2015年3月1日日曜日

説教集B2012年:2012年四旬節第2主日(泰阜カルメル会で)

第1朗読 創世記 22章1~2, 9a, 10~13, 15~18節
第2朗読 ローマの信徒への手紙 8章31b~34節
福音朗読 マルコによる福音書 9章2~10節

  本日の第一朗読はアブラハムが捧げた「イサクのいけにえ」についての話ですが、ここでは本日の第二朗読と福音について考えてみたいと思います。第二朗読はローマ書第8章からの引用で、「もし神が私たちの味方であるならば、誰が私たちに敵対できますか」という言葉に始まる、神に対する大胆な信頼と、どんな敵をも恐れない豪胆な意志表示だけの短い引用文であります。この意志表示に込められている使徒パウロの心を味わい知るには、使徒がその前後に述べているローマ書第8章の話全体を、一緒に考え合わせる必要があります。使徒はこの8章を「キリスト・イエスに結ばれている者には、もはや死の宣告はありません」「聖霊が罪と死の原理から解放してくれたからです」という言葉で書き始め、まずその御独り子を罪深い「肉」の姿でこの世にお遣わしになった神が、その御子を罪を償ういけにえと為して律法の要求する所を成就し、その御子に結ばれ、御子の「霊」に従って生きている私たちを、罪と死の支配から解放して下さったことを説いています。

  したがって、死者の中から復活なされた主イエスの霊を心に宿し、その霊に従って生きる私たちは死んでも皆、主イエスのように生きるようになるのです。「肉」に従って生きるなら死にますが、聖霊によって悪い行いを絶つなら生きるのです。聖霊に導かれる人は、神の子とする霊を受けたのですから皆神の子なのです。私たちはこの霊によって、神を「アバ、父よ」と呼んで祈ることができ、また主キリストと共同で神の国の相続人とされています。キリストと共に苦しむなら、キリストと共に栄光を受けるのです。使徒パウロはこう述べた後に、「現在の苦しみは、私たちに現わされる筈の栄光に比べると、取るに足りないと思います。云々」と書き、虚しさに服従させられている被造物たちが、神の子らの現れるのを切なる思いで待ち焦がれていることや、私たちの将来に輝かしい希望があることなどを述べています。そして「聖霊も私たちの弱さを助けて下さいます。私たちはどのように祈るべきか知りませんが、聖霊ご自身が言葉に表せない呻きを通して私たちのために執り成して下さるのです」と私たち各人の中での聖霊の祈りや働きについて述べており、それは、神が私たち召された者たちを「御子の生き写しになるようにと予めお定めになったからである」ことや、こうして「御子が大勢の兄弟たちの中で長子となるため」であること、また召された者たちを正しい者として、栄光をお与えになることなどについて述べています。

  神による新しい救いの御業についてのこれらの言葉に続いて、使徒パウロの書いているのが本日の第二朗読の言葉です。そこには「私たち全てのために、その御子さえ惜しまず死に渡された方は、御子と一緒に全てのものを私たちに賜わらない筈がありましょうか。云々」と、神の絶大な愛に対する信頼が表明されています。この引用文のすぐ後にも、「誰が私たちをキリストの愛から引き離すことができましょう。災いか、苦しみか、迫害か、飢えか、裸か、危険か、剣か」などと大胆な信頼の言葉が続いています。そして第8章の終末には、「死も、生命も、天使も、支配者も、今あるものも、後に来るものも、力あるものも、高い所にいるものも、深い所にいるものも、他のどんな被造物も、我らの主キリスト・イエスにおいて現れた神の愛から私たちを引き離すことはできないのです」と書いています。四旬節に当たり、神の愛故に被造物界のどんな存在や現象をも恐れない使徒パウロのこの模範に倣い、私たちも小さい者ながら、神のその大きな愛に対する理解と信頼を一層深めるように努めましょう。

  唯今ここで朗読された本日の福音の始めは鍵括弧で [その時] となっていますが、マルコ福音書には「六日の後」となっており、その前の個所を読んでみますと、そこにはガリラヤ湖の北東ヘルモン連山の麓にある、フィリポ・カイザリアの町とその周辺の村々をめぐっておられた主が、弟子たちに最初の受難予告をなさったことと、その後でペトロが主を諌めようとしたら、「サタン、退け。あなたの思いは神のものではなく、人間のものである」と厳しくお叱りになったことなどが述べられています。使徒として召された12人全員が集まっていた所で、「サタン」と呼ばれて厳しく叱責されたペトロのショックは大きかったと思います。そこで主は、移りゆくこの世の体験に基づく人間の思いとは天地の差である、神秘なあの世の栄光に包まれておられる神の思いとはどのようなものかを垣間見せるために、使徒たちの中からペトロとヤコブとヨハネの三人だけを連れて、高い山にお登りになったのだと思います。

  中世の十字軍遠征時代からでしょうか、ガリラヤ中心部のイズレイル平原の北東端にある、海抜588mのお饅頭のような形のタボル山が、その時の主の御変容の山だという伝えが広められ、今日ではそこに建てられた聖堂に、聖地の巡礼団が多く連れて行かれるようですが、聖書をよく読むと、それは話が違うと思います。ルカ福音書によると、一行は山で一夜を過ごして翌日下山したのですから、タボル山よりももっと高い山であったと思われます。フィリポ・カイザリアの近くにある2千メートル級のヘルモン連山の一つに、登ったのではないでしょうか。ルカ福音書には、「ペトロと他の二人の弟子たちは眠くてたまらなかったが、はっきり目を覚ますと、イエスの栄光と、云々」とありますから、光輝く主の御変容は、夕刻か夜の出来事であったかも知れません。

  聖書によると、主の一行はこの出来事の後でガリラヤに入り、そこで主が第二の受難予告がなされたようですから、御変容はガリラヤ中央部のタボル山での出来事ではないと思います。タボル山にはキリスト時代に、ガリラヤ地方での謀反を抑止するためのローマ軍の砦も置かれていましたから。また主の御受難が間近に迫って来た冬の出来事でもなく、もっと前の夏の出来事であったと思われます。冬には2千メートル級のヘルモン連山には雪が積もって一夜を過ごすことはできませんが、夏ならそこは快い所だと思います。「私たちがここにいるのは、素晴らしいことです。云々」というペトロの言葉もうなづけます。それに、5百メートル級の山では雲はそんなに速く動きませんが、2千メートル級の山では、雲はしばしば突然に現れて全員を覆い隠し、また急に去って行くという現象も珍しくありません。私は神学生時代の夏休みに、同僚たちと一緒に海抜2,542mの浅間山に二度登りましたが、二度目の時に山頂の大きな噴火口を一周した時には、一瞬のうちに全員が真っ白い雲に覆われ、足元とすぐ隣の人が薄っすらと見えるだけという体験もしました。その雲の中をしばらく歩いていましたら、突然雲が消えて、すぐ眼の前に高さ3mほどの大岩が立っていたので、驚いたことがありました。2千メートル級の山の上では、このようなことは珍しくありません。私たちの教会暦では、毎年86日が主の御変容の祝日とされていますが、これは古代教会からの古い伝統に基づいている記念日だと思います。


  この出来事は、やはりヘルモン山でのことだと思います。雲の中から聞こえた「これは私の愛する子」という威厳に満ちた神の御声は、ヨルダン川での主の御受洗の時にも天から聞こえましたが、この山の上では「これに聞け」というお声も続いています。人間の思いのままに主イエスのため神のために何かを為そう、手柄を立てようとするのではなく、何よりも主イエスの御後に従って、神から与えられる苦しみも死も甘受し、復活の栄光に到達するようにというのが、使徒たちだけではなく、私たち各人に対する神の強いお望みでもあると思います。四旬節に当たり、神のその厳しい御望みに従う覚悟も新たに堅めましょう。