2012年1月29日日曜日

説教集B年:2009年間第4主日(三ケ日)

朗読聖書:
Ⅰ. 申命記 18: 15~20.
Ⅱ. コリント前 7: 32~35.
Ⅲ. マルコ福音 1: 21~28.

① 本日の第一朗読は、イスラエルの民が約束の地に入る前に、間もなくネボの山で死ぬことになるモーセがその民に語った遺言説教であったと思います。その中でモーセは、神はあなたたち同胞の中から、(これからも)「私のような預言者を立てられる。あなたたちは、その人に聞き従わねばならない」と述べています。そしてこのことは、あのシナイ山の麓での集会の日に、山全体が恐ろしい火と煙に包まれ、火の雲に乗って山の上に降られた神が、雷鳴と稲妻の中で、権威をもって語られるのに驚き、それを極度に恐れた民が、私たちが二度と神・主の声を直接に聞くことがないように、この大いなる火を見て死ぬことがないようにして下さい、と願い求めたことによるのだ、とモーセはその理由を説明しています。

② その時神がモーセにお語りになった次のお言葉が、この第一朗読の後半に読まれます。「彼らの言うことは、尤もである。私は彼らのために、同胞の中からあなたのような預言者を立てて、その口に私の言葉を授ける。彼は、私が命じることを全て彼らに告げるであろう。彼が私の名によって私の言葉を語るのに、聞き従わない者があるならば、私はその責任を追及する。ただし、その預言者が私の命じていないことを、勝手に私の名によって語り、あるいは他の神々の名によって語るならば、その預言者は死なねばならない」というお言葉であります。これが、神がそのお考えを私たち人間に伝えるために、ご自身でお選びになった道であると思います。神がいつもモーセやその後継者ヨシュアのような、強い信仰に生きる人を介してお語りになるとは限りません。モーセたちの死後2百年近く続いた士師時代には、神は度々小さな預言者、農民や婦人たちを介してもお語りになり、神の民を守り導いておられました。信仰をもって神の御言葉を受けた人たちの外的人間的容貌や偉大さなどは問わずに、その人を介して告げられた神の御言葉に対する従順と信頼を実践的に表明するなら、神はその人たちを導き助けようとなされたのではないでしょうか。神に対する信仰とお任せの心、徹底的従順の精神が大切だと思います。

③ 今の日本には、一昨年から団塊世代の大量退職が始まっているようですが、長年やり慣れた仕事や職務を後輩たちに譲った後の虚脱感や自分の体力の衰え、あるいは子供たちが離れ行く淋しさや、病気の不安や、やがて必ず訪れる死に対する恐怖などを痛感している人たちが少なくないと思われます。そういう人たちが、私たち神信仰に日々喜びをもって生きている修道者を見ると、神様って本当にいるのか、天国って本当にあるのか、もし本当にあるのなら、自分も聖書を読みキリスト教会に行ってみようか、などと考えることもあるようです。結構なことだと思いますが、しかし、長年科学的思考や効率主義の流れの中で生活して来た人が、その自己中心的便利主義の精神で聖書を読み、その中に自分の心の憧れるものをたずね求めても、教会の日曜礼拝に参加してみても、失望を感じさせられてしまうことが多いのではないでしょうか。マタイ18章3節に読まれる、「心を入れ替えて幼子のようにならなければ、天の国に入ることができない」という主イエスの御言葉から察しますと、年齢が進んで退職したそういう人たちは、これまでのこの世的生き方やこの世の組織中心の生き方から完全に離れ、あたかも生後間もない幼子が母の胸に抱かれ縋りつくように、ひたすら謙虚に神の働きや導きに信仰をもって抱かれ縋りつくことによってのみ、神の現存や愛を実践的に体験するようになり、神による救いに参与するようになるのではないでしょうか。こうしてひと度神による救いを体験しますと、人間本来の理知的能力はその体験に基づいて、日々観るもの出逢うものの中にひたすら神よりの呼びかけや恵みをたずね求め、神の働きや導きに従って生きようと努めるようになります。これが、神が私たち人間から求めておられる生き方なのではないでしょうか。

④ 本日の第二朗読には、「結婚している男は、どうすれば妻に喜ばれるかと世の事に心を遣い、心が二つに分かれてしまいます」「結婚している女は、どうすれば夫に喜ばれるかと、世の事に心を遣います」などと述べられていますが、使徒パウロは、結婚を罪だと考えているのでも、全ての人に独身を求めているのでもありません。ただ万物流転の儚さを痛感させるようなこの世の大きな過渡期には、幼子のように神の働き、神の導き一つにしっかりと捉まり、思い煩わずに、神の御旨に聴き従う生き方を勧めているのだと思います。本日の朗読箇所のすぐ前にも、「この世の有様は過ぎ去るからです」と、私たちが今目前にしている事物現象の儚さを強調していますから。

⑤ 本日の福音には、人間理性を中心にして聖書を研究し、そこから神の民が守り行うべき法規を学び取ろうとしていた当時の律法学者たちのようにではなく、万物を支配し統御なさる神のような権威と力をもって、教えたり悪霊を追い出されたりなされた主イエスのお姿が描かれており、人々は皆驚いて、「これはいったいどういうことなのだ。権威ある新しい教えだ。この人が穢れた霊に命じると、その言うことを聞く」などと話し合ったことが、述べられています。理知的なこの世の人々の考えや言葉が、高度に発達したマスコミを通じ洪水のように荒れ狂っている世界の岸辺で、すっかり疲れている現代人の心が必要としているのも、あの世の神からのそういう権威ある新しい教え、力ある神ご自身の御言葉なのではないでしょうか。神は現代においても、マスコミを介してではなく、神への従順と信頼の内に神からの呼びかけに耳を傾けている敬虔な人を介して、私たちにお語り下さると思います。そういう人たちは、社会の底辺や一般庶民の中に隠れているかも知れません。隠れた所から私たちを観ておられる神に対する信仰を新たにしながら、あの世からの神の呼びかけに耳を傾け、聴き従うよう心がけましょう。

2012年1月25日水曜日

説教集B年:2009年1月25日聖パウロの回心(三ケ日)


朗読聖書: . 使徒言行録 22: 3~16. . コリント前 7: 29~31.   Ⅲ. マルコ福音 16: 15~18.
ご存じのように、昨年の5月にローマ教皇庁は、使徒パウロの生誕年が紀元7年から10年までの間であるという歴史家たちの見解に基づき、昨年6月からの一年間を「パウロ年」として、その生誕2千年祭を祝うことにしました。今年の125日「聖パウロの回心」の祝日は年間第3主日で、典礼の規則上では主日のミサをささげることになっており、多くの教会堂では主日のミサが捧げられているかと思いますが、「パウロ年」中であるため本年に限り、一つのミサだけは、「聖パウロの回心」のミサを捧げることが許可されています。そこで、ここではその「聖パウロの回心」のミサをささげることに致しました。
教皇がこの時点で「パウロ年」を祝うことにしたのは、各人の自由と個性を尊重する現代の巨大な民主主義潮流の中で、十字架のキリストの精神を説くパウロの教えが無視され、その結果理知的な人間の自力主義だけが横行して、神の恵みが私たちの内に働かなくなるのを少しでも阻止しよう、とのお考えからではないでしょうか。使徒パウロは、本日の第一朗読にもあるように、タルソス生れのギリシャ語に堪能なユダヤ人ですが、エルサレムの優れた律法学者ガマリエルの下で厳しい教育を受け、熱心に神に仕えていた律法学者でした。しかし、人間側から最高度に進められ打ち立てられたファリサイ派のこの伝統的聖書解釈に基づく信仰生活を乱し、ナザレのイエスの新しい教えに従って生活している一種の新興宗教が広まりつつあるのを知ると、ユダヤ人の伝統的信仰を護持し子孫に末永く伝えるためにもそのような新興宗教を迫害し、その新しい信仰がダマスコを拠点としてギリシャ語圏のディアスポラ・ユダヤ人の間に広まるのを阻止するため、大祭司や長老会からの全面的支持を受けて、神殿護衛の兵士たちと共にダマスコの町に入る直前に、復活して永遠の命に生きておられる神の子イエスによって地面に投げ倒され、人間側の理知的聖書解釈中心の生き方から、人間の理知的考えでは知り得ない神のお考えやお導き中心の生き方へと転向しました。私たちは本日、この使徒パウロの転向の恵みを記念し感謝しながら、同じ恵みを神に願い求めつつ、このミサ聖祭を献げています。
新しい新興宗教を撲滅しようとしていたパウロに主イエスは、「私はあなたが迫害しているナザレのイエスである」と話され、その輝く光によって彼を盲目にしてしまいました。一緒にいた人たちに手を引かれてダマスコの町に入ったパウロは、三日間盲目のまま食べも飲みもしませんでしたが、その間に天からの強い光の中で自分に出現なされた主イエスについても、またユダヤ人たちの伝統的信仰生活についてもじっくりと考え直し、ダマスコのキリスト者アナニアの訪問を受け、「私たちの先祖の神があなたをお選びになった。云々」の話を聞いて洗礼を受けると、忽ち目から鱗のようなものが落ち、元通り見えるようになりました。
パウロの心はこの時から大きく変わり、十字架刑を受けて死んだ後、神によってあの世の不死の命に復活したと聞く、主イエスに対する信仰と従順を中心とする生き方を始めるようになりました。使徒言行録9章によりますと、パウロは既にこの回心直後から、(聖書に基づいて) イエスがメシアであることを論証し、ダマスコに住んでいたユダヤ人たちをうろたえさせたようです。ユダヤ人としては「サウロ」という名であったパウロは、父親がローマ人の支配に貢献したのか生来ローマ国籍も持っていて、ローマ人としては「パウロ」という名前でしたが、暫く荒れ野に退いて主イエスから直接に数々の教えを受けた後エルサレムに行き、キプロス島出身でギリシャ語を話すバルナバの紹介で、ペトロをはじめとする主の使徒たちにも会いました。そしてナザレのイエスがメシアであることを大胆に論証していたらユダヤ人から命を狙われ、いったん故郷のタルソに退きました。しかし、その後バルナバがエルサレム教会からアンティオキア教会に派遣され、両教会の一致協力のために働くようになると、バルナバによってアンティオキア教会に招かれて一緒に働くようになり、間もなく聖霊によって異教徒の国々に派遣され、異教徒改宗のため主キリストの霊に導かれ支えられて、数々の困難・対立を克服しつつ、働くようになりました。
本日の第二朗読でパウロは、「時は迫っています。今からは」「世の事にかかわっている人は、かかわりのない人のようにすべきです。この世の有様は過ぎ去るからです」と述べ、本日の福音には、「信じて洗礼を受ける者は救われるが、信じない者は滅びの宣告を受ける」という、主の厳しいお言葉も読まれます。近年物騒な事件が頻発し、心の教育や鍛錬が世界中至る所で軽視されていたり、地球温暖化の影響や飲料水の不足などが世界中に広まりつつある今の世界の終末的実態を考慮する時、これらの言葉は、一応順当に営まれている私たちの信仰生活にも、一つの決断を迫っているように思われます。私たちは果たして使徒パウロのように、しっかりと神の働きや導きに根ざし、己を無にして人々の救いのため献身的に働こう、勇気をもって前向きに主キリストの精神を世に証ししようと努めているのでしょうか。2千年ほど前の昔、数多くの人の心に主キリストに対する信仰と愛を伝え、根付かせた使徒パウロの模範に倣い、私たちも己を無にして神の愛と働きを世に証しする恵みを、使徒パウロの取り次ぎを願いつつ神に祈り求めましょう。
使徒パウロの回心について思い巡らす時、彼が聞いた「なぜ私を迫害するのか」という主イエスの御言葉も、大切だと思います。彼は回心後もそのお言葉を心に留めて思い巡らせていたようで、遂にコリント前書12章に典型的に述べられているように、「実に私たちは、ユダヤ人であれギリシャ人であれ、奴隷であれ自由人であれ、洗礼を受けて皆一つの霊によって一つの体に組み入れられ、一つの霊によって」生かされているのだ、という信仰にまで達していたようです。ユダヤ教の伝統的律法の外的順守などはもはや問題ではなく、それらを遥かに越えて、神の新しい働きへの愛と忠実に生きる人たちは、ユダヤ人であれギリシャ人であれ、男であれ女であれ、皆主キリストの内に一つの体に組み入れられているのだと考えるパウロの思想、それを現代風に表現するなら、キリストを信ずる各人は、人体に60兆個もあると言われる細胞の一つのようになって、主キリストの命に生かされているのだ、と考えるこのような思想は大切だと思います。ここにおいては、もはやあの世もこの世もありません。人間としてこの世に生を受け、神信仰と神への愛に生きる人たちは、皆救い主キリストの体の細胞のようになって神の命に養われ、支えられつつ生きるよう召されているのです。
使徒パウロは、全人類の罪を背負って十字架刑を受け、全ての罪を償って私たちを贖って下さった主キリストに対するこのような信仰から、救われる人類に対する連帯精神も大切にし、自分が受ける日々の労苦や苦悩を厭わずに喜んで甘受し、一人でも多くの人がキリストによる救いの恵みに参与するよう献げていたようです。そして自分が苦しめば苦しむほど、各地でキリストの信仰と愛が一層盛んになり、逞しく広まるのを確認していたようです。現教皇が意図した「パウロ年」の精神を心に刻みつつ、私たちもこの「パウロ精神」を今の世に実践的に証しし、広めるよう心がけましょう。そしてそのための導きと恵みを願い求めつつ、本日のミサを献げましょう。

2012年1月15日日曜日

説教集B年:2009年間第2主日(三ケ日)

朗読聖書:
Ⅰ. サムエル上 3: 3b~10, 19.
Ⅱ. コリント前 6: 13c~15a,17~20.   
Ⅲ. ヨハネ福音 1: 35~42.

① ご存じのように本日1月18日から25日までの一週間は、毎年恒例の「キリスト教一致祈祷週間」であります。主キリストを聖書に基づいて救い主・メシアと信奉しているのに、数百年来未だに相対立する別々の信仰集団を形成して一致できずにいるキリスト教諸派が、主キリストの内に一つになり、一致してキリスト教信仰を世に証しするようになる恵みを、神に願い求める週間とされています。

② このようにして、キリスト教諸派が主キリストにおける一致のために、神からの恵みと導きを祈り求める週間の起源をたどってみますと、今から150年余り前の1858年11月にロンドンで、プロテスタントのYMCAが始めた世界祈祷週間 (Universal Prayer Week) にまで行き着きます。その頃英国YMCAの会員たちは、毎年11月の第二日曜日からの一週間、教会一致のために祈っていましたが、この慣習は1867年にパリで開催されたYMCA同盟の総会で、YMCAの世界的祈祷週間になり、更に1901年からは女性のYWCAも共催するようになりました。1901年のエディンバラ世界宣教会議で世界教会協議会 (World Christian Council: WCC) が創設されてからは、YMCAやYWCAに所属していないキリスト者たちの間でも、このような祈祷週間が世界的に広まり、その人たちからの呼びかけに応えて、カトリック教会内でも、毎年1月25日「聖パウロの回心」祝日の前の一週間、信仰一致のために祈る祈祷週間が始まり、第一次世界大戦後には歴代教皇たちの呼びかけで世界的に広まりました。それはしかし、当時のプロテスタント諸派のように、各派が心を大きく開いて教義内容や教会組織についてまでも話し合うような運動を伴わず、何よりもキリスト教諸派が使徒パウロのように己を無にして、主キリストがお定めになり、現在まで連綿と続いている聖ペトロの後継者ローマ司教を中心とするカトリック教会に帰属することによって、全てのキリスト者が一致する恵みを祈り求める祈祷週間だったようで、プロテスタント側からは甚だ独善的に見えるカトリック側のこの精神は、今も多少形を変えて続いています。

③ プロテスタント諸派の教会一致の努力は、相互に心を広げてどれ程話し合いを重ねても、いつも新たな限界を痛感させられるだけで、なかなか思うようには実を結ぶことができなかったようですが、それでも神に導きと恵みを求める努力だけは、いろいろと形を変えて、第二次世界大戦後にも忍耐強く続けられています。プロテスタント諸派のそういう動きも考慮し、教皇ヨハネ23世は、1960年6月5日に第二バチカン公会議準備委員会を設置すると同時に、キリスト教一致推進評議会もカトリック教会内に創設し、公会議にはプロテスタント諸派の代表者たちをもオブザーバーとして招へいしました。この時以来カトリックとプロテスタントとの関係は親密さを増して、様々の催し物も行われていますが、しかし、未だに教会一致実現の兆しが具体的に明確になっていません。お互いに数百年来の伝統を捨てきれず、己を無にして神に従うことの厳しさに、逡巡しているからのなのかも知れません。第二バチカン公会議後の1968年以来、カトリック教会は毎年キリスト教一致祈祷週間のため一つのテーマを定めていますが、今年は「それらはあなたの手の中で一つになる」というエゼキエル書の言葉が、そのテーマとされています。プロテスタントもカトリックと同じ一月後半に教会一致祈祷週間を移し、心を合わせて祈るようになり、近年では毎年両者共同でその祈祷週間のための小冊子を発行しています。私たちもプロテスタントの方々と心を合わせて、教会一致のために祈るように心がけましょう。

④ 本日の第一朗読には、まだ子供であった後のサムエル預言者に対する、神の数度に及ぶ呼びかけが述べられています。その四度目の神の呼びかけに、サムエルが祭司エリの勧めに従って「どうぞ、お語り下さい。僕は聞いています」と神に申し上げた言葉は、大切だと思います。この世の出来事や情報だけに心を向け、自分の考えに従って生きるのではなく、何よりも私たちの心の奥に呼びかけておられる神の声に心の耳を傾け、そのお言葉に従って生きる生き方を、神は私たちからも求めておられると思うからです。まずその神の隠れた現存に対する信仰を新たにしながら、何も聞こえなくても、神に心の耳を傾けながら毎日少しの時間、静かに留まるようにしてみましょう。そのように心がけていますと、やがてはその神が自分の心の中でもそっと働いて下さるのを、実感するようになります。

⑤ 本日の第二朗読に読まれる、「あなた方の体は神から戴いた聖霊が宿って下さる神殿であり、あなた方はもはや自分自身のものではないのです。あなた方は代価を払って買い取られたのです。だから、自分の体で神の栄光を現しなさい」という使徒パウロの言葉も、大切だと思います。大きな善意からではあっても、神のために人間の考え中心に何かを為そうとする信仰生活は、まだ神の霊の器・神殿としての生き方ではなく、悪く言うなら、神の愛と働きを人間側から利用しようとする生き方だと思います。もちろん、それでも神を信じない生き方よりはましですから、憐み深く寛大な神は、そのような信仰者の願いにもお耳を傾けて下さるでしょう。しかし、いつまでもその生き方に留まり続け、そこから抜け出て神中心の生き方へと高く昇ろうとしないなら、私たちの体を神殿としてその中に宿っておられる聖霊を悲しませるのではないでしょうか。前述した使徒パウロの言葉は、そのような人間中心の信仰生活を続けている人たちに対する、警告であると思います。

⑥ ただ神に祈り求めるだけ、神が働いて下さるのを待つだけというのでも足りません。私たちの側でも、日常の小さな出会いや出来事の中で、神への愛や従順などを実践的に表明する必要があります。本日の福音によると、洗礼者ヨハネが歩いて通り過ぎられる主イエスを見て、一緒にいた二人の弟子ヨハネとアンデレに「見よ、神の小羊だ」と話すと、二人の弟子はその主の後について行きました。神は二人のこの小さな実践を受け止めて働いて下さいます。そして二人とその兄弟たちが、やがて主の使徒となって働く恵みにまで、お導き下さったのです。やはり平凡な日常生活の中での小さな出会いを大切にし、神よりのものと思うものには積極的に従おう、協力しよう、奉仕しようとする小さな実践の積み重ねが、私たちの上に神の豊かな祝福を齎すのではないでしょうか。神は隠れた所からいつも私たちに伴っておられ、私たちの全ての行いを見ておられるという信仰を新たにし、その信仰の中に生きるよう心がけましょう。

2012年1月9日月曜日

説教集B年:2009年主の洗礼(三ケ日)

朗読聖書:
Ⅰ. イザヤ 55: 1~11. 
Ⅱ. ヨハネ第一書簡 5: 1~9.
Ⅲ. マルコ福音 1: 7~11.

① 本日の第一朗読は、紀元前6世紀にバビロン捕囚の身となっていたイスラエル人たちに、神による救いを告げた第二イザヤ預言者の最後の言葉からの引用であります。ここで預言者はもう一度、神に立ち帰り、神の言葉に信頼して生きるよう呼びかけていますが、その中に読まれる神の言葉、「私の思いはあなたたちの思いと異なり、私の道はあなたたちの道と異なる」「天が地を高く越えているように、私の道はあなたたちの道を、私の思いはあなたたちの思いを高く越えている」というお言葉や、「私の口から出る私の言葉は、虚しくは私の許に戻らない。それは私の望むことを成し遂げ、私が与えた使命を必ず果たす」というお言葉は、注目に値します。私たちが自分の考えではなく、神のお考えに徹底的に従って生きようとするならば、全能の神は私たちを憐れみ、私たちの罪を全て赦して、私たちの考えを遥かに超える豊かな恵みを、私たちに与えようと考えておられるのです。私たちの生活している現代世界も、人間の力ではもうどうにもならない程、大災害に襲われる時が来るかも知れません。その時のため、神のこれらのお言葉をしっかりと心に刻んで置きましょう。己を無にして、神の呼びかけや導きに徹底的に従うために。

② 本日の第二朗読は、「イエスをメシアであると信じる人は皆、神から生まれた者です」という言葉で始っていますが、ここで「信じる」とあるのは、頭だけで「メシアである」と考えることではなく、心の底から自分たちを救って下さる、神から約束された私たちの主・メシアであると信奉し、その信仰を自分の生活に実践的に生かしつつ生活することを指していると思います。私たち人間には、この世で生活するために必要な、自分で考え、自分で決定する理知的能力が神から与えられています。その中心をなしているのがego (自我) というものです。この自我は、外界からの知識や技術を身につけ利用しながら、少しでも強くなろう、豊かになろう、人からよく思われようと、眼をこの世の世界に向けています。それも必要なことですが、しかしもう一つ、私たちの心の底の無意識界には「もう一人の自分」と言われる命も隠れています。深層心理学ではそれをself (自己) と呼んでいますが、この自己は時々夢という形で、自分の状態や望みなどを夢に反映させて知らせてくれます。しかし、日頃は無意識界に深く隠れています。戦後の自由主義・個人主義の教育を受け、外的成功や豊かさ便利さにだけ眼を向けて生活していますと、自我だけが一方的に活躍し、自分の「良心」と言ってもよいこの自己は、すっかり眠っているかも知れません。二つのものが一つになって働くことが、大切だと思います。神は万物を、男と女、火と水などのように、相対立する二つのものが一対になって、助け合い補い合って働くようお創りになったのではないでしょうか。私たちの心の中でも、絶えず自分の外のものに目を向けそれらを利用しようとしている理知的自我と、直観的心情的で何か独自のものを生み出そうとしている意志的自己という二つの能力が生きており、成長しようとしているように思います。

③ 神の御言葉は、何よりも無意識界にいる自己に対する呼びかけであると思います。自我がそのお言葉を受け入れ、それに基づいて無意識界にいる自分の自己に働きかけ、自己を数多くの実践によって目覚めさせるようにしていますと、幼子のように素直なその自己の内に宿った神の命が逞しいものに成長して来ます。そしてその成長は、自分の見る夢の中に反映したり、また自分の日々の生活の中での小さな幸運・守り・導きという形で体験したりするようにもなります。数百年前のキリシタンたちは、聖書も教理も、現代の私たちより遥かに少ししか知っていなかったと思いますが、しかしその人たちの奥底の心は、戦国時代の生活の不安や労苦の中で、あの世の神による不思議な助け・導きというものを、小刻みに数多く体験していたと思われます。そして自分の素朴な日常生活に伴なっておられる全能の神の現存を、数多くの体験に基づいて生き生きと信じていたと思われます。ですから、死ぬことも神信仰故に迫害され殉教することも、厭わなかったのではないでしょうか。私たちも、そういう逞しい生き方に見習うよう心がけましょう。

④ 本日の福音は、ヨルダン川での主イエスの洗礼の話ですが、教会は古代から聖書に基づいて、洗礼を「生と死の秘跡」と教えています。自己の内に宿る神の御旨中心の命に生きるために、人間中心の理知的な自我の考えや望みに死ぬ恵みを、与えて下さる秘跡という意味だと思います。主は、神のそのような働きを身をもって世に示すために、洗礼者ヨハネからヨルダン川の水の中に沈められ、そこから立ち上がるという洗礼を、お受けになったのではないでしょうか。私たちも内的に主に見習って、自分の中のこの世的な自我の命に死ぬなら、その度ごとに主の御功徳に参与し、神の霊の恵みに浴することができると思います。….

2012年1月8日日曜日

説教集B年:2009年主の公現

第1朗読 イザヤ書 60章1~6節
第2朗読 エフェソの信徒への手紙 3章2,3b,5~6節
福音朗読 マタイによる福音書 2章1~12節

2012年1月1日日曜日

説教集B年:2009年神の母聖マリアの祝日(泰阜のカルメル会で)

朗読聖書:
Ⅰ. 民数記 6: 22~27. 
Ⅱ. ガラテヤ 4: 4~7.
Ⅲ. ルカ福音 2: 16~21.

① 皆様、新年おめでとうございます。元日は「国民の祝日」で、わが国では古来全ての人が休みをとり、新しい年を迎えたことを喜び祝賀し合って来ました。それでローマ教皇庁は、公会議後にカトリック典礼や祝日表の見直しが行われた時、日本の教会には元日をカトリック者の「守るべき祭日」とするよう強く勧めたそうですが、当時の日本の司教たちは、まだカトリック国になっていない日本では信徒が元日にカトリック者でない親族・友人との交流を優先しているので、「守るべき祝日」にはせず、ミサに出席するか否かは各人の自由に任せました。私は、日本の社会事情ではそれで良かったと思います。クリスマスから数えて八日目に当たる元日の福音には、幼子イエスの割礼と、その時に「イエス」と名付けられた話が読まれますが、この一月四日に司祭叙階50周年を迎える私は、ここで「神の母聖マリア」の祭日の朗読聖書からは離れて、自分の修道生活・司祭生活について少しだけ回顧してみたいと思います。

② 私は終戦の翌年、1946年から旧制中学4年の同級生たちと新潟県新発田のカトリック教会に行くようになり、47年の8月15日に受洗しましたが、洗礼前の求道者であった時からブスケ神父訳のリジューの聖テレジアの自叙伝『小さき花』を愛読するようになり、それは司祭に叙階される直前頃まで断続的に長く続きました。神学生時代には伊藤庄治郎神父訳のプティトー著『リジューの聖テレジア (霊的幼児の道) 』も、幾度も繰り返して愛読していました。ローマ留学中にカルメル会のある神父から、ドミニコ会のプティトー師はカルメル会の霊性を深く理解していないから、あの著書は良くないという批判を聞きましたが、私はしかし、神は小さき聖テレジアを使って全ての現代人に霊的幼児の生き方を勧めておられるであろうから、カルメル会の霊性の立場で受け止めなくても、各人それぞれの立場でそこから学び、自分なりに霊的幼児の生き方を身につけるのが神の御旨ではなかろうか、と考えました。そして私は今も、私なりに小さき聖テレジアから学んだ霊的幼児の道を歩んでいます。

③ 司祭に叙階される8ヵ月前の5 月3日に終世誓願を宣立する時、私は聴罪司祭の賛同を得て、自分の全てを神のお献げする個人誓願をラテン語で宣立しました。そしてその誓願文を今も毎朝個人的に唱えています。多くの修道者は修道誓願をいわば一種の通過儀礼のようにして、日々その誓願を新たに宣立することはしていないようですが、私は今も毎朝自分のこの個人的献げを神に申し上げ、幼子のように神の導き・働きに縋り、それに従おうと努めています。そして今回顧すると、無能な私が昔風の厳しい条件や審査が、公会議が終わるまで続いていたイエズス会のグレゴリアナ大学で神学博士号を取得したり、ウィーンの神言会大神学院で集中講義を担当しながら、一か月以上もゆっくりとウィーンの街を参観したり、また数多くのカトリック有名人に御目にかかれたりしたことは、幼子の心で生活していた私に対する神からの特別のお恵みであったと思っています。日本に帰ってからも、神の幼子としてひたすら神に頼って生活していますと、不思議なほど幸運を小刻みに数多く体験しました。修道者は誰でも誓願によって自分と自分の一生を神に捧げているのですが、他の人たちに比べて私がこれ程多く幸運に恵まれるのは、とその理由を考えてみますと、それはどうも私が日々神に捧げている個人誓願にあるように思われてなりません。

④ 私が小学1年生の時に始まった中国との戦争が泥沼化して長引くと、小学3年生頃からは戦地の兵隊さんたちへの慰問袋に入れる小さな慰問の手紙を書かされましたが、その少し後からは「新体制」だの「高度国防国家」だのという言葉が多く聞かれるようになり、私は小学5年生の春からは、戦地帰りの先生によってかなり徹底的軍国主義教育を受けました。その教育の一つに戦地の兵隊さんたちとの連帯精神というのがあって、単に兵隊さんたちの武運を神に祈るだけではなく、日々自分の経験する小さな苦しみや失敗、あるいは自分が見つけて為す自由な無料奉仕なども神に捧げて、兵隊さんたちの無事を願い求めるという生き方にも慣らされました。子供の時に仕込まれたこの連帯精神は、カトリックに改宗してからも役立っています。

⑤ 旧制中学5年を卒業してすぐに多治見修道院に入り、新制の多治見高校3年生として修道院から通学する傍ら、修道院生活も体験しましたが、当時今よりはもっと広い敷地と美しい庭園を持っていた多治見修道院は「多治見公園」とも言われていて、花見や紅葉の時だけでなく、日曜祝日にはほとんどいつも家族や二人連れが修道院の庭園を訪ねていました。それでそこに住む神学生たちは、休み日の午後の休憩時間には、その庭園の紙屑拾いや吸い殻拾いをしていました。私はこの時身に付いたこの習慣を、名古屋の神言神学院に住むようになっても、ローマに留学した時も、そして今も続けています。全部のゴミ・缶から・空瓶などを拾い集めなくても、半分乃至三分の一を拾い集めて大きなゴミ箱に入れるだけでも、その小さな奉仕を神に捧げて祈っていると、神が隠れた所からそれを見ておられるようで、私は事ある毎に不思議に神に守り導かれているように実感しています。一例を挙げますと、70年代の中頃にある人から、私が中型バスでキリシタン史跡を案内する時には「いつも晴れますね」と言われてから天候に注意するようになりました。私はその頃毎年数回上京していましたが、バスや新幹線から富士山を見ないことは非常に少ないのに、一緒にいるある神父は、「新幹線に乗っても富士山が見える日は少ない」と話していました。私は沖縄が日本に復帰した翌年の73年から、沖縄のキリシタン殉教者の調査依頼を受けたのがきっかけで全部で5回沖縄に行き、沖縄本島をはじめ、石垣・竹島・西表・与那国・宮古など全部で六つの島々に行っていますが、雨の多い県なのに傘を使ったことがなく、好天に恵まれることが多くてたくさんの良い写真を撮っています。それで石垣島生まれの宇根神父から「青山神父は晴れ男ですか」と感心されました。70年頃からもう40年くらいも続いているこのような話は山ほどありますが、全ては遠出をする時の私への、神の格別の計らいだと思います。

⑥ 神学生時代に学んだもう一つのことは、あの世にいる親族・友人・知人のため、また一般的に煉獄の霊魂たちのために祈るという習慣であります。これは、私の教わったドイツ人宣教師たちが実践していたことで、宣教師たちは「煉獄の霊魂たちのために祈っていると、不思議に助けられる」と話していました。子供の頃に連帯心教育を受けた私も、煉獄の霊魂のため、特に今特別に助けを必要としている霊魂たちのために祈ることを続けてみますと、やはり小さなことでいろいろと助けられたり教えてもらったりする体験をするようです。それで今でも週に2回は、煉獄の霊魂たちのためミサを献げて祈っています。そして毎日幾度も行なっている階段の上がり下がりの時にも、小さな射祷をその霊魂たちのために唱えています。

⑦ 同年輩の多くの人たちが亡くなったり病院通いをしたりしている中で、私がこうして小さいながらも元気に働いておれるのは、ひとえに神の助けと導き、そしてあの世の人たちからの助けと導きによるものと思いますので、小さき聖テレジアに学んで私なりに身につけたこの自己流「幼子の道」をこれからも歩み続けようと、司祭叙階の金祝を迎えて決意を新たにしています。ご清聴ありがとうございます。