2016年9月25日日曜日

説教集C2013年:2013年間第26主日(三ケ日で)

C年 年間第26主日
第1朗読 アモス書 6章1a、4~7節
第2朗読 テモテへの手紙一 6章11~16節
福音朗読 ルカによる福音書 16章19~31節


   本日の第一朗読は、紀元前8世紀の中頃に多くの貧民を犠牲にして獲得した富で、贅沢三昧に生活していた神の民、北イスラエル王国の支配者たちに対する、アモス預言者を介して語られた神の警告であります。この警告の20数年後、残忍さで知られたアッシリア軍の襲来で、サマリアは徹底的に滅ぼされました。そしてこの時は難を逃れたエルサレムの支配者たちも、その後に興隆したバビロニア軍の襲来で、亡国の憂き目を見るに到りました。過度の豊かさ・便利さ・快楽などは、人間本来の健全な心の感覚を麻痺させ眠らせて、神の指導や警告などを無視させてしまう危険があります。現代の私たちも気を付け、清貧に生きるよう心がけましょう。現代の全世界で生産される食料の三分の一は、日本や欧米諸国で捨てられていると聞きます。今の世界には十億人も飢えで苦しんでいますが、日本と欧米の食料廃棄物はその人たちを三回救える程の量に達しているそうです。貧しい国々への食料援助は世界全体で年間四百万トン程だそうですが、その二倍近い食べ物が、日本では毎年捨てられているのだそうです。貧民の救済に本腰をあげようとしていない現代世界は、古代のサマリアやエルサレムのように、あるいは古代ローマ・ギリシャ世界のように、神のお怒りを招いて遠からず徹底的に滅ぼされるのではないでしょうか。先週の土曜日から東京や名古屋などではドキュメンタリー映画「もったいない!」が上映されているそうですが、一人でも多くの人が神と大自然に対する感謝の心で食料や物資を大切にし、清貧愛と隣人愛に生きるよう、心の目覚めを祈り求めましょう。長年の私の体験や見聞を振り返りますと、神の恵みに対する感謝と清貧・節約の生活実践に心がけている人に、神はいつも恵み深いように感じています。
   本日の第二朗読は、先週の日曜日にここで説明しましたように、使徒パウロが使徒ペトロと共に殉教することになる、ネロ皇帝によるキリスト者迫害が始まる少し前頃に認められた、使徒パウロの遺言のような手紙からの引用であります。パウロはその中で、愛弟子テモテを「神の人よ」と呼び、「あなたは正義、信心、信仰、愛、忍耐、柔和を追い求めなさい」「万物に命をお与えになる神の御前で」「キリスト・イエスの御前であなたに命じます」などと書いています。これは、自分の生活の豊かさ、楽しみだけを優先して貧困に苦しむ人たちに対する配慮を後回しにし勝ちな、現代の私たちに対する神からの警告でもあると思いますが、如何でしょうか。私たちもテモテ司教と同様に、神から召され証人たちの前で主キリストに従って信仰と愛に生きることを表明した信徒・修道者であります。その初心を忘れずに、終末的様相が強まり全てが極度に多様化しつつある今の世にあって、使徒たちを介して主キリストから受け継いだ信仰と愛の生き方を、命がけで立派に証しするよう努めましょう。ご存知でしょうか、冬の星空に輝くあの正三角形の一角で、赤く光っているベテルギウスという星は、美しい三ツ星を中心とするオリオン星座の左上の一角ですが、太陽の一千倍もの直径を持つその巨大な星が今揺れ動いており、遠からずすさまじい超新星爆発を起こして死んで行くと天文学者たちに予測されています。ベテルギウスが爆発したなら、その明るさは満月の百倍にもなって、三ヶ月間も煌々と輝き続け、昼間でも肉眼で見ることが出来るであろう、と学者たちが予告していますが、新聞でその話を読んで、私は20年程前に聖母マリアが何方かに予告なされた話を思い出しました。人々が赤い星の現れるのを見たら、それが世の終わり直前の恐ろしい災害の始まる徴のようです。その時は、身近に迫っているのではないでしょうか。神に対する信仰と信頼を堅めて、覚悟していましょう。
   本日の福音は、先週の日曜日の福音である不正な管理人の譬え話に続いて、主がファリサイ派の人々に語った譬え話ですが、当時のファリサイ派の間では次のような民話が流布していました。ほぼ同じ頃に死んだ貧しい律法学者と金持ちの取税人についての話です。貧しい律法学者は会葬者もなく寂しく葬られたが、金持ちの取税人の葬式は、町全体が仕事を休んで参列するほど盛大であった。しかし、学者の同僚が死後の二人について見た夢によると、死んだ律法学者は泉の水が流れる楽園にいるのに、取税人は川岸に立ちながらも、その水を飲めずに苦しんでいたという話であります。察するに、主はよく知られていたこの民話を念頭に置き、そこに新しい意味を付加して新しく展開させながら、本日の譬え話を語られたのだと思います。
   しかし、この世で貧しかった者はあの世で豊かになり、この世で豊かに楽しく生活していた者は、あの世では貧困に苦しむようになるなどと、あまりにも短絡的にその話を受け止めないよう気をつけましょう。この世で貧しく生活していても、その貧しさ故に金銭に対する執着が強くなり、恨み・妬み・万引き・盗み・浪費などで心がいっぱいになっている人や、貧しい人々に対する温かい心に欠けている人もいます。他方、この世の富に豊かであっても、事細かに省エネに心がけ、無駄遣いや過度の贅沢を懸命に避けながら清貧に生活している人、生活に困っている人たちに対する応分の援助支援に心がけている人もいます。これらのことを考え合わせますと、本日の譬え話の主眼は、自分の楽しみ、名誉、幸せなどを最高目標にして、そのためにはこの世の物的富ばかりでなく、親も隣人も社会も神も、全てを自分中心に利用しようとする精神で生きているのか、それとも神の愛に生かされて生きることと、神の御旨に従うことを最高目標にして、そのために自分の能力も持ち物も全てを惜しみなく提供しようとする精神で生きているのか、と各自に考えさせ反省させる点にあるのではないでしょうか。
   譬え話に登場する金持ちは、門前の乞食ラザロを見ても自分にとって利用価値のない人間と見下し、時には邪魔者扱いにしていたかも知れません。それが、死んであの世に移り、そのラザロがアブラハムの側にいるのを見ると、自分の苦しみを少しでも和らげるために、また自分の兄弟たちのために、そのラザロを使者として利用しようとしました。死んでもこのような利己主義、あるいは集団的利己主義の精神に執着している限りは、神の国の喜び・仕合せに入れてもらうことはできません。神の国は、自分中心の精神に死んでひたすら他者のために生きようとする、神の愛の精神に生かされている者だけが入れてもらえる所だからです。察するに譬え話の中の乞食のラザロは、死を待つ以外自分では何一つできない絶望的状態に置かれていても、この世の人々の利己的精神の醜さを嫌という程見せ付けられ体験しているだけに、そういう利己主義を嫌悪する心から、ひたすら神の憐れみを祈り求めつつ、自分の苦悩を世の人々のために献げていたのではないでしょうか。苦しむこと以外何一つできない状態にあっても、神と人に心を開いているこの精神で日々を過ごしている人は、やがて神の憐れみによって救われ、あの世の永遠に続く仕合わせに入れてもらえると思います。福者マザー・テレサは、そういうラザロのような人たちに神の愛を伝えようと、励んでおられたのではないでしょうか。

   一番大切なことは、この世の人生行路を歩んでいる間に、自分の魂にまだ残っている利己的精神に打ち勝って、あの世の神の博愛精神を実践的に体得することだと思います。戦後の能力主義一辺倒の教育を受けて育ち、心の教育を受ける機会に恵まれなかった現代日本人の中には、歳が進むにつれて、自分の受けた教育に疑問を抱き、もっと大らかな開いた心で、相異なる多くの人と共に助け合って生きる、新しい道を模索している人たちも少なくないと思います。私たちの周辺にもいるそういう人たちのため、本当に幸せに生きるための照らしと導きを神に願い求めつつ、本日のミサ聖祭を献げましょう。

2016年9月18日日曜日

説教集C2013年:2013年間第25主日(三ケ日で)

C年 年間第25主日
第1朗読 アモス書 8章4~7節
第2朗読 テモテへの手紙一 2章1~8節
福音朗読 ルカによる福音書 16章1~13節

   本日の第一朗読は、紀元前8世紀に北イスラエル王国で活躍したアモス預言者の語った言葉ですが、預言者はここで貧者や苦しむ農民を抑圧し搾取して止まない、支配者や金持ちたちの不正を厳しく非難し、「私は彼らが行った全てのことをいつまでも忘れない」という、主なる神が誓って話された厳しいお言葉を伝えています。主は貧しい人、苦しむ人の味方で、そのような人たちの中に現存して私たちに近づかれる神であります。アモス預言者の言葉を聞いても、それまでの生き方を改めようとしなかった北イスラエル王国の支配者や富める人たちは、その後間もなく残酷なアッシリアの大軍によって征服され、国外に連行されて悲惨な状態に落とされています。神の呼びかけに謙虚に従い、悔い改めなかった天罰であると思います。

   現代の一見豊かに見える日本社会にも、人目に隠れていますが、日々の生活に窮している家族は少なくありません。派遣切りで失業したり就職難で就業できずにいる人たちやホームレスの人たち、あるいは1998年以降毎年3万人以上にもなったりした自殺者たちの貧しい遺族、細々と貧困に耐えている家族などが年々増え続けています。能力があっても貧しさのため進学できず、適当な働き場を見出せずにいる若者たちも少なくありません。1960年代から市民生活の豊かさの陰に急速に広まった生活の都市化、核家族化は、自由主義・個人主義の普及によってそれまでの地域共同体や血縁共同体を、内面から崩壊させたり無力化させたりしてしまいました。それで共同体の絆や支えを失った貧者たちの苦しみは、生き甲斐を失わせるほど深刻なものになって来ています。近年そのような人たちの生活を援助する慈善家の数も増え、慈善事業の数も増えつつありますが、まだまだ不十分の状態です。神は、ご自身がこの世に送り出されたそのような人たちの中に特別に現存して、現代の社会や私たちに憐れみと愛を求めておられるのではないでしょうか。そういう人たちの中に神よりの人キリストや聖母マリアを見出して奉仕する模範を残された福者マザー・テレサは、真に現代的な聖人であったと思います。大きなことは何一つできない私たちですが、せめて貧しく孤独に悩んでいる人たちの上に神の憐れみと導き・助けの恵みを祈り求めることにより、個人主義化した現代世界の中に、神の愛による新たな絆・新たな組織が産み出され広まるのを、日々内的にまた積極的に支援するよう努めましょう。

   本日の第二朗読は、使徒パウロがその愛弟子テモテに宛てた手紙からの引用ですが、この手紙はネロ皇帝の下でのパウロの殉教の少し前頃に書かれた手紙のようです。使徒言行録28章の最後に記されているように、パウロは紀元60年頃に初めてローマに来た時は、ローマ軍の囚人ではありましたが、まる2年間は自費で借りた家に留まっていて、来訪する人たちに憚ることなく神の国や主キリストについて宣教することができました。コロサイ書とフィレモン書の冒頭にパウロが書いているように、30歳代半ばと思われるテモテはその時、ローマでパウロと一緒にいました。紀元96年頃に第四代教皇クレメンス1世が書いた第一書簡によりますと、使徒パウロはその後暫くは今のスペインにまでも旅行したようですから、テモテとテトスに小アジアとクレタ島で使徒に代わって教会を指導する権限を与えたのも、この多少自由に行動できた時のことだと思われます。しかし、64年にネロ皇帝が、古い伝統から解放されたもっと新しいローマの町造りを意図したのでしょうか、密かに放火させてローマの町の大半を焼き払わせ、30キロ程離れた海辺の宮殿アンツィオでその火事を眺めて喜んでいたことが、後でローマ市民に知られると、放火の責任をユダヤ人に転嫁して、以前にもあったローマでのユダヤ人迫害を再燃させました。すると逮捕されたユダヤ人たちが、放火したのはキリスト者たちだと嘘の証言をしたので、ネロ皇帝によるローマ市内でのキリスト者迫害が始まり、67年に使徒ペトロもパウロも殉教するに至りました。その厳しい迫害下か、あるいはその迫害が始まる少し前頃に認められたのが、テモテへの手紙ではないか、と私は受け止めています。使徒がそこで、「願いと祈りと執り成しと感謝とを全ての人々のために捧げなさい。王たちや全ての高級官吏たちのためにも捧げなさい。私たちが常に信心と品位を保ち、平穏で落ち着いた生活を送るためです」と書いていることは大切です。主イエスも、「迫害する者のために祈れ」と命じておられます。現代の私たちも、将来神を信じない人たちからの思わぬ誤解や迫害に苦しめられることがあるかも知れません。そのような時、主キリストは全ての人の救いのためにその苦しみを神にお捧げになったことを思い、迫害する人たちの救いのため自分の受ける誤解や苦しみを、主の御受難にあわせて神にお捧げする覚悟を今から固めていましょう。

   本日の福音は、先週の日曜日の福音であった見失った羊やなくした銀貨など三つの譬え話のすぐ後に続く譬え話ですが、なぜか聖書では「その時イエスは弟子たちに言われた」という導入の言葉で始まっています。しかし、先週の日曜福音の譬え話はファリサイ派の人々や律法学者たちに語られた話とされていますし、本日の福音のすぐ後の14節には、「金に執着するファリサイ派の人々が、この一部始終を聞いてイエスをあざ笑った」とありますから、本日の福音の譬え話はファリサイ派の人々にも語られたのだと思われます。それで25年前に出版された新共同訳の日本語聖書では「弟子たちに言われた」と訳しかえています。キリスト時代のユダヤ社会では、律法上では金や物品を貸してもその利息を取ることが禁じられていましたが、しかし実際上は様々なこじつけ理由で利息が取られていたと考えられています。儲け本位の理知的貨幣経済が流行していた時代でしたから。本日の譬え話に登場する不正な管理人は、事によると日ごろから主人からの借りを借用人から返却してもらう段階で、その量をごまかして差額を着服したり、借り主に与えて友人を作ったりしていたのかも知れません。現代でも管理人任せにしてチェック体制が確立していない所では、密かに似たような詐欺や着服が横行しているようです。2千年前のオリエント世界よりも大きな過渡期に直面している今の世界では、心の教育の不備に起因する「誤魔化し人間」が少なくありませんから。主がこの話を直接ファリサイ派に向けて話されず、むしろ弟子たちに向けて話されたのは、その危険性が新約時代の神の民の中にもあることを、弟子たちによく理解させるためであったのかも知れません。

   ところでこの譬え話の末尾に、主人が不正な管理人の抜け目ないやり方を褒めて、「この世の子らは、自分の仲間に対して光の子らよりも賢くふるまっている」というアイロニーを話しておられることは、注目に値します。私は勝手ながら、主はこの「光の子ら」という言葉で、暗にその場にいたファリサイ派の人々を指しておられたのではないか、と考えます。彼らは競って律法を忠実に守ることにより、この世においてもあの世に行っても神の恵みを豊かに得ようと努めており、自分の生活を光の中で眺めていて、律法を知らず忠実に守ろうと努めていない「この世の子ら」を、闇の中にいる者たち、神に呪われた罪人たちとして批判し断罪していました。彼らは、その罪人たちに背負わせている重荷を少しでも軽くしてあげよう、助けてあげようとして指一本も貸そうとせず、罪人たちの心の穢れに感染しないよう距離を保ちながら、ただ批判し軽蔑するだけだったようです。それで、彼らから遠ざけられ軽蔑されていた「この世の子ら」は、年老いて今携わっている仕事や生活から離れる時のため、せめて自分の仲間たちに対しては親切と奉仕に努めて、孤立無援の状態に陥った時に助けてもらおうなどと考えていたのではないでしょうか。


   主はこの譬え話で、たとえ律法上では不正にまみれた富であっても、神の摂理によって自分に委託されたその富を人助けに積極的に使って友達を作るなら、その愛の実践を何よりも評価なされる神はその努力を嘉し、その人たちを永遠の住まいに迎え入れて下さると教えておられるように思います。私たちも、神から日々非常にたくさんのお恵みを頂戴しています。この世の命も健康も、日光も空気も水も、日々の食物も聖書の教えも洗礼も、全ては直接間接に神よりのお恵みであり委託物であります。私たちはそれらを人助けに積極的に利用しているでしょうか。自分を光の中において眺め、この罪の世の社会やその中で苦悩している人々のためには、別に何もしなくても天国に入れてもらえる「神の子」の身分なのだ、などというファリサイ的考えを持たないように気をつけましょう。私たちに委託されている数々の内的外的富や神の導き・啓示などを利用しながら、この世の社会や人々のためにも、せめて祈りによって積極的に奉仕するよう励みましょう。そのように心がける人たちが、神に忠実に生きようとしている「神の子ら」であり、そうでない人たちは、神よりもこの世の富(マンモン) に仕えようとしている、と神から見做されるのではないでしょうか。ここで「富」とあるのは、物質的富だけでなく、ファリサイ派が大切にしていたこの世での自分の地位、名誉、幸せなどをも指していると思います。それらを神の奉仕的愛よりも大切にしている人たちは、神から一種の偶像礼拝者と見做されると思います。私たちも神の御前で謙虚に反省し、神よりの委託物を、貧しい人や苦しむ人たちのためにも利用するよう心がけましょう。

2016年9月11日日曜日

説教集C2013年:2013年間第24主日(三ケ日で)

C年 年間第24主日
第1朗読 出エジプト記 32章7~11、13~14節
第2朗読 テモテへの手紙一 1章12~17節
福音朗読 ルカによる福音書 15章1~32節

   本日の第二朗読には、「キリスト・イエスは、罪人を救うために世に来られた」という言葉が読まれますが、この言葉が本日のミサの三つの朗読を集約している、と考えてよいかも知れません。第一朗読は、モーセが四十日四十夜シナイ山に留まって神の言葉を聞いていた間に、その山の麓では神の民イスラエルが、金の子牛を造って自分たちの神とし、それを礼拝するという恐ろしい偶像礼拝の罪を犯したことに、神が激しくお怒りになったこと、そしてその民を滅ぼしてモーセからまた新たな民を起こそうと、話されたことを記していますが、神のそのお言葉を聞いて驚いたモーセは、神がアブラハムらの太祖たちに「その子孫を天の星のように増やし、云々」と誓って話されたことを神に思い起こさせ、強い御手を振るってエジプトから導き出して下さったこの民を、その罪から救って下さるよう願っています。それで、神は民に下すと告げられた災いを思い直されましたが、これは、主キリストが罪人を救うためにこの世に来られることの、一つの前兆と受け止めてよいのではないでしょうか。神は、ご自身がなさった数々の奇跡によって奴隷状態から救い出された民の犯した、偶像礼拝という恐ろしい反逆の罪をも赦して下さる程の大きな愛をもって、全人類の犯した無数の罪を償わせ、救いを求める全ての人を救う為に、この世にメシアを派遣なされたのです。

   第二朗読では使徒パウロが、自分が以前神を冒涜する者、神の教会を迫害する者、暴力を振るう者、「罪人の中で最たる者」であったことを告白し、「しかし、信じていない時に知らずに行ったことなので」憐れみを受け、私たちの主の恵みを溢れるほど豊かに受けたことを告げています。そしてその体験に基づいて「キリスト・イエスは罪人を救うために世に来られた」という言葉は真実であり、そのまま受け入れるに値しますと語り、「私が憐れみを受けたのは、」私がキリスト・イエスを「信じて永遠の命を得ようとしている人々の手本となるためでした」などと話しています。これまでの人生で、どれ程多くの恐ろしい罪を犯したとしても構いません。使徒パウロのように、今後は神の御旨・神の導きのみに従って生きようとするならば、全ての罪は神の限りない憐れみによって赦され、自分の上にも周辺の人々の上にも、神からの豊かな恵みを呼び下すようになります。

   本日の福音は、主が徴税人や罪人たちの前で、「この人は罪人たちを迎えて、食事まで一緒にしている」というファリサイ派や律法学者たちの非難に応えて話された、「見失った羊」と「なくした銀貨」の譬え話ですが、ここで「見失った」、「なくした」などと邦訳されているギリシャ語の動詞アポッリューミは、聖書学者によると、本来あるべき所から離れて力を発揮できずに滅びへと向かうことを意味しているそうです。したがって、例えば「羊がいなくなった」という場合は、単に姿が見えなくなったというだけではなく、滅びに向かう転落をも意味しているのだそうです。ルカ福音の15章には、本日の福音の後に続く放蕩息子の譬え話も合わせますと、「いなくなっていた」だの「死のう」などと訳し替えられている、このギリシャ語の動詞アポッリューミが合計8回も登場していますが、そこにはいつも滅びへと向かうという転落の意味も込められていると思います。主は滅びへと向かっている私たち罪人を見出し救うために、この世にお出でになったという意味も込めて、これらの譬え話を語られたのではないでしょうか。

   余談になりますが、日本人が一般的に一日に三食するようになったのは、江戸時代に入って平和が続き、町人も農民も多少豊かになってからのようで、それ以前の戦国時代や室町時代には、一日二食が普通だったようです。16世紀後半の信長・秀吉時代に来日し、日本人司祭養成のため神学校を創設した巡察師ヴァリニヤーノ神父が作成した、神学生の日課によりますと、一日二食になっていてその時刻は明記していませんが、起床後の祈りや少しの仕事・勉強などを考慮しますと、朝食は10時頃になされていたようです。そして夕食は、これも分かりませんが、察するに午後の4時か5時頃だったのではないでしょうか。同じ頃のヨーロッパの修道院でも、一日二食の日課が伝統的に順守されていたようです。先日ふと聖ベネディクトの会則を読んでいましたら、四旬節には一日一回の夕食だけですが、「聖なる復活祭から聖霊降臨祭まで、修友は第六時に一日の主な食事をとり、夕方に夕食をとる」となっていますから、やはり普通は一日二食だったのではないでしょうか。しかし、「聖霊降臨以降の夏期の期間中は、畑仕事がなく夏の酷暑に悩まされることがない限り、修道士は水曜日と金曜日は第九時まで断食します。その他の日には第六時に食事をとる」とありますから、畑仕事があり夏の酷暑が続く時には一日二食ですが、そうでない時には修道院長の裁量で、聖霊降臨後にも水曜日と金曜日には一日一食だったようです。しかし、「913日から四旬節の初めまでは、常に第九時に食事をとるものとす」とありますから、当時の修道院では日曜日や大祝日を別にして、913日から四旬節の初めまでの期間にも、一日一食の大斎を守っていたのではないでしょうか。なぜ「913日から」なのか、と思って調べてみますと、昨日914日にお祝いした十字架称賛の祝日は、エルサレムでは既に5世紀から始まっていましたが、7世紀にローマ典礼に導入されましたので、8世紀の聖ベネディクトは、この十字架称賛の祝日を特別に大切にし、この日から四旬節までも大斎を守る期間としたのではないでしょうか。


   今年は明日が敬老の日とされていますが、年齢が進んで高齢の知人たちが多くなりますと、その人たちが間近にしている死の苦しみをどう受け止めたらよいのか、という心の問題や不安などにも出会います。死生学を専門とするイエズス会のデーケン神父は、『老いについて』という著書の中で、「老齢期の苦しみは、ゲッセマネの園と十字架上でのキリストの苦悩にあわせてささげることによって意味を持つようになる」と書いています。受難死を目前にして天の御父神に眼を向けながら、全ての不安や苦悩を人類の罪の償いとして神にお捧げしておられた救い主の献身的愛のお心、その心を心として生きようとする時に、神の愛聖霊が私たちの心の内に注がれ、か弱い私たちの心を内側から支え強めて、主キリストと一致して恐ろしい死の闇を潜り抜け、あの世に産まれ出る力と導きを与えて下さると信じます。老齢の私たちも十字架称賛の祝日を大切にし、聖ベネディクトの精神を体して、この祝日から四旬節までをも主と一致して日々の苦しみや煩わしさを、人類の罪の償いとして喜んで神にお捧げするように努めましょう。そうすれば、使徒パウロがコリント後書4章に書いているように、「たとえ私たちの外なる人は衰え行くとしても、内なる人は日々新たにされて行きます」という喜ばしい体験を、実感するようになると信じます。

2016年9月4日日曜日

説教集C2013年:2013年間第23主日(三ケ日で)

第1朗読 知恵の書 9章13~18節
第2朗読 フィレモンへの手紙 9b~10、12~17節
福音朗読 ルカによる福音書 14章25~33節

   紀元前4世紀の後半にアレクサンドロス大王のペルシア遠征が成功し、ギリシャ系の支配者たちがエジプトやシリアなどオリエント諸地方を支配するようになりますと、ギリシャ文明がオリエント全域に広まり始め、エジプトでは紀元前3世紀から2世紀にかけて、旧約聖書がギリシャ語に翻訳されたりしました。それは、人口の多い大国エジプトをプトレマイオス王朝の配下にある少数のギリシャ人だけで支配することはできないので、ギリシャ人たちは契約や規則を忠実に守るユダヤ人たちのエジプト移住を優遇し、新しく建設した港町で首都のアレキサンドリアは五つの地区に分けられていましたが、その内の二つはユダヤ人街とされていました。多くのユダヤ人がギリシャ人によるエジプト支配に協力し、首都アレキサンドリアやその他の地方で比較的裕福な生活を営むようになりましたら、エジプトで生まれたその子供たちや孫たちはギリシャ語しか話さなくなったようで、彼らにユダヤ民族の伝統を伝えるため、為政者側からの積極的支持もあって、旧約聖書がギリシャ語に翻訳されました。これが「七十人訳」と言われた旧約聖書であります。当時のエジプトにはパピルスと言われた植物の葉を利用した紙が豊富にありましたので、この「七十人訳」のギリシャ語聖書は、異邦人の間でも広く愛読されるようになり、これが使徒時代にキリストの福音がギリシャ・ローマ世界に早く広まるのを助けた地盤になりました。

   ところでギリシャ人が大きな港町アレキサンドリアを介して地中海諸地方と、現代世界の雛形と思われるほど盛んな国際交流を続け、世界各地の古書や資料を筆写して世界最初の大きなアレキサンドリア図書館を建設した首都に住むユダヤ人知識人たちの間では、同じく国際交流を積極的に推進した優れた知識人ソロモン王の智恵に見習おうとするような知恵文学が盛んになり、処世術や人生論などに対する人々の関心が高まっていたようです。本日の第一朗読である「知恵の書」は、そのような流れの中で、ソロモン王の時代に神の民の知識層に始まった様々の人生教訓や俚諺・格言などを集めて収録したと思われる聖書で、人間の知恵の源泉であられる真の神の知恵について教えています。この神の知恵に導かれた聖母マリアのように、人間中心のこの世の知恵には従わずに、神の僕・神の婢として神の御旨中心に生きようとするその信仰精神は、国際交流が盛んで各種の思想が全世界的に行き交う中で生活する現代人にとっても、大切なのではないでしょうか。理知的なこの世の知恵や知識が万事に優先され、何事にも合理的な理由付けを求める考え方が、社会の各層に広まっている現代社会には、そういうこの世の理知的知恵やその論議に振り回され、心の奥底に悩みやストレスを蓄積している人が少なくないように見受けられるからです。人間理性がこの世の学識や経験に基づいて産み出す知恵や知識だけではなく、それらに神信仰や神からの啓示に基づいて産み出される知恵や知識を合わせて複眼的に洞察する生き方が、極度の多様性に悩む現代人の心に本当の安らぎと確信を与えると信じます。

   本日の第一朗読は、ソロモン王の祈りという形で記されている長い祈りの一部分ですが、そこには「あなたが知恵をお与えにならなかったら、天の高みから聖なる霊を遣わされなかったなら、誰が御旨を知ることができたでしょうか」という言葉が読まれ、続いてその神の知恵、神の聖霊によって「地に住む人間の道はまっすぐにされ」、人は神の御旨を学び知って救われることが説かれています。悩む現代人の心を救うものも、この世の智者の研究や知恵ではなく、何よりも神の霊、神から与えられる知恵だと思います。使徒パウロはコリント前書1章の中で、「私は知恵ある者の知恵を滅ぼし、賢い者の賢さを虚しくする」というイザヤ29章の言葉を引用しながら、この世の知恵に従おうとするのではなく、神の知恵、神の力に従うよう力説しています。使徒のこの言葉も、様々な意見や学説が飛び交って混沌としている現代世界に生きる私たちにとって、大切だと思います。神は、私たち現代人が己を無にして神に心を向け、神よりの知恵、神の霊に従おうするのを、切に待っておられるのではないでしょうか。

   本日の第二朗読は、獄中にある使徒パウロが、コロサイの裕福なキリスト信者フィレモンに宛てた手紙からの引用ですが、それは、そのフィレモンの許から逃れ、獄中のパウロに出会ってキリスト者となった逃亡奴隷のオネシモを、その主人フィレモンの許に送り返すに当たって持たせてやった手紙のようです。「私を仲間と見做してくれるのでしたら、オネシモを私と思って迎え入れてください」という最後の言葉を読みますと、受洗した逃亡奴隷に対するパウロの愛に涙を覚えます。しかし、パウロが神の前での人間の平等を強調して、キリスト者となった奴隷の身分であるオネシモを自由の身分にするよう求めていないことは、注目に値します。当時の古代社会は奴隷制度を地盤としていますので、もしその社会制度を非難して改革しようとするなら、それは巨大な政治経済改革を始めることになり、安定していたローマ帝政国家の基盤を揺るがし兼ねません。パウロは、神の前での人間の平等は説きますが、この世の社会や国家における人間の政治経済的不平等を改革しようとはしていません。ただ、その不平等による弱い人・助けを必要としている個々人の苦しみを少しでも緩和し、あの世の神の国・愛の国に対する明るい希望をもって生活するようにしてあげようと努めていたのではないでしょうか。これが、主キリストを始め、多くの聖人たちが実践していたキリスト教的愛の生き方だと思います。例えば800年前頃のアシジの聖フランシスコは、「我が教会を建て直せ」という神の声を聞いても、大きな貧富の格差で内側から分裂し崩壊しかけていた当時のカトリック教会を建て直すために、何かの理論を掲げて改革しようとしたのではありません。貧しさと苦しみを特別に愛した主キリストの福音的生き方を実践する信仰者たちの群れを増やすことによって崩れかけていた教会を建て直し、逞しい力に溢れた教会に変革したのです。現代の福者マザー・テレサも、絶望の淵に置かれて苦しむ貧者や弱者に対する温かい愛の実践によって、現代社会を建て直そうとしていた偉大な改革者だと思います。そしてフランシスコの名を戴く今の教皇も、その同じキリストの愛の道を推奨しておられるのではないでしょうか。

   本日の福音の中で読まれる「(父母や妻、兄弟姉妹たちを) 憎まないなら、私の弟子ではあり得ない」という主のお言葉は誤解され易いので、少し説明させて頂きます。ヘブライ語や当時パレスチナ・ユダヤ地方で一般民衆の話していたアラマイ語には比較級がないので、たとえば「より少なく愛する」、「二の次にする」というような場合には、「憎む」と言うのだそうです。従って、主が受難死の地エルサレムへと向かっておられた最後の旅の多少緊張感の漂う場面で、付いて来た群衆の方に振り向いておっしゃったこのお言葉は、私に付いて来ても、私を父母兄弟や自分の命以上に愛する人でなければ、また自分の十字架を背負って付いて来るほど捨て身になって私を愛する人でなければ、誰であっても私の弟子であることはできない、という意味に受け止めるべきだと思います。察するに、そこにいた群集の多くは、農閑期の暇を利用し、多少の好奇心もあって、主の一行にぞろぞろ付いて来ていたのだと思います。そこで主は、付いて来たいなら、各人腰を据えてよく考え、捨て身の覚悟で付いて来るようにと、各人パーソナルな決意を促されたのではないでしょうか。


   「自分の持ち物を一切捨てなければ、誰一人私の弟子ではあり得ない」というお言葉も大切です。主は受難死を間近にして、全ての人の贖いのために、ご自身の命までも捧げ尽くそうと決意を新たにしておられたと思いますが、主の弟子たる者も、主と同じ心で多くの人の救いのために生きることを求めておられるのだと思います。主の御跡に従う決意で誓願を宣立した私たち修道者も、主のこれらのお言葉を心に銘記しながら、主に従う修道者としての初心を新たに堅めましょう。