2012年8月26日日曜日

説教集B年:2009年間第21主日(三ケ日)


朗読聖書: . ヨシュア 24: 1~2a, 15~17, 18b.    . エフェソ 5: 21~32.  
   . ヨハネ福音 6: 60~69.

   本日の第一朗読には、モーセの後を継いで神の民を約束の地に導き入れたヨシュアが、イスラエルの全部族をその約束の地の中心部にあるシケムに集めて、自分たちをエジプトから導き出して下さった神のみに、これからも徹底して仕えるという決断を、彼らから求めています。この決断は、自分の心で自由に決めたものでなければなりません。ですからヨシュアは、「もし主に仕えたくないならば」、「仕えたいと思うものを、今日自分で選びなさい。ただし、私と私の家は主に仕えます」と告げています。ヨシュアのこの言葉に対して民の代表者たちが、「私たちの神、主は私たちと私たちの先祖を、奴隷にされていたエジプトの国から導き出し、私たちの目の前で数々の大きな奇跡を行い、私たちの行く先々で、また私たちの通って来たすべての民の中で、私たちを守って下さった方です。私たちも主に仕えます。この方こそ、私たちの神です」と答えましたが、民のこの言葉は注目に値します。民はここで、何よりも自分たちがその生身の体で実際に見聞きした現実、神が自分たちのために為して下さった特別な愛の御業、神の働きによる数々の大きな奇跡をしっかりと心に刻みつつ、「主は私たちを守って下さった方です。私たちも主に仕えます。この方こそ、私たちの神です」と、感謝の心で神に忠誠を誓っているのですから。神ご自身も民のその言葉をお喜びになったと思います。

   もしその民が約束の地に定住してからも、日々その言葉を繰り返しつつ、神への感謝と愛と忠誠の心を新たにしていたなら、神の導きと働きにより、それまでのどの国、どの民族にも見られなかった程の豊かで美しい宗教文化・宗教社会を築き上げるに至ったことでしょう。しかし残念ながら、民の各家族がそれぞれ自分たちの土地財産を所有するようになると、心が自分のこの世的所有物や他の人たちとの優劣関係などに囚われるようになったようで、神への感謝も愛も二の次、三の次にされ、神を忘れてその時その時の自分の考え中心に生活することが多くなったのではないでしょうか。彼らは間もなく内部対立や他民族の襲撃などの不安に悩まされることが多くなり、長いこと苦労の絶えない生活を営むようになりました。人間の心は、弱いものです。目前の目に見えるものや自分中心の望みや自分の考えに囚われて、目に見えない神の現存や神への感謝・忠誠などはすぐ忘れてしまい勝ちです。私たちも、気をつけましょう。日々自分の心に新たに言い聞かせて、神への感謝と愛に忠実に生きるよう心がけましょう。またそのための助けと恵みを、日々謙虚に神に願い求めましょう。そうすれば、神はその願いをお喜びになり、弱い私たちを助け導いて、次々と小刻みに隠れた所からの神の不思議な導き・助けを体験させて下さいます。自分の頭の中だけの理知的信仰ではなく、神の数多くの不思議な働きに根ざして日々感謝を新たにしている、奥底の心の信仰に生きるよう努めましょう。それが、この世で本当に仕合わせに生きる道です。

   本日の第二朗読は夫婦の愛について教えていますが、同時に、キリストとその教会、すなわち救い主と新しい神の民との愛の関係についても教えています。キリストは神の民という教会共同体の頭であり、教会を愛し、教会のためにご自身の全てをお与えになったのです。それは「教会を清めて聖なるものとし」、汚れのない、栄光に輝く教会をご自分の前に立たせるためでした。「そのように、夫も妻を自分の体のように愛さなくてはなりません」「それゆえ、人は父母を離れてその妻と結ばれ、二人は一体となる」のです。「この神秘は偉大です」というのが、夫婦というものについての聖書の教えの根幹ですが、そこには、「キリストが教会の頭であるように、夫は妻の頭です。教会がキリストに仕えるように、妻も全ての面で夫に仕えるべきです」という教えも記されています。

   全ての人間の平等、男女の平等という現代社会の通念で生活している人たちにとり、聖書のこのような思想は、女性に不当のしわ寄せをしていた前近代の見苦しい社会的遺物に過ぎず、速やかに排斥して平等な男女関係に改革すべきものと映ずるかも知れません。しかし私は、多くの現代人を躓かせる神よりのこの啓示の中に、夫婦を内的に深く一致させ仕合わせにする神の祝福が、そっと隠されているのではないかと考えます。人間各人の自由平等を強調する現代流行の思想を理知的に絶対化せずに、まずは己を無にして現代の人たちのそういう改革・革新的考え方から離れ、神の御子救い主キリストの愛の御精神で、天の父なる神に心の眼を向けながら、祈りの内に神の働きに縋って、夫婦や親子の心の乱れた関係を神の愛によって正常化しようと忍耐強く心がけてみますと、人間の理論ではなく神の働きに頼る、そのような仕える精神の心を通して不思議なほど神が働いて下さり、夫婦や親子の対立・葛藤の関係が解消されるように覚えるからです。私のこれまでの体験からすると、心と心とのそういう対立抗争が生じた時には、何よりも平和の源であられる神に心を向けて祈ること、自分の心や考えを無にして、全ての苦悩を神にお献げしつつ祈ること待つことのうちに、問題解決の道があるように思いますが、いかがなものでしょうか。

   私たちの生活している現代世界は、これ迄の尺度が通用しない異常な世界で、2千年前のユダヤ人社会に、ある意味ではよく似ていると思います。商工業の国際的発展の恩恵を受けて外的には富んでいるように見え、情報や物資の流通も人口移動も盛んで、各人は自由であるように見えますが、しかし内的には、各人の個人主義・自由主義のため人と人との心の繋がり、すなわち親子兄弟・夫と妻・教師と生徒等々の心の交流は至る所で劣悪になり、地域共同体や民族共同体の団結も崩れ、頭の知識は豊かであっても、心の教育や鍛錬は身に付いていない人たちが激増しています。それで、家庭内暴力や夫婦の別居・離婚などが多発する社会になっています。悪霊たちの働きも激増していると思われるこういう時代には、聖書も法規も人間理性中心に解釈し利用しようとしていた、自分中心・わが党中心の「ファリサイ派のパン種」を退けること、そして主イエスの御模範に倣い、何事にも父なる神の御旨をたずね求め、その御旨に従って生きようと努める従順の精神が大切だと思います。謙虚にひたすら神の御導きと助けを願い求めているなら、全能の神がその不思議を行って下さいます。人間理性の考えを大きく凌駕しておられる神のその神秘な働きに導かれ支えられて生きるよう、心がけましょう。

   いつでしたかここでの説教でちょっと言及したことのある、太宰治という作家の作品は、現代日本の家庭や社会の心的内情が混沌と乱れて来ている今でも、多くの人たちの注目を引き、新たに読み直されているそうです。終戦直後のアメリカ軍の占領下で、戦争に負けて崩れたこれまでの社会共同体の中に、まだ復興の兆しも見えずにいた1947年に、滅びゆく高貴なものへの挽歌とも言われる『斜陽』という小説で、多くの人たちの注目を浴びた太宰治は、その頃道を求めて新約聖書も熱心に読み漁っていたそうですが、その翌年に人間恐怖の自画像などと評される『人間失格』という小説を残して自殺してしまいました。どちらの小説も、今の社会に生き甲斐を見出せずにいる日本人の心に、新たな形で訴えて来るもの共鳴するものがあると思われますが、太宰治はなぜ聖書を熱心に研究しても、そこに救いの道を見出すことができなかったのでしょうか。私はそこに、己を無にして神のお考え、神の導きに徹底的に従おうとする精神の欠如と、聖書も神も自分の理性で理解し利用しようとする、一種のファリサイ精神が残っていたからだ、と考えています。外的自由主義・個人主義が至る所にはびこり、美しかった家庭や社会の共同体精神が滅び去って、極度の孤独に悩む現代人も、「ファリサイ人たちのパン種に警戒せよ」という主イエスの御言葉は心にしっかりと銘記し、我なしの精神、徹底的従順の精神で神による救いの道をたずね求めなければ、人間失格の絶望的道に落ち込んで行く危険性が大きいと思います。.....

2012年8月15日水曜日

説教集B年:2009年8月15日に無原罪の聖マリア会で話



紀元450年にカルケドン公会議が開かれた時、東ローマ皇帝は聖母マリアの墓に聖堂を建立することを望み、エルサレムから出席した司教に、聖母の墓がどこにあるかを尋ねると、エルサレムには聖母の墓がなく、聖母は死後三日ほどで被昇天なされた由の古い伝えを語っています。それ以来東方教会で聖母被昇天祭が祝われるようになりましたが、聖母が亡くなって被昇天の恵みを受けたのは、その伝説から察すると、エルサレムではないようです。

主が受難死を遂げて復活なされた後にも、エルサレムのユダヤ教指導者たちがいつまでも主の弟子たちに対して不穏な動きを示し続けるので、主から聖母の世話を委託された使徒ヨハネは、聖母をユダヤ教の影響から自由になっている安全な土地にお連れしたのではないか、と考えられていましたが、ヨハネが晩年ギリシャのエーゲ海に面している小アジアに滞在していることから察すると、聖母は小アジアの港町エフェソ辺りで晩年を過ごされ、そこから天に上げられたのではないかと思われます。エフェソには、キリスト教迫害が終わった直後頃の4世紀中ごろに、世界で一番古い、かなり大きな聖母聖堂が建立されており、5世紀になって「聖マリアは人間イエスの母ではあるが、神の母ではない。3世紀末頃から広まっている、神の母聖マリアの御保護により縋り奉る云々の祈りは、誤っているとネストリウス司教が主張した時、431年にエフェソのその聖母大聖堂で公会議が開催され、ネストリウス説が異端として退けられました。この歴史的事実を照合してみても、聖母は晩年をエフェソ辺りで過ごしておられたのではないかと思われます。エフェソに聖母聖堂が建立されると、ローマでも4世紀半ば過ぎのLiberius教皇の時に、真夏に雪が降ったという奇跡と夢の知らせに基づいて、「雪の聖母」小聖堂が、今のサンタ・マリア・マジョーレ聖堂の地所に建立されました。5世紀半ばの東ローマ皇帝も、自分も負けずにエルサレムで聖母聖堂を建立しようとして、それが聖母被昇天の祝日へと発展したのかも知れません。

19世紀に主の御受難・御復活や聖母の御生涯などについて、たくさんの出来事を具体的に幻示で見せてもらったドイツ人のカタリナ・エンメリッヒによると、15歳で主イエスを出産なされた聖母は、ステファノが殉教した後頃からエルサレムを離れることを望まれたようで、その2年ほど後に使徒ヨハネに伴われて、すでに支援者たちのいるエフェソに移り、ヨハネはそこで市外のエーゲ海を見下ろす小さな丘の上に聖母のため小さな石造りの家を建てています。近くには以前の頃のエフェソの町の支配者の家もあったそうです。使徒ペトロやアンドレア、その他の使徒たちもこの家を訪れていますが、聖母は港町エフェソから船で、その後もヨハネに伴われて二度エルサレムを訪問しています。

そして63歳の夏、「キリストの昇天後13年と2カ月」とありますから、恐らく8月頃と思われますが、使徒ペトロが捧げるミサにベットで腰かけたまま参加し、聖体の秘跡と病油の秘跡を受けて、金曜日午後の3時頃に静かに目を閉じ、胸の上に手を組んで亡くなられます。そこには使徒ヨハネをはじめ、数人の聖なる婦人たちと、天使によって呼び集められた使徒たちも出席しており、使徒ヨハネがあらかじめ造って置いた立派なお墓に葬られます。その二日後でしょうか、皆でお祈りをしている所に遅れてようやく到着した使徒トマが、聖母の御遺体を一目見たいというので、祈りの後に御墓を開けて見たら御遺骸はなかったので、使徒たちは皆、聖母も主イエスと同様、あの世の体に復活して天に上げられたと信じたのだそうです。それが伝えとして後世に残り、5世紀から聖母被昇天の祝日として祝われるに至ったのだと思われます。...

2012年8月12日日曜日

説教集B年:2009年間第19主日(三ケ日)


朗読聖書: . 列王記上 19: 4~8.     Ⅱ. エフェソ 4: 30~ 5: 2.  
   . ヨハネ福音 6: 41~51.

   本日の第一朗読には、天使から与えられたパンと飲み物に力づけられたエリヤが、「四十日四十夜歩き続け、ついに神の山ホレブに着いた」と記されていますが、ここで「四十日四十夜」とあるのは文学的表現で、その言葉通り四十日四十夜も歩き続けたという意味ではないと思います。神の山ホレブ、すなわちシナイ山は、エルサレムから直線で400キロ程の所にある山ですから、荒れ野のどの位置から歩き始めたのか分かりませんが、一日に40キロずつ歩いたとしても、十日程で到着したと思います。聖書はただ、その遠い荒れ野の道を、天使から二回に分けて与えられた食べ物と飲み物から得た力で歩き通したことを、強調しているのだと思います。後述する福音の中で主は、「私の与えるパンとは、世を生かすための私の肉のことである」と、暗に主のご聖体のことを指して話しておられますが、私たちが日々拝領するご聖体の中にも、預言者エリヤに与えられた天使のパンと飲み物に勝る、もっと遥かに大きな力が込められているのではないでしょうか。神から提供されているこのパンに込められている神秘な力に対する信仰と信頼を新たにしましょう。

   本日の第二朗読には、「あなた方は神に愛されているのですから、神に倣う者となりなさい」という勧めの言葉があります。山上の説教の中にある「天の父のように完全でありなさい」という主イエスのお言葉と共に、心に銘記していましょう。しかし、これらの勧めの中で「神に倣う者」や「完全」とある言葉を、道徳的に落ち度も欠点もない人格者というようなこの世的意味で受け止めないよう気をつけましょう。それは、私たちを神の子として下さった神の無償の愛の中で、絶えず神の視線を肌で感じながら、全く神の御旨のみを中心として生活しなさい、という意味だと思います。父なる神の愛の御旨を身をもって世の人々に啓示して下さった主イエスご自身も、神の聖霊に内面から生かされつつ、何よりも神の子としての従順を体現するよう心掛けておられたのですから。私たちもその主と一致して、「神に愛されている子供」「神に倣う者」としての生き方を、神の聖霊に生かされ導かれて為すよう日々励みましょう。

   本日の福音は一週間前の主日の福音と同様、主によるパンの奇跡を体験したユダヤ人たちに、主がその翌日に話された長い話の続きであります。本日の福音箇所には、「私はパンである」という主のお言葉が二回読まれます。最初の41節と中ほどの48節にです。そこで仮に最初から47節までを前半、それ以降を後半としますと、前半ではイエスを神から遣わされて来た方として信じ、受け入れるか否かが問題とされており、後半ではそのイエスを受け入れる人、すなわち「天から降って来たパン」を食べる人が受ける恵みについての話である、と言ってもよいと思います。
   前日湖の向こう岸で5千人もの群衆にパンを食べさせるという大きな奇跡をなされた主が、その奇跡を目撃したユダヤ人たちに前半で、「私は天から降って来たパンである」と話し、彼らから主の本質に対する信仰をお求めになると、彼らのうちの一部はナザレから来ていた人たちだったようで、すぐに「これはヨゼフの息子ではないか。我々はその父母も知っている。なぜ今『天から降って来た』などと言うのか」とつぶやき始めました。この世で体験する不思議な出来事の背後に神の働きばかりでなく、神の御旨、神のお望みをも感じ取り、感謝の心で神に従おうとしていないからだと思います。神の為さった神秘な御業を、これまでの視野の狭い不完全な世間的人間の尺度で受け止めるから、そんな批判の言葉が飛び出すのだと思います。

   そこで主は、「つぶやき合うのは止めなさい」と答え、「私をお遣わしになった父が引き寄せて下さらないなら、誰も私の許へは来ることができない (が、私は私の許に来る人を) 終りの日に復活させる。云々」と、預言者の言葉も引用なさって、イエスを天から降って来たパンと信じ受け入れる人が受ける恵みについて話し続け、最期に「はっきり言って置く。信じる者は永遠の命を得ている」と言明なさいます。「はっきり言って置く」と邦訳された「アーメン私は言う」という語句は、何かの真実を宣言するような時に使う慣用句ですから、主を信じて受け入れる人が既に永遠の命を得ていることを、主は公然と宣言なさったのだと思います。私たちは、日々聖体祭儀の中でこの祭壇にパンと葡萄酒の形で現存なさる主を、この世の視野の狭い人間的な目で受け止めずに、その大きな神秘を神のなさる御業として信仰と愛の心で受け止めているでしょうか。信じる者には永遠の命が与えられるのだと、主は現代の私たちにも言明して、私たちからもその信仰を強く求めておられると思います。聖体祭儀の時には、この信仰を新たに表明するよう心がけましょう。そこに私たちの受ける恵みも永遠の命もかかっているのですから。この世の祭儀の外的習慣化に負けないよう、自分の心に呼びかけましょう。

   しかし、偉大な奇跡をなさった主のこの宣言を耳にしても、その場のユダヤ人たちはまだ何の反応も示さなかったようで、主はあらためて「私は命のパンである。云々」と、ご自身の本質についてのもっと大きな神秘を啓示なさいます。すなわち主は、先祖が荒れ野で神から受けたマンナよりももっと神秘なパンで、「このパンを食べる人は永遠に生きる」のです。しかも、そのパンとは、「世を生かすための私の肉のことである」と言われたのです。本日の福音はここで打ち切られていますが、主イエスのこの話に対してはまたもユダヤ人たちから、「この人は自分の肉をどうして私たちに食べさせることができようか」などと、この世の人間的考えを中心とする立場から批判の声が上がり、主はそれに対しても、「私の肉は真の食べ物、私の血は真の飲み物である。云々」という、長い神秘的な話をしておられます。後で聖体の秘跡が制定されてみますと、私たちはそれらの神秘なお言葉をそのまま受け入れ、信じることができますが、その場のユダヤ人の多くは、自然理性では受け入れ難い主のこれらの啓示に躓いて、主の御許から離れ去ってしまいました。ただ12使徒たちは頭では理解できないながらも、日頃から主に対する心の信仰・信頼を保持していたので、主の御許に留まり続けました。私たちの心の奥底にあるもう一つの貴重な能力、すなわち神に対する信仰や献身的愛の憧れという能力を抑圧せずに、神よりの神秘な恵みを素直に受け止めましょう。

2012年8月5日日曜日

説教集B年:2009年間第18主日(三ケ日)


朗読聖書
.出エジプト 16:2~4,12~15
. エフェソ 4: 17,20~24. 
. ヨハネ福音 6: 24~5.

   本日の第一朗読は、エジプトでの奴隷状態から解放されたイスラエルの民が、第二の月の15日に、すなわちエジプトを脱出した約一か月後に、シナイ半島中西部のシンの荒れ野にまで来た時の話であります。聖書には何も述べられていませんので私の少し自由な推察ですが、元々遊牧民の子孫でエジプトでも多少の家畜を飼育していたと思われる民は、過越の晩に家族ごとに小羊一匹を屠って食べただけではなく、長旅の途中で食べるため、多少の食糧と共に家畜も連れてエジプトを出発していたと思われます。ですからあまり速く進むこともできず、一か月もかかって最初の大きなシナイの荒れ野に来たのだと思います。しかしそこに着いた頃には、エジプトから持ち出した食量はほとんど食べ尽くしていたことでしょう。それでイスラエルの民はモーセとアーロンに向って、第一朗読にあるような不平を述べ立てたのだと思います。シンの荒れ野は、口に入れるものが何もない砂漠のような所ですから。民が揃って不平を並べ立てたのも、当然だと思います。食料の豊かなエジプトでは、奴隷労働にどれ程扱き使われていても、毎日十分に食べていたのですから。

   しかし神は、イスラエルの人々の不平をお聞きになって、モーセが祈るのを待たずに、ご自身からモーセにいろいろとお話しになり、夕暮れには大量の鳥肉を、早朝には同じく大量のマナと言われるパンをお与えになりました。ちょうどこの日から、シンの荒れ野で民に十分食べさせたという点では、それは神の特別な愛の御配慮による奇跡と申してもよいでしょうが、春のこの時期に大量の渡り鳥がシナイの荒れ野に降りて来て翼を休めることや、毎朝大量のマナが荒れ野を覆うこと自体は超自然的奇跡ではなく、毎年見られる自然現象のようです。私は南山大学で学生たちに説明するため、いろいろと調べたことがありますが、現代でもアフリカとヨーロッパとの間を、ウズラやペリカンなど百数十種の渡り鳥の大群が毎年往復しており、その殆どはこのシナイ半島を経由するバルカン・コースか、あるいはスペイン・コースを通って移動しているそうです。紀元1世紀のユダヤ人歴史家Flavius Josephusも、砂漠の民が荒れ野で渡り鳥を捕える様を描いているそうですが、今日でもシナイのBeduin人たちは、ウズラなどの渡り鳥を手で捕えたり網で捕えたりしているそうです。特に夕方に舞い降りて来たウズラなどは、手で捕まえ易いのだそうです。モーセの時代にも、そのようなことが神の特別の計らいにより毎晩のように起こったのではないでしょうか。
   マナについても、それはモーセの時だけの奇跡的出来事ではありません。中世の1483年にドイツのマインツの司教Breitenbachがシナイ山巡礼を為した時の報告書に、「天よりのパンは、今も朝にかき集めて食べることができる」と書いていますし、1823年と1923年にもドイツ人の植物学者たちが、マナについての詳細な研究を為しています。それによると、Tamarixというシナイ地方固有の一種のアカシアは、この地方のある固い昆虫によってたくさんの小穴を開けられた幹から、6月から8月にかけての夜に、白い分泌物をしみ出させるのだそうです。その分泌物は平べったいコエンドロの実と同じような形をしていて、土に落ちた時は白く、数時間経つと黄褐色になり、次第に固くなるそうです。食べてみると、蜜を入れた煎餅のような独特の甘味を持っているそうです。

   シナイ半島に住むアラビア系混血民族のBeduin人たちは今でも朝早くに、このManhu es sama(天よりのマナ)を集めますが、それは朝の8時半頃になると、素早い競争相手である大きな蟻が働き始めて、たちまち全部運び去ってしまうからなのだそうです。冬に雨がどれ程降るかで、マナの降る量は大きく異なるそうですが、豊年の夏には毎朝のように重さ1キロ半ほど集めることもあるそうです。マナが軽いことを思うと、これは大した量だと思います。モーセの時代にも、神はイスラエルの民のため特別に大量のマナを毎朝お与えになったのではないでしょうか。Beduin人たちは、それを注意深く壺に入れて保存し、マナの塊をこねてスープに入れたり、栄養豊富な携帯食品として食べたり、他の食物と一緒にして加工したりしているそうですが、今日では一部を海外に輸出もしているそうです。しかし、加工されているためか、輸出品リストには別名がついているそうです。

   私が南山大学で教えていた1977年にドイツからもらったある新聞記事には、「イラクにマナの雨」という記事が載っていました。イラク生まれの東方典礼の司祭Ephrem Bedeの思い出話ですが、イラクのアラム平原にあるその人の故郷には、毎年のように風によって遠くに運ばれたマナ、緑がかった褐色のパンが天から少し降って来るのだそうです。それで彼はカイロで勤務してからも、そのパンをよく包装して故郷から郵送してもらっているのだそうで、新聞にはその司祭が送られて来たマナを食べている写真も載っていました。それによると、マナは今日私たちがミサの時に使用している小さなホスチアと同じ程の大きさと形の軽いパンのようです。黄砂が千キロ以上も離れている日本にまで運ばれるように、主なる神は、シナイ半島に降りる天よりの恵みのパン(マナ)を、時として遠く遠くアブラハムの生まれ故郷にまで運んで降らせるのかも知れません。

   本日の第二朗読は、「滅びに向かっている古い人を脱ぎ捨て」、「神にかたどって創られた新しい人を身につけ、正しく清い生活を送るよう」強く勧めています。これらの言葉を認めた使徒パウロは、現代社会のように大きな自由と個人主義の中に生きているエフェソの信徒たちに、ファリサイ派のような生き方、この世の人間中心・組織中心の価値観を脱ぎ捨てて、主キリストのようにひたすら神の御旨中心に生きる、神が本来意図なされた「新しい人」の生き方を身につけることを勧めているのだと思います。私たちも使徒パウロのこの勧めに従い、ファリサイ派たちのような立場で人間中心に聖書を自由に解釈したり、神に似せて創られた人間として自由に「神を演じよう」と意図したり、神のお定めになった自然秩序に反する同性結婚や妊娠中絶などの、今の世界に広まりつつある悲しむべき出来事に賛同したりすることには、反対するよう心がけましょう。

   本日の福音は、主が五千人にパンを食べさせた大きな奇跡を目撃したユダヤ人たちに、その翌日カファルナウムで話された長い話の最初の部分ですが、主はその中でまず、この世の「朽ちる食べ物のためではなく」「永遠に至る食べ物のために働きなさい」と勧めておられます。主のこのお言葉は、平和・自由と豊かさの中で生活している現代日本の私たちにとっても、忘れてならない御言葉だと思います。今も世界各地で難民生活や緊急の避難生活などを余儀なくさせられている無数の人たちに比べ、また病気で様々な苦しみや不自由を耐え忍んでいる兄弟姉妹たちに比べて、健康に恵まれ、こうして神に感謝の祭儀を献げることのできる私たちは、本当に幸せだと思います。しかし、そのこの世的恵みを自分の獲得した所有物などとは思わずに、その恵みの中に現存しておられる神の働きに心の眼を向け、父なる神に感謝と委ねの心、神のお導きに対する従順の心を新たに献げるよう心がけましょう。その信仰の心を実践的に生きることが、パンの奇跡をなさった主キリストが切望しておられることだと思います。神に対するそのような感謝・委ね・従順の心の生きている所に、神の愛の恵みが一層豊かに働き、ゆっくりと時間をかけて永遠に続く愛の実を結ぶと思います。.....