2016年9月4日日曜日

説教集C2013年:2013年間第23主日(三ケ日で)

第1朗読 知恵の書 9章13~18節
第2朗読 フィレモンへの手紙 9b~10、12~17節
福音朗読 ルカによる福音書 14章25~33節

   紀元前4世紀の後半にアレクサンドロス大王のペルシア遠征が成功し、ギリシャ系の支配者たちがエジプトやシリアなどオリエント諸地方を支配するようになりますと、ギリシャ文明がオリエント全域に広まり始め、エジプトでは紀元前3世紀から2世紀にかけて、旧約聖書がギリシャ語に翻訳されたりしました。それは、人口の多い大国エジプトをプトレマイオス王朝の配下にある少数のギリシャ人だけで支配することはできないので、ギリシャ人たちは契約や規則を忠実に守るユダヤ人たちのエジプト移住を優遇し、新しく建設した港町で首都のアレキサンドリアは五つの地区に分けられていましたが、その内の二つはユダヤ人街とされていました。多くのユダヤ人がギリシャ人によるエジプト支配に協力し、首都アレキサンドリアやその他の地方で比較的裕福な生活を営むようになりましたら、エジプトで生まれたその子供たちや孫たちはギリシャ語しか話さなくなったようで、彼らにユダヤ民族の伝統を伝えるため、為政者側からの積極的支持もあって、旧約聖書がギリシャ語に翻訳されました。これが「七十人訳」と言われた旧約聖書であります。当時のエジプトにはパピルスと言われた植物の葉を利用した紙が豊富にありましたので、この「七十人訳」のギリシャ語聖書は、異邦人の間でも広く愛読されるようになり、これが使徒時代にキリストの福音がギリシャ・ローマ世界に早く広まるのを助けた地盤になりました。

   ところでギリシャ人が大きな港町アレキサンドリアを介して地中海諸地方と、現代世界の雛形と思われるほど盛んな国際交流を続け、世界各地の古書や資料を筆写して世界最初の大きなアレキサンドリア図書館を建設した首都に住むユダヤ人知識人たちの間では、同じく国際交流を積極的に推進した優れた知識人ソロモン王の智恵に見習おうとするような知恵文学が盛んになり、処世術や人生論などに対する人々の関心が高まっていたようです。本日の第一朗読である「知恵の書」は、そのような流れの中で、ソロモン王の時代に神の民の知識層に始まった様々の人生教訓や俚諺・格言などを集めて収録したと思われる聖書で、人間の知恵の源泉であられる真の神の知恵について教えています。この神の知恵に導かれた聖母マリアのように、人間中心のこの世の知恵には従わずに、神の僕・神の婢として神の御旨中心に生きようとするその信仰精神は、国際交流が盛んで各種の思想が全世界的に行き交う中で生活する現代人にとっても、大切なのではないでしょうか。理知的なこの世の知恵や知識が万事に優先され、何事にも合理的な理由付けを求める考え方が、社会の各層に広まっている現代社会には、そういうこの世の理知的知恵やその論議に振り回され、心の奥底に悩みやストレスを蓄積している人が少なくないように見受けられるからです。人間理性がこの世の学識や経験に基づいて産み出す知恵や知識だけではなく、それらに神信仰や神からの啓示に基づいて産み出される知恵や知識を合わせて複眼的に洞察する生き方が、極度の多様性に悩む現代人の心に本当の安らぎと確信を与えると信じます。

   本日の第一朗読は、ソロモン王の祈りという形で記されている長い祈りの一部分ですが、そこには「あなたが知恵をお与えにならなかったら、天の高みから聖なる霊を遣わされなかったなら、誰が御旨を知ることができたでしょうか」という言葉が読まれ、続いてその神の知恵、神の聖霊によって「地に住む人間の道はまっすぐにされ」、人は神の御旨を学び知って救われることが説かれています。悩む現代人の心を救うものも、この世の智者の研究や知恵ではなく、何よりも神の霊、神から与えられる知恵だと思います。使徒パウロはコリント前書1章の中で、「私は知恵ある者の知恵を滅ぼし、賢い者の賢さを虚しくする」というイザヤ29章の言葉を引用しながら、この世の知恵に従おうとするのではなく、神の知恵、神の力に従うよう力説しています。使徒のこの言葉も、様々な意見や学説が飛び交って混沌としている現代世界に生きる私たちにとって、大切だと思います。神は、私たち現代人が己を無にして神に心を向け、神よりの知恵、神の霊に従おうするのを、切に待っておられるのではないでしょうか。

   本日の第二朗読は、獄中にある使徒パウロが、コロサイの裕福なキリスト信者フィレモンに宛てた手紙からの引用ですが、それは、そのフィレモンの許から逃れ、獄中のパウロに出会ってキリスト者となった逃亡奴隷のオネシモを、その主人フィレモンの許に送り返すに当たって持たせてやった手紙のようです。「私を仲間と見做してくれるのでしたら、オネシモを私と思って迎え入れてください」という最後の言葉を読みますと、受洗した逃亡奴隷に対するパウロの愛に涙を覚えます。しかし、パウロが神の前での人間の平等を強調して、キリスト者となった奴隷の身分であるオネシモを自由の身分にするよう求めていないことは、注目に値します。当時の古代社会は奴隷制度を地盤としていますので、もしその社会制度を非難して改革しようとするなら、それは巨大な政治経済改革を始めることになり、安定していたローマ帝政国家の基盤を揺るがし兼ねません。パウロは、神の前での人間の平等は説きますが、この世の社会や国家における人間の政治経済的不平等を改革しようとはしていません。ただ、その不平等による弱い人・助けを必要としている個々人の苦しみを少しでも緩和し、あの世の神の国・愛の国に対する明るい希望をもって生活するようにしてあげようと努めていたのではないでしょうか。これが、主キリストを始め、多くの聖人たちが実践していたキリスト教的愛の生き方だと思います。例えば800年前頃のアシジの聖フランシスコは、「我が教会を建て直せ」という神の声を聞いても、大きな貧富の格差で内側から分裂し崩壊しかけていた当時のカトリック教会を建て直すために、何かの理論を掲げて改革しようとしたのではありません。貧しさと苦しみを特別に愛した主キリストの福音的生き方を実践する信仰者たちの群れを増やすことによって崩れかけていた教会を建て直し、逞しい力に溢れた教会に変革したのです。現代の福者マザー・テレサも、絶望の淵に置かれて苦しむ貧者や弱者に対する温かい愛の実践によって、現代社会を建て直そうとしていた偉大な改革者だと思います。そしてフランシスコの名を戴く今の教皇も、その同じキリストの愛の道を推奨しておられるのではないでしょうか。

   本日の福音の中で読まれる「(父母や妻、兄弟姉妹たちを) 憎まないなら、私の弟子ではあり得ない」という主のお言葉は誤解され易いので、少し説明させて頂きます。ヘブライ語や当時パレスチナ・ユダヤ地方で一般民衆の話していたアラマイ語には比較級がないので、たとえば「より少なく愛する」、「二の次にする」というような場合には、「憎む」と言うのだそうです。従って、主が受難死の地エルサレムへと向かっておられた最後の旅の多少緊張感の漂う場面で、付いて来た群衆の方に振り向いておっしゃったこのお言葉は、私に付いて来ても、私を父母兄弟や自分の命以上に愛する人でなければ、また自分の十字架を背負って付いて来るほど捨て身になって私を愛する人でなければ、誰であっても私の弟子であることはできない、という意味に受け止めるべきだと思います。察するに、そこにいた群集の多くは、農閑期の暇を利用し、多少の好奇心もあって、主の一行にぞろぞろ付いて来ていたのだと思います。そこで主は、付いて来たいなら、各人腰を据えてよく考え、捨て身の覚悟で付いて来るようにと、各人パーソナルな決意を促されたのではないでしょうか。


   「自分の持ち物を一切捨てなければ、誰一人私の弟子ではあり得ない」というお言葉も大切です。主は受難死を間近にして、全ての人の贖いのために、ご自身の命までも捧げ尽くそうと決意を新たにしておられたと思いますが、主の弟子たる者も、主と同じ心で多くの人の救いのために生きることを求めておられるのだと思います。主の御跡に従う決意で誓願を宣立した私たち修道者も、主のこれらのお言葉を心に銘記しながら、主に従う修道者としての初心を新たに堅めましょう。