2013年5月5日日曜日

説教集C年:2010復活第6主日(泰阜のカルメル会で)



朗読聖書:. 使徒 15: 1~2, 22~29. . 黙示 21: 10~14, 22~23.

     . ヨハネ福音 14: 23~29.

    復活節第六主日は、カトリック教会で「世界広報の日」とされていますので、本日のミサ聖祭は、世界のマスコミが虚偽や誤報を賢明に回避して、人々に真理と真実をなるべく正しく伝えるように、また特に子供たちの心の教育に有益な情報を流し、少しでも多くの人が家庭内や社会・国家間での不幸な対立の緩和に努め、平和な世界の建設に努めるように、さらに主キリストの福音的信仰生活が一層多くの人の心に伝えられるように、神の照らしと導きの恵みを願い求めて献げたいと思います。ご一緒にお祈りください。

    本日の第一朗読には、ユダヤから下って来たある人たちが、「モーセの慣習に従って割礼を受けなければ、あなた方は救われない」と説いたので、パウロとバルナバらとの間で激しい意見の対立と論争が生じた、とあります。本日の朗読箇所には省かれていますが、そう主張したのは、ファリサイ派から改宗して初代教会内に入って来た人たちだったようです。それでこの問題について協議するため、使徒たちと長老たちがエルサレムに集まり、パウロとバルナバを迎えて開催した会議の結論が、第一朗読の後半であります。ファリサイ派からの改宗者たちは、皆真面目に神を信じ、神のために働こうとしていた熱心な信仰者たちであったと思います。しかし、彼らは自分たちが生まれ育って来たこの世の精神文化の枠内でのみ、主キリストの説いた新しい信仰を受け止めていたので、パウロたちと激しく論争するに到ったのだと思います。「ファリサイ派のパン種に警戒せよ」という主のお言葉を忘れないように致しましょう。

    2千年前のこういう問題は、現代の日本の教会とも無関係ではありません。自分たちの生まれ育った日本文化を中心に据えて、その立場から理解し共鳴できる範囲内に限定して、主キリストの説いた神の国を受け入れようと考えている人たちは、日本にもいると思われるからです。しかし、主は事ある毎に幾度も「私に従って来なさい」と命じておられます。自分で考えて神のために何か良い仕事をしようとするのではなく、良い羊飼いであられる主の御声を正しく聞き分け、それに従って来ることを主は求めておられるのです。神の国は「神の支配」を意味しており、人間ではなく神が主導権を取って治められる国であります。使徒パウロたちの教えによりますと、自分と自分中心の精神に死んで、主キリストの福音と父なる神への従順をそのまま素直に受け入れるなら、神の霊が神の僕・神の婢のようになったその心の中で自由に働き、豊かに実を結ばせて下さる、というのが新約時代の信仰生活のようです。主キリストも、「翻って幼子のようにならなければ神の国に入ることはできない」と説いておられます。伝統的日本文化の精髄も、まず神に主導権を譲り、神の御声に幼児のようにひたすら謙虚に従って生きようとする信仰者たちの中でこそ、その本来の輝きを発揮し、豊かな実を結ぶに到るのではないでしょうか。

    今年の二月に、現教皇が枢機卿であられた時に中心になって編集された『カトリック教会のカテキズム要約』の日本語版が出版され、各地でそれを研究するグループが発足しているのは真に結構なことだと思います。私も最近私から受洗した人たちにその本を買い与えています。しかし、その時いつも「自分の頭の理解中心のファリサイ的信仰生活にならないよう、気をつけて下さい」と言い添えています。キリスト教教理の根本は、三位一体の神にしても神の御子の受肉にしても処女懐胎にしても、人間の頭では理解できない深い神秘であります。それらを強いて自分の頭で理解しようとはせずに、ただひたすら神に信頼し、神の示しや導きに黙々と従って行こうとしますと、僕・婢のように従おうとするその心の中で、神の聖霊が働いて下さいます。そして自分の理性では納得できない神よりの啓示に対しても、それらを素直に受け止めさせ、時間をかけて次第に悟らせるように導いて下さいます。奥底の心が神の聖霊に照らされ導かれて、ゆっくりと悟りに至ることが大切だと思います。マスコミや著作関係者たちの中には、もっと日本人に解り易いようにキリスト教を合理的に説明しようとしている人たちもいますが、しかしそこには、神よりの深い奥義を人間的に少しゆがめて提示してしまう危険性もあります。そのような人たちの心には神の聖霊が働けず、長い眼で見ますと、その人たちの努力は結局実を結ばずに、社会の大きな歴史の波に飲み込まれて行くようです。

    本日の福音の最後に主は、「私は平安をあなた方に残し、私の平安を与える」とおっしゃいますが、その平安はこの世が与えるような外的共存の平和ではなく、神の愛に根ざしたもっと大きな内的平安であり、弟子たちの心がたとい主の受難死によって一時的に大きく動転しても、やがて彼らの奥底の心がその激動を内面から乗り越え立ち直る力も込めて、主はその平安をお与えになったのではないでしょうか。ご自身の受難死を目前にしておられたのに、人間としてのご自身の苦悩は後回しにして、ひたすら弟子たちの悲しみ、苦しみに配慮して下さる主の愛には感動を覚えます。死ぬことのない御命に復活なされた主は、同じ至れり尽くせりの配慮を持って今も私たちに伴い、陰ながら世話して下さっているのではないでしょうか。私たちに対する主のこれほどの愛の思いやりに感謝しながら、現代世界のマスコミの浄化発展のため、本日のミサ聖祭を献げて祈りましょう。

    本日は日本の一般社会でも「母の日」とされており、今生きている母に感謝の徴として何かのプレゼントを差し上げることが、大戦後の1950年代から全国的に広まって来ましたが、これは米国の婦人アンナ・ジャービスが亡くなった母の業績を讃えて教会で白いカーネーションを捧げたことに始まる慣習で、彼女は母親が生前に示した隣人愛の模範を追慕しつつ、自分もその模範を継承するためあの世からの助けを願い求めてなしていたそうです。その生き方がアメリカ社会に急速に広まるのを見て、1914年にウィルソン大統領が「母の日」を制定したのだそうです。わが国では、1930年に神言会のゲマインダー神父が秋田で創立した未婚女性たちの「聖母姉妹会」が急速に全国各地に広まると、1935年に本部を東京に移して「日本姉妹会」と改称し、それまでの月刊誌も百数十頁の読み応えのある立派な月刊雑誌『姉妹』と改題して発行し始めました。そこには首都圏に住む当時のカトリック知識人たちも次々と投稿していますが、全国に5千人もの会員を擁していたこの日本姉妹会が、アメリカから毎年五月の「母の日」を導入して、全国に広めていました。しかし、太平洋戦争が始まる一年程前から、特高警察に狙われて活動が妨げられるようになり、ゲマインダー神父は会員たちに迷惑をかけないため、1941年から戦後の49年まで数年間ブラジルに移り、ブラジルの日本人信徒団のために働いていました。南山大学が49年に創立されると、そこの教授となって活躍しましたが、この「母の日」は本来、今生きている母に対する感謝の日だけではなく、あの世にいる母に対する感謝と願いの日でもありますので、既にこの世に母を持たない私たち高齢者も、五月のこの日を大切にしたいと思います。