2010年6月20日日曜日

説教集C年: 2007年6月24日 (日)、第12主日、洗礼者聖ヨハネの誕生(三ケ日)

朗読聖書: Ⅰ. イザヤ 49: 1~6. Ⅱ. 使徒 13: 22~26.
     Ⅲ. ルカ福音書 1: 57~66, 80.


① 本日の第一朗読の出典である第二イザヤ書 (イザヤ40~55章) には、「主の僕の歌」と言われている歌が四つありますが、本日の朗読箇所はその第二番目の歌であります。イザヤ42章の1~7節に読まれる最初の歌は、「見よ、私の僕、私が支える者を」という言葉で始まって、神の霊を受け、叫ばず呼ばわらずに、裁きを導き出して確かなものとしつつ人々に教え、囚われ人を解放し、闇に住む人をその牢獄から救い出すために、主である神が形づくり、諸国の光として立てるという、言わば主の僕の召命について述べている、神ご自身の歌であります。

② それに比べますと、本日ここで朗読された第二の歌は、内容的にはほぼ同様に主の僕の召命と使命について述べており、3節と6節に神がその僕に語られたお言葉が引用されていますが、全体としては主の僕が話している歌であります。ついでに申しますと、イザヤ50章4~9節の第三の歌は、自分の受ける迫害について述べている主の僕の歌であり、52章13節から53章12節までの一番長い第四の歌は、同じく主の僕が受ける受難死についての歌ですが、始めの3節で神が語られた後、53章に入るとその受難死を目撃する「私たち」が主語となっていますから、救いの恵みを受けるに到る人類の歌と称してもよいでしょう。しかし、最後の2節に再び神が登場し、その受難死によって神の僕が多くの人を義人とし、夥しい人を戦利品として受けることを詠っています。

③ 神の僕メシアについての預言である第二の「主の僕の歌」を、カトリック教会が洗礼者ヨハネの誕生を祝うミサ聖祭の中で朗読するのは、天使ガブリエルによるヨハネ誕生の予告からヨハネ殉教までのその生涯を、メシアの生涯の先駆と受け止めているからだと思います。私たちも洗礼者ヨハネを、神においてメシアと内的に深く結ばれていた先駆者として崇め、ヨハネの説いた悔い改めの恵みを、その取次ぎによって豊かに受けるよう努めましょう。

④ 第二朗読は、使徒パウロが第一回伝道旅行の時、ピシデアのアンティオキアで、安息日にユダヤ教の会堂でなした長い説教の一部であります。イスラエルの民の長い歴史を通して度々民に語りかけ、民を守り導いて下さった神は、約束された救い主によって救いの御業が実現する直前に、洗礼者ヨハネにイスラエルの民全体に悔い改めの洗礼を宣べ伝えさせました。ヨハネは、自分が数百年来かみから約束されている偉大なメシアの先駆者であることを自覚して、本日の朗読箇所にもあるように、「私はその足の履物をお脱がせする値打ちもない」と、公然と人々に話していました。私たちも洗礼者ヨハネの模範に倣い、自分を神の僕・婢、神から今の世に派遣されている使者と考えて、ミサ聖祭毎に実際にこの祭壇に来臨して下さる救い主に対し、謙虚な畏れと信仰を表明するよう心がけたいものであります。

⑤ 本日の福音は、エリザベトから生まれた洗礼者ヨハネが、誕生日から八日目に割礼を受けた時の話ですが、「近所の人々や親類は、主がエリザベトを大いに慈しまれたと聞いて喜び合った」という言葉や、「皆驚いた」、「近所の人々は皆恐れを感じた」などの言葉から推察すると、その割礼式の日が来るまで、近所の人々も親類の人たちも、老婦人エリザベトの奇跡的懐妊のことや男の子出産のことを全く知らずにいたのではないでしょうか。そこで、ルカ福音書の中で十分に詳述されていない洗礼者ヨハネの誕生にまつわる様々の異常事について、多少自由な想像を加えながらまとめて考察してみましょう。

⑥ この割礼式の十ヶ月ほど前に、アビアの組に属する老祭司ザカリアはエルサレム神殿で奉仕していました。アビアの組は、ダビデ王が制定したレビ族祭司24組のうちの第8組で、各組は一週間ずつ当番制で神殿に奉仕していました。神殿の収入は本来レビ族の祭司全員にバランスよく分配される筈のものでしたが、ハスモン家の大祭司が前2世紀の中葉にユダヤの政治権力を掌握してからの旧約末期には、その大祭司と結託しているサドカイ派の祭司たちが、神殿収入の大部分を自分たちのものにして祭司貴族のようになり、それ以外の祭司たちは年に2回一週間ずつ神殿に奉仕する報酬として支給される収入だけで生活する、貧しい下級祭司にされてしまいました。年に二週間の神殿奉仕の収入だけでは、長年住み慣れたエルサレムでは生活できません。それで多くの下級祭司は、エリコ周辺の誰の所有地でもない荒れ野や、ユダヤ南部の山地や荒れ野などの無住地に移住して開墾に励み、細々と生計を立てていました。当時の貧しい下級祭司たちが、神殿奉仕の二週間以外の時は都から遠く離れた不便な地域に生活していたのはそのためでした。この貧しいレビ族出身者の一部は、預言者的信仰精神の高揚に励みつつ、クムランやその他の諸所で共同生活を営んでいて、「エッセネ派」と呼ばれていますが、死期を間近にしていたザカリアとエリザベトも、幼子ヨハネの養育をそのエッセネ派の人たちに委ねてあの世に旅立ったようです。本日の福音の最後に、「幼子は、イスラエルの人々の前に現れるまで荒れ野にいた」とあるのは、そのことを指していると思います。察するに、洗礼者ヨハネはエッセネ派の教育を受けて成長し、そこで行われていた水のこ洗礼式を既に始まったメシア時代のために一般化して、悔い改める全ての人に授けたのではないでしょうか。

⑦ 神殿に奉仕する下級祭司たちは、毎日くじで選ばれた一人が神殿の聖所に香をたく勤めをしていました。サドカイ派に所属しない下級祭司にとってこの勤めは特別の名誉でしたので、できるだけ多くの祭司にこの名誉を与えるため、一度この勤めを果たした祭司は、その後は一生くじ引きから除外されていました。各祭司には年に14回もくじ引きの機会が与えられているのですから、祭司たちは早ければ30歳頃に、遅くとも40歳代、50歳代でほとんど皆聖所で香をたく勤めを果たしていたと思われます。しかし察するに、ザカリアは60歳代になってもくじに当たらず、神殿勤務の期間中は毎日、年若い祭司たちに伍してくじを引かなければなりませんでした。それは年老いたザカリアにとって耐え難い程の恥さらしであったと思われます。加えて、妻エリザベトに子供が授からないのは何か隠れた罪があるからではないか、というのが当時の人たちの一般的受け止め方でしたから、二人は神にその隠れた罪の赦しを願い求めて、ルカも書いているように、「主の全ての掟と規定とを落ち度なく踏み行う」ことに、他の人たちの何倍も細かく注意しながら努力していたと思います。

⑧ ところが、ある日そのザカリアにくじが当たったので、彼は老祭司の荘重さを保ちつつ、香炉と香をもって主の聖所に入って行きました。外では同僚の祭司たちと民衆が祈っていました。香をたいた時、彼は香壇の右に立つ天使を見て心乱れ、恐怖に襲われました。「恐れるな、ザカリア。お前の願い事は聞き入れられた」と、天使はエリザベトが男の子を産むことと、その子につける名前、その子が神から受ける恵みや使命などについて告げると、恐怖と緊張で心が固くなっていたザカリアは、「私は何によってそのこと(が本当だと) 知ることができましょうか。私は 老人で妻も年老いています」と、天使に答えました。すると天使は、「私は神の御前に立つガブリエルである。あなたにこの福音を伝えるために遣わされた。聞け、あなたはこれらの事が起こる日まで口が利けず、ものが言えなくなるであろう。時が来れば実現する私の言葉を信じなかったからである」と告げ、ザカリアは直ちにオシとなり、生まれて来る男の子に天使から告げられたヨハネの名をつけるまで、ものを言うことができなくなりました。誤解しないように申しますが、長年細心の注意を払って信仰生活を営んで来たザカリアが、急に神の存在や全能の権威などを信じなくなったのではありません。自分と妻エリザベトに対する神の特別の愛が、信じられなかったのだと思います。これまでの数十年間、どれ程熱心に祈っても償いの業に励んでも、子供が生まれずくじ運も悪かったのですから、自分たちは隠れた罪を背負って神から退けられているのだと、信じ切っていたのだと思われます。

⑨ 外でザカリアを待っていた人たちは、非常に遅れて聖所から出て来た彼が口が利けず、身振りで説明するのを見て、彼が聖所内で幻を見たのだと分り、隠れた大きな罪を持つ身で聖所に入ったために、天罰を受けたのだと考えたことでしょう。勤めの期間が終わって家に帰る時のザカリアは、外的には大きな社会的恥に覆われていたと思います。しかし内的には、心がこれまでの掟中心の生き方から自分に対する神の愛とご計画中心の生き方へとゆっくりと大きく転向し、新しい希望のうちに家に帰り、そのことを妻エリザベトに筆記で伝えたことでしょう。民の宗教的伝統を堅持し、民を代表して祈ることを本務としていたレビ族では女性も文盲ではなく、エリザベトも聖母マリアも字を読み書きできたと思います。旧約の信仰生活から新約の信仰生活への転向は、「悔い改め」の説教者ヨハネが母の胎に孕まれる前に、既にその両親の心の中で始まっていたと考えられます。ギリシャ語のメタノイア (悔い改め) は、単に何かの悪い生活態度や悪習を改善することではなく、奥底の心の根本的考え方や生き方を転換することを意味していますが、それを短期間に実現させるためには、ダマスコでのサウロの改心の時のように、何か奥底の心を揺り動かすような苦い体験が必要だと思います。神はザカリアたちにも、その体験をさせたのだと思います。

⑩ 事によると、ザカリアが天罰を受けたという噂がレビ族の間に広まり、人々はその隠れた恐ろしい罪に汚染されないよう、オシとなったザカリアの家には近づかないようにしていたかも知れません。口の利けない老ザカリアも人々に弁明することなく、家に引きこもっていたことでしょう。しかし、エリザベトが懐妊すると、二人の心には全く新しい希望と旧約聖書理解が育ち始めたと思われます。そのことは、ヨハネに名前をつけて口が利けるようになった時のザカリアの讃歌に、雄弁に反映しています。懐妊したエリザベトは、ルカ福音1: 24によると、「五ヶ月の間引きこもった」とありますが、身重と老齢のため、山里の坂道を自由に歩けなくなったのかも知れません。そのため、同じ山里に住む村人たちは、エリザベトの懐妊を知らずにいたのだと思います。

⑪ しかし、よくしたことに、そこへ天使のお告げを受けた親戚の聖母マリアが訪ねて来て一緒に生活し、老夫婦の生活の世話をしてくれました。マリアの世話を受けてエリザベトが出産した時も、近隣の人たちは知らずにいたでしょうが、その割礼式のためにマリアがその人たちを呼び集めた時、初めて大きな喜びが皆を満たしたのだと思います。そして更に、口の利けなくなっていたザカリアが、神からのお告げに従って、親類にはないヨハネの名前を幼子につけた時、舌がほどけて神に対する讃歌を詠い、その中で幼子が神から与えられた使命についても語るのを聞いて、人々は神の新しい救いの御業に畏れや希望の念を抱くにいたり、それがユダヤの山里で話題になったのだと思います。洗礼者ヨハネの誕生を記念し感謝するミサ聖祭を献げるに当たり、私たちも、外的画一的な規則順守中心の旧約時代とは違う、神の新しい愛の働きと導きに対する預言者的センスや価値観を大切にするよう、決意を新たにして恵みを願うよう心がけましょう。