2009年7月26日日曜日

説教集B年: 2006年7月30日、年間第17主日(三ケ日)

朗読聖書: Ⅰ. 列王記下 4: 42~44.     Ⅱ. エフェソ 4: 1~6.  
  Ⅲ. ヨハネ福音 6: 1~15.


① 本日の第一朗読には、天に上げられた神の人エリヤから、その預言者的権能を受け継いだ神の人エリシャによるパンの奇跡が語られています。エリコに近いギルガルの人々が飢饉に見舞われて苦しんでいた時、一人の男の人が、その地を訪れた神の人エリシャの許に、初物の大麦のパン20個と新しい穀物とを、袋に入れて持って来ました。為政者側の政策でバアル信仰が広まり、真の神に対する信仰が住民の間に弱められていた紀元前9世紀頃の話です。しかし、飢饉という恐ろしい自然災害に直面して、信仰を失わずに敬虔に生活していたその男の人は、神の人エリシャの助けを求めて、その初物を持参したのだと思います。信仰に生きるイスラエル人たちは、神の恵みによって収穫した穀物の初物は、感謝の印に神に献げるべき最上のものと考えていましたから、それをエリシャを介して神に献げようとしたのかも知れません。一人の人が袋に入れて持参した少量の供え物だったでしょうが、それを受け取った神の人はすぐに、「人々に与えて食べさせなさい」と召使たちに命じました。召使たちは驚いたと思います。「どうしてこれを百人の人々に分け与えることができましょう」と答えましたが、エリシャは再び命じて、「人々に与えて食べさせなさい。主は言われる『彼らは食べきれずに残す』」と言いました。それで、召使たちがそれを配ったところ、主のお言葉通り、人々は飢えていたのに、それを全部食べきれずに残してしまいました。
② いったいそのパンは、いつどこで増えたのでしょうか。聖書をよく読んでみますと、預言者エリシャは召使たちに「人々に与えて食べさせなさい」と命じただけですから、パンは預言者の手元で増えたのではないようです。パンは、それを配る召使たちの手元で増えたのではないでしょうか。本日の福音にも、主イエスは過越祭が近づいていた冬から春にかけての頃、すなわち農閑期で多くの農民が主の御許に参集し易い時期に、ガリラヤ湖の向こう岸の人里から遠く離れた荒れ野で、五つのパンと二匹の魚を増やして5千人もの飢えている人々に食べさせ、残ったパンの屑で12の籠がいっぱいになるほど満腹させていますが、マタイやルカの福音書によると、それは日が傾いてからの夕刻の出来事であり、暗くなるまでの限られたわずかな時間内に満腹にさせたことを思うと、パンは主の手元でだけ増やされ、弟子たちが大量のパンを小走りしながら5千人もの人々が分散して腰を下ろしている所に運んだのではなく、預言者エリシャの時と同様に、パンを分け与える弟子たちの手元でも、次々と増え続けたのではないでしょうか。それは、その奇跡を間近に目撃した群集の心を驚かし、感動させた奇跡であったと思われます。
③ このパンの奇跡については、主のエルサレム入城やご受難・ご復活などの幾つかの出来事と同様、四つの福音書全部に述べられていますので、福音記者たちは皆この出来事を特別に重視していたと思われます。しかし、他の三福音書にはただ「人里離れた所」と記されているのに、そこに小さな山か丘があったのか、ヨハネだけはこの地形の意味を重視したようで、本日の福音には「山に登り」、「山に退かれた」という言葉が、この奇跡の前後に読まれます。二度も登場するこの「山」には定冠詞が付いていますから、どこか特定の山を指しています。ヨハネはこの「山」という言葉で、旧約のシナイ山に対比できる、新約時代の始まりを象徴する新しい神の山を考えているのかも知れません。その山はシナイ山のように高く聳えて麓の民を見下ろしているような山ではなく、開かれた高台のようになっている、世界中どこにでもあるような平凡な低い山のようです。
④ 主はその山に登って弟子たちと一緒にお座りになり、目をあげて大勢の群衆がご自分の方へ来るのを御覧になります。そしてフィリポに、「この人たちに食べさせるには、どこでパンを買えばよいだろうか」と話しかけられます。ご自身では既に、これから為そうとすることを知っておられたのですが、主の新しい意図を知らず、ただ目前のことだけに目を向けていた使徒たちは、これ程大勢の群衆に食べさせることの困難さを強調します。この世の人間の力では全てが不可能と思われる絶望的状況の中で、神の救う力が働き、神が驚くべき「しるし」を見せて下さるのです。私たちもそのような絶望的事態に直面する時、この世のことだけに目を向けていないで、すぐに神に心の眼を向け、神に信頼と希望の祈りを捧げましょう。その信頼と希望が揺るがないものに高まるなら、その祈りに応えて、私たちの内に現存しておられる神の力が働いて下さるのではないでしょうか。常日頃絶えず神のお導きに心の眼を向けて生活しておられた主のお姿に見習い、私たちも事ある毎に、いつもすぐ神のお導きとお働きに心の眼を向けるよう心がけましょう。このような習性を身に付け、いつも信仰・希望・愛に生きる人のためには、神も不思議な程よく配慮して下さるからです。
⑤ 本日の第二朗読の出典であるエフェソ書は6章から構成されていますが、初めの3章に祈りや多少教義的な教えが記された後、本日の朗読箇所であるこの4章の始めからは、神の民・光の子としての生活に関する勧めが続いています。その真っ先に強調されているのが、神からの招きにふさわしく歩むこと、すなわち神の霊による一致を保つように努めることです。本日の朗読箇所には「高ぶることなく、柔和で寛容な心を持ちなさい。愛をもって互いに忍耐し、平和の絆で結ばれて」などと勧められていますが、それらを自分の人間的な自然の力に頼って実践しようとしても、次々と弱さや不備が露出して来て、なかなか思うようには行きません。人間関係となると、私たち生身の人間の心には、無意識の内に、各人のこれまでの体験に基づいて築き上げて来た自然的価値観に頼って隣人を評価してしまう動きが強く働くようです。そのため、お互いに善意はあっても、心と心とはそう簡単には一致できないことが多いようです。そこで聖書は、各人のその個性的な価値観をもっと大きく広げさせるために、「すべてのものの父である神」に心の眼を向けさせ、「神から招かれているのですから、その招きにふさわしく」神の愛の霊によって生かされるよう勧めているのだと思います。私たち人間相互の本当の一致は、各人が神の力によって内面から生かされることにより、神において実現するよう創られているのではないでしょうか。神においては、霊も主も信仰も洗礼も皆一つになっており、私たちもひたすらその神に心の眼を向け、神の霊に生かされて生きようと努める時、各人は個性の違いを超えて皆一つの新しいからだ、新しい共同体、新しい被造物に成長するのではないでしょうか。私たちは皆そのような被造物になるよう、神から招かれているのだと思います。ミサ聖祭中に皆一つのパンから主のご聖体を拝領する時、神からのこの招きを心に銘記しつつ、そのために必要な心の照らしと恵みを願い求めましょう。
⑥ 話は少し違いますが、毎年この七月下旬と八月には、三ケ日でも館山寺でも、その他この近くの町々でも数多くの花火が上げられ、この修道院でも湖上に上げられる豪華な花火を観ることができます。花火には、心のストレスを発散させてくれる開放的で陽気な明るさがある反面、忽ちに消えてしまう儚さ・哀しさ・寂しさといった裏側の情感も込められていると思います。ある意味で、それは私たちのこの世の人生の縮図でもあると思います。広大な全宇宙の流れの中で、この世の何億、何十億という人間の人生をあの世の側から眺めるなら、各人の人生は花火のようなものではないでしょうか。瞬間に輝き、すぐ消えてしまう刹那の美しさにだけ目を楽しませるだけではなく、それを観賞しながら、同時にこの世の栄華の儚さを心に刻み込んだり、自分の人生の歩みについて回顧したり致しましょう。人間が技術を磨いて打ち上げている花火は、ほとんど失敗せずにさまざまな美しい花を大空に開かせますが、非常に多くの人の現実の人生は、あの世の側から眺めるならば、決して美しい花を咲かせたとは言えないのではないでしょうか。私たちの人生はどうでしょうか。折角神から恵まれた「一つの人生」という賜物です。急がなくて結構ですから、心の底から大きく燃焼し切って、神とあの世の人たちに喜ばれるような花を咲かせ、潔く散って行きましょう。その恵みを祈り求めつつ、本日のミサ聖祭を献げたいと思います。

2009年7月19日日曜日

説教集B年: 2006年7月23日、年間第16主日(三ケ日)

朗読聖書: Ⅰ. エレミヤ 23: 1~6.     Ⅱ. エフェソ 2: 13~18.  
  Ⅲ. マルコ福音 6: 30~34.


① 毎年の復活節第四主日には、年毎に朗読箇所は多少違いますが、いつもヨハネ福音書10章の羊飼いの譬え話の中から福音が読まれますので、「善い牧者の主日」と呼ばれることがありますが、典礼B年の年間第16主日も、その集会祈願や聖書朗読から、第二の「善い牧者の主日」と称してもよいと思います。本日の第一朗読には、「牧場」という言葉が2回、「羊の群れ」あるいは単に「群れ」という言葉が5回も登場していますが、旧約聖書には他にも、神の民を「羊の群れ」と呼び、その民の居住地を「牧場」と呼んでいる例は幾つもあります。私たちが朝の祈りの時などに愛唱している詩篇の100番にも「私たちは神の民、その牧場の羊」という言葉があります。この頃の私はこういう祈りに接すると、私たちの住んでいるこの地球は、神が大きな愛をもって創造し、住み易いように整備して下さっている美しい牧場ではないのかと考え始め、神に対する感謝の念を新たにしています。この広大な宇宙には、私たちの想像を絶するほど多くの恒星、すなわち太陽のように光り輝く星が散在していますが、そのような灼熱で燃えている星には、生物は存在できません。そこで半世紀ほど前から、そういう恒星の周りを、ちょうど地球が太陽の周りを回るようにして周期的に巡っている、灼熱していない惑星を発見する研究が進められています。ほんの少しでも周期的によたよた揺れ動く恒星の近くには、発光していない巨大な惑星があるのではないかという考えから、高度の綿密な観測が続けられたのですが、そういう惑星は光っていないのですから、長い間なかなか発見できずにいました。
② ところが近年、50光年ほど離れた恒星が周期的に揺れることから、その側に巨大な惑星が巡っていることが発見され、その後次々とそのような惑星付き恒星が90も発見されるに至りました。これは3年ほど前の話ですから、今はもっと多く発見されているかも知れません。しかし、そのいずれもが私たちの太陽系惑星とは大きく異なっていて、巨大惑星は灼熱する恒星にあまりにも近くて高温で燃えているか、あるいは細長い楕円軌道を描いて回っており、こんな細長い楕円軌道では惑星の表面温度が極度に暑くなったり、極度に冷たくなったりするので、とても生物が住める環境にはならないのだそうです。そこには水も空気も奪われ、失われていると思われます。そこで、シュミレーションを作っていろいろと実験を重ねてみると、惑星付き恒星は、そのような形で自分の周囲を巡る惑星を持つのが普通で、太陽系のように、巨大惑星である木星が、太陽から程よく離れた位置で円軌道に近い回り方をしているために、地球も水や空気をバランスよく保持しつつ、程よい位置で円軌道に近い回り方をしているのは、非常に存在確率の小さい、全く例外中の例外といってよい幸運なのだそうです。
③ もし素材となるガス体の量が多くて、二つ乃至それ以上の巨大惑星が造られるとすると、全て楕円軌道を公転するのだそうですが、太陽系の場合にはそうならずに、一つの巨大惑星である木星が太陽から程よく離れた位置で円軌道に近い回り方をしていること自体も、真に珍しい現象なのだそうです。そう考えると、神はこの太陽系のために、特別に配慮して下さったのではないでしょうか。将来地球以外のこの太陽系のどこかで、例えば木星の衛星エウロパの、数十メートルの厚い氷の下の暗い海の中に、微生物やそれを餌とする深海魚のような生物が発見されるかも知れません。しかしその生活環境は、地球の深海とも比較できない程劣悪で、厳しいものだと思われます。それを思うと、「水の惑星」と言われるこの地球は、神が特別に目をかけてお創りになった「神の民、人類の牧場」であると思います。これは単に私個人の見解ではなく、1990年代の中頃から世界の一流科学者たちの間でも新たに言い交わされている話でもあります。地球をこのように生物の住み良い星にお創りになった神の格別の愛に感謝しつつ、本日の感謝の祭儀を献げましょう。
④ 本日の第二朗読には、「実に、キリストは私たちの平和であります。二つのものを一つにし、ご自分の肉において敵意という隔ての壁を取り壊し、規則と戒律づくめの律法を廃棄されました」と邦訳されている言葉が読まれますが、ここで「二つのもの」とあるのは、その直前の11節と12節に述べられている文脈からすると、律法を持つ旧約の神の民イスラエルと、律法を知らない異邦人たちを指しています。ところで、主が山上の説教の中で「私が律法や預言者を廃するために来た、思ってはならない。廃するためではなく、成就するために来たのである」(マタイ 5: 17) と話しておられるお言葉を考慮すると、旧約の神の民に授けられた律法、そして今もユダヤ人たちが真面目に遵守している律法は、始めから無用の長物だったのだ、などと考えてはなりません。福音の恵みを深く悟り、神の求めておられる実を豊かに結ぶためには、自分に死んで神中心に生きさせようとする厳しい律法の世界を通る必要があると思います。律法の遵守は、いわば野放しの荒地を開墾する作業のようなものだと思います。旧約の神の民は、幾度も神に背き預言者たちに叱責されながらも、とにかく曲がりなりにも新しい神の恵みの種が成長し実を結ぶための耕地を準備して来ました。そしてユダヤ人たちは、今も熱心にその開墾に励んでいます。
⑤ しかし、旧約の神の民は自分たちの耕した畑に育って大きくなった神の生命の木メシアを、その畑地の外に捨ててしまったために、エルサレム神殿の滅亡という恐ろしい天罰を受けました。でも、神の民の一部は、その古い畑地から捨てられ、神によって復活させられた新しい生命の木につながれた枝となって、立派に実を豊かに結んでいます。神への従順に生きるその新しい神の民の言葉に従って、その生命の木に接木された異邦人たちも、同様に豊かな実を結ぶようになりました。しかし、この実りの豊かさの基礎には、常に己に死んで主と共に自分の心の畑を掘り起こし耕すという苦労のあったことを、見逃してはなりません。福音は、律法の厳しさを内的に自分の心の中に取り入れることによって、豊かな実を結ぶのだと思います。
⑥ では、本日の第二朗読に読まれる「敵意という隔ての壁を取り壊し」「律法を廃棄された」という言葉は、どういう意味でしょうか。私はこのことを考える時、よくイソップ物語の北風と暖かい春の太陽の話を心に思い浮かべます。自分中心という生き方を脱ぎ捨てさせ、神中心に神の子、神の僕・婢のようにして生きさせるために、律法は冷たい北風を吹かせることが多かったのではないでしょうか。それに比べると、律法を成就するためにお出でになった神の御子は、まず御自ら神中心に生きる模範を世に示し、全ての掟を「私が愛したように愛せよ」という愛の掟一つに統合することにより、対神愛と隣人愛を一つの愛にして下さっただけではなく、春の太陽のような温かさの内に、旧約の神の民にも異邦人たちにも、人間中心という生き方を脱ぎ捨てさせ、神の御子の命に生かされて生きる道をお開きになったのではないでしょうか。「このキリストによって私たち両方の者たちは、一つの霊に結ばれて、御父に近づくことができるのです」という第二朗読の言葉は、このことを指していると思います。すなわち旧約の神の民ユダヤ人も異邦人も、ただ自分中心の生き方に死んで復活の主キリストの命に結ばれ生かされることにより、神の愛の霊に生かされる一つの新しい共同体、新しい被造物になり、天の御父に受け入れられる存在になるのだと思います。
⑦ 本日の福音は、パンも袋も金も持たずに数日間宣教して来た使徒たちの報告を聞いた後、主が「人里離れた所へ行って、暫く休むがよい」と答えて、彼らと一緒に舟で人里離れた所へと向かわれたことから始まっていますが、農閑期で農夫たちに仕事がなかった時だったのでしょうか、使徒たちの宣教に感激して後を追って来た群衆は、舟の行方を見定めつつ、湖畔を駆け巡って先に対岸に到着したようです。羊飼いが何かの事情でいなくなり、荒れ野に残された羊の群れは、野獣など危険から守ってくれる新しい牧者を見つけると、そこに一斉に群がって来るようですが、主もこの時の大勢の群衆の素早い動きを御覧になって、飼い主のいなくなった羊の群れのように思われたのではないでしょうか。本日の福音には、主が彼らを「深く憐れみ、いろいろと教え始められた」とあります。ここで使われているギリシャ語の「スプランクニゾマイ(深く憐れむ)」という動詞は、共観福音書には12回登場していますが、いずれの場合も、神または主イエスが憐れむような時にだけ使われていて、対等な人間同士の単なる同情とは違っています。譬え話の中でも、戻って来た放蕩息子を抱く父親などに使われています。主も、群衆に対する神の深い憐れみの御心に動かされて最初の予定を変更なされ、彼らに教えを説き、後でパンの奇跡もなさいました。
⑧ 今日は日曜日ですので、ここで少し「安息日」ということについて考えてみましょう。旧約の神の民にとり週単位の安息日は、いわば時間における「神との契約のしるし」とされて、重視されていたのは真に結構なのですが、旧約末期のユダヤ人たちは安息日の外的規則を強調して、その日には一切の労働ばかりでなく、労働に準ずると思われる行為までもしないように努めていました。「安息日にしてはいけない」というマイナス面の規則厳守にだけ囚われていたようです。主はこれに対して、いわば新約時代のための新しい安息日遵守の仕方を身を持ってお示しになり、そのため幾度もファリサイ派ユダヤ人たちと対立したり論争したりなさいました。主は安息日を神に献げられている日として大切になさり、その日には肉体労働などはなさいませんが、しかし、人を救う必要性に出遭ったり、あるいは苦しんでいる人に神の大らかな愛の御心を示す必要が生じたような時には、「深く憐れむ」神の御心に内面から動かされるようにして、すぐにその人を癒したり助けてあげたりしておられました。これが、主の安息日遵守の仕方であったと思います。それは主にとって、この世の生活のために働く日ではなく、神に特別に心を向けて共に過ごす日、神に感謝する日、神の栄光のため積極的に祈りか何かの愛の業を喜んで為す日だったのではないでしょうか。主がその安息日の翌日、すなわち週の初めの日に復活なされ、週の初めの日に弟子たちの上に聖霊を豊かに送って新しい神の民を誕生させてから、新約の神の民にとり、安息日は日曜日に変更されたと考えられます。私たちは主キリストの仕方で、積極的に神と共に過ごす日、積極的に何かの善業をなす日として毎週の日曜日を過ごしているでしょうか。日曜日が時間における「神との新しい契約のしるし」であることを心に銘記しつつ、そのプラス面での積極的遵守に心がけましょう。そのための照らしと恵みを願い求めつつ、本日のミサ聖祭をお献げしたいと思います。

2009年7月12日日曜日

説教集B年: 2006年7月16日、年間第15主日(三ケ日)

朗読聖書: Ⅰ. アモス 7: 12~15.     Ⅱ. エフェソ 1: 3~14.  
  Ⅲ. マルコ福音 6: 7~13.
① 本日の第一朗読は、紀元前8世紀に北イスラエル王国で支配階級の圧制の罪を糾弾したアモス預言者の書からの引用ですが、その第7章の始めには、まずアモスが見た三つの幻が記されています。第一は大地の青草を全て食べ尽くすイナゴの幻、第二は湖も畑も焼き尽くす審判の火の幻ですが、アモスが神に願ったので、神は思い直されてこれらの不幸は起こらないと言われます。しかし、第三の北イスラエル王国を廃墟にする恐ろしい幻は、そのまま残ります。その預言を聞いた王国の祭司アマツヤは、国王ヤロブアムにそのことを報告しましたが、それに対する国王の返事は明記されていません。しかし、たぶん国王の意を受けて、アマツヤがアモスに言った言葉が、本日の朗読箇所になっています。祭司アマツヤはアモスに、このイスラエル王国では殺される恐れがあることをにおわせながら、ユダ国に逃れ、そこで預言するよう勧めて、ベテルでは二度と預言しないよう命じています。それに対してアモスは、自分は予言を専業としている預言者でも預言者の弟子でもない、ごく普通の貧しい農夫に過ぎないが、しかし神から「行って、わが民イスラエルに預言せよ」と言われ、派遣されて来たのだ、主のお言葉を聞け、という風に答え、本日の朗読箇所にはありませんが、すぐ続いてアマツヤについても、神からの恐ろしい宣告の言葉を告げています。それらはいずれも、北イスラエルが間もなく大国アッシリアに侵略された時に、現実となったと思います。神は、専門の宗教者や超能力に秀でた預言者たちを介してだけ語られるのではありません。それよりもむしろ、平凡な民間人や小さな者たちを介して、お語りになることが多いと思います。私たちも、その神の声を軽視したり聞き逃したりしないよう、特に平凡な小さな出会いや小さなしるしなどに気をつけましょう。神は、小さなものや小さな出来事を通してそっと私たちに近づき、心を試したり恵みを提供したりなさることが多いからです。
② キリストという言葉を幾度も登場させている本日の第二朗読は、キリストにおいて授けられた恵みゆえに父なる神を讃える、初代教会の荘厳な讃歌だと思います。古来多くの聖人賢者たちも、深い感激のうちにこの讃歌を愛唱して来ましたが、私たちもそれに倣って、この素晴らしい信仰の遺産を大切にし、私たちの心が日々その深遠な思想に満たされ養われるように心がけましょう。私は自分で持たず使っていないのでよく判りませんが、日々インターネットや携帯電話などに囲まれて生活している現代人の中には、人間関係が産み出す各種の絆しや規制、あるいは「しなければならない」という義務感や業績主義、さらにそういう無数の気遣いから生ずるストレスを解消するための様々な依存症などに束縛され、いつまでものびのびと意欲に溢れた生き方を体得できずにいる人が多いのではないでしょうか。そういう人たちの心に一番必要なのは、この古い讃歌にみなぎっているような、三位一体の創造神に対する視野の広い明るい感謝と愛と信頼の精神だと思います。
③ 神は、互いに苦しみ苦しめ合っているこの悲劇的人間たちだけをお創りになったのではなく、その前にまず、私たち人間の想像を絶する程大きな、また神秘に満ちた大宇宙とその中にある全ての存在を次々とお創りになり、聖書によると、最後にご自身に似せて私たち人間を、いわば万物の霊長としてお創りになって、これに万物を支配する使命、すなわちこの地上で働きながら能力を磨き、神のお創りになった万物を次第に深く理解して、神の創造の業に感嘆したり感謝したりしつつ、万物を神と共に世話する使命を与えて下さったのです。18世紀の啓蒙主義者たちのように、この世の時間空間的次元の考え方を神の創造にまであてはめ、神の創造をもう終わってしまった過去のことと考えることには警戒しましょう。時間空間を超越しておられる神の立場で考えるなら、宇宙万物の創造は今も続いている継続的現実であり、万物の霊長としての私たち人間の創造も、また「新たな創造」と称してもよいその救済も、まだ終わっていない継続的現実だと思います。創世記1章の終りに読まれる、「神はお創りになった全てのものを御覧になった。見よ、それは極めてよかった」という神のお言葉も、過去のものではなく、今も着々と実現し続けている事実なのではないでしょうか。神による創造が完全に実現するのは、その創造の過程で発生した罪悪の穢れが完全に払拭されて、神中心の義と愛に輝く永遠の新しい天と新しい地が、栄光の主キリストと共に現れ出る時だと思います。本日の第二朗読にある讃歌も、この観点から愛唱する時、三位一体の神の恵みと働きに対する大きな感謝と明るい信頼・希望の念が、心の底から湧き上がるのを禁じ得ないと思います。
④ 本日の福音は、主が「12人を呼び寄せ」という言葉で始まっていますが、主はこの12という数に特別の意味を与えておられたと思います。それは、旧約時代の神の民12部族に対応する新約時代の神の民の中核を構成するもの、新しい神の民のシンボルでもあると思います。使徒パウロも「12人」という言葉を、新約時代の神の民のシンボルとして使っていると思われる箇所があります。コリント前書15章に復活したキリストに出会った人々を列挙して、「ケファに現われ、その後12人に現われた」と書いている所であります。この時には裏切り者ユダは既に死んでいましたし、その代わりにマチアが使徒に選出されたのは主の御昇天後でしたから、12使徒のことを指しているのなら、「11人に現われた」と書くべきだと思います。しかし、敢えて「12人」と書いたのは、それが神の民全体の中核を象徴していたからだと思われます。
⑤ 私の少し勝手な想像ですが、12使徒たちは殉教してあの世に移った時点で、もうその使命を完全に終えて引退してしまったのではなく、あの世においても新しい神の民の土台としての使命のために配慮し、今も私たちその使命を受け継いでいる宣教者たちに陰ながら伴って、尽力しているのではないかと考えます。主は、ルカ福音書6章によると、山で夜通し神に祈られてから、ご自身で選出なされたこの神の民の中核・土台となるべき使徒たちに、神の国を全人類に広める使命をお与えになったのですから。従って現代の私たちも、何よりもその使徒たちが主から受けた使命と教えから離脱しないよう慎重に心がけながら、使徒時代からの教会の伝統に基づいて自分の受け継いだ宣教使命を果たすべきだと考えます。メシアの来臨と活動の受け皿を整え、そこにメシアを迎えて神の国を広めるはずであった旧約の神の民が、その使命の達成に不熱心になり、自分たちの現世的安泰だけを優先して生きるようになった時、厳しい天罰を受けたように、新約の神の民である私たちも、主が使徒たちにお与えになった使命、すなわち神の国を全人類に広めるという使命の達成に不熱心になり、自分たちの思想や自分たちの安泰を優先して生きるようになるなら、厳しい天罰を覚悟しなければならないと思います。2千年前の一部のユダヤ人たちの失敗に学んで、気をつけましょう。
⑥ 本日の福音には続いて、「汚れた霊に対する権能を授け」、「二人ずつ組にして遣わされた」とあります。神の国は、頭で理知的に理解させることのできる道徳的あるいは哲学的教えでも、理性に説明することのできる外的技術的知識でもなく、人の心の欲望を拠点にしている悪霊を放逐して、何よりもその心の中に神の支配を確立する生きる神の生命力だと思います。新約の神の民は、その霊的戦いのために派遣されているのです。それは人間の力だけでは勝てない戦いなので、神からの特別の権能が授けられたのだと思います。しかし、神の愛から産み出されたこの権能は、派遣された各人がそれぞれ自分の心の欲を抑制しつつ、育ちも性格も違う同僚たちと共に生活し助け合う、神の広い自己犠牲的・奉仕的愛に生きるところで、生き生きと力強く働く愛の能力だと思います。ですから主は、二人ずつ組にして派遣なされたのではないでしょうか。人生苦を超越する悟りの道を人間の側から発見し確立なされた釈尊は、その教えと道を一人でも多くの人に伝えるために、お弟子たちを一人ずつ派遣なされた、という話を聞いたことがありますが、神よりの愛の実践を基盤とする神の民の道は、それとは対照的に違っていると思います。
⑦ 続いて主は、派遣される宣教者の心得についても、二つのことを命じておられます。その一つは持ち物についての心構えであります。杖を持つことと履物を履くことは許されています。杖は野獣や蛇などの害を避けるため、また履物は荒地の野山を歩く時のために、当時の旅人には必需品だったからでしょう。しかし、パンも袋も金も持ってはならず、下着は二枚着てはならないとあります。これらのお言葉は、当時のユダヤ住民の生活事情を考慮して受け止めるべきだと思いますが、それにしても主はなぜこんなに厳しい命令をお与えになったのでしょうか。いずれ人類の贖いのため十字架上のいけにえとなることを覚悟しておられた主ご自身も、欲心を統御するため、常日頃清貧と節制に心がけておられたでしょうが、清貧と節制を愛する心の中に、悪霊の支配を打ち砕く神の権能も力強く働くことを、数多く体験しておられたからなのではないでしょうか。人間の力や人間の蓄えたものに頼り過ぎずに、ひたすら神の導きと力により縋って、人々の心から悪霊を追い出し、神の国を打ち建てるよう、主は厳しいご命令をお与えになったのだと思われます。
⑧ 主はもう一つ、宣教先での心構えについても命じておられますが、「ある家に受け入れられたら、旅立つ時までその家に留まりなさい」というのは、より快適な待遇を求めて家を変えようとしてはならない、という意味ではないでしょうか。また「迎え入れられないなら、出て行く時に (当時のユダヤ人の慣習に従って) 足の裏の埃を払い落としなさい」とあるのは、神の国の宣教者を受け入れない家には、神の保護が保証されないことを世に示すように、という意味の命令なのではないでしょうか。いずれにしても、宣教者は自分の考えや自分の力で神の国の福音を広めるのではなく、自分をいわば神の僕や神の器のようにして、自分の中で働いて下さる神の霊の導くままに、受け入れる人たちの態度に応じて神の国を広めることを、主はお命じになったのだと思います。宣教者たちが清貧と神への従順に努め、神の霊が彼らを通して働くことを、主は望んでおられるのだと思います。これは、現代の人間にとっては難しいことだと思います。私たちは毎月の第一月曜日に、司祭・修道者の増加と活動の成功のためミサ聖祭を捧げて祈っていますが、本日のミサ聖祭は、現代の神の国宣教者たちの霊的向上と成功のためにお献げしたいと思います。宜しければ、この目的のためご一緒にお祈り下さい。

2009年7月5日日曜日

説教集B年: 2006年7月9日、年間第14主日(三ケ日)

朗読聖書: Ⅰ. エゼキエル 2: 2~5.     Ⅱ. コリント後 12: 7b~10.  
  Ⅲ. マルコ福音 6: 1~6.
① 本日の第一朗読は、紀元前6世紀にエゼキエルが、捕囚の地バビロンで預言者として召し出された時の話の続きですが、神の霊が預言者の中に入り、自分の足で立たせたとあるのは、今までの生き方とは違う新しい生き方をさせようと、立ち上がらせたことを意味していると思います。キリスト教信仰生活の特徴は、2千年前のファリサイ派の信仰生活のように、不動の律法を忠実に守り通すというところにあるのではなく、現代の天気予報を狂わせることも多いほど絶えず変化する風のように、日々新たな動きをする神の霊の導きに従って生きること、働くことにあると思います。「人の子」という言葉は、新約聖書の福音書に数多く使用されていますが、旧約聖書にも創世記を始め、特に詩篇や預言書に数多く使用されています。しかし、「人の子よ」という呼びかけは、本日の朗読箇所に登場するのを初めとして、エゼキエル書に94回、他にダニエル書に1回登場するだけで、新約聖書にも全然読まれません。そのことから考えると、この呼びかけは弱い人間に過ぎない預言者に対する、神からの愛のこもった呼びかけであると思われます。エゼキエルは、神からこのように呼びかけられて、たとい「恥知らずで、強情な人々」と神の言うイスラエルの人々が、神よりの言葉を聞き入れようとしなくても、彼らにそれを告げるよう励まされたのだと思います。
② 「恥しらずで、強情な人々」と神の御心を嘆かせているような人間は、現代世界にも大勢いると思います。今年の春以来ダン・ブラウンの小説『ダ・ヴィンチ・コード』を映画化したものが日本各地で上映され、「真実を探究せよ」という宣伝文句に引かれて、今尚多くの人々がその映画を見に行くようですが、その人たちの中には、何千万部も売れて世界的ベストセラーとなったその小説の邦訳本を、買い求めた人も少なくないと思います。マグダラのマリアがキリストの子を産み、その子孫が中世フランスのメロヴィング王朝になったが、カトリック教会はこの真実をひた隠しに隠蔽して来た、というブラウンの主張や、シオン修道会という秘密結社がこの秘密を何世紀も保ち続け、その秘密結社の総長であったレオナルド・ダ・ヴィンチが、その秘密を有名な最後の晩餐の絵の中に織り込んでいるなどの、ごく最近になってから勝手に作られた嘘の話が、歴史小説の形で現代人の好奇心をそそのかし、更にそれが映画化されてカトリック教会の権威を大きく傷つけているのは、真に残念だと思います。
③ ローマで教会史を専門的に研究して来た私は、十字軍遠征が失敗した後の14世紀に、マグダラのマリアがフランスに来たなどの史実に基づかない作り話がフランス東南部に広まったこと、またそれと関連してキリストが最後の晩餐で使ったとされる聖なる杯についての伝説も、広く西欧諸国に語られ始めたことは知っていましたが、いずれも歴史的根拠のない中世末期の単なる興味本位の作り話として聞き流していました。ところが20世紀の末、すなわち10年前頃から、これらの話に、2世紀頃に最も盛んであった異端的グノーシス主義者たちの書いた各種の文書が1945年にエジプトのナグ・ハマディ町で発見されたことから、そのナグ・ハマディ文書も結びつけて、カトリック教会の信仰の伝統を批判し、傷つけるような著作が幾つも書かれるようになり、ダン・ブラウンの小説はこの新しい流れに乗って、多くの人に読まれるようになったようです。私はその小説も映画も見ていませんが、小説の最初のページには「この小説における芸術作品、建設物、文書、秘密儀式に関する記述は、すべて事実に基づいている」という巧みな但し書きがあって、読者にこれが事実に基づく話だという印象を与えようとしているのだそうです。人間の歴史には実に多くの事実誤認や誤った解釈や危険な異端思想があり、それらも皆歴史的事実ですが、それに基づいているから正しいということにはなりません。今年の6月に『「ダヴィンチ・コード」の真相、85のQ & A』というマーク・シェアとエドワード・スリ共著の本が邦訳されて、ドンボスコ社から発行されましたので、既にお持ちかも知れませんが、念のため一部皆様に差し上げるためにお持ちしました。宜しければ、お読み下さい。
④ 本日の第二朗読には、「私は弱い時にこそ強い」という言葉が読まれますが、これは使徒パウロの数多くの体験に基づく確信であったばかりでなく、またその後の多くの聖人たちも、それぞれの体験に基づいて同様の確信を持つに到ったのではないでしょうか。現代の私たちの教会も、全てが比較的落ち着いていた昔の時代の教会に比べると、情報や社会情勢などの極度の多様化・流動化の流れにもまれて、恐ろしいほど一致団結の力を弱めていると思いますが、神の働きに対する私たち神の僕・婢としての信仰と信頼が若返り、揺るがないものとなっているなら、恐れることはないと信じます。全能の神の力は、そのような教会の弱さの中でも、神への信仰と信頼がしっかりと立って輝いているなら、十分に発揮されるでしょうから。使徒パウロに倣って私たちも、現代の教会の弱さと行き詰まりのような状態にあって、「むしろ大いに喜んで」その弱さを誇りとし、ひたすら神に眼を向けて信仰と信頼に励んでいましょう。「キリストの力が」一層豊かに私たちの内に宿るように。
⑤ 本日の福音は、主が弟子たちを連れて、ご自身が3歳ごろから長年生活しておられた故郷ナザレを訪れ、安息日に会堂で話をなされた時のことですが、ナザレの人々はその話を聞いて「驚いた」とあります。原文の「エクプレーソー(驚く)」という言葉は、少し強い意味合いの言葉ですから、故郷の多くの人は、思わぬ現実を目前にして、心の底からたまげたのではないでしょうか。子供の時から長年見慣れて来た貧しい職人ヨゼフの子イエスの姿とは違う、預言者のような威厳と高い教養を匂わせながら語る、優れた説教者の姿を見たからだと思います。彼らは、この人はどこからこんな知恵と奇跡をなす力を授かったのだろう、と言い合って驚いたようです。しかしその直後に、彼らが「この人は大工ではないか。マリアの子で、ヤコブ、ヨゼフ、ユダ、シモンの兄弟ではないか。姉妹たちは、ここで我々と一緒に住んでいるではないか」などと、軽蔑するように話していることから察しますと、彼らは、それまで自分たちで作り上げて来た古い社会的イエス像に立ち戻って、躓いてしまったようです。
⑥ ここで言われている「スカンダリゾー(躓く)」というギリシャ語は、落とし穴に陥るという意味合いの言葉ですが、彼らは自分で作り上げて来たイエス像の落とし穴に、自ら落ち込んでしまったという意味だと思います。個人的にしろ社会的にしろ、誰もが無意識の内に持っている様々の人間的先入観には十分に警戒していましょう。それらは私たちを誤らせる落とし穴になることもあるからです。ここで「大工」と邦訳されている言葉は、現代社会の大工とは違って、頭を下げながら小さな修繕や小物作りの仕事を貰い歩く、貧しい左官屋のような下働き職人を指しています。ヨゼフも主イエスも、長年人々に頭を下げながら仕事を貰い歩く、そのような下層民の生活をしていたのだと思います。また「兄弟」「姉妹」とあるのは、聖母マリアの子という意味ではなく、もっと広い意味の血縁関係者、いとこというような意味です。たぶんヨゼフの兄弟たちの子らだと思います。彼らも、ナザレではあまり尊敬されていない、いわば下層民に属していたのではないでしょうか。遅くベトレヘムから移って来たよそ者だったからでしょう。更にナザレの人々が口にした「マリアの子」という言葉は、恐ろしい軽蔑の言葉です。普通はバール・ヨナ(ヨナの子) シモンなどと、父親の名で「誰々の子」と呼ばれるのに、母親の名で「誰々の子」と呼ばれるのは、私生児・テテなし子という意味になり、軽蔑する時に使う言い方です。これはユダヤ社会だけではなく、昔はヨーロッパの多くの国民の間でも広まっていた慣習でした。イタリアでもドイツでも、フランスでもスペインでも、私が留学していた1960年代の年輩の人たちは、まだそのような民間の慣習を知っていました。
⑦ 察するに、ナザレの人々は、ヨゼフの許婚であった貧しい乙女マリアが、ある日突然いなくなって、三ヶ月ほどして戻って来てからお腹が大きくなったのを、お茶のみ話の噂にしていたのではないでしょうか。マリアがその子を産んだのはべトレヘムですが、その後2年半ほどエジプトに行っていましたから、ナザレに戻って来た時には、イエスは3歳ぐらいになっていたことでしょう。顔がヨゼフに似ていないその子を見て、ナザレの人々も子供たちも、主を「マリアの子」と呼んで、事ある毎に軽蔑していたのではないでしょうか。原罪なしに生まれ、普通の人とは考えも感じ方も違う繊細の心の持ち主であったと思われる聖母も主イエスも、この軽蔑に苦しまれたと思います。しかし、何と言われても弁明せずに黙々と耐え忍んでおられたと思われますが、それをよいことに、ナザレの人たちは世俗的な悪いマリア像・イエス像を定着させていたのではないでしょうか。そのイエスが、30歳代に入ってから他の村々町々で急に有名になり、事実ナザレの会堂でも素晴らしい説教者として話し始めたので、驚いたのだと思います。しかし、誤解に基づく自分たちの長年来の悪いイエス像を改めることはできず、結局主を社会的に軽蔑する道に留まり続けたのだと思います。
⑧ 「預言者が敬われないのは、自分の故郷、親戚や家族の間だけである」という主のお言葉には、深い悲しみの情がこもっていると推察されます。これが、全ての預言者の運命なのかも知れません。人は神の不思議な新しい働きに心の眼を向けるよりも、その預言者の人間としての外的側面や過去に目を向けることが多いからです。私たちも気をつけましょう。神は私たちに身近なごく平凡な人、弱い人を通して、私たちに語りかけることが多いからです。その人についての過去のイメージに囚われることなく、何よりもその人の中での神の新しい働きに心の眼を向けるように心がけましょう。主はナザレでは、ごく少数の病人に手を置いて癒されただけで、他には何も奇跡を行うことがおできになりませんでした。主のなさる奇跡は見世物ではなく、人の心を神信仰へと招く手段であり、神が今ここに現存しておられることの証しのようなものですが、神の働きに心を閉ざし、この世の考えだけに囚われている人たちには無意味ですので、主は何もなすことができずに、他の町へと去って行かれたのだと思います。ただ外的に主の話を聞くだけ、あるいは聖体の秘跡を受けるというだけでは足りません。奥底の心はまだ扉を閉ざして眠っているので、主の恵みは心の中にまで入ることができないからです。先週の日曜日の福音の中で弟子たちは、「私の服に触れたのは誰か」という主のお言葉をいぶかり、「群衆があなたに押し迫っているのに、私に触れたのは誰かなどと言われるのですか」と言いましたが、確かに狭い通路で弟子たちをはじめ大勢の人たちが、外的には幾度も主の衣服に触れていたと思います。しかし、真剣な信仰をもって触れたのは、12年間も出血病に悩んでいた女の人一人だったのではないでしょうか。主はその人に「あなたの信仰があなたを救ったのです。安心して行きなさい。そして苦しみから解かれ、元気に暮らしなさい」という、慰め深いお言葉をかけて送り出しました。私たちもミサ聖祭の時など、全てがただ外的に進行し、過ぎ去ってしまうことのないよう気をつけましょう。今ここに現存しておられる神に対する心の信仰を新たにしながら、聖書の言葉を聴き、祈り、また秘跡を拝領するように心がけましょう。