2011年9月25日日曜日

説教集A年:2008年9月28日年間第26主日(三ケ日で)

第1朗読 エゼキエル書 18章25~28節
第2朗読 フィリピの信徒への手紙 2章1~11節
福音朗読 マタイによる福音書 21章28~32節

① 本日の三つの朗読聖書は、私たち人間の考えとは大きく異なる神のお考えについて教えていた、一週間前の主日の朗読聖書と同様の外的状況で話されたり書かれたりしたものです。ある意味ではその第25主日の三つの朗読聖書を少し補足し、これまでの自分中心の生き方を悔い改めて、神の御言葉、神の導きに従順に聞き従うことを説いている、と申してよいでしょう。第一朗読は、バビロン捕囚の状態で希望を持てずにいるイスラエルの民に、預言者エゼキエルが伝えた神の言葉であります。神の民が自分たち中心であった生き方から離れて「悔い改め」、神のお考え中心の「正義と恵みの業を行う」なら、「自分の命を救うことができる」「必ず生きる。死ぬことはない」と、神は救いに至る「主の道」を明示し、新しい救いを保障して、希望を与えようとしておられます。

② 第二朗読では、ローマで捕囚状態にある使徒パウロがフィリッピの信徒たちに、自分と「心を合わせ、思いを一つにして」相互の愛と一致に励むよう勧めています。「何事も利己心や虚栄心からするのではなく、へりくだって互いに相手を自分より優れた者と考え、めいめい自分のことだけでなく、他人のことにも注意を払いなさい」と具体的に書いている言葉から推察すると、まだ若いフィリッピの信徒団の中には、少しでも他の人たちの上に抜け出よう、他の人たちに自分の能力や努力を認めてもらおうと努める人たちが、少なくなかったのかも知れません。

③ このような雰囲気は、若い人たちが多く集まっている神学校や修道院でもごく普通に見られます。その若々しい意欲は結構なのですが、私が以前にそういう雰囲気の中で体験したことを回顧して見ますと、常日頃少しでも同僚たちの上に立とう、先を行こうとしていた神学生たちの多くは、結局長続きせずに神学院を去ったり、病気で体調を崩して別の道に進まざるを得なかったりしたように思います。病気で神学院を去った人たちの中には、能力も祈りの精神も申し分のない人もいましたが、そういう挫折の実例を幾つも目撃しているうちに、私は、司祭への召命は神からの特別な愛の微妙な賜物で、自力でどれ程努力してもそこには留まり得ず、日々謙虚に神の助けを祈り求めつつ、ひたすら神に支えられて生きようと努めることによってのみ、留まり続けて立派な実を結ぶことができるものだ、と思うようになりました。事私の召命に関する限り、この確信は今でも変わっていません。

④ 今年の11月24日に長崎で188人の日本人殉教者たちが列福されることから、今日本の教会では、その殉教者たちの模範に倣って信仰を守り抜く決意や、自分の死に対する覚悟を固めることなども強調されているようですが、私はそれも、自力では達成し得ず、実を結ぶ好ましい死は、神からの特別な愛の微妙な賜物であると考えています。それで既に30年ほど前から、毎朝神に善い死を遂げる恵みを祈り求めています。自力に頼らずにひたすら神の御力に頼ることを、日本の無数の殉教者たちも日頃から熱心に祈り求めることにより、この模範を身をもって私たちに証ししていると思います。本日の第二朗読の後半は、主の受難の主日や十字架称賛の祝日にも読まれた、初代教会の「キリスト賛歌」と言われているものですが、そこにも謳われているように、「自分を無にして」ひたすら天の御父の導きに徹底的に従われた主イエスの御模範に、私たちも見習うよう日頃から心がけましょう。

⑤ 本日の福音は主イエスが祭司長や民の長老たちになされた話ですが、始めには「いやです」と父の望みに従うことを拒んだ兄が、後で考え直して出かけ、父の望み通りにぶどう園で働いたことが、主によって評価されています。このことは、過去はどれ程神に背き怠惰であっても構わないから、来臨なされた主を目前にしている今この時点で悔い改め、自分たち中心の生き方から離れて謙虚に神の御旨中心に生き方に転向するなら、神の憐れみによって救われることを示していると思います。恵み深い主はその救いの時、悔い改めの時を、今私たちにも提供しておられるのではないでしょうか。自力主義に流され勝ちであったこれまでの自分の生き方を退け、神の御旨中心に幼子のように神に頼って生きる決意を新たにしながら、本日のミサ聖祭を献げましょう。

⑥ 本日は「世界難民移住移動者の日」とされており、ローマ教皇も全世界に宛てて特別のメッセージを発しておられます。読んでみますと、世界には今なお悲惨な状態に置かれている難民や移住者たちが、非常に多くいるようです。わが国にも諸外国からの移住者が年々増加していますが、その人たちに対する国家や地域社会からの配慮と援助がまだまだ大きく不足してと聞いています。「郷に入っては郷に従え」という古い考えに留まっているだけでは足りません。現代世界の悲惨な状況をみますと、神は明らかに私たち人類がこれまでの考えや生き方を改めて、労苦する全ての人に対する救い主の愛に生きること、その愛を実証することを強く求めておられると思います。世の終わりまで私たち人類と共にいて下さると約束なさった主イエスは、苦しむ全ての人たちとの連帯精神の内に、今も生きて問題解決のため共に苦しみ、共に働いておられると信じます。大きなことはできない私たちですが、その主と一致して一人でも多くの人の心がこの深刻な問題に目覚めて問題解決に積極的に協力するよう、神からの照らしと助けの恵みを、難民・移住移動者たちのため献げられるこのミサ聖祭の中で祈り求めましょう。