2012年2月26日日曜日

説教集B年:2009年四旬節第1主日(三ケ日)


朗読聖書: . 創世記 9: 8~15. . ペトロ後 3: 18~22.
. マルコ福音 1: 12~15.
本日のミサの三つの朗読についても、3年前にかなり詳しい説教をなし、その話は私の説教集B年に収録されていますので、重複しないため、ここではその時話さなかったことを、話すに留めたいと思います。
第一朗読に述べられているノアとその息子たちは、大洪水が終わって地の面がすっかり乾いてから、「皆一緒に箱船から出なさい」という神のお言葉に従って地上に立ち、全ての動物たちをも箱船から出した後にまず為したことは、主のために祭壇を築き、焼き尽くすいけにえを捧げて神を礼拝することでした。すると神は、ノアとその息子たちを祝福して、「産めよ、増えよ、地に満ちよ。云々」とかなり長い祝福の言葉を話されました。その中に「動いている命あるものは、全てあなたたちの食糧とするが良い。私はこれら全てのものを、青草と同じようにあなたたちに与える」というお言葉もありますから、祝福の始めに言われた「産めよ、増えよ、地に満ちよ」という神のお言葉は、人間たちだけではなく、動物たちに対しても神から与えられた祝福と命令であると思います。神が最後にもう一度、「あなたたちは産めよ、増えよ、地に群がり、地に増えよ」とおっしゃった後に、すぐ続いてあるのが、本日の第一朗読に読まれる契約についてのお言葉であります。
神はノアとその息子たちに、まず「私は、あなたたちと後に続く子孫とに契約を立てる」と人間に対する契約について話されましたが、すぐ続いて、「あなたたちと共にいる全ての生き物」「箱船から出た全てのもののみならず、地の全ての獣と契約を立てる」とおっしゃって、二度と洪水によって地の全てのものを滅ぼすことは決してない、と約束しておられます。聖書に読まれるこれらの御言葉から考えますと、神は人間だけではなく、全ての被造物をも深く愛し祝福しておられると思われます。ローマ書8章には、「被造物は神の子らが現れるのを、切なる思いで待ち焦がれているのです。被造物は虚しさに服従させられていますが、」「やがて腐敗への隷属から自由にされて、神の子らの栄光の自由にあずかるのです」などという言葉が読まれますが、私は聖書に読まれるこれらの言葉から、今は私たち人間と同様に罪に穢れたこの苦しみの世にあって、共に苦しんでいるこの世の全ての被造物は、世の終わりに主キリストが栄光の内に再臨し全ての人が復活する時に、神によって神の子のその栄光に参与するのではないか、と考えています。
したがって、今私たちがこの目で見ているこの物質的宇宙世界は、世の終わりの時に崩壊して無に帰してしまうのではなく、その崩壊という一種の死を介して、もはや死ぬことのない全く新しい輝く宇宙世界に生まれ変わり、そこにこの地上で生を享け、主キリストの命に参与して永遠に死ぬことのない体に復活する全ての人間が、神の子らとして永遠に仕合わせに生活し、活躍するのではないでしょうか。ノアとその息子たちに神が神からの一方的約束である契約の話をなさった時、神はこの罪の世が終わった後のその新しい本来の世界を、念頭に置いておられたのかも知れません。マタイ19章では主キリストも弟子たちに、「新しい世界が生まれ人の子が栄光の座に就く時、私に付いて来たあなたたちも12の座に就き、云々」と話しておられます。神からのこの契約、この約束の徴である、天と地を結ぶ虹を仰ぎ見る時、私たちも主の再臨によって復活する世界に対する、信仰と希望を新たに致しましょう。神がアブラハムとその子孫に対して結ばれた契約、すなわち特定の民族に対して結ばれた契約の徴は割礼でしたが、神はここでは「私とあなたたち、並びに全ての生き物との間に立てた契約」の徴として「雲の中に私の虹を置く」、「雲の中に虹が現れると、私はその契約を心に留める」と話しておられるのです。私たちも虹を見る時、神のこのお言葉を思い出し、神に感謝をささげましょう。
本日の第二朗読では使徒ペトロが、受難死を遂げ霊において生きる者とされた主キリストが、ノアの時の大洪水によって滅ぼされ、死後囚われの身とされている霊魂たちの所に行って宣教なさった、と述べています。私たちが日曜・祝日毎に唱えている使徒信条にもキリストについて、「陰府に降り」という言葉がありますが、使徒たちは主が陰府にお降りになった目的を、宣教のためと考えていたのかも知れません。としますと、ノアとその家族の8人だけは水の中を通って救われましたが、この水で前もって表されている水の洗礼をこの世で外的に受けなかった非常に多くの霊魂たちも、一切の時間的制約を超えて霊的にキリストの宣教と功徳の恵みに浴して救われるのだ、と使徒たちは考えていたのかも知れません。主もルカ13章に、非常に多くの「人々が東から西から、北から南から来て、神の国で宴会につくであろう」と話しておられます。私たちも水の洗礼という外的形に囚われずに、主キリストご自身による霊的な宣教と霊的な洗礼というものもあることを信じつつ、大きく開いた心で、全ての異教徒や全ての人たちの救いのため、希望をもってミサ聖祭や祈りを捧げるよう心がけましょう。「洗礼は、神に正しい良心を願い求めることです」という使徒ペトロの言葉も、注目に値します。ペトロはこの言葉を書いた時、霊的な洗礼を受ける人たちのことも考えていたと思われます。
本日の短い福音の前半には、主が40日間荒れ野に留まり、「サタンから誘惑を受けられた」と述べられています。しかし同時に、「その間野獣と一緒におられ、天使たちが仕えていた」とも述べられています。いずれ神の国で仲良く幸せに暮らすことになる野獣たちを恐れず敵視せずに、明るく開いた心で天使たちの働きに支えられ助けられて生きるのが、この世で受ける試練に耐え抜く道なのではないでしょうか。自分の力だけで悪霊の攻撃に抵抗するのではなく、大きく開いた心であの世の天使たちの援助を呼び込みつつ、内的に全被造物と共に生きるよう心がけましょう。
福音の後半には、「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」という主の御言葉が読まれます。主の宣教の根本を端的に言い表している御言葉だと思います。神の国の命と力、救いと喜びは、主と共に既に人々の目前に来ているのです。ここで言われている「悔い改め」は、自分の考えや力で自分の生き方を変えること、改革することではありません。もっと深い、もっと根本的な心の変革を意味しています。すなわち理知的な自分の考えや自分の聖書解釈によってではなく、霊的な神の導き、神の働きに心を開き、神の御旨中心に神の力に頼って生きようとすること、これまでの人間中心・自分中心の生き方に死んで、神中心の神の子としての生き方を始めることを意味しています。その御模範を、神の御子キリストは生きて見せておられるのです。その福音を頭だけで受け止め解釈しようとすることなく、何よりも意志的な心で受け止め、日々の実践を介して体得するように努めましょう。それが、主の求めておられる「悔い改め」だと思います。四旬節にあたり、その悔い改めの決心を新たにして、主にお献げ致しましょう。

2012年2月19日日曜日

説教集B年:2009年間第7主日(三ケ日)


朗読聖書: . イザヤ 43: 18~19, 21~22, 24b~25.
. コリント後 1: 18~22. . マルコ福音 2: 1~12.
本日の第一朗読である第二イザヤ書は、旧約聖書の中でも最も福音的な喜びと慰めのメッセージが多く読まれる預言書ですが、その第二イザヤ書の本日の朗読箇所、並びに本日の第二朗読であるコリント後書の朗読箇所、そして本日の福音については、3年前にかなり詳しく話し、その時の説教は私の説教集B年に収録されていますので、重複しないため、本日はその時話さなかったことについてだけ補足的に話すことに致したいと思います。
第一朗読には、「初めからのことを思い出すな。昔のことを思い出すな。見よ、新しいことを私は行う」という、神の御言葉が読まれます。私たち人間の理性は自分の経験に基づいて合理的に考えるよう造られており、その理性にだけ頼って自分の損得や人間関係などを考える生活を続けていますと、いつの間にかその理性が作り上げた固定化した原則や基準だけを中心にして何事も判断するようになり、物事の外的現象や様相だけを見て楽観したり悲観したり、喜んだり落胆したりし勝ちになります。それらは皆ごく自然な人間的反応ですから、そのこと自体は悪くないのですが、しかし、第二イザヤたちが体験していたバビロン捕囚という、現代の難民のような生活状態を余儀なくされたり、今日の世界的不況のしわ寄せを受けて失業したりしますと、人間理性中心のそんな生き方だけに留まっていては、ストレスが蓄積して健康を害する人が続出すると思います。前述した神の御言葉は、何よりもそういう不安な状況で生活して人たちへの、神からの呼びかけであると思います。経済不況を抱えて悩む現代人にとっても、関係深い呼びかけであると思います。
先日のテレビで、従来医学的に原因不明とされて来た「非特定要因による腰痛」が、心の奥に隠れているストレスの蓄積によって生じていることが、最近の医学で明らかになったと、実例を挙げて説明されていました。腰痛に悩むまじめで几帳面で頑張り屋の人が、ペットを飼育したり、何かの趣味に没頭したりしたら、次第に隠れていたそのストレスが解消したようで、数週間後にその腰痛が消えたというような例であります。何事にも理想が高くて、目標が達成できないと落胆したり悲観的になったりし勝ちな性格の人が、自分の心のその悲観的受け止め方を意図的に変えてみたら、腰痛がなくなった、という例もありました。これまでの固定化している自分の受け止め方や生き方を変えること、そこに種々の困難に直面している現代人の仕合わせへの道があるのではないでしょうか。
前述した神の御言葉は私たちに、これまでの自分中心・この世の生活中心の心の受け止め方や生き方を変えて、神の御旨中心の受け止め方や生き方へと転換するよう、呼びかけている御言葉と考えることもできます。神はその少し後で、「私はこの民を私のために造った。彼らは私の栄誉を語らねばならない。しかしヤコブよ、あなたは私を呼び求めず」「あなたの罪のために私を苦しめ、あなたの悪のために私に重荷を負わせた」などと話しておられるからです。神は最後に、「あなたの背きの罪をぬぐい、あなたの罪を思い出さないことにする」と、民との和解を提起しておられるのですから、そのお言葉に信頼して自分の希望や計画などは捨て、ひたすら神の御旨、神の御言葉に従って生きようと努めてみましょう。その時、「見よ、私は新しいことを行う」という、前述した神の御言葉が、私たちの内に現実になるのを見ることでしょう。
ここで「新しいこと」とあるのは、この第一朗読のすぐ前に、「海の中に道を通し、恐るべき水の中に通路を開かれた方、戦車や馬、強大な軍隊を共に引き出し、彼らを倒して再び立つことを許さず、灯心のように消え去らせた方、主は言われる」とありますから、エジプト脱出の時の神のお働きに匹敵するような、神による全く新しい救いの御業を意味している、と受け止めてもよいでしょう。神は様々の不安や危険に悩まされている現代の私たちにも、同様に呼び掛けておられるのではないでしょうか。神からの呼びかけに徹底的に聴き従う決意を新たにし、それを実践的に表明するよう努めてみましょう。その時、神による救いが実際に私たちの間でも働き出し、実現して行くのを体験することでしょう。
本日の短い第二朗読の中で使徒パウロは、「然り」という言葉を4回も書いています。そこに1回だけ述べられている「アーメン」という言葉は、「確かに」「本当に」「そうあって欲しい」などという同意を表すヘブライ語ですが、ここでは「然り」と同じ意味で使われていると思います。神の御子キリストは、父なる神よりのお言葉にはいつも「然り」と答えて、そのお言葉に積極的に従おうとしておられたので、神の約束はことごとく主キリストにおいて実現し、私たちも主を通してもたらされた救いの恵みに浴しているのではないでしょうか。私たちも神の御言葉に従って生きる決意を新たにし、感謝の心で主キリストの「然り」一辺倒の精神で生きるならば、使徒パウロのように絶えざる困難危険の中に置かれても、日々神による導きと救いを生き生きと体験し、心の奥にストレスを溜めることなく、逞しく生活することができるでしょう。
先週月曜日の朝、私は天竜浜名湖線の尾奈の駅で5分間ほど列車の来るのを待つ間に、ドン・ボスコ社の『カトリック生活』3月号を鞄から取り出して読み始めましたら、中国の地下教会についての記事にすっかり心を奪われ、列車が到着し、出発してしまったのに気づかず、ふと時計を見た時は列車はもう遠くに離れていました。それで次に列車が来るまで、時々冷たい北風の吹きこむその無人駅で1時間、その3月号を読みながら待たされました。このような失敗はこれまでにも数回体験していますが、私はその度毎にすぐその失敗を喜んで神に捧げ、それによって今苦しんでいる人や、神の導き・助けを必要としている人々に恵みが与えられるよう祈ることにしていますので、その失敗が心の奥に隠れたストレスとなって蓄積されることはないようです。
察するに、使徒パウロも主イエスも、自分の身に到来する幸運も不運も、いつもその背後に天の御父の愛の御摂理を仰ぎ見て、その喜びや苦しみを喜んで神にお献げしておられたのではないでしょうか。私は、このような生き方が神に対する「然り」の生き方だと思い、その御模範に見習うよう心掛けています。それが、心に隠れたストレスを蓄積することのない、霊的貧者の健康な生き方だと思います。使徒パウロは、不慮の苦しみによって自分がさいなまれ悩めば悩む程、神の福音は諸地方でますます広まり、多くの人に恵みをもたらすことを体験していたようですが、聖ヨハネ・ボスコも、何かの新しい企画や運動が外部からの大きな反対によって妨げられたり、手痛い失策などを経験したりすると、その妨げや失敗を神の御業に反対する悪魔よりのものと見なし、その企画を達成し実現するのが神の御旨である徴しと考えることが多かったようです。私も小さいながら、時々似たような体験をしています。前述した尾奈駅での失敗の3日後にも、京都の同志社大学の知人教授から葉書が届き、同志社処蔵のキリシタン踏絵2点を鑑定して欲しいと依頼されましたので、先方の都合を伺った上で京都に行くのが、今の私に対する神の御旨である、と考えるに至りました。思うに、その教授は、私があの失敗の小さな苦しみを神に喜んで捧げた後に、その葉書を書いたのだと思います。
本日の福音には、四人の男が主イエスのおられる辺りの屋根をはがして穴を開け、中風の人の床をつり下ろした出来事が語られています。邦訳では「中風の人」となっていますが、原文のギリシャ語では「不随の人」という幅広い意味の言葉だそうですので、中風とは違う別の病気で歩けなくなっている身障者かも知れません。しかし、他人の家の屋根をはがして穴を開けてまで、その病人を強引に家の中で話をしておられた主の御前につり下ろすのは、人間社会の倫理上では、言語道断の無礼な行為だと思います。しかし、この世の人間社会の合理的倫理よりも、各人の心の神信仰を重視しておられた主は、その人たちの一途な信仰を喜ばれたようで、その病人に「子よ、あなたの罪は赦される」とおっしゃって、その場にいた数人の律法学者たちを混迷させました。しかし、主は「なぜそんな考えを抱くのか。云々」と彼らを批判した後に、「人の子が地上で罪を赦す権威を持っていることを知らせよう」とおっしゃって、その人を癒されました。いつも人間理性を中心にして考え行動することを退け、万事を神からの呼びかけとして受け止めておられた主の、御言葉でもあると思います。私たちも、私たちの平凡な日常茶飯事にいつも伴っておられ、時として思わぬ行為をお求めになる神のお導きに直ちに従うよう、常日頃心がけていましょう。それが、「パウロ年」に当たって、教会が私たちに勧めている生き方でもあると思います。今週から始まる四旬節には、何事にも、まず神からの呼びかけに心の眼を向ける生き方を、身につけるよう心がけましょう。

2012年2月12日日曜日

説教集B年:2009年間第6主日(三ケ日)

朗読聖書: . 創世記 3: 16~19. . コリント前 10: 31~ 11: 1.

. マルコ福音 1: 40~45.

創世記からの引用である本日の第一朗読と、マルコによる本日の福音については、3年前にかなり長い話を致しました。それで今回は、今年が「パウロ年」であることも考え、コリント前書からの引用である本日の短い第二朗読を中心にし、使徒パウロの生き方や実践的勧告についてご一緒に考えてみたいと思います。この第二朗読は、異教の偶像に供えられた食物を食べてよいか、という問題についてのパウロの一連の話の後半部分から引用しています。

その話の始めに、パウロはまず、「全てのことが許されています。しかし、全てのことが益になるわけではありません。云々」と述べています。同じ言葉は、洗礼を受けた私たちの体は主のためにある主のものであって、主のお体の一部、聖霊が宿って下さる神殿であることを説いた第6章にも述べられていますから、それらも参照しますと、主キリストとの交わりを損なう偶像礼拝は断固拒否しなければなりませんが、主と内的に結ばれ、主の霊に生かされて生きている者には全てのことが許されていて、主の導きを知らない人たちが自分の頭で作り上げた何かの規則や理知的見解からも解放されている、という意味だと思います。したがって、これは私の解釈ですが、たとい一度異教の偶像に供えられた食べ物を主に従う心のままで食べても、その食事自体から心に害を受けることはありません。しかし、そういう行為がまだ主の霊に生かされていない弱い人たちの心に躓きを与え、有害になることもあるので、隣人愛の観点から十分配慮を行き届からせて慎むように、というのが使徒の警告だと思われます。

前半の始めにあるそのような言葉を受けて、パウロは本日の第二朗読で、「あなた方は食べるにしろ飲むにしろ、何をするにも全て神の栄光を現すためにしなさい。ユダヤ人にも、ギリシャ人にも、神の教会にも、あなた方は人を惑わす原因にならないようにしなさい」と勧めているのだと思います。日々主の霊に生かされ、聖霊の生きる神殿として生活する者は、何をするにも全て「神の栄光を現す」ことを念頭に置いて為すべきだというのが、使徒が生きてみせている模範であり教えであると思います。律法中心の古い伝統的生き方を堅持しているユダヤ人にも、異教文化の中で生まれ育ったギリシャ人にも、なるべく誤解や躓きを与えたり、彼らの心を惑わしたりしないようにという配慮、また「神の教会」、すなわちキリスト教の信徒団にも躓きや惑いを起こさせない配慮にも、心がけるよう勧めています。

そして本日の第二朗読の後半にパウロは、自分の心構えにも言及しています。「私も人々を救うために、自分の益ではなく多くの人の益を求めて、全ての点で全ての人を喜ばそうとしているのです」、「私がキリストに倣う者であるように、あなた方もこの私に倣う者となりなさい」という言葉は、パウロが日頃から自分の損得などは無視して、一人でも多くの人を救うために、その人たちの利益を何よりも優先する生き方、全ての点で全ての人を喜ばせよう、神の内に新しい生き甲斐を見出させようと努めていたことを、また主キリストの生き方に見習う自分のその生活態度を、日々人々に実証していたことを示していると思います。私たちも小さいながら、そのような我なしの奉仕的愛の証しを、日々実践的に世の人々に示すよう心がけましょう。たとい人々からその努力がほとんど理解されないとしても、心配いりません。私たちはそのような奉仕と祈りの実践で、その人たちの上に神の祝福を豊かに呼び下すと思います。使徒パウロも、この世の人たちからどれ程理解されなくても、ひたすら天の神と主キリストとに心の眼を向けながら献身的愛の証しをこの世に刻み、それによって神から多くの祝福を、世の人々の上に呼び下していたのだと思います。

2012年2月5日日曜日

説教集B年:2009年間第5主日(三ケ日)

朗読聖書: . ヨブ 7: 1~4, 6~7. . コリント前 9: 16~19, 22~23.

. マルコ福音 1: 29~39.

本日の第一朗読であるヨブ記と本日の福音については、3年前の説教にいろいろと詳しく話しましたので、重複しないため、ここでは第二朗読である使徒パウロのコリントの教会への書簡についてだけ、ご一緒に考えてみたいと思います。ご存じのように、昨年の628日から今年の629日まで、カトリック教会では使徒パウロの生誕2千年を記念する「パウロ年」とされていて、パウロの信仰の熱心や信仰精神に学ぶことが勧められていますから。

第二朗読の出典であるコリント前書は、16章に達するかなり長い書簡ですが、その内容は大きく分けて、6章までのコリント教会の内部分裂や信仰生活の乱れ、信仰内容や信仰精神の未熟さなどを扱っている第一部と、7章以降の第二部とに分けられます。この第二部でパウロは、コリント教会側の質問に答えるような形で、結婚と独身問題、パウロの使徒としての権利、信徒と他宗教との関係、典礼集会と聖体祭儀の仕方、神の霊の種々の賜物と愛、キリストの復活と私たち人間の復活体などについて、詳細に論じています。

コリントはアテネと同じくらい古いギリシャ人の町で、ギリシャ南部のペロポネソス半島の狭くなっている付け根にあり、そこには東からも西からも地中海が細長く迫って来ていて、陸地がわずか数キロに狭まっている所に建っていたので、西側の主要港の他に、もう一つ東の方へ行く船のためケンクレアイという港も持っていました。使徒言行録18章には、使徒パウロが第二回伝道旅行の終りごろに、このケンクレアイで髪の毛を剃り落したことが述べられています。おそらくそのころ神に何かの願をかけていたのでしょう。どちらの港も嵐の時の船舶の停泊地であり、コリントには東西地中海世界の産物が多く持ち込まれたので、町はギリシャの商工業の中心地として繁栄していました。しかし、古代ローマが強大になると、紀元前146年に西地中海最大の商業都市カルタゴと共に、地中海中部の豊かな港町コリントも、ローマ軍によって徹底的に破壊されてしまいました。その百年ほど後に、ユリウス・カエサルによって、カルタゴと同様コリントも復興されましたが、そこに住む人たちはもう昔のギリシャ人ではなく、ローマ市民権を持つ人たちや、地中海諸国から新しい仕事を求めて参集した商工業者・労働者たちでした。現代の多くの国際都市の住民たちと同様に、当時のコリントの市民の間では、新しい知識や情報を積極的に受け入れようとする精神と共に、それらを自分中心に理知的に理解し利用しようとする精神も強かったと思われます。使徒パウロはこの国際都市に1年半ほど滞在して多くの人に洗礼を授けましたが、その人たちが自己中心の理知的な精神でキリスト教信仰を誤解しているのを憂いて、このコリント前書を認めたのだと思われます。

本日の朗読箇所の中で、パウロは自分が無報酬でなしている宣教活動について弁明しています。「自分からそうしているなら、報酬を得るでしょう。云々」の言葉は、ちょっと理解し難いでしょうが、パウロは自分から福音宣教という使徒職を志望し、その使徒職の報酬で生活しているのではない、そうではなく、天の御父からこの世に派遣された神の御子キリストが、人類救済のため己を無にして天の御父の御旨のままに働き、宣教し、最後にその御命をお献げになったように、自分はその主キリストから派遣されてキリストの奴隷となり、キリストの精神で福音を宣べ伝えているのだ、と言いたいのだと思います。それは、全ての人を救うための献身的奉仕活動、羊たちの救いのためには自分の命をも捧げて惜しまない、全く奉仕的な活動なのです。

ですからパウロはここで、「無報酬」という言葉を強調し、普通でしたら教える教師がその弟子から、恵みを伝える人がそれを受ける人から、当然何らかの報酬を受ける権利を持っていますが、パウロはその権利を敢えて用いず、自分でテント造りなどの仕事もしながら生計を立て、ローマ市民権も持つ立派な自由人でありながら、全ての人の奴隷のようになって弱い人にも強い人にも奉仕しつつ、何とかして一人でも多くの人を救うためにどんなことでもしているのだ、と述べています。それは、何事にも自分のこの世の生活のため、自分の損得を中心に合理的に考え判断し勝ちであった当時のコリントの信徒たちに、神による救いや祝福を人々の心に呼び下す主キリストの生き方を、自分の実践を通して示すための言葉であったと思われます。最後にパウロが、「それは、私が福音と共にあずかる者となるためです」と述べていることは、人間中心の理知的効率主義的な生き方から脱皮して、神の御旨への従順や奉仕の愛を中心としたキリストの精神を体得しなければ、どれ程福音を学んでもその祝福には参与できないことを、教えている言葉でもあると思います。

使徒パウロのこれらの言葉は、豊かさ・便利さの中で何事もとかく今の自分のためを中心に考え勝ちな現代人にとっても、大切だと思います。名古屋の神言神学院での私の古い経験を振り返ってみますと、戦争中の小学校・中学校で個人主義を排斥して国のため社会のために奉仕する精神を称揚する、いわば我なしの軍国主義教育を受けた私は、戦後間もなくカトリックに改宗して修道司祭への道を歩み始めると、自分が以前に受けた心の教育が主キリストと共に歩むことの基盤となり、一層実り豊かな生き方に完成されて行くように覚え、修道院生活に大きな喜びを感じていました。ところが、各人の自由や個性を何よりも大切にするような戦後教育を受けた人たちが次々と神言神学院に入ってくると、私は自分の判断や見解を引っ込めなければならないことが多くなり、大勢の神学生たちの中で無口になり、少し淋しく感ずることが多くなりました。

神言神学院にいたドイツ人の司祭たちは、「我なしの主キリストの精神」を説きながらも、若い人たちの新しい精神にはつとめて温かい理解を示していたようですが、しかし、私が黙々と堅持していた古い心の立場から年月かけて観察していますと、優れた能力に恵まれているのに、自分が神から受けた召命の道に留まれずに、神学院を去る神学生たちがあまりにも多いように思われました。神に公然と清貧・貞潔・従順の修道誓願を宣立していても、誓願式はその人たちには一種の通過儀礼に過ぎないようで、日頃の個人生活においては外的規則に背かないよう心がけつつも、清貧や従順の修道精神を日々実践的に鍛えようとはしていないように見受けられました。ある意味では、カトリック教会や修道会を利用して自分独自の幸せな司祭生活を築こうと自力で模索しているのではなかろうか、と思われたこともありました。後になってみますと、そのような一部の神学生たちは司祭に叙階されても、やがて遅かれ早かれ神からの試練を受けると次々と世間に戻ってしまいました。私はそういう神学生たちの生き方や挫折に学び、司祭に叙階される前の終世誓願を宣立する時、優れたドイツ人聴罪司祭フラッテン神父の了解を得て、神に自分の人生を徹底的に献げる個人誓願を立て、その誓願文を今でも毎朝唱えています。そして神の御旨中心に生きようと努めるこの個人誓願のお蔭で、これまでの半世紀、本当にたくさんのお恵みを神から頂戴しているように実感しています。使徒聖パウロも、同様に神の豊かな恵みを実感しつつ生活していたのではないでしょうか。「パウロ年」に当たって、その生き方に新たに学ぶよう心がけましょう。