2015年7月12日日曜日

説教集B2012年:2012年間第15主日(三ケ日)

第1朗読 アモス書 7章12~15節
第2朗読 エフェソの信徒への手紙 1章3~14節
福音朗読 マルコによる福音書 6章7~13節

   キリストという言葉を幾度も登場させている本日の第二朗読、すなわちエフェソ書の第1章は、キリストにおいて豊かに与えられた恵み故に父なる神を讃える、初代教会の荘厳な讃歌であったと思います。古来多くの聖人賢者たちも、深い感激のうちにこの讃歌を愛唱して来ましたが、私たちもそれに倣って、この素晴らしい信仰の遺産を大切にし、私たちの心が日々その深遠な神信仰と感謝の思想に満たされ養われるように心がけましょう。私たちの神は、毎日そのようにして神とその創造の御業、救いの御業を讃えつつ、大きな喜びの内に感謝と信頼の心で生きる人には、特別に恵み深いように思われます。私はこれまで数十年間の修道生活・司祭生活において、自分が見聞きした数多くの出来事を回顧しつつ、今はそのように確信しています。しかし残念ながら、第二バチカン公会議の頃から急速に発展した現代文明の、黒潮のように巨大なグロバール化、全地球化の流れに巻き込まれ押し流されて、信仰あるカトリック者であっても、日々心の底から喜んで神に感謝の讃歌を捧げている単純素朴な人たちは、非常に少なくなっているようです。主キリスト以来の聖人たちが実践していた、明るい希望と喜びと若さに輝く信仰生活の伝統も、現代のキリスト者たちの中では老化し形骸化して、ふ抜けたものになっているように見えます。残念でなりません。

   そこで本日は、現代の多くの人の心を弱くしていると思われるマイナス面について、ご一緒に少し考えてみたいと思います。私は自分で持たず使っていないのでよく判りませんが、日々頻繁にインターネットや携帯電話を利用している現代人の中には、心がある意味でそれらの文明の機器を通して流入する無数の呼びかけや情報の、言葉は悪いですが、奴隷のようになっている人が少なくないのではないでしょうか。私がまだ南山大学で教えていた十数年前頃に、一部の学生たちの間では、「携帯依存症」や「ネット依存症」という言葉が囁かれていたのを耳にしたことがあります。教室での講義が終わって屋外に出た途端に、いつも携帯電話を取り出し、誰かと話し合うのが習慣的になっているような学生たちも、多く見かけました。
   最近の研究によりますと、そのように頻繁に携帯やインターネットを利用し、依存症のようになっていると、頭の脳の働き方が違って来ることが明らかにされています。私の体験から申しますと、私は子供の頃はソロバンが得意で、大きくなっても足し算・引き算の暗算は比較的速く正しく為していました。ところが、簡便な計算機が普及してそれを利用するようになりましたら、たちまち暗算能力が衰え、働かなくなってしまいました。暗算しようとしても、頭が働いてくれないのです。また長年ワープロで手紙や論文を書いていましたら、昔はよく知っていた漢字も思い出せなくなり、手書きできないことが多くなってしまいました。昔覚えた漢字は皆頭脳の奥に記憶されており、難しい漢字でも読むことはできるのですが、いざそれを書くとなると、頭のシステムが働いてくれず、その漢字を呼び出せないのです。同様のことが、現代文明の利器を日々頻繁に利用している人たちの中でも起こっているのではないでしょうか。

   インターネットは、情報収集や検索などには非常に便利で、現代では必需品だと思います。しかし、人間が造ったその便利さ一辺倒の生活をするのではなく、同時に汗水流して草取りしたり、自然の動植物の世話をしたりして自分の体験から学ぶこと、日々苦労し失敗を重ねて小さな新しい発見をすること、あるいは自分で実際に古い文学書や歴史書などをめくって、こつこつと昔の人たちの業績に苦労しながら学び、自分独自の新しい発見を積み重ねること、自分の頭脳のそういう側面、すなわち自分で苦労や失敗を重ねながら見出し、独自のものを創り上げて行くという能力も、同時に共存させて磨いて行くという二つのことが、大切なのではないでしょうか。私たち人間は皆、二つの足で立って歩くよう創られています。現代文明の利器一つに頼って生活するのではなく、同時の古来の伝統文化や伝統的生き方も大切にしながら、バランスよく生活するよう心がけましょう。

   私たちが日々その恩恵に浴している極度に発達した現代文明も、人間中心の便利さ・豊かさだけを一方的に追い求める偏った傾向が強く、この文明が特に20世紀以来急速に発展して、巨大な海流のようになって世界中に普及しましたら、各種の産業廃棄物や生活廃棄物によって自然環境の汚染が進み、オゾン層の破壊や地球全体の温暖化現象を招いてしまいました。最近では地球環境の秩序や調和を破壊し続けているため、ハリケーンや台風などの規模を大きくしたり、津波・豪雨・竜巻・土砂崩れなどによる自然災害を数多くしつつあるように見えます。神目指して発展上昇しようとしていた古来の精神文化と内的に深く結ばれて、神への従順・人への奉仕愛・事物尊重の清貧愛などに実践的に努め、神と人とのバランス進行に真剣に心掛けないと、全ては人間中心主義に穢れた単なるこの世的流れと化してしまい、やがては神ご自身によって徹底的に崩壊させられてしまうと思います。神信仰と人間の福祉という二つの目標のどちらをもバランスよく大切にしようとしない、このような偏った現代文明の陰には、密かに無数の悪霊が働いているのではないでしょうか。昔には思いもしない凶悪事件が最近多発しているのは、一つにはそのような悪霊が人の心にのり移ったり働きかけたりしているからだと思いますが、同時にあまりにも外的知識や技術に偏った現代文明によって、人の心の教育も心のバランスも等閑にされ、乱れて来ているからだと思います。現代に増えているこの恐ろしいマイナス面を、心に銘記していましょう。


   主は本日の福音の中で弟子たちを宣教に派遣なさるに当たり、かなり厳しい清貧を彼らに命じておられます。アシジの聖フランシスコ程の徹底した清貧愛に生きなくても、一切の無駄使いを賢明に避けて清貧と節制に心掛ける時に、神の霊が私たちの内に生き生きと目覚ましく働き出し、豊かさの内に生きる現代人の心を真の真理へと目覚めさせ悔い改めさせて、神による救いの恵みへと導くことができるのではないでしょうか。溢れる便利さ・豊かさの中で自分の心のバランスが取れなくなり、救いの道を求めて悩んでいる多くの現代人たちのため、またそのような人たちへの宣教使命を担っている宣教者たちのためにも、聖霊による目覚めの恵みと立ち上がりの力とを願い求めつつ、本日のミサ聖祭を献げましょう。