2011年9月14日水曜日

説教集A年:2008年9月14日十字架称賛の祝日(三ケ日で)

第1朗読 民数記 21章4b~9節
第2朗読 フィリピの信徒への手紙 2章6~11節
福音朗読 ヨハネによる福音書 3章13~17節
 
① 本日の祝日は二つの歴史的出来事を記念する日として古代から祝われています。その一つは、キリスト者迫害を終わらせ、キリスト教保護に努めたコンスタンティヌス大帝の母君聖ヘレナの尽力で、エルサレムで奇跡的に発見された主キリストの十字架の一部分を、ローマのラテラノ聖堂から700メートルほど離れた所に新築した「エルサレムの聖十字架聖堂」に移し、その聖堂が献堂された335年9月13日の翌日に、その聖十字架の一部(長さ1m位の太い木)を初めて信徒団に荘厳に提示し、崇敬させた行事の記念であります。この聖十字架聖堂は、コンスタンティヌス大帝がゴルゴタの丘を崩して、その土を数百台の車でカイザリアの港まで運ばせ、そこからローマに持って来させて造った丘の上に建設されました。戦火を逃れて今も建っているこの聖堂の本祭壇横からは、小さな緩い坂道を登って本祭壇後方の頂上まで、十字架の道の祈りをなすことができるようになっています。

② もう一つは、エルサレムに保管され崇敬されていた聖十字架が、7世紀前半にイスラム軍に奪い取られた時、東ローマ皇帝ヘラクリウスが628年にそのイスラム軍を撃退して奪い返し、エルサレムでは皇帝自ら奴隷の姿に身をやつし、聖十字架を背負って元の聖なる保管所に運び入れた、という出来事の記念であります。エルサレムの聖地は後にイスラム教徒の支配地になりましたが、その前にこの聖十字架は細分されて各地に分散され、後には更に細分されて世界各地で崇敬されています。したがって、現存する聖十字架の一番大きな断片は、ローマの「エルサレムの聖十字架聖堂」にあります。

③ 本日の第一朗読には、イスラエルの民が「旅の途中で耐えられなくなって、神とモーセに逆らって言った」という言葉が読まれます。旧約聖書には、イスラエルの民をエジプトの奴隷労働から解放しようとしなかったファラオについてだけではなく、そのイスラエルの民自身についても、「頑なな」という言葉が幾度も使われており、民は神の御旨に逆らって不満・不平を口にした度ごとに、神から厳しい天罰を体験させられています。モーセの時代だけではなく、預言者時代にもこのようなことが幾つも記されています。

④ いったいなぜ民は耐えきれない程不満になったのでしょうか。思うに、無意識のうちに全てを自分たち中心に考え、その心で神をも社会をも巧みに利用しながら生きようとしていたからではないでしょうか。男にも女にも多いこのような心の人は、無意識のうちに何かの快い外的状態の夢を次々と心の中に描き、その夢と比べて目前の現実があまりにも悲惨に見えるため、蓄積するストレスに耐えられなくなり、不平・不満を口にするのではないでしょうか。心がそんな夢を産み出したり現実と比較したりしなければ、それほど苦しむこともないと思いますが、いかがなものでしょうか。

⑤ 歳が進んで高齢組に入ったら時々思うのですが、経済の高度成長期に豊かさと便利さの中に生れ育ち、個人主義・自由主義の風潮の中で、愛をもって厳しく叱られたという体験をしたことのない人たちの心は、全てを自分中心に考えるように傾いていて、本当に可哀そうだと思います。誰でも日常的に出逢うごく小さな不調や苦しみにも、心が耐えられなく覚えてストレスが心の底に蓄積され、それが大きくなると不満を口に出したりキレたりするようになり、楽しみの多いこの世の人生行路を、日々苦しみつつ過ごしているように思われるからです。自分で自分の心を苦しめているのではないでしょうか。小学校に入った年から日中戦争が始まり、戦地の兵隊さんたち宛てに慰問の葉書を送ったり、日々自分の出逢う小さな不便や苦しみを喜んで耐え忍ぶことにより、その忍耐を神仏に献げて兵隊さんたちを護って下さるよう祈ったりする教育を受けて育った私は、戦後間もなくカトリックになってからも、自分の出逢う不便や苦しみを神に献げて、今助けを必要としている人たちの上に神の恵みを祈ることに努めるようになり、こうして苦しむ人たちとの内的連帯の精神で生活していますので、心の中にストレスを蓄積することも遥かに少ないように感じています。できることなら、このような仕合わせな生き方を苦しむ現代人にも勧めたいです。

⑥ 本日の第二朗読の中で、使徒パウロは主イエスについて、「自分を無にして僕の身分になり」「へりくだって死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした」と述べています。主が身をもって示されたこの生き方の中に、私たちが神の御力によって救われ、永遠の命を得るための道と秘訣が示されているのではないでしょうか。本日の福音の中でも、「神が御子を世に遣わされたのは」「御子によって世が救われるためである」と述べられていますから。

⑦ 先日、私よりも10歳年上の医学博士土居健郎氏の『甘えの構造』という著名な著書を久しぶりに再読していましたら、ふと自分中心の生き方を伝統的に強く受け継いでいる欧米の近代人よりも、伝統的に自我意識の弱い日本人の方が、神の恵みを豊かに受けるのではないかと思うようになりました。ただし、現代世界に流行している自分中心・自由主義の思潮に汚染されずに、お天頭様や神仏の働きを信じ、それに快く従おうとする古来の伝統的な生き方を保持している日本人の場合です。再び自分のことを話すのは恐縮ですが、私は戦争中の小学校で、自分の体を「天子様の体です。大事にします。鍛えます。云々」と宣言する信条を毎朝皆で唱えさせられ、自分を無にして国に奉仕する教育を受けました。それで戦後カトリックに改宗しても、天子様 (すなわち天皇) を天主 (すなわち神) に変えて、ほとんどそのままに神に身を献げる信仰生活・修道生活に進むことができたように思います。戦争中の「我なし」教育が、私の場合には修道生活のための心の準備であったように思い、神の不思議な御摂理に感謝しています。

⑧ 「甘え」という言葉はマイナスの意味で使われることが多いですが、土居健郎氏はこの言葉を、欧米人とは違う日本人の心の特徴的傾向を説明するために使っており、決してマイナスの意味にはしていません。強いて言うなら、自我意識が弱いという意味で使っています。そこにはマイナス面ばかりでなく、プラス面もたくさんあるからです。17,8世紀に近代的自我の目覚めが欧米の社会に広まって、教育・思想・政治などの基盤を変革すると、欧米人は一般に何でも理知的に考究し吟味する心の傾向を強め、それが産業改革の流れと相俟って、近代文明を大きく発展させました。幕末明治の日本人はその文明を積極的に導入しましたが、心の中にはまだそれまでの伝統的傾向を保持し続けていました。

⑨ ようやく戦後の理知的個人主義・自由主義の教育を受けた日本人の間に、欧米人に似た心の傾向や悩みを抱いている人たちが増えて来ています。日本の教育界や社会がそのように大きく変化する以前に、昔の「我なし」教育で養われた心のまま修道院に入った私は、本日の第二朗読に読まれる「自分を無にして僕の身分になり」天の御父に徹底的に従順であられた主キリストの生き方に深い共感を覚えますし、慈愛深い天の御父に日本的「甘え」の心情を向けて、幼子のように全てをお任せしつつ生きることにも喜びを見出しています。理知的個人主義に汚染されて悩んでいる現代人の心が、聖書に描かれているこういう信仰の喜びを見出すためには、よほど大きな根本的改心が必要だと思います。その恵みを全能の神に祈り求めつつ、本日のミサ聖祭を献げましょう。