2012年4月29日日曜日

説教集B年:2009年復活節第4主日(三ケ日)


朗読聖書: . 使徒 4: 8~12.   Ⅱ. ヨハネ第一 3: 1~2.  
  . ヨハネ福音 10: 11~18.
本日の第一朗読は、生来足の不自由な人を癒して民衆の注目を浴び、ソロモンの回廊で、人々に悔い改めて神に立ち帰るよう呼びかける説教をしていたペトロとヨハネが、神殿の守衛長たちに捕らえられて朝まで拘留され、翌日大法院に引き出されて、「お前たちは何の権威によって、あのようなことをしたのか」と尋問された時のペトロの話です。ガリラヤの無学な漁夫でしかなかった二人は、人間的にはこの世の権力やユダヤ教指導者たちの社会的権威に対抗できるものは何も持っていません。しかし、主キリストの弟子として召され、3年間主に伴っていて見聞した体験から得た大きな強い確信に生かされていました。それは、十字架刑によって殺されたナザレのイエスが真のメシアで、もはや死ぬことのない霊の命に神によって復活し、今も自分たちの内にあって、人類の救いのために働いておられるという確信であります。ですからペトロは、聖霊に満たされて恐れずにそのことを公言し、「他の誰によっても救いは得られません」と断言しました。この世の権力や社会的権威はなくても、その言葉にはあの世の神の権威がこもっていたと思われます。彼らによって癒された人もその側に立っていたので、議員たちは皆驚き、「返す言葉もなかった」と記されています。
各種マスコミからのあまりにも多くの情報や多様の見解が大河の洪水のように氾濫し、今の世の思想的海流に弄ばれて自分の人生に生き甲斐を見出せずにいる現代人たちにも、体験に基づくこのような確信をもって、私たちの間に隠れて現存し救いのために働いておられる復活の主キリストについて語る、信仰者・伝道者が必要なのではないでしょうか。心をわって忌憚なく話し合うことのできる友人や知人、家族にも恵まれず、内的には全く孤独になって、自分の人生の意味や生き甲斐を模索したり諦めたり、詰らない遊びや酒などでうさばらしをしている日本人の多いことを思うと、そんな必要性を痛感させられます。今から30数年前の70年代前半、新発田の中学で私の一年下の知人が、名古屋近郊の小さな建築会社で働いていて、クレーン車などを運用する技師でしたが、アルコール依存症に打ち勝てずに自殺したことがあります。大きな酒屋の二男に生まれ大酒呑みだったようですが、最後頃はあまりにもひどいアルコール依存症のため、妻子にも親族にも見捨てられ孤独だったようです。本人からの電話に呼ばれて私が訪ねて行き、数十年ぶりに会って、救急車で病院に運んでもらい、私が保証人になって入院させてもらったのですが、本人はその時私に、「酒はいくら飲んでも楽しくない。しかし、飲まないと苦しくて何もできない。生きていることもできない。だから薬として飲むのだ」などと話していました。薬は毒で毒を消す物ですから、適量を超すといつも有毒です。そんな薬のような嗜好品や遊びで日々のストレスを解消し、その害を受けている人たちが現代には多いのではないでしょうか。もっと神様の方に心の眼を開くなら、もっと有益な心の薬が与えられるのに、と残念でなりません。
しかし、目前の事態が絶望的に見えても、ちゃんと姿勢を真っ直ぐにし、神に心の眼を向けて全てをお任せしつつ、神のお導きに徹底的に従う心を新たにしていますと、不思議に神の霊が働いて道が開けて来るものです。私は小刻みにそんなことを幾度も体験しています。戦争中の小学校で学んでいた時、よく「健全な体に健全な精神が宿る」という言葉を聞かされました。そして健全な体とは、何よりもまず姿勢を真っ直ぐに正しくすることと教わりました。戦後カトリックに改宗してからの私の体験を回顧しますと、正しい姿勢には健全な精神が宿るだけではなく、神の霊もよく働いて下さるように思います。年齢が進んで高齢者のお仲間になった私は、時々物を紛失するという経験をしていますが、いくら探してもなかなか見つけない時には、すぐに神に心の眼を向け、姿勢を正して委ねと希望の心を新たにして祈ります。すると不思議に新しいヒントが心に浮かんだり、珍しいことに出会ったりして、その紛失物を見つけます。先週もそのようなことを二度経験しました。
本日の第二朗読の中で使徒ヨハネは、「世が私たちを知らないのは、御父を知っていないからです」と述べていますが、ではどうしたら、天の御父を知るようになるのでしょうか。福音に読まれる、「翻って幼子のようにならなければ天の国には入れない」(マタイ18:3) だの、「智者や賢者に隠して、幼子たちに現して下さいました」(マタイ11:25) などの主のお言葉から察しますと、何でも自分中心・人間中心に理解し利用しようとする利己的計らいの心を捨てて、聖母マリアや聖ヨゼフのように神の僕・婢となって、我なしの心で神よりのものを謙虚に受け入れ、それに従おうと努めるなら、その実践を通して、次第に天の御父の導きや助けを知るようになるのではないでしょうか。私たちはとかく、自分の目で見、手で触れる経験的現実を基盤にして、政治も社会も神よりのものも判断し勝ちですが、神に対する真の信仰は、そのような心の中では成長せず、神のお言葉や神のなされる救いの御業に赤子のように全く自分を委ね切って、そのお言葉やその御業を中心にする立場、すなわち神の立場から自分やこの世の現実を顧みる逆転の生き方の中で成長し、信仰も神の恵みも根を張り実を結ぶのだと思われます。私たちは皆洗礼によって神の子として頂いたのです。神の子としての感謝とお任せの心で、日々喜んで生きる実践に励みましょう。そうすれば、私たちが心に宿している神の子の命がゆっくりと育って来て、自分が実際に神の子として神から愛されていることを、次第に体験し確信するようになります。私たちの受けた信仰とその喜びを深めるものは、祈りや奉仕的働きの量ではなく、神から日々実際に見守られ導かれているという、小さな体験とその自覚の量だと思います。それが、今の世に真の生き甲斐と喜びを見出す生き方ではないでしょうか。
ご存じのように良い羊飼いについての主の話が読まれる復活節第四主日は、カトリック教会において「世界召命祈願の日」とされていて、毎年全世界の教会は、司祭や修道者として神に仕える人が多くなるよう神に祈りを捧げています。私たちは毎月の第一月曜日に、司祭・修道者の召命のため特別にミサ聖祭を献げて祈っていますが、それに加えて本日のミサ聖祭もその目的のために献げますので、全世界の教会と心を合わせ、相応しい心の司祭・修道者の増加のため、神に恵みと助けを願い求めましょう。本日の第一朗読に登場した使徒ペトロのように、日々主と共に生きることによって培われる確信と聖霊に満たされて、生き、働き、語る司祭・修道者が一人でも多くなるよう、神の特別の導きと助けを祈り求めましょう。

2012年4月22日日曜日

説教集B年:2009年復活節第3主日(三ケ日)


朗読聖書: . 使徒 3: 13~15, 17~19.   Ⅱ. ヨハネ第一 2: 1~5a.  
  . ルカ福音 24: 35~48.
本日の第一朗読は、ペトロが神殿の美しい門の所で生来歩けなかった男を奇跡的に癒したことに驚いた民衆に話した説教ですが、彼はその中で、メシアを殺害したユダヤ人の罪を糾弾した後に、神がその殺されたメシアを死者の中から復活させたと宣言し、「私たちは、このことの証人です」と述べています。度々復活の主に出会った目撃体験と、旧約聖書の言葉に基づいての力強い証言であると思います。ペトロがその結びで、「ところで兄弟たちよ、あなた方があんなことをしてしまったのは、指導者たちと同様に無知のためであったことは、私には分かっています。云々」と、大きな罪を犯してしまったユダヤ人の無知と弱さに、温かい理解を示していることも、注目に値します。罪を厳しく糾弾したのは、無知から犯してしまった罪を自覚させ、何よりも神からその罪の赦しを、一人でも多くのユダヤ人たちに受けさせるためであったと思います。自分たちの心が罪に穢れていることを人前で恥ずかしがる必要はありません。謙虚にそれを認めて神の憐れみを願い求めるなら、罪の穢れは、神の憐れみと大きな恵みを自分たちの上に呼び下す貴重な手段となるのですから。私たち人間の犯した罪には、神の御前にそういう大切なプラス面もあるのです。失望してはいけません。
私たち現代人の心の中にも、無知と弱さから犯してしまった罪の穢れが宿っていて、私たちを事ある毎に内面から悩まし、弱らせ、神の恵みによって明るい希望の内に生活するのを妨げているかも知れません。「罪」と聞くと、人はよく何かの社会的規則や修道会などの会規に違反した言動を考え勝ちですが、聖書が問題にしているのはそのような人目につく外的な規則違反ではなく、何よりも神の愛の御心・御旨に従おうとしない、私たちの奥底の心の態度や心構えのようです。それは心の奥に深く隠れているので、全てを合理的に考える人には理解できない一つの神秘だと思います。私が神学生時代に聞いた話では、実際ある聖人は「罪の神秘」という言葉も使っているそうです。家族や社会の結束が根本から弱まり崩壊しつつある現代の大きな過渡期、自由主義思潮の横行で心の教育・鍛錬も善悪判断も軽視され歪められつつある現代の能力主義時代には、悪霊たちは外的出来事で人々を苦しめ悩ますよりも、むしろ各個人の心の奥に住みついて、家庭や社会を内側からいじめ苦しめようとしているように思われます。
最近の若い日本人の間では小林多喜二が1929年に発表したプロレタリア文学の「蟹工船」や、太宰治が終戦直後の1947年に執筆しベストセラーとなった小説「斜陽」が愛読されていると聞いたので、先日この二つの著作を読んでみました。今の秋田県大館市の貧しい農家に生まれた小林多喜二は、小樽高等商業を卒業して銀行員になっても、労働争議に大きな関心を示し、1926年に蟹工船博愛丸で、就職難のため低賃金で雇われた漁夫や雑役夫に対する虐待事件が発生すると、その翌年友人の協力で蟹工船の実態を綿密に調査し、その記録に基づいて「蟹工船」を執筆したのですが、後で共産党員になって投獄され、1933年に拷問を受けて獄中死しています。その作品を読んでみますと、蟹工船の中では大勢の雇われ人たちが低賃金で競うように働かされ、待遇改善のため団結して労働争議を起こすと、船長が近くに伴って護衛していた日本の駆逐艦に連絡して、ストライキを呼びかけた労働者たちの代表9人を、駆逐艦で連れ去ってもらうという話になっています。現代は当時とは労働事情が大きく違っていますが、現代の読者たちは、血縁・地縁の支えを全く失っている現代の孤立化した労働者たちの救いようのない苦悩を、その作品の中に読み取っているのではないかと思います。いくら大勢の人が声を張り上げて叫んでみても、今の世の黒潮のように大きな流れを変えることはできず、孤立した個々人は結局その流れに押し流され、呑み込まれて行く無能を痛感しているのかも知れません。
「斜陽」を書いた太宰治は津軽の大地主の家に生まれ、東京帝国大学文学部を出ると、左翼運動に関心を示しつつも、1935(昭和10)から次々と優れた小説を発表しています。そして敗戦後の昭和22年の夏から秋にかけて、文芸誌『新潮』に、昔の貴族、すなわち爵位を持つ一族の歳老いた母とその未婚の娘かず子に焦点を合わせて、伝統的社会制度の急激な崩壊と混沌とした変貌の中での、二人の心の動きを扱った小説「斜陽」を書いたのでした。その年の5月にアメリカ軍の指導下で造られた日本国憲法が施行されましたが、国家も社会も、まだ仕事も資材もなくて極度に貧しく、都会の人々は生きるために食べ物の買い出しに明け暮れする状態で、海外からの帰還者たちで増大した労働者たちの間では、共産党指導の労働運動だけが大きく広まり、戦争責任者たちに対する東京裁判もまだ進行中、これからの日本社会がどうなるかは、まだ誰にも予測できないような社会的混沌が続いていました。そんな中で焼け野原のような東京を離れて、伊豆の山荘で暮らしている小説の母と娘は、「お金がなくなるという事は、なんという恐ろしい、みじめな、救いようのない地獄だろう」「どうせ滅びるものなら、思い切って華麗にほろびたい」などと考えています。二人は持っているたくさんの着物をどんどん売って、思いっきり贅沢な暮しをしながら死んで行こうとします。
そこへ大学の途中で軍隊に召集され、南方の島に行ったきりであったかず子の弟直治が帰って来ます。しかし、ひどい阿片中毒になっており、帰国すると毎晩酒におぼれ、母にお金をせびります。母は結核が悪化して間もなく死にますが、直治は東京で麻薬中毒にも苦しみ、嫁いだ姉に盛んに薬代をねだります。かず子は首飾りやドレスまで売って、直治に言われるままにお金を届けますが、やがて「いっそ思い切って、本職の不良になってしまったらどうだろう」「札つきの不良に」などと考えるようになります。直治もそれ以前から「結局、自殺するよりほか仕様がないのじゃないか」などと考えており、遂に伊豆の山荘で「遊んでも少しも楽しくなかった」「生きている意味が分からない」などの言葉を遺書を残して自殺してしまいます。
この小説がベステセラーになり、「斜陽族」という言葉が1947年の流行語になりましたが、62年前のこの小説がなぜ今の日本人たちに愛読されるのかと考えてみますと、今の日本人の中にも、生きている意味が分からない、遊んでも少しも楽しくない、社会の将来にも希望を持てない、酒や薬物の依存症には勝てない、こんな苦しい状態がいつまでも続くのなら、いっそ思い切って贅沢な暮しをし、本職の不良になってでもいいから、今の社会の深刻なマイナス面を何かの事件によって明るみに出し、国にも社会にも訴えて死んで行こう、などという過激な考えを抱く人たちが増えつつあるのかも知れません。詩編の62番には「人は皆通り過ぎる風、頼りにはならない。はかりにかけても、その重さは息より軽い」という言葉がありますが、その人たちは、混沌としている今の世の一切をそのような頼りないもの、虚しいものと痛感しているのかも知れません。11年前から日本で自殺者が毎年3万人以上もいるのも、このような希望のない行き詰まり感覚や虚しさ感覚と関係があることでしょう。現代の悪霊たちもそのような人々の心を悩まし、絶望へと追い込もうとしているかも知れません。主キリストによる復活信仰の希望や喜びを神から戴いている私たちは、そういう人たちの心に神による救いの恵みが与えられるよう、もっと祈る使命を持つと思います。罪の穢れがどれ程であっても構いません。その人たちが心を神に開き神の憐れみに頼るなら、神は全ての罪を取り除き、どんな悪人をも救うことがお出来になります。その人たちが、今の世の流れの行き詰まりにだけ心の眼を向ける苦しみを介してその心を反転させ、全能の神の方に心の眼を開き、その憐れみを願い求めて救いの道を見出すよう祈りましょう。
メシアの受難死は、数百年前から預言者たちによって予告されていた神の御旨でした。神のご計画では、メシアは人々の罪によって殺されても復活し、一層大きな自由の内に世の終りまで人類と共に留まり続け、悔い改めて信じる人を救うために派遣されたのです。ですから、たといメシア殺しの罪を犯してしまっても失望することなく、「自分の罪が消し去られるように、悔い改めて立ち帰りなさい」と、使徒ペトロは本日の第二朗読の中で力説しているのだと思います。復活の主キリストも本日の福音の中で弟子たちに、「次のように書いてある。『メシアは苦しみを受け、三日目に死者の中から復活する。また罪の赦しを得させる悔い改めが、その名によってあらゆる国の人々に宣べ伝えられる』と。エルサレムから始めて、あなた方はこれらのことの証人となる」と話しておられます。私たち人類の犯した罪がどれ程大きなものであろうとも、失望せずに一心に神により頼み、この世中心・人間中心のこれまでの自分の生き方を捨てて、神の御旨に対する従順の生き方への「悔い改め」に転向するなら、その時主キリストの功徳によって全ての罪が赦され、心の奥底に神からの新たな恵みが溢れるほどに注ぎ入れられて、人間は神の導きと力に支えられて明るい希望の内に生き始めるのです。それは、内的に自分に死んで神に生きる「死と生の恵み」ですが、主キリストはこの大きな恵みと希望を人類にもたらすために、受難死を遂げ復活なされたのです。今落胆と混迷のどん底に苦悩している現代人が、一人でも多く復活の主のこの恵みに浴することができるよう、本日のミサ聖祭の中で祈りましょう。

2012年4月15日日曜日

説教集B年:2009年復活節第2主日(三ケ日)


朗読聖書: . 使徒 4: 32~35.   Ⅱ. ヨハネ第一 5: 1~6.  
  . ヨハネ福音 20: 19~31.
本日の第一朗読は、聖霊降臨によって生れた教会共同体の美しい一致の姿を伝えていますが、主がエルサレム滅亡の予言と並べて、世の終りと主の栄光の再臨についても予言なされたので、当時は使徒たちをはじめ一番最初のユダヤ人信徒団も、エルサレムの滅亡と世の終わりが近いと考えていたようです。主が受難死を遂げられた後頃から多くのユダヤ人たちが、使徒たちの大胆な説教に耳を傾けて、祭司長たちの指導に素直に従わなくなり、豊かさと極度の多様化の中でユダヤ社会は内面から次第に崩壊の兆しを見せ始めたからかも知れません。それで、キプロス島出身のバルナバら、十分の土地財産を所有する信徒の資産家たちは、程なく世の終りが来るのならこの世の財産は全て失われるのだからと考え、それらを売っては代金を使徒たちの所に持ち寄り、信徒団は皆、神の慈しみの内に心を一つにして助け合い励まし合って生活するようになったのだと思います。しかし、この状態はいつまでも続いたのではありません。
皆が始めに予想した終末がなかなか到来せず、初めに持ち寄ったものが底を付き始め、貧しさを目前にするようになると、やはり人それぞれに、自分の蓄えや生き残り策を考えるようにもなったものと思われます。エルサレムでキリスト教会が誕生して20数年後に、使徒パウロがギリシャ系改宗者たちの諸教会から集めた寄付金をエルサレム教会に持参していることから察すると、紀元50年代には既にエルサレム教会が貧しさを痛感し始めていたのではなかと推察されます。他方ユダヤ人社会崩壊や分裂の兆しも年々深刻化していたので、ファリサイ派の律法厳守教育を受けた若者たちの中には、商工業の国際的発達を推進しつつ税金の平等徴収を課しているローマ帝国の体制に対する、過激な反攻運動を呼びかけて止まない者たちも多くなり、キリスト教教会内にまで入って来た一部のこのような信徒たちが、律法からの自由を説く使徒パウロの宣教活動を妨げ、各地でパウロを迫害させたのだと思います。しかし同じ頃エルサレムでも、ローマ帝国への反抗運動に批判的な衆議所議員たちが、次々と暗殺されています。
当時のこのような過激なユダヤ人若者たちの動きは、国際的視野に欠ける現代のタリバンや北朝鮮の人たちの過激な動きを連想させます。現代世界にも2千年前のエルサレム滅亡前のユダヤ人社会を思わせるような、様々な過激な動きがゆっくりと進行し広まりつつあるように思われます。商工業の発達に伴う豊かさや極度の多様化は続いていますが、人類世界崩壊の兆しはすでに見え始めているように思われます。世の終わりの予告に添えて主がお勧めになった注意事項を心に刻みつつ、私たちも神信仰に生きるよう心を堅めていましょう。
ローマに対する反乱によってエルサレムが紀元70年に滅亡しても、まだ世の終りにはならず、ローマ帝国の支配が一層強化されて、使徒たちもほとんど皆いなくなると、世の終りはまだまだ遠い将来のことではないのかという考えが広まり、それまでの生き方や信仰に対する疑問も生じて、教会内には使徒たちの教えとは違う見解や教えを広めようとする人たちも現れ始めたようです。本日の第二朗読は、1世紀末葉のそういう教会事情の中でしたためられた書簡からの引用ですが、そこではキリスト者の本質と、神の掟 (即ち「私が愛したように、互いに愛し合いなさい」という主から与えられた新しい掟) の遵守が強調されています。禅仏教は言わば人間側からの探究が中心になっている宗教で、禅僧たちはたゆまぬ努力によって自分の心の迷いや煩悩を克服し、悟りに到達しようとしますが、主イエスを神の子と信ずる私たちは、主の掟を守ること、聖霊の導きや働きに積極的に聞き従うことによって神の命に成長し、神の霊に生かされ導かれて、すなわち神の力によって、古い自分にも神を信じない世の流れにも打ち勝つのです。使徒ヨハネの説くこのような教えに従い、私たちも小さいながら神の霊によって教会共同体の一致を堅め、神中心に生きようとしていない世に打ち勝つ証しを立てるよう努めましょう。
本日の福音の始めにある「夕方」は、ルカ福音の記事を考え合わせますと、夜が更けてからのように思われます。主が復活なされたその日、エマオで早い夕食を食べようとした弟子二人が、急いでエルサレムに駆け戻ってからの出来事のようですから。本日の福音に二度述べられている「真ん中に立つ」という言葉には、深い意味が込められていると思います。それぞれ考えも性格も異なる人と人との間、そこに主キリストの座があり、相異なる人と人とを一致させ協働させる平和と愛の恵みも、その神の座から与えられるのではないでしょうか。主はその真ん中に立って、「あなた方に平和」と挨拶なされたのです。日本語の「人間」という言葉も、この聖書的観点から大切にして行きたいと思います。それは、各人の中に宿る主キリストに対する信仰と結びますと、キリスト教化して使うこともできる美しい言葉であると信じます。
ところで、他の弟子たちが主の最後のエルサレム行きを恐れ、躊躇し勝ちであった時、「私たちも行って、一緒に死のう」(ヨハネ11:16) と皆に呼びかけた忠誠心の堅いトマスが、なぜ他の弟子たちが目撃し実証している主イエスの復活を、すぐには信じることができなかったのでしょうか。戦後も長年日本の敗北を認めようとしなかった横井庄一軍曹や小野田寛郎少尉などのように、忠誠心の堅い人には180度の思想転換に長時間が必要だと思います。それで主も、忠誠心の堅い弟子トマスには、一週間の猶予期間を与えて下さったのではないでしょうか。その間、トマスの心はいろいろと思い悩んだでしょうが、その悩み抜いた心に主がお現れになった時、彼はその苦しみから解放されて、180度の転換をなすことができたのだと思います。主のこのような導き方は、人を改宗に導く時にも、心すべきことだと思います。
復活なされた主を目前に見て、トマスが叫んだ「私の主、私の神よ」という言葉も、注目に値します。そこには自分の心を深刻な悩みから解放して下さった主に対する感謝と感動の喜びも込められていると思います。後年、教会はこの感動に満ちた宣言をミサ聖祭の「栄光の讃歌」に採用し、「神なる主」という言葉で表現しています。私たちは使徒トマスのように復活の主を目撃してはいませんが、見なくてもその主の現存を堅く信じつつ、「栄光の讃歌」を歌う時あるいは唱える時には、悩みから解放された使徒トマスの喜びと感激の心を、合わせて想い起こすように致しましょう。

2012年4月8日日曜日

説教集B年:2009年復活の主日(三ケ日)


朗読聖書: . 使徒 10: 34a, 37~43.  Ⅱ. コロサイ3: 1~4.
 Ⅱ. ヨハネ福音 20: 1~9.
本日の第一朗読は、使徒ペトロがカイザリアにいたローマ軍の百人隊長コルネリオとその家族・親戚・友人たちの前で話した説教からの引用ですが、使徒言行録10章の始めにはこのコルネリオについて、「彼はイタリア隊と呼ばれる部隊の百人隊長で信心深く、家族一同とともに神を畏れ敬い、民に数々の施しをし、絶えず神に祈っていた」と述べられています。そしてある日の午後三時頃、彼は幻の中で神の天使が家に入って来て、「コルネリオ」と呼びかけるのをはっきりと見た。彼は天使を見つめていたが、怖くなって「主よ、何でしょうか」と尋ねた。すると天使は、「あなたの祈りと施しは神の御前に届き、覚えられています。今ヨッパに人を遣わして、ペトロと呼ばれるシモンを招きなさい。その人は海辺にある皮なめしのシモンの家に泊まっています」と言ったと、続けられています。
その使者たち三人がその翌日の昼ごろに、カイザリアから48キロ程離れたヨッパに近づいたら、皮なめしの家の屋上で昼の祈りを唱えていたペトロも、脱魂状態の内に天から四隅を吊るされた大きな布が降りて来て、その布の上に地上のあらゆる動物や鳥などが乗せられているのを見ました。そしてペトロにそれらの生き物をほふって食べるように命ずる、神の声を聞きました。ペトロが驚いて、「主よ、清くない物、汚れた物は何一つ食べません」と答えると、「神が清めたものを清くないなどと言ってはならない」という神の声がありました。こういうことが三度も繰り返された後に、我に返ったペトロが、今見た幻示はいったい何だろうと思案していると、コルネリウスから派遣された使者たちがシモンの家を探し当てて、ペトロと呼ばれるシモンという人がここに泊まっておられるかを尋ねました。その時神の霊がぺトロの中に働き、彼らが神から派遣された使者であることを告げ、ためらわずに彼らと一緒にカイザリアに行くよう勧めました。そこでペトロはそれが神の御旨であることを確信し、ヨッパにいる数人の男の信徒たちを連れて、その使者たちと一緒にカイザリアに行きました。信徒数人を連れて行ったのは、ユダヤ人の伝統的律法を順守していたエルサレムの信徒団から後で、カイザリアの異教徒たちの家に宿泊したことを律法違反として非難された時に、それが神からの特別の介入に従って行われたものであることを証言してもらうためでした。
こうしてカイザリアに行ったペトロがそこに数日間滞在して、百人隊長コルネリオとその家族・友人たちに洗礼を授け、聖霊を呼び下すためになした説教からの引用が、只今ここで読まれた本日の第一朗読であります。一昨日ここで朗読されたマルコ受難記の最後に、主イエスの受難死の一部始終を目撃していた百人隊長が、主の死後すぐに「まことにこの人は神の子であった」と言った、という話がありましたが、私はその人が、ペトロの説教を聞いて異教徒からの最初の受洗者となった百人隊長コルネリオではなかったか、と勝手に推察しています。というのは当時カイザリア港の傍に建つ宮殿に駐留していたローマ総督は、毎年の過越祭にガリラヤからも大勢のユダヤ人巡礼団がエルサレムに集まる機会を利用して、ローマに反抗する暴動が起こらないよう、過越祭前後一週間余りをカイザリアの「イタリア隊」と呼ばれていた部隊一千人ほどを伴ってエルサレム神殿の北隣に建つアントニア城に滞在していたからであります。ローマ兵たちの中には問題を起こすことの多かったユダヤ人たち、特にガリラヤ出身者たちを軽蔑し、憎んでいた者たちも少なくなかったようですが、それに対する反動もあってか、この百人隊長たちは前述したようにユダヤ人たちの神を畏れ、日々神に祈っていたようです。現代の私たちの周辺にも、マスコミに報道されなくても、また聖書に啓示されている真理は知らなくても私たちの信ずる神を畏れ、神に感謝の祈りを捧げている異教徒はたくさんいると思います。私たちキリスト者は、知識中心の信仰心を最優先することなく、そういう隠れている「無名のキリスト者」たちを大切にし、心を大きく広げて無数の異教徒・未信仰者の中での神の働きのためにも、神に感謝と讃美の祈りを献げる使命を担っていると思います。神に献げた祈りの実りは、私たちが味わわなくて結構です。教外者のその人たちが神の恵みを豊かに受けるよう、大きく開いた明るい心で神に感謝と讃美の祈りを献げましょう。
本日の第二朗読には、「あなた方は死んだのであって、あなた方の命はキリストと共に神の内に隠されているのです」という、使徒パウロの少し不可解な言葉があります。誤解しないよう気をつけましょう。ギリシャ語原文ではこの「命」という言葉は「ゾーエー」となっていて、刻々と過ぎ行くこの世の儚い命、ギリシャ語で「プシュケー」と言われる命ではなく、神の内に永遠に続くあの世の命を意味しています。復活の主キリストから分け与えられたこの命は、水の洗礼を受けた私たちだけにではなく、まだ聖書の教えを知らずにいる無数の敬虔な人たちにも、主キリストの功徳と神の広大の憐れみによって、神から分け与えられていると信じます。神からの信仰の真理に豊かに浴している私たちキリスト者は、そのいう人たちのためにも、主キリストの復活によってこの世にもたらされた計り知れない大きな恵みに感謝と讃美の祈りを献げ、希望に満ちた明るい信仰に生きるよう心がけましょう。地上の過ぎ去る物に心を囚われ、この世の儚い命の死を恐れてはいけません。使徒パウロが自分の体験に基づき、本日の第二朗読の中で教えているように、私たち修道者はこの世の過ぎ行くそういう外的事物や命に死んで、内的にはすでに永遠に続く主キリストの命に生きている身です。私たちの心の奥に宿る、もはや死ぬことのない復活の主キリストの、その献身的愛の命の実をこの世の人々に証ししつつ、感謝と喜びの内に生きるよう心がけましょう。

2012年4月7日土曜日

説教集B年:2009年聖土曜日(三ケ日)


朗読聖書: 第二部の「ことばの典礼」では旧約聖書から七つの朗読があるが、その記述は省き、「感謝の典礼」の朗読だけにする。
. ローマ 6: 3~11.   Ⅱ. マルコ福音 16: 1~8.
今宵の復活徹夜祭の典礼では、光と水が大きな意味を持っており、第一部の「光の祭儀」では、火の祝別・蝋燭の祝別に続いて、罪と死の闇を打ち払う復活したキリストの新しい命の光を象徴する、新しい大きな祝別された蝋燭の火を掲げ、「キリストの光」「神に感謝」と交互に三度歌いながら入堂し、その復活蝋燭から各人の持つ小さな蝋燭に次々と点された光が、聖堂内を次第に明るく照らして行きました。そして、キリストの復活により、罪と死の闇に打ち勝つ新しい命の光が全人類に与えられたことに感謝しつつ、大きな明るい希望の内に、神に向かって荘厳に「復活讃歌」を歌いました。
続く第二部の「ことばの典礼」では、最初の創世記からの朗読を別にしますと水が主題となっていて、旧約聖書の中から水によって救われ助けられた出来事や、水によって恵みを受けることなどが幾つも朗読され、その度ごとに神を讃え神に感謝する典礼聖歌が歌われたり、神に祈願文を捧げたりしました。この第二部に登場する水は、いずれも罪と死の汚れや苦しみから救い出す、洗礼の水の象徴だと思います。続いて朗読されたローマ書6章の中で、使徒パウロは「私たちは洗礼によってキリストと共に葬られ、その死にあずかる者となりました。それは、キリストが御父の栄光によって死者の中から復活させられたように、私たちも新しい命に生きるためなのです。云々」と、洗礼の秘跡の意味について教えています。復活徹夜祭の第三部は「洗礼と堅信」の儀式で、多くの教会では今宵も洗礼と堅信の秘跡を受ける人が少なくありません。すでに受洗している私たちも、皆で洗礼の約束を更新する儀式を致します。そこで、洗礼の秘跡について、また水という洗礼のシンボルについて、少しだけ考えてみましょう。
洗礼はただ今も申しましたように、キリストと共に死に、キリストと共に新しい命に生きる秘跡ですが、いったい何に死んで何に生きるのでしょうか。ローマ書6章によると、私たちの古いこの世の自分の命に死んで、キリストの新しい命、もはや死ぬことのないあの世の神の命に復活するのです。と申しましても、それは霊魂の奥底で進行する生命現象で、命そのものは目に見えませんから外的には何も分かりません。譬えてみれば、鶏の卵は受精していてもいなくても、外的には少しも違いません。しかし、受精卵は内に孕んでいる新しい命がだんだん成長して来ると、卵の外殻は同じであっても、何かが少し違って来るようで、それを識別する専門家には受精しているか否かが分かるそうです。同じように、キリストの新しい命を霊魂の奥に戴いて信仰に生きている人も、その新しい命がゆっくりと成長して来ると、内的現実の変化が外にもそれとなく現れるようになり、注意深く反省してみるならば、本人も次第に目に見えない自分の心の内的成長を自覚するようになるのではないでしょうか。このようにして年月をかけてゆっくりとですが、新しいキリストの精神、キリストの命に生きるために、この世に生まれた時から引きずっている罪の穢れや、自分中心の古いアダムの精神や命から内的に解放され抜け出ることを、パウロは「キリストと共に死ぬ」と表現しているのだと思います。それは肉体的な死ではなく、魂の中での内的変化なのです。
もちろん、洗礼は受けても、この世の古い命の外殻が残っている間は、まだ自己中心の古いアダムの命も残っていますから、「第二のアダム」キリストの新しい命 (神の命) は、その古い命と戦いながら成長しなければなりません。ですから、私たち既に受洗しているキリスト者たちも、毎年聖土曜日のミサ中に洗礼の約束を更新したりして、洗礼を受けた時の初心を新たにし、日常生活においても神の御前に信仰と愛のうちに生きるよう心がけています。しかし、こうして神から戴いたキリストの命を保持し続けていますと、やがてこの世の古い命の外殻が死によって壊れても、それによって解放された新しい永遠の命 (キリストの復活の命) に生き始めることができます。死は、この世の命に生きる者にとっては苦しみに満ちた終末ですが、霊魂がキリストの復活の命に生きている限りでは、神から約束された地への過越しであり、喜びの新世界への門出であります。今宵、神が世の初めから美しく整えて私たちを待っておられるその理想郷への憧れを新たにしながら、皆で洗礼の約束を力強く更新しましょう。「復活」という言葉はギリシャ語で「アナスタジア」と言いますが、それは勢いよく、力強く「立ち上がる」という意味合いの言葉です。今宵、私たちも主キリストと共に、古いアダムの命の中から勢いよく立ち上がって、神の命に生きる決意を新たに神にお献げしましょう。

2012年4月6日金曜日

説教集B年:2009年聖金曜日(三ケ日)


朗読聖書:
. イザヤ 52:13 ~ 53:12.
. ヘブライ 4:14~16, 5:7~9.
. ヨハネ福音 18: 1~19, 42.
毎年聖週間を迎える頃になると、懐かしく思い出すことがあります。それは、19世紀後半に北ドイツのミュンスター教区に属していたカタリナ・エンメリッヒという敬虔な視幻者が、主イエスと聖母マリアのご生涯について詳細に見せてもらった幻のことであります。この幻は、確かクレメンス・ブレンターノという詩人が、本人に細かく語ってもらいながら書き集め、その断片的物語を後で整理してかなり分厚い2冊のドイツ語本にまとめ、出版しています。当時のヨーロッパでは理知的な聖書学が盛んで、その学説や見解に真っ向から対立するこのような著作は厳しく批判され、相手にされなかったようですが、神言会の創立者がミュンスター教区の出身者であったためか、一部の神言会員の間ではこの著作は愛読されていたようです。支那事変の初期に召集されて中国に渡った東京本所教会信徒の坂井兵吉という医師が、現地で親しくなった神言会のドイツ人宣教師リタース神父からドイツ語のこの著書をもらい、そのうち主の受難死の部分を戦争中に邦訳し、『吾が主の御受難』と題して戦後に出版した本があります。
私はその訳書を神学生時代に読んだだけですが、そのさまざまな場面は今でも印象深く覚えています。福音書に書かれていない裏話のような話が多いので、ローマに留学していた時に、一緒に生活していたドイツ人の聖書学者にカタリナ・エンメリッヒの見た幻示に基づくその著書について質問してみましたら、今の聖書学の立場からは、その受難物語のどこにもはっきり誤りとして退けることのできる話は一つもないとのことでした。それで帰国後にその本を入手したいと思いましたが、絶版で入手できませんでした。しかし、私の読んだその本によると、主イエスは最後の晩餐の後には一睡もしておらず、ゲッセマネで悪霊に苦しめられただけではなく、ユダヤ人たちに捕らえられ、大祭司カイヤファの家に連行される途中でも、ケドロンの谷川に投げ落とされたりするなどの酷い虐待に苦しめられておられます。一晩中そのように虐待され続けた後に、ローマ兵によって激しく鞭打たれたり、茨の冠を被せられたりしたのですから、丈夫なお体の主がどんなに頑張っても、生木の重い十字架を担って刑場まで運ぶ途中で何度もお倒れになったのは、当然であったと思われます。カタリナ・エンメリッヒの見た幻示によると、三度ではなく七度も倒れておられます。そしてその度ごとに虐待されています。十字架に釘付けにされた後に、他の二人の盗賊たちよりも早く息を引き取られたのも、主のお受けになった虐待の酷さのためであると思われます。主は実際、私たちの想像を絶する恐ろしい苦しみを耐え忍びつつ、その御命を生贄として天の御父に献げ、人類の罪の赦しと人類救済の恵みを天から呼び下されたのではないでしょうか。同時にこの世の苦しみを聖化して、神による救いの恵みを私たちの魂に呼び下す器として下さったのではないでしょうか。そのために極度の苦しみを耐え忍ばれた主に対して、深い感謝の心を新たに致しましょう。そして私たちも、日々自分に与えられる苦しみを主と内的に一致して耐え忍び、神に献げることにより、世の人々の上に神から恵みを呼び下すように努めましょう。
苦しみそのものには少しも価値がない、などと言う人もいますが、苦しみを単に受けるだけ我慢するだけで、外的社会的には何も産み出さないものとしてこの世的・理知的に考えるなら、そうかも知れません。しかし、少なくとも神の御独り子がこの世に来臨して多くの苦しみを進んで耐え忍び、それにより人間救済の業を成就なさった後には、苦しみは、主イエスと内的に一致して生きようとする私たちキリスト者にとって人間救済の手段として祝別され、神の恵みの器としての高い価値を持つに至ったように思われます。苦しみは、固く凝り固まっている私たちの心の土を打ち砕いて掘り起こし、そこに神の恵みの種が深く根を張って、豊かに実を結ぶことができるようにしてくれるからです。病気、誤解、失敗、その他の突然の思わぬ苦しみを受けたような時、目前のその出来事だけに目を向けずに、救い主キリストにも信仰と感謝の眼を向けて、主と一致してその苦しみを受け止め、多くの人の救いのため、私たちの忍耐を快く神にお献げするよう努めましょう。その時、主ご自身が私たちの内に共に苦しんで下さり、その苦しみを浄化して、私たちの魂を一層強く豊かにして下さるのを実感するようになると思います。恐れずに、受けた苦しみを愛し、苦しみを耐えることによって主との一致を深めるように心がけましょう。

2012年4月5日木曜日

説教集B年:2009年聖木曜日(三ケ日)


朗読聖書:
. 出エジプト 12: 1~8, 11~14.
. コリント前 11: 23~26.
. ヨハネ福音 13: 1~15.
主の最後の晩餐の記念である今宵のミサ聖祭では、三つの奥義が特別に記念されます。それは、主が晩餐の前に弟子たちの足を洗われたことと、ご聖体の秘跡の制定と、「私の記念としてこれを行え」というお言葉による、聖体祭儀ならびに司祭職の制定であります。
出エジプトの記念行事である過越の食事を始めるにあたって、主はなぜ伝統的慣例に反して弟子たちの足を洗うという行為、奴隷たちの中でも一番下の奴隷がなしていた行為をなさったのでしょうか。出エジプトの歴史的出来事は、神の民イスラエルに対する神の全く特別な愛の行為、その民がそれまでに犯した一切の忘恩・不忠実の罪を赦し、神の愛の許に新しく自由独立の国民として発足させようとなさった、神の愛の働きでありました。神はシナイ山で、「私はあなたを奴隷の家エジプトから導き出した主なる神である。私の他に何者をも神としてはならない」とおっしゃって、改めて神の民イスラエルと愛の契約を結びましたが、主イエスは、出エジプトの時のこの救う神の愛、無償で全ての罪を赦し、新しく神の民として歩ませようとしておられた、神の奉仕的な愛を体現し、その愛に弟子たちを参与させるために、彼らを極みまで愛し、彼らの足を洗うことによって、その愛を目に見える形で具体的にお示しになったのだと思います。
旧約時代の神の民の歴史を吟味してみますと、民は人間的理性的に考えて、自分たちのこの世の生活に神がどうしても必要であると考えたから、神を信じるようになったのではありません。神が自分たちのためにどれ程大きなことを為して下さったか、また神が恩知らずの自分たちを赦し、深く愛して下さるのを数々の体験を介して、感謝のうちに弁え知るに至ったところから、彼らの神信仰が始まったのです。新約時代に神が私たちから切に求めておられる信仰も、同様だと思います。自分の夢、自分の憧れに駆られて一生懸命神に祈り、自力で強い神信仰に生きようと努力しても、それは人間が作り出した信仰であって、そこにどれ程大きな善意があっても、神が私たちから求めておられる信仰ではないと思います。聖ペトロをはじめ初期の弟子たちは皆、競ってそのような信仰の熱心に励んでいたようですが、度々主イエスからその信仰の弱さや不足面を指摘され、叱責されていました。そうではなく、自分の日々の生活や体験を介して、自分がどれ程神から赦され愛されているかを感謝の心で深く弁え知ること、ごく平凡な小さな出逢いや出来事などを通して与えられる神からの呼びかけに対する心のセンスを磨き、神への従順に生きること、そして我なしの僕・婢の謙虚な精神で神と人々への奉仕に努めること。ここに、太祖アブラハム以来のキリスト教的神信仰の基盤があると思います。
主イエスは、これまで少しでも他の人に先んじて手柄を立てようと、互いに競い合い勝ちであった使徒たちの心を、このキリスト教的神信仰の基盤・中核に目覚めさせるために、皆に仕える一番下の奴隷のようなお姿で弟子たち一人一人の足を洗われた後、彼らに、あなた方も互いに足を洗わなければならないとお命じになったのではないでしょうか。自分を人々や社会の上に置いて、全てを何か不動の法規や理屈で割り切って考えたり裁いたりする、ファリサイ派のパン種に警戒しましょう。主キリストの模範に従って生きようとする私たち新しい神の民にとって、最高のものは神とその働き、無償で全ての罪を赦して下さる神の愛とその実践であります。私たちが主イエスのその愛に参与し、それを日々体現する時に、神も私たちの中で、私たちを通して特別に働いて下さり、神による救いの恵みが私たちの間に豊かに溢れ、私たちを通して社会にも広がるのです。
ところで、主が弟子たちの足を洗われたのは、単に己を無にして下から仕えるという模範をお示しになっただけではありません。もしそれだけのことであったら、主がペトロに話された「私が洗わないなら、あなたは私と何の関わりもないことになる」、「既に体 (即ち足) を洗った者は全身清い」などのお言葉は、不可解になります。主が弟子たちの足を洗われたという行為には、もっと深い象徴的意味が隠されているのではないでしょうか。それは、主がその人の罪を全て受け取り、ご自身の受難死によって償おう、こうしてその人の霊魂の汚れをちょうど洗礼のようにして洗い流し、その人を神の所有物、神の子にするという、主の贖いの死の恵みに参与させようとすることも、意味していたと思われます。洗礼の時には頭に水が流れただけでも、その人の魂は神によって浄化され神の子とされますが、同様に主がその人の足を洗っただけでも、その人の魂の罪は救い主に引き取られ、清くされるのだと思われます。主は弟子たちにも、このようにして互いに相手の負い目を赦し、その罪を自分で背負って清めよう、己を犠牲にして相手に神の子の命を伝えようと奉仕し合うよう、お命じになったのではないでしょうか。主のお考えでは、人を赦す、人を愛するとは、このようにして赦し、愛することを意味していたのだと思われます。
私たちが、主のこの無償の献身的愛に参与して生きることができるように、主はご聖体の秘跡を制定し、そこにそれまでご自身が生きて来られた奉仕的、自己犠牲的な神の愛を込め、私たちの魂を養い力づけるための食物・飲み物となさいました。それは真に不思議な生きている食物・飲み物で、それを相応しい愛の心で拝領する人の中では、その魂と主との内的一致を深め、その心を守り助け力づけて下さいます。しかし、他人も社会も宗教も神も、すべてを自分の考えで利用しようとしている人間の中では、主のお体を汚すその不信の罪故に、その心を裏切り者ユダの心のように暗くし、自分の身に悪魔を招き入れることにもなり兼ねません。ですから、使徒パウロもコリント前書11: 21に警告しているように、拝領する前に自分の心をよく吟味し、自分中心の利己的精神に死んで、主の献身的愛の命に生かされて生きる決意を新たにしながら、拝領するよう心がけましょう。
こうして主キリストと一致する全てのキリスト者は、同時に主の普遍的司祭職にも参与し、主と一致して人々のため、また社会のために神にとりなし、神から恵みを呼び下すこともできるようになります。いや、そういう働きを為す使命を身に帯びるに至るのです。今宵、私たち一人一人が、主において参与しているこの普遍的司祭職の使命を改めて自覚し、司教・司祭たちの働きを下から支え助けて、主キリストの司祭職が現代においても多くの人に神による救いの恵みをもたらすことができるよう、特に祈りと苦しみを捧げて協力する決意を新たにしつつ、この聖なる感謝の祭儀を献げましょう。

2012年4月1日日曜日

説教集B年:2009年受難の主日(三ケ日)


朗読聖書: 入城の福音: マルコ 11: 1~10. . イザヤ 50: 4~7.
    Ⅱ. フィリピ 2: 6~11. . マルコ福音 15: 1~39.
主はその受難死の数日前に、まだ誰も乗ったことのない子ロバに乗って堂々とエルサレムに入城なさいました。そのことは、マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの四福音書に共通して述べられていますから、弟子たちはその出来事を主の受難死と合わせて記憶に留め、記念していたのだと思われます。それで教会も、主の受難死を記念する聖週間の典礼の始めに、いつも主のエルサレム入城を盛大に記念しています。主が受難死を遂げる直前の頃、エルサレムには、主を死刑にしようと決めていたユダヤ教指導者たちの声に反対できず、それに従っていた人たちが大勢いましたが、他方、過越祭を祝うため各地から参集したユダヤ人たちの中には、主をメシアとして信じている人たちも大勢いました。主のエルサレム入城の時には、この第二のグループの人たちが主の入城行進に参加する使徒たちやベタニア方面からの弟子たちの賛歌を耳にして、非常に大勢「黄金の門」と言われていた神殿の真東にある城門から出て来て、メシアを讃美し歓迎するその行列に参加したようです。ヨハネ福音書によると、それを見たファリサイ派の人々は互いに、「もう何もかも駄目だ。見ろ、世はこぞってあの人についてしまった」と言ったようです。
本日のミサの開祭の前に、そのエルサレム入城を記念した儀式の中で朗読されたマタイ福音書の最後には、「前を行く者も後に従う者も『ホサンナ。主の名によって来られる方に、祝福があるように。我らの父ダビデの来るべき国に、祝福があるように。いと高き所にホサンナ』と叫んだ」とありますが、この讃美の言葉は、その時メシア歓迎の行列に自由に参加した群衆が新たに作り出して讃美ではなく、彼らが毎年秋の仮庵祭の行列の時に枝を携えて歌え慣れていた詩篇118番からの言葉だと思います。私たちもこの聖堂で、日曜日に唱和する詩篇118番の25, 26節は、日本語で「神よ、救いを私たちに。神よ、幸せを私たちに。神の名によって集まる人たちに神の祝福。祝福は神の家からあなた方の上に」と翻訳されていますが、ユダヤ人たちの唱えていたヘブライ語の原文では少し意味が違っているようで、「救いを私たちに」の言葉はホサンナとなっており、ホサンナという叫びは、「救ってください」という意味も持つそうです。そして「神の名によって集まる人たちに神の祝福」とある詩編の言葉は、四福音書に共通して「主の名によって来られる方に祝福」という風に言い換えられています。これはメシアを目前にしての歓迎の喜びで感激していた人たちが敢えて言い換え、主メシアを讃美・祝福する言葉にしたのだと思われます。
本日の福音の場面は、メシア歓迎のその場面とは正反対で、主を死刑にしてもらおうとしていた祭司長たちや、長老・律法学者たちが主導権を取って、ユダヤ人群衆を扇動したり、ローマ総督ピラトの心を動かそうとしています。その人たちの話や罪状書きに、「ユダヤ人の王」という言葉が5回も登場していますが、その称号自体は正しいとしても、ピラトとローマ兵たちは政治的観点から、ユダヤ人たちは宗教的観点から、囚人の姿にされている主を王ではない、メシアではないと考えており、主のその称号を、皮肉を込めた軽蔑的意味で使っていたと思われます。そこには、数日前に主をメシアとして歓迎し讃美した敬虔な人たちの一部も、事の成り行きを見るため心配しながら出席していたと思われますが、折角捕縛することのできた主イエスを、是が非でも死刑にしてしまいたいと意気込んでいるユダヤ教代表者たちの険悪な雰囲気に圧倒されて、黙しているだけであったことでしょう。
神の子メシアの福音に謙虚に耳を傾けようとしない、そんな人々が大勢群がりいきり立っている前に、囚人のようにして連れ出された主が、裁判席に着いた総督ピラトから「お前がユダヤ人の王なのか」と尋問されても、相手は主の返答を正しく受け止める宗教心を持たず、また持とうともしていないのですから、主はあいまいな返事をし、それ以上には何もお答えになりませんでした。「それは、あなたが言っていることです」という言い方は、「その通りです」という肯定的意味の返事であることも、逆に否定的意味の返事である場合もあったようです。主は、わざとこのあいまいな言い方を利用なされたのだと思います。メシアは確かにユダヤ人の王ですが、ビラトがその言葉で考えるようなこの世の王ではなく、もっと遥かに偉大で超越しておられる神のようなあの世の王なのですから。主を処刑させようとして騒ぐその場のユダヤ人たちから何と言われても、それらの言葉を毅然として受け止め、少しもたじろがすに沈黙しておられる主の威厳に満ちたお姿も、主が偉大な王であられることを示していたと思われます。総督ピラトも少しはそのことを感じていたでしょうが、しかし、目前に騒ぎ立てているユダヤ教指導者たちや群衆の心をなだめることを優先し、結局彼らの要求通りに、主に十字架刑を言い渡してしまいました。
可哀そうな総督ピラトのために一言弁明するなら、経済的に発展していた当時のローマ帝国は、法の順守を強調し、何かの非合理的情念にかられて社会秩序を乱す者に対しては驚く程厳しく弾圧していましたから、ユダヤ教代表者たちがこぞって、ローマ法に基づいて話し合うことのできない、そのような非合理的宗教的な情念に駆られて、大勢の群衆と共に主イエスの死刑を要求する姿に呆れるとともに、もしここで彼らの要求を退けるなら、国を挙げての大暴動も起こりかねないと思ったのかも知れません。その場合、宗教心と結ばれたその暴動の鎮圧には、非常に多くの犠牲が伴うばかりでなく、ローマ皇帝から自分の対応が悪かったとされて、厳しく責任を問われることになるであろう。そんな事態を避けるには、彼らの要求通りに今囚人として連れて来られたこの一人の男に死んでもらうのが得策と考えたかも知れません。そこに、ピラトの大きな罪があると思います。もし落ち着いていたなら、彼には逃げ道がなかったわけではありません。ローマ法で裁くことのできないこういう裁判は、自分で裁こうとせずに、その男イエスを留置してローマ皇帝に送り、ローマで裁判してもらえば良かったと思います。しかし、神の御摂理は、イスカリオテのユダにも総督ピラトにも罪を犯させることによって、人類救済の業をこの時エルサレムで達成させてくださったのだと思います。
主が十字架上で死ぬ少し前に大声で叫ばれた、「わが神、わが神、なぜ私をお見捨てになったのですか」というお言葉は、絶望の叫びではありません。父なる神に希望をかけて、ひたすらに助けと救いを求める祈りの叫びだと思います。主が全人類の罪を背負って絶望的孤独に耐えておられたこと、そして絶望の淵に立たされている罪人たちの救いのためにも祈っておられたことを示す叫びでもあると思います。この言葉自体は詩篇22番の最初の言葉であり、この詩の後半には、私たちが度々『教会の祈り』の中で唱えているように、「神よ、私から遠く離れず、力強く急いで助けに来て下さい」、「神は弱り果てた人々を思いやり、顔をそむけることなく、その願いを聞き入れられた」、「遠く地の果てまで、すべての者が神に立ち帰り、諸国の民は神の前にひざをかがめる」などの言葉が多く続いていて、神の救いに対する希望と感謝と讃美に溢れています。主は、無数の罪人たちに対する神の救いの業を強く促し、神の助けを早めるために、大声でこのように叫び、息を引き取られたのではないでしょうか。
するとその時、エルサレム神殿の垂れ幕が上から下まで真っ二つに裂けたと、共観福音書は三つとも一致して伝えています。これはそれまでの古い神殿礼拝の時代が終わり、主がかつてサマリアの女に話された「霊と真理のうちに」捧げる新しい普遍的礼拝の時代が始まったことを示しているのだと思います。主の受難死の一部始終を間近で目撃していたローマ軍の百人隊長は、主のご死去直後に、「まことに、この人は神の子であった」と、おそらく深い感動の心で話したようですが、この時から世界各国の異教徒も続々と主イエスを神の子として信奉し、至る所で神を礼拝する新しい時代が始まった、と言うことができます。人類救済のためになされた主の祈りと受難死に感謝しながら、本日の集会祈願にもありますように、私たちも主と共に苦しみに耐えることによって、復活の喜びを共にすることができるよう、神の導きと恵みを願い求めましょう。
ご存じのように、本日「枝の主日」は、カトリック教会で「世界青年の日」とされています。3年前からアルゼンチン北東部のミシオネス州で司牧宣教に活躍している、静岡県出身の神言会員暮林神父が数週間の休みをもらって帰国したので、南米の教会について一時間半ほど講演してもらいましたら、その中でこの「世界青年の日」についても話があり、若い意欲的精神が盛んな中南米の教会ではこの日がかなり重視されているようで、若い信徒たちは数日の準備期間まで設けて自主的積極的にこの日をお祝いしているようです。その熱心に比べると、豊かな先進国の若い信徒たちの信仰精神には、若々しい盛り上がりや力強さが欠けているように見受けられます。本日のミサ聖祭の中で、現代世界の若者たちが神の導きと助けにより、人類社会の内的向上のため実り豊かな生き方を営むことができるよう、全世界の教会と心を合わせて、神の祝福を願い求めたいと思います。どうぞ、ご一緒にお祈り下さい。