2009年4月19日日曜日

説教集B年: 2006年4月23日、復活節第2主日(三ケ日)

朗読聖書: Ⅰ. 使徒 4: 32~35.   Ⅱ. ヨハネ第一 5: 1~6.  
  Ⅲ. ヨハネ福音 20: 19~31.
① 復活節第2主日の第一朗読と第二朗読の箇所は毎年違いますが、福音は毎年主のご復活の晩とそれからちょうど一週間後の出来事について述べている、ヨハネ福音書の同じ箇所から朗読されます。この主日について前教皇ヨハネ・パウロ2世が「神の愛のこもった寛容さが特に輝き出る」主日と表現なさったことから、「神の慈しみの主日」と呼ばれるようになりました。私は昨年4月に中国や韓国で反日デモが発生した時から、極東アジア諸国が互いに心を大きく開いて友好親善に努め、平和に共存共栄する恵みを願って、毎月一回、日曜またはその他の週日にミサ聖祭を捧げていますが、本日「神の慈しみの主日」に当たり、このミサ聖祭をその意向でお献げ致します。宜しければ、皆様もミサ中にこの目的のため、ご一緒にお祈り下さい。
② なお、4年前の2002年6月29日付で教皇庁から出された教令により、復活節第2主日には、必要な条件を満たして祈る人に、部分免償または全免償が与えられると定められています。「既に赦された罪に伴う有限の罰の免除」を意味する免償については皆様ご存じのことですが、その条件については『カトリック教会の教え』220~221ページに明記されていますので、ここでは省きます。免償を受けたい人は、その条件を満たしてお受け下さい。この免償は、16世紀のプロテスタント宗教改革者たちによって「罪の赦し」と誤解され、当時の教皇庁をはじめカトリックの神学者や有識者たちは皆、その誤解に驚いたり呆れたりしましたが、しかし、ドイツやヨーロッパ北部の貧しい一般民衆の間では、実際にそれを「罪の赦し」と考えるような誤解が広まっていたようです。それでカトリック教会は、プロテスタントの宗教改革を契機として、ルッターら宗教改革者たちがその教理を普及させるために作成した問答式の教理書に倣って『公教要理』を作成し、それを民衆の間に普及させています。昔の信者は、子供の時から事ある毎に、その『公教要理』を暗唱する程に学ばせられていましたが、今はその必要はないと思います。
③ しかし、カトリックの教えや伝統についての誤解を書いたり話したりする人は、現代にも少なくないようですから、私たちも『カトリック教会のカテキズム』か『カトリック教会の教え』を手元に置いて、時々はそこから学ぶよう心がけましょう。私たちは皆、復活なされた主キリストが目には見えなくても世の終りまで、カトリック教会という信仰共同体に伴っておられ、その信仰や活動を護り導いておられると信じています。その主の導きに従って教会が2千年来体験して来た数々の失敗や成功は、教会の伝統的教えの中にも反映し定着していると考えます。例えば私たちの営んでいる修道生活について、聖書には何も書かれていないから、それは後の時代の人間が創り出したものであって神からのものではない、などという人がいます。しかし、主が今も世の終りまで私たちと共におられ、働いて下さっていることは、千数百年来の無数の修道者たちが日々生き生きと体験していますし、自分の数多くの体験から確信しています。そして聖書にある主イエスのお言葉からも、その事実は明確に保証されています。2千年前の聖書に明記されていないことは全て神よりものではないとする考えこそ、聖書の教えに反する人間の独断ではないでしょうか。修道生活については『カトリックの教え』140~141ページにも述べられていますが、私たちはその生き方を介して、世の終りまで私たちと共におられる主の働きを、世に証しする使命を持っていると思います。
④ 本日の第一朗読は、聖霊降臨によって生れた教会共同体の美しい一致の姿を伝えていますが、主がエルサレム滅亡の予言と並べて、世の終りと主の栄光の再臨についても予言なされたので、当時は、使徒たちをはじめ一番最初の信徒団も世の終りは近いと考えており、十分の土地財産を所有する資産家たちは、程なく世の終りになるのなら全ては失われるのだからと考え、それらを売っては代金を使徒たちの所に持ち寄り、信徒団は皆、神の慈しみの内に、心を一つにして助け合い励まし合って生活するようになったのだと思います。しかし、この状態はいつまでも続いたのではありません。皆生身の人間ですし、初めに持ち寄ったものが底を付き、貧しさを目前にするようになれば、やはり人それぞれに、自分の蓄えや生き残り策を考えるようにもなったと思われます。エルサレムでキリスト教会が誕生して20年ほど後に、使徒パウロがギリシャ系改宗者たちの諸教会から集めた寄付金をエルサレム教会に持参していることから察すると、この頃には既にエルサレム教会が少し貧しくなっていたのではないか、と推察されます。
⑤ ローマに対する反乱によってエルサレムが70年に滅亡しても、まだ世の終りにはならず、ローマ帝国の支配が一層強化されて、使徒たちもほとんど皆いなくなると、世の終りはまだまだ遠い将来のことではないのかという考えが広まり、それまでの生き方や信仰に対する疑問も生じて、教会内には使徒たちの教えとは違う見解や教えを広めようとする人たちも現れ始めたようです。本日の第二朗読は、1世紀末葉のそういう教会事情の中でしたためられた書簡からの引用ですが、そこではキリスト者の本質と、神の掟 (即ち「私が愛したように、互いに愛し合いなさい」という主から与えられた新しい掟) の遵守が強調されています。禅仏教は言わば人間側からの探究が中心になっている宗教で、禅僧たちはたゆまぬ努力によって迷いや煩悩を克服し、悟りに到達しようとしますが、主イエスを神の子と信ずる私たちは、主の掟を守ることによって神の命に成長し、神の霊に生かされ導かれて、すなわち神の力によって、古い自分にも世にも打ち勝つのです。使徒ヨハネのこの教えに従い、私たちも小さいながら神の霊によって教会共同体の一致を堅め、神中心に生きようとしていない世に打ち勝つ証しを立てるよう努めましょう。
⑥ 本日の福音の始めにある「夕方」は、ルカ福音の記事を考え合わせますと、夜が更けてからのように思われます。主が復活なされたその日、エマオで早い夕食を食べようとした弟子二人が、急いでエルサレムに駆け戻ってからの出来事のようですから。本日の福音に二度述べられている「真ん中に立つ」という言葉には、深い意味が込められていると思います。それぞれ考えも性格も異なる人と人との間、そこに主キリストの座があり、相異なる人と人とを一致させ協働させる平和と愛の恵みも、その神の座から与えられるのではないでしょうか。主はその真ん中に立って、「あなた方に平和」と挨拶なされたのです。日本語の「人間」という言葉も、この聖書的観点から大切にして行きたいと思います。それは、各人の中に宿る神人キリストに対する信仰と結び、キリスト教化して使うこともできる美しい言葉であると信じますので。
⑦ ところで、他の弟子たちが主の最後のエルサレム行きを恐れ、躊躇し勝ちであった時、「私たちも行って、一緒に死のう」(ヨハネ11:16) と皆に呼びかけた忠誠心の堅いトマスが、なぜ他の弟子たちが目撃し実証している主イエスの復活を、すぐには信じることができなかったのでしょうか。戦後の20数年間、いや30年間近くも日本の敗北を認めようとしなかったグァム島の横井庄一軍曹や、フィリピンの離島ルバング島の小野田寛郎少尉などの例からも分かるように、祖国日本に対する忠誠心の堅い軍人にとり、180度の思想転換には長い時間が必要なのだと思います。それで主も、忠誠心の堅い弟子トマスには、一週間の猶予期間を与えて下さったのではないでしょうか。その間、トマスの心はいろいろと思い悩んだでしょうが、その悩み抜いた心、悩みに打ち砕かれて成熟した心に主がお現れになった時、彼はその苦しみから解放されて、180度の転換をなすことができたのだと思います。主のこのような導き方は、人を改宗に導く時にも、心すべきことだと思います。
⑧ 復活なされた主を目前に見て、トマスが感動して宣言した「私の主、私の神よ」という言葉も、注目に値します。他の弟子たちは、それ以前に主を「神の子」と呼んだことはあったとしても、そこにはそれ程の深い感動も喜びも込められていなかったでしょうが、トマスがここで主に向かって叫んだ「私の主、私の神」という宣言には、自分の心を深刻な悩みから解放して下さった主に対する感謝と、パーソナルな強い忠誠心も込められていると思われるからです。後年、教会はこの感動に満ちた宣言をミサ聖祭の「栄光の讃歌」に採用し、「神なる主」という言葉で表現しています。私たちはトマスのように復活の主を目撃してはいませんが、見なくてもその主の今ここでの現存を堅く信じつつ、「栄光の讃歌」を歌う時あるいは唱える時には、悩みから解放された使徒トマスの喜びと感激と捧げの心を、合わせて想い起こすように致しましょう。