2012年7月1日日曜日

説教集B年:2009年間第13主日(三ケ日)


朗読聖書: . 智恵 1: 13~15;  2: 23~24.
                . コリント前 8: 7, 9, 13~15.  
  . マルコ福音 5: 21~43.

   本日の第一朗読には、神は「生かすためにこそ万物をお創りになった」のであって、「命あるものの滅びは」喜ばれません。「滅びをもたらす毒はその中にはなく、」「悪魔のねたみによってこの世に」入って来たのです。ですから、神が「ご自身の本性の似姿として」「不滅な存在として」創造して下さった人間は、その悪魔に抵抗し続けるなら、神と共に永遠に幸せに生きることができますが、悪魔の仲間に属する者になるなら、死を味わうに至るのです、というような旧約末期のユダヤ人たちの人間観が述べられています。「パウロ年」の最後に当たり、使徒パウロの生き方を偲びながら、聖書のこの人間観に学びたいと思います。同じ悪魔は現代の極度に多様化し流動化しつつある社会の中でも活躍し、多くの人の心を滅びへと導いていると思われますので。

   使徒パウロについては、これまでのパウロ像を覆すような新しい歴史研究や聖書研究が、1980年代後半から続々と発表されていますが、こうして明らかにされた使徒パウロの精神や霊性が、グロバール時代、全地球化時代を迎えて伝統の見直しを迫られ、混迷し勝ちな現代人の間に広く知られ受け継がれるようにとの願いも込めて、昨年の6月末から「パウロ年」が祝われたのではないでしょうか。現教皇ベネディクト16世は、昨年の7月始めから今年の2月始めまでの水曜日の一般謁見の講話に、それらの新しいパウロ像を参照しつつ、20回にわたって使徒パウロの生涯や信仰思想などについて解説しておられます。それらの講話は邦訳されて、カトリック中央協議会から出版されています。復活なされた主キリストに出会い、ひたすらその御声に従って、当時のファリサイ派の伝統的信仰精神から大きく脱皮し、神から派遣されて来られた救い主メシアの精神の内に、ユダヤ人をも、また異邦人たちをも、全人類を一つの神の民に為すように命がけで働き続けた使徒パウロは、現代の私たちにも示唆することの多い国際的人物であったと思います。パウロについてはよく、「パウロの回心」という言葉も耳にしますが、パウロについて一番詳しく伝えている聖ルカの使徒言行録にもパウロ自身の書簡にも、復活の主キリストに出逢ってからのパウロについて、「回心」や「悔い改め」という言葉は全く使われていません。パウロは太祖アブラハム以来の伝統的信仰の遺産を忠実に保持しつつ、それを完成し救いの恵みを全人類に与えようとなされた主イエスの、より新しい啓示に従い続けたのだと思われます。

   パウロは今のトルコ半島の付け根に近いタルソスというイコニウム地方の大きな中心都市で、身分の高い階層のユダヤ人の家に生まれ、生まれた時からローマ市民権を持っていました。そしてギリシャ語を母国語として育ち、同時に敬虔なユダヤ人としてヘブライ語にも堪能でしたが、長じてエルサレムに留学し、著名なラビ・ガマリエルの弟子となって人一倍熱心に聖書を研究するファリサイ派の律法学者になりました。この律法研究の立場から、自分がエルサレムに来る前に十字架刑を受けて死亡したナザレのイエスを復活した神の子として信奉し、その信仰を広めているグループの人たちを、太祖以来の伝統的神信仰やユダヤ教を歪める危険分子と思い、大祭司たちからの支援を受けて迫害しました。しかしそれは、神を真面目に信じ崇める信仰の熱心からの行為で、宗教的にも社会的にも悪事を為したという意識はなかったと思われます。

   旧約末期から主イエスや使徒パウロが活躍していた頃までのユダヤ教には、エジプトで70人によってギリシャ語に翻訳されたと伝えられる「七十人訳」と言われる聖書が、ユダヤ国外の世界諸国に生まれ育ったユダヤ人をはじめ、当時の国際語であったギリシャ語を話す無数の異邦人たちにも愛読されていて、アブラハムの神を崇める異邦人たちも多く、ユダヤ教の会堂礼拝には割礼を受けていない異邦人たちも大勢参加していました。イザヤ56章7節には、「私の家は全ての民の祈りの家と呼ばれる」という、神からの預言の言葉が読まれ、ルカ福音書19章によると、主イエスもエルサレム神殿から商人たちを追い出された時その聖句を引用しておられます。ヘロデ大王によって大きく美しく増改築された当時のエルサレム神殿には、大勢の異邦人が祈りに訪れており、広く拡大された神殿の外庭で祈る、その人たちからの献金の額も大きかったと思われます。しかし、その外庭の一角で働いていた両替屋やその他の商人たちの声が煩かったので、主が彼らを祈りの邪魔として追い出されたのだと思います。福音書や使徒言行録には、敬虔な信仰に生きるローマ軍の百人隊長やエチオピア女王カンダケの高官など、数多くの異邦人も登場していますが、過越祭には異邦人の神殿巡礼者たちも多かったと思われます。主が復活なされた年の五旬祭、あの大規模な聖霊降臨のあった五旬祭には、遠くメソポタミアやアラビア、ローマやエジプトなどからも多くの人がエルサレムに来ていたようです。その中には、異邦人も少なくなかったでしょう。

   使徒パウロが復活の主キリストからの啓示に従い、ギリシャ語圏に住むユダヤ人と異邦人に対する伝道に活躍した頃は、当時の世界各国の異邦人がユダヤ人の信仰の遺産に最も大きな関心を抱いていた時であり、ユダヤ人と異邦人とが復活の主キリストに対する信仰と愛において、新しい一つの神の民となる可能性が最も大きく膨らんでいた時であったと思われます。しかしそこに、先程の聖書の言葉を引用するなら、滅びをもたらす死の毒が悪魔の妬みによってこの世に入ったようです。外的この世的に豊かになっていた当時のエルサレム神殿とその周辺にいたサドカイ派とファリサイ派の指導層は、豊かに繁栄している自分たちの今の宗教的社会的地位や体制の護持を何よりも優先して、己を無にして神への感謝・従順に心がけようとはせず、神から派遣された洗礼者ヨハネの声にも、また約束されたメシアの声にも謙虚に聴き従おうとせずに、遂にメシアを繁栄しつつあるユダヤの宗教政治体制に有害危険な人物として断罪し、ローマ総督に訴え出て十字架刑に処してしまいました。すると既に旧約末期から始まっていたユダヤ教内部の分裂や権威失墜の動向が急に過激になって、ユダヤ教の体制が崩壊し始め、遂にエルサレム神殿は、紀元70年にローマ軍によって徹底的廃墟とされてしまいました。現代の教会も、同様の悲惨な分裂や権威失墜に見舞われるかも知れません。使徒パウロの信仰精神で生きるよう努めましょう。

   エルサレム神殿が滅亡すると、それまでのメシア待望熱も冷め、神殿礼拝もなくなり、祖国を失って世界中に当て所なく流浪する民となってしまったユダヤ人たちのため、彼らが先祖の神信仰から離れて異教化しないよう、生き残ったファリサイ派のラビたちは、その後3世紀半ばまでの間に後年「タルムード」と言われるラビ資料をまとめ上げ、新しいラビ・ユダヤ教を造り上げました。このラビ・ユダヤ教は伝統的ユダヤ文化のギリシャ化を退け、ギリシャ語の七十人訳聖書を排斥して狭い閉鎖的選民意識の中に立て籠り、流浪するユダヤ人の団結を固めようとした守りの宗教であるため、それまでの聖書の全部を尊重するのではなく、七十人訳聖書の中に読まれる、トビト記、エディト記、マカバイ記、知恵の書等々、十数点の文書を彼らの聖書から除外してしまいました。カトリック教会や東方教会は、旧約時代・キリスト時代以来のこれらの七十人訳聖書を全て大切にしています。以前には使徒パウロを、そのような狭いラビ・ユダヤ教からキリスト教に改宗したかのように思う人たちもいたようですが、近年の研究でそれは誤りであることが明らかになりました。同じ紀元1世紀にエジプトで活躍していたユダヤ人哲学者フィロンも、名門のユダヤ人祭司の息子でユダヤ戦争の時にローマ軍と戦い、捕えられて生き伸び、後に『ユダヤ戦記』や『ユダヤ古代史』などの著作を執筆した歴史家フラビウス・ヨゼフスも、パウロと同様に七十人訳聖書を読んでおり、当時のギリシャ・ローマ文化に対して開いた心の持ち主でした。現代の全地球化時代の巨大な混沌とした流れの中で生きる私たちも、何かの狭い閉鎖的な立場に立てこもることなく、神よりのもの全てに心を大きく開いて、何よりも神の声に聴き従う精神で生活するなら、使徒パウロのように、神の働きによって各人なりに豊かな実を結ぶことができるのではないでしょうか。「パウロ年」を終えるに当たって、本日この希望と決意を新たに致しましょう。事によると、教皇は今のユダヤ人たちにも、異邦人文化に開放的であった2千年前のユダヤ教に立ち戻って新たに考え直すよう促すため、全世界の教会で「パウロ年」を祝わせたのかも知れません。

   本日の第二朗読には、「あなた方の現在のゆとりが彼らの欠乏を補えば、いつか彼らのゆとりもあなた方の欠乏を補うことになるのです」という言葉が読まれます。これは、使徒パウロの数々の体験から滲み出た確信であると思います。パウロはコリント後書4章に、「私たちは生きている間、イエスのために絶えず死に曝されています。死ぬ筈のこの身にイエスの命が現れるために。こうして私たちの内には死が働きますが、あなた方の内には命が働きます」などと書いています。パウロは、洗礼によって霊的に主キリストの体に組み入れられ、その一つ体の一部分・一肢体として戴いている私たちキリスト者は、この世の命に生きながら、内的には既に永遠に死ぬことのないあの世の主キリストの大きな命に包まれて、いわば主キリストを着物のように纏いながら生活しているのであり、その限りでは死に伴われて苦しむことの多い私たちのこの世の苦しみは、主キリストの受難死に参与して人類の他の部分で主のあの世の命を広めるのに大いに役立っている、と信じていたのではないでしょうか。ユダヤ人と異邦人の別なく、新約の神の民のこのような内的生命的な連帯性は、現代に生きる私たちも、大切にしたいと思います。

   先日私は二回目の抗がん剤投与を目前にして不安になっていた一人の韓国人信者を見舞いました。その信者が一回目の抗がん剤投与の強い副作用に非常に苦しんだと聞いたからでした。そして病油の秘跡を授けて一緒に祈った後、恐れて逃げ腰の心で治療を受けると、自分で自分の心を苦しめるので2倍も3倍も苦しみを大きくするから、多くの人の救いのため喜んで受難死を甘受して下さった主キリストと聖心と一致し、その苦しみを神に献げる祈りの心で前向きに治療に立ち向かうよう励まして来ました。神の救う力は、そういう献げる心、祈る心の中で大きく働いて下さるからです。察するに使徒パウロも、日々出逢う苦しみを、自力に頼ってではなく、主キリストの命に生かされて耐え忍び、神への祈りとして献げていたのではないでしょうか。私たちもその模範を心に刻みつつ、「来世的人間」として生き抜きましょう。