2016年5月8日日曜日

説教集C2013年:2013年主の昇天(三ケ日)



第1朗読 使徒言行録 1章1~11節
第2朗読 ヘブライ人への手紙 9章24~28節、10章19~23節
福音朗読 ルカによる福音書 24章46~53節

  本日の福音はルカがテオフィロ閣下に宛てて書いたルカ福音書の最後の部分ですが、本日の第一朗読はルカが同じテオフィロ閣下に宛てて書いた使徒言行録の最初の部分です。ルカがこの二つの著書を主の昇天という出来事の記事で結んでいるのは、主の昇天があの世とこの世とを結ぶ出来事、天にお昇りになった主とこの世の教会とを結ぶ画期的出来事であることを、読者に示すためなのではないでしょうか。主はヨハネ福音書14章の中で「私はあなた達を孤児にはしておかない。私はあなた達の所に戻っている」「私があなた達の中におることを、その日あなた達は悟るであろう」と話しておられます。最後の晩餐の時の主のこのお言葉を信じて、主と共に明るく生活するよう心がけましょう。

  本日の福音によりますと、主は昇天なさる前に、弟子たちの担うべき使命について、「あなた方はこれらのことの証人となる」と語っておられます。何を証しするのでしょうか。主はそれについて、聖書に書いてある通りに、メシアが苦しみを受けて三日目に死者の中から復活したことと、罪の赦しを得させる悔い改めが、その名によってあらゆる国の人々に宣べ伝えられることとの二つをあげておられます。メシアの受難と復活については弟子たちが目撃証人ですから分かりますが、罪の赦しを得させる悔い改めがメシアの名によってあらゆる国に宣べ伝えられるという出来事を実現させる主体は、誰なのでしょうか。聖書学者の雨宮神父はこれについて、第二イザヤの預言などを参照しながら、神ご自身が悔い改めを宣べ伝える主体になっておられるのではないか、と述べています。現代には、神のために自分が主導権をとって宣教すると考えている宣教師も多いと思いますが、聖書によると神が宣教の主であり、神が主導権を握って人間を生きる器、道具として用いながら宣教なさるというのが、神の望んでおられる新約時代の宣教活動のようです。私たち人間は、主イエスや聖母マリアのように、神の僕・神の婢として只管神の導きや働きに従って生きようとしてこそ、神のなさる宣教を最もよく推進し、豊かな実を結ばせるに至るのではないでしょうか。主のお弟子たちも、そのように努めることによって実践的に学んだ神の働き・神の宣教について証する使命を、御昇天直前の主から戴いたのだと思います。

  主は続いて、弟子たちがその使命を果たすための神の力、聖霊を御父の許から送ると約束し、天からのその力に覆われるまでは都エルサレムに留まっているようにと、お命じになりました。弟子たちが自分の力によって宣教や証の使命を果たそうとはせずに、主キリストの霊、すなわち神の聖霊に満たされてその使命を果たすように、と望まれたのだと思います。主が最後の晩餐の席上で話されたように、葡萄の蔓のような私たちは、木であり根であられる主から内的に送り込まれる神の力・神の養分によって生かされるのでなければ、神のお望みになる実を結ぶことができないからだと思います。

  主はこのように話された後に、エルサレムの東方ベタニア辺りにまで弟子たちを連れて行き、手を上げて彼らを祝福しながら天にお昇りになったのです。もはや死ぬことのない永遠の命の輝きと喜びでいっぱいの主のお姿は、集会祈願にもありますように、私たちの未来の姿を示していると思います。私たちも皆、将来は神の超自然の恵みによってそのような輝かしい姿に復活し、感謝と喜びのうちに主と共に永遠に生きるのだと思います。本日その喜ばしい未来の姿を思いやりながらミサ聖祭を捧げて祈る私たちをも、主は御手をあげて祝福してくださることでしょう。しかしその主はこの世の命に蘇られたのではなく、この世の命には死んで、死後の世界にある死の門を打ち破り、あの世の栄光への道を切り開き、死ぬことのないあの世の永遠の命に復活なされたのであることを、心に銘記していましょう。私たちも皆、いったんこの世の体に死んであの世に移り、主が開いて下さった道を通ってあの世の命に復活するのだと思います。神が私たちのために備えて下さったこの輝かしい救いと恵みの故に、神に深く感謝致しましょう。主は最後の晩餐の時に、「私を愛する人は私の言葉を守るであろう。私の父はその人を愛され、私たちはその人の所に行き、そこに住む」と話されました。主のこのお言葉を心にしっかりと銘記していましょう。あの世の命に昇天なされた主は、この世から遠く離れた存在になられたのではなく、内的霊的には私たち各人の心の中に天の御父と共にお住みになる、真に驚嘆するほど私たちの心に近い存在になられたのです。主のご昇天によりあの世とこの世が内的にはそれ程近く密接に結ばれるようになったことも、堅く信じましょう。そしてあの世の神の力により、日々心の底から神に生かされて生きるよう心がけましょう。