2015年8月16日日曜日

説教集B2012年:2012年間第20主日(藤沢の修道院)

第1朗読 箴言 9章1~6節
第2朗読 エフェソの信徒への手紙 5章15~20節
福音朗読 ヨハネによる福音書 6章51~58節

   本日の第二朗読の中で、使徒パウロは「皆さん、賢い者として細かく気を配って歩みなさい。時をよく用いなさい。今は悪い時代なのです」「主の御心が何であるかを悟りなさい」「霊に満たされ、詩篇と讃歌と霊的な歌によって」「主に向かって心からほめ歌いなさい。そしていつも、あらゆることについて、私たちの主イエス・キリストの名により父である神に感謝しなさい」と勧めています。使徒パウロの生まれ育った2千年前頃のオリエント諸国は、ギリシャ・ローマの優れた文明文化並びにシルクロード貿易によって商工業が大きく発達していたため、社会は非常に豊かに成り、それまでとは比較にならない程人口移動も激しくなっていました。それは、福音書の譬え話などにも反映しています。ヘロデ大王が招いたギリシャの天才的建築家ニカノールによって、エルサレム神殿も無数の大理石によって大きく非常に美しく改築されたので、国際的貿易商たちも大勢ソロモンの回廊内にある広い「異邦人の庭」で祈って献金するようになり、神殿の収入も高額に達していました。社会の下層には貧しい農民や羊飼いたちも少なからずいましたが、しかし社会の上層部や中間層は豊かな生活を営んでおり、その豊かさと国際化の故に人々の価値評価や考えも多様化していたと思われます。それで住民の宗教教育を担当していたファリサイ派の人たちは、神の民ユダヤ人の宗教心や団結心が弱体化しないように、安息日順守の規則などを強調していました。

   しかし、こういう人類社会の大きな過渡期には、神も全く新しい働き方をなさるのです。ユダヤ教の様々の規則は、神の民イスラエルをメシア時代に備えるために、他宗教とは違う神中心の新しい宗教形態の内に団結させ、従順心を磨かせる手段やガードレールのようなもので、それはこれまでの時代にはそれなりの歴史的意味がありました。使徒パウロはそれを、幼い子供を守り育てる「子守り」の働きに譬えています。しかし、神が全く新しい働き方を為されるメシア時代には、神は外的社会的に形骸化しているその伝統的生き方から人々の心を解放して、何よりも神の新しい呼びかけや働きを重視する大人の生き方、一種の預言者的生き方へと導かれます。キリスト時代には荒れ野に拠点を置くエッセネ派の人たちがそのような宗教生活を営んでおり、洗礼者ヨハネもその感化を受けて荒れ野で成長しましたが、それと対立していたのが、エルサレム神殿を中心とするユダヤ教の宗教組織や宗教形態を守り抜こうとしていたファリサイ派の人たちでした。彼らはこの世の道徳を大切にしていましたが、ユダヤ民族のこの世の栄光のためには、神をもメシアをも利用しようとしていた人間中心主義の神信仰者でした。それで、神中心の新しい信仰生活と新しい福音を説いておられたメシアは、弟子たちに「ファリサイ派のパン種に警戒しなさい」と命じておられます。使徒パウロは初めこのファリサイ派に属してキリスト者たちを迫害していましたが、復活の主キリストに出遭って神中心の新しい信仰生活に転向してからは、誰よりも熱心に、神の霊の新しい導きに従う信仰生活を説き勧めています。初めに引用した本日の第二朗読の勧めは、この立場で受け止めましょう。

   ところで、近代文明の発達で当時とは比較にならない程人々が豊かになり、人口移動も激しくなって、全てが極度に多様化しつつある現代も、人類史上未だかつてなかった程の大きな大きな過渡期であります。そして神の霊も、新しい形で多くの人々の心で働いておられると思います。私たちも使徒パウロの勧めに従って、「細かく気を配って歩み」「主の御心が何であるかを悟る」ように心がけるべきなのではないでしょうか。現代もある意味で恐ろしい「悪い時代」であると思います。地球温暖化のせいでしょうか、最近ではニューヨークやモスコーでも異常に高い気温を記録したり、梅雨前線の上って来なかった北海道に前線が停滞して雨が降り続いたり、日本に居座る高気圧を避けて台風が中国の方に向かうようになったりする気象の異常が頻発していますが、極度に多様化した人類世界の政治経済にも異常現象が頻発しています。昨年の9月にドイツの大統領から招かれ、国賓として故国ドイツを訪問した教皇ベネディクト16世は、ドイツの国民議会での演説を、神に民を統治する知恵を願って神から喜ばれた若いソロモン王の話から説き起こし、複雑な現代の諸問題の解決にも、神からの照らし・導き・助けなどの必要性をほのめかしておられます。教皇はその中で第二次世界大戦後に、世界の創造主の自然法に基づいて人権宣言が為されたり、ドイツの基本法が打ち建てられたりした時代に比べると、その後の50年間に人間中心の実証主義的世界観や価値観が殆どの人の心に広まって、今ではもう神の自然法に従おうとするのではなく、何か新しいことを試してみてその結果が善ければ、それは善だと考える科学万能主義の価値観が普及していることを指摘しておられます。

   ここからは私個人の考えですが、神はご自身のお創りになった宇宙万物を、神の呼びかけや導きに従おうとせずに、性道徳も家族倫理も人間中心に自由に造り変えたり変革したりする科学主義的試みの世界的広まりを、いつまでも黙視なさらずに、その乱れによって犠牲にされた無数の小さな弱い命のためにも、遠からず恐ろしい天罰を人類世界にお遣わしになるのではないでしょうか。その時に神の憐れみを受けて救われる者となるように、今から神中心の預言者的信仰生活に心がけ、細かく気を配って神の導きに従うように努めましょう。そして日々神への祈りと感謝の内に生き続けましょう。


   本日の福音の中で主は、「私の肉を食べ、私の血を飲む者は永遠の命を得、私はその人を終りの日に復活させる」と確約し、「私の肉を食べ、私の血を飲む者は、いつも私の内におり、私もいつもその人の内にいる」などと話しておられます。主が「いつも」とおっしゃったお言葉をそのまま素直に受け止め、たといこの世の人間社会が崩壊し、この世の社会的教会組織が崩れても、日々自分の内に現存しておられる復活の主とますます深く一致して生活するよう心がけましょう。それが、これからの終末時代に神が強く望んでおられる預言者的信仰生活だと思います。2千年前に目に見える人間となってこの世に来られた主は、復活して昇天なされた後には、目に見えない霊的な形でこの宇宙万物の内に新たに受肉し、深く隠れながらも、万物をゆっくりとあの世の永遠の栄光へと押し上げ、変容させつつあるのです。神中心主義のこの明るい希望と信頼の内に、主キリストと共に人類の罪の償いのため全ての苦しみを献げながら、忍耐強く生き抜きましょう。