2012年8月5日日曜日

説教集B年:2009年間第18主日(三ケ日)


朗読聖書
.出エジプト 16:2~4,12~15
. エフェソ 4: 17,20~24. 
. ヨハネ福音 6: 24~5.

   本日の第一朗読は、エジプトでの奴隷状態から解放されたイスラエルの民が、第二の月の15日に、すなわちエジプトを脱出した約一か月後に、シナイ半島中西部のシンの荒れ野にまで来た時の話であります。聖書には何も述べられていませんので私の少し自由な推察ですが、元々遊牧民の子孫でエジプトでも多少の家畜を飼育していたと思われる民は、過越の晩に家族ごとに小羊一匹を屠って食べただけではなく、長旅の途中で食べるため、多少の食糧と共に家畜も連れてエジプトを出発していたと思われます。ですからあまり速く進むこともできず、一か月もかかって最初の大きなシナイの荒れ野に来たのだと思います。しかしそこに着いた頃には、エジプトから持ち出した食量はほとんど食べ尽くしていたことでしょう。それでイスラエルの民はモーセとアーロンに向って、第一朗読にあるような不平を述べ立てたのだと思います。シンの荒れ野は、口に入れるものが何もない砂漠のような所ですから。民が揃って不平を並べ立てたのも、当然だと思います。食料の豊かなエジプトでは、奴隷労働にどれ程扱き使われていても、毎日十分に食べていたのですから。

   しかし神は、イスラエルの人々の不平をお聞きになって、モーセが祈るのを待たずに、ご自身からモーセにいろいろとお話しになり、夕暮れには大量の鳥肉を、早朝には同じく大量のマナと言われるパンをお与えになりました。ちょうどこの日から、シンの荒れ野で民に十分食べさせたという点では、それは神の特別な愛の御配慮による奇跡と申してもよいでしょうが、春のこの時期に大量の渡り鳥がシナイの荒れ野に降りて来て翼を休めることや、毎朝大量のマナが荒れ野を覆うこと自体は超自然的奇跡ではなく、毎年見られる自然現象のようです。私は南山大学で学生たちに説明するため、いろいろと調べたことがありますが、現代でもアフリカとヨーロッパとの間を、ウズラやペリカンなど百数十種の渡り鳥の大群が毎年往復しており、その殆どはこのシナイ半島を経由するバルカン・コースか、あるいはスペイン・コースを通って移動しているそうです。紀元1世紀のユダヤ人歴史家Flavius Josephusも、砂漠の民が荒れ野で渡り鳥を捕える様を描いているそうですが、今日でもシナイのBeduin人たちは、ウズラなどの渡り鳥を手で捕えたり網で捕えたりしているそうです。特に夕方に舞い降りて来たウズラなどは、手で捕まえ易いのだそうです。モーセの時代にも、そのようなことが神の特別の計らいにより毎晩のように起こったのではないでしょうか。
   マナについても、それはモーセの時だけの奇跡的出来事ではありません。中世の1483年にドイツのマインツの司教Breitenbachがシナイ山巡礼を為した時の報告書に、「天よりのパンは、今も朝にかき集めて食べることができる」と書いていますし、1823年と1923年にもドイツ人の植物学者たちが、マナについての詳細な研究を為しています。それによると、Tamarixというシナイ地方固有の一種のアカシアは、この地方のある固い昆虫によってたくさんの小穴を開けられた幹から、6月から8月にかけての夜に、白い分泌物をしみ出させるのだそうです。その分泌物は平べったいコエンドロの実と同じような形をしていて、土に落ちた時は白く、数時間経つと黄褐色になり、次第に固くなるそうです。食べてみると、蜜を入れた煎餅のような独特の甘味を持っているそうです。

   シナイ半島に住むアラビア系混血民族のBeduin人たちは今でも朝早くに、このManhu es sama(天よりのマナ)を集めますが、それは朝の8時半頃になると、素早い競争相手である大きな蟻が働き始めて、たちまち全部運び去ってしまうからなのだそうです。冬に雨がどれ程降るかで、マナの降る量は大きく異なるそうですが、豊年の夏には毎朝のように重さ1キロ半ほど集めることもあるそうです。マナが軽いことを思うと、これは大した量だと思います。モーセの時代にも、神はイスラエルの民のため特別に大量のマナを毎朝お与えになったのではないでしょうか。Beduin人たちは、それを注意深く壺に入れて保存し、マナの塊をこねてスープに入れたり、栄養豊富な携帯食品として食べたり、他の食物と一緒にして加工したりしているそうですが、今日では一部を海外に輸出もしているそうです。しかし、加工されているためか、輸出品リストには別名がついているそうです。

   私が南山大学で教えていた1977年にドイツからもらったある新聞記事には、「イラクにマナの雨」という記事が載っていました。イラク生まれの東方典礼の司祭Ephrem Bedeの思い出話ですが、イラクのアラム平原にあるその人の故郷には、毎年のように風によって遠くに運ばれたマナ、緑がかった褐色のパンが天から少し降って来るのだそうです。それで彼はカイロで勤務してからも、そのパンをよく包装して故郷から郵送してもらっているのだそうで、新聞にはその司祭が送られて来たマナを食べている写真も載っていました。それによると、マナは今日私たちがミサの時に使用している小さなホスチアと同じ程の大きさと形の軽いパンのようです。黄砂が千キロ以上も離れている日本にまで運ばれるように、主なる神は、シナイ半島に降りる天よりの恵みのパン(マナ)を、時として遠く遠くアブラハムの生まれ故郷にまで運んで降らせるのかも知れません。

   本日の第二朗読は、「滅びに向かっている古い人を脱ぎ捨て」、「神にかたどって創られた新しい人を身につけ、正しく清い生活を送るよう」強く勧めています。これらの言葉を認めた使徒パウロは、現代社会のように大きな自由と個人主義の中に生きているエフェソの信徒たちに、ファリサイ派のような生き方、この世の人間中心・組織中心の価値観を脱ぎ捨てて、主キリストのようにひたすら神の御旨中心に生きる、神が本来意図なされた「新しい人」の生き方を身につけることを勧めているのだと思います。私たちも使徒パウロのこの勧めに従い、ファリサイ派たちのような立場で人間中心に聖書を自由に解釈したり、神に似せて創られた人間として自由に「神を演じよう」と意図したり、神のお定めになった自然秩序に反する同性結婚や妊娠中絶などの、今の世界に広まりつつある悲しむべき出来事に賛同したりすることには、反対するよう心がけましょう。

   本日の福音は、主が五千人にパンを食べさせた大きな奇跡を目撃したユダヤ人たちに、その翌日カファルナウムで話された長い話の最初の部分ですが、主はその中でまず、この世の「朽ちる食べ物のためではなく」「永遠に至る食べ物のために働きなさい」と勧めておられます。主のこのお言葉は、平和・自由と豊かさの中で生活している現代日本の私たちにとっても、忘れてならない御言葉だと思います。今も世界各地で難民生活や緊急の避難生活などを余儀なくさせられている無数の人たちに比べ、また病気で様々な苦しみや不自由を耐え忍んでいる兄弟姉妹たちに比べて、健康に恵まれ、こうして神に感謝の祭儀を献げることのできる私たちは、本当に幸せだと思います。しかし、そのこの世的恵みを自分の獲得した所有物などとは思わずに、その恵みの中に現存しておられる神の働きに心の眼を向け、父なる神に感謝と委ねの心、神のお導きに対する従順の心を新たに献げるよう心がけましょう。その信仰の心を実践的に生きることが、パンの奇跡をなさった主キリストが切望しておられることだと思います。神に対するそのような感謝・委ね・従順の心の生きている所に、神の愛の恵みが一層豊かに働き、ゆっくりと時間をかけて永遠に続く愛の実を結ぶと思います。.....