2016年9月11日日曜日

説教集C2013年:2013年間第24主日(三ケ日で)

C年 年間第24主日
第1朗読 出エジプト記 32章7~11、13~14節
第2朗読 テモテへの手紙一 1章12~17節
福音朗読 ルカによる福音書 15章1~32節

   本日の第二朗読には、「キリスト・イエスは、罪人を救うために世に来られた」という言葉が読まれますが、この言葉が本日のミサの三つの朗読を集約している、と考えてよいかも知れません。第一朗読は、モーセが四十日四十夜シナイ山に留まって神の言葉を聞いていた間に、その山の麓では神の民イスラエルが、金の子牛を造って自分たちの神とし、それを礼拝するという恐ろしい偶像礼拝の罪を犯したことに、神が激しくお怒りになったこと、そしてその民を滅ぼしてモーセからまた新たな民を起こそうと、話されたことを記していますが、神のそのお言葉を聞いて驚いたモーセは、神がアブラハムらの太祖たちに「その子孫を天の星のように増やし、云々」と誓って話されたことを神に思い起こさせ、強い御手を振るってエジプトから導き出して下さったこの民を、その罪から救って下さるよう願っています。それで、神は民に下すと告げられた災いを思い直されましたが、これは、主キリストが罪人を救うためにこの世に来られることの、一つの前兆と受け止めてよいのではないでしょうか。神は、ご自身がなさった数々の奇跡によって奴隷状態から救い出された民の犯した、偶像礼拝という恐ろしい反逆の罪をも赦して下さる程の大きな愛をもって、全人類の犯した無数の罪を償わせ、救いを求める全ての人を救う為に、この世にメシアを派遣なされたのです。

   第二朗読では使徒パウロが、自分が以前神を冒涜する者、神の教会を迫害する者、暴力を振るう者、「罪人の中で最たる者」であったことを告白し、「しかし、信じていない時に知らずに行ったことなので」憐れみを受け、私たちの主の恵みを溢れるほど豊かに受けたことを告げています。そしてその体験に基づいて「キリスト・イエスは罪人を救うために世に来られた」という言葉は真実であり、そのまま受け入れるに値しますと語り、「私が憐れみを受けたのは、」私がキリスト・イエスを「信じて永遠の命を得ようとしている人々の手本となるためでした」などと話しています。これまでの人生で、どれ程多くの恐ろしい罪を犯したとしても構いません。使徒パウロのように、今後は神の御旨・神の導きのみに従って生きようとするならば、全ての罪は神の限りない憐れみによって赦され、自分の上にも周辺の人々の上にも、神からの豊かな恵みを呼び下すようになります。

   本日の福音は、主が徴税人や罪人たちの前で、「この人は罪人たちを迎えて、食事まで一緒にしている」というファリサイ派や律法学者たちの非難に応えて話された、「見失った羊」と「なくした銀貨」の譬え話ですが、ここで「見失った」、「なくした」などと邦訳されているギリシャ語の動詞アポッリューミは、聖書学者によると、本来あるべき所から離れて力を発揮できずに滅びへと向かうことを意味しているそうです。したがって、例えば「羊がいなくなった」という場合は、単に姿が見えなくなったというだけではなく、滅びに向かう転落をも意味しているのだそうです。ルカ福音の15章には、本日の福音の後に続く放蕩息子の譬え話も合わせますと、「いなくなっていた」だの「死のう」などと訳し替えられている、このギリシャ語の動詞アポッリューミが合計8回も登場していますが、そこにはいつも滅びへと向かうという転落の意味も込められていると思います。主は滅びへと向かっている私たち罪人を見出し救うために、この世にお出でになったという意味も込めて、これらの譬え話を語られたのではないでしょうか。

   余談になりますが、日本人が一般的に一日に三食するようになったのは、江戸時代に入って平和が続き、町人も農民も多少豊かになってからのようで、それ以前の戦国時代や室町時代には、一日二食が普通だったようです。16世紀後半の信長・秀吉時代に来日し、日本人司祭養成のため神学校を創設した巡察師ヴァリニヤーノ神父が作成した、神学生の日課によりますと、一日二食になっていてその時刻は明記していませんが、起床後の祈りや少しの仕事・勉強などを考慮しますと、朝食は10時頃になされていたようです。そして夕食は、これも分かりませんが、察するに午後の4時か5時頃だったのではないでしょうか。同じ頃のヨーロッパの修道院でも、一日二食の日課が伝統的に順守されていたようです。先日ふと聖ベネディクトの会則を読んでいましたら、四旬節には一日一回の夕食だけですが、「聖なる復活祭から聖霊降臨祭まで、修友は第六時に一日の主な食事をとり、夕方に夕食をとる」となっていますから、やはり普通は一日二食だったのではないでしょうか。しかし、「聖霊降臨以降の夏期の期間中は、畑仕事がなく夏の酷暑に悩まされることがない限り、修道士は水曜日と金曜日は第九時まで断食します。その他の日には第六時に食事をとる」とありますから、畑仕事があり夏の酷暑が続く時には一日二食ですが、そうでない時には修道院長の裁量で、聖霊降臨後にも水曜日と金曜日には一日一食だったようです。しかし、「913日から四旬節の初めまでは、常に第九時に食事をとるものとす」とありますから、当時の修道院では日曜日や大祝日を別にして、913日から四旬節の初めまでの期間にも、一日一食の大斎を守っていたのではないでしょうか。なぜ「913日から」なのか、と思って調べてみますと、昨日914日にお祝いした十字架称賛の祝日は、エルサレムでは既に5世紀から始まっていましたが、7世紀にローマ典礼に導入されましたので、8世紀の聖ベネディクトは、この十字架称賛の祝日を特別に大切にし、この日から四旬節までも大斎を守る期間としたのではないでしょうか。


   今年は明日が敬老の日とされていますが、年齢が進んで高齢の知人たちが多くなりますと、その人たちが間近にしている死の苦しみをどう受け止めたらよいのか、という心の問題や不安などにも出会います。死生学を専門とするイエズス会のデーケン神父は、『老いについて』という著書の中で、「老齢期の苦しみは、ゲッセマネの園と十字架上でのキリストの苦悩にあわせてささげることによって意味を持つようになる」と書いています。受難死を目前にして天の御父神に眼を向けながら、全ての不安や苦悩を人類の罪の償いとして神にお捧げしておられた救い主の献身的愛のお心、その心を心として生きようとする時に、神の愛聖霊が私たちの心の内に注がれ、か弱い私たちの心を内側から支え強めて、主キリストと一致して恐ろしい死の闇を潜り抜け、あの世に産まれ出る力と導きを与えて下さると信じます。老齢の私たちも十字架称賛の祝日を大切にし、聖ベネディクトの精神を体して、この祝日から四旬節までをも主と一致して日々の苦しみや煩わしさを、人類の罪の償いとして喜んで神にお捧げするように努めましょう。そうすれば、使徒パウロがコリント後書4章に書いているように、「たとえ私たちの外なる人は衰え行くとしても、内なる人は日々新たにされて行きます」という喜ばしい体験を、実感するようになると信じます。