2009年12月20日日曜日

説教集C年: 2006年12月24日、待降節第4主日(三ケ日)

朗読聖書: Ⅰ. ミカ: 5: 1~4a. Ⅱ. ヘブライ: 10: 5~10.
     Ⅲ. ルカ福音 1: 39~45.


① 本日の第二朗読に読まれる主キリストのお言葉は、神の特別な啓示によるものだと思います。ご自身の体、ご自身のこの世の人生を、人類の罪を贖うために焼き尽くされる幡祭(はんさい) のいけにえ、御父の御旨を行うためだけのものとするという、この徹底的献身と従順の決意は、主が聖母マリアのお体に宿られた瞬間から受難死を成し遂げた時まで、救い主の人生を貫いている不屈の精神であると思います。聖母も単に主のお体だけではなく、そのお体に籠るこの精神をも宿し、この精神でご自身の人生を神に捧げ尽くすことにより、主と共に救いの恵みを人類の上に呼び下し、私たちの精神的母となられたのではないでしょうか。私たちも、救い主のこの決意、この精神に参与して生きる度合いに応じて、クリスマスの恵みに浴するのだと信じます。そのための照らしと力を願い求めつつ、主と聖母と共に生きる決意を新たにして、本日のミサ聖祭を献げましょう。

② 本日の日本語の福音には「その頃マリアは出かけて」とありますが、この邦訳は、残念ながらギリシャ語原文のニュアンスを十分に伝えていません。原文では Anastasa de Mariam en tais hemerais tautaisとなっていて、直訳しますと、マリアはその日々の頃に勢いよく立ち上がって、という意味合いの句です。この表現から察しますと、マリアは天使のお告げを受けて「お言葉通りこの身になりますように」とお返事した直後から、二、三日間ないし四、五日間は、深刻に悩まれたのではないでしょうか。と申しますのは、マリアは一人でいた時にお告げを受けたのであり、女性に厳しい男性優位のユダヤ社会で男の子を産み育てるには、どうしても婚約者ヨゼフの助け・協力が必要ですが、自分が神の御子・人類の救い主を胎内に宿していることをヨゼフに説明し納得させるには、どうしたら良いかといくら考えても、分からないからです。それは全く前代未聞・驚天動地の奇跡で、言葉でいくら上手に説明しても人を納得させることはできない程の大きな奇跡だからです。マリアは考えれば考える程、この奇跡の偉大さが深く悟らされるだけで、それを言葉でヨゼフに説明することは不可能である、と自覚するだけだったと思われます。

③ しかしその時、天使が最後に付言した、親戚のエリザベトが男の子を奇跡的に懐妊しているという知らせが、苦悩するマリアの心を照らす一条の光となったのではないでしょうか。もし自分がもう子供を産めない程年老いているエリザベトを訪問し、既に六ヶ月になっているという胎児を宿して、生活の世話を必要としているその老婦人が出産するまでの生活を手伝い、産み落としたその子が男の子であるのを確認すれば、それは天使のお告げが神よりのものであるという証拠になり、ヨゼフを説得する道がそこから開けて来るのではなかろうか、天使は自分にそのことを確認させるために、エリザベト懐妊を啓示してくれたのではなかろうか、などと考え始めたことでしょう。

④ しかし、このことを今のヨゼフに説明してエリザベト訪問の許可を得ようとしても、まだ何一つ証拠を提出できない現状では、自分を「気が狂ったのではないか」と心配させるだけで、三ヶ月余りの旅行の許可を受けることはできないであろう。当時のユダヤ社会では、婚約した女性は、法的には既に男性の監視と指導の下に置かれているので、ヨゼフが強く反対したら、自分はますます動けなくなってしまうであろう。それに、若い女の一人旅は危険が大きいので、当時は慎みを欠く行為として禁じられていた。旧約時代の伝統的法や良風に忠実であろうとすれば、結局自分は何もできず、半年後に自分の懐妊が明らかになれば、やがて社会的制裁を受けるに到り、メシアを育てることもできなくなるであろう、などというこれら諸々の行き詰まり不安が、マリアの心を苦しめたのではないでしょうか。

⑤ いろいろと思い悩んだ挙句、マリアはある日、察するに朝まだ暗いうちに勢いよく立ち上がり、百キロほども離れているユダヤ南部のザカリアの家へと急いで出立したのだと思います。ギリシャ語では復活のことをアナスタジアと言いますが、アナスターザという動詞は、死の力を打ち砕く主の復活のように、強い決意をもって勢いよく立ち上がったことを指していると思います。これまでの時代の掟や価値観に背いて、神の御旨中心の新しい生き方をしようと立ち上がったマリアの心のうちに、既に新約時代は始まったのであり、聖母はその到来を告げ知らせる「明の星」として輝き始めたのです。ヨゼフを過度に心配させないためには、レビ族の女として子供の時から字を習い、聖書も多少は読むことのできたマリアは、「突然の急用のためやむを得ず親戚のザカリアの家に三ヶ月あまり行っているが、必ず戻って来るからよろしく」というような文面のメモを、ヨゼフのために書き残して出立したのではないか、と勝手ながら想像しています。

⑥ サマリアを避け、ヨルダン川沿いの回り道を野宿を重ねながら女ひとりで旅するのは、当時は確かに危険の伴う暴挙であったと思われます。しかしマリアは、もし自分が本当に神の御子を宿しているなら、神がきっと護って下さるであろうと信じつつ、自分の胎内の神の御子に心の眼を向けながらひたすら歩き続けたことでしょう。大きな危険や困難の内にある時、神の現存に心の眼を向けながら歩くこと働くことは、神の慈しみの注目を引く最も良い祈りの一つだと思います。私たちも聖母のこのような祈りに見習うよう心がけましょう。願いが叶って恐らく夕暮れに無事ザカリアの家に辿り着いた時、マリアの心は感謝と喜びと神の現存に対する信仰でいっぱいだったことでしょう。その心で「シャローム(平安)」と挨拶した時、それは単なる儀礼的挨拶とは異なり、神の霊と力に満ちた挨拶になっていたのではないでしょうか。果たしてその声を聞いたエリザベトの内に胎児が喜んで大きく踊り、エリザベトも聖霊と喜びに満たされて、女預言者のように声高らかに話し始めました。こんなことは、事細かに旧約時代の掟を遵守していた以前のエリザベトには、長年全く見られなかったことだったと思われます。ここでも、新約時代の新しい信仰生活が始まっていたのです。

⑦ マリアはこの後、三ヶ月余りこの家に滞在して、高齢で身重になっているエリザベトとオシになって家に籠ってばかりいる老祭司ザカリアとの生活の世話をし、エリザベト出産後の八日目、割礼の日になると、そのことを近所や親戚の人々に知らせて皆を驚かせたと思いますが、マリア自身も、エリザベトが天使の予告した通りに男の子を産んだことや、割礼の時にザカリアのオシが奇跡的に癒されたことなど、数々の不思議なことを体験して信仰が一層深まり、神がヨゼフの心をも動かして自分の出産や育児や生活を手伝わせて下さるであろうと確信して、希望と信頼のうちに祈りつつナザレに帰って行ったのではないでしょうか。

⑧ エリザベト訪問の時のマリアの讃歌、いわゆるMagnificatは、プロテスタント神学者、古代教会史学者で、1902年の”Das Wesen des Christentums”(キリスト教の本質)という、カトリック教会の伝統を批判した著書で著名なAdolf von Harnack(1851~1930)が発見した、ある非常に古い聖書の写本では、マリアの来訪を喜び迎え、その信仰を讃えたエリザベトが、本日の福音の最後にある言葉に続いてすぐ、神を讃えた讃歌になっているのだそうです。「ザカリアの讃歌」と同様、老エリザベトが神のお告げによる懐妊からの数ヶ月間に、自分の生涯の苦しかった体験などを回顧しつつ、時間をかけて編み出した讃歌であった可能性も否定できません。それは若いマリアのこれまでの体験や信仰ともよく一致しているので、字を知るマリアは二つの讃歌を書いて愛唱し、後年ルカに伝えたのかも知れません。

⑨ いずれにしろ「マリアの讃歌」は、マリアが長年最も愛唱していた「マリアの讃歌」であったと思われます。現代の私たちも、神が私たちの身近な生活の中で積極的に働かれる新約時代に生きていることを改めて自覚し、日々聖母と共に、また私たちの内に現存しておられる神の御子と共に、祈り且つ働くよう心がけましょう。