2010年6月27日日曜日

説教集C年: 2007年7月1日 (日)、2007年間第13主日(三ケ日)

朗読聖書: Ⅰ. 列王記上 19: 16b, 19~21. Ⅱ. ガラテヤ 5: 1, 13~18. Ⅲ. ルカ福音書 9: 51~62.

① 本日の三つの朗読箇所に共通しているのは、主に従う者が身につけるべき特性と言ってよいかも知れません。第一朗読にはそれが明確には示されていませんが、少し自由な推察を働かせながら探ってみましょう。第一朗読は預言者エリシャの召命の話ですが、その頃神の預言者は、王妃イゼベルに命を狙われて神の山ホレブ(すなわちシナイ山) に逃れたエリヤ一人だけでした。しかし、その預言者エリヤが天に召される日も近づいていました。そこで神はエリヤに現われて、神の山からダマスコの荒れ野へと向かわせ、二人の男に油を注いでそれぞれアラムの王、イスラエルの王となし、エリシャにも油を注いで、エリヤの後を継ぐ預言者にすることを命じます。こうしてアラムでもイスラエルでも軍事的対立が始まって、預言者の活躍を必要とする舞台が生まれたのでした。

② 第一朗読は、エリヤがそのエリシャを預言者として召し出す独特の仕方について伝えています。言葉で呼びかけて自分に従わせたのではありません。何も言わずに、ただ働いているエリシャのそばを通る時に、自分の外套を彼の上に投げかけただけなのです。この出来事の前に、神からエリシャに何かの話があったのかどうかは、聖書に伝えられていませんが、この思いがけない突然の出来事に出遭った時、エリシャは牛を捨ててエリヤの後を追い、父母に別れの接吻をさせてくれるよう願って、「それからあなたに従います」と話しています。エリヤのなした風変わりな行為を神よりのものとして受け止め、正しく理解してすぐに対応する預言者的信仰のセンスが、エリシャの心の中に成熟していたしるしだと思います。エリヤもそれを認めて願いを許可しましたが、その時「私があなたに何をしたのか」という、不可解な言葉を口にします。よく判りませんが、これは、私があなたになした象徴的行為を忘れず、どんな思いがけない出来事の背後にも、神からの呼びかけを感知する信仰のセンスを大切にしているように、という意味を込めている言葉なのではないでしょうか。

③ 第二朗読には、キリストが「私たちを自由の身にして下さったのです。自由を得させるために」とありますが、ここで言われている「自由」とは、何からの自由なのでしょうか。この世の社会的身分制度や煩わしい外的労働、その他の生活の苦労からの自由ではありません。この朗読箇所に省かれているガラテヤ書5章2~12を読んでみますと、それは律法からの自由、すなわち律法の細かい規定を厳守することによって宗教的救いの恵みを得ようとする、ある意味では自分中心の利己的生き方からの自由を指していると思います。換言すれば、それは自分主導で何かを獲得しよう、所有しようとする欲求や生き方からの自由を指していると思います。したがって、最初に読まれる「奴隷のクビキに二度と繋がれてはなりません」という言葉は、そういう自分中心の生き方や肉の欲望に負けてはならないという意味だと思われます。

④ しかし、長年そういう生き方を続けて来て、その生き方がすっかり身についている通常の人間にとって、それはそう簡単なことではありません。ですからパウロは「だから、しっかりしなさい」と書いているのだと思います。仕事がうまく行かない時も、思わぬ困難や病気などに直面した時も、私たちの心を一番苦しめ悩ますのは、自分中心に自分主導で生きようとする私たち自身のエゴなのです。そのエゴからの自由を指しながら、パウロは、「あなた方は自由を得るために召し出されたのです」と書いているのではないでしょうか。では、どうしたら良いのでしょう。パウロはそれについて、「愛によって互いに仕えなさい」「隣人を自分のように愛しなさい」等々の勧めを挙げています。人に負けまい、少しでも人の上に立とうとして、「互いにかみ合い、共食い」しないように、とも警告しています。

⑤ 使徒パウロがここで私たちに言いたいのは、神の愛の霊に導かれて生きるようにせよ、ということだと思います。その愛の霊は、既に私たちの心の奥底に与えられているのです。何かの事で失敗して自力の限界を痛感させられ、心の上層部に居座っている古いエゴの殻が破られてしまった時、すなわち聖書に度々語られている「打ち砕かれた心」の状態になったような時、その時がチャンスです。心の奥底に現存しておられる神の霊に信仰と信頼の眼を向けるなら、その霊は私たちのその信仰に応えて働き出して下さいます。自分中心に何かを得ようとするのではなく、神中心に神の愛の霊に導かれて、この不信の闇の世に神の愛の灯を点そう、輝かそうとして生きること、神よりの恵みの保護や導きを人々に与え続けようとして生きること、それが、神が望んでおられる新約時代の信仰生活であり、古いエゴの悩ましい思い煩いから心を解放し、豊かな祝福と恵みを人々の上に呼び下す、幸せな生き方であると信じます。主キリストや聖母マリアのように、自分のためではなく、多くの人のために生きるよう心がけましょう。その時、天からの引力が私たちの心の中で働き、様々の善い成果を産み出してくれます。目には見えなくても、そういう引力は実際に働いているのです。人間中心の精神を捨てて神中心の心で生きようとする時に、その引力が心の中で働き始めるようです。

⑥ 本日の福音の始めにある「天に上げられる時期」という言葉は、主のご受難ご復活の時を指しています。主は既にそのことを弟子たちに予告して、エルサレムに向かう決意を固め、ガリラヤを後にされたのです。いわば死出の旅に出発し、その旅の途中に横たわるサマリア人の村で泊めてもらおうとしたのです。しかし、エルサレムのユダヤ人たちと敵対関係にあったサマリア人たちは、主の一行がエルサレムへ行こうとしているのを知って、宿泊を拒みました。使徒のヤコブとヨハネはそれを見て怒りましたが、主は二人を戒めて、一行は別の村へと向かいました。主は殺されるために、エルサレムへ向かっておられるのです。何か緊迫した雰囲気が一行の上に漂っているような、そんな状況での出来事だと思います。

⑦ しばらく行くと、次々と三人の人が登場しますが、ルカがここで登場させている人は、マタイ8章の平行記事では「弟子」と明記されていますし、エルサレムへと急いでおられた主に話しかけたのは、いずれも一行の後を追って来た弟子であったと思われます。数多くの大きな奇跡をなされた主イエスが、その主を殺害しようとしているユダヤ教指導者たちの本拠エルサレムに向かっておられると聞いて、メシアの支配する新しい時代が始まるのだと考え、この機会にメシアのために手柄を立てて、出世したいと望んで駆けつけたのかも知れません。最初の人は「どこへでも従って参ります」と申し上げていますが、主は、メシアに敵対する悪霊たちが策動する大きな過渡期には、どんな苦労をも厭わぬ覚悟が必要であることを諭すためなのか、「人の子には枕する所もない」などと話されました。

⑧ 第二の人は「私に従いなさい」という主からの呼びかけに、「まず父を葬りに行かせて下さい」と答えましたが、主はその弟子に「死んでいる者たちに、自分たちの死者を葬らせなさい。あなたは行って、神の国を宣べ伝えなさい」という驚く程厳しい返事をなさいました。死に逝く父の世話や埋葬が、ユダヤ社会では息子にとって重大な義務であることを知ってのお言葉だと思います。その弟子は、主はエルサレムで敵対勢力を打ち破るか、殺されるかのどちらかであろうと考え、もし主が勝利して王位に登られたら、自分が逃げて弟子でなくなったのではなく、末期の父の世話と埋葬のため、主の許可を得て家に戻っていたのだということにしておけば、将来の出世の道が閉ざされることはないであろう、などと両天秤にかけて考えていたのかも知れません。それで主は、捨て身になって主に従おうとしていないその弟子の心を目覚めさせるために、厳しい言葉を話されたのかも知れません。「死んでいる者たちに」とあるのは、この世の人間関係や生活の配慮に没頭していて、まだ神の国の命に生きていない者たちという意味だと思います。

⑨ 第三の人は、「まず家族に暇乞いをしに行かせて下さい」と願いますが、主はその人にも、「鋤に手をかけてから後ろを振り返る者は、神の国に相応しくない」と冷たい返事をなさいます。本日の第一朗読では、エリヤがエリシャの願った家族への暇乞いをすぐに許可しましたが、主はここではそれを認めようとなさいません。その人の心が、まだこの世の人間関係などへの拘りを捨て切れずいるからなのかも知れません。私たちの心は本当に自分を捨て、聖母マリアのように神の僕・婢として主に従おうとしているでしょうか。心は無意識界ですので目に見えず自覚も難しいですが、日ごろの何気ない態度や言葉などに反映されることの多い自分の心をしっかりと吟味しながら、まだ何が自分に不足しているのかを見定め、神の導きと恵みを願い求めつつ、決心を新たに堅めましょう。

2010年6月20日日曜日

説教集C年: 2007年6月24日 (日)、第12主日、洗礼者聖ヨハネの誕生(三ケ日)

朗読聖書: Ⅰ. イザヤ 49: 1~6. Ⅱ. 使徒 13: 22~26.
     Ⅲ. ルカ福音書 1: 57~66, 80.


① 本日の第一朗読の出典である第二イザヤ書 (イザヤ40~55章) には、「主の僕の歌」と言われている歌が四つありますが、本日の朗読箇所はその第二番目の歌であります。イザヤ42章の1~7節に読まれる最初の歌は、「見よ、私の僕、私が支える者を」という言葉で始まって、神の霊を受け、叫ばず呼ばわらずに、裁きを導き出して確かなものとしつつ人々に教え、囚われ人を解放し、闇に住む人をその牢獄から救い出すために、主である神が形づくり、諸国の光として立てるという、言わば主の僕の召命について述べている、神ご自身の歌であります。

② それに比べますと、本日ここで朗読された第二の歌は、内容的にはほぼ同様に主の僕の召命と使命について述べており、3節と6節に神がその僕に語られたお言葉が引用されていますが、全体としては主の僕が話している歌であります。ついでに申しますと、イザヤ50章4~9節の第三の歌は、自分の受ける迫害について述べている主の僕の歌であり、52章13節から53章12節までの一番長い第四の歌は、同じく主の僕が受ける受難死についての歌ですが、始めの3節で神が語られた後、53章に入るとその受難死を目撃する「私たち」が主語となっていますから、救いの恵みを受けるに到る人類の歌と称してもよいでしょう。しかし、最後の2節に再び神が登場し、その受難死によって神の僕が多くの人を義人とし、夥しい人を戦利品として受けることを詠っています。

③ 神の僕メシアについての預言である第二の「主の僕の歌」を、カトリック教会が洗礼者ヨハネの誕生を祝うミサ聖祭の中で朗読するのは、天使ガブリエルによるヨハネ誕生の予告からヨハネ殉教までのその生涯を、メシアの生涯の先駆と受け止めているからだと思います。私たちも洗礼者ヨハネを、神においてメシアと内的に深く結ばれていた先駆者として崇め、ヨハネの説いた悔い改めの恵みを、その取次ぎによって豊かに受けるよう努めましょう。

④ 第二朗読は、使徒パウロが第一回伝道旅行の時、ピシデアのアンティオキアで、安息日にユダヤ教の会堂でなした長い説教の一部であります。イスラエルの民の長い歴史を通して度々民に語りかけ、民を守り導いて下さった神は、約束された救い主によって救いの御業が実現する直前に、洗礼者ヨハネにイスラエルの民全体に悔い改めの洗礼を宣べ伝えさせました。ヨハネは、自分が数百年来かみから約束されている偉大なメシアの先駆者であることを自覚して、本日の朗読箇所にもあるように、「私はその足の履物をお脱がせする値打ちもない」と、公然と人々に話していました。私たちも洗礼者ヨハネの模範に倣い、自分を神の僕・婢、神から今の世に派遣されている使者と考えて、ミサ聖祭毎に実際にこの祭壇に来臨して下さる救い主に対し、謙虚な畏れと信仰を表明するよう心がけたいものであります。

⑤ 本日の福音は、エリザベトから生まれた洗礼者ヨハネが、誕生日から八日目に割礼を受けた時の話ですが、「近所の人々や親類は、主がエリザベトを大いに慈しまれたと聞いて喜び合った」という言葉や、「皆驚いた」、「近所の人々は皆恐れを感じた」などの言葉から推察すると、その割礼式の日が来るまで、近所の人々も親類の人たちも、老婦人エリザベトの奇跡的懐妊のことや男の子出産のことを全く知らずにいたのではないでしょうか。そこで、ルカ福音書の中で十分に詳述されていない洗礼者ヨハネの誕生にまつわる様々の異常事について、多少自由な想像を加えながらまとめて考察してみましょう。

⑥ この割礼式の十ヶ月ほど前に、アビアの組に属する老祭司ザカリアはエルサレム神殿で奉仕していました。アビアの組は、ダビデ王が制定したレビ族祭司24組のうちの第8組で、各組は一週間ずつ当番制で神殿に奉仕していました。神殿の収入は本来レビ族の祭司全員にバランスよく分配される筈のものでしたが、ハスモン家の大祭司が前2世紀の中葉にユダヤの政治権力を掌握してからの旧約末期には、その大祭司と結託しているサドカイ派の祭司たちが、神殿収入の大部分を自分たちのものにして祭司貴族のようになり、それ以外の祭司たちは年に2回一週間ずつ神殿に奉仕する報酬として支給される収入だけで生活する、貧しい下級祭司にされてしまいました。年に二週間の神殿奉仕の収入だけでは、長年住み慣れたエルサレムでは生活できません。それで多くの下級祭司は、エリコ周辺の誰の所有地でもない荒れ野や、ユダヤ南部の山地や荒れ野などの無住地に移住して開墾に励み、細々と生計を立てていました。当時の貧しい下級祭司たちが、神殿奉仕の二週間以外の時は都から遠く離れた不便な地域に生活していたのはそのためでした。この貧しいレビ族出身者の一部は、預言者的信仰精神の高揚に励みつつ、クムランやその他の諸所で共同生活を営んでいて、「エッセネ派」と呼ばれていますが、死期を間近にしていたザカリアとエリザベトも、幼子ヨハネの養育をそのエッセネ派の人たちに委ねてあの世に旅立ったようです。本日の福音の最後に、「幼子は、イスラエルの人々の前に現れるまで荒れ野にいた」とあるのは、そのことを指していると思います。察するに、洗礼者ヨハネはエッセネ派の教育を受けて成長し、そこで行われていた水のこ洗礼式を既に始まったメシア時代のために一般化して、悔い改める全ての人に授けたのではないでしょうか。

⑦ 神殿に奉仕する下級祭司たちは、毎日くじで選ばれた一人が神殿の聖所に香をたく勤めをしていました。サドカイ派に所属しない下級祭司にとってこの勤めは特別の名誉でしたので、できるだけ多くの祭司にこの名誉を与えるため、一度この勤めを果たした祭司は、その後は一生くじ引きから除外されていました。各祭司には年に14回もくじ引きの機会が与えられているのですから、祭司たちは早ければ30歳頃に、遅くとも40歳代、50歳代でほとんど皆聖所で香をたく勤めを果たしていたと思われます。しかし察するに、ザカリアは60歳代になってもくじに当たらず、神殿勤務の期間中は毎日、年若い祭司たちに伍してくじを引かなければなりませんでした。それは年老いたザカリアにとって耐え難い程の恥さらしであったと思われます。加えて、妻エリザベトに子供が授からないのは何か隠れた罪があるからではないか、というのが当時の人たちの一般的受け止め方でしたから、二人は神にその隠れた罪の赦しを願い求めて、ルカも書いているように、「主の全ての掟と規定とを落ち度なく踏み行う」ことに、他の人たちの何倍も細かく注意しながら努力していたと思います。

⑧ ところが、ある日そのザカリアにくじが当たったので、彼は老祭司の荘重さを保ちつつ、香炉と香をもって主の聖所に入って行きました。外では同僚の祭司たちと民衆が祈っていました。香をたいた時、彼は香壇の右に立つ天使を見て心乱れ、恐怖に襲われました。「恐れるな、ザカリア。お前の願い事は聞き入れられた」と、天使はエリザベトが男の子を産むことと、その子につける名前、その子が神から受ける恵みや使命などについて告げると、恐怖と緊張で心が固くなっていたザカリアは、「私は何によってそのこと(が本当だと) 知ることができましょうか。私は 老人で妻も年老いています」と、天使に答えました。すると天使は、「私は神の御前に立つガブリエルである。あなたにこの福音を伝えるために遣わされた。聞け、あなたはこれらの事が起こる日まで口が利けず、ものが言えなくなるであろう。時が来れば実現する私の言葉を信じなかったからである」と告げ、ザカリアは直ちにオシとなり、生まれて来る男の子に天使から告げられたヨハネの名をつけるまで、ものを言うことができなくなりました。誤解しないように申しますが、長年細心の注意を払って信仰生活を営んで来たザカリアが、急に神の存在や全能の権威などを信じなくなったのではありません。自分と妻エリザベトに対する神の特別の愛が、信じられなかったのだと思います。これまでの数十年間、どれ程熱心に祈っても償いの業に励んでも、子供が生まれずくじ運も悪かったのですから、自分たちは隠れた罪を背負って神から退けられているのだと、信じ切っていたのだと思われます。

⑨ 外でザカリアを待っていた人たちは、非常に遅れて聖所から出て来た彼が口が利けず、身振りで説明するのを見て、彼が聖所内で幻を見たのだと分り、隠れた大きな罪を持つ身で聖所に入ったために、天罰を受けたのだと考えたことでしょう。勤めの期間が終わって家に帰る時のザカリアは、外的には大きな社会的恥に覆われていたと思います。しかし内的には、心がこれまでの掟中心の生き方から自分に対する神の愛とご計画中心の生き方へとゆっくりと大きく転向し、新しい希望のうちに家に帰り、そのことを妻エリザベトに筆記で伝えたことでしょう。民の宗教的伝統を堅持し、民を代表して祈ることを本務としていたレビ族では女性も文盲ではなく、エリザベトも聖母マリアも字を読み書きできたと思います。旧約の信仰生活から新約の信仰生活への転向は、「悔い改め」の説教者ヨハネが母の胎に孕まれる前に、既にその両親の心の中で始まっていたと考えられます。ギリシャ語のメタノイア (悔い改め) は、単に何かの悪い生活態度や悪習を改善することではなく、奥底の心の根本的考え方や生き方を転換することを意味していますが、それを短期間に実現させるためには、ダマスコでのサウロの改心の時のように、何か奥底の心を揺り動かすような苦い体験が必要だと思います。神はザカリアたちにも、その体験をさせたのだと思います。

⑩ 事によると、ザカリアが天罰を受けたという噂がレビ族の間に広まり、人々はその隠れた恐ろしい罪に汚染されないよう、オシとなったザカリアの家には近づかないようにしていたかも知れません。口の利けない老ザカリアも人々に弁明することなく、家に引きこもっていたことでしょう。しかし、エリザベトが懐妊すると、二人の心には全く新しい希望と旧約聖書理解が育ち始めたと思われます。そのことは、ヨハネに名前をつけて口が利けるようになった時のザカリアの讃歌に、雄弁に反映しています。懐妊したエリザベトは、ルカ福音1: 24によると、「五ヶ月の間引きこもった」とありますが、身重と老齢のため、山里の坂道を自由に歩けなくなったのかも知れません。そのため、同じ山里に住む村人たちは、エリザベトの懐妊を知らずにいたのだと思います。

⑪ しかし、よくしたことに、そこへ天使のお告げを受けた親戚の聖母マリアが訪ねて来て一緒に生活し、老夫婦の生活の世話をしてくれました。マリアの世話を受けてエリザベトが出産した時も、近隣の人たちは知らずにいたでしょうが、その割礼式のためにマリアがその人たちを呼び集めた時、初めて大きな喜びが皆を満たしたのだと思います。そして更に、口の利けなくなっていたザカリアが、神からのお告げに従って、親類にはないヨハネの名前を幼子につけた時、舌がほどけて神に対する讃歌を詠い、その中で幼子が神から与えられた使命についても語るのを聞いて、人々は神の新しい救いの御業に畏れや希望の念を抱くにいたり、それがユダヤの山里で話題になったのだと思います。洗礼者ヨハネの誕生を記念し感謝するミサ聖祭を献げるに当たり、私たちも、外的画一的な規則順守中心の旧約時代とは違う、神の新しい愛の働きと導きに対する預言者的センスや価値観を大切にするよう、決意を新たにして恵みを願うよう心がけましょう。

2010年6月13日日曜日

説教集C年: 2007年6月17日 (日)、2007年間第11主日(三ケ日)

朗読聖書:Ⅰ. サムエル下 12: 7~10, 13. Ⅱ. ガラテヤ 2: 16, 19~21. Ⅲ. ルカ福音書 7: 36~56.

① 本日の第一朗読は紀元前千年頃の話で、カナンの地の先住民ヘト人の出身者である家臣ウリヤの妻を奪って子を身ごもらせたダビデ王が、その姦通罪の発覚を恐れてウリヤを戦場で死なせたという、もっと酷い二重の罪を犯したことを、預言者ナタンが主の名によって厳しく咎めた話であります。預言者はこの叱責に続いて、ダビデ王の家族の中から反逆者が出てもっと恐ろしい罪を公然と犯すという、耐え難い程の天罰も王に予告しています。

② しかし、王がナタンに「私は主に罪を犯した」と告白し、悔悟の心を表明すると、本日の朗読箇所にもあるように、ナタンは「その主があなたの罪を取り除かれる。あなたは死の罰を免れる」と、神からの赦しと慰めの言葉を告げます。私たちにとって、神からのこのような赦しと励ましの言葉は大切だと思います。エフュソ書の2: 3に述べられているように、私たちは原罪により神の「怒りの子」として神に背を向け、神以外の被造物を選び取り、それを自分の人生の中心として  生きようとする、いわば神に対する忘恩と反逆の強い傾きをもって生れ付いています。

③ 私たちの人間性を生まれながら歪めている、この利己的自己中心の傾きは心の奥底に深く隠れていて、自分の持って生まれた自然の力ではどんなに努力しても勝てません。神のため人のためと思って為した献身的善業にも、いつの間にか無意識の内に入ってきてしまうほど根深い、本性的罪の傾きなのですから。ダビデ王がなした程の大きな罪は犯さないとして、心を細かく吟味してみますと、私たちも日々数多くの小さな忘恩や怠りの罪を犯しており、神から無意識の内にそれなりの小さな罰や失敗・不運などの天罰を受けているのかも知れません。しかし、ダビデ王のように神の憐れみの御心にひたすら縋りつつ、罪を赦して下さる神の愛と力に生かされて生きようと努めるなら、私たちも晩年のダビデ王のように、憐れんで救う神の新たな働きを生き生きと体験するようになるのではないでしょうか。

④ 使徒パウロは本日の第二朗読の中で「人は律法の実行によってではなく、ただイエス・キリストへの信仰によって義とされる」と書いていますが、ここで「信仰」とあるのは、ハバクク書2章やローマ書1章その他に「義人は信仰によって生きる」とある言葉なども総合的に参照してみますと、「信仰の実践」と考えてよいと思います。パウロはその理由として、「律法の実行によっては、誰一人として義とされないからです」と述べていますが、この言葉の背後には、彼が若い時にキリストの教会を迫害したという、苦い体験があると思います。改心前の彼は、誰にも負けない程熱心に律法の全ての規定を順守しようとしていた律法学者だったと思います。しかし、復活なされた主キリスト御出現の恵みに出会い、その主から厳しく叱責された時、神と社会のためと思ってなしていた律法の厳守は、神の新しい救いの御業を妨げるものであったことを痛感させられたのでした。

⑤ 彼はその時から、人間が自力で研究し順守する律法中心の立場を捨てて、ひたすら神の新しい導き中心の立場に転向し、その信仰に生きて下さる復活なされたキリストの命に内面から生かされる、新しい信仰実践に励むようになりました。「キリストが私の内に生きておられるのです。云々」の言葉は、この新しい信仰体験に根ざした述懐であると思います。私たちも使徒パウロの模範に見習い、主キリストが新約の神の民から求めておられるこのような信仰実践を、しっかりと体得するよう心がけたいものであります。

⑥ しかしここで、「律法の実行によっては誰一人として義とされない」という使徒パウロの言葉を、あまりにも理知的原理主義的に誤解しないことにも気をつけましょう。熱心なユダヤ教徒は現代でも律法の規定を研究し順守することに励んでいますが、彼らはその敬虔な信仰生活にどれ程努めても義とされずに皆滅んでしまうという意味ではないと思います。元来律法はアブラハムの神信仰を民族の伝統として子孫に受け継がせ、メシアによる救いの御業の地盤を備える目的で神ご自身から与えられた善いものであります。旧約時代からのその伝統を現代に至るまで守り続け、神信仰に励んでいるユダヤ人たちの上には、主キリストによる救いの恵みが豊かに注がれていると信じます。彼らは律法の実行という過ぎ行く行為によってではなく、その行為を通して表明されている神信仰と神の大きな憐れみの故に、皆永遠の救いへと導かれていると信じましょう。2千年前のユダヤ教指導層の中には、宗教的伝統の権威や法規を重視するあまり、心が一種の原理主義に囚われてメシアを正しく理解できず、死刑へと追い詰めてしまった人たちもいましたが、その後2千年にわたって耐えて来た数々の苦難に学んだユダヤ人たちは、今日では神から新たな道へと導かれつつあるように感じています。

⑦ 本日の福音の中では、主イエスを食事にお招きしたファリサイ派のシモンと、その時イエスの足元に後ろから近づき、泣きながら主の御足を涙でぬらし、自分の髪の毛でぬぐい、接吻して香油を塗った罪深い女とが比較されていますが、44節から46節に読まれる主イエスの言葉を誤解しないように致しましょう。長旅で足が汚れている時は別として、普通に客を食事に招待したような時には、足を洗う水を差し出す必要はなかったし、日頃親しく交際している友でない客を接吻で迎える義務もありませんでした。シモンの応対には、取り立てて言う程の無礼はなかったと思われます。しかし、主があえてシモンの応対を口になされたのは、シモンの親切な招待よりも遥かに大きな愛を表明した罪の女の態度と行為を際立たせるためであったと思われます。事によると、シモンはイエスの預言者的能力や人柄を試すために、イエスを招待した食事の場に、その町の罪の女が来るよう取り計らったのかも知れません。主はそれをご承知の上でシモンの招待を受け、罪の女に救いの恵みをお与えになったのかも知れません。

⑧ しかし、聖書学者の雨宮慧神父はここで、47節前半に読まれる主のお言葉をどう受け止めるかに、一つの問題があることを指摘しています。ギリシャ語の原文では、その箇所は「私はあなたに言う。彼女の多くの罪は赦された。なぜなら彼女は多く愛したからである」となっています。雨宮神父はこの言葉を、「彼女は多く愛したがゆえに私はあなたに言える、彼女の多くの罪は赦された」という意味に取れば、多く愛したことから分るように、彼女の多くの罪は赦されてしまっているという意味になるが、その場合その後の48節に、主が女にあらためて、「あなたの罪は赦された」と言われた言葉へのつながりが少し悪くなると言います。47節の「罪は赦された」は、現在完了形の動詞でもあるからです。

⑨ しかし神父はもう一つ、47節前半の言葉を「私はあなたに言う、彼女は多く愛したから彼女の多くの罪は赦された」という意味にとり、愛することが罪の赦しを受ける条件と考えるなら、48節の赦しの言葉へのつながりはよくなるが、しかしこの場合も、40節から46節へのつながりが不自然になる、と迷っています。しかし、神父は最後に、「二者択一でなくても良いと思う。ルカ自身、どちらの解釈も可能になるよう意識して両義的に述べたと考えることもできる」、「救いと愛は相互的である。救いが愛を生むと同時に、愛が救いを生み出す。この相関関係に人を含み込むのが、イエスとの出会いである」などと書いています。私が神学生であった時にも、主のこの言葉をめぐって話題になっていることを聞いたことがありますが、雨宮神父のこの解説で結構だと思います。しかしこのことと関連して、規則違反などの外的な罪の赦しは、お詫びの言葉や外的償いなどによって与えられるとしても、心の奥底に隠れ潜む罪の赦しは、神の愛の火を心に点火し燃え上がらせる実践によってのみ、与えられるものであることを心に銘記していましょう。罪の女がその罪の赦しを受けたのも、主イエスに対する愛を可能な限りで表明した実践を通してだったのではないでしょうか。

2010年6月6日日曜日

説教集C年: 2007年6月10日 (日)、キリストの聖体 (三ケ日)

朗読聖書: Ⅰ. 創世記 14: 18~20. Ⅱ. コリント前 11: 23~26.
     Ⅲ. ルカ福音書 11b~17.


① 今年の2月22日、聖ペトロの聖座の祝日に、ローマ教皇は ”Sacramentum caritatis (愛の秘跡)”と題する使徒的勧告を発布しましたが、それは2005年のクリスマスに発布された現教皇の最初の回勅『神は愛』よりも長いもので、主の御聖体の秘跡とその神秘について詳しく説明しています。第一部、第二部、第三部と三つに分けて伝統的教義と典礼とその効用などについて詳述しており、特に主の御聖体の神秘を生きることについて、ヨハネ福音書、使徒パウロの書簡、アウグスティヌスや前教皇の言葉などを引用しながら述べている第三部には、熟読して学ぶべきことが多いと思います。いずれ日本語にも翻訳されて出版されるでしょうから、ここでは本日の朗読聖書から学ぶことにしたいと思います。

② 本日の第一朗読には、いと高き神の祭司であったサレムの王メルキゼデクのことが述べられています。聖書以外にはどこにも史料の残っていない、この王について少し考えてみましょう。彼は「天地の創り主、いと高き神」に仕える祭司ですから、アブラハムと同じ神を信奉しています。宇宙の創り主である神は、当時アブラムと称していたユダヤ人の先祖にだけ特別にご自身を啓示なされたのではなく、同じ時代に、恐らくはアブラムよりも前に、サレムの王メルキゼデクにも親しく語りかけ、この王を神の祭司としておられたようです。ここでサレムとある町は、詩篇76:3ではエルサレムと同一視されています。この王は、奇襲作戦によって敵軍から甥ロトの一家とその町の人々・財産などを奪回して来たアブラムの勝利を慶賀して、パンとぶどう酒を持参し、アブラムに神の祝福を与えたのです。感激したアブラムは、その全財産の十分の一をこの祭司を介して神に献げたようです。

③ 創世記に記されているこの出来事一つを見ても、神はユダヤ人以外の人々の中でも親しく働いておられ、しかもサレムの王は、アブラムよりも神に近い存在・祭司とされていることを、心に銘記していたいと思います。ダビデの詠った詩篇110: 4によると、神は将来この世に派遣なさるメシアについて「メルキゼデクのように、お前は永遠の祭司」と語っておられます。このメルキゼデクは、イスラエルのレビ族に所属する祭司ではありません。メシアもレビ族の祭司ではなく、初めもなく終りもなく、神によって直接に全人類のために立てられた祭司、メルキゼデクのように王であって祭司である方なのです。サレムの王という称号は、ヘブライ語では「平和の王」という意味ですが、メルキゼデクという名前も、ヘブライ語では「私の王は義」という意味になるそうです。これらの意味は、そのまま主キリストにも相応しいと思います。主がパンとぶどう酒による秘跡を人類にお与えになったことを記念し感謝する聖体の祭日に当たり、アブラムにパンとぶどう酒を介して神の祝福を与えた、遠い昔の祭司メルキゼデクの人類愛も、感謝のうちに合わせて記念致しましょう。

④ 本日の第二朗読の最後に読まれる、「あなた方は、このパンを食べこの杯から飲む毎に、主が来られる時まで主の死を告げ知らせるのです」という使徒パウロの言葉も、大切だと思います。「主の死を告げ知らせる」というのは、単に口先で「主が死んだ」などと、人々に語り伝えることを指しているのではありません。パンは主のお体を、ぶどう酒は主の御血を指していますが、その二つを別々に祭壇上で神への供え物にするということは、主が受難死によってこの世の命には既に死に、救いの恵みを人類の上に呼び下すいけにえ、神への供え物になっておられること、いけにえとしてのお姿を天父に提示しつつ、今も私たちの上に恵みと祝福を呼び下しておられることを示していると思います。そしてその主のお体と御血を拝領して、自分の血となし肉となす私たち信仰者は、主の御精神、主の御力に内面から生かされ、新たな神の愛に生きる恵みを受けるのであることをも、示していると思います。主はそのためにこそこの世に死んで、ご自身を私たちの糧となされたのですから。

⑤ 「主の死を告げ知らせる」とは、時間空間を越えた絶対的存在であられる神とこの世の被造界とを赦しと愛の絆で結ぶに至った主のご受難が、時間空間を越えて今も私たちのうちに現存し、数々の恵みを齎してくださっているという深く隠れている霊的現実を自覚し、それに相応しい内的実を結ぶことにより、世の人々にその事実を実践的に証しすることを意味していると思います。聖体奉挙の時「信仰の神秘」という司祭の言葉に、会衆は「主の死を思い、復活をたたえよう。主が来られるまで」と唱えますが、その時私たちのこの信仰と決意を新たに致しましょう。古代のギリシャ教父たちは、この「信仰の神秘」という言葉を唱える時、聖バジリオの製作に基づく第四奉献文にもあるように、「今ここに」時間空間を越えて現存なされる主に対する信仰を新たにしたと聞いています。私たちもその古い伝統を大切に致しましょう。

⑥ 本日の福音にある、五つのパンと二匹の魚で男たち五千人もの群集を満腹させた奇跡は、四つの福音書全てに扱われている出来事であります。二つ、あるいは三つの福音書に扱われている出来事は少なくありませんが、四つの福音書に共通して読まれる出来事は、主のエルサレム入城とご受難・ご復活以外には、このパンの奇跡だけです。それを思うと、使徒たちと初代教会は、このパンの奇跡を特別に重視しながら、語り伝えていたのではないでしょうか。しかし、それぞれの福音書は、多少違った視点からこの出来事を描写しています。例えばマルコ福音書には、「大勢の群集が」「飼い主のいない羊のような有様なのを深く憐れんだ」主が、いろいろと教えた後に、彼らを「組に分けて青草の上に座らせ」てから、この奇跡をなされたように描かれており、これらの表現から察すると、主を無数の人々を豊かに養う牧者として提示しようとする意図が感じられます。それに比べると、本日の福音であるルカ福音書の描写にはこれらの言葉が読まれず、弟子たちにこの奇跡を体験させ考えさせようとしておられる主のお姿の方に、もっと眼を向けているように思われます。ルカは、この出来事のすぐ前に、主がなされた様々の奇跡的出来事のことを耳にした領主ヘロデが、イエズスは一体何者なのかと当惑していることを述べ、このパンの奇跡のすぐ後で、主が弟子たちに「人々は私を何者だと言っているのか」、「では、あなた方は私を何者だと言うのか」と尋ね、ペトロが「神からのメシアです」と信仰告白する話を載せていますから、弟子たちに主は一体何者と考えさせる観点から、このパンの奇跡を描写したのだと思われます。

⑦ そのルカによると、大勢の群集に対する主の説教や癒しの働きが長引き日が傾きかけたので、12人の弟子たちが群集の食べ物のことを心配し、「群集を解散させて下さい。云々」と主に願いました。それに対して主は、「あなた方が彼らに食べ物を与えなさい」とお命じになり、彼らはすぐ「私たちには、パン五つと魚二匹しかありません。云々」と答えました。すると主は、人々を50人位ずつ組にして座らせ、その五つのパンと二匹の魚とを取って祈りを捧げてから、それらを裂いて弟子たちに渡し、群衆に配らせました。それが既に日が傾いた日没近い時間帯のことであり、全ての人がパンと魚を食べて満腹し、食べ残したパン屑を集めて12の籠をいっぱいにした時間なども考慮に入れると、パンと魚は、主お一人の手元でだけ、裂く度毎に次々と増えたのではないと思われます。50人位ずつ百組にも分かれて座るとなると、かなり遠くに座っている人々も多いのですから、そこへ主の御許から大量のパンと魚を運ぶだけでも、多くの時間が失われることになり、まだ全員に行き渡らない内に日が沈んでしまうことでしょう。そこで私は、パンと魚は弟子たちの手元でも、群集に渡す度毎に増えたのではないかと考えます。奇跡をなす主の力が、遠く離れている弟子たちの中にも現存して、糧を必要としている無数の人をリアル・タイムで養うことができるということを、主はこの奇跡により弟子たちに体験させ、主が全能の神よりの人であることを実践的に証したのではないでしょうか。

⑧ その主は、時間的空間的にもっと遥かに遠く離れている現代の私たちにも、司祭の献げるミサ聖祭の中で聖別されたパンとぶどう酒という形で、大きな恵みの糧を与えて下さいます。本日は、主のその愛と現存に対する信仰を堅め、このご聖体の秘跡に感謝する祭日であります。パンとぶどう酒という、食べ物と飲み物の中にご自身の御命を入れて無数の信仰者を内面から養い、その人々を通してこの世に世の終わりまで現存し続けるという、真に驚嘆に値する奇跡は、全能の神なればこそできる愛の御業、愛の恵みであり、私たち人間の側からは全く理解も説明もし難い現実、ただ心の意志で謙虚に受け止め信じることしかできない真実であります。ヨハネ福音書6章後半によると、主もこの真理の前に多くの理知的人間が躓き離れ去ることは覚悟しておられたようですが、それでも敢えて、「人の子の肉を食べ、その血を飲まなければ、あなた方の内に命はない」「私の肉は真の食べ物、私の血は真の飲み物だからである」などと、人間理性を躓かすような言葉を幾度も断言しておられます。それまで主に従っていた弟子たちの多くは、この理解し難い言葉に躓いて主の御許から離れ去りました。しかし、主に心から信服していた使徒たちは、自分の頭で理解できなくても、主に信頼する心の意志で主の御許に留まり続け、後でそのお言葉の本当の意味を深く理解するに到りました。主は私たちからも、このような心の信頼、心の信仰を求めておられると思います。

⑨ 私は1969年の夏休みに高野山で三泊四日の研修を受けたのを初めとして、2000年まで31年間にわたってほとんど毎年のように、比叡山やその他諸宗派・諸宗教の本山や中心的拠点で二泊三日の研修を受けており、1980年代にはユダヤ教やイスラム教や東方正教会の所でも研修を受けましたが、神がご自身を人間の食べ物・飲み物となしてまで、これほど近く人類の中に現存し、内面から人類をまた宇宙世界全体を支え導いていて下さることを堅く信奉している宗教は、カトリックと東方正教会など、キリストの制定なされたミサ聖祭を堅持している宗教以外には、どこにも見られませんでした。その意味でも私は、まだミサ聖祭の偉大な価値を知らずにいる人類全体をも、この秘跡を通して豊かに祝福し、護り、支えておられる神に、私たちは全人類を代表して特別に感謝と賛美を捧げる責務があると痛感しています。日ごろの感謝の不足を反省し、本日はこれまで受けた数々のお恵みのためにも、主に心を込めて感謝致しましょう。