2011年9月15日木曜日

説教集A年:2008年9月15日悲しみの聖母の祝日(御嵩のヨゼフ館で)

   
① 本日の祝日は、フランス革命に始まるいわゆるナポレオン戦争が終わった直後の1814年にローマ教会に導入され、その時から十字架称賛の祝日の翌日、9月15日に祝われています。「悲しみの聖母」と聞くと、新約聖書に述べられていることから七つだけ取り上げた「聖母の七つの悲しみ」だけを考える人がいますが、聖母の耐え忍ばれた悲しみはその七つだけではなく、もっともっと遥かに多いと思います。

② 原罪の穢れなしにこの世にお生まれになったと聞くと、ああ何と清く美しい幸せな人生なんでしょうかなどと、そのプラス面だけを想像する人は現実離れしていると思います。生来全く清らかな聖マリアの御心は、この罪の世では幼い子供の時から人並み以上にたくさん苦しまなければならなかったと思われるからです。罪に穢れた普通の子供たちの何気ない利己的な仕草や言葉や喧嘩などを見るだけでも、耐え難いほどの嫌気を覚えておられたと思われます。事によると他の子供たちの言行に同調せず、少し批判的な態度を示したために、苛めを体験なさったこともあるかも知れません。察するに、マリアは日々体験させられる数多くのそういう苦しみを耐え抜くため、小さな子供の時から神に助けを願い求めていたのではないでしょうか。

③ 伝えによるとマリアの母アンナはベトレヘムの司祭マタンの娘で、マリアの父ヨアキムはダビデの子孫に当たる人だそうですが、信仰厚い二人は長年子宝に恵まれず、年老いてからようやくマリアが授かったのだと言います。両親はそのマリアを「3歳の時にエルサレム神殿にささげた」そうですが、これはエルサレム神殿に奉仕するレビ族の寡婦たちが経営していた女の子の育児施設に預けたことを意味していると思います。歳老いてもう自分たちでは育てられないからだと思います。祈りを本職とするレビ族の婦人たちは文字を読み書きできましたから、マリアはその施設で文字を習い、詩篇を唱えることも聖書を読むことも教わったと思われます。しかし、性格の異なる子供たちとの共同生活の中で、清いマリアの御心は苦しむことも人一倍多く、その苦しみ故に日々神に助けを願っておられたことでしょう。そして察するに、苦しみながらの祈りに、神が応えて下さるのを日々小刻みに生き生きと体験し、神が自分の全てを見ていて下さるのを実感して、神の隠れた現存に対する信仰を深めていたのではないでしょうか。

④ 育児施設はいつまでもいる所ではないので、恐らく10歳代後半に入った頃に、マリアは施設を去って社会に出たと思われますが、しばらくして貧しい渡り職人のヨゼフと婚約を結び、ヨゼフのいるガリラヤのナザレに住んでいることから察しますと、マリアは親譲りの家も豊かな資産もない女性で、ヨゼフと同様に貧しい生活を営んでいたと思われます。「ナザレから何か良いものが出るだろうか」という、ナザレの社会を軽視したナタナエルの言葉や、後年主がナザレの会堂で軽蔑され迫害されたことなどから察しますと、施設育ちの貧しいよそ者マリアは、ナザレの人々からあまり評価されず、施設にいた時よりも苦しい日々を過ごしておられたのではないでしょうか。しかし、そういう苦しみには既にある程度慣れていたので、マリアはその苦しみをバネにして、社会の人々のために祈ることに努めていたことでしょう。そして天使のお告げを受け、神の御子救い主を身に宿してからは、全人類の救いのために一切の苦しみを献げるようになったのではないでしょうか。

⑤ 被昇天の聖母マリアについても、私たちから遠く離れた天上の栄光の内におられる存在とのみ考えないよう、気をつけましょう。聖書によると、人間は神に特別に似た存在として創られました。罪から完全に浄められ、主イエスの復活体のように新しい霊的命に復活した人間は、神のように永遠に幸せに生きるだけではなく、神のようにどこにでも自由に存在して、見ること知ること働くことのできる神出鬼没の存在になると思います。私たちは皆、世の終わりに復活した後にそのような霊的人間になるのだと信じます。しかし、それまでは天国の諸聖人たちもまだ肉体を持たない、いわば死の状態にあるのですから、霊魂で神を讃え、この世の人々のために取り次ぐことはできても、神出鬼没の自由な霊的人間として知ることや働くことはできません。しかし、体ごと天に上げられた聖母は、主イエスと共に新しい霊的命に生きる復活体をもって、あの世だけではなくこの世でも神出鬼没にお働きになることができると思われます。この世の人類史の動向も、数多くの戦争や災害の悲惨な様相も、その現場に行って目撃しておられると思われます。

⑥ 事実聖母は、フランス革命前後頃から人間理性中心に生きる個人主義的潮流が政治・社会・教育のあらゆる分野で広まり、産業革命によってそれまでの社会構造が大きく変貌し、富の格差拡大や冷たい個人主義の普及で温かい世話を受けられずに苦しむ弱小者が激増し始めると、1830年にパリで御出現になり、不思議なメダイを身につけて聖母の御保護を受ける道をお開きになったのを始めとして、今日に至るまで世界各地に度々御出現になって、そのお言葉に従って祈る人、ロザリオを唱える人たちに御保護や癒しの恵みを与えたりしておられます。この世で益々ひどく悪がはびこり、救いを求めて苦しむ人たちがいる間は、聖母は天国の喜びの中におられても、母として深い悲しみや苦しみも味わって、時々は涙を流しておられるのではないか、と私は考えます。神の許での超自然的喜びと、人間としてのこの世的悲しみや苦しみは共存し得ますし、聖母は今も人間としての体をお持ちなのですから。

⑦ 涙と言えば、イタリアでも涙を流す聖母像の現象がありましたが、わが国でも秋田で聖母像が1975年1月4日から81年9月15日までの間に101回も涙を流す現象が、多くの人たちに目撃されています。79年3月25日には聖母像のお顔だけではなく、御像の台まで濡らす程多量の涙が流されています。それらの涙は首都圏や本州各地の人たちによってだけではなく、北海道や九州・沖縄・韓国などからの巡礼者たちにも目撃されており、79年12月8日には、東京12チャンネルのテレビ局のスタッフ4人によって撮影されています。岐阜大学医学部の勾坂馨教授が二度にわたって綿密に鑑定した結果、聖母像の右手の傷口から出た血と両眼から出た涙は全て人間のもので、血はB型で、涙はAB型であったり、O型であったりしています。聖母のお声や天使の声を度々聞いた姉妹笹川カツ子さんの血液型はB型だそうですから、笹川さんの血や涙が超能力によってそこに転写したものではあり得ません。笹川さんが遠く離れた所に行った留守中にも、涙を流す現象は起こっているのですから。そこにはやはり、あの世からの超自然の力と徴しが働いて、私たちに何かを訴えているのだと思います。聖母のあの世的お体は、この世の血液型からも自由になっていて、いろいろと血液型を変えることもお出来になるのかも知れません。

⑧ 「悲しみの聖母」の祝日に当たり、主イエスと共に世の終わりまで生きる人間として私たちこの世の人類に伴っておられる聖母マリアの現存を信じ、その愛と今のお嘆きについても思いを致しながら、聖母と共に全人類の救いのため神に祈りましょう。