2012年6月3日日曜日

説教集B年:2009年三位一体の主日(藤沢の修道院)

-->

朗読聖書: . 申命記 4: 32~34, 39~40.  
              Ⅱ. ローマ 8: 14~17.  
  . マタイ福音 28: 16~20.
  1. 本日の第一朗読は、約束の地カナアンを目前にしてモーセが神の民イスラエルに語った遺言のような話からの引用ですが、その中でモーセは「あなたに先立つ遠い昔、神が地上に人間を創造された最初の時代にさかのぼり、また天の果てから果てまでたずねてみるがよい。これ程大いなることがかつて起こったことがあろうか。云々」と、天地万物とその中での人間をお創りになった神の御業の偉大さに、まず民の心を向けさせています。そしてその上でその神が、他の多くの国民の中からイスラエルを特別に選び出し、神による数多くの恐るべき徴しや奇跡を体験させながら、これから入る約束の地まで民をお導き下さったことを語り、天においても地においてもこの神が唯一の主であり、他に神のいないことを弁え、しっかりと心に留めて、神から与えられた掟と戒めを守り行うよう命じています。そうすれば民もその子孫も、主がお与えになるこの約束の地で、長く幸せに生きることができるのだ、と明言しています。
  2. モーセがその民に語ったこれらの言葉は、現代世界に生きる私たちにとっても非常に大切だと思います。私たちは神が創造なされたこの巨大な天地万物の恵みや、その中で神から特別に選ばれ愛されている人間という存在の素晴らしい恵み、並びにその使命などについて日々神に感謝を捧げているでしょうか。20世紀の中頃から人間の科学が大規模に発達して来てみますと、神がお創りになった宇宙の絶大な大きさや、その細かい所まで行き届いている組織体制の神秘には、全く圧倒される程の感動を覚えます。神は本当に大きな愛と配慮を込めてこの宇宙をまた人間をお創りになり、今も絶えず細かい所まで行き届くその御力と温かいお心で、万物を支え導いておられるように思います。
  3. 筑波大学の名誉教授で遺伝子研究の世界的権威者の一人である73歳の村上和雄氏は、大人の人間の体に60兆個もあると言われている、小さな小さな細胞1個の中に、「宇宙(全体)に匹敵する程の神秘が隠されている」と述べています。村上氏によると、ヒトの遺伝子暗号は約30億の科学的文字(塩基)から成っていますが、この30億の文字を人間が読めるような普通の文字に拡大しますと、1ページ1千字で、千ページもの分厚い本が3千冊になるそうです。それだけの詳しい情報が、私たちが胎児の時から受け継いでいる体の各細胞に書き込まれているのだそうですから、これは「神の驚くべき御業」と言わざるを得ません。村上氏は「20世紀に発見された最大の奇跡」と称しています。しかも、その遺伝子情報は、両親の遺伝子や兄弟姉妹の遺伝子とも幾分異なっている、全く各人独自の情報だそうで、こう考えますと、一人一人の人間はすでに胎児の時から「神からの特別の贈り物、貴重な宝物」と言わざるを得ません。神からのその貴重な贈り物を、人間中心の浅墓なこの世的考えで、無駄にして仕舞わないよう心がけましょう。
  4. 自然界の動植物の遺伝子より遥かに多い、その30億にも及ぶヒトゲノムの配列は、21世紀に入ると全部解読されましたが、そのうちonの状態(目覚めている状態)になっているのは7パーセント程で、残りの93パーセントはoffの状態になっており、どういう機能を持つ遺伝子であるかは分かっていないと聞きます。その話を聞いた時私はすぐ、それらのまだ眠っている遺伝子の多くは、世の終わりに主イエスの復活体と同じ姿に復活した時に働き出すのではないかと考えました。天文学者たちによると、この巨大な宇宙は今もなお、光の速度で無限に膨張し続けているのだそうです。私たちの住んでいるこの太陽系の星たちが所属する「天の川銀河系」と同じような巨大な星たちの集まりである銀河系は、一番近いアンドロメーダ銀河系をはじめ、他にもまだ無数に散在しているそうですから、私たち人間は、この世の時間空間の束縛から解放されたあの世の体に復活した後には、それらの銀河系の星たちの間を神出鬼没に自由に駆け巡りつつ、神がお創りになった無数の神秘を次々と発見し、大きな感動の内に三位一体の神を讃え、神に感謝し続けるのではないでしょうか。神に特別に似せ、万物の霊長として創られた私たち人間の未来には、想像を絶する程の明るい大きな永遠の喜びと、神の無数の被造物を益々深く理解し世話する使命が、神ご自身によって備えられているように思います。
  5. 本日の福音には、死ぬことのないあの世の命に復活なされた主が、予め指示しておかれたガリラヤの山で、弟子たちに出現して話されたお言葉が読まれます。主がその中で、「全ての民を私の弟子にしなさい」と命じておられることは注目に値します。「教えなさい」と命じられたのではありません。無学なガリラヤの漁夫たちは、いくら聖霊の賜物によって心が満たされ強められたといっても、言語の違う世界に行けば、話すにしても書くにしても、言葉に不自由を感じたでしょうし、ましてや自分たちよりも遥かに教養の高い文化人たちに教えるなどということは、できなかったと思われます。しかし、自分の見聞きした体験から目撃証人として語り、その証言を聴いた世界各地の文化人も、それぞれ自分たちなりに提供された神の救いに心を大きく開き、主キリストの弟子となって生き始めることは可能だったと思います。主のお言葉は、このことを指しているのだと思います。そして神による救いに心を開く人たちには、父と子と聖霊の御名によって洗礼を授け、その魂を三位一体の愛の交わりに参与させ、弟子たちに命じて置いたことを全て守るように教えなさい、というのが主のご命令だと思います。これなら、無学な漁夫たちにも実践可能な命令だと思います。このようにして神の子の命に参与する人々と共に、主は世の終りまでいつも共にいるというのが、主のお約束だと考えます。
  6. 私が公教要理を学んだ終戦直後の頃、西洋では「三位一体の教義が一番理解し難い教理だ」と言われていたようです。しかし、当時のあるドイツ人宣教師は「日本人には、三位一体の教義はほとんど抵抗なくそのまま受け入れられるようだ」と話していました。私も当時を振り返ると、その教義にはそれ程抵抗を感ぜずに、神は孤独な唯一神ではなく、三方の愛の共同体なのだとして素直に信じることができたように思います。ドイツ人宣教師の解説の中に、「作品は作者を表わす」という諺のように、神のお創りになった被造物の中には、例えば火のように、燃やす力と照らす光と温める熱とが一つになっているものが多く、太陽の引力も光線も熱線も一つになっている、というような説明がありましたから。それで良いと思います。人間理性中心に理解しようとすると、無意識のうちに心の中に何か不動の原則のようなものを作り上げてしまいます。「唯一のものは、三つにはなり得ない」などと。そして人間理性がでっち上げたその不動の原則が、神から与えられた生命的、共同体的な現実を正しく理解するのを妨げ、温かい愛の心で話しかけ語り合うべき周辺の動植物をも、自分の意のままに一方的に利用し処分してしまおうとする、温かい愛や連帯精神に欠ける冷たい生き方へと進ませてしまいます。しかし、神がお創りになった現実世界も神の世界も、人間理性が合理的に考えるよりも遥かに神秘で多次元的なものだと思います。三位一体の神は、私たちが人間中心主義のそのような狭い冷たい精神で生きているのか、それとも三位一体の神のように、被造物に対する共同体的愛の精神で生きているのかを、隠れた所からそっとご覧になっておられるのではないでしょうか。気をつけましょう。神中心主義の恵みに豊かに浴するために。
  7. 私はペットを飼うことも庭木の世話をすることもしませんが、土・日・月曜日に三ケ日の修道院でミサを献げる日以外の週日には、20年程前から、神学院から歩いて2キロ程のスペイン系修道会でミサを献げており、そこに行く途中の名古屋大学の広場で私の来るのを待っている鳩や雀たちに、ちょっと小さな餌を投げ与えています。他にほとんど誰もいない早朝なので、その時そっと鳩や雀たちに声をかけていますが、するとそれらの鳥たちが時折大きな喜びと感謝の表現を私に見せるのです。庭木や草花に優しい愛の言葉をかけていると育ちが違うということは聞いていましたが、周辺の動物や日々使う道具や日々の天候などについても、同様に言うことができるのではないでしょうか。三位一体の神から「万物の霊長」に立てられていることを思い、神に対する信仰・信頼と、神から創られた万物に対する温かい愛をもって行動してみましょう。この世の万物が私たち神の子らを歓迎し、快く迎えて下さるのを体験すると思います。私は個人的に、そのような喜ばしい体験を数多く経験し、神に感謝しています。......