2015年10月18日日曜日

説教集B2012年:2012年間第29主日(泰阜のカルメル会)

第1朗読 イザヤ書 53章10~11節
第2朗読 ヘブライ人への手紙 4章14~16節
福音朗読 マルコによる福音書 10章35~45節

   毎年十月の最終日曜日の前の日曜日は、84年前の1926年に当時の教皇ピオ11世によって「布教の主日」とされましたが、その伝統が受け継がれて、今日では「世界宣教の日」と改称されています。十月に日曜日が五つある時には「世界宣教の日」は第四日曜日になりますが、今年は四つしかありませんので、第三日曜日である本日が「世界宣教の日」となります。ピオ11世教皇はこの「布教の主日」を制定するに先だって、1925年の聖年にヴァチカン宮殿で盛大な布教博覧会を開催し、宣教師たちを介して収集したカトリック布教地諸国の文化財を数多く展示して欧米人の布教地諸国の文化に対するそれまでの見解を改めさせています。この時展示された文化財はその後ラテラノ博物館に展示されるようになりましたので私も皆拝観していますが、そこに展示されていた日本の文化財の中には、何方が寄進したのか知りませんが、日本の博物館でも見られないような素晴らしく豪華な七重の重箱や豪華な屏風などもありました。またニューギニアから収集された幾つかの民俗学的発掘品も、その後にはもう二つと発見されない貴重な古い生活用品のように見えました。アジア・アフリカの布教地諸国から収集されたこれらの文化財は、今は1970年代に拡大されたヴァチカン博物館に保管されています。それで、ラテラノ博物館は無くなりました。
   ピオ11世教皇は最初の「布教の主日」が祝われた直後の1028日に、御自ら中国人6名を司教に祝聖し、続いてインド人、フィリピン人、韓国人、アフリカ人たちも司教に祝聖しました。これは、それまで西洋人司教たちの統治下でだけ営まれていた布教事業に、新しい風を吹き込む画期的出来事でした。翌271030日には、最初の日本人司教早坂久之助師もローマで長崎司教として祝聖されました。ローマ教皇がこのようにして、先頭に立って布教地諸国の文化や生活様式などに適応する布教活動を推進しましたら、例えば1933年、昭和8年には、奈良の東大寺のすぐ近くの大通りに面して、奈良市役所の斜め前の敷地にフランス人のビリオン神父が、鐘楼を備えた仏教風の木造カトリック教会を献堂したり、昭和10年には、英国人のワード神父が軽井沢で丸太造りの多少神道風の聖パウロ聖堂を献堂するなど、各国でそれまでのカトリック布教とは違う様々の新しい動きが盛んになり、第二次世界大戦とその後の世界の動きによっていろいろと抑圧されましたが、しかしそれなりにかなりの成果をあげて、今日ではアジア・アフリカのカトリック教会は、西洋化し高度に文明化した我が国を別にすれば、かなりしっかりとそれぞれの国の伝統の中に根を下ろしつつあるという印象を受けます。
   ところで、現代文明が極度に発達して全地球化時代・グローバルと言われる時代を迎えている今日では、第二ヴァチカン公会議までの昭和前期とは宣教対象の様相が大きく違って来ています。わが国を含め、先進諸国の人々の文化や考え方が、それまでの伝統的世界観・人生観・人間観・宗教観などから大きく離れて多文化的になって来ており、それに伴って各国の教育内容も、以前とは大きく違って来ていると思います。それため、かつてキリスト教国と言われていた欧米でも、伝統的キリスト教信仰から離れて生活している人が多くなり、再布教・再福音化が必要だなどと叫ばれています。わが国のカトリック教会も、大なり小なり似たような状況に置かれていると思います。グローバル時代の現代では、以前とは違う新しいタイプの宣教活動が神から求められているのではないでしょうか。
   それで、ローマ教皇は昨年の1017日に自発教令『信仰の門』を発布して、第二ヴァチカン公会議開幕50周年の本年1011日から来年の1124日「王であるキリストの祭日」までを「信仰年」と定めて、神との交わりの生活に励むことと、その信仰と愛の生き方を実践的に証ししながら、周辺に住む人々にも広めることを強く勧めておられます。信仰を支え深めるためには、信仰の根本的内容を再発見する研究も必要です。それで教皇は、『カトリック教会のカテキズム』を読むように説いておられますが、しかしすぐに、「どの頁を見ても、そこに示されているのは理論ではなく、教会の中に生きておられる方(すなわち主キリスト)との出会いです。云々」と書いて、信仰の知識を広げることよりも、神に対する信仰と愛のうちに生きること生活することの重要性を説いておられます。今私たちの祝っている「信仰年」も、神に対する信仰と愛をもって生きる生き方をしっかりと身につけさせるために導入された行事だと思います。私たちが主キリストから聖人たちを介して受け継いだ信仰に生きるという伝統を、日々の日常茶飯事の中でどのように生かし証ししているかをこの期間に改めて吟味し、信仰と愛を強化したいものです。
   私は37年前の1975年の秋に、京都の黄檗宗本山万福寺で三日間、厳しい禅宗の生き方を体験させて頂きましたが、そこの禅僧たちは水をなるべく無駄にしないように生活していました。例えば食事の時に各人の使ったお椀などは、最後にお湯と漬物の香香で綺麗にしてその御湯を飲み、各人に与えられている布巾で拭いて包み、その包んだ食器を各人に決められている食器棚に片付けていました。研修に参加していた私たちも、皆そのようにして水を大切に使うことを実践的に学びました。万福寺の禅僧たちが今もそのように生活してか否かは知りませんが、北陸の禅寺永平寺では、今もそのような厳しい清貧生活を続けているそうです。聖書の教えは知らなくても、そこの禅僧たちはその清貧の実践を介して、慈しみ深い全能の神から豊かな祝福と救いの恵みを受けているのではないでしょうか。私たちカトリックの修道者は神に清貧の誓願を宣立していますが、日常生活における清貧の実践は、万福寺や永平寺の禅僧たちに劣っているように思われます。それで私は、30数年前から個人的には人目につかない小さな節水・節電に心がけていますが、すると不思議な程屡々神からの小さな愛の計らいや導きを体験させて頂いています。私たちの神は信仰をもって為す小さな実践を特別の関心を持って見ておられ、それらに豊かに報いて下さる愛の神であると、私は数多くの体験から確信しています。
   この十月には皆様の修道会の二人のテレジアの祝日が祝われましたが、二人とも教会から聖なる教会博士の栄誉を与えられています。しかし二人は、教会の伝統的神学を専門的に研究してその博士号を受けたのではありません。何よりも自分の信仰体験から学んで神の働きや導きについての深い叡智を身につけ、それを伝えることによって非常に多くの人に信仰に生きる喜びをお与えになった聖人、神の豊かな恵みの器・道具となった聖者であります。これまで長年安定していた伝統が次々と弱体化して崩壊しつつある、真に不安な激動の時代に直面している現代の人類も、信仰に生きる実践体験から神の働きや導きについての新たな叡智を身につける人たち、そして神の新しい恵みの器・道具となる聖人たちを数多く必要としていると思います。「信仰年」は、信仰に生きるそのようなキリスト者が一人でも多く世に出ることを願って、定められた行事だと思います。皆様ご存じの話でしょうが、リジューの聖テレジアは宣教師ルーラン神父に宛てた59日の手紙の中で、ゼロという数字の価値について書いています。ゼロはそれだけでは何の価値もありませんが、他の数字の前にではなく後ろに置かれると、大きな価値を持つに至ります。自分を無にしてひたすら宣教師たちのために祈っていたテレジアは、その自分をゼロに譬えて、「あなた達の傍に神が置かれたこの小さなゼロに、皆さんの祝福を送るのを忘れないで下さい」と書いていますが、神に対する信仰と愛の内に自分を徹底的にゼロにして、ひたすら兄弟姉妹への祈りの奉仕に生きる人を、神は現代においても、豊かな恵みの器としてお使い下さると信じます。人間が主導権を握って考え宣教するのではなく、神が人間をご自身の道具・器となして宣教し実を結んで下さることが、現代の人類が一番必要としていることだと思います。

   本日の福音の中で主イエスは、一般社会に流布している支配様式を述べた後に、「しかし、(中略) あなた方の中で偉くなりたい者は、皆に仕える者になり、一番上になりたい者は、全ての人の僕になりなさい。云々」と、一般社会とは対照的に異なる、全く新しい仕方で教会活動を為すよう命じておられます。同じ主イエスは、現代文明・現代思潮の中に生活している人たちに対する宣教活動においても、一般社会の思想的流れや生き方とは全く異なる、神への従順中心の生き方にまず自分を無にしてしっかりと立つことから始めるよう、強く望んでおられるのではないでしょうか。今東洋・西洋を問わず現代世界の各地で福音の宣教に従事する人たちが、一人でも多く主のこのような御要望を心に深く受け止め、神の霊に導かれ支えられて福音宣教の実績をあげ得るよう、照らしと導きの恵みを祈り求めつつ本日のミサ聖祭を献げましょう。