2009年7月5日日曜日

説教集B年: 2006年7月9日、年間第14主日(三ケ日)

朗読聖書: Ⅰ. エゼキエル 2: 2~5.     Ⅱ. コリント後 12: 7b~10.  
  Ⅲ. マルコ福音 6: 1~6.
① 本日の第一朗読は、紀元前6世紀にエゼキエルが、捕囚の地バビロンで預言者として召し出された時の話の続きですが、神の霊が預言者の中に入り、自分の足で立たせたとあるのは、今までの生き方とは違う新しい生き方をさせようと、立ち上がらせたことを意味していると思います。キリスト教信仰生活の特徴は、2千年前のファリサイ派の信仰生活のように、不動の律法を忠実に守り通すというところにあるのではなく、現代の天気予報を狂わせることも多いほど絶えず変化する風のように、日々新たな動きをする神の霊の導きに従って生きること、働くことにあると思います。「人の子」という言葉は、新約聖書の福音書に数多く使用されていますが、旧約聖書にも創世記を始め、特に詩篇や預言書に数多く使用されています。しかし、「人の子よ」という呼びかけは、本日の朗読箇所に登場するのを初めとして、エゼキエル書に94回、他にダニエル書に1回登場するだけで、新約聖書にも全然読まれません。そのことから考えると、この呼びかけは弱い人間に過ぎない預言者に対する、神からの愛のこもった呼びかけであると思われます。エゼキエルは、神からこのように呼びかけられて、たとい「恥知らずで、強情な人々」と神の言うイスラエルの人々が、神よりの言葉を聞き入れようとしなくても、彼らにそれを告げるよう励まされたのだと思います。
② 「恥しらずで、強情な人々」と神の御心を嘆かせているような人間は、現代世界にも大勢いると思います。今年の春以来ダン・ブラウンの小説『ダ・ヴィンチ・コード』を映画化したものが日本各地で上映され、「真実を探究せよ」という宣伝文句に引かれて、今尚多くの人々がその映画を見に行くようですが、その人たちの中には、何千万部も売れて世界的ベストセラーとなったその小説の邦訳本を、買い求めた人も少なくないと思います。マグダラのマリアがキリストの子を産み、その子孫が中世フランスのメロヴィング王朝になったが、カトリック教会はこの真実をひた隠しに隠蔽して来た、というブラウンの主張や、シオン修道会という秘密結社がこの秘密を何世紀も保ち続け、その秘密結社の総長であったレオナルド・ダ・ヴィンチが、その秘密を有名な最後の晩餐の絵の中に織り込んでいるなどの、ごく最近になってから勝手に作られた嘘の話が、歴史小説の形で現代人の好奇心をそそのかし、更にそれが映画化されてカトリック教会の権威を大きく傷つけているのは、真に残念だと思います。
③ ローマで教会史を専門的に研究して来た私は、十字軍遠征が失敗した後の14世紀に、マグダラのマリアがフランスに来たなどの史実に基づかない作り話がフランス東南部に広まったこと、またそれと関連してキリストが最後の晩餐で使ったとされる聖なる杯についての伝説も、広く西欧諸国に語られ始めたことは知っていましたが、いずれも歴史的根拠のない中世末期の単なる興味本位の作り話として聞き流していました。ところが20世紀の末、すなわち10年前頃から、これらの話に、2世紀頃に最も盛んであった異端的グノーシス主義者たちの書いた各種の文書が1945年にエジプトのナグ・ハマディ町で発見されたことから、そのナグ・ハマディ文書も結びつけて、カトリック教会の信仰の伝統を批判し、傷つけるような著作が幾つも書かれるようになり、ダン・ブラウンの小説はこの新しい流れに乗って、多くの人に読まれるようになったようです。私はその小説も映画も見ていませんが、小説の最初のページには「この小説における芸術作品、建設物、文書、秘密儀式に関する記述は、すべて事実に基づいている」という巧みな但し書きがあって、読者にこれが事実に基づく話だという印象を与えようとしているのだそうです。人間の歴史には実に多くの事実誤認や誤った解釈や危険な異端思想があり、それらも皆歴史的事実ですが、それに基づいているから正しいということにはなりません。今年の6月に『「ダヴィンチ・コード」の真相、85のQ & A』というマーク・シェアとエドワード・スリ共著の本が邦訳されて、ドンボスコ社から発行されましたので、既にお持ちかも知れませんが、念のため一部皆様に差し上げるためにお持ちしました。宜しければ、お読み下さい。
④ 本日の第二朗読には、「私は弱い時にこそ強い」という言葉が読まれますが、これは使徒パウロの数多くの体験に基づく確信であったばかりでなく、またその後の多くの聖人たちも、それぞれの体験に基づいて同様の確信を持つに到ったのではないでしょうか。現代の私たちの教会も、全てが比較的落ち着いていた昔の時代の教会に比べると、情報や社会情勢などの極度の多様化・流動化の流れにもまれて、恐ろしいほど一致団結の力を弱めていると思いますが、神の働きに対する私たち神の僕・婢としての信仰と信頼が若返り、揺るがないものとなっているなら、恐れることはないと信じます。全能の神の力は、そのような教会の弱さの中でも、神への信仰と信頼がしっかりと立って輝いているなら、十分に発揮されるでしょうから。使徒パウロに倣って私たちも、現代の教会の弱さと行き詰まりのような状態にあって、「むしろ大いに喜んで」その弱さを誇りとし、ひたすら神に眼を向けて信仰と信頼に励んでいましょう。「キリストの力が」一層豊かに私たちの内に宿るように。
⑤ 本日の福音は、主が弟子たちを連れて、ご自身が3歳ごろから長年生活しておられた故郷ナザレを訪れ、安息日に会堂で話をなされた時のことですが、ナザレの人々はその話を聞いて「驚いた」とあります。原文の「エクプレーソー(驚く)」という言葉は、少し強い意味合いの言葉ですから、故郷の多くの人は、思わぬ現実を目前にして、心の底からたまげたのではないでしょうか。子供の時から長年見慣れて来た貧しい職人ヨゼフの子イエスの姿とは違う、預言者のような威厳と高い教養を匂わせながら語る、優れた説教者の姿を見たからだと思います。彼らは、この人はどこからこんな知恵と奇跡をなす力を授かったのだろう、と言い合って驚いたようです。しかしその直後に、彼らが「この人は大工ではないか。マリアの子で、ヤコブ、ヨゼフ、ユダ、シモンの兄弟ではないか。姉妹たちは、ここで我々と一緒に住んでいるではないか」などと、軽蔑するように話していることから察しますと、彼らは、それまで自分たちで作り上げて来た古い社会的イエス像に立ち戻って、躓いてしまったようです。
⑥ ここで言われている「スカンダリゾー(躓く)」というギリシャ語は、落とし穴に陥るという意味合いの言葉ですが、彼らは自分で作り上げて来たイエス像の落とし穴に、自ら落ち込んでしまったという意味だと思います。個人的にしろ社会的にしろ、誰もが無意識の内に持っている様々の人間的先入観には十分に警戒していましょう。それらは私たちを誤らせる落とし穴になることもあるからです。ここで「大工」と邦訳されている言葉は、現代社会の大工とは違って、頭を下げながら小さな修繕や小物作りの仕事を貰い歩く、貧しい左官屋のような下働き職人を指しています。ヨゼフも主イエスも、長年人々に頭を下げながら仕事を貰い歩く、そのような下層民の生活をしていたのだと思います。また「兄弟」「姉妹」とあるのは、聖母マリアの子という意味ではなく、もっと広い意味の血縁関係者、いとこというような意味です。たぶんヨゼフの兄弟たちの子らだと思います。彼らも、ナザレではあまり尊敬されていない、いわば下層民に属していたのではないでしょうか。遅くベトレヘムから移って来たよそ者だったからでしょう。更にナザレの人々が口にした「マリアの子」という言葉は、恐ろしい軽蔑の言葉です。普通はバール・ヨナ(ヨナの子) シモンなどと、父親の名で「誰々の子」と呼ばれるのに、母親の名で「誰々の子」と呼ばれるのは、私生児・テテなし子という意味になり、軽蔑する時に使う言い方です。これはユダヤ社会だけではなく、昔はヨーロッパの多くの国民の間でも広まっていた慣習でした。イタリアでもドイツでも、フランスでもスペインでも、私が留学していた1960年代の年輩の人たちは、まだそのような民間の慣習を知っていました。
⑦ 察するに、ナザレの人々は、ヨゼフの許婚であった貧しい乙女マリアが、ある日突然いなくなって、三ヶ月ほどして戻って来てからお腹が大きくなったのを、お茶のみ話の噂にしていたのではないでしょうか。マリアがその子を産んだのはべトレヘムですが、その後2年半ほどエジプトに行っていましたから、ナザレに戻って来た時には、イエスは3歳ぐらいになっていたことでしょう。顔がヨゼフに似ていないその子を見て、ナザレの人々も子供たちも、主を「マリアの子」と呼んで、事ある毎に軽蔑していたのではないでしょうか。原罪なしに生まれ、普通の人とは考えも感じ方も違う繊細の心の持ち主であったと思われる聖母も主イエスも、この軽蔑に苦しまれたと思います。しかし、何と言われても弁明せずに黙々と耐え忍んでおられたと思われますが、それをよいことに、ナザレの人たちは世俗的な悪いマリア像・イエス像を定着させていたのではないでしょうか。そのイエスが、30歳代に入ってから他の村々町々で急に有名になり、事実ナザレの会堂でも素晴らしい説教者として話し始めたので、驚いたのだと思います。しかし、誤解に基づく自分たちの長年来の悪いイエス像を改めることはできず、結局主を社会的に軽蔑する道に留まり続けたのだと思います。
⑧ 「預言者が敬われないのは、自分の故郷、親戚や家族の間だけである」という主のお言葉には、深い悲しみの情がこもっていると推察されます。これが、全ての預言者の運命なのかも知れません。人は神の不思議な新しい働きに心の眼を向けるよりも、その預言者の人間としての外的側面や過去に目を向けることが多いからです。私たちも気をつけましょう。神は私たちに身近なごく平凡な人、弱い人を通して、私たちに語りかけることが多いからです。その人についての過去のイメージに囚われることなく、何よりもその人の中での神の新しい働きに心の眼を向けるように心がけましょう。主はナザレでは、ごく少数の病人に手を置いて癒されただけで、他には何も奇跡を行うことがおできになりませんでした。主のなさる奇跡は見世物ではなく、人の心を神信仰へと招く手段であり、神が今ここに現存しておられることの証しのようなものですが、神の働きに心を閉ざし、この世の考えだけに囚われている人たちには無意味ですので、主は何もなすことができずに、他の町へと去って行かれたのだと思います。ただ外的に主の話を聞くだけ、あるいは聖体の秘跡を受けるというだけでは足りません。奥底の心はまだ扉を閉ざして眠っているので、主の恵みは心の中にまで入ることができないからです。先週の日曜日の福音の中で弟子たちは、「私の服に触れたのは誰か」という主のお言葉をいぶかり、「群衆があなたに押し迫っているのに、私に触れたのは誰かなどと言われるのですか」と言いましたが、確かに狭い通路で弟子たちをはじめ大勢の人たちが、外的には幾度も主の衣服に触れていたと思います。しかし、真剣な信仰をもって触れたのは、12年間も出血病に悩んでいた女の人一人だったのではないでしょうか。主はその人に「あなたの信仰があなたを救ったのです。安心して行きなさい。そして苦しみから解かれ、元気に暮らしなさい」という、慰め深いお言葉をかけて送り出しました。私たちもミサ聖祭の時など、全てがただ外的に進行し、過ぎ去ってしまうことのないよう気をつけましょう。今ここに現存しておられる神に対する心の信仰を新たにしながら、聖書の言葉を聴き、祈り、また秘跡を拝領するように心がけましょう。