2014年3月19日水曜日

説教集A2011年:2011年3月19日聖ヨゼフの祭日(泰阜のカルメル会で)



2011319日聖ヨゼフの祭日(泰阜のカルメル会で)
  皆様ご存じのように、アビラの聖テレジアは聖ヨゼフの崇敬を高く評価し、積極的に推奨した偉大な教会博士であります。その聖テレジアが創立したカルメル会の修道院で、皆さまと一緒にこのミサを捧げることができて、私も嬉しく感謝しています。私はロザリオの月やその他の共同的祈りの機会を別にしますと、個人的に毎日ロザリオも聖マリアの連祷も聖ヨゼフの連祷も唱えていますが、いつも神学生時代に覚えたラテン語で唱えています。それで皆様の修道院に来ましても、例えば「お告げの祈り」などは日本語で唱えることはできません。昔覚えた文語体での祈りならできますが、その後はずーっとラテン語で、この祈りも個人的に唱えているからです。
  戦後の個人主義的自由主義的教育を受けた人たちや、その人たちの子供として生まれ、豊かさと便利さの中で子供の時から自分だけの個室を与えられて、パソコンやテレビ、自分個人で楽しく遊べる様々なおもちゃを買ってもらい、自分中心に能力主義社会に生きる生き方を身につけて来た人たちが、皆一人前の大人として生活するようになりましたら、日本はどこに行っても家庭問題で揺れており、複雑な問題を抱えている家庭が多くなりました。引きこもりや幼児虐待、離婚や育児放棄・介護放棄、高齢者の所在不明等々、これ程多くの問題を抱えて悩んでいる、高齢化と少子化の進行している日本社会を、いったいどこから立て直したら良いのでしょうか。昔の日本の村では、子供たちの数が多くて子供同志の子供社会と言われるものがあり、貧しくて遊び道具などは今とは比較にならない程少なかったですが、しかし、子供たちはお互いに助け合い補い合って、楽しく遊んだり歌ったりしていました。そしてそういう環境に生まれ育った大人たちも、お互いに仲良く助け合って生活しており、小さな村祭りも結婚の祝いや葬儀も、皆で助け合って為していました。出産も子育ても一人では不安でできませんが、経験ある年輩者たちに教えられ助けられて立派にやっていました。まるで村全体が一つの大家族のようでした。現代の日本社会では、そういう大人同志、子供同志の心と心との繋がりが個人主義の普及によってズタズタに断ち切られ、隣近所同志でも、いや同じ家族同志でも、お互いに挨拶もしないような真に冷たい無縁社会になりつつあり、心の奥に孤立の寂しさを秘めている人が多いようです。
  こういう無縁社会に神の愛の恵みを呼び下すには、聖ヨゼフを崇敬してその取次を願い求めることも、一つの大切な手段なのではないでしょうか。聖ヨゼフの連祷の後半には、「忍耐の鑑」「清貧の愛好者」という言葉がありますが、この忍耐や清貧という徳(心の能力)が、豊かさと便利さの中に生まれ育った多くの日本人の心に一番不足している能力と申してもよいと思います。この能力の不足のために、ちょっと我慢すれば苦しまないのに、無性にイライラして自分で自分の心を苦しめている人が多いのではないでしょうか。例えば予定時刻よりも10分か15分遅れるバスを待っていて、他に何もできない程苦しんでいる乗客を見ることがあります。そういう時は自分の忍耐心を鍛えて強い人間になる絶好のチャンスと気長に受け止め、その忍耐をこの世の病人や貧しい人たちのためにお献げしていると、自分が小さいながらも何か世の人のため良い奉仕をしているように見えてそれ程苦しまず、しかも心が我慢強くなると、余裕をもって自分の人生を眺めたり、自分の仕事を楽しんで為し続けたりできるようになります。清貧や肉体労働についても、それを嫌がらずに積極的に愛好してみますと、そこには富裕な人たちの知らずにいる、心の喜びが隠されているように感ぜられます。心がひ弱に育って来た現代人であっても、聖ヨゼフの取次ぎを祈り求めつつ、聖ヨゼフの愛好していた心の能力を体得するように心掛けると、不思議に神の助けや導きを体験するようになると思います。現代人が人生に生き甲斐や喜びを見出す秘訣は、このような個人的心構えの内に隠されているように思われてなりません。
  本日の福音には、「私が自分の父の家にいるのは当たり前だということを知らなかったのですか」という、12歳の少年イエスの言葉が読まれますが、以前にはこの「父の家」を「父の神殿」と邦訳した聖書もありました。しかし、そのどちらも聖書のギリシャ語原文通りではありません。原文には「家」だの「神殿」などという言葉はありませんから。主はまだ少年ながら、当時の庶民のアラマイ語で何か神秘的なことを、聖母に話されたようです。それを直接聖母からお聞きしたギリシャ系の医者ルカも、ギリシャ語で神秘的な表現にしています。私がローマで留学していた時、カール・ラーナーがある黙想会の説教でこの事を説明してくれたので初めて学んだのですが、ギリシャ語でもラテン語訳でも、直訳すると「私の父のにいる」となっているのです。これでは解り難いというので、近代語では「家」や「神殿」という言葉を入れて訳したようですが、もし主がそのように話したのなら、聖母はそこでもう一言話されたと思います。 しかし主は、神を初めて「父」と呼んで神秘的な表現をしたので、両親はその言葉の意味がよく解らないままに、少年イエスの内に神の子の神秘を感じさせられつつ、黙々と一緒にナザレにお帰りになったのだと思います。私たちも聖体拝領の時、聖別されたパンの内に父なる神と共におられる神の子の神秘を感知しつつ、その主と共に生きる決意をお献げしましょう。