2012年4月1日日曜日

説教集B年:2009年受難の主日(三ケ日)


朗読聖書: 入城の福音: マルコ 11: 1~10. . イザヤ 50: 4~7.
    Ⅱ. フィリピ 2: 6~11. . マルコ福音 15: 1~39.
主はその受難死の数日前に、まだ誰も乗ったことのない子ロバに乗って堂々とエルサレムに入城なさいました。そのことは、マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの四福音書に共通して述べられていますから、弟子たちはその出来事を主の受難死と合わせて記憶に留め、記念していたのだと思われます。それで教会も、主の受難死を記念する聖週間の典礼の始めに、いつも主のエルサレム入城を盛大に記念しています。主が受難死を遂げる直前の頃、エルサレムには、主を死刑にしようと決めていたユダヤ教指導者たちの声に反対できず、それに従っていた人たちが大勢いましたが、他方、過越祭を祝うため各地から参集したユダヤ人たちの中には、主をメシアとして信じている人たちも大勢いました。主のエルサレム入城の時には、この第二のグループの人たちが主の入城行進に参加する使徒たちやベタニア方面からの弟子たちの賛歌を耳にして、非常に大勢「黄金の門」と言われていた神殿の真東にある城門から出て来て、メシアを讃美し歓迎するその行列に参加したようです。ヨハネ福音書によると、それを見たファリサイ派の人々は互いに、「もう何もかも駄目だ。見ろ、世はこぞってあの人についてしまった」と言ったようです。
本日のミサの開祭の前に、そのエルサレム入城を記念した儀式の中で朗読されたマタイ福音書の最後には、「前を行く者も後に従う者も『ホサンナ。主の名によって来られる方に、祝福があるように。我らの父ダビデの来るべき国に、祝福があるように。いと高き所にホサンナ』と叫んだ」とありますが、この讃美の言葉は、その時メシア歓迎の行列に自由に参加した群衆が新たに作り出して讃美ではなく、彼らが毎年秋の仮庵祭の行列の時に枝を携えて歌え慣れていた詩篇118番からの言葉だと思います。私たちもこの聖堂で、日曜日に唱和する詩篇118番の25, 26節は、日本語で「神よ、救いを私たちに。神よ、幸せを私たちに。神の名によって集まる人たちに神の祝福。祝福は神の家からあなた方の上に」と翻訳されていますが、ユダヤ人たちの唱えていたヘブライ語の原文では少し意味が違っているようで、「救いを私たちに」の言葉はホサンナとなっており、ホサンナという叫びは、「救ってください」という意味も持つそうです。そして「神の名によって集まる人たちに神の祝福」とある詩編の言葉は、四福音書に共通して「主の名によって来られる方に祝福」という風に言い換えられています。これはメシアを目前にしての歓迎の喜びで感激していた人たちが敢えて言い換え、主メシアを讃美・祝福する言葉にしたのだと思われます。
本日の福音の場面は、メシア歓迎のその場面とは正反対で、主を死刑にしてもらおうとしていた祭司長たちや、長老・律法学者たちが主導権を取って、ユダヤ人群衆を扇動したり、ローマ総督ピラトの心を動かそうとしています。その人たちの話や罪状書きに、「ユダヤ人の王」という言葉が5回も登場していますが、その称号自体は正しいとしても、ピラトとローマ兵たちは政治的観点から、ユダヤ人たちは宗教的観点から、囚人の姿にされている主を王ではない、メシアではないと考えており、主のその称号を、皮肉を込めた軽蔑的意味で使っていたと思われます。そこには、数日前に主をメシアとして歓迎し讃美した敬虔な人たちの一部も、事の成り行きを見るため心配しながら出席していたと思われますが、折角捕縛することのできた主イエスを、是が非でも死刑にしてしまいたいと意気込んでいるユダヤ教代表者たちの険悪な雰囲気に圧倒されて、黙しているだけであったことでしょう。
神の子メシアの福音に謙虚に耳を傾けようとしない、そんな人々が大勢群がりいきり立っている前に、囚人のようにして連れ出された主が、裁判席に着いた総督ピラトから「お前がユダヤ人の王なのか」と尋問されても、相手は主の返答を正しく受け止める宗教心を持たず、また持とうともしていないのですから、主はあいまいな返事をし、それ以上には何もお答えになりませんでした。「それは、あなたが言っていることです」という言い方は、「その通りです」という肯定的意味の返事であることも、逆に否定的意味の返事である場合もあったようです。主は、わざとこのあいまいな言い方を利用なされたのだと思います。メシアは確かにユダヤ人の王ですが、ビラトがその言葉で考えるようなこの世の王ではなく、もっと遥かに偉大で超越しておられる神のようなあの世の王なのですから。主を処刑させようとして騒ぐその場のユダヤ人たちから何と言われても、それらの言葉を毅然として受け止め、少しもたじろがすに沈黙しておられる主の威厳に満ちたお姿も、主が偉大な王であられることを示していたと思われます。総督ピラトも少しはそのことを感じていたでしょうが、しかし、目前に騒ぎ立てているユダヤ教指導者たちや群衆の心をなだめることを優先し、結局彼らの要求通りに、主に十字架刑を言い渡してしまいました。
可哀そうな総督ピラトのために一言弁明するなら、経済的に発展していた当時のローマ帝国は、法の順守を強調し、何かの非合理的情念にかられて社会秩序を乱す者に対しては驚く程厳しく弾圧していましたから、ユダヤ教代表者たちがこぞって、ローマ法に基づいて話し合うことのできない、そのような非合理的宗教的な情念に駆られて、大勢の群衆と共に主イエスの死刑を要求する姿に呆れるとともに、もしここで彼らの要求を退けるなら、国を挙げての大暴動も起こりかねないと思ったのかも知れません。その場合、宗教心と結ばれたその暴動の鎮圧には、非常に多くの犠牲が伴うばかりでなく、ローマ皇帝から自分の対応が悪かったとされて、厳しく責任を問われることになるであろう。そんな事態を避けるには、彼らの要求通りに今囚人として連れて来られたこの一人の男に死んでもらうのが得策と考えたかも知れません。そこに、ピラトの大きな罪があると思います。もし落ち着いていたなら、彼には逃げ道がなかったわけではありません。ローマ法で裁くことのできないこういう裁判は、自分で裁こうとせずに、その男イエスを留置してローマ皇帝に送り、ローマで裁判してもらえば良かったと思います。しかし、神の御摂理は、イスカリオテのユダにも総督ピラトにも罪を犯させることによって、人類救済の業をこの時エルサレムで達成させてくださったのだと思います。
主が十字架上で死ぬ少し前に大声で叫ばれた、「わが神、わが神、なぜ私をお見捨てになったのですか」というお言葉は、絶望の叫びではありません。父なる神に希望をかけて、ひたすらに助けと救いを求める祈りの叫びだと思います。主が全人類の罪を背負って絶望的孤独に耐えておられたこと、そして絶望の淵に立たされている罪人たちの救いのためにも祈っておられたことを示す叫びでもあると思います。この言葉自体は詩篇22番の最初の言葉であり、この詩の後半には、私たちが度々『教会の祈り』の中で唱えているように、「神よ、私から遠く離れず、力強く急いで助けに来て下さい」、「神は弱り果てた人々を思いやり、顔をそむけることなく、その願いを聞き入れられた」、「遠く地の果てまで、すべての者が神に立ち帰り、諸国の民は神の前にひざをかがめる」などの言葉が多く続いていて、神の救いに対する希望と感謝と讃美に溢れています。主は、無数の罪人たちに対する神の救いの業を強く促し、神の助けを早めるために、大声でこのように叫び、息を引き取られたのではないでしょうか。
するとその時、エルサレム神殿の垂れ幕が上から下まで真っ二つに裂けたと、共観福音書は三つとも一致して伝えています。これはそれまでの古い神殿礼拝の時代が終わり、主がかつてサマリアの女に話された「霊と真理のうちに」捧げる新しい普遍的礼拝の時代が始まったことを示しているのだと思います。主の受難死の一部始終を間近で目撃していたローマ軍の百人隊長は、主のご死去直後に、「まことに、この人は神の子であった」と、おそらく深い感動の心で話したようですが、この時から世界各国の異教徒も続々と主イエスを神の子として信奉し、至る所で神を礼拝する新しい時代が始まった、と言うことができます。人類救済のためになされた主の祈りと受難死に感謝しながら、本日の集会祈願にもありますように、私たちも主と共に苦しみに耐えることによって、復活の喜びを共にすることができるよう、神の導きと恵みを願い求めましょう。
ご存じのように、本日「枝の主日」は、カトリック教会で「世界青年の日」とされています。3年前からアルゼンチン北東部のミシオネス州で司牧宣教に活躍している、静岡県出身の神言会員暮林神父が数週間の休みをもらって帰国したので、南米の教会について一時間半ほど講演してもらいましたら、その中でこの「世界青年の日」についても話があり、若い意欲的精神が盛んな中南米の教会ではこの日がかなり重視されているようで、若い信徒たちは数日の準備期間まで設けて自主的積極的にこの日をお祝いしているようです。その熱心に比べると、豊かな先進国の若い信徒たちの信仰精神には、若々しい盛り上がりや力強さが欠けているように見受けられます。本日のミサ聖祭の中で、現代世界の若者たちが神の導きと助けにより、人類社会の内的向上のため実り豊かな生き方を営むことができるよう、全世界の教会と心を合わせて、神の祝福を願い求めたいと思います。どうぞ、ご一緒にお祈り下さい。