚嘆に値することを示していると思います。

③ 私たち人間の理性は、「ある」とか「存在する」という言葉を、ただそこにあるだけで、動くことも成長することも働くこともしないものと考え勝ちですが、実は、聖トマス・アクィナスも強調しているように、存在は最も活発でダイナミックな働きなのです。一切の事物現象は、本来本質的に無なのですが、神の「存在」という働きによってその本性も存在も与えられて存在するようになり、絶えず支えられて動いているのです。神はその大元の「存在」を本質としておられる方で、霊界と物質界の一切のものを、時間も空間も、その他の諸々の枠組みも全て創造なされた永遠の存在であり、現在も過去も未来も全ては神の御手に支えられ生かされてあるのですから、その全能の神から召されて派遣されるモーセは、何者をも恐れる必要がないのです。「存在」そのものであられる神がモーセと共にいて、救いの御業の全てをなそうしておられるのだという意味で、神はその御名を名乗られたのだと思います。私たちも皆、その全能の「存在」神を信奉しているのです。感謝と喜びの内に、誇りをもって生活いたしましょう。

④ 本日の福音は、二つの部分から構成されています。前半では、エルサレムで実際に起こったと思われるローマ軍によるガリラヤ人殺害事件が伝えられたのをきっかけに、主がお語りになった教えが述べられており、後半には、三年間も実を結ばないイチジクについての譬え話が語られています。

⑤ ガリラヤ人殺害の事件が起こったのは、過越祭の時であったと思われます。この祭りの時には、祭司でないユダヤ人たちも、自分の献げる動物を自分でほふることのできる唯一の機会でしたから。毎年の過越祭にはガリラヤ人たちも上京していけにえをほふっていましたが、エルサレムの人口が3倍になる程、多くの巡礼者が首都に集まるこの祭の時には、通常は港町カイザリアに滞在している千人ほどのローマ軍の一部も、ローマ総督と共にエルサレムに滞在して、暴動が発生しないよう警備に当たっていました。ガリラヤは度々反ローマ運動の拠点とされていましたから、そのガリラヤから上京した血気盛んな人々と首都警備のローマ軍との間で、何かの偶発的事件が発生して、一部のガリラヤ人たちが殺害されたのかも知れません。「ピラトがガリラヤ人たちの血を彼らのいけにえに混ぜた」という言葉は、文字通りに解釈する必要はありません。動物がいけにえとして屠られた時と同じ頃に、ガリラヤ人たちが殺害されたことを強調する隠喩か、文学的表現であると考えられるからです。

⑥ 主はこの知らせを聞いて、「そのガリラヤ人たちがそのような災難に遭ったのは、他のどのガリラヤ人よりも罪深い者だったからだと思うのか。決してそうではない」とおっしゃいました。それは、当時の律法学者・ファリサイ派たちが、勧善懲悪の思想を強調するあまり、何か不運な事件や、不慮の災害などの犠牲になって死んだ人があると、その人には隠れた罪があったのではないか、などと考える思想を広めていたからではないかと思われます。現代でも、そしてカトリック者の中にも、時としてこのような推測を口にする人がいますが、主はこのような罪概念や不幸観をはっきりと退けられます。察するに主が考えておられる罪とは、不幸な出来事があって初めて姿を現す、先祖から受け継がれた心の隠れた汚れや呪いのようなものでも、何かの外的償いによって洗い流すことのできる規則違反などのようなものでもなく、どの人間の心の奥にも根強くはびこって生きている暗い闇のような現実的力であり、いわば私たちの生来の人間性「古いアダム」なのではないでしょうか。主は本日の福音のすぐ前の所で、「偽善者よ、このように空や地の模様を見分けることは知っているのに、どうして今の時を見分けることを知らないのか」と話しておられます。神から派遣された救い主が人々と共にいる「今の時」は、神の救いの意志が主を通してはっきりと示されている特別の時であり、神が特別に臨在しておられるこの「今の時」の意味を正しく見分けさせない心の暗い覆い、心を盲目にする闇が罪であって、これまでは一度も不運な事件や災害に出会うことなく仕合わせに生活していても、悔い改めて神の救いの意志と働きとを受け入れ、それにしっかりと縋って生きるよう努めないなら、遠からず皆恐ろしい不幸によって滅びてしまうのだ、というのが、主が恐らく真剣なお顔で警告なされたお言葉なのではないでしょうか。

⑦ そして続いて話された後半の譬え話も、その差し迫っている不幸の警告と関係して、悔い改めを勧めるためのものであったと思われます。ぶどう園の主人はイチジクの木がもう実を結ぶ年になっているが、なお3年も忍耐して待ったのに実をつけないのだから、当然「切り倒してしまえ」と命じます。それに対して園丁が、「ご主人様、今年もこのままにしておいて下さい。木の周りを掘って肥やしをやってみます。そうすれば、来年は実がなるかも知れません。もしそれでもだめなら、切り倒して下さい」と願っている所で話が終わっています。受難死を間近にしておられた主はこの話で、神の働きに結ばれ支えられて実を結ぶよう早く悔い改めなければ、切り倒されてしまう時はもう迫っているのだ、今はエルサレムにとって最後の憐れみの期間なのだ、と強く訴えておられるのではないでしょうか。四旬節に当たり、私たちも主の警告と悔い改めの勧めとを、私たちの時代に対してもなにされている警告と勧めとして真摯に受け止め、生活習慣の改善に努めましょう。