2015年7月5日日曜日

説教集B2012年:2012年間第14主日(三ケ日)

第1朗読 エゼキエル書 2章2~5節
第2朗読 コリントの信徒への手紙二 12章7b~10節
福音朗読 マルコによる福音書 6章1~6節

   本日の第二朗読には、「私は弱い時にこそ強い」という言葉が読まれますが、これは使徒パウロの数多くの体験に基づく確信であったと思われます。現代の私たちの教会も、全てが比較的落ち着いていた昔の時代の教会に比べますと、全地球化時代を迎えて日々激動する世界からの無数の情報が、各人の心を動かし支配しているため、一般社会に流通している多様化・流動化の流れにもまれて、恐ろしいほど一致団結の力を弱めていると思います。しかし、神信仰なしに人間の自力に頼ってもがいている一般社会の考え方や流れに雄々しく抵抗して、神の働きに対する私たち神の僕・婢としての信仰と信頼を若返らせ、揺るがないものとするならば、小さい者ながら私たちも使徒パウロのように、自分の弱さを厭わず、復活の主キリストの来世的命の力に支えられて、強く逞しく生きるように為れるのではないでしょうか。

   恐れてはなりません。全能の神の力は、私たちが数々の弱さの中で、神への信仰と信頼にしっかりと立って希望と勇気に輝いているなら、十分に発揮されるのですから。使徒パウロに倣って、私たちも自分の弱さと行き詰まり状態を「むしろ大いに喜んで」その弱さを誇りとし、ひたすら神に眼を向け、信仰と信頼に励んでいましょう。「キリストの力が」一層豊かに私たちの内に宿り、私たちを助け導いて下さるように。年齢が進んで体力・注意力・記憶力が弱って来ますと、事物をどこかに置き忘れたり、必要な時に名前や番号などを思い出せなかったりすることが多くなりますが、日々幾度も体験するそれらの弱さ・煩わしさも、厭わずに喜んで神から受け取り、主キリストのお苦しみに合わせてお献げ致しましょう。隠れた所から人目に隠れていることを全て御覧になっておられる神は、私たちが信仰の心を込めて為すそのような小さな小さな献げを、喜んでお受け取り下さいます。そして日常茶飯事を幼い子供のような信仰心で捧げる人を、不思議な程助け導いて下さいます。これは、私の長年にわたる体験からの確信であります。

   意図的に少し時代遅れのような生き方をしている私の考えは、現代人にはあまり理解されないかも知れませんが、しかし、時代遅れのこういう特殊な観点に立って私の見聞きしている体験から、現代の若い人たちを陰ながらそっと観察していますと、日々頻繁に携帯やネットを利用している人たちは、ある意味でそれらの機器を通して流入する呼びかけや情報の奴隷のようにされているようだ、と思うことが少なくありません。それらの機器の背後にある目に見えない相手が皆良い人とは限りませんので、文明の利器が犯罪に利用されるケースも多いようです。恐らく一人前の司祭や修道者がそういう犯罪などに巻き込まれることはまずないでしょうが、しかし、外界からの頻繁な呼びかけや問い合わせなどに時間を奪われ、悩まされている司祭・修道者も少しはいるのではないでしょうか。その点、そういう文明の利器を持たない私は、昔の修道者たちのように、自分に与えられている時間を、束縛されずに自由に神と人とに使うことができ、仕合わせであると感じています。

   さらにもう一つ思うことは、日々ネットや携帯に半分束縛されて生活している現代人の中には、それだけ、自然界の動植物にじかに接触して感動したり、苦労して学んだりすることも少ないので、人間理性が勝手に作り上げた半分バーチャルな世界に生きている人が多いのではなかろうか、という不安であります。「誰でもいいから殺して見たかった」などと、大した悪気もなく軽く話す、最近の遊び半分の心で生きているような犯罪者たちの言葉を聞くと、その人たちは、人間を半分バーチャルな世界に生活させる現代文明の利器の犠牲者なのではないのか、と考えさせられます。現実に立脚し苦労して生きている人たちの涙ぐましい心情や、愛する人たちに後事を託して死んで行く人たちの心情などに直に触れて、自分が神から受けているこの貴重な人生の意味などについて考える機会が全く与えられなかったのではないか、と考えさせられます。ネット空間に生きている現代の学生たちが、次々と簡単に卒業論文を仕上げるのを見る時も、この人たちの脳の働きは、インターネットに順応して与えられた資料を巧みに利用することしかできなくなっており、昔の研究者たちのように実際の現実に即して苦しい失敗や観察の苦労を重ねつつ、新しい真理や原理を自分の心で発見する喜びや感激は知らないのではなかろうか、などと考えさせられます。数多くの古典や故人の著作を、何時間もかけてこつこつ読み解く苦労もしていないのではないでしょうか。それでは、現代の文明もやがて巨大な海流だけのような、実際の現実から離れた単なる人工的流れと化してしまい、神を目指した発見も進歩も発展もない無意味なものと化して、遠からず神により内側から崩壊させられてしまうかも知れません。
   本日の福音に述べられている、故郷ナザレの人々から受け入れられなかった主イエスも、察するに同じようなご心配と悲しみを味わっておられたのではないでしょうか。カファルナウムのような外来の商人たちも多く行き来していた国境の町とは違い、当時の先端を行く商工業の営みからは遠く離れた、動きの少ない保守的な田舎町ナザレで神の御子は育ちましたが、神は当時の社会の下積みのような田舎町に、その御独り子が一人前の大人になるまで貧乏暮らしをしながら育ち、ユダヤの一般社会から注目を浴びないようにお計らいになったのだと思います。私の推察ですが、田舎町ナザレでは、聖家族がヘロデ大王の没後にエジプトからお戻りになった頃から、幼児イエスを私生児(テテ無し子)として軽視する風潮があったのではないでしょうか。母のマリアが一人旅をして三カ月程ナザレを留守にして戻って来たら、間もなく妊娠していたことが明らかになって、噂話が囁かれていたと思われる小さな田舎町では、聖家族がエジプトから戻って来てから初めて見たその子の顔が、マリアには似ていてもヨゼフにも似ていないことも、噂の種にされていたと思われます。それで非常に保守的で、外来者の社会的地位が低かったと思われるナザレの町では、聖家族は貧しいよそ者として見降ろされていたのではないでしょうか。

   ところが渡り者の大工ヨゼフの手伝いをしながら、貧しい下層社会で成長したそのイエスが、30歳代になってガリラヤの他の町々では歓迎され、安息日に会堂で説教したり多くの病人を癒す奇跡をなしているという噂が広まったので、そのイエスが弟子たちを連れて安息日に故郷ナザレに来ると、早速会堂で説教してもらいました。会堂に集まっていた町の顔役たちは、自分たちがかつて見下していた学歴のないあの大工が、どんな話をするものか見てみたいという、好奇心と批判の心でその話を聞き始めたことでしょう。しかし、聖書を解説するその知恵とその態度に驚き、いったい彼はどこからその知恵と奇跡を行う力を授かったのか、と騒ぎ始め、「彼は大工ではないか。マリアの子で、ヤコブ、ユダ、シモンの兄弟ではないか。その姉妹たちはここで我々と一緒に住んでいるではないか」などと叫びました。ここで「大工」というのは、当時は現代の大工とは違って、頭を下げて仕事をもらい歩く渡り者で、左官屋のような仕事をする社会の下層民の職業でした。また当時は「ヨナの子シモン」などと父親の名をつけて呼ぶのが普通で、「マリアの子」などと母親の名をつけて呼ぶのは、父親不明の私生児を呼ぶ時の軽蔑語とされていました。主イエスはナザレでは子供の時から、そのように軽蔑語で呼ばれていたのだと思います。主に対してそのような軽蔑語が公言されたことを気遣ったのでしょうか、マタイはナザレの人々のその軽蔑語を和らげ、「その母はマリアで」と言い換えています。また「兄弟」「姉妹」とあるのは、当時のユダヤでは広く従兄弟・従姉妹たちをも指していましたので、ここではベトレヘムから移住して来たヨゼフの一族を指していると思います。彼らも皆よそ者でしたから、ナザレでは社会的地位が低かったと思います。それでここでは、主の出身を軽蔑する心でこの言葉が言われたと思います。町で顔を利かしている人たちからこのように公言されたら、もうこの町では誰一人それに反対できないでしょう。


   本日の福音には「人々はイエスに躓いた」とありますが、フランシスコ会訳では、「人々はイエスを理解しようとしなかった」と訳し替えています。これでも良いと思います。社会的上下関係が厳しかった当時のナザレの町は、そのような雰囲気に包まれていたと思われます。そのような所では、何よりも神に従おうとする預言者は何もできません。それで主は、恐らく最下層の貧乏な病人たち数人に手を置いて癒されただけで、他には何も奇跡を為すことがお出来にならなかったのだと思います。神中心に生きようとする信仰心や従順心が、全く見られなかったのですから。今の私たちの社会が、そのような不信仰の社会にならないよう、神の憐れみと恵みを祈り求めましょう。