2009年12月27日日曜日

説教集C年: 2006年12月31日、聖家族の祝日(三ケ日)

朗読聖書:Ⅰ. サムエル上 1: 20~22, 24~28. Ⅱ. ヨハネ第一 3: 1~2, 21~24. Ⅲ. ルカ福音 2: 41~52.

① 以前にも話したとおり、私たちは三ヶ月に一度土曜日か日曜日に、浜松から豊橋に至るまでの地元民の上に神の豊かな祝福を願い求めてミサ聖祭を献げていますが、本日のミサはその意向で献げられます。ご一緒にお祈りください。本日の福音には、過越祭の巡礼団に参加して両親と共に聖都エルサレムに滞在した、12歳の少年イエスの言葉が読まれます。福音書にはそれ以前のイエスの言葉が全く載っていませんから、この言葉が、私たちに残された主イエスの最初の言葉になります。当時巡礼団が行進する時は、男のグループと女のグループとが分かれており、12歳未満の子供は通常母親と共に、それ以上の男の子は、男のグループに属して行進していました。ちょうど12歳になったばかりの男の子は、同年輩の男の友人が男のグループにも女のグループにもいるので、ある程度自由にどちらかのグループに入ることができたようです。そのため母親のマリアは、少年イエスが女のグループの中にいなくても別に不審に思わず、同様にヨゼフも疑いを抱かずに、エルサレムからイェリコ辺りにまで巡礼団と一緒に降ってから、家族ごとに野宿する時になって、少年イエスが一緒にいなかったことに気づいたのだと思います。しかし、荒れ野の長い坂道を夜にエルサレムまで戻ることはできないので、二人は一夜明けた翌日に心配しながら、エルサレムへ戻って行ったのだと思います。

② 察するに、夕暮れ近い頃にエルサレムに着いて、親戚・知人の家々を訪ねても、イエスを見つけることができず、不安をつのらせながら、更に一夜を明かしてから、三日目の午前に神殿に行ったのだと思います。すると律法学者たちが子供たちに宗教教育をなすことの多いソロモンの回廊の所だと思いますが、イエスが学者たちの真ん中に座り、教師の話を聞いたり質問したりし、そこにいる人たちが皆、その賢い受け答えに驚いているのを発見しました。

③ マリアとヨゼフも、初めて見るイエスのこのようなお姿に驚いたと思います。質疑応答が一応終わった後で、マリアはイエスに近づき、「なぜこんなことをしたのですか。ご覧なさい、お父さんも私も心配して捜したんです」と問い質しました。両親にひと言も断らずに神殿の境内に留まり、大きな心配をおかけしたのですから、母マリアのこの詰問は当然だと思います。すると少年イエスはそれに対して、日本語の訳文によると、「どうして私を捜したのですか。私が自分の父の家にいるのは当たり前だということを、知らなかったのですか」と答えたのです。過越祭には毎年エルサレム神殿に来ているのに、今までは両親に大きな心配をかけるそんな勝手な行動をしたことも、そんな不可解な言葉を口にしたことも恐らくなかったでしょうから、両親にその言葉の意味が分からなかったのも、当然だと思います。この世の私たちの社会的常識から考えても、この言葉は理に合わず、全く不可解だと思います。いったい少年イエスは、なぜこんな返答をしたのでしょうか。主が神殿にいるのが当たり前だなどと考えなかったのが、むしろ当然だったのですから。

④ 神学生時代から抱いていた私のこのような疑問に対する答えを、私はローマ留学中に読んだ、1964年発行の神学者カール・ラーナーの著書”Betrachtungen zum ignatianischen Exerzitienbuch”(イグナチオの霊操書のための考察)の中に見つけました。本日はそのことについて少しお知らせ致しましょう。満12歳という年頃は、人間がそれまでの子供心から少し脱皮して、自分の将来の使命について話したり、急に思わぬ行動を起こしたりする例が、古来偉大な人物の伝記に散見されるそうですが、人間としての主の御心も、ちょうどその年頃に来て、救い主としてのご自身の使命をはっきりと自覚するに至ったのではないでしょうか。ラーナーは、主がここで初めて父なる神を「私の父」と話しておられることから、この過越祭に神殿で祈っていた時、人間としておそらく初めて何か天の御父からの呼びかけの声を聞いたのではなかろうかと推察しています。そして神との深い祈りの交わりに引き入れられ、ガリラヤへと帰って行く巡礼団の誰にも連絡ができないまま、神殿に取り残されてしまったのではなかろうかと考えています。主が神の御独り子であられることを考慮すると、これはあり得ることだと思います。主はこうして、神の摂理がこの苦しい異常事態を解消してくれるまでの間、祈りつつ飢えに耐えて、神殿の境内に留まっておられたのではないでしょうか。

⑤ 主のお言葉に「自分の父の家に」とあるのは、原文通りの適訳ではありません。ギリシャ語原文では他に類例のない神秘的な表現になっていて、強いて翻訳するなら、「私は自分の父のもののうちにいなければならない」となりますが、この「父のもの」が何を指すのか不明なので、多くの訳文には「父の家」となっており、これを父の家、すなわち神殿と限定して考えると誤解になり、そんなことは少しも決まっておらず、主はそれ以前にもその後も神殿の中で生活しようとはしておられないのに、などという異論が出てきます。ずーっと後で、聖書学者雨宮神父の本から知ったのですが、エルサレムバイブル訳では、これを「父から与えられた仕事」としているそうです。この訳ならば多少判り易いですが、12歳の少年イエスはそのようにも言わずに、もっと含みを持たせた神秘的言い方をしたために、両親には、その言葉の意味が分からなかったのだと思います。

⑥ しかし、理知的理解よりも心の信仰、心の交わりを中心にして生きておられた両親は、主にその言葉の意味を尋ねようともなさらず、少年イエスもすぐに両親に従ってナザレに帰り、両親に仕えておられたので、この時の異常事は、日常の通常事の中に埋もれて忘れられたと思われるかも知れませんが、母マリアは決して忘れず、これらの事を全て心に納めて考え合わせておられたようです。この異常体験が、その後の聖母の信仰生活を一層深みのあるものへと導き高めていったのではないでしょうか。平凡な日常の人間的通常事と神からの介入という異常事との共存、それが私たち信仰に生きる者たちの生活であります。聖母は、晩年にこの忘れ難い異常な出来事を、ルカに語られたのではないでしょうか。察するにマリアは、少年イエスの心には神を自分の父と仰ぎ、その父からの使命の達成を何よりも優先する不屈の意志が宿っていることを、この時から一層はっきりと自覚し、自分もヨゼフと共に、主のその使命の達成に積極的に協力し始めたのではないでしょうか。神からの使命の達成に皆で一つになって生きていた所に、聖家族の一致と平和と喜びの基盤があったのであり、それを模範と仰いで、私たちの家庭生活を振り返り高めようとするところに、本日の祝日の意義があると思います。

⑦ 私たちも自分の言い分や、自分のこれまでの働きや、それに伴う権利等々は二の次にして、まずは自分たちの家族に神から与えられている使命の達成を第一にするなら、そこから家族全員が一つになって生きる力も、喜びも平和も生まれて来ると思います。その照らしと恵みとを今対立と不和に苦しんでいる多くの家族のため、また私たち自身のために神に願い求めつつ、本日のミサ聖祭を献げましょう。

⑧ 降誕節なので、もう一つこれも私のローマ留学中に学んだ話ですが、これまで話す機会のなかった祭司ザカリアについても、ここで少し説明致しましょう。ダビデ王はレビ族の祭司を24組に分けて、各組が一週間ずつ当番制で神殿で奉仕することに決めました。ザカリアはその第8組に所属する祭司でした。過越祭などの大きな祝日のある週には、大祭司たちが神殿の至聖所で祈り香をたくなどの務めをしていましたから、24組に所属する下級祭司たちが神殿に奉仕するのは、一週間ずつ年に2回だけですが、奉仕当番の祭司たちは毎日くじを引いて、選ばれた一人だけが聖所に入って香をたく務めをしていました。なるべく多くの祭司にこの名誉ある務めを果たす機会が与えられるよう、一度くじに当たった祭司はくじ引きから除外されていました。

⑨ 多くの祭司は30歳代、遅くとも40歳代頃にこの聖務を果たしていたと思われます。しかし、ザカリアは高齢に達するまで一度もくじに当たらず、毎日若手の祭司たちに伍してくじを引くことに肩身の狭い思いをしていたと思われます。妻エリザベトも生まず女なので、何か隠れた罪があって神から退けられているのではないかと、人々から軽視されていたことでしょう。それで二人は、聖書にある通り「主の全ての掟と定めとを」可能な限り忠実に順守していたのですが、この苦しい不運は変わらず、二人とももう年老いて諦めていたと思います。ところが、ある日そのザカリアにくじが当たり、彼は他の祭司たちや会衆が外で祈っている間に、聖所に入って香をたくことになりました。

⑩ 聖所に入って香をたいた時には、緊張して心が硬くなっていたと思われますが、その彼に主の天使が現れて、エリザベトの出産と生まれる男子についての、かなり詳しいお告げを与えたのです。彼はすぐにはその言葉を信じることができず、「何によってそれを知ることができるでしょうか」と質問し、天使から「あなたは口がきけなくなり、この事が実現する日まで話すことができないであろう。時が来れば実現する私の言葉を信じなかったから」という、冷たい苦しいしるしを頂戴しました。誤解しないように申しますが、彼は神を信じなかったのではありません。規則や義務の順守を重視するあまりに、その信仰心が愛や喜びの柔軟性を失って、固くなっていたのだと察せられます。全ての掟を忠実に守る旧約時代の信仰生活については模範的でしたが、自分に対する神の特別の愛、自分たちの中での全能の神の働きなどについては、すぐには信じられなかったのだと思います。

⑪ 聖所の中から異常に遅れて出て来たザカリアが、話すことができなくなり、手まねで説明するのをいぶかりながら見ていた外の人たちは、何と思ったでしょう。ザカリアはやはり何かの隠れた大罪があったので、聖所に入ったら天罰を受けたのだと考えたのではないでしょうか。しかし、大きな社会的恥の内に一週間の務めが終わって、黙々と家に辿り着いたザカリアの心は、この時から内的に大きく変わり始めました。妻エリザベトと共に、神の愛に対する感謝と明るい希望の内に生活し始め、この新しい信仰生活の観点から、これまでの神の民の歴史や自分たちの体験をゆっくりと見直し、その意味を深く悟るに到ったのではないでしょうか。ザカリアの讃歌が立証するように。年末に当たって、私たちも自分の人生を神の愛と働きの観点から新たに見直し、神に対する感謝と希望を新たに致しましょう。