2015年4月4日土曜日

説教集B2012年:2012年聖土曜日(三ケ日)

第1朗読 出エジプト記 14章15節~15章1a節
第2朗読 ローマの信徒への手紙 6章3~11節
福音朗読 マルコによる福音書 16章1~7節

   今宵の復活徹夜祭の典礼では、光と水が大きな意味を持っており、第一部の「光の祭儀」では、火の祝別・蝋燭の祝別に続いて、罪と死の闇を打ち払う復活したキリストの新しい命の光を象徴する、新しい大きな祝別された蝋燭の火を掲げ、「キリストの光」「神に感謝」と交互に三度歌いながら入堂し、その復活蝋燭から各人の持つ小さな蝋燭に次々と点された光が、聖堂内を次第に明るく照らして行きました。そして、キリストの復活により、罪と死の闇に打ち勝つ新しい命の光が全人類に与えられたことに感謝しつつ、大きな明るい希望の内に、神に向かって荘厳に「復活讃歌」を歌いました。

   続く第二部の「ことばの典礼」では、創世記からの最初の朗読を別にしますと水が主題となっていて、旧約聖書の中から水によって救われ助けられた出来事や、水によって恵みを受けることなどが朗読され、その度毎に神を讃え神に感謝する典礼聖歌が歌われたり、神に祈願文を捧げたりしました。この第二部に登場する水は、いずれも罪と死の汚れや苦しみから救い出す、洗礼の水の象徴だと思います。続いて朗読されたローマ書6章の中で、使徒パウロは「私たちは洗礼によってキリストと共に葬られ、その死にあずかる者となりました。それは、キリストが御父の栄光によって死者の中から復活させられたように、私たちも新しい命に生きるためなのです」と、洗礼の意味について教えています。復活徹夜祭の第三部は「洗礼と堅信」の儀式で、多くの教会では今宵洗礼と堅信の秘跡を受ける人がいますが、すでに受洗している私たちも、皆で洗礼の約束を更新する儀式を致します。そこで、洗礼の秘跡について、また水という洗礼のシンボルについて、少しだけ考えてみましょう。

   洗礼はただ今も申しましたように、キリストと共に死に、キリストと共に新しい命に生きる秘跡です。いったい何に死んで何に生きるのでしょうか。ローマ書6章によりますと、私たちの心の内に残っている自分中心の「古いアダム」の命に死んで、キリストの新しい命、もはや死ぬことのないあの世の神の愛の命に復活するのです。と申しましても、それは霊魂の奥底で進行する生命現象で、命そのものは目に見えませんから外的には何も分かりません。譬えてみれば、鶏の卵は受精していてもいなくても、外的には少しも違いません。しかし、受精卵は内に孕んでいる新しい命がだんだん成長して来ると、卵の外殻は同じであっても、何かが少し違って来るようで、それを識別する専門家には受精しているか否かが分かるそうです。同じように、キリストの新しい命を霊魂の奥に戴いて信仰に生きている人も、その新しい命がゆっくりと成長して来ると、内的現実の変化が外にもそれとなく現れるようになり、注意深く反省してみるならば、本人も次第に目に見えない自分の心の内的成長を自覚するようになるのではないでしょうか。このようにして年月をかけてゆっくりとですが、新しいキリストの精神、キリストの愛の命に生きるために、この世に生まれた時から引きずっている罪の穢れや、自分中心の「古いアダムの精神や命」から内的に解放され抜け出ることを、パウロは「キリストと共に死ぬ」と表現しているのだと思います。それは肉体的な死ではなく、魂の中での内的変化なのです。

   もちろん、洗礼は受けてもこの世の古い命の外殻が残っている間は、まだ自己中心の「古いアダムの命」も残っていますから、「第二のアダム」キリストの新しい命 (神の命) は、その古い命と戦いながら成長しなければなりません。ですから、私たち既に受洗しているキリスト者たちも、毎年聖土曜日のミサ中に洗礼の約束を更新したりして、洗礼を受けた時の初心を新たにし、日常生活においても神の御前に信仰と愛のうちに生きるよう心がけて、自分中心の「古いアダムの精神」とは戦っています。しかし、こうして神から戴いたキリストの命を保持し続けていますと、やがてこの世の古い命の外殻が死によって壊れても、それによって解放された新しい永遠の命 (キリストの復活の命) に生き始めることができます。死は、この世の命に生きる者にとっては苦しみに満ちた終末ですが、霊魂がキリストの復活の命に生きている限りでは、神から約束された地への過越しであり、喜びの新世界への門出であります。今宵、神が世の初めから美しく整えて私たちを待っておられるその理想郷への憧れを新たにしながら、皆で洗礼の約束を力強く更新しましょう。「復活」という言葉はギリシャ語で「アナスタジア」と言いますが、それは勢いよく、力強く「立ち上がる」という意味合いの言葉です。今宵、私たちも主キリストと共に、古いアダムの命の中から勢いよく立ち上がって、神の命に生きる決意を新たに神にお献げしましょう。

   3週間ほど前の311日は、死者と行方不明者とを合わせて18千数百人もの犠牲者を、わずか一日の内に出してしまった東日本大震災の一周忌でしたので、マスコミは一年前のその恐ろしい大災害を改めて人々の心に想起させながら、そういう災害に負けずにそこから立ち直る勇気や、隣人同志の絆などを固めるよう人々に促していました。しかし、あの時の災害よりももっと恐ろしい危険が、私たちの生活の身近にそっと隠れており、絶えず伴っていることも見逃してはならないと思います。それは、戦後10年程経った1950年代の後半から物質的豊かさや便利さを追い求めて、急速に先進諸国に広まって来た徹底的能力主義・効率主義・個人主義と称してもよいと思います。経済的発展を最優先に掲げ、自己責任の論理もとに走り続けて資本主義国家の中で、間もなく各個人は、現代文明の利器を次々と使いこなしながら、終戦直後には想像し得なかったほど自由に便利にまた豊かに生活するようになりました。しかしその陰には、古来儒教的道徳観で家族も社会も幅広く結束し合って来たわが国や韓国の伝統的システムは骨抜きになって崩れ去り、互いに挨拶もしない核家族や無縁社会が至る所に広まり始めました。そして孤独なうつ病に苦しむ人や自死する人も激増するようになりました。


   ご存じのように、20世紀末の1997年頃からはわが国で孤独の内に自死する人は毎年3万人を超えています。その数は総計しますと、1年前の大震災の死者よりも遥かに多く、しかもその現象は今もまだ続いています。自死する人の予備軍と位置付けられている「うつ」を抱えている人は、6人の一人と言われていますから、神信仰と神の愛に生かされていない現代文明社会は、それ自体密かに無数の人を悩まし苦しめている災害社会と称してもよいと思います。人口比から見て、先進国の中で自殺率の一番高いのは韓国で、日本はそれより少しだけ低い二番目だそうですが、フランスの約1.5倍、アメリカや英国の約2倍、イタリアの約5倍の高さだそうです。欧米の先進国でも自死する人が増えつつあるようです。私は個人的に自殺未遂の体験を持つ人を数人知っていますが、自殺未遂の人も、毎年自死する人の何倍も多くいるのだそうです。血縁・地縁・社縁の絆が弱まり失われつつある現代文明社会は、各人を内的に孤立させる恐ろしい社会でもあると思います。お互いに少しでも温かく挨拶し合い声をかけあって、神に向かって共に祈り共に助け合って生きる新たな連帯精神を、今の世に広めるよう心がけましょう。そしてこの温かい生き方が一人でも多くの人に広まるよう神に祈りましょう。これは、現代社会のマイナス面と戦っておられた福者マザー・テレサが、説いておられた勧めの一つでもあります。これから洗礼の約束を更新するに当たり、神の愛をもって現代社会のマイナス面と戦うこの決心と願いも、合わせて神にお捧げ致しましょう。