2009年12月24日木曜日

説教集C年: 2006年12月24日、降誕祭夜半のミサ(三ケ日)

朗読聖書: Ⅰ. イザヤ 9: 1~3, 5~6. Ⅱ. テトス 2: 11~14.
     Ⅲ. ルカ福音 2: 1~14.


① 毎年今宵のミサの福音を読む度に、私はよく1964年の冬にイタリア中部の小さな山の上の古い田舎町フィウッジで、3週間ほど滞在した時のことを懐かしく思い出します。その町でドイツ系修道女会が経営していた病院付司祭が、しばらく故国ドイツで休みを取りたいので、その間代わりに病院に滞在しミサを捧げたり、場合によっては死に逝く病人の世話や、葬儀も担当したりするようにとの依頼でしたので、当時ローマ教皇庁からの聴罪免許証を持っていて、毎日曜日の午前にローマのサン・ベネデット教会で聴罪師の仕事を手伝っており、ドイツ人会員の多くいたローマの本部修道院に住んでドイツ語も話していた私に、その依頼が回されて来たのだと思います。修道女経営のその病院に滞在していて、イタリアの古い埋葬慣習のことやその他様々のことを新しく学びましたが、その一つは、もう今はいなくなったイタリアの貧しい羊飼いと、羊を入れて置く町外れの半分洞窟になっている家畜小屋にめぐり合ったことであります。

② その田舎町では、山頂の広場に面して役場や教会堂が建っており、その広場と、そこから隣町へ行く傾斜の緩やかなメインストリートに面しては、商店や裕福な家々が軒を連ねていますが、ある日の午後の散歩に、その中心部から少し離れた山陰のような町の一角を訪ねてみたら、そこは傾斜が急で不規則に左右に屈折する階段が、麓まで続いている貧民窟のような所でした。その階段で日本人司祭に遭遇した一人の婦人は驚いて、あなたの来る所じゃないと言わんばかりに悲鳴を上げましたが、一番下にまで降りて行ってみたら、臭いにおいが漂っていました。そしてしばらく行くと、今話したばかりの汚い家畜小屋などを見つけたのでした。既に春遠からずの暖かそうな日和でしたので、少し離れた土手の周りには、まだ若い男の人が20頭ほどの羊の群れを放牧していました。

③ そこでその羊飼いと並んで土手に腰を下ろし、しばらく羊の群れを観察しましたが、後で考えてみますと、ヨゼフとマリアがベトレヘムの町で宿を断られ、救い主は町はずれの家畜小屋で生まれたなどという想像は、十字軍遠征も行われなくなった中世末期に、イタリア辺りの聖地ベトレヘムを知らない人たちによって産み出され、ルネサンス画家たちによって世界中に広められたのではないかと思います。古代教会の人々は、そのようには考えていません。皆様の美しい牧歌的夢を壊すようで心苦しいですが、古代のキリスト者たちがどのように考えていたかについて、本日の福音に基づいて少し考えてみましょう。なお、この話は以前にもクリスマスに話したものですが、今宵初めてここのクリスマス・ミサに参加している人たちもいるようですから、繰り返しを厭わずに、クリスマスに当たって再びゆっくりと考え合わせ、味わってみましょう。

④ 二千年前のユダヤでは馬は支配者や軍人たちの乗り物でしたが、庶民も商人もロバで旅行することが多く、ロバは至る所に飼育されていました。主もエルサレム入城の時に、村に繋がれていたそのようなロバに乗っておられます。町の宿屋や一族の本家のような普通の大きな家では、ロバを繋いで置くガレージのような場所を持っていました。旅人や客人はそこにロバを繋いでから、階段を上ってギリシャ語でカタリマと言われていた広間や居室に入るのですが、このカタリマは「宿泊所」という意味にも使われますので、この第二の意味で、ラテン語をはじめ多くの言語で「宿」や「宿屋」などと翻訳されますと、文化圏の異なる国の人々が、ヨゼフとマリアは宿屋に宿泊するのを断られて、町の外の家畜置き場に泊まったなどと誤解したのだと思います。

⑤ 紀元320年代の後半に、コンスタンティヌス大帝の母へレナ皇后は現地のキリスト者たちの伝えを精査した上で、ベトレヘムの中心部に近い家を救い主誕生の場所と特定し、そこに記念聖堂を建立しました。羊飼いたちに告げた天使の言葉も、原文では「ダビデの町の中に」となっていて、町の外にではありません。この言葉は、ラテン語をはじめ各国語にもそのまま翻訳されているのですから、町の外に生まれたとするのは、聖書の啓示に反しています。今日ベトレヘムの中心から百メートル余りしか離れていないその聖堂を訪れる巡礼者の中には、聖堂の地下室のような所が生誕の場所とされていることに驚く人がいます。ベトレヘムの2千年前の道路が今の道路の3,4mほど下の所にあるためですが、昔はその道路から入った所にロバを繋ぎ、階段を上って広間(カタリマ) に入っていたのだと思います。

⑥ 住民登録のため各地から参集した一族の人たちで雑魚寝状態になっている広間では出産できないので、マリアたちは遠慮してロバを繋ぐ階段下のガレージのような所で宿泊したのでしょう。そこには、横の壁から紐で吊るした細長いまぐさ籠もあり、お生まれになった乳飲み子は、布にくるんでそのまぐさ籠の中に寝かせたのではないでしょうか。日本語に「飼い葉桶」と訳されているものは、地面の上に置く木の桶ではなく、その籠を指していると思います。聖母マリアにとり子を産むということは、自分のためにも社会のためにも、神からの恵みをもたらすことを意味していました。これは、ある意味ですべての産婦についても言えると思います。子を産まない私たちも、この世に来臨した主キリストをミサ聖祭の聖体拝領の時、聖別されたパンの形で自分の内にお迎えしますが、それによって自分のためばかりでなく社会のためにも、神からの豊かな救いの恵みをこの世に呼び下し、この世に与えるのではないでしょうか。

⑦ ベトレヘムのルーテル教会のミトリ・ラへブ牧師からの最近の手紙によりますと、今のベトレヘムは、5キロ四方ほどが高い壁と柵と塹壕に囲まれた「屋根のない監獄」のようになっているそうです。私たちの心がそんな冷たい分離壁によって、周囲の人や社会から隔離されたものにならないよう心がけましょう。まず天上の神よりの御子を心の中に受け入れ、「敵意という隔ての壁を取り除いて」(エフェソ2:14) いただいてこそ、神の平和の火が私たちの心を奥底から明るく照らし温めて、相互にどれ程話し合っても実現できずにいた平和を、実現させてくれるのではないでしょうか。

⑧ ベト・レヘムはヘブライ語で「パンの家」という意味だそうですが、二千年前にそのベトレヘムでお生まれになった救い主は、今宵はパンの形で私たち各人の内に、神からのご保護と救いの恵みを豊かにもたらすためにお生まれになるのだと信じます。理知的な人たちは、その信仰を子供じみた夢として軽蔑するかも知れません。しかし、冷たい合理主義や能力主義、あるいは自分の権利主張などが横行して潤いを失っている社会に、温かい思いやりや赦しあう献身的奉仕の精神をもたらすには、心が夢に生きる必要があります。体や頭がどれほど逞しく成長しても、心の奥底にはいつも素直で純真な子供心というものが残っていて、それが同じことの繰り返しでマンネリ化し勝ちな私たちの日常生活に、いつも新たに夢や憧れ、感動や喜びなどを産み出してくれます。そして数々の困苦に耐えて生き抜く意欲も力も与えてくれます。私たち各人の命の本源は、その奥底の心にあるのです。

⑨ 救い主も、夢を愛するその奥底の心の中にお出で下さるのです。二千年前の救い主の誕生前後に、ヨゼフも東方の博士たちも、よく夢によって教え導かれましたが、神は今も度々夢を介して私たちを教え導かれます。夢を愛する子供心を大切にしましょう。今宵の聖体拝領の時、二千年前の聖母のご心情を偲びつつ、神のため社会のために私たちの授かる恵みの御子を心の内に内的に育てよう、そして神による救いの恵みがこの御子によって周囲の社会に行き渡るよう奉仕しよう、との決心を新たに堅めましょう。