2014年3月30日日曜日

説教集A2011年:2011年四旬節第4主日(三ケ日)



第1朗読 サムエル記上 16章1b、6~7、10~13a節
第2朗読 エフェソの信徒への手紙 5章8~14節
福音朗読 ヨハネによる福音書 9章1~41節

  長く居座っていた寒気団が漸く日本列島から離れたようですが、これからもまだ少し来るかも知れません。しかし、既に染井吉野も満開になって来ましたし、よく晴れた日の自然界は春の光に包まれて輝いて見えます。本日の集会祈願文や第二朗読には、「光」という言葉と「暗闇」という言葉が何回も登場しており、福音は生まれつき目の見えない人が、主イエスにより安息日に癒された奇跡についての話ですが、この福音は古代教父の時代から、洗礼志願者のため闇から光へ導く恵みを願い求める儀式の中で朗読されています。洗礼志願者のいる教会では、司祭は本日この福音を朗読して説教をした後に、「洗礼志願者のための典礼」を致しますが、復活祭に洗礼を受ける人がいない聖堂でのミサ聖祭でも、今年の洗礼志願者たちのため、またキリスト教についての誤解や偏見の内にいる人たちのため、本日のミサ聖祭の中で闇から光へ移る恵みを神に祈り求めることにしています。私たちもこのミサ聖祭の中で、その恵みを神に祈り求めましょう。本日のミサは伝統的に「Laetareのミサ」、すなわち「喜べのミサ」と言われて来ました。既に四旬節も半ばを過ぎ、周辺の自然界には日毎に明るい春の色が増して来る時節なので、この主日のミサ聖祭は、人々の心に春の喜びと将来に対する明るい希望とを与えるものとされて来ました。教会も本日の三つの朗読聖書を、いずれもこれからの人生に明るい希望と新しい意欲を与えるような話の中から選んでいます。
  第一の朗読聖書は、預言者サムエルによる少年ダビデの注油の話です。サムエルは神の言葉に従い、オリーブ油を満たした大きな角をもって、ベトレヘムのエッサイの家に行きました。神が「私はその息子たちの中に、王となるべき者を見出した」と言われたので、神のお示しになる息子に注油して、イスラエルの王とするためでした。エッサイは預言者サムエルの言葉に従い、預言者を歓待する食事の前に、自分の七人の息子たちを次々と呼び出して預言者の前を通らせました。その息子たちの中には、人間的に見て容姿も背丈も整っていて、王位に相応しい人ではないかと思われる者もいたようですが、主は密かにサムエルに、「容姿や背の高さに目を向けるな。私は彼を退ける。人は目に映ることを見るが、私は心によって見る」とおっしゃって、その七人の中からは誰をもお選びになりませんでした。
  それでサムエルがエッサイに、「あなたの息子はこれだけですか」と尋ね、最後にその時羊の群れの番をしていた末の息子ダビデを呼び出させました。まだ羊の群れの番をさせられているのような子供ですので、とても王位に就くような風格や年齢には達していませんが、「血色が良く、目は美しく、姿も立派であった」と聖書にあります。ユダヤ教のラビたちの間で語り伝えられている伝説によりますと、末の息子ダビデはその兄たちとは母親の違う私生児で、子供の時から兄たちとは素質も能力も少し違っていたそうです。主はこの子供を、イスラエルの王としてお選びになりました。それでサムエルは、オリーブ油の入った角を取り出し、親兄弟の見ている前でダビデに注油したのでした。こうして預言者歓待のために用意された食事は、イスラエルの王ダビデの注油を祝う会食となりました。ダビデが実際に王位に就くのはまだまだ先のことですが、しかしその日以来、ダビデは、神の霊によって恐ろしい程の力を発揮する人間に成長し始めました。
  主イエスは弟子たちに、「あなた方が私を選んだのではない。私があなた方を選んだのだ」「あなた方が行って実を結び、その実がいつまでも残るために」とおっしゃいましたが、主は今、私たちにも同様に話しておられるのではないでしょうか。私たちは皆、主イエスによって選ばれ、洗礼の秘跡を受けた時も堅信の秘跡を受けた時も、頭に祝別されたオリーブ油を塗油してもらいました。私はそれを、主の再臨により世あらたまった後のあの世で、主と共に王位につき、神がお創りになったこの広大な宇宙の万物に呼びかけて神を讃えさせ、万物を指導・統治する使命を与える塗油と受け止めています。ペトロ前書2:9には、主を信ずるキリスト者たちについて、「あなた方は選ばれた民、王の系統を引く祭司、聖なる国民、神のものとなった民です」と述べられており、黙示録1:6にも、「私たちを王とし、ご自身の父である神に仕える祭司として下さった方に、栄光と力が世々限りなくありますように」という祈りが、さらに黙示録5: 9~10には「あらゆる民族と国民の中から、ご自分の血で神のために人々を贖われ、彼らを私たちのために神に仕える王、また祭司となさった」という歌が記されているからです。私たちは皆、洗礼・堅信の秘跡によって少年ダビデのように、将来主と共に王位について万物を支配する使命と、そのための聖霊の力を心の奥に頂戴しているのではないでしょうか。神からのこの恵みに感謝しながら、主において大きな明るい希望と喜びの内に、胸を張って生きるよう心掛けましょう。聖霊は、そういう若々しい心の内に生き生きと働いて下さいます。第二バチカン公会議は、聖書の言葉に基づいて、全てのキリスト者は主キリストの普遍的祭司職に参与していると教えていますが、私は、主の祭司職だけではなく、あの世では主の王位にも参与すると考えています。私たちは、例えば毎日曜・大祝日の朝の祈りの中で、「造られたものは皆神を賛美し、代々に神をほめ称えよ」「天の全ての力は神を称えよ。太陽と月は神を賛美し、空の星は神を称えよ」などと祈っていますが、神に似せて創られた王としての使命を自覚しつつ、この祈りを主キリストと一致して唱えるよう心がけましょう。そうすれば、少年ダビデの内に働いた神の霊は、私たちの中でも私たちを通して宇宙万物のために働いて下さいます。
  使徒パウロは本日の第二朗読の中で、「あなた方は以前は暗闇でしたが、今は主に結ばれて光となっています。光の子として歩みなさい。云々」と、私たちにも呼びかけています。四旬節を機に何が主に喜ばれるかを改めて吟味し、神の御前に実を結ばない自分中心主義の暗闇の業からは離れて、いつも神の光に照らされ神の光の子として、注油された少年ダビデのように、神への信頼と明るい希望の内に生きるよう努めましょう。
  本日の福音は、生まれつきの盲人が、主イエスに唾でこねた土を塗ってもらったその目を、主のお言葉に従って「遣わされた者」という意味のシロアムという池で洗ったら、目が見えるようになったという、奇跡的治癒についての話です。安息日の厳守を強調していたファリサイ派の一部の人たちは、ユダヤ社会の規則を最高の基準とする人間中心主義の立場で、安息日にそんな大きな癒しの業を為した者は「神から来た者ではない」と主張し、目を癒されたその人を自分たちの考えに従わせようとしました。しかし彼は、神よりの人でなければこんな奇跡は成し得ないと考え、「あの方は預言者です」という自分の素直な信仰をひたすら主張し続けて、遂にユダヤ教会から追放されてしまいました。でも、その純真な信仰の故にファリサイ派からの迫害には屈せず、遂に再び主イエスに巡り合い、主を信ずる新しい恵みに浴することができました。洗礼の秘跡によって神の「光の子」として戴いている私たちも、日々何よりも神の働きや神よりの導きに心の眼を向けつつ、神への愛の忠実に生き抜くよう心がけましょう。そうすれば少年ダビデのように、また目を癒されたその人のように、神の恵みから恵みへと高められるようになると信じます。

2014年3月23日日曜日

説教集A2011年:2011年四旬節第3主日(三ケ日)



第1朗読 出エジプト記 17章3~7節
第2朗読 ローマの信徒への手紙 5章1~2、5~8節
福音朗読 ヨハネによる福音書 4章5~42節

  本日のミサ聖祭には、集会祈願にも拝領祈願にも、また第一朗読にも福音にも、「渇く」という動詞が登場しています。第一朗読によりますと、エジプト脱出に成功したイスラエルの民は、水の少ないシナイ半島を通る時に喉の渇きに苦しみ、モーセに不平を並べ立てたようです。「なぜ我々をエジプトから導き出したのか。私も子供たちも、家畜までも渇きで殺すためなのか」などと。ここで「家畜も」という言葉があることから察しますと、遊牧民の子孫であるイスラエルの民は、エジプトでも居住地に少しの家畜を飼育していたようで、エジプト脱出の時にはそれらの家畜も連れてシナイ半島まで来たようです。羊などは旅の途中に生えている草を、場合によっては草の根までも食べながら飼い主に付いて来ますから。としますと、神の民の一日の行程はそれ程大きくはなく、せいぜい20キロ前後であったと思われます。数々の天罰を受けて、モーセに民を連れてシナイ半島に行くことを許したファラオが数日後に思い直し、馬を駆使して進む当時の戦車部隊を連れて、まだエジプトの国境にまで達せずにいた彼らの所に来ることができたのもよく判ります。イスラエルの民はシナイ半島では初めの内、それらの家畜の肉を食べながら進み、その肉が無くなった時に神から渡り鳥うづらの肉を貰うようになったのかも知れません。
  水も草も殆どないシナイ半島の荒れ野を旅して渇きに苦しむ彼らの不平を聞いたモーセが神に、「彼らは今にも、私を石で打ち殺そうとしています」と叫んでいることから察しますと、水不足に悩む民の苦しみは耐えがたい程のものであったと思われます。神はモーセに、神がある岩の上にお立ちになるから、以前にモーセが神から戴いた奇跡の杖でその岩を打つようお命じなり、モーセがイスラエルの長老たちの目の前でその通りにすると、その岩から大量の水が流れ出て、民はその奇跡の水によって喝を癒すことができました。聖書には「ホレブの岩」とありますが、ホレブを神がモーセに十戒をお授けになったシナイ山としますと、この地点からはまだまだ遠く離れた所に聳えている山です。しかし神は、その遠く離れている一つの山だけを指して話されたのではなく、このシナイ半島の西側に連なっている大小のシナイ連峰全体の岩を指して、「ホレブの岩」と表現なされたのではないでしょうか。というのは、この地方の山々は大昔に海だった所から隆起したのか、炭酸カルシウムを主成分とする白系の石灰岩が多くて、この石灰岩は空気に接触している外側の部分は堅い岩ですが、その岩肌の内側は少し柔らかになっていて、そこに水を蓄えていることも多いようなのです。
  第一次世界大戦によりドイツ帝国と同盟していたオスマントルコ帝国が滅びると、その領地であったエジプトもシナイ半島も、国連から委任された英国の領地となりましたが、1925年に英国の弁務官ジャーヴィス少佐が駱駝隊を連れてこの地方を視察し途中で休憩したら、この地方出身の隊員たちが水を求めてある岩の傍をシャベルで掘り始めたそうです。そしてそこが濡れているのを発見すると、皆でその変色している岩の肌を、猛烈な勢いで打ち砕いたそうです。するとその砕け落ちた岩肌の内がわにある大きな岩の無数の穴から、たくさんの水がシューと噴き出し、人々はその水を器に入れて飲むことができたそうです。それで大佐は、モーセの話を思い出したそうです。察するに神はモーセの祈りに応えて、シナイ連山の石灰岩に蓄積されていた大量の水を、この時神の民の前に流れ出させる奇跡を行われたのではないでしょうか。なお、ついでながらモーセに与えられた十戒も、掘り出されたばかりのまだ柔らかい石灰岩に刻まれて与えられ、それが空気に触れて堅くなったのではないかと思われます。
  ところで、神はいったいなぜ、大勢のイスラエル民族を水の少ないシナイ半島を通らせて、死ぬかと思われる程の苦しみをお与えになったのでしょうか。自分の欲望や自分の考え中心の古い生き方に死んで、もっと神のお望みや神の御旨中心の新しい生き方へと、移行させるためであったと思われます。神からの幻示に基づいて記されたと思われる創造神話によりますと、人祖は神のご命令に背いて「善悪を知る木」の実を取って食べ、神のようになろう、自分が主導権を取って生きようとしたために、神の恩寵を失ってこの世に罪と死の苦しみを招き入れてしまいました。それで、神の導きに従って神の恩寵の内に生きるようになるためには、自分の望みや考え中心のこれまでの生き方に死ぬことと、死の苦しみを耐え忍ぶこととが、神から求められるのではないでしょうか。イスラエルの民だけではなく、全ての民に神の国に入る救いの恵みを提供するために、天の御父からこの罪の世に派遣されて人類の一員になられた主イエスも、死の苦しみを経て神の永遠の命に復活するという新しい生き方の模範を、身をもってお示しになりました。フィリピ2章には、「自分を無にして僕の身分になり、人間と同じ者」になつたとあります。その主が私たちに神の恩寵を与えるためにお定めになった洗礼の秘跡も、自分に死んで神の御旨中心に生きるという、いわば「死」と「生」という二つの側面を持つ秘跡であります。四旬節に当たり、私たちもこれまでの自分の考え中心になり勝ちであった生き方に死んで、神の御旨中心の生き方に改心するよう心掛けましょう。
  本日の福音によりますと、旅に疲れて井戸のそばに座っておられた主イエスは、水を汲みに来たサマリアの女に、「水を飲ませて下さい」と願っておられます。女が「あなたは水を汲むものをお持ちでない」と話していることから察しますと、当時の旅行者が普通に持参していた革製の水汲み容器を、主の弟子たちは持参したまま食べ物を買うために町に行ったようです。しかし、「水を飲ませて下さい」という主の願いはその女の心への呼びかけでもあって、主はこの後、礼拝すべき場所はこの山かエルサレムかという、この女の宗教的質問に答えて、新しい真理を啓示なさいます。「真の礼拝者たちが、霊と真理の内に(神なる)父を礼拝する時が来る。今がその時である。なぜなら、父はこのように礼拝する者を求めておられるから。云々」というお言葉です。宇宙万物をお創りになった同じ唯一神を信奉していても、どこでどのようにしてその神を拝むのかという問題については、現代でも人類社会に根を下ろしている各種宗教組織の間で大きく異なっています。ある地方では宗教間のその相違や対立が、平和を乱す深刻な問題にもなっています。主イエスは、サマリアの女に話されたそのお言葉で、現代の宗教対立を解消するための道も示唆しておられるのではないでしょうか。主にとっては、全人類に一つの宗教しか存在していないと思います。外的人間的な宗教組織や宗教形態というものに囚われずに、神中心にもっと内的にまた柔軟に神に仕える道を模索するのが、神から私たち現代人に与えられている一つの課題だと思います。
  今はまだ溢れる豊かさの中で生活している私たち現代人が、遠からず恐ろしい飢えと渇きに苦しめられる時代が到来するかも知れません。水の惑星と言われる地球の水の約97%は海水で、残り3%の淡水のうち70%は北極や南極などでの氷ですから、私たちの利用できる水資源は、雲・川・湖・地下水などに限られていますが、過去百年の間に世界のその水の使用量は9倍に増加し、安全な飲み水に不足している人たちは、人類65億人の中10億人に達しています。それで少し古い話になりますが、10年程前の紀元2000年に開催された世界水会議は、2025年には世界の人口の40%が、深刻な水不足に直面すると警告しています。世界各地の水不足が深刻になれば、食料の多くを輸入に頼っている日本も、大きな影響を受けると思います。高度に発達した文明の恩恵に浴している現代の若者たちの将来には、数々の思わぬ貧困が待ち受けているかも知れません。一人でも多くの人の心が、私たちの置かれているこの事態に早く目覚め、モーセよりも遥かに大きな奇跡的助けを神から呼び下すことのおできになる主キリストにしっかりと結ばれて、その苦難を乗り越えることができますように、神の憐れみと導きを願い求めて、本日のミサ聖祭を献げましょう。

2014年3月19日水曜日

説教集A2011年:2011年3月19日聖ヨゼフの祭日(泰阜のカルメル会で)



2011319日聖ヨゼフの祭日(泰阜のカルメル会で)
  皆様ご存じのように、アビラの聖テレジアは聖ヨゼフの崇敬を高く評価し、積極的に推奨した偉大な教会博士であります。その聖テレジアが創立したカルメル会の修道院で、皆さまと一緒にこのミサを捧げることができて、私も嬉しく感謝しています。私はロザリオの月やその他の共同的祈りの機会を別にしますと、個人的に毎日ロザリオも聖マリアの連祷も聖ヨゼフの連祷も唱えていますが、いつも神学生時代に覚えたラテン語で唱えています。それで皆様の修道院に来ましても、例えば「お告げの祈り」などは日本語で唱えることはできません。昔覚えた文語体での祈りならできますが、その後はずーっとラテン語で、この祈りも個人的に唱えているからです。
  戦後の個人主義的自由主義的教育を受けた人たちや、その人たちの子供として生まれ、豊かさと便利さの中で子供の時から自分だけの個室を与えられて、パソコンやテレビ、自分個人で楽しく遊べる様々なおもちゃを買ってもらい、自分中心に能力主義社会に生きる生き方を身につけて来た人たちが、皆一人前の大人として生活するようになりましたら、日本はどこに行っても家庭問題で揺れており、複雑な問題を抱えている家庭が多くなりました。引きこもりや幼児虐待、離婚や育児放棄・介護放棄、高齢者の所在不明等々、これ程多くの問題を抱えて悩んでいる、高齢化と少子化の進行している日本社会を、いったいどこから立て直したら良いのでしょうか。昔の日本の村では、子供たちの数が多くて子供同志の子供社会と言われるものがあり、貧しくて遊び道具などは今とは比較にならない程少なかったですが、しかし、子供たちはお互いに助け合い補い合って、楽しく遊んだり歌ったりしていました。そしてそういう環境に生まれ育った大人たちも、お互いに仲良く助け合って生活しており、小さな村祭りも結婚の祝いや葬儀も、皆で助け合って為していました。出産も子育ても一人では不安でできませんが、経験ある年輩者たちに教えられ助けられて立派にやっていました。まるで村全体が一つの大家族のようでした。現代の日本社会では、そういう大人同志、子供同志の心と心との繋がりが個人主義の普及によってズタズタに断ち切られ、隣近所同志でも、いや同じ家族同志でも、お互いに挨拶もしないような真に冷たい無縁社会になりつつあり、心の奥に孤立の寂しさを秘めている人が多いようです。
  こういう無縁社会に神の愛の恵みを呼び下すには、聖ヨゼフを崇敬してその取次を願い求めることも、一つの大切な手段なのではないでしょうか。聖ヨゼフの連祷の後半には、「忍耐の鑑」「清貧の愛好者」という言葉がありますが、この忍耐や清貧という徳(心の能力)が、豊かさと便利さの中に生まれ育った多くの日本人の心に一番不足している能力と申してもよいと思います。この能力の不足のために、ちょっと我慢すれば苦しまないのに、無性にイライラして自分で自分の心を苦しめている人が多いのではないでしょうか。例えば予定時刻よりも10分か15分遅れるバスを待っていて、他に何もできない程苦しんでいる乗客を見ることがあります。そういう時は自分の忍耐心を鍛えて強い人間になる絶好のチャンスと気長に受け止め、その忍耐をこの世の病人や貧しい人たちのためにお献げしていると、自分が小さいながらも何か世の人のため良い奉仕をしているように見えてそれ程苦しまず、しかも心が我慢強くなると、余裕をもって自分の人生を眺めたり、自分の仕事を楽しんで為し続けたりできるようになります。清貧や肉体労働についても、それを嫌がらずに積極的に愛好してみますと、そこには富裕な人たちの知らずにいる、心の喜びが隠されているように感ぜられます。心がひ弱に育って来た現代人であっても、聖ヨゼフの取次ぎを祈り求めつつ、聖ヨゼフの愛好していた心の能力を体得するように心掛けると、不思議に神の助けや導きを体験するようになると思います。現代人が人生に生き甲斐や喜びを見出す秘訣は、このような個人的心構えの内に隠されているように思われてなりません。
  本日の福音には、「私が自分の父の家にいるのは当たり前だということを知らなかったのですか」という、12歳の少年イエスの言葉が読まれますが、以前にはこの「父の家」を「父の神殿」と邦訳した聖書もありました。しかし、そのどちらも聖書のギリシャ語原文通りではありません。原文には「家」だの「神殿」などという言葉はありませんから。主はまだ少年ながら、当時の庶民のアラマイ語で何か神秘的なことを、聖母に話されたようです。それを直接聖母からお聞きしたギリシャ系の医者ルカも、ギリシャ語で神秘的な表現にしています。私がローマで留学していた時、カール・ラーナーがある黙想会の説教でこの事を説明してくれたので初めて学んだのですが、ギリシャ語でもラテン語訳でも、直訳すると「私の父のにいる」となっているのです。これでは解り難いというので、近代語では「家」や「神殿」という言葉を入れて訳したようですが、もし主がそのように話したのなら、聖母はそこでもう一言話されたと思います。 しかし主は、神を初めて「父」と呼んで神秘的な表現をしたので、両親はその言葉の意味がよく解らないままに、少年イエスの内に神の子の神秘を感じさせられつつ、黙々と一緒にナザレにお帰りになったのだと思います。私たちも聖体拝領の時、聖別されたパンの内に父なる神と共におられる神の子の神秘を感知しつつ、その主と共に生きる決意をお献げしましょう。