2012年6月10日日曜日

説教集B年:2009年キリストの聖体(三ケ日)

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朗読聖書: . 出エジプト 24: 3~8. 
              . ヘブライ 9: 11~15.  
  . マルコ福音 14: 12~16; 22~26.
  1. 本日は主キリストの聖体の祭日ですが、主は最後の晩餐の時、ご自身の御体と御血とをこの世のパンと葡萄酒の形で弟子たちに飲食させるというこの偉大な秘跡を制定して、世の終わりまでご自身がパンと葡萄酒という見える形をとってこの世に留まり、私たち人類が信仰をもって主に近づく道をお開きになりました。主は同時に、弟子たちが日々その秘跡を新たにして世の終わりまで続けるため、司祭職とミサ聖祭の儀式も制定なさいました。本日は、主が制定なされたこれらの大きな神秘的恵みに感謝する祭日であると思います。ローマ・カトリック教会と東方教会とは、主が2千年ほど前に制定なされたこの伝統を守り続け、全人類の上に主キリストによる救いの恵みを豊かにお届けし、溢れさせて来ました。ところが近年、人類の人口もキリスト教の信徒数も急速に増大しつつあるのに、ミサ聖祭を挙行する司祭数は減少し続けるという、危機的状況が深刻になって来ています。そのためかカトリック教会では、現代人の信仰刷新を目指した昨年の628日から一年間の「パウロ年」が今年の6月29日に終わる前に、もう一つ今週の金曜日6月19日の「イエスの聖心の祝日」からの一年間を、「司祭の年」としてお祝いすることに致しました。主イエスの聖心の内に燃え盛る「司祭の心」を現代の司祭たちの心に新たに燃え上がらせ、同時に司祭志望者の数を増大させるためであると思われます。それで本日はまず、このことについてご一緒に考えてみたいと思います。

  2. 司祭数の減少は第二バチカン公会議が終わった1965年から始まっていますが、1970年には、カトリック信徒数67千万人に対して司祭数はまだ41万人を超えていました。ところが最近では、カトリック信徒数が11億1千万人と1.66倍に増えているのに、全世界の司祭数は逆に減少し、40万人を割っています。しかも、若い意欲で活躍している若年・中年司祭の大部分は、貧しさの中で生まれ育った東南アジアやアフリカ、中南米諸国の出身者たちで、先進諸国出身の司祭たちは半世紀前に比べて激減しており、多くは老齢化しています。そのため、古来ラテン語で受け継がれて来た伝統的信仰の遺産も、ごく一部の修道院や教会を別にして、その純粋さ・深さ・美しさがそのままには後世に受け継がれなくなっていますし、一部では、もっと現代世界に適合した新しい信仰理解や、新しい流れを生み出そうとする危険な試みもなされているようです。巨大なグローバリズムの世界的潮流の中で、人類の社会も教育も文化も急速に変貌しつつある時代ですから、その現象はある意味で当然なのかも知れませんが、しかし、この過激な外的変化のために主イエスの精神、主イエスの「司祭の心」が司祭たちに受け継がれなくなり、伝統的教えもミサ聖祭も、外的形だけの魅力のないもの、ふさわしい実を結ばないものと化してしまう恐れも大きくなっていると思われます。今の教皇も、そのことを憂慮しておられるのではないでしょうか。私たちも教皇と心を一つにして、現代の司祭たちの中に主イエスの聖心が主導権をとって働き、人類に救いの恵みを豊かにもたらすことができますように、また主イエスの精神で献身的に働く司祭たちがこれからも数多く育ちますように、今週から始まる「司祭の年」に当たって祈り続けましょう。

  3. ただ今ここで朗読されたマルコ福音書には、ちょっと珍しい主の御言葉がありました。主が過越の食事を準備させるため、二人の弟子を派遣するに当たって、「都へ行きなさい。すると水がめを運んでいる男に出会う。その人について行きなさい。云々」とおっしゃったお言葉であります。主イエスは離れた所におられても、近い将来に起こる小さな出会いなどの出来事を正しく見抜く不思議な超能力を、人間としても身につけておられたように思われます。当時は水がめは普通に女性が運んでいましたので、「水がめを運んでいる男」という徴は、現代日本の慣習からすれば、「赤い傘を持った男」のように、ごく稀にしか目にしない徴であったと思います。過越祭直前の都エルサレムには大勢の人が道路に溢れていましたから、主はこのような徴を弟子たちに与えて、その人をすぐ見つけるようにして下さったのだと思います。今年の聖金曜日に、私はここで19世紀のカタリナ・エンメリッヒが見た主のご受難についての幻示について話しました。その幻示をまとめたドイツ語本の邦訳書『吾主のご受難』は、終戦直後に出版された後に絶版になっていると思っていましたら、1961年に『キリストのご受難を幻に見て』と題名を変えて光明社から発行され、一昨年までに5版を重ねていました。

  4. 神学生時代に、修道院での共同食事の時一度朗読した懐かしさもあって、早速その訳書を復活祭後に購入して読んでみましたが、それによると、本日の福音に登場する二人の弟子はペトロとヨハネで、主の最後の晩餐の食事を準備した宿の主人は、洗礼者ヨハネの義理の兄弟にあたるヘリという人でした。彼はヘブロンに住んでいましたが、毎年過越祭に僕たちを連れて上京し、エルサレムで一室を借りて、市外からの巡礼者団のため過越の食事を準備していました。どの広間を借りて誰に過越の食事を提供することになるかは、あらかじめ特別に決まってはいなかったようです。主はそのこともお見通しの上で、二人の弟子たちを派遣なされたのではないでしょうか。ヘリがこの時借用することができ、そこに過越の食事を準備することができた広間は、ニコデモとアリマテアのヨゼフが所有していた古い大きな建物の広間でした。なお、通常過越の食事は大安息日の前夜、すなわち金曜日にすることになっていましたが、ヘロデ大王がエルサレム神殿を立派に増改築して、それまでとは比較できない程多くの巡礼団が過越祭に都に来るようになり、エルサレム周辺のゲッセマニその他の畑地に野宿するようになると、外来の巡礼者たちがエルサレムで過越の食事をする場所を金曜日に確保できなくなったため、主イエスの時代には、その前夜に過越の食事をなすことが特別に許されていました。カタリナ・エンメリッヒの見た幻示にはそのことも説明されており、その他最後の晩餐の出来事も詳しく述べられていますが、ここでは割愛しましょう。主が一応伝統的過越の食事をなされた後に、新たに新約時代のミサ聖祭の儀式を導入し、それを使徒たちに伝えておられることも注目に値すると思います。聖福音の限られた頁数の中では伝えられていない多くの出来事が、カタリナ・エンメリッヒの見た幻示の中に示されていて真に興味深いですが、これについてはまたいつかお話しすることにして、本日は主がこのようにしてお始めになって新約のいけにえが、現代に生きる私たちの上にも豊かな恵みをもたらすものとなりますよう願いつつ、ミサ聖祭をお献げしたいと思います。