2015年4月26日日曜日

説教集B2012年:2012年復活節第4主日(三ケ日)

第1朗読 使徒言行録 4章8~12節
第2朗読 ヨハネの手紙一 3章1~2節

福音朗読 ヨハネによる福音書 10章11~18節

   本日の第一朗読は、生来足の不自由な人を癒して民衆の注目を浴び、ソロモンの回廊で、人々に悔い改めて神に立ち帰るよう呼びかける説教をしていたペトロとヨハネが、神殿の守衛長たちに捕らえられて朝まで拘留され、翌日大法院に引き出されて、「お前たちは何の権威によって、あのようなことをしたのか」と尋問された時のペトロの話です。ガリラヤの無学な漁夫でしかなかった二人は、人間的にはこの世の権力やユダヤ教指導者たちの社会的権威に対抗できるものは何も持っていません。しかし、主キリストの弟子として召され、3年間主に伴っていて見聞した体験から得た大きな強い確信に生かされていました。それは、十字架刑によって殺されたナザレのイエスが真のメシアで、もはや死ぬことのない霊の命に神によって復活し、今も自分たちの内にあって、人類の救いのために働いておられるという確信であります。ですからペトロは、聖霊に満たされて恐れずにそのことを公言し、「他の誰によっても救いは得られません」と断言しました。この世の権力や社会的権威はなくても、その言葉にはあの世の神の権威が籠っていたと思われます。彼らによって癒された人もその側に立っていたので、議員たちは皆驚き、「返す言葉もなかった」と記されています。

   人間達の理知的な話し合いだけではもうどうしようもない程心と心の対立が深まり、世界の政治・経済が危機的状況に陥りつつある現代世界においても、2千年前のユダヤ教大法院のように伝統的価値観の遵守に拘ることなく、何よりも神の新しい働きや導きに積極的に従う精神を優先するならば、私たちはこの終末的現象の多発する今の世にあっても、神の愛深い導きと助けを実感しつつ、明るい希望と信頼の内に逞しく生き抜く事が出来るのではないでしょうか。想定外の巨大な東日本大震災から既に一年余を経ても、各種マスコミからの流される情報や多様の見解から察すると、この悲惨な出来事の背後に神の働き、天の働きを見ている人があまりにも少ないように思われます。私は古い伝統を受け継ぎ大切にしている人間で、日本人としてもカトリック者としても、こういう大きな出来事の背後にはいつも神からの天罰や警告を感じ取っています。私のこの立場から申しますと、現代の日本人はカトリック者は含めて、まだまだ奥底の心の目覚めが真に不完全であるように思われて成りません。

   京都生まれの明治学院大学名誉教授阿満利麿氏が、先日「良寛の地震体験に思う」という題で新聞に執筆していている一文を読みました。182811月に今の新潟県三条市を中心とするM.6.9という巨大地震を体験し、無数の農民たちの惨状を見聞きした70歳の良寛和尚は、「災難にあう時節には災難にあうがよく候。死ぬ時節には死ぬがよく候。これはこれ災難を逃るる妙法にて候」の一節を、知人の酒造家に宛てた手紙に書いていますが、この文章は屡々自然のままに随うのがよい、という意味で受け止められ、良寛の悟りの心境を表わす言葉と思われて来ました。それはそれで正しいのですが、しかし、その時の良寛の心境はそれだけではなかったようです。同じ頃に書かれたもう少し詳しい「地震後詩」と題する漢詩から察すると、良寛は、災害や死と向き合って、日常の我が無力となる中で、本来の自己の在り方を求める宗教的で積極的な生き方に目覚めるように勧めていると思われるからです。

   阿満氏の紹介している良寛和尚のこの漢詩に学んで、私たち現代の日本人は、天からの警告、神の声なき声にもっと真剣に心の耳を傾け、何よりもこの世的豊かさや便利さだけを追い求めて来たような現代文明の流れに毅然として対峙し、もっと自然界の環境や水資源・食料資源などを大切にする清貧な生き方へと、各人の日常生活を積極的に変革すべきなのではないすでしょうか。さもないと神は近い将来に、目覚めの足りない無数の人々の心を目覚めさせるため、もっと恐ろしい大災害を再びこの日本にお遣わしになることでしょう。早く目覚めて天の声に避け得る災害でしょうが、目覚める人があまりにも少ないために招来する警告の大災害だと思います。200年前頃の禅僧良寛は、幕藩体制に護られて安悦をむさぼっていた当時の金持ちや僧侶たちに対しては、厳しい批判を繰り返しています。彼が子供と手まりを楽しむ乞食僧の生活を始めたのは、この世の富を追い求めずに、純朴な子供心で天の声に聞き従おうとする生き方を、当時の庶民の間に広めるためだったのではないでしょうか。現代の私たちも一切の無駄遣いを止めて、日々あの世の神に心の眼を向けながら、節水・節電など、各種の節約の小さな心がけを神にお献げするなら、神も警告の災害を遅らせ、この世の人々の悔い改めの動きを、静かに慈しみのまなざしで見直して下さるまではないでしょうか。 

   ご存じのように良い羊飼いについての主の話が読まれる復活節第四主日は、カトリック教会において「世界召命祈願の日」とされていて、毎年全世界の教会は、司祭や修道者として神に仕える人が多くなるよう神に祈りを捧げています。14カ月程前の2010年末のヴァチカンの統計によりますと、全世界のカトリック信徒数は12億人に近い数値を示していますが、司祭数は50年前の第二ヴァチカン公会議直前頃の42万人余よりも少ない41万人余りでしかなく、50年前には信徒数が今の半分もいなかったことを思うとまだまだ足りなくて、昔に比べるとミサなどの秘跡に参加する便宜を失っている信徒たちが、国によりまた地方によって非常に多くなっています。女子修道会の会員数は50年前に比べますと半数程に激減しており、高齢化の進行もあって今なお大きく減少し続けています。アジア・アフリカの諸国では若い修道者たちが多少増えつつありますが、修道者は教会にとって貴重な存在ですので、若い修道者の増加のためにも、「取り入れの主」であられる神に召命の恵みを祈り求めましょう。以前私たちは毎月の第一月曜日に、司祭・修道者の召命のため特別にミサ聖祭を献げて祈っていましたが、この頃は晩の祈りに司祭・修道者の召命のための祈りを加えています。それでよいと思いますが、本日のミサ聖祭もその召命のために献げますので、全世界の教会と心を合わせ、相応しい心の司祭・修道者の増加のため、神に恵みと助けを願い求めましょう。本日の第一朗読に登場した使徒ペトロのように、日々主と共に生きることによって培われる確信と聖霊に満たされて、生き、働き、語る司祭・修道者が一人でも多くなるよう、神の特別の導きと助けを祈り求めたいと思います。

2015年4月19日日曜日

説教集B2012年:2012年復活節第3主日(三ケ日)

第1朗読 使徒言行録 3章13~15、17~19節
第2朗読 ヨハネの手紙一 2章1~5a節

福音朗読 ルカによる福音書 24章35~48節

   本日の第一朗読は、使徒聖ペトロが神殿の美しい門の所で生来歩けなかった男を奇跡的に癒したことに驚いた民衆に話した説教ですが、彼はその中で、メシアを殺害したユダヤ人の罪を糾弾した後に、神がその殺されたメシアを死者の中から復活させたと宣言し、「私たちは、このことの証人です」と述べています。度々復活の主に出会った目撃体験と、旧約聖書の言葉に基づいての力強い証言であると思います。ペトロがその結びで、「ところで兄弟たちよ、あなた方があんなことをしてしまったのは、指導者たちと同様に無知のためであったことは、私には分かっています。云々」と、大きな罪を犯してしまったユダヤ人の無知と弱さに、温かい理解を示していることも、注目に値します。罪を厳しく糾弾したのは、無知から犯してしまった罪をしっかりと自覚させ、一人でも多くのユダヤ人たちに、神からのその罪の赦しを受けさせるためであったと思います。自分たちの心が無知と弱さから犯した罪によって穢れていても、恥じる必要はありません。謙虚にそれを認めて神の憐れみを願い求めるなら、罪の穢れは、神の憐れみと大きな恵みとを私たちの上に呼び下す貴重な手段となるのですから。私たち人間の犯した罪には、神の御前にそういう大切なプラス面もあるのです。罪の多さや大きさだけに眼を向けて、悲観的にならないよう気を付けましょう。

   私たち現代人の心の中にも、無知と弱さから犯してしまった罪の穢れが宿っていて、私たちを事ある毎に内面から悩まし、憂鬱にして、神の恵みと明るい希望の内に生活するのを妨げているかも知れません。「罪」と聞くと、人はよく何かの社会的規則や修道会などの会規に違反した言動を考え勝ちですが、聖書が問題にしているのはそのような外的規則違反ではなく、何よりも神の愛の御心・御旨に従おうとしない、私たちの奥底の心の態度や心構えのようです。それは心の奥に深く隠れているので、全てを合理的に考える人には理解できない一つの神秘だと思います。私が神学生時代に聞いた話では、実際ある聖人は「罪の神秘」という言葉も使っているそうです。家族や社会の結束が根本から弱まり崩壊しつつある現代の大きな過渡期、自由主義思潮の横行で心の教育・鍛錬も善悪判断も軽視され歪められつつある現代の能力主義時代には、悪霊たちは外的出来事で人々を苦しめ悩ますよりも、むしろ各個人の心の奥に住みついて家庭や社会の絆を内側から弱め、各人を内的にも外的にも孤立させて個人の無力や失望を痛感させ、いじめ苦しめようとしているようにも思われます。

   戦後の自由主義教育を受けて育った最近の日本人の中には、福者マザー・テレサらの実践的模範に学んで奥底の心が目覚めたのでしょうか、震災や交通事故や就職難などによる劣悪な苦しい生活環境にあっても、隣人や貧しい人たちへの奉仕に新たな喜びや生き甲斐を見出している人が、各地で増えつつあるようですが、しかしその反面、生きている意味が分からない、遊んでも楽しくない、社会の将来にも希望を持てない、酒や薬物の依存症には勝てない、こんな苦しい状態がいつまでも続くのなら、いっそ思い切って贅沢な暮しをし、今の社会の深刻なマイナス面を何かの事件によって明るみに出し、国にも社会にも訴えて死んで行こう、などという捨て鉢の考えを抱いて苦しんでいる人たちも、まだ少なからず今の社会に隠れているようです。14年前から日本で自死する人が毎年3万人以上いるのも、このような希望のない行き詰まり感覚や虚しさ感覚と関係があることでしょう。現代の悪霊たちもそのような人々の心を悩まし、絶望へと追い込もうとしているかも知れません。主キリストによる復活信仰の希望や喜びを神から戴いている私たちは、そういう人たちの心に神による救いの恵みが与えられるよう、もっと真剣に祈る使命を持つと思います。罪の穢れがどれ程であっても構いません。その人たちが心を神に開き神の憐れみに頼るなら、神は全ての罪を取り除き、どんな悪人をも救うことがお出来になります。その人たちが、今の世の流れや行き詰まりにだけ心の眼を向けずに、自分の周辺に迫るその苦しみを介してその心を反転させ、全能の神の方に心の眼を向けて神の憐れみを願い求めるように、そして神による救いの道を見出すに至るように、神の恵みを祈り求めましょう。

   メシアの受難死は、数百年前から預言者たちによって予告されていた神の御旨でした。神のご計画では、メシアは人々の罪によって殺されても復活し、一層大きな自由の内に世の終りまで人類と共に留まり続け、悔い改めて信じる人を救うために派遣されたのです。ですから、たといメシア殺しの罪を犯してしまっても失望することなく、悔い改めて復活なされた主メシアの御許に立ち帰り、主の新しい命に生かされて神の御旨中心に従順に生きようと努めるなら、全ての罪は赦され、その人の内に神の愛が実現するようになります。使徒ヨハネが本日の第二朗読の中で「たとえ罪を犯しても、御父のもとに弁護者、正しい方イエス・キリストがおられます。この方こそ、私たちの罪、いや私たちの罪ばかりでなく、全世界の罪を償ういけにえです。云々」と説いているのは、罪人を訪ね求めて一人でも多く改心させ、その罪を全て赦して神の愛の内に生きる新しい存在にしてあげようと、全てを捧げて真剣に努めておられる主の無限の愛を、熟知しているからだと思います。その愛に依り頼んで、私たちも一人でも多くの人を主の御許に導くよう努めましょう。

   復活の主キリストも本日の福音の中で弟子たちに、「次のように書いてある。『メシアは苦しみを受け、三日目に死者の中から復活する。また罪の赦しを得させる悔い改めが、その名によってあらゆる国の人々に宣べ伝えられる』と。エルサレムから始めて、あなた方はこれらのことの証人となる」と話しておられます。私たち人類の犯した罪がどれ程大きなものであろうとも、失望せずに一心に神により頼み、この世中心・人間中心のこれまでの生き方を捨てて、神の御旨に対する従順の生き方への「悔い改め」に努めるなら、その時主キリストの御功徳によって全ての罪が赦され、心の奥底に神からの新たな恵みが溢れるほどに注ぎ入れられて、人間は神の導きと力に支えられて明るい希望の内に生き始めるのです。それは、内的に自分に死んで神に生きる「死と生の恵み」ですが、主キリストはこの大きな恵みと希望を人類にもたらすために、受難死を遂げ復活なされたのです。今落胆と混迷のどん底に苦悩している現代人が、一人でも多く復活の主のこの恵みに浴することができるよう、本日のミサ聖祭の中で祈りましょう。

2015年4月12日日曜日

説教集B2012年:2012年復活節第2主日(三ケ日)

第1朗読 使徒言行録 4章32~35節
第2朗読 ヨハネの手紙一 5章1~6節
福音朗読 ヨハネによる福音書 20章19~31節

   本日の第一朗読は、聖霊降臨によって生れた教会共同体の美しい一致の姿を伝えていますが、主がエルサレム滅亡の予言と並べて、世の終りと主の栄光の再臨についても予言なされたので、当時は使徒たちをはじめ一番最初のユダヤ人信徒団は、エルサレムの滅亡も世の終わりも近い将来に迫っていると考えていたようです。主が受難死を遂げられた後頃から多くのユダヤ人たちが、使徒たちの大胆な説教に耳を傾けて、祭司長たちの指導に素直に従わなくなり、豊かさと極度の多様化の中でユダヤ社会は内面から次第に崩壊の兆しを見せ始めたからかも知れません。それで、キプロス島出身のバルナバら、十分の土地財産を所有する信徒の資産家たちは、程なく世の終りが来るのならこの世の財産は全て失われるのだからと考え、それらを売っては代金を使徒たちの所に持ち寄り、信徒団は皆、神の慈しみの内に心を一つにして助け合い励まし合って生活するようになったのだと思います。しかし、この状態はいつまでも続いたのではありません。

   皆が始めに予想していた終末がなかなか到来せず、初めに持ち寄ったものが底を付き始め、貧しさを目前にするようになると、やはり人それぞれに、自分の蓄えや生き残り策を考えるようにもなったものと思われます。エルサレムでキリストの教会が誕生して20数年後に、使徒パウロがギリシャ系改宗者たちの諸教会から集めた寄付金をエルサレム教会に持参していることから察すると、紀元50年代には既にエルサレム教会が貧しさを痛感し始めていたのではなかと推察されます。他方ユダヤ人社会の崩壊や分裂の兆しも年々深刻化していたので、ファリサイ派の律法厳守教育を受けた若者たちの中には、商工業の国際的発達を推進しつつ税金の平等徴収を課しているローマ帝国の体制に対する、過激な反攻運動を呼びかけて止まない者たちも多くなり、キリスト者の教会内にまで入って来た一部のこのようなユダヤ人信徒たちが、律法からの自由を説く使徒パウロの宣教活動を妨げ、各地でパウロを迫害させたのだと思います。しかし同じ頃エルサレムでも、ローマ帝国への反抗運動に批判的な衆議所議員たちが、次々と暗殺されています。

   当時のこのような過激なユダヤ人若者たちの動きは、国際的視野に欠ける現代のタリバンたちアラブ系の人たちの過激な動きを連想させます。現代世界にも2千年前のエルサレム滅亡前のユダヤ人社会を思わせるような、様々な過激な動きがゆっくりと進行し広まりつつあると考えてもよいのではないでしょうか。商工業の発達に伴う豊かさや極度の多様化は続いていますが、人類世界崩壊の兆しはすでに見え始めているように思われます。世の終わりの予告に添えて主がお勧めになった注意事項を心に刻みつつ、私たちも忍耐強く神信仰に留まり続け、使徒たちから伝えられた伝統に忠実に生き抜くよう心を堅めていましょう。

   ローマに対する反乱によってエルサレムが紀元70年に滅亡しても、まだ世の終りにはならず、ローマ帝国の支配が一層強化されて、使徒たちも殆ど皆いなくなると、世の終りはまだまだ遠い将来のことではないのかという考えが広まり、それまでの生き方や信仰に対する疑問も生じて、教会内には使徒たちの教えとは違う見解や教えを広めようとする人たちも現れ始めたようです。本日の第二朗読は、1世紀末葉のそういう教会事情の中でしたためられた書簡からの引用ですが、そこではキリスト者の本質と、神の掟 (即ち「私が愛したように、互いに愛し合いなさい」という主から与えられた新しい掟) の遵守が強調されています。禅仏教は言わば人間側からの探究が中心になっている宗教で、禅僧たちはたゆまぬ努力によって自分の心の迷いや煩悩を克服し、悟りに到達しようとしますが、主イエスを神の子と信ずる私たちは、主の掟を守ること、聖霊の導きや働きに積極的に聞き従うことによって神の命に成長し、神の霊に生かされ導かれて、すなわちあの世の神の力によって、この世の古い自分にも神を信じない世の流れにも打ち勝つのです。使徒ヨハネの説くこのような他力的な教えに従い、私たちも小さいながら神の霊に従うことによって教会共同体の一致を堅め、神中心に生きようとしていない、この世の生き方に打ち勝つ証しを立てるよう努めましょう。

   本日の福音の始めにある「夕方」は、ルカ福音の記事を考え合わせますと、夜が更けてからのように思われます。主が復活なされたその日、エマオで早い夕食を食べようとした弟子二人が、急いでエルサレムに駆け戻ってからの出来事のようですから。本日の福音に二度述べられている「真ん中に立つ」という言葉には、深い意味が込められていると思います。それぞれ考えも性格も異なる人と人との間、そこに主キリストの座、言わば「人間」という座があり、相異なる人と人とを一致させ協働させる平和と愛の恵みも、その神の座から与えられるのではないでしょうか。主はその真ん中に立って、「あなた方に平和」と挨拶なされたのです。日本語の「人間」という言葉も、この聖書的観点から大切にして行きたいと思います。それは、各人の中に宿る主キリストに対する信仰と結びつけますと、キリスト教化して使うことのできる美しい言葉であると信じます。

   ところで、他の弟子たちが主の最後のエルサレム行きを恐れ、躊躇し勝ちであった時、「私たちも行って、一緒に死のう」(ヨハネ11:16) と皆に呼びかけた忠誠心の堅いトマスが、なぜ他の弟子たちが目撃し実証している主イエスの復活を、すぐには信じることができなかったのでしょうか。戦後長年日本の敗北を認めようとしなかった横井庄一軍曹や小野田寛郎少尉などのように、忠誠心の堅い人には180度の思想転換に長時間が必要だと思います。それで主も、忠誠心の堅い弟子トマスには、一週間の猶予期間を与えて下さったのではないでしょうか。その間、トマスの心はいろいろと思い悩んだでしょうが、その悩み抜いた心に主がお現れになった時、彼はその苦しみから解放されて、180度の転換をなすことができたのだと思います。主のこのような導き方は、人を改宗に導く時にも、心すべきことだと思います。

   復活なされた主を目前に見て、トマスが叫んだ「私の主、私の神よ」という言葉も、注目に値します。そこには自分の心を深刻な悩みから解放して下さった主に対する感謝と感動の喜びも込められていると思います。後年、教会はこの感動に満ちた宣言をミサ聖祭の「栄光の讃歌」に採用し、「神なる主」という言葉で表現しています。私たちは使徒トマスのように復活の主を目撃してはいませんが、見なくてもその主の現存を堅く信じつつ、「栄光の讃歌」を歌う時あるいは唱える時には、悩みから解放された使徒トマスの喜びと感激の心を、合わせて想い起こすように致しましょう。


2015年4月5日日曜日

説教集B2012年:2012年復活の主日(三ケ日)

第1朗読 使徒言行録 10章34a、37~43節
第2朗読 コロサイの信徒への手紙 3章1~4節
福音朗読 ヨハネによる福音書 20章1節~9節

   本日の第一朗読は、使徒ペトロがカイザリアにいたローマ軍の百人隊長コルネリオとその家族・親戚・友人たちの前で話した説教からの引用ですが、使徒言行録10章の始めにはこのコルネリオについて、「彼はイタリア隊と呼ばれる部隊の百人隊長で信心深く、家族一同とともに神を畏れ敬い、民に数々の施しをし、絶えず神に祈っていた」と述べられています。ある日の午後三時頃、彼は幻の中で神の天使が家に入って来て、「コルネリオ」と呼びかけるのをはっきりと見た、と述べられています。彼は天使を見つめていたが、怖くなって「主よ、何でしょうか」と尋ねました。すると天使は、「あなたの祈りと施しは神の御前に届き、覚えられています。今ヨッパに人を遣わして、ペトロと呼ばれるシモンを招きなさい。その人は海辺にある皮なめしのシモンの家に泊まっています」と言いました。

   その百人隊長から派遣された使者たち三人が翌日の昼ごろに、カイザリアから48キロ程離れたヨッパに近づいたら、皮なめしの家の屋上で昼の祈りを唱えていたペトロも、脱魂状態の内に天から四隅を吊るされた大きな布が降りて来て、その布の上に地上のあらゆる動物や鳥などが乗せられているのを見ました。そしてペトロにそれらの生き物をほふって食べるように命ずる、神の声を聞きました。ペトロが驚いて、「主よ、清くない物、汚れた物は何一つ食べません」と答えると、「神が清めたものを清くないなどと言ってはならない」という神の声がありました。こういうことが三度も繰り返された後に、我に返ったペトロが、今見た幻示はいったい何だろうと思案していると、コルネリウスから派遣された使者たちがシモンの家を探し当てて、ペトロと呼ばれるシモンという人がここに泊まっておられるかを尋ねました。その時神の霊がぺトロの中に働き、彼らが神から派遣された使者であることを告げ、ためらわずに彼らと一緒にカイザリアに行くよう勧めました。そこでペトロはそれが神の御旨であることを確信し、ヨッパにいる数人の男の信徒たちを連れて、その使者たちと一緒にカイザリアに行きました。信徒数人を連れて行ったのは、ユダヤ人の伝統的律法を順守していたエルサレムの信徒団から後で、カイザリアの異教徒たちの家に宿泊したことを律法違反として非難された時に、それが神からの特別の介入に従って行われたものであることを証言してもらうためでした。

   こうしてカイザリアに行ったペトロがそこに数日間滞在して、百人隊長コルネリオとその家族・友人たちに洗礼を授け、聖霊を呼び下すためになした説教からの引用が、只今ここで読まれた本日の第一朗読であります。マルコ受難記の最後には、主イエスの受難死の一部始終を目撃していた百人隊長が、主の死後すぐに「まことにこの人は神の子であった」と言った、という話がありますが、私はその人が、ペトロの説教を聞いて異教徒からの最初の受洗者となった百人隊長コルネリオではなかったか、と推察しています。というのは当時カイザリア港の傍に建つ宮殿に駐留していたローマ総督は、毎年の過越祭に大勢のユダヤ人巡礼団がエルサレムに集まる機会を利用して、ローマに反抗する暴動が起こらないよう、過越祭前後一週間余りをカイザリアの「イタリア隊」と呼ばれていた部隊一千人ほどを伴ってエルサレム神殿の北隣に建つアントニア城に滞在していたからであります。ローマ兵たちの中には、問題を起こすことの多かったガリラヤ出身のユダヤ人たちを軽蔑し、憎んでいた者たちも少なくなかったようですが、それに対する反動もあってか、この百人隊長たちは前述したようにユダヤ人たちの神を畏れ、日々神に祈っていたようです。現代の私たちの周辺にも、聖書に啓示されている真理は知らなくても、私たちの信ずる神を畏れ、神に感謝の祈りを捧げている異教徒はたくさんいると思います。私たちキリスト者は、知識中心の信仰心を最優先することなく、そういう隠れている「無名のキリスト者たち」を大切にし、心を大きく広げて無数の異教徒・未信仰者の中での神の働きのためにも、神に感謝と讃美の祈りを献げる使命を担っていると思います。神に献げた私たちの祈りの実りは、私たちが味わわなくて結構です。教外者のその人たちが神の恵みを豊かに受けるよう、大きく開いた明るい心で神に感謝と讃美の祈りを献げましょう。

   本日の福音は、主が復活なされた日の朝、マグダラのマリアから知らせを受けて、主の御遺体が葬られていた墓が空になっているのを、ぺトロと一緒に走って見に行った使徒ヨハネの報告です。ヨハネは二日前の夕刻、その墓に主のご遺体を埋葬した人たちの一人だったのですから、そのご遺体が墓にないということは、ヨハネにとって大きな驚きであったと思います。しかし彼は、その墓で見届けたことを冷静に細かく報告しています。キリスト時代のユダヤ人の間では遺体を石棺に入れる慣習はなく、遺体は通常洞穴の横壁に掘られたくぼみに寝せて置かれ、墓の外の入口は大きな石で閉じられていました。まだ誰も葬られたことのない新しい墓に運び込まれた主のご遺体も、おそらくそのようにして横壁に掘られた大きな窪みの台の上に寝せて置かれ、墓の外の入口は大きな石を転がして閉じられていたのだと思われます。その埋葬に立ち会ったヨハネは、御遺体が大きな亜麻布(オトニア)に包まれて結ばれてあったように書いています。この「結んだ」(エデサン)という言葉を「巻いた」と誤訳して、包帯で包まれていたかのように翻訳したプロテスタントの聖書もあったそうですが、権威ある聖書学者たちによりその誤訳は退けられています。4世紀にパレスチナで聖書の研究をした聖ヒエロニモも、オトニアをラテン語でlinteamina(大きな亜麻布)と正しく翻訳しています。

   ところで、十字架刑で死んだ主の傷だらけのご遺体は、衣服は脱がされていますので、そのまま洗わずに亜麻布に包んで葬られたと思われます。ユダヤ教の規定では、死後に出た血はそのまま遺体と一緒に葬るよう定められていますし、主の御遺体は日没までの限られた短い時間内に急いで埋葬されたのですから。全身に無数の血痕を留めた遺体をそのまま包んだ大きな亜麻布である、トリノの聖骸布は、そこに付着していたパレスチナ地方にしかない花の花粉からも、実際に主の御遺体を包んだ本物の亜麻布だと思います。聖骸布には、表の顔と裏の後頭部との間に25センチ程の空白がありますが、これが死人の口を塞ぐために、顎の下から頭の上にかけて巻いて縛った手ぬぐいの跡です。本日の福音ではそれが「頭を包んでいた覆い」と邦訳されていますが、頭をすっぽりと包んでいた「頬かぶり」のような布ではありません。誤解しないように致しましょう。わが国でも病人の臨終に立ち会ったことのある人は、死者の口を塞ぐために顎から頭にかけて手ぬぐいで縛るのを見ておられると思います。マタイやマルコ福音書によると、主は大きな声で叫んでお亡くなりになったのですから、その御遺体は十字架から取り下ろされるまでは、口を大きく開けておられたのではないでしょうか。


   主から特別に愛されていた使徒ヨハネは、無数の血痕の残る亜麻布が抜け殻のように平らになっているのを見て、主の御遺体は誰かに盗まれたのではなく、婦人たちが天使から聞いた通りに、またマルコ福音書によると主御自身が二度も「殺されて三日の後に復活する」と予告しておられたように、やはり復活なさったのではないかと考えたと思います。誰かが主の御遺体を盗んだのでしたら、血の付着した亜麻布をこのように綺麗に御遺体からはがすことはできなかったでしょうし、盗む時には御遺体を亜麻布に包まれたまま持ち去るのが当然と思われるでしょうから。しかし、旧約聖書の預言のことなどはまだよく知らずにいたので、その考えは聖書に基づく確信にまでは至っていなかったでしょう。先に墓に入ったペトロは、同じものを見ても唯いぶかるだけだったと思われますが、その後で墓に入ったヨハネは、漠然とながらも既に主の復活を信じ始めたのではないでしょうか。ですから本日の福音にあるように、「見て信じた」と書いたのだと思います。それは頭で理知的に考えた上での信仰ではなく、奥底の心の愛の感覚に基づく信仰だと思います。私は主の愛を全身で受け止めていたヨハネは、最後の晩餐の時にも特別に心を込めて聖体を拝領し、主に対する心の愛を磨いていたのではないかと想像しています。私たちも使徒ヨハネの模範に学んで、主に対する心の愛を日ごろから磨くよう心がけましょう。それが、主の復活を心で確信し、その信仰から大きな希望と喜びの恵みを受ける道だと思います。

2015年4月4日土曜日

説教集B2012年:2012年聖土曜日(三ケ日)

第1朗読 出エジプト記 14章15節~15章1a節
第2朗読 ローマの信徒への手紙 6章3~11節
福音朗読 マルコによる福音書 16章1~7節

   今宵の復活徹夜祭の典礼では、光と水が大きな意味を持っており、第一部の「光の祭儀」では、火の祝別・蝋燭の祝別に続いて、罪と死の闇を打ち払う復活したキリストの新しい命の光を象徴する、新しい大きな祝別された蝋燭の火を掲げ、「キリストの光」「神に感謝」と交互に三度歌いながら入堂し、その復活蝋燭から各人の持つ小さな蝋燭に次々と点された光が、聖堂内を次第に明るく照らして行きました。そして、キリストの復活により、罪と死の闇に打ち勝つ新しい命の光が全人類に与えられたことに感謝しつつ、大きな明るい希望の内に、神に向かって荘厳に「復活讃歌」を歌いました。

   続く第二部の「ことばの典礼」では、創世記からの最初の朗読を別にしますと水が主題となっていて、旧約聖書の中から水によって救われ助けられた出来事や、水によって恵みを受けることなどが朗読され、その度毎に神を讃え神に感謝する典礼聖歌が歌われたり、神に祈願文を捧げたりしました。この第二部に登場する水は、いずれも罪と死の汚れや苦しみから救い出す、洗礼の水の象徴だと思います。続いて朗読されたローマ書6章の中で、使徒パウロは「私たちは洗礼によってキリストと共に葬られ、その死にあずかる者となりました。それは、キリストが御父の栄光によって死者の中から復活させられたように、私たちも新しい命に生きるためなのです」と、洗礼の意味について教えています。復活徹夜祭の第三部は「洗礼と堅信」の儀式で、多くの教会では今宵洗礼と堅信の秘跡を受ける人がいますが、すでに受洗している私たちも、皆で洗礼の約束を更新する儀式を致します。そこで、洗礼の秘跡について、また水という洗礼のシンボルについて、少しだけ考えてみましょう。

   洗礼はただ今も申しましたように、キリストと共に死に、キリストと共に新しい命に生きる秘跡です。いったい何に死んで何に生きるのでしょうか。ローマ書6章によりますと、私たちの心の内に残っている自分中心の「古いアダム」の命に死んで、キリストの新しい命、もはや死ぬことのないあの世の神の愛の命に復活するのです。と申しましても、それは霊魂の奥底で進行する生命現象で、命そのものは目に見えませんから外的には何も分かりません。譬えてみれば、鶏の卵は受精していてもいなくても、外的には少しも違いません。しかし、受精卵は内に孕んでいる新しい命がだんだん成長して来ると、卵の外殻は同じであっても、何かが少し違って来るようで、それを識別する専門家には受精しているか否かが分かるそうです。同じように、キリストの新しい命を霊魂の奥に戴いて信仰に生きている人も、その新しい命がゆっくりと成長して来ると、内的現実の変化が外にもそれとなく現れるようになり、注意深く反省してみるならば、本人も次第に目に見えない自分の心の内的成長を自覚するようになるのではないでしょうか。このようにして年月をかけてゆっくりとですが、新しいキリストの精神、キリストの愛の命に生きるために、この世に生まれた時から引きずっている罪の穢れや、自分中心の「古いアダムの精神や命」から内的に解放され抜け出ることを、パウロは「キリストと共に死ぬ」と表現しているのだと思います。それは肉体的な死ではなく、魂の中での内的変化なのです。

   もちろん、洗礼は受けてもこの世の古い命の外殻が残っている間は、まだ自己中心の「古いアダムの命」も残っていますから、「第二のアダム」キリストの新しい命 (神の命) は、その古い命と戦いながら成長しなければなりません。ですから、私たち既に受洗しているキリスト者たちも、毎年聖土曜日のミサ中に洗礼の約束を更新したりして、洗礼を受けた時の初心を新たにし、日常生活においても神の御前に信仰と愛のうちに生きるよう心がけて、自分中心の「古いアダムの精神」とは戦っています。しかし、こうして神から戴いたキリストの命を保持し続けていますと、やがてこの世の古い命の外殻が死によって壊れても、それによって解放された新しい永遠の命 (キリストの復活の命) に生き始めることができます。死は、この世の命に生きる者にとっては苦しみに満ちた終末ですが、霊魂がキリストの復活の命に生きている限りでは、神から約束された地への過越しであり、喜びの新世界への門出であります。今宵、神が世の初めから美しく整えて私たちを待っておられるその理想郷への憧れを新たにしながら、皆で洗礼の約束を力強く更新しましょう。「復活」という言葉はギリシャ語で「アナスタジア」と言いますが、それは勢いよく、力強く「立ち上がる」という意味合いの言葉です。今宵、私たちも主キリストと共に、古いアダムの命の中から勢いよく立ち上がって、神の命に生きる決意を新たに神にお献げしましょう。

   3週間ほど前の311日は、死者と行方不明者とを合わせて18千数百人もの犠牲者を、わずか一日の内に出してしまった東日本大震災の一周忌でしたので、マスコミは一年前のその恐ろしい大災害を改めて人々の心に想起させながら、そういう災害に負けずにそこから立ち直る勇気や、隣人同志の絆などを固めるよう人々に促していました。しかし、あの時の災害よりももっと恐ろしい危険が、私たちの生活の身近にそっと隠れており、絶えず伴っていることも見逃してはならないと思います。それは、戦後10年程経った1950年代の後半から物質的豊かさや便利さを追い求めて、急速に先進諸国に広まって来た徹底的能力主義・効率主義・個人主義と称してもよいと思います。経済的発展を最優先に掲げ、自己責任の論理もとに走り続けて資本主義国家の中で、間もなく各個人は、現代文明の利器を次々と使いこなしながら、終戦直後には想像し得なかったほど自由に便利にまた豊かに生活するようになりました。しかしその陰には、古来儒教的道徳観で家族も社会も幅広く結束し合って来たわが国や韓国の伝統的システムは骨抜きになって崩れ去り、互いに挨拶もしない核家族や無縁社会が至る所に広まり始めました。そして孤独なうつ病に苦しむ人や自死する人も激増するようになりました。


   ご存じのように、20世紀末の1997年頃からはわが国で孤独の内に自死する人は毎年3万人を超えています。その数は総計しますと、1年前の大震災の死者よりも遥かに多く、しかもその現象は今もまだ続いています。自死する人の予備軍と位置付けられている「うつ」を抱えている人は、6人の一人と言われていますから、神信仰と神の愛に生かされていない現代文明社会は、それ自体密かに無数の人を悩まし苦しめている災害社会と称してもよいと思います。人口比から見て、先進国の中で自殺率の一番高いのは韓国で、日本はそれより少しだけ低い二番目だそうですが、フランスの約1.5倍、アメリカや英国の約2倍、イタリアの約5倍の高さだそうです。欧米の先進国でも自死する人が増えつつあるようです。私は個人的に自殺未遂の体験を持つ人を数人知っていますが、自殺未遂の人も、毎年自死する人の何倍も多くいるのだそうです。血縁・地縁・社縁の絆が弱まり失われつつある現代文明社会は、各人を内的に孤立させる恐ろしい社会でもあると思います。お互いに少しでも温かく挨拶し合い声をかけあって、神に向かって共に祈り共に助け合って生きる新たな連帯精神を、今の世に広めるよう心がけましょう。そしてこの温かい生き方が一人でも多くの人に広まるよう神に祈りましょう。これは、現代社会のマイナス面と戦っておられた福者マザー・テレサが、説いておられた勧めの一つでもあります。これから洗礼の約束を更新するに当たり、神の愛をもって現代社会のマイナス面と戦うこの決心と願いも、合わせて神にお捧げ致しましょう。

2015年4月3日金曜日

説教集B2012年:2012年聖金曜日(三ケ日)

第1朗読 イザヤ書 52章13節~53章12節
第2朗読 ヘブライ人への手紙 4章14~16節、5章7~9節
福音朗読 ヨハネによる福音書 18章1節~19章42節

   三年前の聖金曜日にもここでその一部を話したことですが、私は聖金曜日を迎えるといつも懐かしく思い出す話があります。それは、ドイツがナポレオンの支配下に置かれていた19世紀初頭に、北ドイツで聖痕を受けたカタリナ・エンメリッヒという敬虔な修道女が、主イエスと聖母マリアのご生涯について非常に詳細に見せてもらった幻示のことです。この幻示を、クレメンス・ブレンターノという著名な詩人が、本人に細かく語ってもらいながら書き留め、後で整理してかなり分厚い2冊のドイツ語本にまとめて出版しています。支那事変の初期に召集されて中国に渡った東京・本所教会の信徒坂井兵吉という医師は、現地で親しくなった神言会のドイツ人宣教師からそのドイツ語著書をもらい受けて戦争中に邦訳し、戦後に出版しています。私はその訳書の一部を既に神学生時代に読み、ローマに留学してドイツ語の原本を読んだりもしていますが、主の御受難のさまざまな場面は今でも印象深く覚えています。福音書に書かれていない裏話のような話が多いので、ローマに留学していた時に、一緒に生活していたドイツ人聖書学者に、カタリナ・エンメリッヒの見た幻示について質問してみました。すると今の聖書学の立場からは、その受難物語のどこにもはっきり誤りとして退けることのできる話は一つもないとのことでした。それで帰国後に、本所教会で訳者の坂井兵吉氏に会い、その訳書を入手しています。

   私の読んだその本によると、主イエスは最後の晩餐の後には一睡もしておらず、ゲッセマネで悪霊に苦しめられただけではなく、ユダヤ人たちに捕らえられ、大祭司カイヤファの家に連行される途中でも、ケドロンの谷川に投げ落とされたりするなどの、酷い虐待に苦しめられておられます。一晩中そのように虐待され続けた後に、ローマ兵によって激しく鞭打たれたり、茨の冠を被せられたりしたのですから、丈夫なお体の主がどんなに頑張っても、生木の重い十字架を担って刑場まで運ぶ途中で何度もお倒れになったのは、当然であったと思われます。カタリナ・エンメリッヒの見た幻示によると、三度ではなく七度も倒れておられます。そしてその度ごとに虐待されています。今の聖地巡礼に参加しますと、ピラトが裁判の席についていた、ヘブライ語でガバタと呼ばれた敷石のある所から、十字架に釘付けにされた記念の岩などが残されている聖墳墓教会のある所までは、ゆっくり歩いて15分程で行けますから1キロも離れていませんが、昔のエルサレムの城壁の内側に建設されているその聖墳墓教会の所にゴルゴタの丘があったのではありません。その教会の横にある城門を出て更に西へおそらく2キロ程進んだ所に、「されこうべ」型のゴルゴタと呼ばれていた小高い丘があったのであり、弱り果てていた主はその丘の上まで、何度も倒れながら登らなければならなかったのです。この丘は、紀元330年頃にコンスタンティヌス大帝の母、聖ヘレナ皇后により主の聖十字架が、ある奇跡的治癒を介して発見された後、ローマ軍によって取り崩され、その頂上の岩石や土などは当時のエルサレム城壁内に移されて、その上に聖墳墓教会が建設されましたが、その他の岩石や土砂は数百台の車でカファルナウムの港まで運ばれ、そこから船でローマ市内にまで運び込まれ、その岩石や土砂の上にコンスタンティヌス大帝が建設させたのが、今もラテラノ大聖堂の近くに建つ、エルサレム聖十字架大聖堂であります。ですから、もともとのゴルゴタの丘は、跡形もなくなっているのです。

   主が他の二人の盗賊たちよりも早く息を引き取られたのは、主がお受けになった虐待の酷さのためであると思われます。主は実際、私たちの想像を絶する程の恐ろしい苦しみを耐え忍びつつ、その御命を生贄として天の御父に献げ、人類の罪の赦しと人類救済の恵みを天から呼び下されたのではないでしょうか。同時にこの世の全ての苦しみを聖化して、神による救いの恵みを私たちの魂に呼び下す器として下さったのではないでしょうか。そのために極度の苦しみを耐え忍ばれた主に対して、深い感謝の心を新たに致しましょう。そして私たちも、日々自分に与えられる苦しみを主と内的に一致して耐え忍び、神に献げることにより、世の人々の上に神から恵みを呼び下すように努めましょう。


   苦しみそのものには少しも価値がない、などと言う人もいます。苦しみを単に受けるだけ我慢するだけで、外的社会的には何も産み出さないものとしてこの世的・理知的に考えるなら、そうかも知れません。しかし、少なくとも神の御独り子がこの世に来臨して多くの苦しみを進んで耐え忍び、それにより人間救済の業を成就なさった後には、苦しみは、主イエスと内的に一致して生きようとする私たちキリスト者にとって人間救済の手段として祝別され、神の恵みの器としての高い価値を持つに至ったように思われます。苦しみは、固く凝り固まっている私たちの心の土を打ち砕いて掘り起こし、そこに神の恵みの種が深く根を張って、豊かに実を結ぶことができるようにしてくれるからです。病気、誤解、失敗、その他の突然の思わぬ苦しみを受けたような時、目前のその出来事だけに目を向けずに、救い主キリストにも信仰と感謝の眼を向けて、主と一致してその苦しみを受け止め、多くの人の救いのため、私たちの忍耐を快く神にお献げするよう努めましょう。その時、主ご自身が私たちの内に共に苦しんで下さり、その苦しみを浄化して、私たちの魂を一層強く豊かにして下さるのを実感するようになると思います。恐れずに、受けた苦しみを愛し、苦しみを耐えることによって主との一致を深めるように心がけましょう。

2015年4月2日木曜日

説教集B2012年:2012年聖木曜日(三ケ日)

第1朗読 出エジプト記 12章1~8,11~14節
第2朗読 コリントの信徒への手紙1 11章23~26節
福音朗読 ヨハネによる福音書 13章1~15節

   主の最後の晩餐の記念である今宵のミサ聖祭では、三つの奥義が特別に記念されます。それは、主が晩餐の前に弟子たちの足を洗われたことと、ご聖体の秘跡の制定と、「私の記念としてこれを行え」というお言葉による、聖体祭儀ならびに司祭職の制定であります。

   出エジプトの記念行事である過越の食事を始めるにあたって、主はなぜ伝統的慣例に反して弟子たちの足を洗うという行為、奴隷たちの中でも一番下の奴隷がなしていた行為をなさったのでしょうか。出エジプトの歴史的出来事は、神の民イスラエルに対する神の全く特別な愛の行為、その民がそれまでに犯した一切の忘恩・不忠実の罪を赦し、神の愛の許に自由独立している国民として発足させようとなさった、神の愛の働きでありました。神はシナイ山で、「私はあなたを奴隷の家エジプトから導き出した主なる神である。私の他に何者をも神としてはならない」とおっしゃって、改めて神の民イスラエルと愛の契約を結びましたが、主イエスは、出エジプトの時のこの救う神の愛、無償で全ての罪を赦し、新しく神の民として歩ませようとしておられた、神の奉仕的な愛を新たな形で体現し、その愛に弟子たちを参与させるために彼らを極みまで愛し、彼らの足を洗うことによって、全てを赦して奉仕するその愛を目に見える形で彼らにお示しになったのだと思います。

   旧約時代の神の民の歴史を吟味してみますと、民は人間的理性的に考えて、自分たちのこの世の生活に神が必要であると考えたから、神を信じるようになったのではありません。神が自分たちのためにどれ程大きなことを為して下さったか、また神が恩知らずの自分たちを赦し、深く愛して下さるのを数々の不思議な奇跡体験を介して、感謝の心で弁え知るに至ったところから、彼らの神信仰が始まったのです。新約時代に神が私たちから切に求めておられる信仰も、同様だと思います。自分の夢、自分の憧れに駆られて一生懸命神に祈り、自力で強い神信仰に生きようと努力しても、それは人間が作り出した信仰であって、そこにどれ程大きな善意があっても、神が私たちから求めておられる心の信仰ではないと思います。聖ペトロをはじめ初期の弟子たちは皆、競って神のために何か善いことを為して褒めてもらおう、評価してもらおうと努めるような信仰の熱心に励んでいたようですが、度々主イエスからその信仰の弱さや不足面を指摘され、叱責されていました。そうではなく、自分の日々の生活や体験を介して、自分がどれ程神から赦され愛されているかを感謝の心で深く弁え知ること、ごく平凡な小さな出逢いや出来事などの内に神からの求めや呼びかけを鋭敏に感知する心のセンスを磨き、神への従順に生きること、そして我なしの僕・婢の謙虚な精神で、神と人々への奉仕に努めること。ここに、太祖アブラハム以来のキリスト教的神信仰の基盤があると思います。それは、自分の考えや望みなどは完全に捨てて、ただ神の御旨のみを中心にして、それに従って生きようとする精神であると思います。

   主イエスは、これまで少しでも他の人に先んじて手柄を立てようと、互いに競い合い勝ちであった使徒たちの心を、このキリスト教的神信仰の基盤・中核に目覚めさせるために、皆に仕える一番下の奴隷のようなお姿で弟子たち一人一人の足を洗われた後、彼らに、あなた方も互いに足を洗わなければならないとお命じになったのではないでしょうか。自分を人々や社会の上に置いて、全てを自分の聖書理解に基づく何か不動の法規や理屈で割り切って考えたり裁いたりする、ファリサイ派のパン種には警戒しましょう。主キリストの模範に従って生きようとする私たち新しい神の民にとって、最高のものは神とその働き、無償で全ての罪を赦して下さる神の愛とその実践であります。私たちが主イエスのその愛に参与し、それを日々体現する時に、神も私たちの中で、私たちを通して特別に働いて下さり、神による救いの恵みが私たちの間に豊かに溢れ、私たちを通して社会にも広がって行くのです。

   ところで、主が弟子たちの足を洗われたのは、単に己を無にして下から仕えるという模範をお示しになっただけではありません。もしそれだけのことであったら、主がペトロに話された「私が洗わないなら、あなたは私と何の関わりもないことになる」、「既に体 (即ち足) を洗った者は全身清い」などのお言葉は、不可解になります。主が弟子たちの足を洗われたという行為には、もっと深い象徴的意味が隠されているのではないでしょうか。それは、主がその人の罪を全て受け取り、ご自身の受難死によって償おう、こうしてその人の霊魂の汚れをちょうど洗礼のようにして洗い流し、その人を神の所有物、神の子にするという、主の贖いの死の恵みに参与させようとすることも、意味していたと思われます。洗礼の時には頭に水が流れただけでも、その人の魂は神によって浄化され神の子とされますが、同様に主がその人の足を洗っただけでも、その人の魂の罪は救い主に引き取られ、清くされるのだと思われます。主は弟子たちにも、このようにして互いに相手の負い目を赦し、その罪を自分で背負って清めよう、己を犠牲にして相手に神の子の命を伝えようと奉仕し合うよう、お命じになったのではないでしょうか。主のお考えでは、人を赦す、人を愛するとは、このようにして自分を犠牲にして赦し、愛することを意味していたのだと思われます。

   私たちが、主のこの無償の献身的愛に参与して生きることができるように、主はご聖体の秘跡を制定し、そこにそれまでご自身が生きて来られた奉仕的、自己犠牲的な神の愛を込め、私たちの魂を養い力づけるための食物・飲み物となさいました。それは真に不思議な生きている食物・飲み物で、それを相応しい愛の心で拝領する人の中では、その魂と主イエスとの内的一致を深め、その心を守り助け力づけて下さいます。しかし、他人も社会も宗教も神も、すべてを自分の考えで利用しようとしている人間の中では、主のお体を汚すその不信の罪故に、その心を裏切り者ユダの心のように暗くし、自分の身に悪魔を招き入れることにもなり兼ねません。ですから、使徒パウロもコリント前書11: 21に警告しているように、拝領前に自分の心をよく吟味し、自分中心の利己的精神に死んで、主の献身的愛の命に生かされて生きる決意を新たにしながら、拝領するよう心がけましょう。主の愛が私の内に主導権を持ち、私はその主に従って生きるのだ、という僕・婢の精神を新たにして拝領することが大切だと思います。


   こうして主キリストと一致する全てのキリスト者は、同時に主の普遍的司祭職にも参与し、主と一致して人々のため、また社会のために神にとりなし、神から恵みを呼び下すこともできるようになります。いや、そういう働きを為す使命を身に帯びるに至るのです。主は最後の晩餐の時、パンを取って神に感謝を捧げてからそれを割り、「皆これを取って食べなさい。これはあなた方のために渡される私の体である」とおっしゃいましたが、この「渡される」というお言葉には、そのお体が徹底的に苛めさいなまれ、鞭打たれて十字架に釘付けられる全てのお苦しみの予見が込められていたと思います。同様に、「これは私の血の杯、あなた方と多くの人のために流されて罪の赦しとなる、新しい永遠の契約の血である」とおっしゃった、その「流されて」というお言葉にも、鞭打ちや茨の冠などによる無数の痛ましい傷や、心臓を刺した槍のひと刺しにより最後の一適までこの世に与え尽くす、恐ろしい苦しみの予見が込められていたと思います。私は最近ミサの聖変化の御言葉を唱える度毎に、最後の晩餐の時の主のこのような徹底的捧げのご心情を偲んでいます。今宵私たち一人一人も、主において参与している普遍的司祭職の使命を改めて自覚し、司教・司祭たちの働きを下から支え助けて、主キリストの司祭職が現代においても多くの人に神による救いの恵みをもたらすことができるよう、特に祈りと苦しみを捧げて協力する決意を新たにしつつ、この聖なる感謝の祭儀を献げましょう。