2012年11月25日日曜日

説教集B年:2009年の王であるキリスト(三ケ日)


朗読聖書: . ダニエル 7: 13~14.     . 黙示録 1: 5~8.  
   . ヨハネ福音 18: 33b~37.

   王であるキリストの祝日は、教皇ピウス11世が19251211日付の回勅 ”Quas primas (最初のものを) ”を発布して制定した大祝日でありますが、この祝日が制定された当初ヨーロッパの一般社会では、教皇は時代遅れの理念に囚われているのではないか、という批判も聞かれたそうです。というのは、英国では19世紀のヴィクトリア女王の死後に王権が弱体化し、国際情勢や国内事情の変化でその後もますます弱まっており、ドイツ皇帝も、オーストリアのハプスブルク皇帝家も、オスマントルコ皇帝も、第一次世界大戦に敗れて滅び、その同じ世界大戦中に起こったロシア革命でロシア皇帝も滅んだというのに、なぜこんな祝日が制定されたのか、ローマ・カトリック教会は時代錯誤を来たしているのではないか、などという声が囁かれたからです。

   これまで人類社会の上に立って人民を従わせていた国家権力者が次々と滅んで、「人間は全て平等なのだ。各人はそれぞれ自分の考えに従って生活し、自分たちの生活に都合のいい政見を持つ人々を多数決で政治家に選び、政治は全て多数決で決めればいいのだ」というような、少し過激な民主主義や自由主義が第一次世界大戦直後頃の人々の間に広まり始めたので、教皇はなし崩しに神の権威さえも無視し兼ねないそういう社会の動きを憂いて、若者たちの心の教育が歪められるのを防止するためにも、また一部の独裁政党の台頭を阻止するためにも、この大祝日を制定して全世界のカトリック教会で祝わせ、人間には宇宙万物の創造主であられる神に従う良心の義務があり、その神から「天と地の一切の権能を授かっている」(マタイ28: 18) と宣言なされた主キリストの王権に服する義務もあることを、世の人々に周知させることを目指したのだと思われます。神の子で救い主でもあられるキリストの王権は、この世の政治的支配権とは次元を異にする心の世界のものであり、伝統的政治支配が崩壊して混乱の暗雲が社会を覆うような時代には特に必要とされる、各人の心の拠り所であり灯りでもあると思います。

   教皇ピウス11世は前述の回勅の中で、本日のミサの三つの朗読箇所からも、その他の聖書の箇所からも引用しながら、主キリストが天の御父から授けられた王権は、全ての天使、全ての人間、いや全被造物に対する永遠に続く統治権であることを説明していますが、例えば預言者ダニエルが夜に見た夢・幻の啓示である本日の第一朗読では、天の雲に乗って現われた「人の子」のようなもの (すなわち主キリスト) が、「日の老いたる者」(すなわち永遠の昔から存在しておられる神) の御前に進み出て、「権威、威光、王権を受けた。諸国、諸族、諸言語の民は皆、彼に仕え、彼の支配はとこしえに続き、その統治は滅びることがない」と述べられており、本日の第二朗読では、「死者の中から最初に復活した方、地上の王たちの支配者、イエス・キリストからの恵みと平和があなたがたにあるように」という、挨拶の言葉が読まれます。ここで「地上の王たち」とあるのは、この世の社会の為政者たちのことではなく、主キリストを王と崇める人たちを指していると思われます。この言葉にすぐ続いて、「私たちを愛し、ご自分の血によって罪から解放して下さった方に、私たちを王とし、ご自身の父である神に仕える祭司として下さった方に、栄光と力が世々限りなくありますように」という祈りがあるからです。主キリストは、神からご自身のお受けになった永遠の王権と祭司職に、罪から清められて救われた私たちをも参与させ、被造物の浄化救済に協力させて下さるのだと思われます。

   しかし、主キリストのその王権は、過ぎ行くこの世の社会の支配権とは次元の異なる心の世界のもの、永遠に続くあの世の超自然世界のものであります。私たちが生来持っている自然理性は、この世の自然界やこの世の人間社会での限られた体験や経験に基づいて、自然法則や何か不動の恒久的原理などを作り上げ、それを基盤にして全ての事物現象を理解したり批判したりしますが、人間理性が主導権を握っているそういう考えや原則などは、宇宙万物の創造主であられる全知全能の不可思議な神が主導権を握っておられる、永遠に続くあの世の真実の世界、いわゆる「超自然の世界」には通用しないもの、刻々と過ぎ行くこの儚い仮の世での非常に限られた狭い経験に基づいて、視野の狭い人間たちの作り上げた仮のものでしかないのです。あの世の超自然界では、何よりも神の御旨に従う徹底的従順と、神の霊に照らされ導かれて神よりの啓示である聖書も日々出逢う事物現象も正しく深く洞察する知性とが重視されていると思います。2千年前に神の御子主イエスは、その生き方を私たち人類の歴史の中で身を持ってはっきりとお示しになったと思います。
   教皇ピオ11世は、その主を各人の心の王と崇めつつ、その御模範に倣って生活するのが、現代の迷動して止まない自由主義・民主主義時代に神から豊かな恵みを受け、人類社会を正しく発展させる道であると確信して、本日の祝日を制定なさったのだと思います。本日の福音には、裁判席のローマ総督ピラトの「お前はユダヤ人の王なのか」という質問に、主は厳かに、「私の王国は、この世のものではない。云々」と宣言なさいます。そこでピラトが、「それでは、やはり王なのか」と尋ねますと、主は「私が王だとは、あなたが言っています」という、以前にも説明したことのあるあいまいな返事をなさいます。それは、ご自身が王であることを否定せずに、ただあなたが言う意味での王ではないことを示すような時に使う、特殊な言い方だったようです。その上で主は、「私は真理について証しするために生まれ、そのためにこの世に来た。真理に属する人は皆、私の声を聞く」と話されて、ご自身が真理を証しするために、あの世からこの世に来た王であることを宣言なさいます。

   ピラトにはこの言葉の意味を理解できませんでしたが、それまでの伝統的社会道徳が急速な国際貿易発展の煽りを受けて拘束力を失いかけていたキリスト時代に似て、それまでの伝統的価値観が権威も力も失ない、地震の時の地盤液状化のようにして、労働階級から自由主義や共産主義の水が湧き出した80年前頃のヨーロッパでは、世界大戦後の新しい国家の建設が、今のイラクやその他の国々のように、一時的に数々の困難に直面していました。しかし、権威をもって心の真理を証しするあの世の王を基盤にする信仰と生き方に努めることは、多くの人の心に新たな希望と生きがいを与えるものであったと思われます。事実、王であるキリストの祝日が祝われ始めた1920年代、30年代には、民間の非常に多くの欧米人が主キリストを自分の心の王として崇めつつ、各種の信仰運動を盛んにし、無宗教の共産主義に対抗する新たな社会の建設を推し進めたばかりでなく、カトリック界では、統計的に最も多くの修道者や宣教師を輩出させています。主キリストの神秘体に組み込まれ、その普遍的祭司職や王権に参与している私たちキリスト者も、今の世の流れの中で、主のようにもっと神よりの威厳を示しながら大胆に生き抜きましょう。

   21世紀初頭の現代には、極度の豊かさと便利さの中で心の欲情統制が訓練されていない人が増えているだけに、ある意味でピウス11世時代と似た個人主義精神や原理主義精神や新たな軍国主義精神の危険が、私たちの社会や生活を脅かしていますが、自分の心が仕えるべき絶対的権威者をどこにも持たない人たちは、意識するしないにかかわらず、結局頼りない自分の相対主義的考えや欲求のままに生きるようになり、マスコミが強大な力を発揮している現代のような時代には、外から注がれる情報に操られ、枯葉や浮き草のように、風のまにまに右へ左へと踊らされたり、吹き寄せられたりしてしまい勝ちです。心があの世の王国に根を下ろし、忍耐をもって実を結ぼうとしていないのですから。心に不安のいや増すそういう現代人の間では、以前にも増していじめや家庭内不和などが多発しており、いつの時代にもあったそれらの人生苦に耐えられなくなって、自暴自棄になったり自殺に走ったりする人も増えています。真に悲しいことですが、その根本原因は、心に自分の従うべき超越的権威者、あの世の王を捧持していないことにあると思われます。聖母マリアは「私は主の婢です」と申して、ご自分の内に宿られた神の御子を心の主と仰ぎ、日々その主と堅く結ばれて生きるように心がけておられたと思います。ここに、救われる人類のモデル、神の恵みに生かされ導かれ支えられて、不安の渦巻く時代潮流の中にあっても、逞しく仕合せに生き抜く生き方の秘訣があると思います。一人でも多くの現代人がその秘訣を体得するに至るよう、特に心の光と力の欠如に悩んでいる人々のため、王である主キリストの導きと助けの恵みを願い求めつつ、本日のミサ聖祭を献げましょう。

2012年11月15日木曜日

説教集B年:2009年11月15日の秋山家の追悼ミサ(浜松で)

朗読聖書: Ⅰ. ローマ8: 18~25.
                   . ヨハネ福音 6: 37~40.

     これまでに帰天なされた秋山家の死者たち7名を、祈りの内に感謝の心で偲び、記念する本日のミサでは、死んだら私たちの霊魂はどのような状態で肉身の復活を待望し、また復活の後にはどのようになるのかなどについて、カトリック教会の伝統から少し学んでみたいと思います。十数年前頃だったでしょうか、マスコミに臨死体験や超能力、心霊写真や霊能者・陰陽師などが頻繁に登場するようになりましたら、「死んだらどうなるの」、「カトリック教会ではどう考えているの」などという質問を受けるようになりました。私はそのような質問を受けると、神学生時代に恩師トナイク神父から聞いた言葉、すなわち「これまでの神学はいつも過去の由来や伝統に眼を向け勝ちであったが、これからはもっと将来に眼を向け、目的論の立場で考究する必要があると思う。そこから神学の未来が大きく開けて来るであろう」という言葉を懐かしく思い出します。神が何のためにこの広大な宇宙やこのような美しい水の惑星地球を創造し、そこにその御独り子を派遣なされたのか、天使や人間は何のために永遠に存在するものとして創造されたのかなどについて、目的論の立場からもっと深く考えてみる必要があるということ以外に、神父は別に詳しい説明はしませんでしたが、このヒントは、その後の私のカトリック信仰理解にいろいろと影響を及ぼしていたように思います。そこでこの目的論の立場から、その後の私の心に去来した少し大胆な想像を紹介してみましょう。

     私が南山大学3年次に受講したドイツ人の教育学者ヘルデマン神父は、ある日の講義の中で、我々の人生はこの世だけで終わるものではなく、この世の人生はそのまま死後の人生に霊的に継続され、永遠に神目指して昇って行くものであると、カトリックの伝統に基づいて話したのを、私は感銘深く傾聴したことがあります。神父はその時、この世の人生はこの世で終わり、あの世はまた初めから新たに始まると考える二元論を厳しく退け、あの世の永遠に続く真の人生のため、この世にいる時から絶えず精神を準備し、鍛えるように心がけなければならないと強調していました。実際、カトリックの伝統的教えによると、この世で神目指して昇る人生を営んだ人は、死後もその上昇勾配を維持しながら神目指して高く上り続けるでしょうし、この世で神に徹底的に背を向ける路線を選び続けた人は、死後もその路線を進んでますます神から離れて行くことでしょう。この世の人生が既に胎児の時から始まっているように、死の闇を通って生まれ出る私たちのあの世の人生も、既にこの世にいる時から始まっており、使徒パウロがコリント前書15章に詳述しているように、この世で蒔いたものがあの世で永遠に続く素晴らしい体に復活するのだと思います。

     創世記によると、天と地、すなわち霊界と物質界とを創造なされた神は、物質界宇宙の万物を次々と生成発展させて、動植物も、また人間の生存活躍の地盤や環境も整えた後に、ご自身に似せて人間をお創りになったようですが、各人は、140億年あるいは137億年とも言われているこの宇宙の歴史に比べてはあまりにも短い、数十年あるいは百年余の期間だけこの世に生息するために創られたのではなく、本来「神のように」永遠に生きるため、永遠に自由に考え愛し支配するために、神から特別の愛をもって創られたのではないでしょうか。それが、創世記の「神はご自身にかたどって人を創造された」(創、1:27)という言葉の意味だと思います。私たち各人の霊魂の奥底には、そのような自由と愛と自主性に対する根強い憧れが神ご自身によって本性的に組み込まれており、か弱い女子供であっても、それを頭から無視し押さえ込もうとする外からの力に対しては、時として命をかけるほどの強い抵抗を示すことがあります。私たちのこの世での短い人生は、永遠に続く本来の人生に入る前段階であり、言わば地に蒔かれた種の段階、昆虫の蛹の段階、あるいは動物の卵や胎児の段階のようなものだと思います。私たち各人は皆、あの世に生まれ出た後には、神のように「天」と「地」、霊界と物質界との接点にあって、その両方の世界に両足でしっかりと立ちながら、神の御許で神のため、神と共に永遠に万物を観察し愛し、「神の子」として自主的に支配する使命を神から戴いていると思います。この世の命の死は、その輝かしい真の人生の世界へと生まれ出るために通過する、暗いトンネルのような所と考えてよいのではないでしょうか。

     最近らせん状に2本の鎖に連なる人間のDNA、いわゆるヒトゲノムの30億にも達する塩基の配列が全部解読されましたが、その内onの状態になっている遺伝子は7%、32千ほどだけで、残りの93%はoffの状態になっており、どういう機能を持つものかまだ判っていないと聞きます。しかし、神がそんなに多くの塩基を全ての人間に無駄にお与えになっているとは思われませんので、私は勝手ながら、この世でoffの状態になっているそれらの遺伝子は、この世の時間空間の枠から解放された来世で、永遠に続く人生のために与えられている遺伝子だと考えています。私が神学生時代から長年親しくしていたオランダ人のファンザイル神父は、子供の時から時間空間の制約を超えて、遠く離れている所にある水や、他人の忘れ物や、知人の将来の死などについてしばしば正しく言い当てていましたが、それらは皆そのようなあの世的遺伝子による超能力だと思います。それらは私たちも皆、魂の奥底に既に神から戴いている眠れる能力であり、主キリストの栄光に満ちた再臨によって、もはや死ぬことのないあの世の体に復活する時に働き出すのだと考えます。ですから私は、私たちのあの世の人生については、大きな明るい希望を持って生活しています。

     しかし、肉身ごとあの世の不死の生命に復活したと信じられている主キリストと聖母マリアとを別にしますと、肉身を離れてあの世に移った人間の霊魂たちは、本来肉と霊とから成る人間としてはまだ不完全な過渡的状態、言わば「死の状態」に置かれているのですから、メシアが再臨してこの世の全てを新たにし、この世に生を受けた全ての人を復活させる終末の日までは、まだ人間としての十全な活躍も、思う存分自由な移動などもできず、ひたすら静かに終末の時の復活を、さまざまの夢と憧れの内に待望しているのではないでしょうか。その霊魂たちは、まだこの世に残っている親しい人々の幸せのために祈ることも、この世の人々の祈りに慰められ助けられることもできる状態にあり、時にはそっとこの世の人々を守り助け導くこともあると信じます。意識は失っていないのですから。この世の肉身が灰となり完全に失われてしまっても、一度この世に生を受けたことのある霊魂は、既に自分独自の肉身とその遺伝子への志向性を保持していますから、肉身は完全に消滅していても、終末の日には再び自分の遺伝子を持つ肉身に、しかもその成熟した大人の姿に復活することになる、とカトリック教会の伝統は教えています。

     13世紀の優れた神学者聖トマス・アクィナスは、自分の肉身への志向性を持つそのような霊魂を、anima assignata と呼んでいます。私はこの事について、わが国における聖トマス研究の第一人者であって数年前に帰天した山田晶氏と親しく話し合ったことがあります。山田晶氏は京都大学の名誉教授でカトリック信者であります。霊魂が自分独自の体に対して持つその志向性は、人間としての生を受けて懐妊された時に霊魂に与えられる遺伝子のようなものと考えてよいと思います。それで聖書にも描かれているように、胎児も人間であるというのが教会の伝統的教えです。では、一度もこの世に生まれ出ていない胎児の成熟した大人の姿をどうして見分けるのか、などという質問を抱く人がいるかも知れません。最近の科学機器でも独自の電波発信機を取り付けた人や動物が今どこにいるかを探知することができますが、私は、あの世ではそれよりも遥かに正確に、自分の身内や知人が今宇宙のどこにいるかを瞬時に見分ける能力を、各人の持つ遺伝子の内に保持していると考えます。各人はそれぞれ全く独自の遺伝子を与えられている、言わば一つの独立した小宇宙のようなものでしょうから、教会はたとえ胎児の命であろうとも、神からの二つとない全く独自の恵み故に、それを大切にするよう伝統的に心がけています。メシア再臨の日にその栄光に照らされて復活した人たちは、ちょうど2000年前のメシアの復活体と同様に、今も際限なく膨張しつつあるこの宇宙の至る所を神出鬼没に自由に移動しつつ、あらゆる風景や生物などを存分に観察したり、神に讃美と感謝を捧げたりして、神の子キリストの栄光に浴して輝く「新しい天と地」、新しい宇宙の全被造物と共に、永遠に幸福に生き続けるのではないでしょうか。主イエスと聖母マリアの復活体は、すでにご自身の受け継いだ遺伝子を全てonにして永遠に生きる人間となっておられますから、今ある宇宙の神秘もこの世の人類の歴史についても、父なる神に次いで誰よりも詳しく知っておられると思います。そして今のこの苦しみの世に悲惨な出来事などが発生した時には、人間として実際に涙も流しておられると思います。世の終わりの復活の日をひたすら待っている私たちの死者たちは、この世の社会の新しい出来事については、まだそこまでは知らずにいるのではないでしょうか。

     先程ここで朗読されたように、使徒パウロは神から与えられる私たち人間の栄光について、「現在の苦しみは、将来私たちに現されるはずの栄光に比べると、取るに足りないと思います。被造物は、神の子らの現れるのを切に待ち望んでいます」「被造物も、滅びるものへの隷属状態から解放されて、神の子らの栄光ある自由に参与するからです」などと述べていますが、私たちはその時、近年ますます深く解明されつつある大宇宙の神秘も、各種生命の神秘も、また神の子らの栄光に参与して、新しく完全な共存共栄の内に永遠に発展し始める動植物の美しい輝きについても、あるがままに詳細に観測することができ、大きな感動と喜びのうちに神の全能と叡智と愛を讃美し、全被造物と共に神に永遠に感謝の讃歌を捧げるのではないでしょうか。そして時には、主キリストを頭とする巨大な交響楽団や合唱団のようになって、父なる神に礼拝・讃美・感謝の大交響曲を奏でたり、大合唱を捧げたりするのではないでしょうか。ヨハネの黙示録を読む時、私の脳裏にはそのような想像も去来します。

     既にあの世に移っておられる秋山家の死者たちの御霊魂は、他の無数の死者たちの霊魂と同様に「死の状態」という制約の下に留められていても、将来の栄光に輝く復活の時を大きな明るい希望のうちに待っており、この世に残されている私たちのためにも陰ながら配慮し、祈っていて下さると信じます。こうして御ミサを捧げてそのお幸せを祈ることにより、あの世の身内の人たちとの心の繋がりを深めることは、あの世からの支援を受けるパイプを太くすることにもなると信じます。これからも事ある毎にあの世の霊魂たちのことを思い出したり、その冥福を祈ったりするよう心がけましょう。

2012年11月4日日曜日

説教集B年:2009年間第32主日(三ケ日)

朗読聖書: . 列王記上 17: 10~16.     . ヘブライ 9: 24~28.  
        . マルコ福音 12: 38~44.

   本日の第一朗読の出典である列王記は、ダビデ王の晩年からバビロニアに滅ぼされたユダ王国の最後の王までの出来事を扱っていますが、そこには預言者ナタンをはじめ、エリヤ、エリシャなどの優れた預言者たちの活躍も多く扱われていますので、聖書の中では前期預言書の部類に入れられています。本日の朗読箇所である列王記上の17章は、シドン人の王女イゼベルを妻に迎えた北イスラエルのアハブ王が、サマリアにまでバアルの神殿を建設して異国の神々に仕えるようになったので、お怒りになった主なる神がエリヤを介して、アハブ王に「数年の間、露も降りず雨も降らないであろう」と天罰を告げるところから始まっています。そして主はエリヤに、「ここを去って東に向かい、ヨルダンの東にあるケリト川のほとりに身を隠せ。その川の水を飲むがよい。私は烏たちに命じて、そこであなたを養わせる」とお命じになりました。そのケリト川がどこにあったのか、今日では分からないそうですが、察するに、人里から遠く離れた山奥の小さな谷川であったかも知れません。

   国王や世間の人々の目を逃れて身を隠すには絶好の隠れ場でしょうが、しかしこれから干ばつが始まり、農作物も木々も実を結ばなくなるというのに、食物の蓄えが全くないそんな所で生きて行けるのでしょうか。エリヤの心は不安を覚えたと思います。しかし、全能の主に対する信仰と従順の故に、その不安を主に委ねてそこに身を隠しました。すると不思議な事に、その隠れ家に数羽の烏が朝晩パンと肉を運んで来ました。エリヤはそれを食べ、その川の水を飲んで生活していました。しかし、しばらくするとその川の水も涸れてしまいました。雨がヨルダンの東の地方にも全然降らなくなったからでした。すると主の御言葉がエリヤに臨み、「立ってシドンのサレプタに行き、そこに住め。私は一人のやもめに命じて、そこであなたを養わせる」と命じました。そのお言葉の続きが、本日の第一朗読です。エリヤは立ってサレプタに行きました。アハブ王の罪故に下された天罰、大干ばつは、アハブ王の支配下でない隣国のフェニキア地方にまで及んでいたようで、そこでも人々は干ばつによる食糧不足に苦しんでいました。

   やもめは、聖書の中では孤児や寄留者と共に貧しい人、弱い人の代表のようにされています。聖書の時代には、女性の社会的権利が低く抑えられていましたので、男性の保護を欠くやもめたちは、一般に財産の蓄えもなく、貧困と戦いながら生活を営むことが多かったと思われます。社会全体が飢饉に苦しむような時には、その苦しみは極度に達したと思います。そのようなやもめの一人に預言者エリヤは派遣されました。「あなたの神、主は生きておられます。私には焼いたパンなどありません」という返事から察しますと、聖書の教えやおきてのことは何も知らなくても、彼女は世界万物の創り主であられる神の存在や働きに対する信仰は持っていたと思います。その彼女が全てをエリヤの言葉通りになすと、「彼女もエリヤも、彼女の家の者も」食べ物に事欠くことがなくなりました。主の御言葉に完全に従いつつ生きる預言者を通して、全能の神が貧しい人たちの所でこのような大きな奇跡をなさったからだと思います。現代においても同じ神は、信仰と博愛の内に敬虔に生きる貧しい人、弱い人たちをお心にかけて助け導いて下さると信じます。その神の愛と憐れみに感謝しながら、私たちも現代の貧しい人、弱い人たちのため、今後も希望をもって神に助けと導きを願い求めるよう心がけましょう。

   先週の日曜日、私は宮城まり子さん経営の身障者福祉施設「ねむの木学園」の運動会を見学して来ました。それで今日は、そのお土産話も少しさせて頂きます。ご存じのように、東京都出身で1950年から60年代の前半まで歌手として活躍なさった宮城まり子さんは、58年頃からは女優としても、また声優としても活躍し、数々の賞を受賞していますが、68年に御前崎に近い浜岡町に身障者の福祉施設「ねむの木学園」を創立しています。そして74年には記録映画「ねむの木の詩」を自ら監督者となって製作し、第六回国際赤十字映画祭で銀メダルを受賞しました。その後もテレビ番組などを通して身障者の社会参加を世に訴え、79年には総理大臣に表彰されています。「ねむの木学園」は12年前の97年に掛川市の現在地に移転しました。宮城さんは昭和23月のお生まれで既に82歳ですが、最近御膝を痛めたそうで、立ち上がって挨拶したりすることはできますが、離れた所まで歩くことは難しいようで、先日も車椅子に乗って行動しておられました。私は掛川駅で送り迎えのバスに便乗した時、たまたま隣の席に座った東京杉並区の山部李子さんから、いろいろと細かく「ねむの木学園」のことを聞くことができました。山部さんは30数年前に浜岡町で学園の運動会が開催されていた頃から、毎年のようにこの運動会を見学に来ている支援者の一人のようです。

   掛川駅南口のバス停に非常に多くの人が四列に並んでいるのを見て、私は、初め遠鉄バス数台で出発する観光客の団体がそこにいるのだ、と思いましたが、それが皆「ねむの木学園」の運動会を見に行く人たちでした。山部さんの話では、昨年も700人を超える人たちがこの運動会に来たそうですが、今年もそれ位の人たちが参加しているようでした。「ねむの木学園」には小型バスと中型バスの2台しかありませんので、その人たちの送迎には遠鉄バスも数台協力してくれるのだそうです。芝生で覆われている学園のグラウンドには、一周80mほどと思われる楕円形の走るコースが設けてありますが、そこで行われた運動会は「芸術運動会」と称してよいような、真に興味深いものでした。出し物は毎年いろいろと違った趣向を凝らしてあるのだそうで、バックミュージックも、着る衣装も、為す演技も、全て経験豊かな宮城さんのアイデアだと思います。10時に始まって午後2時すぎまで、本当に楽しく見学させてもらいました。途中に1時間昼食と休憩の時間がありましたが、その時全員に配布された大きな孟宗竹の中に入った弁当は、「かぐや姫弁当」と呼ばれていました。私にはそれ一つで十分でしたが、食べ足りない人たちには、別にお菓子や焼き芋なども用意されていました。運動会に出演した身障者は80数人であったかと思いますが、歩けない人たちも少なくないので車椅子も使われていました。身障者全員が出演した行列の時には、車椅子が40台を数えました。また「ねむの木学園」に勤務している職員も40数人出演していました。最後に、子供の身障者組、中学生以上と思われる身障者組、職員組の3組に分けて、夫々の組が紅組、緑組に分かれてなしたリレーは、観衆を沸き立たせる面白いものでした。車椅子を自力でこぐ人も、自力で少し動かしながらも後ろから職員に押してもらう人もいるかと思うと、10mあるいは20mだけ進む人や、コースを一周する人、二周する人もいて、一応夫々の体力を考慮してバランスよく組分けがなされていたようです。最後の表彰式には、少しの差で紅組が二勝一敗で立派な優勝旗をもらいました。そして別に身障者3人にも、努力賞としてでしょうか、金カップが渡されました。

   運動会終了後、見物者たちは「ねむの木」村の一番奥にある「ねむの木こども美術館」やその途中にある「吉行淳之介文学館」、ガラス工房、茶室和心庵、森の喫茶店、雑貨屋さん、ガラス屋さん、毛糸屋さん等々に立ち寄っていたようですが、運動会中はよく晴れて青空が広がっていた空には急に雨雲が広がり、3時過ぎからポツポツ小雨が降り始めましたので、私は一番早い送迎バスに乗って帰って来ました。山部さんの話によると、この運動会の時にはいつも晴れまたは曇りで、雨に降られたことはないそうですが、宮城さんも開会式の挨拶で、「昨日までの天気予報では雨となっていましたが、私は晴れ女のようで、今日もこんなによい天気に恵まれました」と話していました。とにかく運動会中最後まで好天であったのは、神の恵みであったと思います。

   私が度々宿泊しに行っていた西明石の親しい知人のカトリック信者は、子供三人のうち二人が身障者で苦労していましたが、その二人は成長すると、それぞれ多少なりとも生活力をつけるため、温かい理解を持つ小さな会社に雇われて働かせてもらっていました。しかし、身障者は人一倍自分の生命力を使い果たしつつ生きているのか、二人とも30年ほど前に30歳に達せずに亡くなりました。当時の世間には、社会的に弱い者や身障者たちに温かい理解を持たない人たちが多かったことも、その短命に関係しているかも知れません。それに比べると、宮城さんがこれ程多くの身障者たちを相互に助け合いながら楽しく生活させていることは、本当に素晴らしいことだと思います。でも、大きく成長した身障者たちを温かく受け入れてくれる勤め先は殆どなく、ここで大人になった身障者たちは、皆「ねむの木」村に住んで様々な仕事をしながら生活しているようです。日本の一般社会は、まだまだ弱い者たちには冷たいのではないでしょうか。

   わが国はすでに30数年前から欧米並みの経済大国になっていますが、最近の経済変動で国内にはこの豊かさに取り残されている貧者が増えて来ているようです。先日長妻厚生労働大臣が初めて公表した、低所得者層の占める割合を示す相対的貧困率によると、国民の7人に1人が貧困状態にあるようです。これは、経済協力開発機構に加盟している世界の30ヵ国のうち、4番目に高い数値だそうです。能力や意欲があっても、貧しさのため学校に行けない子供たちも増えていると思います。そういう貧しい弱い立場に置かれている無数の人たちのためにも、神の憐れみとお助けを祈り求めましょう。

2012年11月1日木曜日

説教集B年:2009年11月1日諸聖人の祭日(三ケ日)


朗読聖書: . 黙示録 7: 2~4, 9~14.   . ヨハネ第一書簡 3: 1~3.  
   . マタイ福音 5: 1~12a.

   本日の第一朗読であるヨハネの黙示録は、紀元1世紀の末葉AD 94年に、ローマ帝国内の住民たちが経済的豊かさと自由主義の内に、思想も何も極度に多様化して内部分裂の道を進んでいるのではないかと心配したDomitianus皇帝が、隣のペルシャ帝国から皇帝礼拝の慣習を導入し、自分を”Dominus et Deus”(主なる神)と呼ばせ、自分の家臣たちから礼拝を強要したことから、キリスト信者たちに対する迫害が始まって、不安になっている人たちを励ますために、使徒ヨハネが神から受けた幻示を記したものだと思います。この迫害の初期には、皇帝の従兄弟でキリスト者であった元老議員のFlavius  Clemensが殉教し、その妻Flavia  Domitillaは島流しにされました。彼らの所有していた広い屋敷は2世紀に教会の所有とされ、その後長くキリスト者のカタコンブ地下墓地として利用されています。ローマに現存するカタコンブの内で一番古く、また一番大きく広がっているドミティッラ・カタコンブであります。彼らと同じ頃、使徒ヨハネも捕えられて迫害されますが、後にパトモス島に流されました。黙示録は、彼がそこで受けた幻示を記したものと考えられています。

   本日の朗読箇所は、終末の日にこの地上世界に神の怒りが下されるのに先立ち、ヨハネが見せてもらった天使たちによる神の民の保護と、あらゆる民族の中から救いの恵みに浴した大群衆の、天上での神礼拝の様子について述べています。ここで「十四万四千人」とある数値は非常に多いことを象徴的に示している文学的表現で、ユダ族から一万二千人、ルベン族から一万二千人、とイスラエル十二族を数え上げ、それらを総計して十四万四千人としているのです。「我々が、神の僕たちの額に刻印を押してしまうまでは、大地も海も木も損なってはならない」という天使の言葉は、古代ローマの一時期、奴隷の額に主人の刻印を押して、特定の主人の所有としていたことを思い出させます。ここでは、額に神の刻印を押すことによってその人が神の僕、神の奴隷であるという、永遠に消えない証拠にすることを意味していると思われます。人間中心・この世中心の生き方に死んで、神の奴隷となり、神の御旨中心に生きようとする人々は、額に神の刻印を押してもらうことによって、やがて襲い来る大地も海も荒れ狂うような大災害の最中にあっても、天使たちに護られ救い出されるのではないでしょうか

   「この後、私が見ていると、見よ、あらゆる国民・種族・民族・言葉の違う民の中から集まった、誰にも数えきれない程の大群衆が、云々」という言葉は、全世界の全ての民族から数えきれない程多くの人が救いの恵みを受けて、神の御許に集められることを示していると思います。この世の人生における宗教の違いにこだわり過ぎてはなりません。主キリストが創立なされたキリスト教会に所属している私たちは、主から派遣されて主がお定めになったミサ聖祭を献げつつ、主と一致して多くの人の救いのために自分自身を神に献げ、また祈ります。私たちの救いのためにだけ祈るのではありません。まだ主の福音を知らない無数の人々のため、異教徒や不信仰者たちの救いのためにも、ミサ聖祭を献げつつ祈るのです。すると不思議なことに、主キリストによる救いの恵みが、その人たちの心の中で生き生きと働くようなのです。神は私たちの所とは違う仕方で、その人たちをその人たちなりに、最終の救いへと導いておられるようなのです。こうしてあの世では、その人たちも私たちも皆、主キリストにおいて一つの群れになり、声を合わせて神を讃え歌うようになるのではないでしょうか。

   主は一度、「私には、まだこの囲いに入っていない羊たちがいる。私は彼らをも導かなければならない。彼らも私の声を聞き分ける。こうして、一つの群れ、一人の羊飼いとなる。云々」と話されましたが、主が設立なされた教会という囲いの中にいない無数の異教徒たちの中にも、主の御声を正しく聞き分ける主の羊たちが多いのではないでしょうか。例えば私の所には、十数年前から毎月、原始福音信仰を唱道する無教会主義の幕屋グループから『生命の光』という月刊誌が郵送されて来ます。無料の贈呈なのです。私は喜んで愛読していますが、神の霊は度々そのグループの信者たちに驚くほど生き生きと働き、癒しや救いの恵みを与えて下さるようなのです。このグループが故手島郁郎氏によって熊本で創立されたのは1948年で、1952年から発行された月刊誌『生命の光』は、すでに684号になっています。そこに記されている聖福音の神を信じる人たちの数多くの詳細な体験談を吟味してみますと、主の霊は私たちのキリスト教会の中でよりも、その人たちの所で遥かに多くの奇跡的癒しの業をなしておられるという印象を受けます。それでキリストの福音に基づいて素直にひたすら祈りつつ生きることを唱道するこの人たちの信仰生活は、今では日本各地だけではなく、米国やカナダ、中南米やイスラエル、デンマーク、台湾、インドネシアにまで広まっています。

   以前に一度ここでも話したかと思いますが、私から受洗した一人の信徒がそのグループの祈りの集会に参加してみようと考えたことがあると聞いた時、私はすぐ、その人たちがそういう奇跡的恵みに浴しているのは、私たちカトリック者が日々主キリストのお定めになったミサ聖祭を献げているお蔭であると思うので、私たち自身は奇跡的癒しの恵みを体験しなくても、それら全ての恵みの本源であるミサ聖祭の献げを心を込めて行うのが、神から私たちに与えられている使命であると思う、と答えたことがあります。私は今でもそのように信じています。主キリストは受難死を目前にして、「私が地上から上げられたら、全ての人を私の所に引きよせよう」と話しておられ、使徒言行録3章では聖ペトロも、アブラハムに語られた神のお言葉を引用しながら、地上の全ての民はキリストによって神の祝福を受けると説いています。主キリストは教会を創立しましたが、その教会に所属しないなら救われないとは話しておられません。キリスト教会は、キリストによる救いの恵みを全人類に届ける献身的奉仕のために設立された集団で、教会中心の独善的考えは退けましょう。心を大きく開いて、今この教会に所属しない無数の人々の中にも、いずれあの世で私たちと共に主キリストの群れとして神に迎え入れられる神の子らが、数えきれない程多くいるのだと考えましょう。………